2010年9月30日(木):会議の連続

このところ東京での会議の連続だ。昼過ぎからは神田の日本補聴器工業会で「両耳に装用する補聴器の供給に関する研究会(仮称)」が開催され、新たに委員として加わった私に対して今後の調査研究の進め方についての助言が求められた。

引き続き開催された「FM補聴システム」の委員会では、現在の169MHz帯の補聴援助用電波が、放送電波の変革等のチャンスに今後さらに使いやすいものへと発展させられないか検討を始めようとしている。しかし、最も恩恵を受けるはずの聾学校が積極的な関心を示さないのはなぜか知りたいとの要望を受け、我が国の聴覚障害教育における聴覚補償の現状と展望について私見を述べた。

午後7時からは、厚生労働省で「要約筆記者養成事業検討委員会」が開催された。より高い専門性を身に着けた筆記者を育てるための新しいカリキュラムの完成が急がれている。しかし課題が多く作成に難渋している。委員長を仰せつかった私としては責任の重さを痛感する。会議は夜1030分まで続いた。つくばエクスプレスの終電に間に合うようにタクシーをとばし、自宅にたどり着いたのは夜中である。



2010年9月29日(水):濱田総長が教授会で東大の新しい将来構想を説明

メールに、920分までに教授会の会場に入室されたい旨の連絡が入った。濱田純一・東大総長が「任期中に目指す将来構想(東京大学の行動シナリオFOREST2015)」について先端研の教授会構成員に直接説明したいという。10の大学運営方針の中で、私が特に印象深く聞いたのは「世界から日本へ、日本から世界へ」の話である。(以下抜粋)

『海外からの留学生や研究者の受け入れを拡充すべく、体制を強化します。アジアをはじめ世界の人々に対して知の公開を行い、かつ、知の創造のための多様性を拡大します。日本人学生のさらなる国際化は決定的に重要です。日本人学生に、語学学習、国際経験、留学生との交流機会などを、拡大します。』

さらに、濱田総長との質疑のなかで、ある教授から「東大にある全ての研究所は当然のように全国共同利用研究施設となっているが、例外的に先端研だけは自らそうならない選択をした。東大の中では異端とみられる道を歩む先端研に対する総長の想いは如何か」という質問が出された。濱田総長は「枠に縛られない自由な発想のできる研究所が東大の中に一つはあってこそ東大らしい」とのコメントがあった。



2010927日(月):人工内耳を選択しないという考え

人工内耳を適応し「聞こえの補償」が得られた最重度な聴覚障害児・者が増えている一方で、「聞こえの補償」を望まず手話による情報保障やその環境改善を求める聾者も少なくない。かつて補聴器が進展する過程において、その適応と効果や使い方などに誤解が生じたのと同様に、人工内耳に対してもその発達初期段階の古い情報や知識から抜け出さないまま不信感や不安を持つ聴覚障害者や関係者もいる。また、人工内耳について助言を求める聴覚障害者や親などが、複数の専門家から異なった意見や方針を得て迷い、決断に難渋することもある。

人工内耳を選択しない聴覚障害者にインタヴューし、その考えや背景を探ってみる必要があると感じている。これまで次のような意見が聞かれたので、参考までに挙げてみる。

・人工内耳よりも最近進歩の著しい高性能なデジタル補聴器による聴覚補償の効果を重視する。

・補聴器による聞こえの補償と情報保障の環境の現状にほぼ満足しているので、あえて取り外しのきく補聴器から手術により体の一部に埋め込まれる人工内耳に変更しようと思わない。

・人工内耳を付けることにより聾の仲間や聾の世界と決別することになるのではないか。

・手話や指文字による情報保障が受けられる環境下で障害を感じない生活ができており、人工内耳手術を受けてまで聴覚障害そのものを直す必要を感じない。

・障害者として生きる自分にようやく自信と安定感を持てるようになり、障害者である自分が社会に位置づき一定の役割を果たすことが求められているので、「聴覚障害のない自分」にはなれない。



2010921日(火):『母-オモニ-』の著者と

日本特殊教育学会でのシンポジウムを終えた翌日、長崎空港で帰りの便を待つ間のことである。空港内で昼食をとろうと小さな中華店の暖簾をくぐると「お二人ですか?」と店員に声をかけられ、「いえ、一人で」と応じた。さほど混んでいないところに偶然二人の客が並んで入って来たので同伴と思われたのであろう。擦りガラスの簡単な衝立を境にしたカウンター席にその客と向かい合わせに腰を下ろした。同じように長崎ちゃんぽんを注文し相手の顔を見るとテレビでよくお目に掛かる政治学者の姜尚中(Kang Sang Jungカン・サンジュン)氏だ。

