Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

プロフィールに戻る

クリストファー・ジョセフ・アブリアンのファイナルレポート

人生とは挑戦の連続である。人は問題にぶつかると、答えを探そうとする。答えを探そうとする過程で、何かを経験する。何かを経験すると、理解が深まる。理解は、学びにつながる。学ぶことで、成長する。成長すると、人は変わる。こうして私たちは生き続けていく。

写真1

旅路を振り返って

すべて終わりは、何かの始まりでもあります。ここで、私の思い出深い日本での経験、そして帰国後の将来の計画について書きたいと思います。

答えを探して

私は小さいころから、日本をいつか訪れたいと思っていました。日本人のお客さんをホームステイプログラムで何度となく家に迎えるようになり、日本の国と人に対する好奇心がいっそう強まりました。

日本を初めて訪れたのは、数年前、AJU自立の家の障害者支援プロジェクトで名古シティハンディマラソンに参加したときでした。このとき、第9期のダスキンリーダーシップ研修の研修生、奥平さん、および那須さんに会う機会がありました。実はその前から、この研修プログラムについては聞き及んでおり、2度目の応募をしたところでした。奥平さんが私の顔を覚えていて、選抜してくださるとよいなと内心思っていたのですが、…後になって、「次回のチャレンジを期待します」との葉書が届いたのでした。

しかし幸いなことに、日本語で「三度目の正直」というとおり、昨年になって研修生として選ばれました。しかしそのときから、家を出て一人で暮らせるだろうか、しかも外国で、それも10カ月も…。素晴らしい経験には違いないけれど、いろいろ問題も起こるに違いない。何とかなるだろうか?などと、いろいろな心配が頭をよぎるようになりました。

経験から理解へ

初めて大阪に着いたときのこと、同期の研修生たちに会ったこと、そして日本語がなかなか上達しなくてイライラしたこと。まるで昨日のことのように思い出されます。

日本語の勉強は大変でした。授業が始まって一週間経つか経たないうちに、彰子さんに日本語の勉強について心配だと訴えたのを覚えています。穴井先生にも同じ思いを打ち明けました。2人とも、前向きに考えて頑張るように、と励ましてくれました。

日本語の勉強と同じように、水泳のレッスンもたいへんなものでした。忍耐を要したうえに、練習中よく水を飲む羽目になりました…。先生方は力を尽くして教えてくださいましたが、結局上達は個人のがんばりにかかっています。何カ月かしてやっと、嬉しいことに日本語検定試験に合格し、そして落ち着いて泳げるようにもなったのでした。

しかし、沖縄でお正月の休暇を迎えた時にはふたたび、自分の日本語がどれだけつたないか思い知る羽目になりました。それでも、美しい場所を見て歩いたり、おいしいものを食べたり、友達を作ったりして大変よい思い出になりました。すべてはホストファミリーの中森さんのご親切あってのことでした。

また、個人研修が始まる前にどれほど不安だったか、これも忘れられないことのひとつです。宿泊先がどれだけアクセシブルか分からなかったので心配でなりませんでした。心配しすぎて国に帰りたくなったほどでした。有難いことに奥平さんと彰子さんが非常に我慢強く、私の心配に耳を傾けて気持ちを落ち着かせてくださいました。そんなこんなでやっと安心感を取り戻すことができました。でも、当初は安心どころの騒ぎではありませんでした。

最初の個人研修は大阪の自立生活夢宙センターでした。私の泊まった場所はセンター内の自立生活体験室です。この部屋はバリアフリーではなかったので、いろいろとまた心配が頭をよぎりました。しかしやってみようという気持ちもあり、こういう問題にまっすぐ立ち向かってみよう、という気持ちになりました。

しかし最初はたいへんでした。シャワーに一人で入ることができなかったので、毎日お風呂に入るときには誰かに抱えてもらわなくてはなりません。また、ズボンを穿くにしても床がつるつるしていて一人では穿けなかったので誰かの手を借りなければなりませんでした。当初、こうしてたくさんの人の手助けを頼まなければならないことについて、非常に恥ずかしく思っていました。

