平家へいけひとたち以前いぜんいまよりもはるかに焦慮もがいていた。よるふねのほとりにあらわれ、それをしずめようとし、また水泳すいえいするひとをたえずけていては、それをきずりもうとするのである。これ死者ししゃなぐさめるために建立こんりゅうされたのが、すなわち赤間あかまぜき仏教ぶっきょう御寺みてらなる阿彌陀あみだであったが、その墓地ぼちもまた、それにせっして海岸かいがんもうけられた。そしてその墓地ぼちうちには入水にゅうすいされた皇帝こうていと、そのれきれきしんとのめいきざみつけた幾箇いくこかの石碑せきひてられ、かつそれ人々ひとびとれいのために、仏教ぶっきょう法会ほうえがそこで整然ちゃんおこなわれていたのである。このてら建立こんりゅうされ、そのはか出来できてから以後いご平家へいけひとたち以前いぜんよりもわざわいいをすることすくなくなった。しかしそれでもなおつづいておりおり、あやしいことをするのではあった――かん平和へいわていなかったこと証拠しょうことして。