2011619():補聴器勉強会40周年記念大会(京都)

補聴器に関わる医師、教師、補聴器技能者、言語聴覚士が共に専門性を高めあう勉強会としては、その組織力と継続性で近畿にある二つの研究会の右に出るものはない。HCC」(代表幹事:高木二郎先生)は昨年40周年(367回目)の勉強会を大阪で開催した。もう一つの「補聴器勉強会」(第40回・代表幹事:大山孜郎先生)は、昨日から二日間にわたって40周年記念大会が京都ホテルオークラで開催された。

シンポジウム「補聴器に関するこれまでの活動と将来への展望」では、座長の小寺一興先生(帝京大学医学部名誉教授)が4名のシンポジストを招集された。座長もシンポジストも65歳を超える高齢の顔ぶれである。69歳の私の他、宮永好章氏(日本補聴器技能者協会理事長)、井村行雄氏(日本補聴器工業会事務局長)、木村修造氏(日本補聴器工業会副理事長)、そして小寺一興先生(日本聴覚医学会理事長)が、それぞれの分野で40年近く補聴器に関与してきた歴史と将来への想いを熱く語った。

私からは、教育オーディオロジーへの期待と展望として特に次のことを述べた。

1)聾学校・難聴学級の発展の歴史を見ると、優れた耳鼻科医が深くかかわっていたことがわかる。私の場合も同様で、難聴児の育ち方を熱心に支援した耳鼻科医の薫陶を受け勉強した教師が補聴器を活用した教育に貢献した。今後は、補聴器相談医(4522名)や補聴器適合判定医(2398名)がそれぞれの地域の聾学校等の校医となり頼もしいスーパーバイザーとなってほしい。

2)私が昭和大学の岡本途也教授の下で難聴・補聴器外来を担当した10年間、教員の仕事の進め方との違いに気付かされた。医局の耳鼻科医、ST、補聴器技能者が集まって症例を検討する「カンファレンス」を通じて優れた後継ぎが生まれていくことを実感した。学校現場で先輩教師が行う聴覚補償の仕事を通じて後継者がしっかり育ってほしい。

3)補聴器相談医、認定補聴器技能者、言語聴覚士、情報保障支援者(手話通訳、要約筆記者)、聴覚障害当事者団体、親の会等の活動に敬意を払うことから、教育オーディオロジーの仕事が理解され価値が高まる。教育オーディオロジーを孤立化させないために他領域との連携をいっそう大事にしていってほしい。

4)特別支援教育の大きな流れの中にあって聴覚障害教育の存在感や専門性に不安を覚える実状があるが、一方でむしろ、発達障害など他の領域では子どもたちに聴覚的問題もあることに気がつき始めている。さまざまな聴覚的課題に対して教育オーディオロジーの領域から助言協力できる側面があるので、積極的に広く関与してほしい。

二日目の午後の講演は、講師を本研究会の役員でもある庄司和史先生(信州大学全学教育機構)が務めた。庄司先生は私の直接の弟子ではなかったが聴覚障害児の早期教育の実践仲間として励まし合ってきた。今や我が国の教育オーディオロジーに欠かせない後継ぎの一人となったことが私には何より嬉しい。



2011612():聞くことや話すことを諦めさせてしまわない支援機器の開発

厚生労働関係の刊行物「厚生労働」6月号の特集「障害者の自立支援機器」に、私へのインタヴュー記事が載った。教育領域の会員諸氏には入手しにくい雑誌であるが、国民に広く読んでもらう意味で当該ページが「コピー可」となっているので、一部紹介する。

●耳を使うことを諦めさせない支援機器

字幕などの視覚情報に、補聴器などによる聴覚情報が加わり併用されると情報の伝わり方に確実性が増します。しかし今の日本では、耳が不自由になると聴覚からの情報入力は「諦めなければ」という思いにとらわれるような状況にあるようです。高齢難聴者、先天性の難聴者、重度の聾者など、聴覚障害にもいろいろな種類と程度があり、補聴器の選択と調整は眼鏡の度数を合わせるように簡単にはいきません。補聴器のフィッティングが適正でないため装用に失敗する例が多いのです。それに比べ、テレビには字幕が出るし、要約筆記や手話のサービスも得られるという環境もあり、耳を使う可能性や必要性を感じる前に、視覚からの情報に依存してしまうという傾向もあります。目を使えば済むからわざわざ耳は使わなくてもいいという意見が意外に多いのですが、どんな難聴者にも残存聴力があり、それを活用することを簡単に諦めてしまうのは勿体ないことです。もっと耳を使うことを支援してくれる補聴機器の開発と使い方の啓発が必要です。

●磁気ループ補聴システム

高齢者、難聴者、補聴器装用者にとって、最も聞き取りを難しくするのは環境ノイズです。静かなら聴き取れる人でも、周囲に雑音がありうるさいと何を言っているのか分からなくなり、耳を使うことを諦めてしまう。また、相手との距離が広がり反響が多いと聞き取りの力が極端に落ちます。広い講演会場やコンクリートで囲われた建物の中などなどでは、難聴の人やお年寄りは話し手にできるだけ近づくことがよいのです。しかし常に最前列の聴きやすい席を確保できるとは限らないので、公的な場所に補聴用の磁気ループを敷設しようという運動が国内外で広がってから久しくなります。マイクを持っている人の声が部屋に廻らされたループを通じて電磁波で補聴器に直接入り、話者が遠くにいてもその口元に自分の耳が寄っているかのように周囲のノイズや距離に影響なく明瞭に聴こえます。先進国では公の場所に磁気ループ補聴システムが設置されるのは当然のこととなっていますが、日本ではまだまだ普及していません。耳を有効に使う方法論は既に出来上がっているのですから、あとは世の中の人々の理解と資金投入だけの問題です。