理解から学びへ

ちゃんさん(平下泰幸さん)、ぶっちょさん(平下耕三さん)、恵美さん、陶山さん、介助者のみなさん、そして夢宙センターのスタッフの皆さんはとても親切に接してくださり、私のことも理解してくださったおかげで、私も人に助けを頼むことについての理解が間違っていたことに気づきました。

バリアフリーの部屋に泊まっていたら、介助を頼むこともおそらく必要ないと思い、実際頼まなかったに違いありません。今でも、自分で何でもできるバリアフリーの部屋に泊まりたいと思うのは事実ですが、今では手助けを頼むことについてためらいを感じることはなくなりました。

また、夢宙センターの友人たちの哲学の言葉もよく思い出します。『ひとりじゃない 仲間がいるから 強くも 優しくも 楽しくも できるんだ!!』

また、大阪では芸術も権利擁護のツールとなることに気づかされました。たとえば、障害者、非障害者の団員がダンスや体の動きによっていろいろな人生ストーリーを表現する「劇団態変」があります。また、夢宙センターでもちゃんさん(平下泰幸さん)の青空、そして陶山さんのバンドが活動しています。ちゃんさんのように心から歌を歌うことで、ほかの人たちに障害者運動について知らせたり、また支援を訴えたりすることができると思います。

名古屋のAJU自立の家は私にとっていつも力の源です。はじめて権利擁護運動およびネットワーキングがどれだけ障害者の社会参画に役立つかを知ったのも、3年前、AJU自立の家でのことでした。AJUに戻り、彼らのビジョンと活動についての理解が深まって、非常に感銘を受けました。江戸さんと山田さんのリーダーシップによって、AJUは組織として成功し続けており、私も個人的に江戸さんと山田さんを理想的なリーダーとして尊敬しています。

写真2
学びから成長へ

八王子のヒューマンケア協会での経験によって、私は知らずして自分に課してきた限界、枠を乗り越えることができました。良い経験であり、また謙虚にさせられた機会でもありました。

ヒューマンケア協会での経験は、日本の自立生活センターのパイオニアである中西さんとの貴重な出会いと学びの経験でもありました。中西さんはアカデミックな世界での経験が長く、教育による人間の成長を非常に重要視しておられ、同じ志を持つ人が中西さんの周りにたくさん居ます。中西さんは、教育は人生の問題に立ち向かう意志と同じように大切なものと考えておられました。

このような事情から、中西さんの私に対する期待感は大きなもので、私もプレッシャーを強く感じました。しかし時間をかけてよく考えた結果、今では中西さんが、わたしがもっと広い視野をもつように、そして自分の安全圏を出て、将来の問題への目を養えるようにといろいろ課題を与えてくださったことに気づき、感謝しています。また、すべての人が理解しているとはかぎらないのですが、中西さんのユーモアと謙虚さを、私は一生忘れないでしょう。

まとめとして、私が日本の障害者運動について理解を深めた重要な点が二つあります。まずは、障害者のなかでも重度障害者のために、社会の意識と物理的な構造を変えていく必要があること。そして必要なサービスが提供されるように行政へ働きかけていくことが重要であることです。

次に、JDF、DPIそのほか多くの団体との触れ合いによって、権利擁護運動の大切さを身にしみて感じるようになりました。よく言われるように、情報はパワーです。この意味からも、社会自身が障害者によってエンパワーされ、結果的に社会が障害者をエンパワーするようになる必要性を感じます。

自己選択と自己決定、自己責任という概念は、障害者の自立生活運動の基本です。でも、これは、安全で良い生活を送るために、障害の有無に関わらず誰もが持っているべき普通の権利だと、私は思います。

写真3
そしてまたすべてが始まる

人生には挑戦がつきものです。個人的な挑戦であれ、社会的な挑戦であれ、これらの挑戦のひとつひとつが「点」であり、この点が現実でつながりあって人生を織りなしています。今回はダスキンのリーダーシップ研修で自分のできるかぎりを尽くしてさまざまな問題に向かい合い、多くの経験を得ることができました。心より、お礼を申し上げます。

top page