2010629日(火):情報保障と障害補償

午前中は国立特別支援教育総合研究所の役員会に出席した後、午後は先端研の研究室に戻り、東大本郷のバリアフリー支援室からの依頼で駒場キャンパスに在籍する難聴学生の補聴相談を行った。高度難聴の東大生が授業場面でどのような「情報保障」の恩恵を受けているかを知ることができた。一方で幼少時から義務教育の時期までは地域の専門による聴覚・補聴器の管理や聴覚活用ガイダンスを受ける機会があるが、高等教育の段階になって地元を離れ生活していく場合など、ノートテイクや手話通訳による「情報保障」がある程度充実しているのに比べ、中学生のころにフィッティングした補聴器がそのままになるなど、「聴覚の障害補償」が十分になされない心配が生じることにも留意する必要がある。



2010625日(金):アメリカ便り⑧帰国便の機内にて

朝暗いうちにホテルをチェックアウトし、ロチェスター空港からシカゴ空港に向かった。成田への乗り継ぎ便の出発までシカゴのオヘア空港内で3時間待ったが、往路の苦難に比べれば何ともない。それにしても窮屈なエコノミークラスの座席に10数時間も縛り付けられていると、もう二度と飛行機には乗りたくないと思ってしまう。隣のシートのアメリカ人と雑談する。成田で乗り継いで更にバンコクまで行くと言う。アジア経済政策を専攻する大学院生で、本当は東京の大学で勉強する方がいいのだが授業料と生活費が高すぎるので仕方なくタイの大学にいると事情を話してくれる。

私も大学人で先端科学技術研究センター(RCAST)の客員教授をしていると自己紹介する。専門は何かと尋ねるのでとオーディオロジー(Audiology)だと答えると、直ぐに「あー分かった。耳のことをするオーディオロジストだね」と。しかし彼はオーディオロジストがなぜ工学系のRCASTという研究所で仕事をするのだろうと不思議に思ったようだが、「そうかなるほど。補聴器や人工内耳は今やデジタル化し信号処理技術が関係するからね」と自分なりの理解で納得してしまう。いや実は、先端研という研究所にはバリアフリーの研究分野があってね。そこで私は「聞こえのバリアフリー」をやっていて・・・・・、などと説明するともっとややこしくなるので話はそこまで。彼のような人文社会学系の人であっても、欧米の人々は普通に「オーディオロジー」を知っているのに比べ、日本ではほんの一部の人にしか通用しないことが残念である。まして「教育オーディオロジー」となるともっと立場が弱い。



2010624日(木):アメリカ便り⑦外国での土産贈答

外国での国際会議で土産物の進呈を派手に行うのは中国である。かつては日本も韓国もそうして自己顕示したものだ。パーティーや式典の席上でこれ見よがしに中国の代表とアメリカの主催者との間で贈答セレモニーと記念写真撮影が行われると、さすがに各国の人々は眉をひそめる。同じ中国でも香港の聴覚障害教育の長老ボウスイメイ先生の贈り物の仕方はいつも洒落ている。ホテルのフロントを通じていつの間にか小さなプレゼントが部屋に届けられているのだ。私も持参したお土産は相手が一人になっている時そっと手渡すことにしている。今回は東大の名入りグッズを用意した。老舗の菓子店F堂と東大生協が提携して売り出した丸い缶入りの洋風煎餅ゴーフルである。



2010623日(水):アメリカ便り⑥アメリカにおけるオーディオロジストの学位の問題

何でも一番でないと気が済まない気性のアメリカ人。アメリカ人こそが世界で一番と信じて疑わないアメリカ人を、外国に行くとまた感じてしまうのは私だけであろうか。少なくとも近年世界のあらゆる領域でしっかりと仕事をしている日本人には、傲慢不遜な素振りがないことが嬉しく思われる。激しく競い合うアメリカ社会の中では、さまざまな職業領域が専門分化してきている。それに伴い専門の職域ごとにより上位の資格制度を設定しなければ落ち着かないような状況が見られる。

アメリカでもかつて耳鼻科医とオーディオロジストとの間での専門領域のせめぎ合いがあった。オーディオロジストが耳鼻科医と肩を並べて仕事ができるほどの力を身につけるようになって、医学博士号(M.D.)と別にオーディオロジー博士号(Au.D.)が生まれるという経過をたどったわけである。もちろん日本の状況はそこまでに至ってはいないが。

