2011129():加我君孝先生の公開講座

 加我君孝先生(前・東大耳鼻咽喉科教授、東京医療センター感覚器センター名誉センター長)が主催する研究成果発表会(第6回市民公開講座:厚労省科研費・研究成果等普及啓発事業)が開催された。テーマは「聴覚障害と高等教育への新たな挑戦~新しい聴覚補償の発展~」である。加我先生からは「東京大学でのバリアフリーにおける聴覚障害学生支援の歩み及び活躍する全国聴覚障害医学生及び医師」の講演があった。私は「筑波技術大学における聴覚障害学生の教育と卒後の社会での活躍」の演題で発表した。医療の分野でも聴覚障害者が活躍し始めている実情が分かった。終了後の会場で参加者の親御さんが重度難聴の高校1年のお嬢さんを私に紹介してくれた。「耳鼻科の研究医となり難聴治療の研究に携わりたい」と医学部進学に向けて頑張っている。出生時から両耳スケールアウトの最重度難聴だったが、4歳の時に加我先生の人工内耳手術を受け学力とコミュニケーション力が著しく向上したお子さんである。将来が楽しみだ。



2011127()NTID客員研究員に就任した福島智教授

  目、耳ともに不自由な盲ろう者の東大教授、福島智さん(48)は、先端研バリアフリー分野で私の同僚である。現在1年間の在外研究でニューヨーク郊外にあるに国立ヘレン・ケラー・センターを活動拠点としている。このセンターに24日、中米コスタリカをご夫妻で訪問する途上の秋篠宮妃紀子さまが立ち寄られ、福島先生も対応された。紀子妃殿下は、ヘレン・ケラー・センターの盲ろうの訓練生たちの手をとりアメリカ式手話で「ナイス・トゥ・ミート・ユー」と話しかけられた。そして福島先生の手には「き・こ・で・す・あ・り・が・と・う」と指点字を打たれた。

 実は、福島智教授は今月、ニューヨーク州ロチェスターにあるNTID(ロチェスター工科大学・アメリカ国立聾工科大学)の客員研究員に正式に採用された。NTIDは私や筑波技術大学と長い間深い関わりがある。NTIDは「聴覚視覚障害者の高等教育」という新しいテーマに挑戦する人材を得たと言えよう。



2011118日(火):横須賀市立ろう学校、物忘れ

  横須賀市立ろう学校(渡辺浩校長)で「ろう学校における聴覚補償の考え方」の演題で講演した。研修会の準備をされた田中康次先生が校内の聴力検査・補聴器管理などの施設設備を案内してくれた。教育オーディオロジー・サービスの部屋には、私の著書論文がボロボロになるほど読まれて置いてあり、校内研修や子どもの聴能評価などに実際に使われているのを目の当たりにし嬉しかった。

  夕刻には横須賀中央駅の近くの料理屋で横須賀ろう学校の元校長先生お二人から歓待された。およそ30年前の校長・小嶋憲先生(85歳)と10年前の校長・斎藤捷彦先生(68歳)である。ほろ酔い機嫌になった終電の帰路(電車かタクシーの中か駅のトイレか見当が付かない)、買ったばかりの気に入りのメガネを紛失してしまった。実は、昨年末にも携帯電話をどこかに置き忘れ見つかっていない。全ての電話番号が消えてしまったので誰にもこちらから連絡する方法が無い生活が続いていた。数日前、ようやく諦めてスマートフォンを新規購入した。この新品までも失くすようなことがあったら真剣に「ボケ」対策を急がなければなるまい。



2011114日(金):難聴の入選者も招かれ宮中「歌会始の儀」

  京都市在住の難聴の文筆家・桑原亮子さん(30)が宮中歌会始の儀に招待され、入選の歌が詠み上げられた。
「霜ひかる朴葉拾ひて見渡せば散りしものらへ陽の差す時刻」
桑原さんは中学のころからの中途失聴者で早稲田大学在学中から文筆活動を続けてこられた。悦びもひとしおであろう。

  宮殿での聴覚情報補償はどうされたのか少し気になる。しかし歌会始の儀がとりおこなわれる「松の間」は理想的な音響環境であるから、特段の補聴援助システムを用意しなくとも、補聴器への「音場音響直接入力」の方式で大丈夫だったのではないかとも推測する。私は一昨年の歌会始の儀に各界代表陪聴者の一人としてお招きを受け、実際に宮殿松の間の「静けさ」を体験している。むしろ、儀式前に参集する広い宮殿控えの間での説明進行や儀式後の天皇皇后両陛下の御前での会話、あるいは取材インタヴューの場などでの桑原さんへの情報保障はどうだったのか知りたいところである。

