元気と幸せのおすそわけ

  名盤・珍盤・告知版

表紙

  千田 日記   金融ブックス 発行

著者の写真

地質調査を指導する著者

  石川県金沢市浅野川上流にて

  一九八七年夏 千葉大学・亀尾浩司博士撮影

目次

犬のイラスト

元気と幸せのおすそわけ 十一

倉庫で見つけた明治の至芸 十三

名優は名ピアニスト 十四

オペラになった絵本 十六 

カラオケ名人のマーラー 十八

ホルストならドッテンカイ 二〇

美女に囲まれてワルツ 二二

元祖ニューイヤーコンサート 二四

時が二人の味方かも 二六

ひねもすのたりのたりかな 二七

光と影の芸術 二九

弔  辞 三一

鶴の恩返し 三三

青春よ永遠に 三四 

猫になりたい 三六

王子様がやってきた 三八

甘い歌声に魅せられて 三九

早い第九と遅い第九 四一

わが家のお宝 四二

卒業式は威風堂々 四四

国立、ウィーン、田園調布、そして金沢 四六

♪ ♪

教養とは何か 五〇

CDを聴いて涙 五二

白装束もびっくり 五三

妻とのデートが贈り物 五五

戦場のピアニスト 五六

誰のために死ぬのか 五八

東京交響楽団定期演奏会 五九

スプーンの思い出 六一

こうもりの変種・珍種 六二

名演奏は体力勝負 六四

北陸に花開く 六六

オンリーワン 六七

金沢蓄音器館に行こう 六九

お嬢ちゃん、がんばれ! 七〇

伴奏者ではなくピアニスト 七二

少 子 化 七四

「音樂會」という名の音楽会 七五

文豪に秘めたる才能 七七

やはり楽しいグリム童話 七九

入院して聴いたハイドン 八〇

ホッ、ホッ、ホッ! ハッ、ハッ、ハッ! 八二

♪ ♪ ♪

「パルドン」と頭を下げて 八七

城址に昔の面影なく 八八

発音練習は「オ・ソレ・ミオ」 九〇

大学で出会ったモーゼ 九二

両替してよかった 九四

大学教授に教員免許 九五

ソレル神父のファンダンゴ 九七

何のためのワイングラス 九九

葬送行進曲と妹の死 一〇一

中央線は一直線 一〇二

英語を学ぶとバカになる? 一〇五

いつか来た道 一〇七

エッ、また万葉集? 一〇八

K氏ともう一人の彼 一一〇

強迫されて買ったCD 一一二

アマデウス 一一四

感謝感激雨霰 一一六

ベートーヴェンを創出した男 一一八

ビジュアル的要素 一一九

ボ レ ロ 一二一

地質学者の家は2×4 一二三

♪ ♪ ♪ ♪

能登のととらく 一三一

天災は忘れぬうちにやってくる 一三三

難聴者のための音楽会 一三五

森の雫の味がする 一三六

「あなたのそば」とは誰のそば? 一三八

あのときこんな音がした 一四〇

そのときこんな音がした 一四一

文字を飾ってトレードマーク 一四三

反復音のための練習曲 一四五

大学で何を教えるか 一四七

命と引き換えに美声 一四八

店主の見識 一五〇

シュローダーのように 一五二

隅田川界隈 一五三

パリのアメリカ人とニューヨークのフランス人 一五五

パンとトマトとアイランド氏 一五七

教授にレッドカード 一五九

ブリュートナー・ピアノ 一六一

モーツァルト・イヤー 一六三

愛の証はアダージェット 一六五

名曲喫茶に見るモダン日本の音楽事情 一六七

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

元祖スウィングガールズ ―あとがきにかえて― 一八二

『元気と幸せのおすそわけ』へのメッセージ 一八八

            今宮 久志

  カバー・本文/カット ヒラキ ムツミ

  見返しデザイン/工藤 美幸

 ♪♪妻と二人の娘に♪♪

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元気と幸せのおすそわけ

服を着た猫の図

 

 小さな女子大学で 学長秘書を勤めるSさんは、 才色兼備の 魅力的なお嬢さんだ。 姪の彩月ちゃんをかわいがる様子が、 なんとも微笑ましい。

 ところで 二〇〇〇年の夏、 私は 東京医科歯科大学医学部附属病院に入院した。 病名は前立腺癌。 手術を翌朝に控えた日の夕方、 思いもかけず お見舞いに来たSさんは、 面会室で しばらく私と話した後、 一通の封書を残して 家路についた。 病室に戻って 封筒を開くと、 その彩月ちゃんの写真が一枚。 そして 添えられた手紙には、 次のように記されていた。

「同封した写真は、 私がいつも手帳の間に挟んでいる 宝物です。 この写真を見ると、 元気になります。 また 幸せな気分になります。 そんな 元気や幸せのおすそわけです。 退院するときまで 預かっていて下さい。 女神の微笑みで 幸運が舞い込んで来ること、 間違いなしです」

 私は Sさんの暖かい心遣いに感激し、 不覚にも 涙を流すところであった。

 ルイ十四世の寵愛を受けた マラン・マレは、 ビオラ・ダ・ガンバの演奏家として、 また 多くの標題音楽の作曲家として知られる。 その中でも 「膀胱結石手術図」は、 とくにユニークなものだろう。 ほんの五分ほどの 短い曲だが、 「手術台の様子」 「それを見て震える」 「手術台に登ろうと決心する」といった ナレーションに合わせて、 手術を恐れる患者の心情が 巧みな音楽表現によって 描写される。

 それに比べて、 現代医学の恩恵に浴することのできる私は 幸せだった。 痛み知らずに過ごした 五時間の手術で 癌は摘出され、 術後の経過も良く、 間もなく 退院の運びとなった。 そしていま 転移も再発もなく、 毎日 元気で生活している。

 預かった写真は 快気祝いの席で Sさんに返却したが、 元気と幸せのおすそわけは、 いまでも 私の手元に残っている。 今回の手術の成功は、 病床を飾った、 あの彩月ちゃんの写真の おかげだったのかもしれない。

◎マレ/膀胱結石手術図―バロック期の標題音楽集―  アーノンクール指揮 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス  テルデック WPCC-5329

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倉庫で見つけた明治の至芸

 蓄音機を発明したのは、 トマス・エジソンである。 しかし エジソンの円筒レコードを改良して 円盤レコードを作り、 レコード産業の基礎を築いたのは、 エミール・ベルリーナであった。 円盤レコードの出現が、 大量生産を 可能にしたのである。

 一八七三年、 米国ワシントンに生まれた フレート・W・ガイズバーグは、 十八歳のときに ベルリーナに会った。 円盤レコードの将来性を 確信した彼は、 タレントスカウト あるいはディレクターとして、 ベルリーナに協力することになる。

 彼は、 当時 ピアニスト兼指揮者として活躍していた 若いランドン・ロナルドと親交を結び、 彼の友人である 多くの演奏家に レコードを作らせた。 オペラのアリアを最初に録音したのは ガイズバーグであるが、 名歌手シャリアピンや カルーソーのレコードを作ったのは、 彼の最大の功績といわれる。 このように 円盤レコードが円筒レコードを駆逐したのは、 ベルリーナやガイズバーグに 音楽的素質があったかららしい。

 ガイズバーグは 世界各地に旅して出張録音をした。 一九〇三年には、 録音技師とともに 機材をたずさえて来日。 東京・築地のメトロポール・ホテルをスタジオに、 二百七十三種の レコードを作った。 それは 英国でプレスされ、 一部は 日本にも輸入されたようである。

 最近 そのレコードすべてが、 英国EMI本社の倉庫で 発見された。 驚いた日本人関係者が これを再生し、 十一枚組の CDセットに復刻して発売した。 その内容は 雅楽、 謡曲、 義太夫、 常磐津、 清元、 長唄、 吹奏楽、 浪曲、 落語など 多岐にわたる。 タイムマシンが運んできたともいえる 明治の至芸は、 門外漢の私の理解するところではないが、 青い目の落語家・快楽亭ブラックの声を 耳にすることができるだけでも、 資料としての意義は 計り知れない。

 ガイズバーグは 長くEMIで働き、 退職して三年目の一九五一年に 世を去っている。

◎全集・日本吹込み事始  EMI  TOCF-59061ー71(十一枚組)

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名優は名ピアニスト

 職場のIさんは、 名前を香澄という。 まだ二十歳そこそこの 可憐なお嬢さんだ。 彼女は最近 DVDになって復活した 映画「パリのアメリカ人」を観て、 すっかり気に入ったらしい。 ジーン・ケリー、 レスリー・キャロン主演、 ヴィンセント・ミネリ監督のこの映画は、 ジョージ・ガーシュインの名曲を 題材にした、 ハリウッド・ミュージカルの傑作だ。

 ところで この映画の中で 芽のでないピアニスト役を演じ、 主演顔負けの名演技を見せた オスカー・レヴァントは、 一九七二年に世を去った アメリカのピアニストだ。 作曲家のガーシュインと親しく、 米CBS盤の「ラプソディ・イン・ブルー」や 「ピアノ協奏曲ヘ調」のCDは、 いまでも 他の追随を許さぬ ガーシュイン直伝の名盤といわれる。 事実 映画の中で、 レヴァントが ヘ調の協奏曲の第三楽章を演奏するシーンは 圧巻だ。

 今回 パールレーベルのCDで、 そのレヴァントが演奏した 珍しいピアノ小品集が復活した。 ファリアの「火祭りの踊り」や ハチャトリアンの「剣の舞」に レヴァントの面目躍如だが、 ショパンやドビュッシーは いささか奇妙な演奏で、 これまたいかにもレヴァントらしい。

 ところで 夏の初め、 友人のカナダ人が 「カスミを誘ってビールを飲みに行こう」と言う。 カスミがIさんとわかって 「なぜ?」と聞くと、 「おまえはいつも イエスとしか言わないので、 座がもたない。 その点 カスミは英語が上手で、 話していて楽しい」との返事だ。

 なるほど ビヤホールで 外国人と対等にわたりあう彼女の表情は 生き生きとしていて、 可憐なお嬢さんのイメージからは 想像すらできない 魅力の再発見となった。 聞けば 外国での生活が長かったという。 彼女なら、 映画「パリのアメリカ人」を楽しむにしても、 日本語字幕は 必要ないだろう。

◎映画「巴里のアメリカ人」  ワーナー・ホーム・ビデオ  DL-56273(DVD)

◎ピアノ・マスターズ/オスカー・レヴァント集  パール  GEM 0105

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オペラになった絵本

 前立腺癌手術のため、 東京医科歯科大学医学部附属病院に 入院していたときのことだ。 かつては 大手銀行のトップに立ち、 今は 悠々自適の生活をしているS氏が 隣のベッドの患者だった。 そのS氏のところに お嬢さんがお見舞いに来る。

「お父さん、 本当はお母さんに来てほしいんでしょ?」

 の言葉に、 父親を思う気持ちがあふれている。

「ステキなお嬢さんね。 子供があのように育つのは、 父親が 積極的に育児に参加したからなのよ」

 見舞いに来ていた 妻のきつい一言は、 首をすくめた 私の頭上を素通りした。

 その夜、 S氏が声をかけてきた。

「先ほど奥様が言っておられたことは、 間違っていますよ。 娘が育ち盛りのとき、 私はモーレツ銀行員で、 育児どころじゃなかった。 あの娘を育てたのは 家内ですよ」

 娘二人を育てるのに 非協力的だった私も、 絵本を読み聞かせるくらいのサービスはした。 中でも モーリス・センダックの『怪獣たちのいるところ』は、 怪獣たちの表情が 何ともユーモラスで、 娘たちのお気に入りだった。

 この絵本をオペラにしたのが、 英国の作曲家オリヴァー・ナッセンだ。 グライドボーンでの公演は、 かつて パイオニア盤のLDや ユニコーン・カンチャナ盤のCDとして 発売されたことがある。 しかし ここに紹介するのは、 新録音の国内盤CDで、 ステレオ効果満点の すばらしい録音が、 舞台を彷彿とさせる。 さらに このCDを収納しているケースには、 子供たちが歓声を上げそうな、 ちょっとした仕掛けもある。

 これはまさに 動く絵本ともいうべきオペラで、 大きなぬいぐるみの怪獣たちが 舞台せましと活躍する様子が、 本当に楽しい。 その点、 音だけのCDでは、 やはり何となくものたりない。 子供たちのためにも、 かつてのLDが DVDとして復活することを期待したい。

◎ナッセン/かいじゅうたちのいるところほか  ナッセン指揮ロンドン・シンフォニエッタ  ドイツ・グラモフォン  UCCG-1042/3(二枚組)

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カラオケ名人のマーラー

 カラオケなら 三百曲は歌うと豪語する 同僚のT氏も、 クラッシック音楽は からきし駄目らしい。 だから 彼が音楽会に招待され、 義理と人情の板挟みで マーラーの交響曲を聴くはめになったのは、 彼にとって まことに不幸なことであった。

 マーラーの交響曲に辟易したのは 評論家の野村光一氏も同様らしく、 名著『名曲に聴く』(創元社)の中で 「今日の如き 繁忙な時勢では、 当世風に短く編曲した方がよい」 と書いている。 この本が世に出たのは 一九四〇年だが、 なんと その十五年以上前、 すでにマーラーの交響曲が レコードになっていたと知ったら、 T氏は 腰を抜かすに違いない。

 ところで 指揮者のオスカー・フリートは、 一八七一年、 ベルリンに生まれた。 彼が マーラーの交響曲第二番「復活」を録音したのは、 一九二四年である。 若いころ 直接マーラーから手ほどきを受け、 「復活」を指揮して 称賛されたという。 だから この古いレコードを聴くと、 貧しい音の向こう側に マーラーの姿が見え隠れする。 レコード史上、 マーラーの交響曲初録音といわれる この骨董的SP盤が、 最近CDになって復活した。

「太鼓がドンと鳴り、 笛がピーと鳴り、 ときどき目が覚めちゃうんですよね」と言って、 T氏は笑う。 国際文化会館大ホールで、 彼はマーラーの交響曲を聴かずに 寝ていたに違いない。

 でも世の中、 何が起こるかわかったものではない。 先日、 イヤホーンを耳に出勤する彼を見かけた。 六十歳を過ぎた老人が 何を今更英会話の特訓か、 と思いながら声をかけると、 彼はニヤリと笑って 鞄の中を指さした。 そこにCDウォークマンがあり、 中で回転するのが マーラーの交響曲第一番のCDと分かって、 腰を抜かしたのは 私の方だった。 マーラーの交響曲に親しむなら、 第一番から聴くのがよいですよと言ったのは、 もちろん 私なのだが・・・・・・。

◎マーラー/交響曲第二番「復活」ほか  フリート指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団ほか  ナクソス  8・110152―3(二枚組)

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ホルストならドッテンカイ

 元素の周期律表は 「水兵、 リーベ、 僕の船」と覚えた。 岩石の名前は 「リカちゃん、 あせってゲロ吐いた」と暗記した。 大学受験は これでおちゃのこさいさいだった。

 英国の作曲家 グスタフ・ホルストの「惑星」は、 とかく 敬遠されがちな現代曲の中でも、 万人に愛される名曲だろう。 七曲からなる 管弦楽組曲で、 その一つひとつに 惑星の名がついている。 しかし 冥王星がない。 なぜなら ホルストがこの曲を作った当時、 まだ冥王星の存在は 知られていなかったからだ。 したがって もし大学入試で惑星の名前を問われたら、 この曲のファンは 冥王星を書き落として 不合格になってしまう。

 それでは受験生がかわいそうと、 コーリン・マッシューズが 新たに「冥王星」を作曲し、 ホルスト/マッシューズ合作とも言うべきCDが 「冥王星付き世界初録音」と銘打って 発売された。 これこそ 余計なお世話というべきなのだが、 こうでもしないと 不景気な昨今、 CDも売れないのだろう。

 そもそも「惑星」の最終曲 「海王星」は 最弱音で演奏され、 途中から女声合唱を伴い、 そして 静かに消え入るように終わる。 それが 無限の彼方の海王星にふさわしい。 それなのに それに続いて演奏される 新曲「冥王星」は、 そのクライマックスで 管楽器が咆哮し、 打楽器がとどろいて、 オリジナルの作品は ぶちこわしだ。

 ところで 冥王星の軌道はかなり特異で、 とくに離心率〇・二四八と大きく、 そのため 軌道の一部が海王星の軌道内に入り込んでいる。 事実 一九七九年一月から九九年三月までは、 冥王星は 海王星よりも太陽に近かった。 そう考えると、 いささか勇壮に過ぎる新曲も 納得できるのである。

 惑星の名称は 「スイキンチカモク、 ドッテンカイメイ」と暗記した。 でも 作曲家ホルストなら、 「スイキンチカモク、 ドッテンカイ」と覚えて、 大学受験は おちゃのこさいさいだった。

◎ホルスト/組曲「惑星」(マッシューズの「冥王星」付き)ほか  エルダー指揮ハレ管弦楽団ほか  ハイペリオン  CDA67270

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美女に囲まれてワルツ

 ロビーで立ち話をして 会場に戻ると、 舞台では ピアノデュオの演奏が始まっていた。 いまさら 自分の席に戻るのも気がひけて 隅に立っていると、 「おかけになりません?」と 若い女性に椅子をすすめられた。

 都内にキャンパスを持つ 某女子学園の創立八十周年記念祝賀会が 新年早々に新宿のホテルで開かれ、 宴もたけなわとなって、 お祝いの演奏が 始まったところである。 曲目は ラヴェルの二台のピアノによる 「ラ・ヴァルス」であった。

 ラヴェルは ヨハン・シュトラウスを賛美して、 管弦楽曲「ラ・ヴァルス」を作った。 確かに この曲には、 ウィンナ・ワルツの香がする。 しかし 陶酔するような甘い旋律を期待すると、 肩透かしを食う。

 ところで ラヴェルはこの曲をピアノ用に編曲して、 二つの楽譜を書いた。 一つは二台の、 そしてもう一つは 一台のピアノのために。 でも いくら二台のピアノを鳴らしても、 この曲の豊かな色彩は 表現できない。 まして ピアノの独奏ではなおさらだ。

 ところが最近、 一台のピアノでこの曲を演奏した 素晴らしいCDが、 相次いで発売された。 一つは 韓国の女流ピアニスト、 ハエスン・パイクによる演奏、 もう一つは ロシアの期待の星、 アレクサンドル・ギンジンの演奏。 どちらも ラヴェルの楽譜を使わず、 演奏者自身が編曲している。 とくに後者は、 ギンジンの超絶技巧が 管弦楽に匹敵するすさまじい効果をあげ、 買って損のないCDとなっている。

 さて、 お祝いの演奏が終わって見回すと、 すすめられて座った円卓には 魅力的な女性ばかり。 聞けば 全員学園に勤務する職員だという。 丁重にお礼を述べて 自分の席に戻ったが、 美女に囲まれて ワルツを聴いたひとときで、 私は 幸先のよい新年のスタートを切ることができた。

◎「ハエスン・パイク/デビュー・リサイタル トロイメライ」  パイク(ピアノ)  EMIクラシックス TOCE-55263

◎「ギンジン ラ・ヴァルス ラヴェル/ピアノ作品集」  ギンジン(ピアノ)  トリトーン DICC-26066

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元祖ニューイヤー・コンサート

 ウィーン大学への留学が決まって オーストリア大使館に ビザを貰いに行ったとき、 担当の職員がこう言った。

「ウィーンは 街中に音楽があふれていますよ」

 ところが ウィーンに住んでみると とても静かで、 パチンコ屋の店頭に 軍艦マーチが流れる東京こそ、 音楽の都にふさわしい。

 ウィーン・フィルの ニューイヤー・コンサートは 毎年衛星中継され、 わが家でも元日の夜、 これを楽しむのが 正月行事となった。 そして今回は、 なんとあの小沢征爾氏が 指揮台に立ったのである。 街に音楽の流れることはなくても、 市民の生活には 音楽が溶け込んでいて、 いまやニューイヤー・コンサートは、 ウィーンの一大イベントである。 しかもそのCDが、 オーストリアで ヒットチャートのトップに躍り出る人気。 わが国でも 売れ行き絶好調で、 ミリオンセラーも 夢ではないという。

 東京で オリンピックが開催された当時、 ウィーンで活躍する日本人音楽家が ほんの少数であったことを考えると、 世の中 変われば変わるものと、 感無量の思いがする。

 一八九三年生まれの 指揮者クレメンス・クラウスは、 生粋のウィーン子であった。 ウィーンを愛し、 ウィーン市民に愛され、 ヨハン・シュトラウス一家の ワルツやポルカを指揮して、 右に出る者はないと言われた。 一九四二年に ニューイヤー・コンサートを始めたのも クラウスである。 その演奏は どちらかというと迫力に乏しく、 壁を隔てて聴くような もどかしさを感じるが、 なんともエレガントで、 上品で、 古き佳き時代のウィーンを 彷彿とさせる。

 小沢征爾氏が指揮するニューイヤー・コンサートの CDで聴くような 華やかな雰囲気こそ味わえないが、 その原点とも言うべき クラウスの至芸が、 いまでも 二枚のCDで堪能できる。

◎「シュトラウス・ファミリー・コンサート第一集」  クラウス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  ロンドン POCL-4307

◎「シュトラウス・ファミリー・コンサート第二集」  クラウス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団  ロンドン POCL-4308

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時が二人の味方かも

 Mさんは、 有名私立大学を 主席で卒業した 才媛だ。 私の職場の隣の部署で、 指導的役割を担っている。 一度 コンビを組んで仕事をしてみたいと、 私が 憧れる女性でもある。 そのMさんが、 近く結婚する。

 さて 昨年夏のことだ。 JRの駅に「距離が二人の味方かも」と書かれた 大きなポスターが貼り出された。 遠距離恋愛をテーマに、 もっと JRを利用しようと呼びかける この広告を見て、 自分の青春時代を思い出した。

 妻と私は、 東京・仙台と 遠く離れて恋愛中だった。 携帯電話もメールもない時代、 月一回上京して 一日の逢瀬を楽しむのが 精いっぱい。 仙台に戻る夜行列車で、 満ち足りた 一日の思い出に浸りながらも、 拭うことのできない しばしの別れの寂しさを、 いまでも忘れない。

「愛の挨拶」は 一八八八年、 当時 三十一歳の作曲家エドワード・エルガーが、 八歳上の キャロライン・アリス・ロバーツと婚約したとき、 愛の証として作曲し、 婚約者に贈った 珠玉の作品である。 本来 ピアノ曲だが、 管弦楽曲にも編曲された。 そして 今日では ヴァイオリン、 ヴィオラ、 チェロ、 フルートでも演奏される。

 チェロで演奏すれば、 愛するキャロラインに対する エドワードの恋心のように、 また ヴァイオリンなら 愛されるキャロラインの喜びのように聞こえる。 そして 山形由美のフルートで聴く、 美しき音色の 甘く切ないメロディーは、 三十年前、 上野発の夜汽車に揺られながら味わった、 うれしくも どこか寂しい私の気持ちを 思い返すに余りある。

 遠距離恋愛にもかかわらず 私たちが結ばれたのは、 三百五十キロという距離が 味方したのかもしれない。 そうだとしたら、 長い恋が実って 結婚にゴールインするMさんには、 九年という時間の経過が 味方をしたのだろう。

 おめでとう、 Mさん!

