2012429():金山千代子先生

2012417日付】の日誌で紹介した「母親法」の金山千代子先生と久しぶりにお会いした。トライアングル金山記念聴覚障害児教育財団の会誌「おたより」の編集部が金山先生にインタヴュー取材する企画があり、それに合わせて同行させてもらった。財団理事長の児玉眞美先生と夫君の児玉龍彦氏(東京大学アイソトープ総合センターセンター長兼東京大学先端科学技術研究センター教授)も同席された。松戸駅近くの料亭の眺めの良い部屋で2時間にわたり、日本の聴覚障害教育の歴史の一端に深くかかわる貴重な話を伺うことができた。身繕いと所作は相変わらず品がよく、編集者の質問には分かりやすく答えられ、次々に進む話題について明晰なご意見が添えられる。お歳を感じさせないお元気な金山千代子先生である。インタヴューを終えた後も私たちは名残惜しく、松戸駅前のデパートの喫茶店で更に小一時間、金山先生を囲んで懇談した。私にとって忘れ得ぬ一日となった。



2012428()APCD2012(シンガポール大会)

今年726日からシンガポールで開催されるAPCD 2012(第11回アジア太平洋地域聴覚障害問題会議、11th Asia Pacific Congress on Deafnesshttp://203.127.83.176/hosting/APCD2012/index.html

では、国際会議運営委員会の委員でもある私の責務として一つの講演は引き受けなければならないと覚悟はしていたが、最近になって大会本部からもう一つの講演依頼があった。結局、次の二つの演題で2回、合わせて40分の原稿を用意しなければならなくなった。大会第1日目にはThe Prospects for the Educational Audiology in Asia”、第3日目には"Hearing Intervention and Advocacy Program in Japan"。どちらの講演でも、日本教育オーディオロジー研究会の設立の経過と現状について話し、アジアの仲間との連携を提案しようと考えている。それにしても英語での準備と本番を考えると、やはり気が重い。



2012421():新たな縁(えにし)を結ぶ会

 朝日新聞社で女性初の論説委員となり17年にわたって医療・福祉・科学分野を担当した大熊由紀子先生(現在、国際医療福祉大学大学院教授)との縁で、様々な分野の方々が年に一度参集するのが「新たな縁を結ぶ会」である。今年も日本プレスセンターに300人以上の素晴らしく豪華な顔がそろった。郵便不正事件の冤罪で無罪判決を得、損害賠償金を知的障害者の取り調、裁判や社会復帰支援のために寄付した内閣府政策統括官の村木厚子氏のお顔もある。会の世話役の大熊由紀子教授とは、私が筑波技術大学の学長になった時に大学運営の理事に就いていただいてからの縁である。志の高い多くの人が共通して持っている改革のエネルギーをいっぱい浴びることができた一日である。

1部「いろんな人が生きられるまちに」のシンポジウムで話題提供された山本譲司氏とも縁を結ぶことができた。氏は衆議院議員であったが、2000年に秘書給与流用の詐欺容疑で東京地検特捜部逮捕された。16ヶ月の実刑判決を受け栃木県黒羽刑務所に服役し、刑務所では触法障害者達の世話をしていた。出所後はホームヘルパーとして介護福祉に携わり、また作家として活動している。刑務所生活において同所していた障害者たちの実情に迫った『累犯障害者』(2006年、新潮社)では聴覚障害者の問題も扱われていたので、当時の「学長日誌」に紹介し、教授会の有志と輪読したことがある。

2部「東日本震災で、まだ、本気では語られていないこと」のシンポジウムでは、全日本ろうあ連盟の久松三二事務局長が「耳が聞こえない被災者の救援活動から我が国の障害者施策を考える」の話題提供を行った。第3部の大討論会「どう変える-日本のすべての未来-社会保障と税の一体化をめぐって」でも、私の同僚である福島智教授がパネリストとして参加した。



2012420():「難聴と付き合う」(日本農業新聞)

