Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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ソーモー・ウーのファイナルレポート

「ミャンマーに幸せのタネをまく」

1.自己紹介

私はソーモーです。ミャンマーから来ました。ミャンマーでは、自立生活センターの事務所で働いていました。家族は4人います。ヤンゴンから車で6時間かかる田舎の町に住んでいます。私の障害はポリオです。生後6か月の時、ポリオ菌に感染しました。私の外国の旅行は日本が初めてです。飛行機も初めて乗りました。飛行機に乗っている時、これは夢じゃないかなと自分で何回も言いました。田舎にいる家族は、私が日本で勉強ができることを、私以上に喜びました。

日本へ来る前の私は、「今のソーモー」とは全然違いました。日本で10か月間勉強して、私がどんなふうに変わったかをみなさんに伝えたいです。

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2.日本での研修

1)日本語の勉強

日本語の先生たちの教え方はとてもおもしろかったです。日本へ来る前は仕事をしていたから、時間がありませんでした。そして、日本語の勉強はお金がとてもかかるので、自分であいさつだけ勉強しました。日本で3か月間の日本語研修をしたあとは、研修先の人たちから日本語を教えてもらいました。

2)北海道

お正月に、北海道でホームステイをしました。北海道のことは、日本へ来る前に日本人の友達から聞いたことがあって、行ってみたい場所でした。本当に行くことができてすごくうれしかったです。雪も初めて見ました。雪で遊んだり、雪の中を歩いて神社へ行ったりしました。ミャンマーでは女の子はお酒を飲みませんが、私はビールとワインと日本酒を飲みました。その中で日本酒が好きでした。その時、私は日本語があまりできなかったですが、家族は親切ですからとても楽しかったです。

3)土佐の太平洋高気圧

私は田舎の人ですから、ミャンマーの田舎の町にも自立生活センターを作りたいです。ですから、地方でどうやってセンターを作るかを勉強しました。もうひとつ学んだことは「土佐の太平洋高気圧」の人はみんな、手話ができることです。私も帰ってから、障害がある全ての友達と話したいですから、手話を勉強したいと思っています。

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4)スキー

新潟でスキー研修をしました。スキーをすることは今まで全然考えたことがありませんでした。先生たちはとても親切です。車いすの研修生3人は、先生たちと一緒に大きい声で「長ーいウェーブ」と、何回も何回も叫びました。あんなに大きな声を出したのは初めてでした。ホテルもとてもきれいでした。私はダスキンで働いている人たちと一緒に泊りました。お母さんも娘もとても優しい人でした。みんなと一緒に写真を撮りました。とても楽しかったです。

5)自立生活夢宙センター

夢宙センターで、障害者がどうやって楽しい生活をするかについて勉強しました。どんな人のためにも楽しい生活は大切です。私は何かやりたいと考える時、「障害者だからできない」といつも思っていました。しかし、夢宙センターで研修をして、私もやりたいことができるようになりました。夢宙センターで習った忘れられない言葉があります。その言葉は「私は一人じゃない!仲間がいるから強く、やさしく、楽しくできる」です。今でも平下さんは、私と話す時にこの言葉を使います。この言葉が、自分の障害についての考え方を変えてくれましたから、いつでも忘れません。夢宙センターで「私は一人じゃない」という気持ちが持てるようになりました。

6)AJU自立の家

名古屋では、ファンドレイジングについて、とてもいいアイディアを習いました。それから、AJUがやるいろいろなイベントにも参加しました。勉強はとてもよかったですが、ちょっと大変だったことがありました。それは、男の人の中で私が一人になったことです。これは今までの人生の中で一番難しいことでした。例えば、私の研修の担当は、男の人が2人でした。ですから毎日さびしかったです。最後の日は、電車の会社に交渉に行きましたが、男の人が23人の中で女の人は私だけでした。電車の会社の人たちはとても忙しいですから、私たちの話す時間はとても少なかったです。でも、最後に自分で手を挙げて、自己紹介をしました。研修のときは大変だと思っていましたけど、それも大丈夫な私になりました。今はどんな状況でも誰とでも話すことができます。とてもいい経験でした。