◎「アプリシエーション 山形由美」  山形由美(フルート) 東誠三(ピアノ)  ソニー・レコーズ SRCR 1655

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ひねもすのたりのたりかな

 北海道大学で 同位体地質学を講じるO教授は、 私の親友だ。 去年の秋 札幌を訪れたとき、 そのOに電話をかけ、 「どこかで一杯飲ませろ」と 無心をしたところ、 「いま 国際会議が開かれていて、 とてもつきあっている暇はない」と つれない返事である。 逆に誘われて、 その国際会議恒例の 研究者によるコンサートに、 顔を出す羽目となった。

 世界中から集まった 研究者が、 議論の合間に 素人の演奏会を開くという。 でも バカにしてはいけない。 札幌テレビ放送STVホールで開かれた コンサートは、 学者? それとも音楽家? と驚くほど 素人離れした演奏さえあったのである。

 フランス人と日本人研究者が共演した ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ 「春」は、 その夜の圧巻であった。 このソナタは、 まさに春を連想させる 明るい曲で有名だ。 しかし 往年の名ヴァイオリニスト、 アドルフ・ブッシュが ピアニストのルドルフ・ゼルキンと演奏した 古い録音は、 標題にとらわれず、 この曲の 真の魅力を味わうことのできる名演として 評価が高い。 ヴァイオリンとピアノの バランスもよく、 とくに ピアノが素晴らしい。 この古いレコードを CDで楽しむなら、 安価なナクソク盤がよいだろう。

 もちろん アマチュアの演奏を、 この名演に 比較するつもりはない。 女性研究者の 力強いピアノに対し、 男性研究者の ナヨナヨとまとわりつくようなヴァイオリンは、 およそ 室内楽の体をなさないものであった。 でも それが何ともユーモラスで、 春は春でも 「ひねもすのたりのたり」の感じがしたのである。 繰り返し聴いてみたいと思う点では、 ブッシュ/ゼルキンの名演に 通じるものがある。

 それにしても 当日のコンサートの聴衆のほとんどは、 外国人であった。 日本人研究者が このチャンスを捨てて ススキノ辺りで飲んでいたとしたら、 残念でならない。

◎ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第五番ほか  ブッシュ(ヴァイオリン) ゼルキン(ピアノ)  ナクソス 8・110954

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光と影の芸術

 一九七五年のことだ。 所用でイタリアに出張したあと、 数日の休暇をとって アムステルダムに立ち寄ったのは、 レンブラントの名画「夜警」を 鑑賞するためだった。

 ところが オランダに到着する数日前、 暴漢が ナイフでこの名画を切り裂くという 事件が起きた。 アムステルダム国立美術館を訪れたとき、 すでに 絵にはシートがかけられ、 目にすることができなかった。 私は ひどく落胆し、 その場にいた守衛に 愚痴を言った。

「せっかく日本から見に来たのに」

 すると彼は、

「それは何ともお気の毒なことだ。 でも 『夜警』は ただ大きいだけがとりえの絵だ。 私なら フェルメールをすすめるね。 ぜひ見ていらっしゃい」

 そこで思いがけず、 フェルメールの傑作を 心ゆくまで堪能したのである。

 ムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」は、 ラヴェルが 管弦楽用に編曲して 人気が出た。 最近 この曲を チェロとアコーディオンで演奏したCDが 発売された。

 異質の楽器の取り合わせは、 奇抜なアイデアというべきだろう。 ときには力強く、 ときには朗々とうたうチェロと、 それに付かず離れずの アコーディオンが生み出す 不思議なハーモニーが、 たまらない魅力になっている。

 あの守衛は 「フェルメールの魅力は光と影だ」と 言っていた。 まぶしいほどの光と 深みを感じさせる 影のコントラストが フェルメールの世界なら、 チェロとアコーディオンのアンサンブルは、 フェルメールの 精妙な明暗描写に似た魅力と いえるかもしれない。

 名画に 後ろ髪を引かれる思いで 美術館の出口に向かう途中、 偶然 先の守衛とすれ違った。

「どうでした、 フェルメールは?」

 と聞かれ、 私は 笑って答えた。

「はるばる来たかいがありましたよ」

◎「展覧会の絵[長谷川陽子]」  長谷川陽子(チェロ) ヴァェユリュネン(アコーディオン)  ビクター  VICC-60260

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弔    辞

 二〇〇二年 五月十九日、 私が勤務していた 学校法人十文字学園女子大学の 鈴木一雄学長が 急逝した。 享年七十九歳。 三十一日に 東京の護国寺で 大学葬が執り行われ、 私は 弔辞の中で次のように述べた。

「NHKテレビで好評の 『プロジェクトX』のシリーズの中に、 『耳を澄ませ、 赤ちゃんの声』というのがあります。 その中に 小児科医の三宅廉が 産婦人科医の椿四方介の家を訪れ、 玄関先に座って 頭を下げ、 新しい病院の設立に協力してほしいと 請う場面があります。 私には 三宅廉が、 鈴木先生と二重写しになって見えるのです。 なぜなら先生は 遠路金沢に来られ、 新しい大学の設立に 力を貸してほしいと、 私に 深々と頭をお下げになったからです」

 職場の陣頭に立って活躍した学長は、 博識と温厚な人柄で、 すべての教職員に敬愛された。 先生のためなら一肌脱ごうと、 みんなで頑張ってきた。 だから 少子化の折、 大学のトップとして 欠くことのできない人物だった。

 ところで NHK連続テレビ番組「挑戦者たち―プロジェクトX」が好評だ。 戦後の日本の栄光を支えた 無名の日本人に焦点をあてたドラマに、 多くの人が感動し、 そのため この番組は映像ソフトとなって 市販された。 「耳を澄ませ、 赤ちゃんの声/伝説のパルモア病院誕生」は、 そんなDVDの一枚である。

 三宅と椿は 助産婦の小西田鶴子と協力し、 昭和三十一年、 神戸に 産科と小児科の境界領域を扱う パルモア病院を開業した。 地位も名誉も捨て、 生まれたばかりの小さな命を守って奮闘した 彼らの活躍は、 私たちに 勇気と希望を与える。

 番組の冒頭に流れるテーマ曲「地上の星」は、 感動のドラマの始まりにふさわしい。 中島みゆきが歌うこの曲は、 エンディング・テーマ 「ヘッドライト・テールライト」とともに、 ディスクの中に 特典映像として収録されている。

◎「プロジェクトX/耳を澄ませ、 赤ちゃんの声」  NHK  NSDS-5714(DVD)

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鶴 の 恩 返 し

 前立腺癌手術のため、 東京医科歯科大学医学部附属病院に 入院していたときのことだ。 病棟から家に電話をすると、 宅配便で お見舞いの品が届いていると 妻が言う。 それが Tさんからの千羽鶴とわかって、 息をのんだ。

 Tさんは 友人のお嬢さんだ。 人工知能を専攻する大学院生で、 聡明で可憐、 とくに 笑顔に惹かれる。 その彼女が キューバ音楽を愛し、 サルサを踊ると言えば、 「あのしとやかな女性が?」と 多くの人が目を丸くする。

 ここに紹介する 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は、 Tさん愛聴のCDだ。 ロック界異端のギタリスト、 ライ・クーダーが キューバ音楽界の古老たちと制作したもので、 世界中で 百万枚以上を売上げ、 グラミー賞にも輝いた。 黄金の声の持ち主 イブライム・フェレールが歌う「カンデーラ」、 生涯現役の コンパイ・セグンド作曲の「チャン・チャン」。 自宅にピアノもなかったピアニスト、 ルベーン・ゴンザレスの演奏する「プエブロ・ヌエボ」など、 どれも キューバ音楽の楽しさを満喫させてくれる。 収録曲のいくつかはソンだが、 ソンは 第一次大戦のころキューバ全土に広まった 大衆音楽で、 サルサは その伝統を継承している。 キューバ音楽は 古くからわが国の歌謡曲にも取り入れられ、 親しまれてきた。 派手ではないが 心の底からわきあがる情熱は、 千羽鶴に託された Tさんの情熱に通じるものがある。

「一緒にサルサを踊りません?」と 元気になった私を Tさんが誘う。 彼女と 手に手をとってサルサを踊れば、 千羽鶴に対する 恩返しになるかもしれない。 その千羽鶴を 妻が書斎のカーテンレールに吊るして五年。 今も色褪せることなく、 Tさんの情熱を思い起こさせる。

◎「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」  ライ・クーダーとキューバン・ミュージシャンズ  ノンサッチ WPCR-5594

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青 春 よ 永 遠 に

 中高一貫の女子教育で知られる 東京都豊島区の 十文字学園が、 創立八十周年を迎えた。 その記念合同演奏会が 池袋の 東京芸術劇場大ホールで開催されたが、 学園のクラブ活動を中心とした 多彩なプログラムの中でも、 マンドリン部の演奏が 大変印象的だった。

 一方 創部八十周年を祝うのは、 明治大学マンドリン倶楽部である。 「青春よ永遠に」という 六枚組のCDセットは、 それを記念して発売された。 一枚目は 倶楽部の創設に力のあった 作曲家古賀政男の作品集、 二枚目から五枚目までは 四夜にわたるコンサートを想定してのプログラム。 そして六枚目が 指揮者甲斐靖文の作品集となっている。 佐藤千夜子、 藤山一郎、 淡谷のり子の歌に始まり、 歌謡曲、 民謡、 行進曲、 小学唱歌、 映画音楽など、 懐かしいメロディーが 次々に流れ、 それが マンドリンによる演奏であるだけに、 あたかも セピア色の古い写真を見るような 郷愁に誘われる。 これを聴いて、 青春よ永遠にと願う年輩の人は 多かろう。 また 明治大学マンドリン倶楽部が 日本軽音楽界の発展に果たした 功績の大きさを思うと、 このCDの発売は、 関係者にとって 何よりもうれしい贈り物に違いない。

 これに比べると、 十文字学園マンドリン部の演奏は ずっとモダンだ。 「セヴィリアの理髪師序曲」の 弾むようなテンポもさることながら、 藤掛広幸が作曲した「グランド・シャコンヌ」の、 一つひとつの変奏を 異なった色彩で演奏した 高校生Yさんの指揮は、 誠に見事であった。 十文字学園マンドリン部は 朝日新聞社賞など 数々の栄誉に輝くが、 クラブの創設に力のあった工藤哲郎教諭が マンドリン史研究家として知られると聞いて、 なるほどと 納得したのである。

◎「明治大学マンドリン倶楽部創部八十周年記念『青春よ永遠に』」  コロンビア COCW-31872ー77(六枚組)

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猫 に な り た い

 妻も私も愛犬家だ。 だから 迷い込んできた捨て犬が わが家の一員となったのは、 当然の成り行きであった。

 それからしばらくして 一匹の野良猫が仲間に加わったとき、 妻は突如 愛猫家に変身した。 食堂には大きな猫の絵が、 そして家の中には さまざまな猫の置物に 猫のカレンダー、 猫の形をした傘立て、 猫の模様のクッションなどが目白押し。 書棚には 沢山の猫の本、 トイレのタオルさえ 猫の顔が染め抜かれている。 現在 私たち夫婦は、 一匹の犬、 猫三匹との共同生活だ。

 ボストン・ポップス管弦楽団お抱えの編曲者だった ルロイ・アンダーソンは、 彼自身も 管弦楽用の小品を数多く作曲した。 「ブルー・タンゴ」 「シンコペーテッド・クロック」 「タイプライター」など 誰でも一度は耳にしたことのあるなじみの曲は、 アンダーソンが指揮する 二枚組CDで楽しむとよい。 収録されている 四十七曲すべてが、 自作自演という点で 価値がある。 また 「ラッパ吹きの休日」では コルネットの素晴らしい三重奏を、 「忘れられし夢」では、 アンダーソン自身のピアノ演奏を 聴くことができるし、 「ワルツィング・キャット」の猫が ニャーニャーとじゃれつく様子は、 わが家の光景 そのままである。 しかし ワルツを踊るこの猫は、 最後に 犬に吠えつかれて逃げまどうが、 わが家の愛犬は、 猫パンチを喰らって すっかりおとなしくなってしまった。

 朝起きると、 妻はまず猫に餌を与える。 犬も私も 朝食はしばらくお預けだ。 だから 私は猫になりたい。 犬は 腹を空かせてワンとなき、 私は 妻の顔を横目で見て、 小さな声で「ニャー」とないて 食事をおねだりするのである。

◎「ルロイ・アンダーソン・コレクション」  アンダーソン指揮  MCAクラシックス・ダブルデッカー MCAD2-9815-AーB(二枚組)

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王 子 様 が や っ て き た

 Mさんは大学時代、 馬術部で活躍した。 卒業後も 地元の乗馬倶楽部に通う毎日で忙しく、 結婚する気配がなかった。

 そんな彼女が 倶楽部のインストラクターと電撃結婚をして、 周囲を驚かせた。 新郎は 若き日の私を彷彿とさせる好男子で、 彼女がわずか三回のデートで 結婚を決意したのもうなずける。 白馬に乗った王子様は、 ギャロップでやってきたのである。

 そのMさんが、 お祝いに絵が欲しいという。 そこで 石川県白山市在住の 中堅女流画家ヒラキムツミさんに依頼し、 小さな絵を描いてもらうことになった。 金沢市内のホテルで ヒラキさんと打ち合わせたが、 席上、 ピアニストの ハスキルのことが話題になった。

 クララ・ハスキルは 一八九五年にルーマニアに生まれ、 一九六〇年にベルギーで亡くなった スイスの名女流ピアニストである。 九歳で演奏活動を始めたが、 生まれつきの病身で、 一時 闘病生活を送ったこともある。

 彼女は 古典派やロマン派の演奏を得意としたが、 小柄な体格と 筋力不足が逆に幸いしたのか、 モーツアルトのピアノ協奏曲の 繊細で、 典雅で、 洗練された演奏は、 他の追随を許さない。

さて ヒラキさんが描いたのは、 白馬の上の王子様ならぬ 木馬にまたがった可愛らしい男の子だった。 馬術が縁で結ばれた若い二人にとって、 何よりの贈り物だろう。 この絵を見て思い出したのが、 シューマンの「子供の情景」の中の 「木馬の騎士」である。

「子供の情景」は 弾いてやさしいピアノ曲集だが、 面白く聴かせるのは 容易でないという。 CDで聴くハスキルの演奏は 淡々として気品があり、 しかも 詩情豊かで、 名盤の誉れ高い。

◎「二十世紀の偉大なるピアニストたち 第四十四巻 ハスキル2」  フィリップス  PHCP20599―600(二枚組)

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甘い歌声に魅せられて

 私は カラオケが苦手だ。 歌唱力はあるのだが、 声が悪い。 理論には精通しているが、 実践が伴わないのである。 天は二物を与えずとは よくいったものだ。 そんな私でも、 職場の若い人達に誘われれば 嫌だとはいえない。 先日 久しぶりにカラオケに行ったのは、 そんな事情があってのことだ。

 可憐なことこの上なく、 お嫁さんにしたい女性ナンバーワンの Y嬢が歌ったのは、 「亜麻色の髪の乙女」であった。 彼女の甘い歌声が とても魅力的で、 少し練習すれば プロとしても通用するだろうという噂も、 あながち嘘ではない。 初めて聴くこの曲が 気に入ったのは事実だが、 島谷ひとみが歌うCDまで買い求めたのは、 Y嬢の可憐さと 甘い歌声がきっかけになったと 白状すべきだろう。

 ところで この曲は、 もともとヴィレッジ・シンガーズが歌ったものが 本歌だと聞き、 私はそのCDまで買ってしまった。 私なら オリジナル盤の 風情のある歌い方に軍配をあげる。 しかし これを弾むようなリズムに編曲したからこそ、 若い女性が 愛唱するようになったのだろう。 確かにこの曲は、 編曲によって 見違えるまでに変身した。

 さて カラオケに行ったからには、 歌わねばならぬ。 でも 私の「東京キッド」を聴いて、 若い人達は白けてしまった。 映画「東京キッド」はもちろん、 美空ひばりでさえ 彼らにはもう遠い存在なのだ。 そこで汚名返上と、 次にパフィの「これが私の生きる道」を歌った。 一同 腰をぬかさんばかりに驚き、 私は 若さを誇示して溜飲を下げた。

 でもあの時から、 Y嬢が私によそよそしくなったのは なぜだろう?

◎亜麻色の髪の乙女/島谷ひとみ  avex trax AVCD-30350

◎ヴィレッジ・シンガーズ/バラ色の雲  SMEJ MHCL 38

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早い第九と遅い第九

 年末の買い物客でにぎわう 都心のデパートで 第九が演奏されたと、 東京新聞が報じた。 ベートーヴェンの名曲が 客寄せに使われるのも、 日本ならではのことだろう。

 フィリップス社とソニーが 共同で開発したCDが 直径十二センチの光ディスクとなったのは、 ベートーヴェンの第九を 一枚に収録出来るサイズを 目安にしたからだという。 名指揮者カラヤンの提言だったというが、 本当だろうか。

 第九のCDなら フルトヴェングラー盤を 誰もが推薦するが、 全曲 一時間十五分かかる名演が 小さなディスク一枚に収録されるCDの誕生こそ、 エジソン以来の快挙であった。

 ところが 世の中にはへそ曲がりがいて、 ベンジャミン・ザンダーという指揮者は これを僅か五十八分で演奏した。 このIMPマスターズ盤CDは、 当時 世界最速の第九として話題となった。 だが これに驚いてはいけない。 このほど輸入された マキシミアノ・コブラ指揮のHODIE盤は、 全曲の演奏に なんと一時間五十分を要し、 各楽章とも ザンダー盤の 倍の時間をかけている。 したがって CDも二枚組(実際には特典盤付き四枚組)で、 これでは せっかくのカラヤンの提言も、 何にもならない。

 宅急便でこのCDが わが家に届いたのは、 大晦日。 そこで 年末ギリギリの第九鑑賞となった。 指揮者コブラの演奏は、 アマチュア・オーケストラの リハーサルのように聞こえる。 圧巻?は第四楽章で、 歓喜の合唱も ミサ曲のようだ。 げんなりした私は、 口直しならぬ耳直しに、 世界一速い第九のザンダー盤を聴いた。 そして コブラ盤に比べそのテンポのあまりのスピードに、 新年を迎える前に 目を回してしまった。

◎ベートーヴェン/交響曲第九番「合唱」  ザンダー指揮 ボストン・フィルハーモニック管弦楽団ほか  IMPマスターズ MCD40

◎ベートーヴェン/交響曲第九番「合唱」  コブラ指揮 ヨーロッパ・フィルハーモニア・ブタペスト管弦楽団ほか  HODIE(四枚組)

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わが家のお宝

 わが家からレコードプレーヤーが 姿を消して久しい。 部屋の片隅に積まれたLPは、 いま ほこりまみれだ。 その中に エネスコが演奏した バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」全曲の 箱入り三枚セットがある。

 ジョルジュ・エネスコ(一八八一―一九五五)は、 ヴァイオリニスト、 ピアニスト、 指揮者として活動し、 作曲もした。 「エネスコのバッハ解釈は、 造形性よりも 感情と精神を写し出すことに集中し、 その深みの点で、 彼を超えた人は 彼以後、 出ていない」と 高く評価される (中村稔著、 『ヴァイオリニストの系譜』、 音楽之友社)。 エネスコ演奏の バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの 古い録音が 必聴の名盤といわれるのは、 そのためだ。

 一九四九年録音のこのレコードは 七一年、 コロムビアレーベルのLPとして発売された。 八九年に フィリップス盤としてCD化されたが、 米エヴェレスト原盤のテープが行方不明となって LPから復刻されたため、 音質に問題があった。

 しかし、 その後発売されたコンチネンタル盤は 大幅に改善され、 『200CDヴァイオリン』という本 (200CDヴァイオリン編集委員会、 立風書房)の中で、 「忠実な復刻により 巨匠最晩年の『老人力』を堪能できる」と 推薦されたのは、 このコンチネンタル盤の方である。

 ところで 同じ文章の中に、 「最初に発売された 三枚組箱入りLPレコードは 骨董価値が高く、 百万円で取引されることがある」ともある。 まさかわが家のLPが?と思いながらも、 ことによると大変なお宝かも知れぬと あわてて取り出し、 ほこりを払ったのである。

◎バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲  エネスコ(ヴァイオリン)  コンチネンタル CCD104/5(二枚組)

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卒業式は威風堂々

 かつて 某国立大学の入学式で、 大学のオーケストラが演奏した曲が 当時人気の ラジオによる大学受験講座のテーマ音楽だったため、 新入生は 感激と同時に仰天したという。 演奏されたのは ブラームスの「大学祝典序曲」。 もう昔の話だ。

 金沢大学でも卒業式に、 金大生が編成するオーケストラが 生演奏して花を添えるが、 曲は 今年もエルガー作曲の「威風堂々第一番」だという。

 一八五七年、 英国に生まれたエドワード・エルガーは、 父のあとを継いで 教会オルガニストになり、 後に 作曲家として大成した。 有名なチェロ協奏曲のほか 交響曲や オラトリオなどの作品があるが、 中でも広く知られているのが 行進曲「威風堂々第一番」である。 「威風堂々」とは、 シェイクスピアの「オセロ」の中の台詞に由来する。 とくにその中間部には 国王エドワード七世の提案で歌詞が付けられ、 「希望と栄光の国」のタイトルで 独立しても歌われる。

「威風堂々―ザ・ベスト・オブ・エルガー」というCDでは、 この中間部にコーラスが入っているものと そうでないものの、 二種類の演奏を 耳にすることができる。 また エルガー自身の声と、 彼が指揮した「希望と栄光の国」の録音も収録されていて 貴重だ。 この自作自演は、 ちょっとリズミカルなところが面白い。

 有名な ヨハン・シュトラウスのワルツ「美しく青きドナウ」が オーストリアの第二の国歌なら、 「希望と栄光の国」も 第二の英国国歌と言えよう。 この勇壮な行進曲こそ、 卒業式を祝うのにふさわしい。 希望と栄光の未来へ向かって羽ばたいていく 卒業生諸君に、 心からの祝福を贈りたい。

◎「行進曲『威風堂々』ザ・ベスト・オブ・エルガー」  EMIクラシックス TOCE-55181

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国立、ウィーン、田園調布、そして金沢

「高円寺だと思って降りたら、 もう阿佐ヶ谷だったんですよ」

 JR中央線に乗って 毎日都心に通勤している友人が言った。

「最近、 どこの駅も同じになっちゃって」

 と 自分が泥酔していたことは棚に上げ、 乗り過ごしたことを JRのせいにしている。

 作家の故山口瞳が こよなく愛した東京都国立市は、 とてもお洒落な街だ。 そのシンボルとなっている国立駅舎は、 一九二六年に 箱根土地(株)が建設して 当時の鉄道省に寄贈した、 いわゆる請願駅だ。 一橋大学兼松講堂の ロマネスク様式を模したといわれるが、 お世辞にも 立派とは言えない小さな建物が どこか国立に似合って、 市内循環バスの ロゴマークにまでなっている。 この由緒ある建物が、 中央線三鷹―立川間の高架化工事によって 取り壊されようとしている。 市民は 愛着ある赤い三角屋根の駅舎の保存に狂奔するが、 市当局は そんな金はないと冷たい。