このように比較的近い専門領域が独自な資格制度を持つことにより、予期しなかった問題も起こるようだ。例えば、オーディオロジストがその最高位の学位であるAu.D.を取得するようになるに伴い、一昔前のようにPh.D.(学術博士号)をあえて取得する必要性が少なくなった。一方、Ph.D.を取得して大学の教授などに就きオーディオロジーの研究者として活躍してきた先達たちの多くが定年退職を迎える時代となった。その結果、その後継のポストの補充人事を行おうとするとき、アメリカ学術社会では大学教員の基礎資格はやはりPh.D.であるから、Au.D.は持っているがPh.D.を持っていないオーディオロジー領域の人材が採用されにくいという状況が起きる。大学におけるオーディオロジー研究がこれまでのようにはいかなくなる心配がありそうだ。



2010622日(火):アメリカ便り⑤東大先端研とRIT/NTIDとの不思議な縁

世の中、不思議な縁があるものだ。白澤先生のPEPNet-Japanの発表を聴き終え廊下で一休みしているところに、PEN-International代表のクライマー先生が寄ってきて「筑波技大を退任後、どお、のんびりしている?」と声をかけられた。「東大でとても快適な研究生活をしてますよ」と答えると、「どんな研究なの?」と訊くので「先端研(英語の略はRCAST)で聞こえのバリアフリー研究をしてます」と。「え? RCASTってどんな研究所なの?」と質問を重ねてくるので、先端研の英文概要を見せるのが早分かりと、ちょうどバックに入っていた冊子を手渡すと急に表情が変わった。

クライマー先生は何やら思い当たったように驚いた顔をして「博士論文を書くため日本の東大RCASTという所に留学し、アメリカに戻った研究者がいる。彼はつい最近ロチェスター工科大学(RIT)の新任の教授としてここに赴任してきた。実はたった10分前、彼が着任の挨拶に来て初めて会ったばかりだ」と言う。クライマー先生は「彼の研究室に電話して直ぐに呼び戻すから一度会ってみてくれないか」と。私は先端研RCASTと別のどこか似たような英語名のついた研究所と勘違いしているのではないかと思いながらも一応OKした。

学内のカフェテリアで昼食をとっているとクライマー先生が当該の40歳位の男性を連れて来た。自己紹介の名刺を見るとテレコミュニケーションが専門のようである。それからの話の展開は驚くべき内容の連続だった。彼の名はDrew Maywar。日本に留学し師事したのは何と先端研の中野義昭教授、この4月から先端研の所長を務めている中野先生だったのである。Maywar教授の新しい研究テーマは、NTIDの聴覚障害学生を対象にした情報コミュニケーションシステム開発で、先端研の研究者とコンタクトできないか、先週も中野教授に電話をかけ相談していたと言う。かつて彼が先端研の研究員として過ごした部屋は3号館にあり、私の研究室の目の前のビルである。私も彼もお互い今の職場に来たばかりの新人で、アメリカ人の彼の方が日本人の私より先端研との付き合いは長く、日本人の私の方がアメリカ人の彼よりもNTIDとの付き合いが古いという、妙な組み合わせである。もう一つ偶然が重なっていることも分かった。この話は帰国してから改めて紹介しよう。

Maywar教授はこの8月に先端研に来る予定で、私やバリアフリー分野の研究者と次の研究構想について第1回目の打ち合わせをすることになった。ロチェスター工科大学・NTIDと私との関係は、今回の訪問を最後に静かに終わらせようとしていた矢先に、偶然にも引き続き新たな連携研究の萌芽が生まれようとしている。不思議な出会いの日となった。



2010621日(月):アメリカ便り④NTIDシンポジウム

NTID訪問時の定宿、Radissonホテルの朝食ブッフェのメニューは、何年も前から何ひとつ変わっていないのには呆れてしまう。初日からもう和食が欲しくなる。しかしロチェスター工科大学・NTIDを訪ねるのは少なくとも公用ではこれが最後であろうと、観るもの聴くもの一つ一つをていねいに懐かしんで行動している。見慣れたNTID本部ビルの玄関前では、私にしては珍しく10年来の友人であるロシアのスタネフスキー教授を誘って写真を撮ってもらった。