7)自立生活センター・リングリング

リングリングでは、障害者のためにとても大事なピアカウンセリング(以下、ピアカン)を勉強しました。ピアカンは心の力がある障害者にはいらないかもしれませんが、私の国では心の力が弱い障害者が多いですから、これはとても大事です。障害があっても、心の力があれば何でもできると思います。私がラッキーだったのは、1年に1回しか実施されないピアカンの長期講座に参加できたことです。長期講座が終わってからも、私たちのピアカン講座は終わりません。今でも毎週土曜日と日曜日に、携帯やスカイプを使ってピアカンをやっています。「私がミャンマーへ帰ってもピアカンをやりましょう」とみんなで約束しました。このネットワークがあるから、分からないことをいつでも質問できるので、とても便利です。とてもとてもいいネットワークだと思います。

8)メインストリーム協会

西宮のメインストリーム協会へも行きました。一週間の研修でしたから、最初は友達ができませんでした。でも、2日間のTRYのイベントで友達ができてから、すごく楽しくなりました。最後の日は朝6時まで、みんなで話しました。今までの人生で初めてです。TRY に参加したことはとてもいい経験でした。

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9)JEN

東京にあるJENで4日間勉強しました。JENでは良いマネジメントについて勉強しました。JENはたくさんの国で支援活動をしています。ミャンマーでも活動したことがありました。JENには、ボランティアがたくさんいますけど、ボランティアではなく、サポーターと呼びます。このサポータープログラムはとてもおもしろかったです。

3.昔のソーモーと今のソーモー

日本での10ヶ月の研修で、人生で初めての経験をたくさんしました。私は日本のチョコレートと色々なジュースが大好きです。着物とカラオケも大好きです。プールで泳ぐのも初めてでした。最初は25メートルも泳げなかったですが、最後は100メートル泳ぐことができました。

そして、私はたくさん変わりました。たくさん人の前で話せなかったけど、今はできます。男の人の中に私一人になったら、話すことが全然できませんでしたかど、今はこれもできるようになりました。一番難しい勉強だと考えて心配していたピアカンもじょうずになりました。もう一つは、自分がやりたいことを何でもやるようになったことです。例えば、私の右足は大きくて、左足はとても小さいので、ミニスカートを穿くのを我慢していました。でもミニスカートが大好きだから、よく穿くようになりました。今は自分のしたいことを自分で決めてやっています。日本へ来る前は、自分の障害のことがいつも悲しかったです。でも、今はそのままの私がいいです。

4.ミャンマーに幸せのタネをまく~帰国後の目標とお礼の言葉~

私は国に帰ったら、自立生活センターの仕事に戻ります。そして、今のセンターに足りない仕事を始めます。例えば、障害者が相談できる場所を作ります。そして、ミャンマーで初めてのピアカングループを作ります。それから、自立生活プログラムを考えて、友達と一緒にバスに乗ったり、いろいろな所へ遊びに行ったりします。それから、障害がある人たちのためのいろいろな制度を作って、バリアフリーな社会にするためにみんなと一緒にがんばります。

日本へ来る前、私は自信が全然なかったですが、今はどこでも何でもできる自信がつきました。これはみなさんからもらった力です。この力を私のためだけじゃなくて、ミャンマーにいるみんなのために使います。私は皆さんからもらった力で、ミャンマーに幸せのタネをまきます。将来、ミャンマーにきれいな花がきっと咲きます。

ダスキン愛の輪基金の皆さん、日本障害者リハビリテーション協会の皆さん、戸山サンライズの皆さん、研修先の皆さんや友達、14期生のみんな、いろいろお世話になりました。どうもありがとうございました。

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