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「恋人たちの会話と人工内耳の関係」

札幌医科大学耳鼻咽喉科学教室 教授 氷見 徹夫

 

 何年か前のテレビのCMで印象に残っているものがありますので、そのことをまずお話ししましょう。おそらく記憶されている方も何人かいらっしゃるかもしれません。このCMのクライアントは電子機器メーカーだったと思いますが、定かではありません。

 CMの内容を、絵コンテ風に説明しますが、テーマは『人間の高度な聴覚の機能』とでもしておきましょうか。

 登場人物は恋人同士である男女二人(大学生風)

 設定は「数年来恋人同士であった二人なのですが、彼女の方が彼に対して少し魅力を感じなくなり、この関係を続けていくことが本当によいのか疑問を持ち始めている。彼の方はまだ彼女に対して〈ぞっこん惚れている〉状態である。帰り道で彼女の方から“しばらく会わない方がいい”と告げられる」(注釈:けっして私の経験ではありませんので誤解のないように!)との状況が二人の背景と勝手に想定します。構図は私鉄沿線の踏切をはさんで二人が向かい合って立っている。ストーリーは、彼が彼女の家の近くまで送ってきた。

 何となく帰りそびれて踏切をはさんで向かい合っているいるふたり。そして警報機がけたたましい音をたて、遮断機が降りてくる。轟音とともに目の前を通る電車によってお互いの姿は見えなくなる。

 その時、彼が大声で「君はー、僕のー青春だー」と叫ぶ。電車の通る騒音で、その声は微かに聞きとれる程でしかない。しかし、その騒音の中の微かな音でも、彼女の耳にははっきりと彼の言葉を聞きとることができた。

 電車が通り過ぎ、遮断機が上がる。ふたたび踏切をはさんで向かい合っているふたり。彼女は困ったような顔つきで「バカ」とつぶやく。……テロップを流す……「どんな騒音の中でも恋人の声だけははっきり聞きとることができる、そんな不思議な人間の働きを私達○○会社は常に考えています。」

 この、とりとめない、ごく日常的なストーリーの中でも、聴覚のすばらしさが解ると思います。人間の聴覚には単に音を感ずる働きだけではなく、そのときに必要と思われる音のみを選択して聞きとる力を持っています。

 蝸牛の中には二種類の神経細胞があることが知られていますが、一種類目の神経細胞に到達した外からの音は、大脳の方へ素早く伝えられ、この神経細胞からの情報は、聞こえてきた音全てを正確に、そのままの強さの音として感ずるように大脳に伝えられます。つまり、もし、人間がこの一種類の神経細胞しか持ち合わせていなければ、彼女は彼の言っている言葉は騒音の中のひとつの音でしかなく、より大きな騒音にかき消されて内容を理解することができません。遮断機が上がったときには、彼女はもう帰ってしまっていたかもしれませんし、ふられてしまった彼一人だけがとり残されるという、彼にとっては悲しい物語になってしまったかも知れません。

 もう一種類の神経細胞は、少し働きが異なると考えられています。

 この神経細胞に伝わった外からの音の情報が大脳に到達すると、今までに聞いてきた音や言葉の記憶と照らし合わせて、もしその音や言葉の周波数が必要でない(聞きたくない)と判断されたときに、この第二の神経細胞からの情報はその音を「聞こえていない」と感ずる信号として大脳で取り扱われます。

 この二種類の細胞の働きの違いによって、いろいろな音の環境でも必要な音だけをきちんと聞き分けることが出来ると考えられていますし、この蝸牛の不思議な聞き分ける働きがあるからこそ、彼女を踏切の前に引き止めておくことが出来たといえます(最終的にハッピーエンドになったかどうかは判りませんが) 人工内耳を受けられた方の失聴原因はさまざまでも、蝸牛の中のこの二種類の神経細胞が両方とも全く働かなくなったため聞こえを失った訳です。

 人工内耳から来る音の情報は、一種類目の神経細胞からくる情報だけを伝えて、残念ながら健聴者に備わっている第二の神経細胞からの情報、すなわち聞きたくない音を選択する情報が大脳に伝わっていないのかも知れません。人工内耳を使われている方は、騒音の中では言葉は非常に聞き取り難いとおっしゃる方が多いようです。これは私の想像でしかありませんが、この原因のひとつはこんなところにあるのかも知れません。

 人工内耳のシステムがもっともっと発達して、聞きたい音や言葉だけを聞きとれるような『第二の神経細胞』の働きも備わったものになればどんなに使いやすいかと思うのですが、いかがでしょうか?


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