 話は変わるが、 音楽の都ウィーンのシンボルである シュテファン寺院は、 先の大戦で破壊された。 戦後再建されたが、 それは 単なる建て直しではなかった。 まず 建物を造っていた石材の中に含まれている化石を調べて その石が切り出された石切場を特定し、 その同じ石切場から 同じ大きさの石灰岩を切り出して、 建物の同じ場所に置いて 寸分違わず復元したのである。 このことからも、 市民がこの教会に抱いていた愛着は 大変なものであったことが分かる。 それは 寺院の再建であると同時に 精神の復活であり、 伝統の死守でもあった。 だからこそ、 この教会は ウィーンの街の景観によく似合う。

 先日 久しぶりに田園調布を訪れたのだが、 東急東横線ホームの地下化によって、 駅が すっかり様変わりしているのに 驚いてしまった。 しかし 駅前の小さなロータリーに 旧駅舎が モニュメントのように残されていて、 それが 新駅舎と不思議にマッチしている。 聞けば 旧駅舎は 住民の要望と運動によって 再建されたという。 その際 忠実に復元された建物に 旧駅舎の材料が活用されるなど、 ウィーンのシュテファン寺院の復元に 通じるところがある。 日本でもそんなことがあったのかと驚きながら、 では 国立駅の将来はと考える。

 日本の経済の先行きに 赤信号が灯るとき、 それでも 北陸新幹線は 十年もすれば開通するだろう。 それを前提に建設が進んでいる 金沢の新駅舎は、 有楽町の東京国際フォーラムに似た 総ガラス張りで、 隣接する県立音楽堂が貧相に見えるほど 壮観だ。

 ところで 少し年配の人なら、 誰でも鉄道唱歌を知っている。 全部で五集あり、 誰もが口ずさむ「汽笛一声新橋を」は、 第一集東海道編の冒頭部分だ。 ここに紹介するCDでは、 その第一集と 関西・参宮・南海編の第五集が唄われている。 東海道編だけでも 新橋から神戸まで 全六十六節あり、 これを聴くだけで 三十分近くかかるから大変だ。

 それでは 同じ鉄道唱歌でも、 第四集が北陸編であることを ご存知だろうか。 このCDに収録されていないのが なんとも残念なのだが、 上野から米原まで全七十二節。 その中の五十六節から五十九節にかけて、 金沢ステーション、 兼六園、 第九師団、 県庁、 そして九谷焼が歌われる。 私が 今でもわずかに記憶している 終戦直後の金沢駅は、 鉄道唱歌で歌われていたころと 大差なかったに違いない。

 それに比べて いま建設中の金沢駅は、 あれは一体何だろう。 最近の駅舎が どこも同じように見える時、 金沢駅だけは特色ある建物を!との意欲には 敬意を表したい。 しかし いくらユニークな駅舎を作っても、 それが 町の伝統的雰囲気をぶち壊しては なにもならない。 市民は 「なにやら郷土玩具の獅子頭みたいだ」と 当惑気味だ。 観光客も 北陸の玄関口で肝を潰し、 兼六園も観ずに 帰ってしまうかも知れぬ。 それでも オンボロ駅舎一つ残すことも叶わぬ国立市民にとっては、 羨ましい話に違いない。

 誰もが一度は国立に住んでみたいと言う。 そんな町の魅力を守ってきた 住民の努力と実績は無視できない。 一方 この町の性格を育てたのは、 ここを訪れる人たちだったとの指摘もある。 一橋大学の学生たちや 彼らを教えた教授たちの、 この町に対する愛着が 大きく寄与したことも また事実だろう。

 もちろん 国立駅が新しくなれば嬉しい。 駅舎に隣接する 南口トイレのお粗末さは いまや国宝級だが、 だからといって それまで残せとは言わない。 しかし 何でも新しければよいというものではない。 電車が停まって、 客が乗り降りできれば それでこと足れりというものでもあるまい。

 国立駅から まっすぐにのびる大学通りは、 日本有数の 美しい道路といわれる。 春にサクラが咲き、 秋には銀杏が黄色の葉を散らす。 また夏の夜、 この大通りを下って振り返り、 遙か突き当たりに、 ライトアップされた 小さな国立駅舎の三角屋根を観る。 その光景もまた美しい。 由緒ある建物が姿を消し、 かわりに ベルリンの壁のような新駅舎が立ちはだかる夜景を想像しただけで、 おぞましくなる。

 友人が 高円寺かと思って降りたら、 もう国立だったなどと言うことにならないように 願いたいものだ。

◎「鉄道唱歌 東海道編/関西・参宮・南海編」  ダークダックスほか  キング KICS 2293

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教養とは何か

シャボン玉を吹く猫の図

 北朝鮮から 三十九年ぶりに故郷の石川県に帰ってきた 寺越武志氏の写真が、 二〇〇二年末、 『週刊新潮』のグラビア頁を飾った。 一週間後の同誌に 山本夏彦氏がこれを取り上げ、 室生犀星の詩をそのグラビアのタイトルに引用した 出版社の見識をたたえた。 辛口のコラムニスト山本氏は その直後に癌で亡くなり、 この文章が絶筆となった。

 ところで 同じ年の三月末、 私は 職場の役職を退いた。 秘書としてそんな私を 一生懸命支えてくれた左也香ちゃんは、 若くて 現代的なお嬢さんだ。 勤めのかたわら ホームヘルパーの資格を取得する 頑張り屋さんでもある。

 ヒット曲「小さな恋の歌」が好きになったのは、 左也香ちゃんの推薦による。 歌っているモンゴル800を、 モンパチと言うことも教えてくれた。 そんな彼女に ボロディン作曲「弦楽四重奏曲第二番」のCDをプレゼントしたのだが、 「聞いたら眠っちゃいました」と笑う。

 ボロディンはこの曲を、 結婚二十周年を祝って 妻のエカテリーナに贈った。 第三楽章は 「夜想曲」の名で独立して演奏されることも多く、 某放送番組のテーマ音楽として使われたこともある。 CDで楽しむなら、 この曲をトレードマークにする ボロディン弦楽四重奏団の演奏した ロンドン盤がおすすめだ。

 山本夏彦氏の絶筆が、 改めて教養とは何かを 私に考えさせる。 モンパチばかりでなく 様々なジャンルの音楽に精通するのも、 これまた見識であろう。

 私は ボロディンのこの曲が大好きだ。 左也香ちゃんもいずれ恋をして、 このロマンの香りあふれる名曲に 耳を傾ける時が来るだろう。

◎「ボロディン作品集」  ボロディン弦楽四重奏団ほか  ロンドン POCL-4425/6(二枚組)

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CDを聴いて涙

 平安女流文学の権威、 十文字学園女子大学 鈴木一雄前学長は、 金沢大学初代文学部長だった。 また 金沢大学の 総合移転実施特別委員会委員長を兼務し、 キャンパスの角間移転に貢献したが、 定年を待たずに 明治大学へ移られた。 先生は 移転に反対する教養部教官の対応に苦慮され、 それが金沢大学を去る原因となったと 指摘する人もいる。

 鈴木先生の業績の中でも、 NHKラジオ第二の「古典購読」で担当された 「源氏物語」は、 特筆すべきものだ。 一九八五年から実に九年余り、 四百七十二回にわたり 五十四帖全文を講義された。 NHKのディレクターであった浅野孝夫氏は、 「古典がいかに楽しいものであるか、 また 日本語がどんなに美しいものであるかを教えられた」と 当時を懐かしむ。

 この放送は、 二百四十六本のカセットテープよりなる「全講源氏物語」 全八集として市販されたが、 現在では ソニー・ミュージックハウスの「CDクラブ」が、 同じNHKの音源を使って 一部をCD化し、 「桐壺」 「雨夜の品定め(帚木)」 「夕顔」 「末摘花・紅葉賀」 「葵」 そして「賢木」などを、 会員を対象に販売している。

 幅広い学識と高潔な人格で 職場の誰からも愛された先生は、 悲しいことに 二〇〇二年に急逝された。 設立間もない小さな女子大学の将来にとって、 これほど大きな損失はない。

 私は 短い期間ではあったが、 先生のもとで仕事をした。 そして 人生の最後に 先生のような素晴らしい人と巡り会えたことを 嬉しく、 また誇りに思う。

 先生の一周忌を迎えるにあたり、 机の上の 小さなCDプレーヤーから流れる先生の講義に耳を傾けながら、 あふれる涙を止めることができない。

◎「源氏物語ー桐壺」  講師・鈴木一雄/朗読・白坂道子  ANY FZCZ 41045―6(二枚組)など

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白装束もびっくり

 都心に近い某大学の教壇に立つ 鎌田恒夫教授は、 東北大学卒の農学博士だ。 農学博士というと いかにも田舎の博士という感じだが、 本人は 「バイオですよ、 バイオ!」と胸を張る。 朴訥な人柄と 国際的な研究活動は、 同じ東北大学出身のノーベル賞受賞者と 一脈通じるところがある。 「先生、 格好いい!」と 学生に言われてその気になり、 白衣を着て講義をするところ、 これまた 鎌田教授の面目躍如たるものがある。

 一方 同志社大学の林田明教授は、 地磁気を研究する理学博士だ。 林田教授によると、 いま北を指す磁石も そのうちに南を指すようになるかも知れないと言って 私を驚かす。 そこで逆に 「電磁気ポルカ」という曲をご存知ですか?と聞くと、 「エッ?」と言って、 今度は林田教授が驚く番だ。

 一八二〇年、 デンマークのエルステッドが 電流の磁気作用を発見し、 その三年後、 イギリスのスタージャンが 電磁石を作った。 時は産業革命の頃、 ヨハン・シュトラウス二世は この科学的快挙を記念して、 「電磁気ポルカ」を作曲した。 この曲は 一八五二年、 技術者の団体が ウィーンで主催した舞踏会で初演され、 ウィーン大学工学部学生に 献呈された。

 電気とか磁気とかいうものは われわれ素人にはよく分からない。 しかし 以前世間を騒がせた、 あの電磁波汚染の調査・研究を行う白衣の集団パナウェーブ研究所の人たちが この曲を聴いたら、 それこそ 卒倒するのではなかろうか。 ちょっと素敵なこの曲は、 マルコ・ポーロ盤ヨハン・シュトラウス二世大全集で 耳にすることができる。

 ところでこのごろ、 鎌田教授は元気がない。 白衣を着て教壇に立つ先生を、 学生たちが陰で「パナウェーブのおじさん」と 言っているらしいのである。

◎「ヨハン・シュトラウス二世大全集 第十九巻」  マルコ・ポーロ 8・223219

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妻とのデートが贈り物

 五年ほど前のことだ。

「こうでもしないと、 チャンスがないでしょうから」と書かれた手紙と一緒に 封筒の中から出てきたのは、 ディズニーランドの入場券が二枚。 「奥様とご一緒に」の メッセージも添えられて......。

 若い頃は仕事一筋で 娘たちに冷たかった私が、 やっと余裕もできて いざディズニーランドに誘うと、 成人した彼女らは 「何を今更!」とにべもない。 そんな私に同情した職場の女性からの贈り物が、 この入場券だった。 しかし 私はその直後に癌で入院、 手術後も長期の自宅療養。 そして一年近くたって 入場券の有効期限も迫った初夏の日、 やっと ディズニーランドでの妻とのデートが実現した。

 子供の頃のお化け屋敷の夢が叶った「ホーンテッドマンション」、 三百六十度に展開する迫力ある映像の「ビジョナリアム」。 「スペース・マウンテン」では闇の中での逆落としに、 私は 悲鳴を上げて妻にしがみついた。 そして圧巻は何といっても、 夕闇迫る頃のイベント「エレクトリカルパレード・ドリームライツ」。 ディズニーのテーマミュージックにのって進む光のパレードに、 妻とともに われを忘れてはしゃぎまわった。

 ところで その心躍る音楽はCDになって市販されており、 これを聴いて 多くの子供たちが、 素敵な夏の夜を思い出したに違いない。

 それから二年後の春、 入場券の送り主である坂野恵美子さんは、 サクラの花が散るように 職場を去った。 そして 今年もまた夏が来て、 このCDを聴くと、 彼女のやさしい心遣いと 童心にかえって妻と過ごした ディズニーランドの一日を思い出す。

◎「東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツ」  ウォルト・ディズニー・レコーズ AVCW-12236

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戦場のピアニスト

「老人割引で観てきたのよ」と言われ、 「エッ、 もうそんなお年ですか?」と驚くふりをするのも、 女性に対する礼節というものだろう。 フランス文学者のM女史が観た映画は、 三部門でアカデミー賞を受賞して評判となった 「戦場のピアニスト」である。

 この映画の主人公ウワディスワフ・シュピルマンは、 一九一一年に ポーランドで生まれた 実在のピアニスト兼作曲家である。 ドイツ軍占領下のワルシャワで 奇跡的な生還をとげたが、 彼が記した回想録は 一級のドキュメントとして出版され、 邦訳(『戦場のピアニスト』、 佐藤泰一訳、 春秋社)もある。 同じような経験を持つ映画監督ロマン・ポランスキーが これを忠実に映画化し、 戦争とホロコーストを扱った 話題作となった。

 戦後シュピルマンは 活発な演奏活動を行い、 一九六四年には来日もしている。 しかし すでに他界して、 その名を知る人は少ない。 そんな彼が演奏した十曲の古い録音がCD化されたのも、 この映画がきっかけだろう。

 その映画の中で、 シュピルマンが ナチス将校の前で ショパンのバラード第一番を弾く 感動的なシーンがあるが、 実際に演奏したのは ノクターン第二十番(遺作)であったという。 この夜想曲は映画の中で 需要なモチーフとして使われており、 CDには 新旧二つの録音が収録されている。

 彼の命を救ったナチス将校ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉とのエピソードが 救いとなっているとはいえ、 その大尉も 不幸な最期をとげた。

 M女史と違って若さを誇る私は、 この映画を正規料金の指定席で観た。 そしていまこのCDに耳を傾け、 イラク戦争の後遺症を思って 心が重い。

◎「シュピルマン : オリジナル・レコーディング」  ソニークラシカル SICC 109

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誰のために死ぬのか

 二〇〇三年八月三日付 東京新聞の「新聞を読んで」欄で、 劇作家の渡辺えり子氏は、 イラク特措法にふれて 「自衛隊員は一体何のために出かけるのか?」と問い、 一方 七月二十九日の朝日新聞は、 特攻の悲劇を描いた ドラマCD「月光の夏」の発売を報じた。

 第二次大戦末期、 出撃を翌日にひかえた特攻隊員が 鳥栖小学校(佐賀県)を訪れ、 この世の別れにと、 学校のピアノで ベートーヴェンの「月光ソナタ」を演奏した。 この実話をもとに 脚本家の毛利恒之氏が 小説『月光の夏』を執筆(講談社文庫)、 これが映画化されて評判となった。 それから十年たち、 今回 二枚組のドラマCDに衣替えして発売されたが、 橋爪功や 日色ともゑらが演じるドラマに、 「愛する者を守るために」 と言って死んだ 若き特攻隊員の心情がしのばれる。

 このCDの余白には、 ほかでもない あのとき特攻隊員が弾いた ドイツのプッヘル製ピアノを用いて、 ピアニスト重松聰氏が演奏した「月光ソナタ」全曲が 収録されている。 これを聴くと、 あたかもあの特攻隊員が弾いているように思われ、 あらためて いまの日本の繁栄が、 彼らの犠牲の上に成り立っていると 思わずにはいられない。

 ところで 元金沢大学法学部長岩佐幹三氏の写真が、 八月四日付朝日新聞の紙面を飾った。 氏は 原爆症認定を求める集団訴訟運動の 先頭に立つ。 十六歳のとき、 広島の原爆で母と妹を失ったのが、 運動の原点だという。 「家族を守るために、 兵隊になって死ぬつもりだった。 でも自分の家族を失って、 戦争自体が間違いだとはっきりわかった」と 語る氏の言葉に、 説得力がある。

◎「感動のドラマCD『月光の夏』 ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第十四番『月光』」  アットマーク AECC-1003ー1004(二枚組)

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東京交響楽団定期演奏会

 東京交響楽団 第五百五回定期演奏会の曲目は、 ブラームスのピアノ協奏曲第二番と ベートーヴェンの交響曲第七番。 指揮者はユベール・スダーン、 ピアノはゲルハルト・オピッツ。 私は 当日のプログラムに短いエッセイを書かせてもらったのが縁で、 サントリーホールで開催されたこの演奏会を楽しんだ。

 このうち ブラームスの協奏曲は 異例の四楽章構成で、 ピアノと管弦楽が渾然一体となった 交響曲のような作品である。 ブラームス特有の渋さに加えて、 ある種の明るさも感じられるのは、 二度にわたる 作曲者のイタリア旅行の影響だといわれる。

 ここに推薦する ナイ/コンヴィチュニー盤CDは 一九五五年のライブ録音で、 一度 イタリアのメロドラム・レーベルで 市場に出たことがある。 しかし 音質に問題があったため 今回大幅に改善され、 ヴァイトブリック・レーベルとして 再発売された。

 このCDでピアノを弾くエリー・ナイ(一八八二―一九六八)は、 ドイツの代表的女流ピアニストで、 力強く情感にあふれた演奏に特徴がある。 彼女がブラームスを得意としていただけに、 このCDは価値がある。

「聴衆に向かって演奏すると、 音楽を聴くこと以上に伝わるものがあります。 だから客はコンサートにくる。 家でくつろぎながらレコードを聴くのとは大違いです」 と言ったのは、 名ピアニストのアルトゥール・ルービンスタインである。 その言葉のように 当夜の定期演奏会の聴衆は、 演奏者とのふれあいを通して、 どんな名盤CDでも味わうことのできない、 生きた音楽を楽しんだのである。

◎ブラームス/ピアノ協奏曲第二番  ナイ(ピアノ) コンヴィチュニー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団  ヴァイトブリック WWCT-7001

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スプーンの思い出

 以前、 金沢市武蔵が辻の近くに、 「天文学者になればよかった」という名の喫茶店があった。 母娘が経営するこの小さな店に いつも大学生がたむろしていたのは、 娘さんの由佳さんが 彼らのアイドルであったからに違いない。 もちろん 私にとっても憧れの女性であったが、 年齢差もあって相手にされず、 むしろ お店で出される洒落たスプーンが気に入って、 いつかこれをネコババしようと、 その方策ばかり考えていた。

 この喫茶店の長くて奇妙な名前は、 さだまさしのヒット曲に由来する。 当時私は、 さだまさしなる歌手を知らず、 「『さだまさし』って何だ?」と聞いたばかりに、 その後 若い女性から相手にされなくなった 苦い経験がある。 それに懲りてそれ以降、 さだまさしの歌は何でも聴いた。 「精霊流し」や 「秋桜」も悪くないが、 とりわけ「縁切寺」が大好きだ。 鎌倉にあるその東慶寺は、 歌の雰囲気とはおよそ縁遠い殺風景な寺だが、 歌われた男の心情には、 なぜか共感を覚える。

 さだまさしも年をとり、 数々のヒット曲も すでに懐メロの仲間入りだ。 でも 手元にある一枚のCD「帰郷」は 私にとっていまでも愛聴盤で、 ときどき耳を傾け、 口ずさむ。

 ところで あの小さな喫茶店は、 由佳さんの結婚を機に店をたたんだ。 閉店の日に 由佳さんから記念に手渡された小さな紙包みの中にあのスプーンを発見し、 私の悪だくみが とうの昔にお見通しだったことを悟ったのである。

 このスプーンは いまも食卓にあり、 コーヒーを飲むたびに、 あの喫茶店で過ごしたひとときを なつかしく思い出す。

◎「帰郷」 さだまさし  フリーフライトレコード 32FX-17

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こうもりの変種・珍種

 私が学生時代を過ごしたころも、 ウィーンでは大晦日の夜、 市内の二つのオペラハウスで 同時にヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」を上演するのが 恒例となっていた。 かたやシュトルツ、 他方パウリークが指揮していたのを思い出す。 「ねぇ、 観るならどっち?」と尋ねると、 「シュトルツはもう年だからね」と批判しながらも、 この老大家に対する ウィーン子の親愛の情は深い。

「こうもり」全曲は、 ザイドラー=ヴィンクラーの指揮で、 なんと 一九〇七年に初録音された。 これを復刻したプライサー盤では 一枚に収録できず、 序曲がカットされている。 でもウィング盤ではその序曲が 同じ指揮者によるベートーヴェンの第九史上初録音復刻盤に 別途収録されていて、 そちらも買わないと 全曲盤にならない。 でも二枚買って、 第九のおまけがつくと考えれば 安いものだ。

「こうもり」には 面白いCDが多い。 パール・レーベルで復刻された ヴァイゲルト指揮の短縮版は、 そのとき 録音されなかった序曲を、 後に名歌手タウバーの指揮で 追加録音した珍盤。 ロスバウト指揮のコッホ盤は、 一九三六年のラジオ放送を収録したもの。 ヴンダーリッヒの美声が堪能できるガーラ盤の序曲は、 たった十八秒のさわりだけ。

 しかし 何といっても、 この作品は舞台を観てこそ楽しい。 そこで ノイエンフェルス演出のDVDはどうだろう。 日活ロマンポルノも顔負けの 過激な演出に、 純情うぶな私は 思わず顔を手で覆ってしまった。 そして 指の隙間から密かに画面を盗み見して、 これこそ 一見の価値あるDVDだと 合点したのである。

◎ヨハン・シュトラウス二世/喜歌劇「こうもり」(ノイエンフェルス演出版)  ミンコフスキ指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団ほか アルトハウス・ムジーク 100341(DVD)

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名演奏は体力勝負

 森田信一氏は以前、 埼玉県下の 小さな私立の女子大学で、 コンピュータ・ミュージックを講じていた。 講義内容の面白さと 飄々たる風貌で、 学生たちに大変人気があった。

 氏はまた、 現代日本を代表する作曲家の一人でもある。 彼の作品「BEAT」は 作曲家協議会により秀作として選ばれ、 NHKの電波に乗って 全国に紹介された。 一方 最近の話題作が、 「第七回日本現代音楽展」というタイトルのCDに収録されている。 曲は「ジャンプ」。 無伴奏のクラリネットソロだ。

 この曲は 懐かしい「春の小川」のメロディーで始まる。 「なんだ、 盗作じゃないか!」と思うと、 さにあらず。 やがてメロディーもテンポも一変し、 しかも突然奏者が クラリネットを吹きながら、 舞台の上を右へ左へと走り始める。 もちろんCDだから その姿は見えないが、 靴音とともに それがステレオ効果で 手に取るようにわかるのが面白い。

 当然奏者は次第に疲労し、 いまやゼーゼーと息絶えんばかり。 しかも クラリネットを口から離さないところが、 日清戦争にまつわる 木口小平の美談にも似て、 これが曲の聴かせどころだ。 もしDVDで 奏者の苦悶の表情を見ることができれば、 その迫力はいかばかりだろう。

 曲はやがて 「春の小川」のメロディーを再現し、 消え入るように終わる。 奏者はもう失神寸前である。 これを名曲、 命を賭けた名演奏と言わずして、 何と言おう。

 森田信一氏は、 その才能を評価されて栄転。 現在は 富山大学人間発達科学部教授として、 講義内容の面白さと 飄々たる風貌で、 学生たちに大変人気があるという。

◎「第七回日本現代音楽展」  大森達郎(クラリネット)ほか  JILA JILA-1427

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北陸に花開く

 先日 二人の女子大生を連れて、 東京都府中市にある 多磨霊園に行った。 すぐ見つかると思って探した 新渡戸稲造の墓がなかなか見つからず、 「ありましたよ」と言われて やっとその前に立ったときには、 もう日が暮れて、 あたりは真っ暗になっていた。