●電車やバスの中での補聴システム

室内用ループの問題と別に、もうひとつ見逃されてきたのは、電車やバスの中など最も騒音のあるところでの補聴システムです。最近は車内液晶パネルに文字情報が出るようになりましたが、前もって用意されていないアナウンスや緊急の案内などの音声は文字に出てきません。SN比のよくない電車内のアナウンスを聞き取るのは耳が遠くない人にとっても大変です。その解決策のひとつとして、磁気ループを車両の中に張ってはどうかという考えが生まれてきました。まず初めに車載ループシステムが試みられたのは聾学校のスクールバスでした。最新式のデジタル補聴器や人工内耳を装用し聴覚活用教育を受けている聴覚障害児には有効です。また女性車両などの普及もあり、高齢難聴者や補聴器装用者向けとして車両編成の中の1両を磁気ループ付きとし、車中に簡易な補聴システムが用意されるなどといった発想も可能になるかもしれません。現在せっかく難聴者のための補聴用FM電波の周波数帯が確保さたにもかかわらず、十分には活用されていない実態もありますから、これを応用したFMシステムができれば高齢者などにとっても役立つものとなります。

●少人数のニーズに応える聴覚関連機器の開発も

アスペルガー症候群や発達障害の人の中に聴覚過敏といわれる例が少なくありません。特定の音がうるさく引きこもってしまう、対人関係が保てないなど、音のストレスからの解放を求める人が多数います。一昔前までのアナログ式補聴器は単に音声を増幅するものでしかなかったが、今やデジタル式の人工知能型の補聴器の時代になり、周波数特性などを任意に個人の聴覚特性に合わせて補聴器の処方せんが作れるようになりました。こうした補聴技術が聴覚過敏にも応用できるかもしれません。

患者数が比較的少ないので機器開発が後回しにされている骨導補聴器のユーザーがいます。骨導補聴器は振動端子をヘッドバンドで頭蓋骨に圧着して音を聞く特殊な補聴器です。外耳道閉鎖などの奇形な耳に小児から装着する必要があるので、カチューシャ形に取り付けてみたり、ヘヤバンドを工夫したり、年頃になると付けたがらない、夏は暑い、隠したいなど、親も子も苦労しています。骨導振動端子をうまくフィッティングさせられる材料や応用できる技術はいっぱいあるはずなのに実現できていないのです。

今後も音声言語訓練がうまく進められるようになり、話のできる聾者や発声障害者が増えていくでしょう。しかし明瞭なスピーチになるまでには回復に限界も生じます。自分の発声が普通ではないことを恥ずかしがって、「話すことを諦める」障害者もいます。彼らの発音発語の歪み方には一定の誤発パターンがありますから、これを修正して音声変換する機器も開発できたらと思います。



201164():東大駒場公開「あなたの耳は大丈夫?」でイタールの話を

恒例の「東大駒場公開」を今年は中止してはという議論もあったが、むしろ大震災の問題を積極的に扱った最新の研究実践の紹介や講演・シンポジウムを企画することに意義があるとして開催された。その中で私の講演「あなたの耳は大丈夫?グラハムベルの電話器から最新の補聴器まで」はやや異色であった。市民から東大OBまで様々な聴衆を対象とするので、オーディオロジーの専門的な内容をやや控える必要があったが、次のような話も加えた。

『ミッシェル・ド・レぺ(1712-1789)が手話による聾教育を開始しパリ国立聾唖学校を創った。後にシカール神父1742-1822が校長となり、その時に聾唖学校の初めての住み込み校医となったのが「アヴェロンの野生児」の教育にあたったジャンマリー・ガスパー・イタール(1774-1838)であった。イタールはフランス耳科学の創始者であると同時に、アヴェロンの野生児や聾唖者の残存聴力の活用を実践した教育オーディオロジーの先駆者と言ってもよい。イタールは莫大な寄付金を聾唖学校に残したが、その使途の条件は「手話だけの聾教育に加え、聴覚活用の可能性のある聴覚障害児のための難聴言語補習学級を設置すること」であった。イタールの亡き後、パリ国立聾唖学校の専任医師の職を継いだのはメニエル症で有名なプロスパー・メニエール(1799-1862)であった。更に、精神薄弱児教育の大家となったエドアール・セガン1812-1880)も初めはイタールの教えを受け、イタールを師と仰いだセガンにより確立された感覚教育法は、マリア・モンテッソリー夫人1870-1952)のモンテッソリー法につながり20世紀の教育思想へと発展していった。』

なおイタールについては、耳鼻咽喉科の専門雑誌「JOHNS」に連載中の「古典あれこれ」の今月号「耳鼻咽喉科学のパイオニア・世界編耳科学3」として拙稿が掲載されている(JOHNS Vol.27, No.6, 2011)。







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