記者の取材を受けて「日本農業新聞」のことを初めて知った。農協団体が発行する唯一の日刊紙である。食や農業に関する広告があることを除くと一般の中央紙と変わらない。発行部数は約40万部というから、東京圏で読まれる産経新聞の部数よりも多いことになろう。熱心な記者の企画案とインタヴューに応えた内容が、特集「難聴と付き合う」として全国版に3回に分けて掲載された(410日、11日、12日付)。難聴や補聴器のことが農業関係の人々にも理解される機会となれば嬉しい。



2012418():新書発行「聴覚障害教育の歴史と展望」

ろう教育科学会(会長:守屋國光・大阪教育大学名誉教授)は2008年に学会創立50周年を迎えている。これを記念し「聴覚障害教育の歴史と展望」(ろう教育科学編、風間書店)の出版が企画された。数年前のまだ私が筑波技術大学の学長職にあるときに執筆を依頼されたテーマが「障害者のための高等教育-筑波技術短期大学から筑波技術大学への歩み-」だった。筑波技大という大学は何の為に設立されたのか、次は何を目指すべきかについて、かなり踏み込んだ私の考えを述べている。本日、ようやく出来上がった真新しい装丁本が届けられた。最近の筑波技術大学の在り様を見ていると、大学執行部が本来の「レーゾンデートル」(存在理由)や「ステークホルダー」を見失っているのではないかと危惧される。聴覚障害教育の専門性が失われつつあるのは聾学校・難聴学級だけではない。筑波技大の大部分の教職員にとっては、「ろう教育科学会」の存在や「聴覚障害教育の歴史と展望」の出版を知ることはないままの日々を送っているのだろうが、是非一読してもらいたいものだ。



2012417():「母親法」とは

新生「トライアングル金山記念聴覚障害児教育財団」の会誌に、「母親法」について拙稿を載せてある。「金山千代子先生」や「母親法」のことをご存じない新しい会員や関係者の参考に供するため、以下にその一部をご紹介する。

「母親法」は聴覚に障害がある子どもや親たちと共に学んだ金山千代子先生の「母と子の教室」の実践と研究から生まれました。母親法・自然法の基本の考え方は、母と子の愛着と共感のコミュニケーションによって、心を育て、ことばを育てることでした。金山先生のこの真意が、関係者に理解されていないことを最近インターネットの記事で見つけ残念に思いました。こう書いてあるのです。『「母親法」とは、聾学校に親子で登校し、教室ではろう児の後ろに親が座り、学校が終わると家庭では親がその日に受けた授業のおさらいをしたり、本の読み聞かせをしたり、発音の訓練などをする。』

「トライアングル金山記念聴覚障害児教育財団」のスタートにあたって、このような誤解が、「金山記念」の名が加わったことによりまた生まれることがないよう、かつて矢沢国光先生(元足立ろう学校教員)がトータルコミュニケーション研究会会報(No.93,58-60,2003)に掲載した書評『ろう教育の歴史的転換を導いた「母親法」:金山千代子著「母親法~聴覚に障害がある子どもの早期教書~」を読んで』の一部を改めて引用したいと思います。