 ところで 金沢市にある 北陸婦人問題研究所の梶井幸代所長は 『女は三度の老いをみる』(労働旬報社)という本の中で、 東京女子大学の 初代学長だった新渡戸が、 新入生に贈った 次のような言葉を紹介している。

「人の命令に従うだけの女性ばかりでは、 将来諸君に婦人参政権が与えられたときに、 日本はあぶなくなる」

 その言葉通り、 新渡戸は 自分で考えて行動する女性の育成に尽力した。

 梶井所長はまた、 ラジオから流れる ハイドンのオラトリオ「天地創造」を聴いて、 涙を流したと書いている。 この曲は ミルトンの「失楽園」を題材に、 天地創造と アダムとイヴの物語を音楽にしたものだ。 大変美しい曲で、 とくにヘルムート・コッホが指揮した ドイツシャルプラッテン盤CDは、 その魅力を表現して過不足ない。 青春の思い出としてこの曲をあげる 梶井所長の教養には感嘆するが、 同時に 無力な自分に絶望して涙した心情にも、 強い共感を覚える。

 新渡戸の考えは、 市川房枝や奥むめおに受け継がれ、 そしていま 梶井所長の力で 北陸に花開きつつある。

 暗闇の中、 墓の前で手を合わせる二人の女子大生に、 新渡戸が 「教養と見識をもった女性になって、 卒業しなさい」 と語りかけているように、 フト私には思えたのである。

◎ハイドン/オラトリオ「天地創造」  コッホ指揮 ベルリン放送交響楽団・合唱団ほか  ドイツシャルプラッテン TKCC-15159(二枚組)

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オンリーワン

 二〇〇四年三月末に、 勤務先を退職した。 仕事一筋に四十年。 振り返ってああすればよかった、 こうすればよかったと思うことばかりである。

 私は中学生のころ、 ホフマンの『黄金宝壷』(石川道雄訳、 岩波文庫)を読んで、 その魅力のとりこになった。 これを原文で読んでみたいと 某私立大学の独文科を受験し、 合格したものの、 同時に受かった国立大学に入って、 文学とは正反対の道に進んだ。 有名大学の名にひかれての決断が、 その後の人生に 大きな禍根を残すことになった。

 ところで 東京大学の高橋伸夫教授は、 著書『虚妄の成果主義』(日経BP社)で 日本型年功制の復活を説く。 また 二〇〇四年一月十六日付の読売新聞「論点」で 経済評論家の内橋克人氏も、 多くの企業が 成果主義賃金の導入に踏み切ったことで、 「努力しても報われない大多数の勤労者が、 『会社』への強い心理的・物理的離反を貫くことで 自己防衛するだろう」と 警鐘を鳴らす。

 一方 それに先立つ十二日付の朝日新聞は、 社説「世界に一つだけの花」で 「いい学校を出ても、 いい会社に入っても、 少しも安心ではなくなった」と書き、 だから「ナンバーワンでなくてもいい。 オンリーワンがいい。 ヒット曲のように、 一人ひとりが 世界に一つだけの花なのだから」 と結んでいる。

 前回のNHK紅白歌合戦で、 SMAPの「世界に一つだけの花」が 最後を飾った。 朝日新聞のこの社説は 「二十歳の君に」との副題を付け、 成人式を迎えた若者にエールをおくる。 ナンバーワンになれなかった私は CDでこの曲を聴きながら、 「僕ら人間は、 どうしてこうもくらべたがる?」と 口ずさむ。

◎「世界に一つだけの花」  SMAP ビクター VICL-35477

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金沢蓄音器館に行こう

 古都の面影を色濃く残す金沢の一郭に、 金沢蓄音器館がある。 市内でレコード店を経営していた 故八日市屋浩志氏が、 三十年余りにわたって収集した 五百四十台の蓄音器と SPレコード二万枚を 市に寄贈して誕生した。

 まず エレベーターで三階に上がり、 順次階下へと見て歩く。 小さいけれど瀟洒な建物の内部は 渋い色調で統一され、 レトロの蓄音機展示場にふさわしい。

 二階で折から、 SPレコードによる 蓄音機聴き比べの実演があった。 係の女性が 「ご年配の方には懐かしい『一杯のコーヒーから』をおかけします」と言い、 私の方を見て微笑んだのは なぜだろう。 可憐な若い女性に 「ご年配」と言われれば悲しいが、 霧島昇とデュエットで歌うミス・コロムビアが、 名ソプラノ松原操であることを知るのは、 その場の客で 私だけだったに違いない。

 それにしても 蓄音機の音には色気がある。 そんな音色を 家庭で聴いてみたいというなら、 「栄光の蓄音機」という 二枚組のCDが最適だ。 エジソンの円筒型蓄音機から、 当時家が一軒買えると言われたほど高価だった ビクターのクレデンザまで、 三十二種類の蓄音機の音を さまざまなSP盤を使って再生し、 CD化したものだ。

 金沢蓄音器館は、 古都の新名所にふさわしい。 入場料は三百円。 蓄音機で育った高齢者には、 料金割引の特典もある。 でも私は正規料金で入場した。 なぜなら老人扱いされるのは、 若さを誇る 私のプライドが許さなかったからだ。

 早いもので、 この新名所の生みの親、 八日市屋浩志氏が亡くなって 三年になる。

◎「オーディオの原点・栄光の蓄音機」  ビクター  VICG-40078ー79(二枚組)

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お嬢ちゃん、がんばれ!

 友人の運転する車に乗って JR秋田駅脇の遮断機が下りた踏切で待っていた私は、 走ってきた列車を見て 思わず叫んだ。 「な、 なんだ、 あれは」。 一頭のカモシカもまた 列車に並んで走ってきたのである。

 こんなにのんびりした秋田に住む友人には 何の苦労もないだろうと思うのだが、 そうでもないらしい。 「このごろ娘が お稽古に行きたがらないのですよ」。 ピアノを習っているお嬢ちゃんが、 いま壁にぶつかっているようなのだ。

 ここに紹介するCD「象さんの子守歌」は、 NHKテレビ「ピアノのおけいこ」の先生として知られた 故井上直幸氏が、 死の一ヶ月前に録音したものだ。 初心者向きのやさしい曲が、 ピアノを習う子供たちに 語りかけるように弾かれている。

 井上氏はまた 著書「ピアノ奏法」(春秋社)の中に、 なによりも弾くことが楽しいと感じられることが 大切だと書いた。 事実 このCDの解説書に掲載されている 身振りを交えて教える井上氏の写真に、 楽しいお稽古の雰囲気が感じられる。

 全国のあちこちに コンサートホールが作られ、 一方地方でも ピアノを習う子供たちが多い。 しかし ホールは開店休業、 多くの家で弾かれなくなったピアノが 埃まみれだ。 だからこそ 音楽愛好家の底辺を広げるためにも 「お嬢ちゃん、 がんばれ!」と応援し、 各地で活躍する ピアノの先生の指導にも期待したい。

 先日 再び秋田に旅をした。 田沢湖に近い刺巻駅に臨時停車した 新幹線「こまち」の窓の外に、 私を見つめる一匹のカモシカを発見し、 私は呟いた。

「やっぱり秋田だ!」

◎「象さんの子守歌」  井上直幸(ピアノ)  カメラータ CMCD-25010

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伴奏者ではなく ピアニスト

 先日、 上野公園にある 旧東京音楽学校奏楽堂で開かれた 「ヘレン・ヨーク・レクチャーコンサート」は、 四人の歌手による歌曲やアリアを ヘレン・ヨーク女史がその場で批評するという、 風変わりな音楽会だった。

 ピアニスト兼声楽教師として 世界を舞台に活躍するヨーク女史は、 神戸女学院や武庫川女子大で 教壇に立ったこともある。 彼女は 歌うときの姿勢や発声法、 歌詞を理解するための外国語の習得の必要性にふれ、 歌の内容をドラマとして からだ全体で表現するよう、 若い声楽家たちに 厳しい注文をつけた。 伴奏者にも、 ただピアノを弾くだけでなく、 歌手とのアンサンブルを通して曲を理解し、 ともに音楽を作り上げるべきだと説く。

 そこで思い出したのが、 シューベルト作曲「影法師」の 古いビクター盤SPレコードだ。 ピアニストのアルトゥール・シュナーベルが伴奏し、 歌手としても一世を風靡した 妻のテレーゼが歌っているものだ。 和音だけを奏でる単調なピアノ伴奏なのに、 シュナーベルの手にかかると、 不気味にして恐ろしい詩の世界が鮮やかに甦る。 これほど伴奏者の存在感を示した演奏も 珍しい。 この古い録音は、 CD時代の幕開けにいち早くアラベスク盤としてCD化されたが、 とうの昔に廃盤になってしまった。

「伴奏者は単なる伴奏者ではありません。 ピアニストなのです」と ヨーク女史は主張する。 往年のバリトン歌手パンゼラが、 コルトーのピアノ伴奏で録音した シューマン作曲「詩人の恋」の古いレコードが いまだに高く評価されるのも、 ピアニストの存在感あってのことだろう。

◎「シューベルトとシュナーベル 第四巻」  テレーゼ(コントラルト) アルトゥール(ピアノ)・シュナーベルほか  アラベスク Z6574

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少  子  化

 Y君から、 可愛らしい赤ちゃんの写真で飾られた 暑中見舞状が届いた。 なかなか子宝に恵まれなかったのだが、 この春やっと コウノトリが男の子を運んできたのだ。 そこで思い出したのが、 管弦楽組曲「乳母車の冒険」だ。

 一八七六年にアメリカのイリノイ州に生まれた J・A・カーペンターは、 会社の副社長でありながら 作曲家としても成功した。 代表作「乳母車の冒険」は 幼児の目に映った世界を音楽で描いたもので、 六つの小曲からなる。 その一部は終戦直後、 NHKラジオの連続報道番組のテーマ音楽として 使われたことがある。

 ところでいま、 少子化問題が深刻だ。 私も現状を憂えるが、 「子供を産むという全く個人的な問題が、 どうして社会問題になるのか」と 池田晶子に開き直られると (「人間自身」、 週刊新潮)、 その通りだとは思いながらも 当惑してしまう。

 結婚しても子供を作らない夫婦もいるし、 逆に 欲しくても子に恵まれないケースも多い。 加えて 『負け犬の遠吠え』という本(酒井順子著、 講談社)が ベストセラーになるように、 結婚しない男女も増えた。 これでは 少子化に歯止めがかかるわけがない。

 昔は 路地裏を子供たちが走り回っていた。 いまはそのカゲさえ見ない。 「乳母車の冒険」は 昭和の初めにレコードとして発売されたが、 いまこの曲のCDを 見つけるのさえむずかしいのも、 なにやら象徴的だ。

「いつか私の子供を抱っこしてもらいたいから、 長生きして!」と、 私にエールを送る 知り合いの女性も独身。 「早く結婚しないと間に合わないよ」と 嫌みを言うのも、 池田晶子によれば、 少子化より先に憂えるべき 私の老醜なのだろう。

◎カーペンター/乳母車の冒険ほか  ハンソン指揮 イーストマン=ロチェスター管弦楽団  マーキュリー PHCP-10331

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「音樂會」という名の音楽会

 声楽家の高橋恵美子氏は、 某女子短大で 音楽を教えていた。 あねご肌で明るく、 情熱的な性格が 学生たちに愛され、 彼女が 定年で退職してからの短大は、 火が消えたようだという。

 一方 ご子息の敦氏は、 アマチュアのオーケストラ、 ジャパン・フレンドシップ・フィルハーモニックを指揮して、 「音樂會」という名の定期演奏会を開く。 隠れファンが多く、 毎回大変な盛況だ。

 ところで 二十世紀を代表する オランダの大指揮者ウィレム・メンゲルベルクは、 リヒャルト・シュトラウスから 交響詩「英雄の生涯」を献呈された。 メンゲルベルクはこの曲を得意とし、 一九二八年にいち早く録音。 これは 作曲者による自作自演レコードに続くもので、 彼がニューヨーク・フィルを指揮した 記念すべき名盤である。 最近 CDとして復活した。

 メンゲルベルクといえば、 D・ウルドリッジの『名指揮者たち』(小林利之訳、 東京創元社)に、 「英雄の生涯」をリハーサルする、 この大指揮者の様子が 詳細に描かれている。 この文章から 指揮者が楽団に何を求め、 それがどのように実現されたかがわかって、 とても面白い。

 さて 二〇〇四年八月八日に 東京・池袋の芸術劇場で開催された「音樂會」で、 高橋敦氏が「英雄の生涯」を指揮した。 彼の熱狂的サポーターである私は、 一度この曲を 彼の指揮で聴いてみたいと思っていた。 その期待に違わぬ白熱の演奏は、 CDでは決して味わえぬ、 凄まじい迫力であった。 母親譲りの情熱と才能は、 もっともっと評価されてよい。

◎R・シュトラウス/英雄の生涯  メンゲルベルク指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック  RCA BVCC-38244

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文豪の秘めたる才能

 ウィーン大学に留学していた 四十年前の話だ。

 ある日の夜遅く、 寮仲間のリッペル君に 無理矢理連れて行かれたのが、 近くの教会だった。

 定期試験に不合格になった彼は、 明日再試験を受けるという。 でも合格の見込みはなく、 あとは神頼みだ。 後生だから一緒に祈ってくれと、 ムシのいい願いである。 残念ながら 敬虔な仏教徒の願いを イエス様が聞き入れるわけもなく、 ましてそれで安心した彼が、 そのあと 私を近くの酒場に誘ったものだから、 当然 翌日の再試験も不合格になってしまったわけで、 これを 天罰と言わずして何と言おう。

 そんな彼に招かれ、 ケルンテン州にある彼の実家で 数日を過ごしたことがある。 その家の 立派なグランドピアノにも驚いたが、 その前に座って ショパンのワルツを弾く彼の腕前に、 息をのんだ。 大学では落ちこぼれの彼ではあるが、 地元の名士の家に育ち、 それなりの教育を受けていたのである。

 最近話題の 「トルストイのワルツ」というCDは、 ロシアが生んだ作家や画家たちが作曲した ピアノ曲や歌曲を紹介したものだ。 中でも あのトルストイが作ったワルツは、 とても魅力的だ。 文豪のこんな秘めたる作曲の才能も、 良家のたしなみとして 幼時に培われたものだろう。 そこで思い出したのが、 愛すべき友人リッペル君のことである。

 ところで、 このCDで演奏する 若い女流ピアニスト、 レーラ・アウエルバッハも作曲家、 詩人、 画家として活躍し、 ノーベル文学賞候補にも ノミネートされたという。 また オーケストラ・アンサンブル金沢と 少なからぬ縁があるとも聞いた。

◎「トルストイのワルツーロシア文豪の音楽ー」  アウエルバッハ(ピアノ)ほか  たまゆら KKCC3007

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やはり楽しいグリム童話

 ある年の正月三が日、 児童福祉施設に収容されている 三歳の女の子を わが家で預かったことがあった。 この子は 新年を両親と迎えることができず、 その複雑な家庭事情を考えると、 胸が痛む。 ちょうどその頃、 親の虐待で餓死寸前だった中学生が 救出されたというニュースも報道された。 近頃の日本は どうなってしまったのだろう。

 ところで グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」は、 継母によって森に捨てられた 小さな兄妹の物語だ。 魔女をかまどで焼き殺す恐ろしい場面も出てきて、 子供に読み聞かせるには いささか過激な内容だが、 これを ドイツの作曲家エンゲルベルト・フンパーディンクがオペラにした。 彼は 私淑するワーグナーの神話劇の手法を使い、 その一方で ドイツ民謡を取り入れながら 子供でも楽しめる物語にアレンジし、 ほのぼのとした メルヘン調の作品に仕立てている。

 ここに紹介するのは、 チューリヒの歌劇場で上演された このオペラの映像ソフトだ。 舞台装置や衣装を 絵本作家として有名なモーリス・センダックが担当していることもあって、 画面がとても美しい。 以前 『本当は恐ろしいグリム童話』(桐生操著、 KKベストセラーズ)という本が 話題になったが、 このDVDによって 「やはり楽しいグリム童話」を堪能できる。

 そもそもこのオペラは、 フンパーディンクが 妹の依頼で作曲し、 それを クリスマスプレゼントとして自分の婚約者に贈ったものだ。 クリスマスに多く上演されるのは、 そのためだという。

 その後 新年を迎えるたびに、 今年こそ 両親と一緒に楽しい正月を過ごしているだろうと、 可愛いあの子を思い出す。

◎フンパーディンク/歌劇「ヘンゼルとグレーテル」  TDK TDBA-0033(DVD)

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入院して聴いたハイドン

 夏のはじめ、 街を歩いていて 最初の発作が起きた。 しかし すぐに回復して事なきを得た。

 二回目の発作は半月後、 妻と 山形県の名勝山寺を訪れたときだ。 立石寺奥の院まで石段を上ったところで 左半身が麻痺して歩けなくなり、 呂律も回らなくなった。 幸い 一時間ほどで小康を得、 妻の手にすがるようにして 下山したときには、 もう元気になっていた。

 無事に帰京した直後に、 自宅で三回目の発作に見舞われ、 緊急入院となった。 一過性脳虚血発作との診断だった。

 入院直後にも発作を起こした。 病室に駆けつけた看護師に 「ハイ、 私の手をしっかり握って!」と言われ、 久しぶりに若い女性の手を握ったものだから すっかり興奮し、 それが 病状をさらに悪化させる結果となった。

 日本中がアテネ五輪でわきかえっているとき、 私は 病院のベッドでふてくされていた。 でもCDウォークマンで、 二十二枚のCDに収められた ハイドンの弦楽四重奏曲全曲を 心ゆくまで聴くことができたのは、 病に倒れたおかげだろう。

「ひばり」とか 「皇帝」のような馴染みの曲はもとより、 他の曲も 大なり小なり魅力的だ。 とくに 作品九の四の冒頭のエキゾチックな旋律が、 忘れ難い印象を残す。

 同じ弦楽四重奏曲でも、 ベートーヴェンの名曲を病床で聴けば、 その深刻さに 治る病気もかえって悪くなりそうだ。 でも ハイドンのそれはどれも明るく 楽天的で、 早期回復への夢を抱かせる。

 退院して元気を取り戻したいま、 ハイドンの音楽の魅力を再発見した入院も、 そんなに悪いものじゃなかったと思うのである。

◎ハイドン/弦楽四重奏曲全集 エオリアン弦楽四重奏団  ロンドン 455 261-2(二十二枚組)

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ホッ、ホッ、ホッ! ハッ、ハッ、ハッ!

 駅前の本屋が、 店の外に台を出して 輸入CDを売っていた。 そのうちの一枚を ラジカセを使って 大音量で鳴らしていたのは、 宣伝のためだろう。 「ウッ、 ハッ、 ウッ、 ハッ」と始まり 「ホッ、 ホッ、 ホッ! ハッ、 ハッ、 ハッ!」と続く、 とても威勢のいい曲だ。 聞いた途端に欲しくなり、 「いま流しているの、 ちょうだい」と言って買い求めたのが 「七十年代ディスコ・ヒッツ・グラフィティ」というCDだった。

 そもそも「ディスコ」という言葉は、 フランス語の「ディスコテーク」に由来する。 当初は レコードをかけて踊る ダンスホールのことだったが、 やがて そこで流れるダンス音楽も、 そのように呼ぶようになった。 このCDに収録されているのは、 いずれも昔流行した そんなディスコ・ミュージックで、 お目当ての曲のタイトルは、 「ジンギスカン」だった。

 ところで 収録曲の歌詞が 粗末な紙のジャケットに印刷されている。 しかしどれも外国語で、 日本語の解説は一切ない。 しかも「ジンギスカン」の歌詞は、 英語ではないらしい。 「これは何語?」と仲間に聞くと、 「ドイツ語じゃない?」と 頼りない返事だ。 「どういう意味?」と聞いたって、 そんな調子だからわかる訳がない。 それではあの 「ホッ、 ホッ、 ホッ! ハッ、 ハッ、 ハッ!」 というかけ声は、 そもそも何なのだ?