【学長日誌2009年1月15日参照】
http://www.tsukuba-tech.ac.jp/president/diary/200901.php#LIST_TOP




201117日(金):閉じこもりがちな高齢者へのアプローチ

「月刊デイ」というデイケア・デイサービスなどの介護やQOL支援に携わる読者向けの雑誌がある。http://daybook.jp/Frames/frame2.html

2月号の特集「閉じこもりがちな高齢者へのアプローチ」に『高齢難聴者の「聞こえ」と分かりやすい話し方』を載せた。これまで認知症ケアの世界と教育オーディオロジーの領域は殆ど関わりを持たないできたが、これからは聴覚の専門家が介護予防に尽力できる側面が少なくないと思う。私が執筆した記事の一部を引用し紹介する。

『テレビの音が大きすぎるから一緒に観ない」「声をかけても返事がないから余計な話はしない」「用件や約束などを聞き違えて迷惑をかけてしまう」「同じことを繰り返し尋ねられるので面倒だ」「孫の声はよく聞こえるのに私の話は聞こえない振りをしてるようだ」など、聞こえの問題が人間関係にまで影響を及ぼします。高齢者の聞こえ方とその対応についての関心の低さと無理解が高齢者を引きこもらせていないか心配です。

耳の遠い人には耳元で大きな声を出せばよいと考えている人が多いのですが、必ずしもそうではありません。難聴者は小さな音が聞こえない一方で、大きすぎる音には敏感で不快になってしまうという矛盾した特徴(聴覚の補充現象)があります。また、“音としては聞き取れる”のに何を話されているのか“言葉の聞き分け”が難しいという特徴(音声の明瞭度の低下)があることも知っておかなくてはなりません。

一般に日本人の話し方は昔に比べ、早口になる、文末の言葉が弱く曖昧な発音になってしまうなど、聴力に衰えのある高齢者にとって人の話が聞きにくい世の中になっています。間をおかず早口で話すのは“聞こえの痛みを”を増やしてしまう人です。しかしまた、難聴の相手だからゆっくり話さなければならないと意識しすぎると、一音節ごと区切った発音をしてしまい、ロボットの機械音声のようなメリハリのない平坦な声になってしまいます。これはかえって伝わりにくい話し方なのです。高齢難聴者に分かりやすい話し方の要点をいくつか示します(表)。高齢難聴者の聞こえの“痛みを治す”専門家には、耳鼻科医、言語聴覚士、難聴教育の教師、認定補聴器技能者などがいます。それだけでなく、聞こえの“痛みを和らげる”人が世の中に増えることが望まれます。心のこもった話し方が第一です。』



201111日(元日):年頭にあたって:アヴェロンの野生児

学生の時に講義で聞きかじった「アヴェロンの野生児」を、50年振りに読み始めている。1800年に南フランスのアヴェロン県で捕らえられた野生児はパリに送られ、耳鼻科医・イタールがパリ国立聾唖学校の住み込み学校医となって彼の教育を開始した。210年前に書かれた青年医師イタールによる報告書(中野善達先生が1978年に訳)からは様々な言語訓練への挑戦や聴能訓練の試みが読み取れる。初の聾学校を設立した「ド・レペ」、イタールと親交を結び協力したパリ国立聾唖学校の校長「シカール」、イタールと共に白痴児の教育を始めた「セガン」、彼ら先達の影響を受け精神薄弱児教育を発展させた「モンテッソーリ」へと続いている。

教育オーディオロジーの原点ともいうべき課題が「アヴェロンの野生児研究」にあることが遅まきながら私にも分かり始めた。同時にまた、教育オーディオロジーを展望するため、将来の課題にも考えをめぐらす年時が来たと思う。高齢難聴者や盲ろう者に対する聴覚補償教育も重要だ。さらに特別支援学校の子どもやADHDなどに多く見られるという「聴覚過敏」へ対応についても、教育オーディオロジーからのアプローチが期待されよう。210年前のイタールのチャレンジを想い、実りある年にしたい。




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