クラーク聾学校やレキシントン聾学校、スミスカレッジなどのアメリカ東部にあった有名校を訪ねまわったのは今からちょうど30年前のことである。セントルイス市の自宅アパートに向け数日かけて運転して帰る途中、開学してまだ何年も経っていなかったNTIDに気まぐれに寄ってみた。車を玄関のモニュメントの前に止めて周囲を見て回った。休日だったのか人気のない玄関前でマリファナを吸っている学生風の男がいた。これが初めての私のNTID勝手訪問である。まさかその先の将来、キャッスル学長、ダヴィラ学長、ハーウイッツ学長、そして現在のデカロ学長と4代にわたるNTID代表と国際交流することになろうとは夢にも思わなかった。

聴覚障害教育テクノロジーシンポジウムの第一日目、笹川陽平・日本財団会長の特別講演を聴いた。その後一階ロビーに常設のMitsuiコレクションをゆっくり鑑賞した。九谷焼の名匠第3代為吉(聴覚障害者・三ツ井詠一)は嘗てNTIDの客員教授として講義を担当していた。無理を言って筑波技術大のデザイン学科にお出でいただいたこともある。



2010620日(日):アメリカ便り③PEN-Internationalビジネスミーティング

聴覚障害者のための国際大学連合PEN-Internationalがスタートして10年の期限が過ぎた。今日が最後のビジネスミーティングである。ロチェスター工科大学内のNTID10カ国の代表が参集し、それぞれの国で進められた事業の総括報告があった。日本からはPEN-International JapanPEPNnet-Japanの活動報告を筑波技大の須藤教授と白澤准教授が行った。

聴覚障害者のための大学の国際連携に総額約10億円を拠出し物心両面の支援を続けた日本財団の笹川陽平会長が「10年前にこの新しい事業への助成を決めた時、実はその後今日ように多くの国が国際交流する場になるとは思ってもみなかった」と挨拶された。来年以降はPEN-Internationalの事業を支えるスポンサーがなくなることになるが、この成果を引き継ぐための「次期5年の再出発計画」を練ることが確認された。



2010619日(土):アメリカ便り②ようやくロチェスターに到着

3時間ほど眠っただろうか。朝5時、トイレで洗面を済ませ、空港職員が出勤すると一番にチェックインカウンターに行き乗り継ぎ便の手続きをする。ミネアポリス空港からクリーブランド空港へ。30年前、家族全員でセントルイスから東海岸を2週間かけてドライブ旅行をした時、ボストンから帰路に着く道で、有名なクリーブラン交響楽団の本拠地であるこの地を通過した想い出がある。最終的にロチェスター空港に着いたのは、到着予定の翌日の午後2時になってしまった。筑波の自宅を出発してロチェスターのホテルに着くまで何時間の長旅を経たのか、時差を入れての計算も思うようにできないほど眠い。



2010618日(金):アメリカ便り①緊急着陸のミネアポリス空港で一夜を過ごす

成田空港で定刻に機内に案内されたのはいいが、なかなか出発しない。操縦席から機器の故障が見つかったのでその整備のため少し離陸が遅れると、最初のアナウンスがあった。その後何度ももう少しお待ちくださいと言われながら、結局はそのままずるずると機内の狭い座席に座らせられ3時間が過ぎてようやく飛び立った。

順調に飛行を続けアメリカ大陸を横断している。成田での遅れを取り戻してシカゴに着くのかと思っていたら、直前になってミネソタ州のミネアポリス・セントポール空港に緊急着陸するという。目的地ロチェスターへの乗り継ぎ地であるシカゴ空港が激しいサンダーストームに襲われているので、シカゴの天候が回復するまで1時間の距離にあるミネアポリス・セントポール空港に一時避難するとのこと。空港の駐機場で止まった機内でまたしばらく待機する。そのうちにシカゴのオヘア空港はとうとう閉鎖されたというアナウンスがある。つくばを発って既に24時間が経過し日が落ちようとしている。予期しないミネアポリス空港で搭乗者全員が降ろされてしまった。週末の夜の勤務を終え自宅に戻っていたであろうセントポール空港の税関職員たちが急遽召集され、臨時の入国審査を行うことになった。何百人もの乗客が見知らぬ空港のロビーや廊下で右往左往している。ミネアポリス市内のホテルはどこも満室になってしまい、今夜の寝場所の心配と明日の目的地までの航空便の予約をしておかなければならない。同行の白澤准教授の機敏な手配により何とか回り道してロチェスターまで乗り継ぐ明日早朝に飛ぶ便が確保できた。私たち日本人6人(筑波技術大・荒木勉教授、同・白澤麻弓准教授、同・蓮池通子氏、同志社大学コーディネーター・土橋恵美子氏、 神戸松蔭女子学院大学コーディネーター・星かおり氏と)は空港のロビー通路の一か所に空間を作り貸与されたマットを敷いて一夜を明かすことになった。蛍光灯が点けられたままの肌寒いコンクリート床での仮眠であるが、どういうわけかもう腹が据わってしまい悲壮感はない。