 仕方がないので、 私は あらためて国内盤CDの「ジンギスカン」を 買い求めることにした。 そうすれば 歌詞の日本語訳も手に入るに違いない。 でも レコード店のどのコーナーを探せば、 それが見つかるのだろう。 この方面に疎い私は またも途方に暮れ、 恥ずかしながら 親友の音楽家に聞いてみた。 ところが彼の返事も 「DJ、 ヒップホップ、 ハウス、 テクノかなぁ。 それともユーロビートのコーナーにあるかもしれない」と 専門家にしてはまるで頼りなく、 さっぱり要領を得ない。 仕方がないので 私はレコード店に行き、 恥を覚悟で 可憐な女性店員に尋ねてみた。

「すみません、 『ジンギスカン』という曲があるって聞いたんだけど、 どこに売っていますか? なにしろ孫に頼まれちゃってね」

 嘘も方便とは良く言ったものだ。 娘と言わずに孫と言ったところが、 私の良心というものだ。 女性店員は 軽蔑したような微笑みをたたえて 私を案内したところに、 「ジンギスカン・グレイテスト・ヒッツ」というCDがあった。 私は 買いたくもないバッハのカンタータのCDを 同時に買い求め、 たとえ ディスコには無知の老人でも、 クラシック音楽では博学であることを その女性店員に誇示して、 かろうじて面目を保ったのである。

 さて 有り難いことに、 添付の歌詞カードに邦訳がついていた。 それを読むと ジンギスカンは鍋料理ではなく、 何と驚いたことに あの英雄ジンギスカンのことではないか! だから歌詞の内容も、 勇壮なことこの上ない。

 まず冒頭に 砂塵を巻き上げて馬が走るとある。 数千人の従者を従えて 先頭を行くのは、 我らがジンギスカンだ。 だからこの曲は 「ウッ、 ハッ、 ウッ、 ハッ」と始まるのだ。 次は酒だ。 ウォッカを酌み交わして大騒ぎだ。 それから踊りだ。 だからみんな大喜びして 「ホッ、 ホッ、 ホッ! ハッ、 ハッ、 ハッ!」となるのは、 自然の理なのだ。 そうなれば続いて 女性が登場するに決まっている。 ジンギスカンを愛さなかった女性はいないのだ。 そして たったの一晩で 何と七人の子供を作ったとくると、 そこで再び 「ホッ、 ホッ、 ホッ! ハッ、 ハッ、 ハッ!」となるのは、 これまた当たり前なのだ。

 そもそもこの曲は、 西ドイツに誕生した音楽グループ 「ジンギスカン」のデビュー曲だったという。 一九七〇年代末期に、 ヨーロッパはもちろん 世界中に大ヒットしたディスコミュージックで、 オリジナルの歌詞はドイツ語だが、 英語、 中国語、 そして何と 日本語のバージョンもあるらしい。 キャンプファイヤーなどの 野外のイベントに使われたり、 サッカーの国際親善試合に流されたり、 さらに驚いたことには、 幼稚園や保育園における 遊戯や運動会でも この曲が用いられると聞いた。 少子化対策のコマーシャル・ソングならともかく、 その R指定的内容の歌詞を考えると、 幼児教育に利用するのは いかがなものだろう。

 ところで 話はがらりと変わるが、 団塊の世代の高齢化に伴い、 二〇〇七年以降の日本社会は、 六十歳以上の高齢者人口が急増すると言う。 私も その一翼を担う年齢が祟って、 昨年は脳梗塞で 危なくお陀仏になるところだった。 病院の担当医は、 「運動不足が何よりも悪い。 ダンベル運動をしなさい」と勧める。 そこでさっそく 妻の買ってきたダンベルでやってみたが、 長続きしない。

 そんな時フト思いついたのが 「ジンギスカン」である。 聞いただけで体がウキウキする。 ウキウキするなら 両手にダンベルを持って、 ディスコダンスをすればよい。 そこでまず 「ジンギスカン」のCDを 大音量で鳴らした。 体がウキウキし、 私はダンベルを両手に握りしめた。 立ち上がってステップを踏み、 「ウッ、 ハッ、 ウッ、 ハッ」と ダンベルを振り回した。 「ホッ、 ホッ、 ホッ! ハッ、 ハッ、 ハッ!」で 調子は最高潮に達し、 私は ドイツ語ならぬ日本語で、 声高らかに歌った。

「あいつは子供を作ったぞ!  たった一夜で七人も!」

 これで精力倍増、 若返らぬはずはなかったのだ。 しかし 私はいささか調子に乗りすぎたに違いない。 「ホッ、 ホッ、 ホッ! ハッ、 ハッ、 ハッ!」と 両手のダンベルを高々と捧げた途端、 グニッと 腰に激痛がはしったのである。

◎「七十年代ディスコ・ヒット・グラフィティ/ハロー・ミスター・モンキー」  ジャパン・ジャズクラブ EGR 4006

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「パルドン」と頭を下げて

本を咥える犬の図

 二〇〇四年の暮れ、 東京・小石川のトッパンホールで、 ダウランドの リュートソング・コンサートを楽しんだ。 演奏は メゾ・ソプラノ波多野睦美と リュートのつのだたかしの両氏。

 ジョン・ダウランドは、 シェイクスピアと同時代に活躍した イギリスのリュート奏者兼作曲家。 八十を超すリュート歌曲は、 珠玉の作品ぞろいである。

「流れよ、 わが涙」は 当夜のコンサートの圧巻であったばかりか、 ダウランドの代表作だ。 「彼の金髪を」は エリザベス女王(一世)の御前で歌われたと伝えられ、 「時が立ち止まり」は その女王への讃歌とされる。 ユーモラスで軽快な曲「ご婦人方小間物はいかが」は、 わが国でもよく歌われる。

 波多野さんの歌声は 透明にして清澄。 それを支える リュートの控えめな響きが心地よく、 気持ちが洗われる思いがする。 まるで 四百年前にタイムスリップしたようだった。

 折から この二人が演奏したダウランドの作品集 「優しい森よ」が、 パルドン・レーベルのCDで発売された。 今回のコンサートは、 その発売に合わせたものだろう。 演奏会のプログラムに載った歌曲の多くが、 このCDに収録されている。 だから その夜の聴衆がこれを聴けば 深い感動の再体験になるし、 この素敵なコンサートを知らなかった 不運な音楽ファンには、 ダウランドの魅力を知る良いチャンスになる。

 あちこちの関係者に頭を下げ、 やっと発足したレーベルなので、 その名を「パルドン」としたと聞いた。 その真偽のほどはともかく、 パルドン・レーベルが、 いま注目されている。

◎「優しい森よ」  波多野睦美(メゾ・ソプラノ) つのだたかし(リュート)  パルドン TH5840

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城址に昔の面影なく

 ここに取り上げるのは、 四季折々の金沢の名所を 岩城宏之指揮、 オーケストラ・アンサンブル金沢が演奏する音楽にのせて紹介する 映像ソフトだ。 ナレーションは一切なく、 画面の説明は 簡単なサブタイトルだけ。 だから 美しい風景と音楽を 存分に楽しむことができる。

 三十年前、 赴任のため 私たち家族が金沢の地を踏んだとき、 金沢城の桜は満開だった。 このDVDは、 そんな春爛漫の 石川門の風景から始まる。

 当時はまだ 城内に金沢大学があり、 そこで学んだK君は、 この冒頭のシーンに 入学式を思い出すという。 また 講義の合間に散策した兼六園の冬景色は、 映像で観るより ずっと雪が多かったとも語る。

 そういえば、 あのころは雪がよく降った。 ゼミで白熱の議論が収まらず、 教授を先頭に 雪の中を近くのおでん屋に行って さらに議論を続けたというのも、 城内にキャンパスがあったからだろう。

 ところで 東京都内を走る電車内に、 「丸ごと四年、 都心で学ぼう」という 某私立大学の広告を見た。 郊外に移転した大学は、 いま続々と都心に戻りつつある。 アルバイトやデート、 買い物に便利なのが、 学生には魅力なのだろう。

 そんな風潮のなか、 四高以来の市民との強い絆を考えると、 金沢大学こそ 学舎は街の中心にあってほしかった。 でも K君の母校は山間部に移り、 DVDに観る城内には、 もう昔の面影はない。

 昨年の秋は、 人里にクマが出没した。 可愛い後輩たちが その餌食にならねばと、 首都圏で働くK君は そればかり心配していた。 クマはいま雪の下で眠るが、 石川門が桜で彩られる春は、 間もなくだろう。

◎「金沢の四季彩景」  岩城宏之指揮 オーケストラ・アンサンブル金沢  ヤマチク PIBB-7001(DVD)

90

発音練習はオ・ソレ・ミオ

 友人と 南イタリアのカラブリア地方で 野外作業に従事したのは、 四十年前のことだ。 サンタ・マリア・ディ・カタンツァーロの町で 大勢の住人に取り囲まれてしまったのは、 友人が あまりにもみすぼらしい恰好をしていたからだろう。 人々は私たちを乞食と哀れんで、 親切にも お金を恵んでくれたのである。

英語とドイツ語には不自由しない私も、 イタリア語はからきし駄目だ。 可愛い女の子に声をかけられ、 「今晩」 という単語だけは理解したが、 多分彼女は「今晩お暇?」と 私をデートに誘ったに相違なく、 千載一遇のチャンスを逃したのは 誠に残念なことであった。

そこで夢よもう一度と、 七十歳近くになって イタリア語の勉強を始めた。 書店で見つけたやさしい入門書は、 「オ・ソレ・ミオ」と 発音するところから始まる。

 さて イタリアのボンジョヴァンニ・レーベルのCD 「オ・ソレ・ミオ」は、 この有名なナポリ民謡を 往年の名歌手 二十四人が唄ったものだ。 最も古い アンセルミのフォノティピア盤にはじまり、 キープラ、 ジーリ、 スキーパ、 ポンセルなどが唄った さまざまなSPレコードが復刻されている。 なかでも素晴らしいのは、 やはり何といっても カルーソーのH・M・V盤だ。

 なにしろ 二十四人の先生が「オ・ソレ・ミオ」と唄うのだから、 発音練習にはもってこいだ。 「お暇」という言い回しは、 NHKのラジオ講座で修得した。 あとはイタリアに行って 若い女性に「オ・ソレ・ミオ(わが太陽)!」と叫べばよい。 そしてどうなるかは、 私の年齢を 彼女たちがどう評価するかだろう。

◎二十四人の名歌手による「オ・ソレ・ミオ」  ボンジョヴァンニ  GB 1155-2

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大学で出会ったモーゼ

 上り東北新幹線の車中で、 若い女性と隣り合わせになった。 出張から帰る 大手の商社員と自己紹介され、 話がはずんだ。

 彼女は大学在学中に、 ある教授の講義を聴き、 突然自分の進む道が 目の前に開けたと言う。 「その先生との出逢いがなければ、 今ごろフリーターになっていたに違いありません」と笑う。

 ヘンデルのオラトリオに、 旧約聖書の「出エジプト記」や 「詩篇」をもとに作曲された 「エジプトのイスラエル人」という作品がある。 これを聴くには、 少なくとも 阿刀田高の『旧約聖書を知っていますか』(新潮文庫)に書かれた程度の 知識が必要だ。 さらに 聖書をひもときながら耳を傾けると、 モーゼが神から与えられた超能力を 次々に発揮する部分が、 巧みな描写音楽になっていることに気がつく。 中でも 「過越しの祭」の由来となった 長子殺戮の場面の合唱は迫力満点。 そして 第二部「モーゼの歌」最後の、 ソプラノ独唱に始まる合唱は 感動的だ。

 列車は大宮駅に近づき、 私は下車するために席を立った。 終点の東京駅まで行くという女性に 別れの言葉を述べ、 「良い先生に巡り会って、 幸運でしたね」と付け加えると、 彼女は微笑んで答えた。 「そう、 あの先生は私にとってモーゼだったのです」。

「紅海は主に叱咤されて干上がり」と オラトリオは歌うが、 モーゼに導かれて 無事に海を渡ったイスラエル人にとって、 その後も長い苦難の放浪が続く。 車中の女性の将来もまた同じだろう。

 自分の進路を見出せない若者が多いいま、 そんな教授には希少価値がある。 大学でモーゼに巡り会うのも、 至難のことだ。

◎ヘンデル/オラトリオ「エジプトのイスラエル人」全曲ほか ガーディナー指揮 モンテヴェルディ管弦楽団・合唱団 エラート 0927

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両替してよかった

 街を歩いていて、 お腹がすいた。 そこで 立ち食い蕎麦でもと思ったら、 小銭がない。 両替をしようと入ったのが 輸入レコード店だった。 CDを一枚買えば 一万円札が適当な小銭になるだろうと考えたのだが、 そんなときに限って なかなか気に入ったCDが見つからない。 ふと棚の隅に 「フェインベルグ」というタイトルのCDを見つけた。 どうやら 古いピアノ演奏の復刻盤らしい。 仕方なくそれを手に、 レジに並んだ。

 ところでこの冬、 珍しく風邪をひいて 勤めを休んだ。 病床で音楽でもと、 書斎をゴソゴソやった結果出てきたCDに、 見覚えがあった。 半年ほど前、 両替のために買ったもので、 見ると まだ封も切っていない。 退屈しのぎにと、 ベッド脇のCDラジカセにこれをセットした。

 まず 「半音階的幻想曲とフーガ」を皮切りに、 バッハの作品が数曲、 続いて ベートーヴェンの「熱情ソナタ」に シューマンとリスト。 自作自演をはさんで 最後にロシアの近代作曲家の小品と続く。

 添付の英文解説書に、 サムイル・フェインベルグ(一八九〇ー一九六二)は ロシアのピアニスト兼作曲家とあり、 このCDは 一九二九年に 彼がポリドール盤に残した初録音から、 一九四八年までの 古いレコードを復刻したものらしい。

 演奏は バッハが素晴らしい。 さらさらと流れるごとく、 しかも自由奔放。 やさしい語り口の裏に 高揚する情熱も見事だ。 こんなピアニストがいたことを知ったのも、 あの時両替したお陰だろう。 熱にうなされたように 私は繰り返しこれを聴いた。 もちろん 私の風邪はかなり重症で、 三十八度に近い熱にうなされて聴いたのだが。

◎「フェインベルグ」  バッハ/半音階的幻想曲とフーガほか  フェインベルグ(ピアノ)  ARBITER 118

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大学教授に免許状

「研究はしなくてもよいから、 学生が喜ぶ講義を!」

 K教授は、 自分の勤務する大学の学長にそう言われたといって 慨嘆する。

 彼も私も、 研究第一主義を標榜する 同じ大学で学んだ。 そこでは すぐれた研究業績が反映されてこそ、 理想的な大学教育が可能だと考えられていた。

 イェネー・フバイ(一八五八―一九三七)は、 ハンガリーが生んだ大ヴァイオリニストである。 彼はまた名教師として 多くの後継者を育てた。 マーガレット・キャンベルが 著書『名ヴァイオリニストたち』(岡部宏之訳、 東京創元社)の中に 「偉大な教師たち」という一章を設け、 ヴィルヘルミ、 アウアー、 シェフチク、 フレッシュとともに フバイについて論じているのは、 そのためである。

 ここに紹介する二枚組CDは、 本命盤のキャッスルマンが演奏する 「ツァルダの風景」より、 フバイの自作自演と 彼の弟子たちが演奏した特典盤の方に魅力がある。 フバイの教え子として名をなしたヴェセイ、 テルマニー、 シゲティはもちろん、 ダラニーや ソロウェイらの演奏も収録されていて壮観だ。 超絶技巧で世を驚かしたヴェセイを育てる一方で、 バッハや 現代曲の解釈で高く評価されたシゲティを育てたのも、 フバイの教育者としての すぐれた力量であろう。

 大学における 魅力的な講義とは何だろう。 素晴らしい研究成果に裏打ちされた内容の講義だと、 私はいまでも考える。 そんな講義をする教授に、 その上 タレントのような面白さを期待するのは、 無い物ねだりというものだ。 しかしいま 大学教授は研究を放り出し、 授業内容や 教育方法の改善・向上を目的とした取り組み、 いわゆる FD活動(ファカルティ・ディベロップメント)に夢中になり、 また学生による授業評価や ゼミ生の人数、 そして就職率に一喜一憂している。

 フバイは後継者のほかに、 第一級のオーケストラ・ヴァイオリニストを 数多く育てた。 大学も 自分の後継者を育てるとともに、 次の世代を担う 多くの人材を育成する義務がある。 しかし 大学が大衆化した今日では、 学生定員確保のために、 教授には 研究業績より上手な教え方が求められるという。 それでもよいというのなら、 大学教授にも 教員免許状取得を義務づけるべきだろう。

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ソレル神父のファンダンゴ

ピアニストのチアーニ、 ヴァイオリニストのレビン、 ホルン奏者のD・ブレイン、 そして指揮者のカンテッリなど、 将来を期待されながら 若くして世を去った演奏家は多い。

一九五一年生まれのアメリカのチェンバロ奏者 スコット・ロスも、 わずか三十八歳で鬼籍に入った。 国際コンクールに優勝して注目され、 フランスを中心に演奏活動をしながら ラモー、 クープランなどの作品を録音したが、 とくに スカルラッティのソナタ全曲録音は、 録音史上の金字塔とされる。 でも この記念すべき三十四枚組CDセットを買おうとするなら、 相当 ふくらんだ財布を持って 出かける必要がある。

それなら 七枚組の「スコット・ロスの神髄」というセットはどうだろう。 タイトルの通り、 これだけで ロスの素晴らしい演奏を満喫できる。

ところで この中の一枚は、 ソレルの作品を集めたものだ。 アントニオ・ソレル神父は 十八世紀にスペインが生んだ鍵盤音楽の作曲家で、 冒頭に収録されている「ファンダンゴ」は代表作だ。 ある種の変奏曲だが、 執拗に繰り返される伴奏にのって 主旋律が上がったり下がったり、 その繰り返しが 不思議な印象を与える。 ちなみにファンダンゴとは スペイン、 アンダルシア地方の舞曲のことで、 ロスの演奏は 複雑な構成を持つこの曲の魅力を引き出した 優れたものだ。

一方 この曲をピアノで演奏したCD(ARTS盤)もある。 こちらはチェンバロと違って 楽器の多彩な表現能力を駆使した ソフトタッチの演奏で、 ソレルが ロマン派音楽の先駆者であることを実感させる。 これまた 出色のCDといえるだろう。

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何のためのワイングラス

 三十年目の結婚記念日に、 洒落たワイングラスを求めた。 しかし 妻は無駄な買い物だと言い、 いまだに昔のロマンを夢見ている私に 呆れ顔だ。 その日の夕食がシジミ汁で、 何を思ったか 妻がシジミの殻を一つ、 そのワイングラスの中に投げ込んだ。 チンと音がして、 妻はこう呟いたのである。

「アラ、 いい音ね」

 ところで 北陸婦人問題研究所の梶井幸代所長は、 地方における 女性の地位向上に貢献したとして、 二〇〇一年、 山本有三記念郷土文化賞を授与された。 受賞式に参列した妻宛に、 後日 所長より届いたお礼状の最後に、 夫君の重雄氏が学生時代、 当時 恋人の幸代さんに贈った恋歌が書き添えられているのをみて 私は感激した。

 幸代さんは戦時中、 学問の道を捨てて、 北陸能登の神官の家に嫁いだ。 そんな幸代さんの 戦後の社会活動を支えたのは、 歌人として大成した 夫君の重雄氏であった。 幸代さんはお礼状に かつて自分に贈られた恋歌を書き添えて、 夫君の愛情に応えたのだろう。

 一方 私ども夫婦は、 自由に学問のできる平和な時代に恋愛し、 結ばれた。 しかし その後の人生は山あり谷ありだった。 そんなわれわれ夫婦にとって、 梶井ご夫妻の生き方に教えられるところが多かった。 そして あれから三十年たった記念日の晩餐が ワインではなく、 なんとシジミ汁だったことに、 ふと 平凡な結婚生活の中の 大きな幸せを感じたのである。

 ガブリエル・マリーの作った愛らしい曲 「金婚式」は、 いまでは滅多に聴くことがない。 CDを探して、 やっと イヴリー・ギトリスが弾いた ヴァイオリン小品集の中にこの曲を見つけ、 久しぶりに耳にして懐かしい。

 結婚三十年は 真珠婚として祝われる。 夫婦揃って金婚式を迎えるのは、 まだまだ先のことだ。

◎「ヴァイオリン名曲ア・ラ・カルト」  ギトリス(ヴァイオリン) 練木繁夫(ピアノ)  イースト・ワールド TOCE-3365

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葬送行進曲と妹の死

 ハロルド・C・ションバーグは 名著『ピアノ音楽の巨匠たち』(中河原理・矢島繁良共訳、 芸術現代社)の中で、 「彼がどうして有名になったかは謎として残る」 と書いている。 その彼とは パハマンのことだ。

 十九世紀末から二十世紀初頭に活躍した ロシアのピアニスト、 ウラディミール・ド・パハマンは、 繊細なタッチと 音色の美しさで、 当時 ショパンを弾かせたら 並ぶものがないと絶賛された。 しかしションバーグは、 その名声の大部分が 彼の奇行に由来すると批判し、 その奇行のいくつかを紹介している。

 パハマンの演奏についてあらえびす氏は、 著書『名曲決定盤』(中央公論社)の中で 「晩年は甚だよくなかった」と書いているから、 彼の真価を知るには、 二枚のARBITER盤による復刻が良いだろう。 一九〇七年の 古い録音や、 世界で数枚(四枚?)しか残されていないという ショパンの「舟歌」の稀少盤も 収録されている。

 ところで 私がまだ小さかったころのことだ。 家でたまたま パハマンが弾く ショパンの「葬送行進曲」の古いレコードを聴いていたときに、 電話が鳴った。 入院中の妹が 危篤になったとの病院からの連絡だった。 すぐに病院に駆けつけたが、 間もなく妹は 敗血症で息を引き取った。 あらえびす氏は 「パハマンの演奏したショパンの『葬送行進曲』のレコードには、 不吉な美しさがある。 あのレコードをかけると、 何んか変ったことがある」と書いている。

 ここに紹介したCDには、 喋ってから弾いたり、 弾きながら喋ったりする パハマンの奇行の一端がうかがえる演奏がある。 またあらえびす氏が 稀有の名盤として推奨するが、 私にとっては悲しい思い出の ショパンの「葬送行進曲」の古いレコードも 復刻されている。

◎「パハマン―神話のピアニスト」  パハマン(ピアノ)  ARBITER 129

◎「パハマンの真髄」  パハマン(ピアノ)  ARBITER 141

102

中央線は一直線

「上水道」というテーマで卒業論文を書いているという 近所の女子大生が、 こう言った。

「昔、 玉川上水に舟を浮かべて、 都心に荷物を運んでいたそうですよ。 玉川上水って、 飲み水だったんでしょ。 汚いなぁ」

 たしかに 「上水道不潔ニ至リ」との理由で その後 舟による運送を禁止し、 甲武鉄道が敷かれることとなった。 当初は 甲州街道沿いに建設される予定であったが、 街道沿線の住民から 蒸気機関車の火の粉で茅葺き屋根が燃えると反対され、 それなら 人の住んでいない雑木林の中をと、 東中野から立川迄定規で エイヤッと一直線に線を引き、 そこが鉄路になったという。 これがJR中央線の始まりで、 一八八九年のことだ。

 東京を中心に首都圏で発売されている情報誌「散歩の達人」は、 二〇〇五年一月号で 「中央線マニアックス」という特集を組んだ。 その中で、 「中央線音楽発展史」という 見開き二頁の記事を掲載している。

 なるほど 吉祥寺の「ぐゎらん堂」で 武蔵野タンポポ団が結成され、 歌手の中山ラビは 国分寺で喫茶店「ほんやら洞」を経営。 高円寺のイベントスペースや 荻窪のカフェ、 西荻窪の立ち飲み酒場からも歌手が育ち、 小金井の都立武蔵野公園で開催される「はらっぱ祭」には、 多数のバンドが参加する。 さらに 中央線沿線にはライブハウスも多い。 こうして生まれた音楽を 中央線音楽というのだろう。

 また 「散歩の達人」誌は 一月号の発売にあわせ、 ビクターエンタテインメントの企画で 「散歩の達人Presents中央線ソングス」というCDを世に出した。 だから そのCDが本屋のレジの脇に積んであったとしても 不思議ではない。 私は 馴染みの書店でそれを見つけ、 衝動買いしてしまった。

「中央線のようにまっすぐな歌ばかり」 とのキャッチフレーズのもとに収録された十八曲のうち、 武蔵のタンポポ団の「もしも」、 バンバンバザールの「新宿駅で待ってた」、 そして 吾妻光良らの「ほんじゃね」が悪くない。 若い頃 高円寺の住人だったよしだたくろうは、 「高円寺」を歌う。 ほかに「吉祥寺」や 「国分寺」、 そして最後に 「中央線」というタイトルの歌で締めくくるとあれば、 まさに中央線オンパレードだ。 中でも特筆すべきは 「ああ中央線よ空を飛んで、 あの娘の胸に突き刺され」と 友部正人が歌う「一本道」で、 これは 一度聴いたら忘れられない印象を残す。 しかしどの曲も、 どこか本能的に受け入れ難い ある種の暗さがつきまとう。 これが中央線ソングスの特徴だろうか。

 ところで 長く三鷹に住み、 地域で中心的役割を果たした フォーク歌手高田渡も、 このCDで 「日曜日」を歌っている。 その彼の急逝を、 二〇〇五年四月十六日付新聞各紙が 大きく報じた。 享年五十六歳。 公演先の北海道釧路市での、 あまりにも早すぎる死であった。

 最近、 路上演奏する男性デュオの傍らを、 「歌詞がサイテーね」と話しながら 女性が通り過ぎるテレビコマーシャルが話題になった。 そのセカハンも国分寺出身。 JR立川駅前でストリートライブを続けていた。 中央線沿線には 高田渡のあとを継ぐ、 そんな若いミュージシャンを育てる土壌が、 まだまだあるのだろう。

◎「散歩の達人Presents中央線ソングス」  ビクター VICL-1560

105

英語を学ぶとバカになる?

