Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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カマル・ラミチャネのファイナルレポート

私はダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の第5期生として、2003年8月22日に日本にやってきました。海外にての永い経験を持たない私は、日本に於ける障害者の状況と福祉に関し、とくに関心を持っていました。一方で、日本の方々がネパールに於ける障害者や福祉の問題に、興味を示されたのは私にとって嬉しいものでした。私の日本滞在は、わずか10.5ヶ月でしたが、途上国と先進国との障害者に対する状況の違いの大きさに目を見張りました。

日本に来る前から、障害者のリハビリや、パソコンの訓練、職業訓練、自立生活、障害者教育、殊に私の関係している仕事の分野に付いて多大の興味を持っていました。これらの事は、私の日本に於ける研修先の選択に表れています。私は、東京大学、福岡教育大、東京ヘレンケラー協会、日本点字図書館、ユマニテ福岡センター、静岡のウイズ作業所、DPI-Japan、日本盲人協会、筑波大、平塚盲学校などで研修しました。他に、神奈川工業大学や中央大学、江戸東京博物館、国立民族博物館等を訪問しました。

研修は9月2日より始まりました。それから3ヶ月間日本語の集中教育と、日本語の点字研修を受けました。これらの日々は、指導の厳しさと、先生方の優しさが忘れがたい物です。日本語の研修が終わった後、点字による試験で400点満点中327点を取った事は嬉しかったです。

その後、JSRPDの寺島先生に日本の障害者福祉法を教えて頂きました。その間、東京へレンケラー協会、点字図書館にて関係資料の製作の様子を見学しました。2週間のディジーの勉強は、日本語が十分に判らなかったが、将来の教育資料造りの参考になりました。

1月25日より3月の25日までの2ヶ月間、福岡のユマニテにてコンピュータの利用法を勉強しました。コンピュータがどんな物であるかは知っていましたが、使ってみるのは初めてでした。インターネット、e-メール、ワード、エクセル、オンラインとヴォイスチャッティング等基本機能を勉強しました。これらは世界を小さくし、仕事を便利、そして迅速にすることを知り、勉強に励みました。先生や、関係して下さった方々のご尽力に感謝します。

静岡の作業所、WITHでは重複障害者、殊に視覚障害者が働いているのは印象深いものでした。施設は8年間運営され、点字翻訳、点字出版、白杖製作等が行われていました。

私の教育に関する興味から、平塚盲学校、筑波大盲学校で、それぞれ1週間研修しました。教師として、また生徒としての経験は、私の仕事柄大変興味のあるものでしたし、日本とネパールの違いの比較も出来ました。特に、科学関連の授業が高校レベルで詳細に教えられていたのは、大変参考になりました。ある生徒たちは按摩、鍼を、音楽を学んでいる人もいて、皆が社会に出て、何かの仕事に付く希望を持っていました。

また、色々な会議にパネリスト、スピーカー、参加者として参加する機会がありました。バリアフリー放送に関するシンポジュウムにて講演をしたのは印象的でした。聴覚障害者に対して、ラジオが如何に係われるかを知ったのは有益でした。

集団研修の中で最も印象に残ったのは、池住先生の集団訓練でした。集団のリーダーは如何に在るべきかを、本当にわかり易く教えて頂きました。

7カ国から来た人達が集まって、シンポジュウムを基礎から準備して、JSRPD職員の指導の下に2004年6月19日と20日に行いました。この経験も得がたい物でした。

色々な大学や学校を見学して、学生の多くが英語に堪能でした。平塚盲学校では地震に対する訓練も受けました。これは将来有用でしょう。

日本は先史時代にまで遡る歴史がありますが、その特徴は古いものと、新しいものが同時に存在することです。東京江戸博物館や、国立民族博物館の見学にも行きました。

スキー、水泳、マラソンなどのスポーツをする機会もありました。「温泉とスキー」に参加し、越後に行き、色々な所を見ました。私はエベレストのある国に住んでいますが、雪で遊んだことも、スキーをした事もありませんでした。雪の中での遊びがこんなに楽しいものとは知りませんでした。スキーでは、個人指導を受けて、とにかく滑れるようになりました。信じ難いことです。私がどんなにエキサイトしたことか、お分かりになりますか?

日本の家庭でホームスティを初めて、藤沢市でしました。泊めていただいた家族は3軒でしたが、主に五十嵐さんのお宅にお世話になりました。色々なことをしましたが、五十嵐さんは私の日本でのお母さんです。横浜で船に乗ったり、初詣にいったり、伝統的なご馳走を頂いたり、思い出深いものがあります。

一言、ダスキン愛の輪基金関係者に申し上げます。

この研修プログラムは世界的な障害者に対する研修の一里塚となると思い、参加しました。然しながら、JSRPD及び、其の関係者と過ごすうち、ダスキンの目標が何処にあるのか理解できなくなりました。研修は、日本語と英語で行われるものと、応募した時には思いましたし、募集要項にも使用言語に付いては何も記載がありませんでした。応募に際して、私は日本語が全然出来ない旨、明記しました。日本に来て、日本語研修の3ヶ月間は楽しい日々でした。しかし、研修中は英語の使用は許されず、日本語の使用が強制され、研修生の全てが3箇月の訓練では不足だと思いました。特に視覚障害者にとっては、先生や他の人が言うことが解らなければ、言われた事を確認する手段がありません。このことは、私の経験からして確信を持って言えます。他の障害を持った研修生には、色々な資料が渡されましたが、私には少数の点訳した資料のみが渡されることが多かったです。職員の皆さんは英語が話せるのに、点字を知ろうとも、点字の知っている人がいないのは理解しがたいです。

以上のことを申し上げた上で、ダスキン殿には次の事の改善を、お願いしたいと思います。

  1. ダスキン及びJSRPDは、研修の目的を十分理解していただきたい。若し、目的が日本語の研修ならば、そのように準備がされるべきである。
  2. 研修生が日本人でないので、日本語が得てでない人には英語で授業が行われるべきです。
  3. 募集要項には、英語は研修に使用しない旨明確に記載されるべきです。
  4. 視覚障害研修生には、点字資料が支給されるべきです。
  5. 研修中には、少なくとも1名の点字の読み、書きが出来る職員を配置すべきです。

終わりに臨んで:

現在の社会は障害者の権利を考えていない。障害者の障害を世間は対等に見てくれない。法律や生活態度にも、偏見や差別がある。障害者の人権は侵害されるばかりである。私は、ネパールばかりでなく世界の障害者のために、彼らの人権の強化に力を尽くしたい。全ての人、障害者を含めて、は生まれつき平等であり、尊厳であり、人権を持っている。この思想の強化に、私は一生をささげたい。この10ヶ月の日本での研修は、私が将来広く活動をする手立てを与えてくれました。

私は、誰でも一度は日本を尋ねるべきだと思います。アジア地区で一番バリアフリーな社会を築き上げた国であり、学ぶことが沢山ある国だからです。

この研修を通して、私は世界を見る目が変わりました。ネパールに帰っても、より強く、より精力的に活動することを誓いたいと思います。

ダスキン、JSRPDの皆さん、関係諸機関の皆さん、個人の方々、ボランティアの方々、皆さん私の10ヶ月に渉る滞在を援助して下さり、ここに深甚なる感謝を申し上げます。

以 上

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