2010617日(木):アメリカ出張

明日午後5時の便で成田空港からアメリカに向かう。シカゴで乗り換えロチェスターには日本時間で翌日の昼12時頃に到着する予定だ。19時間の長旅となる。アメリカ国立聾工科大学(NTID)で開催されるPEN-Internationalのビジネスミーティングと聴覚障害教育テクノロジーシンポジウムに出席する。日本からは私の他に、筑波技術大学から5名、同志社大学から1名、神戸松蔭女子学院大学から1名の聴覚障害高等教育支援に関わっている教職員が参加する。10年前にPEN-Internationalを私と一緒に立ち上げた中国の鮑先生とロシアのスタネフスキー先生は私と同い年である。懐古談に花が咲くことであろう。日本財団の笹川陽平会長も出席される。財政面の支援を惜しまず続けていただいた笹川会長にも改めて御礼を申し上げたい。



2010616日(水):「聴覚障害」誌5月号

「聴覚障害誌」の5月号に拙稿「聴覚障害教育の国際的動向」が載った。これまでの大学の国際化の時代から、これからは幼・小・中・高教育の国際化に向かいつつあることを述べた。聴覚障害者のための国際大学連合(PEN-International:本部事務局はアメリカ国立聾工科大学に設置)は、日本財団からの助成金を得て2001年から10年間継続されてきた。今年2010年にこの事業は終結する。これまでPEN-Internationalの加盟大学は頻繁に国際会議や研修会を開催し大学教育の課題について協議してきたが、最近の話題は大学から義務教育段階に向かっている。

せっかく各国が聴覚障害者のための大学を創ったのはいいが、入学してくる学生の基礎学力やコミュニケーション能力が高等教育のレベルに達していないという問題が表面化してきた。早期教育から初等中等教育に至る聴覚障害教育の在り方、大学よりも幼・小・中・高教育の充実が大事だという認識に至ったわけである。2011年以降は大学の国際化から初等中等教育の国際連携事業へのシフトが予想される。「アジアから期待される日本の聴覚障害教育」の主役は、大学から聾学校や難聴学級にバトンタッチされようとしている。



2010610日(木):障がい者制度改革推進会議の第一次意見

20061213日に国連総会で採択された「障害者権利条約」に日本も署名したが、民主党への政権交代が契機となり昨年128日には内閣総理大臣を本部長とする「障がい者制度改革推進本部」が設置された。その後の展開は非常に速く、「障がい者制度改革推進会議」には多数の障害当事者がメンバーに入って集中的な審議が続いている。特に第5回目の会議では「インクルーシブ教育」が中心議題となり、特別支援教育の差別性が指摘された。これからの聴覚障害教育の在り方に大きな影響を与えるはずの議論だが、聾学校・難聴学級の現場や関係者にその問題があまり意識されていないようで心配だ。

67日に開催された第14回の会議では「第1次意見(制度改革の基本的な方向)」が取りまとめられたので、推進会議の構成員の一人である新谷友良氏(全日本難聴者・中途失聴者団体連合の常務理事)をお招きし「今、障がい者制度改革推進会議で話し合っていること」について情報交換する会(世話人:東京学芸大学准教授・濱田豊彦)が設けられた。都立聾学校の校長先生たちや難聴学級設置小学校の校長先生、東京都教育庁の先生方、聾学校教員、難聴児を持つ親の会の役員などが会場の大塚聾学校に集った。「日本におけるインクルーシブ教育を考える会」の代表を務める東京学芸大学大学の渡邉健治教授(元・副学長)も参加された。