私が「姜先生、私も東大に勤めおります」と声をかけると「専門が違うとなかなかお会いすることがありませんね」と名刺を差し出された。東大の事務局が一括印刷して教員に持たせてくれる私と全く同じデザインの名刺には「東京大学大学院情報学環・学際情報学府 教授」とある。初対面の姜先生にとっては私の専門領域が分かりにくいと思い「補聴器の研究です」と自己紹介した。

ちょうど読み掛けの自伝的長編小説『母-オモニ-』を今回の長崎出張旅行には持参してなかった。まさかその著者に旅先で会えるとは思わない。サインをお願いし損ねてしまった。



2010916日(木):日本特殊教育学会長崎大会

鹿児島行きから1週間もおかず再び明日から九州に出張する。長崎大学で開催される日本特殊教育学会では「聞こえのバリアフリー:人工内耳・補聴器の選択と非選択」のテーマで自主シンポジウムを企画している。地元の神田ENT医院・長崎ベルヒアリングセンターの神田幸彦先生(長崎大学臨床教授、東北大学非常勤講師)にはシンポジウムの内容から会場準備まで大変お世話になっている。



2010914日(火):都難言協で講演

東京都公立学校難聴・言語障害教育究協議会(難言)の研修会が、国立オリンピック記念青少年総合センター(オリセン)で開催され、「聴覚障害教育とオーディオロジー」の演題で講演した。新しい先生も多かったので、教育オーディオロジーらしい聴能評価の一つである「スピーチトラッキング検査(文追従検査)」の具体的な方法についても解説した。



2010910日(金):鹿児島聾学校で講演

移動母子教室(聴覚障害者教育福祉協会主催)が鹿児島聾学校(新留泰典校長)で開催され、私が講師として派遣された。生涯を見据えた子育てについて話してほしいというご要望だったので、聴覚障害児が育ち、学び、生きていくに際して陥りやすい問題とその対応などについて触れた。

せっかくの鹿児島なので、指宿の「いわさきホテル」に宿をとった。多くのリゾートホテルだけでなく鹿児島交通、白露酒造など50数社を統括する岩崎グループの会長である岩崎福三氏とは、かつて十数年前に銀座の外れにある小料理屋の常連客仲間であった。現在は御子息の岩崎芳太郎氏が事業を継いでいる。福三会長は84歳の高齢であるが今でも東京事務所を中心に元気に活躍されている。指宿の広大なホテル敷地内に建つ「岩崎美術館」では黒田清輝の「秋草」など素晴らしいコレクションが鑑賞できた。



201096日(月):参議院議員会館

聴覚障害者教育福祉協会の創設80周年記念事業のための第1回実行委員会が参議院議員会館の会議室で開催された。新装なって初めての入館である。「どなたに面会予定ですか」などゲートでの厳しいチェックを受けていると、中から日本財団の笹川会長がゆっくり歩いて近づいて来られた。「やーやー、珍しいところでお会いしましたな。今日は何ですか」と声を掛けられる。「山東昭子先生の教育福祉協会の会議がありまして」と応えるのを守衛官も聞いていて黙って通してくれた。

来年124()に開催予定の聴覚障害者教育福祉協会創設80周年記念祝賀会に向けて準備が始まる。私は「接遇」の委員長を仰せつかった。国内外からの貴賓を失礼のないようにお迎えし、なおかつ協会の存在をアピールするのがお役目だ。



201094日(土):川崎市手話奉仕員養成講座

川崎市手話奉仕員養成講座で「聴覚障害の基礎知識」の講義を担当した。話が終わった後の質問の時間には殆ど挙手する受講生はいないのだが、帰りがけに聴覚障害児を持つ親から個人的な相談を受けることも多い。私立I大学3年生からは卒論のテーマについての助言を求められた。



201093日(金):蚊の羽音

雨の降らない猛暑続きの庭の木々にスプリンクラーで水を撒くのが朝夕の日課となった。これが始まると直ぐさま私の手足に蚊が取り付こうとする。そこで気が付いたのだが、若い頃は「プーン」と近づく蚊の音がもっとよく聞こえていたと思う。今は頬や耳元の周りに来て初めて検知し条件反射的に平手で叩く。腕に留まった蚊には刺されるまで気が付かない。

蚊は350Hzから600Hzの羽音周波数を持つらしい。時報は「ポッポッポッ(440Hz)ピー(880Hz)」でハ長調の「ラ」であるからこれに近いのであろう。高齢難聴になって高い周波数の聴力が低下し、4Hz以上の周波数帯が多い虫の声が聞こえにくくなるであろうことは覚悟している。しかし、中域辺りの周波数を含む蚊の羽音を識別する耳も遠くなっているのかもしれない。

腕腋に差した体温計の電子音の合図が衣服を通して聞こえないことがあることを、昨年末の風邪の時期に悟った。聴覚活用や難聴対策には、自分にとって聞こえない音は何なのか知っておくこと、自らの聞こえに対する自覚が大事である。日頃の音や言葉の聞き逃しや聞き違いを整理してみるとよい。







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