 英国で活躍する 若い日本人実業家の講演を聴いた。 これからは、 英語で授業を行う 中高一貫教育が必要だという話だった。

 傾聴に値する講演ではあったが、 いやしくも 自分の国の教育を、 外国語で行う先進大国があるだろうか。 もしそれが エリート育成のためだとしても、 そのようにして育てられた人間が、 わが国の指導的地位に就くのはいかがなものだろう。 もちろん 英語は身につけた方が良い。 不自由なく英文を読む能力だけでも、 多種多様な情報を入手する武器となる。

 さて ここに紹介するのは、 リストのハンガリー狂詩曲全十九曲を 十九人の名ピアニストが演奏したCDだ。 モイセイヴィッチ(二番)、 レヴィッキー(六番)、 コルトー(十一番)、 ソロモン(十五番)、 シフラ(十六番)、 そして ニレジハージの超弩級怪演(三番)など、 歴史的名盤や 最近のライブ録音の中から選ばれている。 そして 添付されているリーフレットに、 これらピアニストの選択に当っての レコード制作者の考えが書かれていて、 これが滅法面白い。 ただし 輸入盤のために文章は英語だから、 これを自在に読む能力があってこそ、 このCDが企画された意図がわかるというものだ。

 ところで 最近の国内盤CDに添付された解説書に、 日本語が拙劣で、 何が書いてあるのか分からないものがある。 それなのにいま 小学校からの英語教育の必要性が叫ばれ、 日本国中、 英語、 英語の大合唱だ。 それに対して批判的な意見も多く、 「英語を学ぶとバカになる」という本まで書店に並ぶ。

 それこそバカの一つ覚えのように郵政民営化を唱える小泉首相に、 「もっと先にやることがあるでしょう」と言いたくなる。 それと同様 英語教育の前にまず必要なのは、 しっかりした日本語教育なのではなかろうか。

◎リスト/ハンガリー狂詩曲全曲―十九人の名ピアニストによる演奏―  VAIオーディオ  VAIA/IPA 1066-2(二枚組)

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いつか来た道

 東京駅のステーションギャラリーで、 全国戦没画学生の作品展、 「無言館/遺された絵画展」を観た。 戦場から無事に戻って 絵を描き続けたいと願いながらも戦死した 若き画学生たちの作品の前に立ち、 彼らの心情を思って声もでない。

 ところで 名ピアニスト、 ワルター・ギーゼキングにとって、 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第五番「皇帝」は 重要なレパートリーだった。 それだからこそ 彼は名指揮者ブルーノ・ワルターと 一九三四年に いち早くこの曲を録音したが、 この古いコロムビア盤SPレコード (アンダンテ盤などで復刻CD化)は、 ピアニストと指揮者の相性の悪さで 発売当時から評判が悪かった。

 ギーゼキングは その後も指揮者カラヤンやガリエラとこの曲を録音したが、 ここに紹介するのは、 アルトゥール・ローターの指揮で 一九五四年に録音したものだ。 これは レコード史上記念すべき最初のステレオ録音と伝えられ、 それだけに 音質は格段に良く、 ギーゼキングの演奏の特徴である 弱音の美しさが堪能できる。 また 第一楽章のカデンツァの途中で かすかに聴き取れるスタジオ外の対空砲火の轟は、 この録音が 第二次世界大戦末期の 臨戦態勢下で行われたことの証となっている。

 ところで 二〇〇五年二月十二日に、 日本ペンクラブが 緊急集会「戦争と平和を考える」を開催した。 その席上 作家の阿刀田高氏から 「平和憲法は、 命を捨てても守っていいほどの価値がある」との発言があったと、 二月十五日付東京新聞は伝えている。

 北朝鮮はもとより、 中国、 そして韓国との関係悪化で 改憲論が強まるいま、 無言館の絵に対峙し、 名演奏に重なる砲火の轟を耳にして、 いまわれわれが歩む道が いつか来た道のようにフト思えて、 慄然とするのである。

◎ワルター・ギーゼキング名演集  アンダンテ AN 2090(四枚組)

◎「ワルター・ギーゼキングによるベートーヴェンの協奏曲」  ギーゼキング(ピアノ) ローター指揮 ベルリン放送管弦楽団ほか  Music& Arts CD-1145(1)

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エッ、また万葉集?

 大学受験に合格するためには、 枕草子、 徒然草、 奥の細道、 源氏物語、 そして万葉集は必読古典だった。 私は これらを中学で習い、 高校で習い、 おまけに浪人したので 予備校でも学んだ。 だから めでたく大学に入学し、 教養科目として選択した国文学で またも万葉集を習うことになったとき、 「エッ、 また万葉集?」とがっかりしたものだ。

 担当は 扇畑忠雄先生だった。 一首ずつ学生に読ませ、 その度に「アァ、 良い歌ですねぇ!」と 先生が賛嘆する、 そんな講義に面食らった。 同じ下宿の物理学を専攻する先輩に 「変な講義ですね」と言うと、 「扇畑さんの講義を聴けるなんて、 お前、 運がいいな。 扇畑さんは有名なアララギ派の歌人で、 万葉の大家だぞ」と 逆に説教されてしまった。

 次の講義のときから、 扇畑先生の背中に後光を見た。 「アァ、 良い歌ですね」との神の声に、 妙に納得させられる響きがあった。 大学の講義が 高校や予備校とは本質的に違うことに、 私はこのとき気がついたのである。

 ところで 万葉集といえば、 ソニー・ミュージックのCDクラブが NHKの音源を使ってCD化し、 会員に頒布している講座がある。 その中の「万葉集」は、 講師が故犬養孝大阪大学名誉教授で、 とても面白い。 「犬養節」として人気のある独特の節回しの朗唱は まさに音楽で、 宗教曲のレチタティーヴォのように聞こえる。 講義の内容も 研究成果に裏付けられた 強い信念に基づくもので、 それだけに説得力があり、 雰囲気は全く違うが、 扇畑先生の講義を彷彿とさせる。

 歌人で東北大学名誉教授だったその扇畑忠雄先生が、 二〇〇五年七月十六日に逝去されたと 新聞各紙が報じた。 享年九十四歳といえば 大往生であろう。 たった半年間 教室で講義を受けただけの私ではあるが、 先生から学んだことは少なくない。

◎「万葉集『万葉の人びと』よりー現代に生きる万葉のこころ」  犬養孝(講師・朗唱)  ANY FZCZ 41053―4(二枚組)

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K氏ともう一人の彼

 東京都国立市は、 豊富な地下水に恵まれた町として知られる。 市の南部に連なる段丘崖に沿って 水が湧き出し、 小川となって市内を流れ、 多摩川に注ぐ。 国立市は 「水の懇談会」を立ち上げ、 市民の有志が 地下水の水質と 川の周辺環境を守るために活動している。

 この懇談会の主力メンバーとして、 川の周辺に生息する生物の調査を担当するK氏に入場券を貰って、 国分寺チェンバーオーケストラの 定期演奏会に出かけた。 そんな室内管弦楽団があることも知らなかったし、 それにもまして すでに高齢のK氏が 団員の一人としてヴィオラを弾くと知ったのも始めてで、 正直言って私は大変驚いた。

 演奏会場は 三鷹市芸術文化センター・風のホール。 演奏曲目は、 モーツアルトのヴァイオリン協奏曲第五番をはさんで、 ハイドンの二つの交響曲、 九十九番と百四番。 これら二つのハイドンの交響曲は いずれもザロモン・セットとよばれる最後期の作品で、 とくに百四番「ロンドン」は、 ハイドンの交響曲の集大成といっても過言ではない。

 さて 会場入口で渡されたプログラムの中に、 これから予定されている演奏会の宣伝チラシが 何枚も挟み込まれていた。 ニューセンチュリー室内管弦楽団、 星陵フィルハーモニー管弦楽団、 東京クラシカルシンガーズ、 東京学芸大学管弦楽団、 東京農工大学管弦楽団、 東京電機大学管弦楽団等々。 そして高田馬場管弦楽団とくると、 もう何でもありといった感じだ。 この調子だと 三宅島には三宅村交響楽団定期演奏会というのもあるのではないか?と、 ついバカなことを考えてしまう。

 このように 演奏会は目白押しだが、 そこに出かけていくのは 演奏者の家族や親戚一同、 あるいは 友人や商売仲間がほとんどに違いない。 だから わが国の音楽愛好家の底辺は、 そんなアマチュア演奏家と 義理人情に縛られてそれを聴かされる人たちによって ひろがっていくのだろう。 それもまた 楽壇発展のために結構なことと喜ぶべきなのだ。

 さて 当日の演奏は まさしくアマチュアのそれであった。 それでも ちゃんとハイドンの交響曲のように聞こえるところが凄い。 それどころか 団員の情熱と指揮者の意図が、 熱いほど伝わってきたのである。 メンバーのほとんどが素人で、 しかも 別に本業を持っている人たちだろうから、 練習時間さえ満足にとれないに違いない。 そんな悪条件を考えれば、 これは誠に見事な演奏と 絶賛すべきであろう。 そして ステージの上で一心不乱にヴィオラを弾くK氏のひたむきな姿に、 「水の懇談会」で活躍する彼とは違う もう一人のK氏を発見して、 大変感動してしまったのである。

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強迫されて買ったCD

「買いませんか? だまされたと思って」と言って 馴染みのレコード店主が差し出したCDは、 ヴィヴァルディの「四季」だった。 「もう『四季』はいいよ」と断ると、 「廃盤になってから後悔しても知りませんよ」と強迫する。 気の弱い私は 恐ろしくなってそのCDを買ってしまったのだが、 聴いて吃驚とはこのことだろう。

 ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集 「和声と創意への試み」のうち、 春・夏・秋・冬の名のついた四曲は、 一括して「四季」と呼ばれる。 ソネットという 短い詩の内容を忠実に描写した標題音楽で、 親しみやすい。

 ところで 古楽界のニュー・リーダー、 ファビオ・ビオンディは、 一九八九年に エウローパ・ガランテを結成、 直後の一九九一年に「四季」を録音したが、 そのオーパス111盤は 大変な評判となった。 しかし レコード店主が薦める「四季」は、 同じグループが 二〇〇〇年に再録音したヴァージン・ヴェリタス盤の方である。 これは音の強弱、 緩急のコントラストが際立っており、 かつて 前衛的演奏として話題になった アーノンクール盤(テルデック)のかげが薄くなるほど やりたい放題。 例えば 「春」の第二楽章で 犬の吠える声を模して規則的に刻むヴィオラの音は、 あたかも猛犬のごとく、 「秋」の第三楽章の冒頭は、 狩人が近付いてくる様子が 目に見えるよう。 また 雪景色を連想させる「冬」の第一楽章は、 まるで北陸のぶりおこしの風情である。

 ビオンディ盤に美しい演奏を期待すると裏切られる。 しかし聴いていて、 こんなに面白い「四季」はない。 このCDを買い損なったら、 さぞかし後悔しただろう。 レコード店主のいうことも、 たまには素直に聞くものだと思ったのである。

◎「ビオンディ&エウローパ・ガランテ ヴィヴァルディ/『四季』 ヴァイオリン協奏曲集 和声と創意への試み」  ビオンディ(ヴァイオリン・指揮) エウローパ・ガランテ  ヴァージン・ヴェリタス TOCE-55295・96(二枚組)

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ア マ デ ウ ス

 モーツァルトの半生を描いた映画「アマデウス」は、 DVDにもなって好評だ。 一八二五年にウィーンで 一人の老人が自殺を図るところから、 この映画は始まる。 この老人こそ、 かつて 宮廷お抱えの作曲家として世に知られた、 アントニオ・サリエリである。 彼は 自分の才能をモーツァルトのそれに比較し、 不公平な神への訣別を心に決め、 モーツァルトに復讐することを誓う。 この映画のストーリーは、 サリエリがモーツァルトを暗殺したという 当時からの風聞に基づいている。

 映画の中で モーツァルトが「レクイエム」を作曲するシーンは、 フィクションであろう。 「レクイエム」の作曲を依頼したのは ヴァルゼッグ伯爵であり、 未完として遺されたこの曲を完成したのが モーツァルトの弟子のジュースマイアであることは、 よく知られている。

 ここに紹介する「レクイエム」のCDは、 ジュースマイアが完成させた楽譜で演奏されているが、 さらに 余白にモーツァルトがスケッチしながらも 結局完成することのなかった草稿を、 そのまま演奏したものも収録されている。 これで モーツァルトの意図したものを ジュースマイアがどのように完成させたか、 自分の耳で確かめることができる。

 その中の「ラクリモサ」は、 最初の僅か八小節のみが書き残され、 これがモーツァルトの絶筆となった。 それは悲しいまでに美しい。

 サリエリもまた歴史に名を残した。 彼の作品の中に一つ、 私の大好きな曲がある。 それは 管楽器で演奏されるセレナードで、 これを聴くと、 神は彼にも大きな恵みを与えたことがわかる。

◎映画「アマデウス」  ワーナー・ホーム・ビデオ DL-36218(DVD)

◎モーツァルト/レクイエム(ジュースマイア版とフラグメント集)  シュペリング指揮 ノイエ管弦楽団ほか  オーパス111 OP 30307

◎サリエリ/管楽器のためのセレナード集  ローマ合奏団  FREQUENZ CAP1

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感謝感激雨霰

 恒例の「音樂會」という名の音楽会が、 今回(二〇〇五年)は 八月十三日に、 東京文化会館大ホールで開催された。 演奏は 高橋敦指揮のジャパン・フレンドシップ・フィルハーモニック。 演奏曲目は カバレフスキーの組曲「道化師」など三曲。

 ところで 会場の入口で渡されたプログラムに、 「この『音樂會』は 『どなたでも気軽にクラシックを楽しめるコンサート』を目指しておりますので、 ご来場できる方の制限を特に設けておりません。 万が一、 演奏中にハプニングが起きましても、 皆様の暖かいお心遣いを賜りたく」 と書かれている。 さらにメッセージは 「保護者の方におかれましては、 なるべく演奏に差しさわりのない様、 ご配慮いただければ幸いです」と続く。 だからこれは 子供連れの客に対する呼びかけだろう。

 小さな子供を音楽会に連れて行くのは、 非常識かも知れない。 でも アマチュア・オーケストラの場合、 お父さんやお母さんの演奏する姿を 子供に見せたいということもあるだろうし、 子供にとっても、 それが 一生の思い出として心に残るかもしれない。 だから 保護者には特別の配慮を、 また 周囲の聴衆には 寛容の精神を求めているのだろう。 そんな音楽会があってもいいではないか。 しかも この「音樂會」は、 毎回 和気藹々とした雰囲気が売り物だ。 その名の通り、 すべてがフレンドシップなのだから。

 ところで 組曲「道化師」を聴き、 「この音楽なら知ってる!」と 歓声を上げた子供がいたかもしれない。 なぜなら 二曲目の「ガロップ」は、 運動会の定番BGMだ。

 プログラムのメッセージは、 「観客の皆様全員が 気持ちよく会場をあとにしていただくことが出来れば、 それに勝る喜びはありません」 と結んでいる。 そして すっかり気持ちのよくなった私は、 その後 会館内のレストランで しこたまビールを飲んでしまった。 そして ジョッキを片手に ほろ酔い加減で再び頁をめくったプログラムの最後に、 ジャパン・フレンドシップ・フィルハーモニックの秋山登美雄代表が ファンに宛てて書いた 「感謝感激雨霰」の大きな文字を見て、 思わず笑ってしまったのである。

◎カバレフスキー/組曲「道化師」ほか  イェルヴァコフ指揮 モスクワ交響楽団  ナクソス 8・553411

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ベートーヴェンを創出した男

 レコード店に行くと、 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集のCDが ずらりと並んでいて、 どれを買ったらよいか 選択に迷うほどだ。 しかし 昔はシュナーベルのレコードしかなかったし、 それで十分だった。 なぜならシュナーベルは、 ベートーヴェンを創出した男だったからである (ハロルド・C・ションバーグ著『ピアノ音楽の巨匠たち』、 中河原理・矢島繁良共訳、 芸術現代社)。

 往年の名ピアニスト、 アルトゥール・シュナーベル(一八八二―一九五一)が演奏した ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集のレコードは、 一九三二年から三五年にかけて録音された。 わが国でも十二篇、 全八十一枚のSP盤として発売されたが、 これを買い求めたのは 一部の金持ちだけだったに違いない。

 この全曲盤が エンジェルの世紀の巨匠シリーズの中で、 二巻全十三枚のLPとして復活したのは一九七〇年だが、 それでも手に入れるには、 清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要だった。

 CDの時代になり、 このソナタ全集はEMIはもちろん、 NUOVA ERA、 アルカディア、 HISTORY、 ナクソスなどのレーベルで復刻された。 このうち アルカディア盤とナクソス盤は 音質が売り物だし、 十枚組のHISTORY盤は 二千四百円の値段が魅力になっている。 しかし この値段に驚いてはいけない。 最近 このHISTORY盤を衣替えして店頭に出たドキュメント盤は、 十枚組CDボックスが なんと税込みたったの千六百八十九円だ。

 音質さえ問題にしなければ、 今でも シュナーベルを凌駕する演奏は少ない。 そんな歴史的名盤を 超安値で求めることのできる幸せを、 いま噛みしめる。

◎ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ全集  シュナーベル(ピアノ)  ドキュメント 223051-321/AーJ(十枚組)

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ビジュアル的要素

「小泉首相はよほど面食いなのか。 郵政民営化賛成の意見を持つ女性はみんな、 結果として美人であるとでもいうのだろうか」

 音楽家のT女史は、 先の総選挙で放たれた 女刺客のことで怒る。 彼女はまた 「クラシック音楽の世界でも、 ビジュアル的要素が プロの資質から差し引くことが出来なくなって久しい」 と嘆く。

 そこで思い出したのが、 若いときウィーン国立歌劇場で観た ヴェルディの歌劇「椿姫」だ。 とても瀕死の重病人とは思えぬ巨漢?のヴィオレッタが ベッドに倒れて息絶える幕切れのシーンで、 地響きがし、 ベッドが軋み、 埃が舞い上がり、 あっけにとられるうちに幕が下りた。 それにもかかわらず そのソプラノの歌唱は素晴らしく、 私に忘れがたい印象を残したのである。

 戦前すでに 「椿姫」全曲レコードが発売されていた。 一九二八年録音のコロムビア盤で、 なんとSP盤十五枚。 ヴィオレッタをメルセデス・カプシールが歌っている。

 カプシールは 一八七九年にスペインのバルセロナに生まれた。 スペインとイタリアで学んだ後、 一九一四年にバルセロナでデビュー。 一九一九年以降は 主にイタリアで活躍し、 その美声と見事な表現力で一世を風靡した。

 彼女は 一九六九年に生涯を閉じたが、 戦前から名盤の誉れ高かったこのレコードは、 EMIの国内盤でCD化され、 彼女の至芸を いまでも堪能できる。

 そのカプシールの写真を観たことがある。 横顔が美しい。 しかし 舞台の上の彼女はどうだったのだろう。 DVDと違って、 レコードは声だけが勝負だ。 それが幸いすることもあるだろう。 でも そこをはき違えると、 美女ではあるが 歌の歌えないヴィオレッタを観る羽目になる。

 いくら美貌の才媛であっても、 今回の選挙で女刺客に問われているのは、 政治家としての資質であろう。 T女史は 自分のホームページに「ひがみだと思わないで!」と書く。 でも 彼女自身大変な美貌の持ち主であるだけに、 ひがみどころか、 逆にその文章には説得力がある。

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ボ レ ロ

 客がたむろするスペインの小さな酒場。 中央のテーブルの上で、 一人の踊り子がタップを踏んでいる。 踊りは次第に高揚し、 客たちもやがてテーブルの回りに集まり、 ついには全員熱狂して踊り出す。 ラヴェルの「ボレロ」は そんなあらすじのバレエ音楽で、 ロシアの舞踏家イダ・ルービンシュテイン夫人の依頼により 作曲された。

 戦前 創元社から出版された『名曲に聴く』の中で、 野村光一氏はこの曲を 「いかにも創作力の衰退を語っているかのようだ」と 酷評している。

 なるほど 主題と それに応える二つの旋律が それぞれ九回ずつ、 リズム、 拍子、 テンポは終始変わらぬまま しつこいほど繰り返され、 調性もハ長調で一貫し、 最後にちょっとホ長調に転調するが、 すぐにハ長調に戻って終わる。 その間 変化するのは、 楽器の組み合わせによる音色と 次第に高まる音量のみ。 だから 初演当時の評価は散々だった。

 ところで 名指揮者トスカニーニが この曲を早いテンポで演奏し、 作曲者のラヴェルと 大喧嘩になったというエピソードが有名だ。 しかし ラヴェルの弟子で指揮者でもあったロザンタールの著書 『ラヴェル―その素顔と音楽論』(伊藤制子訳、 春秋社)によると、 作曲者自身は トスカニーニの演奏を高く評価していたというのが 実状らしい。

 そのトスカニーニが 一九三九年に演奏した 「ボレロ」のライヴ録音が、 CD化されている。 これは白熱の演奏だが、 管楽器奏者が 本当にあのNBC交響楽団員?と疑われるような演奏ミスをして 驚かされる。 そんなことからも、 このCDは一聴に値する。

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地質学者の家は2×4

 スペインの港町 カディスの大聖堂では、 毎年 四旬節のミサで、 キリストの 最後の七つの言葉に関する説教を執り行う習慣があった。 司祭のホセ・サルーズ・デ・サンタマリア博士は、 その説教の最中に演奏する音楽の作曲を、 当時 人気のあったハイドンに依頼した。 ハイドンは、 司祭が キリストの受難の場面で 七つの言葉を一つずつ唱え、 その度にオーケストラが それに見合った曲を演奏するようにしてこれを作った。 それが 管弦楽曲「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」である。 曲は荘重な序奏と 七つの言葉に対応する ゆっくりしたテンポの七つのソナタ、 そして終曲よりなる。

 一七八五年に誕生したこの曲は 大変評判となり、 ハイドン自身も この作品に自信をもったらしく、 もっと気軽に どこでも演奏できるように 一七八七年に 弦楽四重奏版を作曲した。 現在では こちらの方がよく演奏されるかもしれない。 さらに同じ年にチェンバロ(ピアノ)版が、 また一七九六年には四人の独唱、 混声合唱、 管弦楽のためのオラトリオ版も作られた。

 ところで この曲の終曲には、 「地震」というタイトルがつけられている。 聴けばわかるが、 それはまさに 地震を描写した音楽だ。 ではなぜ ここで地震の音楽が演奏されなくてはならないのだろう。 それは キリストが昇天したあとに 大地震が発生したとの言い伝えに基づく。 地震が日本の専売特許と考えている私たちは、 ではなぜ そんな大昔、 そんな遠くで大地震が起こったのかと 訝しく思う。 何を隠そう、 これこそ神の大いなる怒りなのだ。 神は悪事をなした人びとに、 鉄槌を下したのである。

 ところで 二〇〇五年の暮れ、 マンションの耐震強度偽装問題で、 日本中、 蜂の巣をつついたような騒ぎになった。 本当に恐ろしい世の中になったものだ。 金儲けのためなら何をしても良い、 悪事がバレなければ 何をしても良いというのだろうか。 これこそ 神をも恐れぬ蛮行であろう。 だからいま、 神は大いにお怒りになっておられる。 そして近い将来、 われわれ迷える子羊に 鉄槌を下すであろう。 大地震に見舞われるのは必至の状況だ。 そして 耐震強度偽装のヘナヘナマンションの下敷きになって 多くの人たちが命を失うことになるのは、 ハイドンの名曲 「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」が 証明するところなのだ。

