2010823日(月):寿司ねた冷蔵ケースの騒音

芸能レポーターの梨元勝さんが亡くなったことをニュースで知った。今年3月に代々木上原の寿司屋で隣り合わせたことがある。私も梨元さんも一人客で互いに旨い寿司ネタを肴に静かに焼酎を飲んだ。私より一足先に帰り仕度をする彼が自宅に電話をかける。「ママ、持ち帰りの寿司、何が食べたい?」と奥さまに問う声が印象深く想い出される。ご冥福をお祈りします。

寿司が好きな私には行きつけの鮨屋が幾つかある。つくば市内にも馴染みの店が三つある。札幌では20年来必ず老舗の豊寿司に寄る。東京に通勤するようになってからも、気に入りの寿司屋を探し東大先端研の界隈をずいぶん食べ歩いた。今は二つの店によく通っている。私が好む鮨屋はどこでもカウンターに寿司ネタを陳列するガラスの「冷蔵ケース」がない。本物の一流鮨屋では寿司ねたショーケースを決して置くことはないそうだ。

今月、ご主人の人柄も技も優れて良いので通っていた都内の寿司店が、道路開発計画により移転することになった。この店には一つだけ難点があった。カウンター席の目の前に冷蔵ケースが並んでいる。これが発するモーター音が会話音声をマスキングするのである。主人も常連客も長年この定常騒音に慣れていて余り気にしないが、お年寄りや補聴器装用者には大変なノイズとなる。10月の新装開店を目指して建築中の店の設計図には「冷蔵ケース」が描かれていない。更に満足のいく鮨屋となるのが楽しみである。



2010818日(水):福島智教授の聞こえと言葉を探る

福島智教授は18歳で全盲ろうになって以来、長期間にわたり自分の話した声を見たり聞いたりできなくなっているにもかかわらず、なぜ今でも明瞭な音声言語が保ち続けていられるのか。「福島智の聴覚言語を探る研究」の第一歩として、本日は聴力検査と発音検査を実施した。

東大先端研の伊福部研究室の実験室に人間情報工学分野の大学院生・三浦貴大氏がオージオメータや音声記録装置等を適切に準備し、検査の助手を務めてくれた。発音検査の材料を用意してくれた筑波技術大の石原保志教授も同席した。二人の指点字通訳者を介して盲ろう者の聞こえと言葉の検査を行うのは私にとって初めての経験である。



2010810日(火):人工内耳を選択しない理由

918日に長崎大学で開催される日本特殊教育学会の自主シンポジウム「人工内耳・補聴器の選択と非選択」の準備を始めた。このシンポジウムを企画した私の趣旨は、補聴器と人工内耳と手話のうちどの手段が有効かの結論を出そうとするものではない。

聴覚障害者に対する音声言語習得や情報保障が意図せず不本意にも混迷してしまう理由の一つに、専門家や障害当事者の「内なるバリア」があるように思う。聞こえそのものの補償をするのではなく、手話などにより「聴こえの代替補償」をした方が良いと考える聴覚障害者は少なくない。人工内耳を選択しないとする聴覚障害者の考えや背景を理解したいと考え、中野聡子氏(東大先端研・伊福部研究室・助教)にインタヴューさせていただいた。



201089日(月):英会話と補聴器

ロチェスター工科大学(RIT)のDrew Maywar教授(情報通信工学)が来日したので一日お付き合いした。現在、国立聾工科大学(NTID)からRITに入学した複数の聴覚障害学生がDrew Maywar教授の授業を受けている。Drew先生には彼らを東大の先端研に留学させたいという夢がある。【参照:2010622日付け会長日誌】

昨夜からご家族と一緒に滞在しているつくば市内のホテルにDrew先生を迎えに行き、筑波技術大学を案内した。私自身も学長を退任して以来の久しぶりの学内ツアーである。村上学長とも懇談し昼食会を設けていただいた。

午後はつくばエクスプレスと地下鉄千代田線を乗り継いで東大先端研の私の研究室に移動した。高齢になると誰もが車内騒音の中でのアナウンスの聴取や隣席の人との会話に苦労する。そして外国語での会話には母語の日本語に比べより増幅された音声を必要とする。電車内での英会話に私の補聴器は明らかな効果をもたらした。

Drew先生は先端研の中野義昭教授(現在は先端研の所長)の教えを受けた弟子である。所長室にお連れし、中邑賢龍教授と巖渕守准教授も加わり4人で今後の国際交流の在り方について協議した。Drew先生とのコミュニケーションだけでなく我々日本人との間でも英語で会話が進む。夕食の会場を駒場キャンパス内にあるフレンチレストランに移しての懇談も英語で交わされた。東京からつくばのホテルに戻る電車の中でもDrew先生との英会話が続く。朝から夜まで英語を使う一日であった。しかも補聴器の終日装用をしたのも今日が初めてであった。



201087日(土):鈴木克美先生

鈴木克美先生は私の親しい友人である。10歳も年上の鈴木先生に対して意気投合する友と呼ぶのは生意気なことであるが、先生が重度難聴によるコミュニケーションに苦労されながらも東海大学の教授や海洋科学博物館の館長として活躍されていた頃からのお付き合いだ。鈴木先生の聴能発達の可能性を直感した私が、人工内耳手術を勧め東大の加我教授をご紹介した経緯がある。先端研の研究室を訪ねて来られ1年振りにお会いした。

78歳になる鈴木先生の聴能は今でも発達し続けていることが分かる。会話のスムーズさも更に進んでいる。鈴木先生とは「体験的聴能論」(これは鈴木先生が発案された用語)など難解な内容も話し合うが、「雑談」を楽しめるのが嬉しい。研究室から昼食に出向く時間も惜しく、空腹を忘れ2時間以上も充実した話し合いが続いた。



201082日(月):家族と仕事

940分、私のベッドに並んで寝ながらナツが死亡した。この喪失感は想像を超えたものだ。筑波技術大学の法人化や4年制化などの激動期を私が何とか乗り越えられたのも、聴覚障害教育を已めなかったのも、(ペット動物に癒された経験のない方には理解しがたいかもしれないが)家族犬の「ナツ」が私を支えてくれたからである。



201081日(日):家族の一員

いつ最悪の事態になるとも分からない状況なので、来週予定されている会議やインタヴューなどの仕事のキャンセルや日程変更の段取りを始めることにした。「犬が病気になったので」との理由で予定変更をお願いするのが憚られる。しかし、後で叱り咎められることを覚悟で「家族の急病」を言い訳に来週の大事な幾つかの用件をお断りした。誰から笑われようが私にとってナツは9年以上も同居してきた家族なのである。





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