障がい者制度改革推進会議が示した今後の進め方(第一次意見)には『障害の有無に関わらず、すべての子どもは地域の小中学校に就学し、かつ通常の学級に在籍することを原則とし、本人・保護者が望む場合のほか、ろう者、難聴者又は盲ろう者にとって最も適切な言語やコミュニケーションの環境を必要とする場合には、特別支援学校に就学し、又は特別支援学級に在籍ができる制度へと改める。』とある。



201069日(水):ケータイ水没の難

定例の先端研教授会は10時に始まるが、議事が始まる30分前に教授会セミナーがセットされる水曜日が月に一度ある。この日は早朝930分に教授会メンバーが会議室に参集する。つくば駅を出発してこの教授会に間に合うように到着しようとすると朝の通勤ラッシュに遭遇する。超満員の電車で揉まれるのが嫌で、教授会セミナーのある前日は都内のホテルに泊まることにした。ところが朝、洗面中に携帯電話器を水に落としてしまった。電源も入らない故障だ。先端研の勤めを終え帰路に秋葉原駅前の大型電気店に寄って応急処置をしたが適わず、本体は廃棄処分しデータ復旧の見込みもなさそうだということになった。

ケータイを買い替えるにあたってこの際、スマートホンにするか、どの機種を選択するか、そしてiPadの購入も視野に入れると迷いが尽きない。結局、電話機能だけの最もシンプルな高齢者用ケータイに決定した。さて、つくばエクスプレスに乗り、車で迎えに来てもらうための時刻を妻のケータイにかけようとしたら、万事休す、電話番号もメールアドレスも知らないことに気が付いた。仕事や生活に欠かせない膨大な情報が廃棄した携帯電話とともに手元から消えてしまったことを実感する。当分こちらから連絡必要な相手に発信することはできない。先方からの着信を待つしかない。情報が保障されない障害である。自宅のパソコンに入っているメールや名刺や年賀状から一人一人の宛先を入力していくことになる。



201064日(金):「要約筆記者」の養成に向けて

昨年度の厚労省助成事業「要約筆記者養成等調査研究事業」に引き続き【参照:2010415日付け会長日誌】、今年度も厚労省の委託を受けた聴力障害者情報文化センター(東京都)において「要約筆記者指導者養成事業」が進められることとなった。その第1回委員会が開かれた。「社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(全難聴)」、「特定非営利活動法人全国要約筆記問題研究会(全要研)」、「要約筆記を考える会」の代表が構成員として加わり、私が委員長に選任された。「手話通訳者」が存在するのと同じように専門性の高い「要約筆記者」の養成が本格的に開始されることがねらいだ。

そのためにはこれまで懸案だった「要約筆記者養成のカリキュラム」が国から都道府県に示される必要がある。夏頃には基本となるカリキュラムの決定にこぎつけたいと思う。委員会のもとに実践家などから成るワーキンググループを構成して指導者養成プログラムを検討し、教材(テキスト、指導書等)の制作作業を進め、遅くとも今年度中には指導者の養成講習会が開かれるようにしたい。



201062日(水):茨城県市町村教育委員会連合会の講演会

茨城県市町村教育委員会連合会の定期総会が笠間市で開催された。44市町村の教育長、教育委員長、委員長職務代理者が参集した。議事終了後の講演会の講師は村松賢一氏(スピーチコミュニケーション教育研究所主宰)であった。NHKアナウンサー出身で、「話すこと・聞くこと」の授業作りアドバイザーとして教員養成にも携わっておられる村松先生の講演「今、求められるコミュニケーション能力」は、聴いていて面白いが初任教員向け講習会のようで、教員経験を持つ多くの教育委員の先生方にはやや物足りない内容ではなかったかと思う。

今年私も多様な参加者に向けて話をする機会がある。聾学校・難聴学級の教員の研修会、保護者の勉強会、専門家の集まる学会での講演、手話・要約筆記講座での講義、補聴器関連のシンポジウム、高齢難聴者向けのセミナー、さらに128日には東大・先端研の教授会総会でのスピーチなどが予定されている。会の趣旨に即した内容をよく準備し参加者のニーズを把握したうえで会場に臨もうと改めて肝に銘じた次第である。






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