 さて 四十年前の話だ。

 私が 地方の国立大学の教壇に立つようになったとき、 四畳半一間のアパートを借りた。 炊事場もトイレも共同、 風呂は近くの銭湯という生活だった。 駅前でタクシーに乗り、 「M荘!」と言っただけで 運転手は行き先を了解したという伝説があるくらい、 オンボロアパートとして知られていた。 それでも近くのD荘に比べ、 M荘は 市内第二位に甘んじていた。 そして程なく そのD荘が火事で全焼し、 わがアパートは 栄えあるトップの座につくこととなったのである。 ちなみに第三位のN荘は、 その後 宮城県沖地震で倒壊してしまった。

 残念ながら M荘は数年後に取り壊しとなり、 それを機会に私は 市内の繁華街に1LDKのアパートを借りた。 もちろん炊事場、 風呂、 トイレ付きだから それまでの生活に比較して 夢のような毎日であったが、 唯一の欠点は、 このアパートがキャバレーの真向かいにあり、 夜中にそのネオンのあかりで 部屋の中が赤くなったり青くなったり、 その妖艶な雰囲気が、 独身の私には過激すぎることであった。

 そこでやむなく結婚し、 今度は 閑静な住宅街にある六畳二間のアパートを借りて 新婚生活を始めたが、 子供も生まれ、 さらに 真夜中に学生が大挙して押しかけたりして、 手狭なアパート生活も 苦労が多かった。 だから あれから三十年余り経ち、 上京して 小さな私立大学に再就職したのを機会に 一戸建てのわが家を建てることになった時の歓びは、 容易に想像いただけよう。

 そこでどうしたものかと思案して、 ふと友人が 大手不動産会社の トップに近い地位にいることを思い出した。 大変誠実な男なので、 彼に任せれば間違いないと思ったのである。 したがって わが家を2×4(ツーバイフォー)工法で建てたのは、 友人に頼んだら たまたまそうなってしまったということなのだ。

 さて 彼が紹介してくれた傘下の住宅会社は、 直ちに営業担当、 設計コンサルタント、 そしてインテリアコーディネーターの 三人からなるプロジェクトチームを編成。 その後 私ども夫婦とこのチームとは、 頻繁に会合を開くことになる。

 最初の打ち合わせで、 「どんな家を建てたいですか?」と聞かれた。 妻は 「掃除のしやすい家にしてほしい」と言い、 それに対し設計コンサルタントが、 「それでは部屋は丸くしましょう」と答えたのには 笑ってしまった。 幸い 部屋は丸くはならなかったが、 妻は四角い部屋を丸く掃くから、 確かに掃除は楽であった。 一方 明るく風通しの良い家をという妻の希望は、 中庭を作り トップライトも作って実現した。

 一方 プロジェクトチームから出されたバリアフリーの提案は、 高齢の私ども夫婦に対する 心優しい配慮であろう。 でも 「ホームエレベーターは?」との話に、 妻は即座に 「要りません」と 冷たく言い放った。 「主人がエレベーターを必要とするようになったら、 特別養護老人ホームに入れます」 と言う妻の言い分に、 チームは全員仰天し、 その後の打ち合わせで、 何故か 私の意見を無視するようになった。

 もちろん 私にだって夢がある。 それなのに 「映画『風とともに去りぬ』に出てくるような 吹き抜けの玄関と スパイラルに上がる正面の階段、 そして 天井からは豪華なシャンデリアを!」という私の希望は、 「お宅の予算では無理です」と 一蹴されてしまった。 自尊心を傷つけられた私に同情した設計コンサルタントが、 それでもなんとか 玄関を吹き抜けにし、 スパイラルならぬ三角形に登る階段を考えてくれたことで、 かろうじて 私の面目は保たれたのである。

 私のもう一つの夢は ステンドグラスだった。 そこで 直径一・三メートルの円形のものを、 玄関ホールの 正面を仰ぎ見る位置に取り付けることになったが、 ステンドグラスも その位の大きさになると特注だという。 それなら自分でデザインしても良いかと聞くと、 私の隠れた芸術的才能を知らないインテリアコーディネーターは、 「お出来になるならどうぞ」と 冷たい返事だ。 それなら見ていろ!とばかり、 私が専門とする、 顕微鏡下で見た 微小なプランクトンの化石を図案化した。 インテリアコーディネーターは 「これ、 コスモス?」と クビを傾げたが、 私の研究者仲間は、 誰もが肝を潰した。 ネブラスカ・リンカーン大学のS・スポールディング博士は、 「東京に化石の家出現!」と オランダの学術雑誌に英文で紹介し、 わが家は 世界中の研究者に知れわたることとなったのである。

 設計図は われわれの希望を入れながら何度か引き直され、 そのたびごとに 夢が現実のものとなっていく。 巻き尺をのばし、 階段はこの巾で、 入口はこのあたりに、 そして この壁紙ならこんな感じかな?と空想し、 それが形となる歓びは 無上のものだ。 プロジェクトチームも 私たちの希望を真摯にうけとめ、 夢の実現に 最大限の努力を払ってくれた。 チームとの関係は 極めて良好だったし、 とくに インテリアコーディネーターの素晴らしいセンスは、 カーテンや壁紙や、 照明器具などに発揮された。

 完成したわが家のバリアフリーは、 私たち夫婦が もう少し年をとったとき、 その有り難みがわかるだろう。 なんと 脱衣場と浴室の境界さえ、 段差がなくて平坦だ。 だからといって 安心は出来ない。 なぜならその境目に、 落とし穴のような 大きな排水溝がある。 いつもは 簀の子を被せて平坦になっているのだが、 妻が毎回の掃除が面倒だと、 その簀の子を取り外して どこかに片づけてしまった。 だから 浴室に入るとき、 ポッカリとあいたこの深い穴を、 助走をつけて エイヤッと跳び越えなくてはならぬ。 風呂に入るのも命がけだ。 そのうち 助走の途中で失速し、 この排水溝に落下して 脚の骨を折るのは必定。 そして 妻は歩けなくなった私を、 特別養護老人ホームに入れるのだろう。

 正直言って ツーバイフォーの長所を知ったのは、 家が完成してからのことだ。 2×4の答は8で、 この数字にどんな神通力が秘められているのか?と、 恥ずかしながら 私の知識はその程度であった。

 ツーバイフォーの長所の一つは 柱のない大空間が作りやすいということらしいが、 大きなステンドグラスを仰ぎ見る 広い吹き抜けの玄関が出来たのも、 そのためかも知れぬ。 また すきま風が入らず、 気密性や 断熱性がすぐれているのも長所だというなら、 わが家は全館空調で、 一年中 春のような生活が楽しめるのも そのせいだろう。 私の聴くステレオ音楽の大音響に 妻は悲鳴をあげるが、 外界の騒音は 一切受け付けない。

 ところで私は 大学で地質学を講じてきた。 しかし 専門は古生物学で、 地震に関しては素人同然である。 だが 世間ではそうは思うまい。 地質学者の家が 大地震で真っ先に倒壊したら、 私の信用は地に墜ちるであろう。 だから 「2×4工法は 水平加重を壁全体で受けるために 地震に強い」と聞いて、 いま胸をなでおろす。

 私はすでに高齢で 余命いくばくもなく、 死ぬまでに 大地震に見舞われることはあるまいと タカをくくっていた。 しかし 冒頭にも述べたように、 耐震強度偽装マンションの悪行で、 もはや神の怒りは避けられまい。 ハイドンの名曲 「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」が証明するように、 近い将来の大地震の発生は 必至の情勢になってしまった。 でも 私は安心している。 私の家を建てた業者は、 昔から 誠実な施工で信用を築いてきた大手だし、 その業者が誇りをもつ 2×4工法だ。

 大地震の結果がどうなるか、 それだけは見届けて死にたいと、 私は密かに期待もし、 楽しみにもしているのである。

◎ハイドン/十字架上のキリストの最後の七つの言葉  エマーソン弦楽四重奏団  ドイツ・グラモフォン UCCG-1193

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能登のととらく

トライアングルを持つ猫の図

 学生時代、 富山県八尾町の山中で、 夏から秋にかけて 三ヶ月間の野外作業に従事したことがある。 聞名寺の近くに宿をとり、 井田川上流の山岳地帯を 毎日一人で歩き回った。

 その間 いろいろなことがあった。 蜂に刺されたり、 急に増水した川の中州に取り残されたり、 尾根を間違えて遭難しそうになったり、 農協に入った泥棒と疑われて 逮捕されそうになったり。

 そんな苦労の一方で、 おわら風の盆を楽しむ機会に恵まれた。 毎年 九月最初の三日間、 八尾町をあげて行われるこの行事は、 もともと 台風シーズンの風を鎮めるための 盆踊りだったという。 しかし 祭りの華やかさより寂しさが漂うのは、 三味線や太鼓に重なる 胡弓のすすり泣くような音色と、 歌の 哀切きわまりない節回しのためだろう。 素朴な庶民の芸能とはいえ、 大変洗練されたものだ。

 編み笠を目深にかぶって踊る 若い女性の風情に惹かれる私に、 旅館の女将がこう言った。

「うちの姪っ子なぁ、 能登の漁師の娘ながだけど、 あんた、 嫁にもろてくだはれんけ。 『能登のととらく』いうて まめな子で、 よー働くがいちゃ。 毎年暮れに、 嫁の家から寒鰤届くいうがも 悪なかろ。 どうけ?」

 今年も二百十日の頃となり、 懐かしく思い出す風の盆も、 いまや 全国から観光客が殺到するという。 高橋治のベストセラー小説『風の盆恋歌』や、 石川さゆりの同名の歌がきっかけだろう。 町おこしにとっては喜ばしいが、 祭りの素朴さが失われたと 残念がる声も聞く。

 能登の娘ではなく、 東京の女性と結婚して三十五年。 残念ながら 鰤とは縁がなかったが、 わが家では 「お父さん」が結構楽をして今日に至った。 これを「東京のととらく」という。

◎越中八尾おわら風の盆(越中八尾観光協会)  ケイエヌビィ・イー EY0002・3(二枚組)

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天災は忘れぬうちにやってくる

 二〇〇五年の夏に 米国を襲った 過去最大級のハリケーン「カトリーナ」は、 ニューオーリンズ市などに 大洪水をもたらした。 一方日本でも同じころ、 首都圏の 中野区や 杉並区で降った時間雨量が一〇〇ミリを超え、 一部の家屋を水浸しにした。

 そんな洪水をテーマにした音楽に、 サン=サーンスのオラトリオ 「ノアの洪水」がある。 その前奏曲を 作曲者がヴァイオリン独奏用に編曲したものは、 アンコール・ピースとして 単独に演奏される魅力的な曲だ。

 名ヴァイオリニスト、 ジャック・ティボーは、 一八八〇年フランスに生まれた。 小遣い稼ぎに カルチェ・ラタンのカフェで ヴァイオリンを弾いていた彼の才能に注目し、 自分のオーケストラに加えたのは、 エドゥアール・コロンヌである。

 ある日 風邪をひいた首席奏者に代わって、 ティボーが サン=サーンスの「ノアの洪水」前奏曲を演奏して評判となり、 これが ソリストとしての道を歩むきっかけになった。

 そのティボーが演奏した「ノアの洪水」前奏曲の 古いSPレコードがある。 一つはサンロマのピアノ伴奏で 一九二四年に吹き込んだもの、 もう一つは 一九二九年に ロネーと共演したもので、 それぞれビダルフ盤と apr盤でCD化されている。

 ところで 人びとは昔から危ないところには住まなかった。 それが生活の智慧というものであった。 しかし いまでは河川改修が進んで、 多くの人が 河川敷やゼロメートル地帯に住む。 一方 道路はいたるところ舗装され、 雨水の逃げ場がない。 そして かつては百年に一度だった記録破りの大雨が、 いまでは決して珍しくない。 ノアの洪水も年中行事だ。 天災は忘れぬうちにやってくるのである。

 一九五三年九月一日、 わが国での公演に向かう ティボーをのせた飛行機は、 嵐と霧の中で アルプスの山腹に激突した。 ティボーの死も、 彼にとってまた天災であった。

◎「ジャック・ティボー 一九二二―二三年HMV・一九二四年ビクター録音集」  ティボー(ヴァイオリン) サンロマほか(ピアノ) ビダルフ LAB 014

◎「ジャック・ティボー 一九二九―三六年独奏録音全集・ラロ/スペイン交響曲」  ティボー(ヴァイオリンロネー(ピアノ)ほか apr APR 7028(二枚組)

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難聴者のための音楽会

 某国立大学の名誉教授T博士は、 すでに一線を退いているとはいえ、 女子学生が集まる研究集会には 欠かさず顔を出す。 先日 その集会に参加した友人が こう言った。

「T先生も年ですね。 かなり耳が遠いようですよ。 でも 女の子の言うことだけは、 なぜか聞こえるみたいです。 いや 聴こうと努力しているのかもしれません」

 実は何を隠そう、 私も難聴だ。 最近も 滲出性中耳炎で通院していたし、 医師は補聴器の使用を勧める。

 そんな私だが、 オーディオ気違いだ。 以前は リンのアンプにシーメンスのスピーカーを、 現在は マランツのアンプとB&Wや ダリのスピーカーを愛用している。

 ところで 先日レコード店で、 ベートーヴェンの作品二の 三曲のピアノ・ソナタを 弦楽四重奏曲に編曲したCDを見つけた。

 オーギュスト=ルイ・ブロンドー(一七八四―一八六五)の 編曲が面白いし、 アド・フォンテス四重奏団の演奏も悪くない。 それどころか 自慢のオーディオ装置で聴くと 素晴らしい音がする。 二〇〇四年に パリのノートルダム・ド・ボン・スクール病院礼拝堂で ユーグ・デショーにより録音されたとあるから、 相当の自信作だろう。 最近における 最優秀録音盤だと思うが、 難聴の私の感想だから 当てにはならない。

 そう言えば 耳の不自由な人たちのための音楽会、 NTT東日本N響コンサートが、 近く 東京オペラシティコンサートホールで開かれると聞いた。 NTT東日本が 骨伝導技術を応用して開発した 聴覚障害者用ステレオヘッドフォンを使うことによって、 難聴者でも 音楽が楽しめるという。 そんな音楽会が 頻繁に開かれるようになれば、 難聴のT博士にとっても 福音に違いない。

◎ベートーヴェン(ブロンドー編)/三つの弦楽四重奏曲(ピアノ・ソナタ作品二による)  アド・フォンテス四重奏団  アルファ ALPHA 072

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森の雫の味がする

 昨年の秋、 二泊三日の北海道観光旅行に 参加したときのことだ。 同行のO氏が売店で 小さな瓶に入った飲料水を買い、 その一本を私に差し出して 飲んでみろと言う。 透明な液体は ミネラルウォーターのようだが、 ちょっと違って さわやかな味がする。 瓶には「森の雫」とある。 何と一〇〇パーセント 白樺の樹液なのだそうだ。

 北海道から戻ってすぐ、 そのO氏から一枚のCDを貰った。 クララ・ハスキルが演奏した モーツァルトのピアノ協奏曲 第二十番のグラモフォン盤である。

 この協奏曲は子供のころ、 ブルーノ・ワルターが 自らピアノを弾きながら指揮した 古いレコードで初めて聴いた。 名指揮者のピアノ演奏が 私には珍しかったが、 古いSP盤のLPへの復刻で音が悪く、 好きになれなかった。

 ところで ルーマニア生まれの名女流ピアニスト、 クララ・ハスキルは この曲を得意とし、 スウォボダ、 フリッチャイ、 パウムガルトナー、 カラヤン、 ヒンデミット、 マルケヴィチの指揮で録音した。 いずれも名盤として知られるが、 中でも O氏から貰ったフリッチャイとの演奏は、 指揮者とピアニストの相性が良いという。

 今回 このCDを聴き、 この曲のとりこになった。 もちろん ハスキルのピアノの魅力のせいであるが、 これはまた 協奏曲における 指揮者の役割を示唆する演奏でもある。

 さて 観光旅行の最終日に訪れた 摩周湖畔の売店で、 私は 「森の雫」を見つけた。 一本三百円は安くなかったが、 これを求めて娘への土産にした。

 娘は 白樺の樹液を口にして「フーン」と言い、 そんな娘を横目で見ながら、 私は貰ったCDに耳を傾けた。 そして ハスキルの演奏は「森の雫」のように透明で、 さわやかな味がすると思ったのである。

◎モーツァルト/ピアノ協奏曲第二十番ほか  ハスキル(ピアノ) フリッチャイ(指揮) RIAS交響楽団ほか  ドイツ・グラモフォン UCCG-3428

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「あなたのそば」とは誰のそば?

 すぐれたジャーナリズム活動に贈られる 二〇〇五年度 石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(文化貢献部門)が、 今年は 北日本新聞の「沈黙の森」に 授与されることになった。 この連載記事は、 富山県下で 熊が頻繁に人里に出没する事件がきっかけとなって 企画されたもので、 なぜ 日本の山林が荒廃したかを追究した その意欲が、 高く評価されたという。 そして このキャンペーン企画で活躍した一人が、 若い女性のMさんだった。

 熊といえば ハイドンの交響曲の中に、 そんなニックネームのついた曲がある。 第八十二番の交響曲「熊」がそれで、 その名の由来は、 終楽章冒頭で演奏される 前打点つき低音の繰り返しが、 あたかも熊の唸り声に聞こえるからという 単純なものらしい。 その連想は面白いが、 人里におりてくる熊の恐ろしさは こんなものではあるまい。 むしろ この曲の魅力は第二楽章にある。 旋律を思う存分歌わせた演奏で聞くと、 ことのほか素晴らしい。

 ところで 北日本新聞の記者として働くMさんとは、 私がまだ金沢に住んでいたころからのお付き合いだ。 先日 所用で富山を訪れたときに 久しぶりの再会を果たしたが、 今回の受賞に、 さすがに嬉しさを隠しきれないようだ。

 短い時間、 昼食をとりながら 積もる話に花を咲かせた後、 Mさんは 富山駅まで見送りにきてくれた。 列車の到着を待っているとき、 彼女が指差した改札口の上に、 「あなたのそばに北日本新聞」と書かれた 大きな広告があった。 「あの標語、 社内コンクールで首席に選ばれた 私の作品なんです」と言われて驚いた。 彼女の将来は 順風満帆のようだが、 この調子では、 当分結婚は難しそうだ。

 帰りの列車に揺られながら、 あの新聞社の広告を思い出した。 そして あの標語の「北日本新聞」に Mさんを重ね合わせ、 では一体「あなた」とは誰だろう? と考え、 そういえば 彼女が一段と美しくなったことに気がついたのである。

◎ハイドン/交響曲「王妃」「めんどり」「くま」  コレギウム・アウレウム合奏団  ハルモニア・ムンディ(独)  BVCD-38038

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あのときこんな音がした

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番は、 初演に先立つ一八〇七年三月に、 ウィーンのロブコヴィツ公爵邸の音楽室において 非公開で演奏された。 ピアノを弾いたのは 作曲者自身だったという。

 ロブコヴィツ邸は ウィーンの中心街に現存する。 その音楽室は 間口七メートル、 奥行き十六メートル、 また 天井までの高さは七・五メートルあり、 床は寄木細工、 壁面は石膏、 天井は漆喰から出来ている。 当時 このホールには演奏者席が二十四、 客席として十八個の長椅子が用意されたらしい。 この条件下で会場が満席になると、 残響時間は 一・六秒になることも計測されている。

 ここに紹介するCDは、 ユトレヒトのフレンデンブルフ音楽センター内に ロブコヴィッツ邸の音楽室と同じ環境を設定し、 ベートーヴェンのピアノ協奏曲を演奏、 録音したものだ。 その際 一八一〇年前後に制作された ヨハン・フリッツの古いフォルテピアノを使用し、 僅か二十人からなるオーケストラが 古楽器を用いて、 ベートーヴェン当時の響きを再現している。

 聞き慣れたピアノ協奏曲が ずいぶん違って聞こえるのは当然だが、 少人数のオーケストラにしては迫力があるのは、 小さな会場では 聴衆が オーケストラを間近に聞くこととなるからだと説明されると、 なるほどと納得する。 当時のパトロンたちは、 このような響きで ベートーヴェンの名曲を聴いていたのだろう。

 いま自宅でこのCDを聴きながら、 私の心は時空をこえて ウィーンのロブコヴィツ邸の音楽室にいる。 そして 目の前でベートーヴェンが演奏するピアノ協奏曲を聴く フランツ・ヨーゼフ・ロブコヴィツ公爵になりすまして、 良い気分である。

◎ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第四番・第五番「皇帝」(ロブコヴィツ邸編成による)  スホーンデルヴルト(フォルテ・ピアノ) アンサンブル・クリストフォリ  アルファ ALPHA 079

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そのときこんな音がした

 ウィーン大学に留学していた間、 オーストリアの民族楽器 チターを習っていた。 先生は 以前ケルンテン州で、 民族舞踊のチター伴奏をしていた女性だった。

 クリスマスに その先生からチターをプレゼントされたが、 帰国するとき 新たに三台の楽器を購入した。 そのうちの一つは、 ウィーン市内の中古楽器店で求めた 古いアントン・キンドルの名器である。 大変美しい音で良く響き、 これに弾き慣れると 他のチターは手にする気にならない。

 ヴァイオリンでは クレモナの楽器が有名だし、 愛用のピアノを 外国まで運んで演奏会を開くピアニストもいる。 演奏家にとって 楽器の選択がどれほど大切かということだろう。

 ところで ピアノの詩人ショパンは、 一八三二年二月二十六日に パリのプレイエル・ホールでデビュー・コンサートを開き、 自作のピアノ協奏曲ホ短調を演奏した。 これを 音楽評論家のフェティスが激賞し、 さらに 「ショパンはピアノからつつましやかな音しか出さない」 と付け加えた。

 作曲家で発明家でもあったイグナース・プレイエルは 一八〇七年にピアノ製造を始め、 息子のカミーユがその後を継いだ。 それが今日でも ショパンが愛用したピアノとして知られる、 プレイエル・ピアノである。 当時 音量豊かで華麗な音色のエラール・ピアノに対し、 プレイエルの繊細な美しい音が、 つつましやかに演奏する ショパンの好みに合ったのだろう。 グリーグや ストラヴィンスキーといった作曲家や、 名ピアニストのコルトーも プレイエルを愛用したという。

 ここに紹介するCDは、 ショパンが活躍した当時の 一八三六年製プレイエル・ピアノを使って、 ショパンの舞曲を いろいろ演奏したものだ。 当時の響きを再現した録音として 大変興味深い。

◎「プレイエル・ピアノによるショパンーマズルカ、 ワルツ、 その他の舞曲集ー」  スホーンデルヴルト(プレイエル・ピアノ)  アルファ ALPHA 040

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文字を飾ってトレードマーク

 中学のときからの親友に、 松川玉堂という雅号をもつ書家がいる。 先の書海社同人選抜展に出品した書も 高く評価され(美術通信、 一八七五号)、 すでにその道では 重鎮的存在として知られる人物だ。 夫人もまた 達筆の草書を書き、 その昔、 彼はその字に惚れて彼女と結婚した。 書は人柄を表すというのが 玉堂氏の主張だ。 なるほど 私も下手だが 几帳面で大らかな字を書く。