『・・・・金山先生は「聴覚口話法の先達」と言うより,「母親法・自然法の先達」であり,伝統的な口話法から抜け出して新しい聴覚障害幼児教育を創造するための導きの星であった。このことを,ろう教育史的に整理すると,次のようになろう。純粋口話法が,苦痛を強いることのみ多く,成果を上げること少なかったのは,「読話・発語」という無茶な記号のせいばかりではない。もともと教えることのできない「言葉」を,「教える」,教えようとしたところに,問題があったのだ。このことを自覚し,「母親法」「自然法」として方法論的に追求したのは,同時法やキュード法の人たちではなく,むしろ聴覚法の人たちであった。(中略) 金山先生の母と子の教室は,親の役割を重視し,どうしたら親が子育ての主体になれるかを徹底して指導した,という点でぬきんでていたといえる。聴覚口話法は,聴覚障害があるにもかかわらず聴覚音声語を使う。音が聞き取りにくい分,気持ちの上でも意味の上でもより緊密に「通じ合う」ことが求められる。そのためにコミュニケーションの方法についての掘り下げた追求が実現したのではないか。これに対して,栃木や足立の同時法・指文字法は,結果的には自然法であったが,それは自覚的に親子のコミュニケーションの成立を方法的に追求したわけではない。指文字または手話を親が習得しさえすれば,自然に親子のコミュニケーションがスムーズに発展し,子どもはさまざまな知識を獲得し,インテグレーションしてもそこそこ勉強に付いていける子どもが多くいた。そこは,指文字・手話の威力といえる。だが,すべての親子が,指文字・手話を導入しさえすれば順調にいくわけではないことも事実であった。(中略) そこで分かったことは,指文字・手話を使うか聴覚音声語(補聴器)でやるかといった「コミュニケーション手段」の選択以前に,まず,「よい親子関係」「親子の愛着関係」「しっかりした養育」「親子の体験の共有」「子どもの発信への的確な応答」等,「親子のコミュニケーション」が大切であり,言葉は,日本語であれ手話であれ,「コミュニケーションの中から育ってくる」ということであった。』

金山千代子先生は「母と子の教室」の終了と同時に第一線から退かれた後、南村洋子先生が「トライアングル」教育部を引き継ぎ、さらに児玉眞美先生が「子育ての主体となる親の役割と重圧」にも思いを致した教育相談プログラムを展開してきました。ここにはずっと金山先生の「母と子の愛着と共感のコミュニケーション」の基本が受け継がれてきたことを私たちは確認する必要があります。



2012416():筑波技大「学長日誌」の消滅

本研究会の「会長日誌」を書く以前は、筑波技術大学のホームページに「学長日誌」をほぼ毎日載せていた。学長としての大学運営の考え方や聴覚障害教育への想いなどを4年間にわたり綴ってきた。筑波技術大学の歴史を残すアーカイブの一つだったと自負している。これらは最近までホームページのなかの「沿革」から全てを読むことができたのだが、いつからか跡形もなく消えていた。前学長の記録がいつまでも残っているのが目障りだったにしても、私に一言の断りもなく削除してしまう無神経さには少なからず憤りを感じる。幸いある教員がサーバーからコピーを作り送ってくれたので助かった。それでも最初の一年分ほどの文章はもう残っていない。今年は創立25周年の記念事業を計画しているはずなのに残念である。私の心境(年寄りの愚痴)も聞いてもらいたく、筑波技術大学を去る最後の日の学長日誌を引用する。

【学長日誌2009年3月31日】
 私は、2005年(平成17年)4月18日、4年制の筑波技術大学を設置する法律が公布されたのを機に「学長日誌」を書き始めた。4年間にわたり連載してきた。2005年5月31日の学長日誌に、最初の想いが次のように述べられている。『学長日誌は、学内の教職員に学長がどのような考えを持って日々の大学運営に当たっているのかを知ってもらい、情報の共有を図ろうとしたものである。』
 その後、多くの学外の関係者、特に特別支援学校・学級の先生や保護者など、本学のステークホルダーにもよく読まれていることが分かり、また多くの反応もいただき、書くのを止める訳にいかなくなった次第である。本日が最後の学長日誌となった。「学長史」であると同時に「大学史」の一部であったという思い入れもある。ホームページのどこか奥の方にでも記録として残していただけるよう、広報室に無理なお願いをしたところである。長い間お読みいただいた皆様に心から感謝申し上げます。さようなら。




201246():ザ・サウンド・オブ・ミュージック

親の会の勉強会を通じてお付き合いいただいているSさんから、嬉しい音楽の贈り物をいただいた。人工内耳装用のお嬢さんが「ザ・サウンド・オブ・ミュージック」を私のために歌ってくれた録音である。お母様のピアノの伴奏で、心にしみる落ち着いた歌声が流れる。音楽って、これなんだと思った。新年度の慌ただしい時の合間に、スマートフォンから流れる特別製の歌声に耳を近づけては安心を得ている。






TOP


Home