 ところで 二〇〇五年十月二十四日付東京新聞紙面で、 「文字を飾る」と題し、 インテリア書なるものが紹介された。 伝統的書道に 現代的なデザイン感覚を取り入れたものだというが、 こういう書を 玉堂氏はどう評価するだろう。

 さて私は コーヒー豆を近所の専門店で買う。 その店では 「風響月歌」というタイトルのCDを店頭に置き、 一枚千円で売っている。 コーヒー専門店でCDとは意外だが、 面白そうなので買ってみるかと 財布の口を開けた。

 ヴォーカルのBaYaとギターの中村壮志は、 二〇〇三年に 「風響月歌」という名のデュオを結成した。 CDに収録されているのは、 この若い男女が演奏した三曲。 そのうちの一曲「DROP」は、 第五回吉祥寺音楽コンテストで 準グランプリに輝いたという。 エントリーした百九十六組の中での受賞だというから たいしたものだ。 なるほど 曲は魅力的だし、 歌声に可憐さと暖かみがある。

 さらに このCDのもう一つの魅力は、 CDケースを飾るブックレットの 美しい装丁だろう。 とくに そこに書かれた文字が象形文字に似て、 これこそ いま注目のインテリア書に違いない。 歌詞カードも 同じスタイルの文字で書かれていて 大変読みにくいが、 それを逆手に取って トレードマークにしている。 メゾ・ソプラノの波多野睦美が つのだたかしの弾くリュートの伴奏で歌ったパルドン盤CDが、 どれも 望月通陽の染絵で飾られたボックスに入っているように、 インテリア書の装丁のCDが 今後次々と市場に出ることを、 風響月歌の若い二人に期待したい。

◎「風響月歌」  風響月歌(BaYa・中村壮志)  自主制作 レーベル名・番号なし

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反復音のための練習曲

 駅で買えばすむ JRの乗車券を、 私はいつも 東京日本橋Tデパートの中の 旅行代理店で求める。 その昔、 たまたま乗車券を買った時の 若い女性店員の応対に好感を持ち、 それ以来 そこを贔屓にするようになった。 その後 多分配置換えか退職のためであろう、 その店員の姿を見ることがなくなったのは残念だが、 後任の女性も 大変好感の持てるベテランで、 だから今回も 秋田までの乗車券をそこで買った。

 そのあと、 デパートの画廊で開催中の 開光市展を観た。 石川県白山市在住の洋画家、 開氏は国画会会員、 安田美術賞などを受賞し、 いま 最も注目されている一人だ。 展示されていたのは いずれも幻想的な作品で、 いささか現実離れした人物像が 渋いながらも 美しい色彩で表現されていて、 誠に見事である。

 その中に 「反復音のための練習曲」 というタイトルの小品があった。 向かいあってピアノを弾く男女が、 どこか モーツァルトの姉弟を連想させる。 そして その絵から思い出したのが、 モーツァルトの 「フラグメント集」というCDだった。

 これは モーツァルトが書き残した四十のフラグメントを まとめて録音したもので、 「二台のピアノのためのグラーヴェとプレスト」など、 ほとんどが 一分足らずの断片だ。 しかし どれも小さな真珠の一粒一粒のように輝く。 だから これらが作品として完成されなかったのは 無念なことだ。

 ピアノを演奏しているのは、 パトリック・クロムランクと 桑田妙子のデュオ・クロムランク。 明るく息の合った演奏だ。 この二人は 一九九四年七月に ベルギーの自宅で心中自殺し、 ファンを驚かせたが、 演奏にそんな暗い影はない。 一方 ガラスケースの中に展示された絵画 「反復音のための練習曲」にも、 観る人のこころを癒す何かがある。

◎モーツァルト/フラグメント集  デュオ・クロムランク(ピアノ)  セブンシーズ K32Y 297

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大学で何を教えるか

 マーガレット・キャンベルは、 著書『名ヴァイオリニストたち』 (岡部宏之訳、 東京創元社) の中で、 こう書いている。

「(シゲティは) 音楽以外にいろいろのことを知っているというので 大きな尊敬を受けていた。 彼は 飽くことを知らない読書家であり、 また機知に富んだ、 生き生きとした話上手で、 科学でも芸術でも 文学でもスポーツでも、 話題は何でもござれだった」

「ヨゼフ・シゲティの至芸」 というCDの中に、 ブロッホの ヴァイオリン協奏曲が収録されている。 これは 一九三九年のコンサートにおける、 シゲティの演奏を復刻したものだ。 そして ハラルド・エッゲブレヒトは、 「これほど美しく神秘的で、 聴く者を熱狂させるヴァイオリン演奏は まずないであろう」 (『ヴァイオリンの巨匠たち』、 シュヴァルツァー節子訳、 アルファベータ)と、 この古い録音を絶賛する。 このような名演を可能にした シゲティの優れた音楽性と美意識こそ、 数カ国語を操る 彼の豊かな国際感覚と 幅広い教養によって支えられたものだろう。

 ところで 友人が勤務する私立大学は、 学生定員の確保に四苦八苦だ。 そこで最近 資格取得に有利な授業科目を増設し、 その分、 役に立たない教養科目と 学生の嫌がる 英語の最低履修単位を減らしたという。

 多くの大学で 教養教育の成果が不十分だと指摘される現在、 これは 時代に逆行する蛮行ではないのか。 そればかりではない。 ここに取り上げたアンダンテ盤CDは 洒落たケースに入っていて、 色刷りページの解説や エッセイが楽しい。 その英文を読む能力も、 大学卒業生に求められている 教養ではないのか。

◎「ヨーゼフ・シゲティの至芸」  ブロッホ/ヴァイオリン協奏曲ほか  シゲティ(ヴァイオリン) メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンツェルト・ヘボウ管弦楽団ほか  アンダンテ 2991ー2994(四枚組)

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命と引き換えに美声

 二〇〇五年十一月九日 朝のテレビが、 二つの悲しい出来事を 特集番組にして報道した。 一つは 福井県大野市での老夫妻の心中。 そしてもう一つは 歌手、 本田美奈子の死。

 福井県の事件は、 町外れの火葬場焼却炉における 夫婦揃っての焼身自殺。 認知症の妻の介護に疲れての心中だったとしたら、 あまりにも痛ましい。

 一方 「マリリン」などのヒット曲で知られ、 日本レコード大賞新人賞を受賞し、 最近では ミュージカル「ミス・サイゴン」の主役としても活躍した アイドル歌手、 本田美奈子のことなど、 本来なら 老人の私が知るわけがない。 しかし 彼女がクラシック音楽にもチャレンジし、 そのCDが レコード店のクラシックコーナーに並ぶようになれば、 本田美奈子って誰?と、 それを手にとることになる。 まして収録曲の中に、 大好きなカッチーニの 「アヴェ・マリア」があれば なおさらだ。

 そこで「アヴェ・マリア」と 「時」という 二枚のCDを買った。 その高く澄んだ歌声が美しい。 線は細いが 表現力もある。 曲は編曲され、 クラシック本来の趣とは違う。 でも こんなに可憐なプッチーニのアリア 「私のお父さん」を聴くことなど、 滅多にない。

 その本田美奈子が 十一月六日、 急性骨髄性白血病のため 亡くなった。 僅か三十八歳の、 あまりにも早すぎる死であった。

 心中した老いた男女は、 おしどり夫婦だったと聞いた。 本田美奈子も、 笑顔を絶やさぬ 誰からも愛される女性だったという。 神様はなぜ そんな老夫婦に生き甲斐を、 そんな本田美奈子に 将来の夢を与えなかったのだろう。

 彼女の歌声は、 神から授かったものだという。 そうだとしたら、 その美声と引き換えに 彼女の命を奪うなんて、 神様も 意地悪なことをするものだ。

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店 主 の 見 識

 輸入レコード店 「ラ・ヴォーチェ京都」から届いた 新着新譜CDリストの中に、 バッハの 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタと パルティータの広告を見た。 演奏者はルミニッツァ・ペトレ。 聞いたことのない名前だ。

 その後、 「レコード芸術」誌の 「海外盤試聴記」欄で 評論家の芳岡正樹氏が 絶賛しているのを読んで、 それなら買ってみるかと注文したところ、 間もなくそのCDが 宅配便で送られてきた。

 ペトレは ルーマニア出身の女流ヴァイオリニストで、 現在 ヴュルテンベルク州立管弦楽団の首席奏者だという。 ソリストとしては無名の彼女が、 バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタと パルティータ全曲を、 バッハの自筆譜を使って演奏している。

 私の手元には、 世界初録音といわれる マルトーが演奏したパルティータ第三番の 骨董的復刻盤をはじめ、 厳しい求道精神を音にしたシゲティ盤、 格調高いシェリング盤、 バロック・ヴァイオリンのクイケン盤、 演奏者を通してバッハを実感させるエネスコ盤、 バッハが演奏者の陰に隠れてしまった ハイフェッツ盤、 オールドファンには懐かしい 諏訪根自子盤、 そして テルマニー、 リッチ、 オロフ、 ズスケ、 マルツィ、 ミルシテイン、 ポッジャー等々。 中でも私はメニューヒンが若い時に録音した SPの復刻盤を愛聴している。 現代の代表的ヴァイオリニストの ギドン・クレーメルが、 一番共感をもったという演奏だ。

 ペトレ盤を私のコレクションに加えるのは 屋上屋を架すようなものだが、 これまた 誠に見事な演奏だ。 構えたところがない点、 メニューヒンとは違って 親しみを感じる。

 このCDは自主制作のため、 現在 「ラ・ヴォーチェ京都」店のみが 取り扱っているらしい。 一部の好事家が注目するCDを いち早く輸入販売したのは、 「ラ・ヴォーチェ京都」店主の見識だろう。

◎バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲  ペトレ(ヴァイオリン)  自主制作  レーベル名・番号なし(二枚組)

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シュローダーのように

 長女が生まれたとき、 友人がお祝いにくれたのが、 大きなスヌーピーのぬいぐるみだった。 この動物は何だ?と ひねくりまわす私に、 妻が言った。

「あなた知らないの?  いま人気のキャラクター商品よ」

 そのスヌーピーの漫画に シュローダーという男の子が登場する。 この子は ベートーヴェンに心酔し、 おもちゃのピアノで名曲を演奏して、 女の子のルーシーを うっとりとさせる。

 そこで 本当におもちゃのピアノでベートーヴェンが演奏できるのか? ということになるのだが、 なんとそれができるのだ。 そう、 世の中には シュローダーのような、 でも れっきとした大人で プロのピアニストがいる。 マーガレット・レン・タンという 女流ピアニストがそうだ。

 彼女は 「アート・オブ・トイ・ピアノ」というCDの中で、 ベートーヴェンの「月光ソナタ」の第一楽章を 見事に?演奏している。 「なんだ、 これなら俺にだって出来るじゃないか!」 と思ってしまうのだが、 どっこい、 そうはいかない。 私が演奏すると、 それに続く 「星条旗よ永遠なれ」のようになるのだろう。 「月光ソナタ」とは裏腹に、 一本指で たどたどしく弾いているのは、 アメリカ合衆国に対する 痛烈な皮肉に違いない。

 このCDでは、 おもちゃのピアノにはまりこんでしまった ピアニストのタンが委嘱し、 誕生した曲が演奏されている。 ソロもあるし、 本物のピアノや 打楽器などと共演したものもある。 さらに「月光ソナタ」や 「星条旗よ永遠なれ」のほかにも、 ひと味違った「ジムノペディ」や ビートルズ・ナンバーも楽しめる。 どれも トイ・ピアノの音がかわいらしい。

 松本市に、 子供たちが大好きなピアニカ(鍵盤ハーモニカ)で、 バッハやモーツァルトなど、 何でも演奏してしまう人がいるらしい。 近く 東京で演奏会を開くと聞いた。 世の中 楽しいことが一杯だ。

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隅田川界隈

 子供のころ、 東京日本橋で育った。 近くの新富町に住む腕白仲間と 佃の渡しにのって隅田川を渡り、 よく 月島まで遊びに行ったものだ。 下流に見える 勝鬨橋は、 まだそのころ 時間を決めて跳ね上がり、 大型船を通していた。 日本音楽集団の演奏会 「合唱と邦楽器たちとの出会い」が開催されたのは、 その勝鬨橋の近くに最近誕生した 第一生命ホールである。

 日本音楽集団は、 伝統の枠を越え、 われわれに親しめる 新しい邦楽のあり方を求めて 一九六四年に誕生。 発足当時 たった十四人のグループが 百八十一回目の定期演奏会を開催するまでに発展し、 今回は NHK東京児童合唱団を迎えてのコンサートだという。

 邦楽というと、 どうも敬遠しがちだ。 しかし 今回聴いたのは 邦楽本来の美しさを大切にしたモダン・ミュージックで、 これなら誰でも楽しめる。 笛に尺八に箏、 そこに琵琶と三味線は ミスマッチと思いきや、 とても相性がよい。 特筆すべきは 打楽器の多彩さで、 木魚も お寺の専用物にするにはもったいないほどだ。

 演奏されたのは 二曲の器楽曲と、 児童合唱団のために 三人の新進気鋭の作曲家が書き下ろした三曲の、 全部で五曲。 どれも悪くない。 合唱も統率がとれ、 まさに絶唱。 日本の伝統を 世界に発信する気構えが感じられる。 そのうち 器楽曲の「秋の一日」と 「『四季』ダンス・コンセルタントI」は、 すでにCD化されている。 それなら 「梁塵今様」など、 合唱との出会いの三曲も CDにして発売してほしい。

 邦楽の明るい未来を確信し、 会場をあとに 地下鉄大江戸線の勝どき駅に向かう。 動く歩道で朝潮運河を渡りながら見ると、 河畔のイルミネーションが綺麗だ。 そういえば クリスマスも近い。

 勝鬨橋は 一九七〇年十一月二十九日を最後に、 橋が開くことはなくなった。 そして晴海には 未来都市トリトンスクェアが誕生して、 すっかり様変わりした。 それでも 隅田川界隈には、 まだ どこか古い下町の香りがする。 邦楽と洋楽の出合いのように、 ここは古い東京とモダンな東京の 出合いの場なのかもしれない。

◎「日本音楽集団三五周年記念『ディヴェルティメント』」  ライヴノーツ WWCC-7366

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パリのアメリカ人と

ニューヨークのフランス人

 ウィーンで生活していたとき、 IAEAに同時通訳として勤務する 一人の外国人男性に 日本語を教えたことがある。 大使館から依頼されたアルバイトだった。

 彼は 数の数え方をすぐに習得したが、 ノート一冊、 鉛筆一本という言い方に 戸惑ったらしい。 さらに 一本というのなら、 なぜ二ポン、 三ポンと言わないのかと 執拗に食い下がられ、 往生した。 日本人だからといって、 誰でも 日本語教師になれるわけではない。 先日 石原東京都知事が 「フランス語は数を勘定できない言葉だ」と発言し、 物議を醸し出したことで思い出したのが この苦い経験だった。

 ところで アメリカの作曲家、 ジョージ・ガーシュインが パリを訪問したときの印象を音楽にしたのが、 有名な管弦楽曲 「パリのアメリカ人」である。 タクシーのクラクションや、 チャールストンの旋律などが 曲の中に取り入れられ、 誰でも親しめる佳曲となっている。

 その ガーシュイン生誕六十五周年を記念して、 RCAが フランスの作曲家、 ダリウス・ミヨーに委嘱して誕生したのが、 「ニューヨークのフランス人」という 管弦楽曲だ。 ハドソン川、 セントラルパーク、 タイムズ・スクェア、 そして ヤンキー・スタジアムなどが描写されているが、 音楽そのものは面白くも何ともない。 でも ここに紹介するCDは、 そんな二曲を 一枚のCDに収録した 好企画といえよう。

 フランス語がまるで駄目な私にとって、 パリの印象は良くなかった。 だから 石原都知事の発言に相槌を打つ。 でも それが首都大学東京の開設に反対する フランス語教員に向けられた批判なら、 話は別だ。 確かに 聴講生もいないのに教員を雇う財政的余裕は、 東京都にないだろう。 だから 教員は訴訟など起こさず、 フランス語学習の必要性を もっとアピールすべきだ。

 しかし考えてみると、 「儲けてなんぼ」という発想で 大学教育が論じられること自体、 なんとも悲しい。

◎ガーシュイン/パリのアメリカ人・ミヨー/ニューヨークのフランス人  フィードラー指揮 ボストン・ポップス管弦楽団ほか  RCA TWCL-2017

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パンとトマトとブルー・アイランド氏

 二〇〇五年十月十四日の昼、 NHKテレビの「スタジオパーク」に 指揮者の佐渡裕氏が出演し、 音楽の拍子とリズムについて解説した。 相方の女性アナウンサーに 三拍子で指揮棒を振らせ、 五線紙の上に書いた 食パンとトマトの絵を示しながら、 番組参加の視聴者に 「パン・トマト・パン・トマト・パン・パン /パン・トマト・パン・トマト・トマト・トマト」 と言わせる。 そして自分はリコーダーで ラヴェルの「ボレロ」のメロディーを吹く。 すると メロディーがかけ声にフィットして、 三連符が理解できるという仕組みだ。

 一方 奇想天外な音楽入門書 『オペラ作曲家によるゆかいでヘンなオペラ超入門』(講談社+α新書) の著者 青島広志氏は、 九月二十四日放映の 日本テレビ「世界一受けたい授業」に出演、 「脳に効くモーツァルト」と題する 破天荒な講義をして、 視聴者を煙にまいた。 だからその青島氏が、 自らブルー・アイランドと名前を変えて 脚本、 構成、 演出、 出演し、 楽典の解説をしたDVD 「ブルー・アイランド氏の目と耳でわかる楽典」を 書店の音楽書のコーナーで見つけたとき、 これを買ってしまったのは、 当然の成り行きであった。

 いまどきの若者の多くが 楽器を演奏し、 楽譜を見ただけでメロディーを口ずさみ、 ハーモニーをつけて合唱もする。 でも われわれ老人はカラオケが精一杯。 それも CDからの口移しで、 何日もかけて やっと覚えるといった体たらくだ。 そんな老人が、 では このDVDを観て 楽譜が読めるようになったかというと、 なかなか そうもいかないところが悲しい。

 まず ブルー・アイランド氏の マツケン・サンバを連想させる ハデハデ衣装に目を奪われているうちに、 早口の解説に置いてきぼりをくう。 結局 わかったようで、 わからないのが実情だ。 とくに 音名と音程、 音階と調、 和音と和声のところが難関だといえば、 なんだ、 何もわかってないじゃないか! ということになる。

 もちろん 音符とリズムについては 実演が効果を発揮し、 コードネームが 「動物の謝肉祭」の中の「白鳥」、 音楽用語が 「ツィゴイネルワイゼン」の演奏に重ねて説明されると、 なるほどと思う。 しかし 三連符の説明は、 同じ「ボレロ」を題材にしながら 佐渡裕氏の方に軍配が上がる。

 以上述べたように、 このDVDの教育効果はいま一つだが、 映像と音声を駆使した手段が、 音楽教材としての 大きな可能性を示唆する。 ブルー・アイランド氏の 類い稀なるユーモアと才覚をもってすれば、 もっと 素晴らしい教材ができるだろう。

◎「ブルー・アイランド氏の目と耳でわかる楽典」  スタジオ・オズ OZD1023(DVD)

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教授にレッドカード

「ある人が 趣味で輸入ビールの空き缶を集めているとしましょう。 彼以外の人間にとって 何の価値もないその空き缶を盗んだとしたら、 果たして 罪になるでしょうか」

 某大学の教養コースで そんな「法学」を講じるのは、 後輩のA教授だ。 私に匹敵するイケメンの彼だから 女子学生に人気があるのは当然として、 その抱腹絶倒の講義のために 名物教授といわれる。

 そのAと新宿で飲んだとき、 私は彼に聞いた。

「落語を手本にして 講義のやり方を工夫しているんだって?」

 学生が講義に集中できるのは、 せいぜい二十分が限度だ。 だから 一コマ九十分の講義に 学生を釘付けにするには、 教材や話し方に それなりの工夫が必要だというのが彼の持論だ。

 しかし、 とAは言う。

「以前 定期試験の答案用紙の裏に、 こんなことを書いた学生がいたんですよ。 『先生の講義を聴いていると、 自分の研究が 面白くてしょうがないということがわかる。 僕たちにも その面白さをおすそわけしようと、 一生懸命なのが 手に取るようにわかる。 だから それを聴かないと損をするんじゃないかと、 ついつい 講義に引き込まれてしまう』ってね。 いま大学の先生は、 学生による授業評価に オドオドしていますよ。 授業方法を改善するための FD活動もよいけれど、 所詮 大学の講義は、 研究に対する 教員の熱意があってこそ成り立つんですよ」

 学生による授業評価とか、 授業内容や教育方法を改善するための FD活動(ファカルティ・デベロップメント)とか、 近頃は先生も大変らしい。 いまや学生の方が、 先生の鼻先に レッドカードを突きつける時代だ。

 さて いささか酩酊してAと別れるとき、 彼はこう言った。

「最近出た三遊亭圓歌の 『中沢家の人々』というCD、 買って聴いてごらんなさい」

◎「三遊亭圓歌/中沢家の人々(完全版)」  オーマガトキ OMCA-1040

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ブリュートナー・ピアノ

 リストのハンガリー狂詩曲をCDで聴くなら、 ジョルジュ・シフラの演奏したものがよい。 超絶技巧に裏付けられた ダイナミックで民族色の濃い、 稀代の名演だ。

 大昔 ピアノを習っていた時、 先生の家の 古いスタインウェイのグランドピアノで ハノンの練習をした。 名器で練習できて感激したものだが、 いくらスタインウェイで練習しても、 才能がなければ 上手にはならない。

 そういえば 『まるごとピアノの本』という本(足立博著、 青弓社)が、 世界の代表的なピアノについて書いている。 その中に ドイツのブリュートナーというピアノが 紹介されている。

 ブリュートナーは 一八五三年創業のピアノメーカーで、 東西ドイツ時代、 西のベヒシュタインに対し 東のブリュートナーといわれたほどの老舗だ。 その特長は アリコートシステムである。 通常のピアノ弦は三本だが、 このピアノでは、 中、 高音部が各音四本弦となっている。 しかし この四本目の弦は ハンマーで直接叩くことはせず、 三本の弦が鳴ったときに 共鳴して音を出し、 その結果 伸びのある 美しい高音部の音色が得られるというものだ。 ワグナー、 リスト、 ショスタコーヴィチ、 ラフマニノフ、 ルービンシュタイン、 クロイツァーが このピアノを愛用したという。

 ここに紹介する ハンガリア狂詩曲のCDは廉価盤で、 しかも 全十九曲が収録されている。 さらに ブリュートナー・ピアノによって演奏されていることで 目玉商品となっている。 実際に聴いてみると、 なるほど 雰囲気が違う。 加えて アルトゥール・ピサロの演奏がなかなかよく、 迫力の点では シフラに遠く及ばないにしても、 好感のもてるものだ。

 CDに録音される ピアノ曲のほとんどが、 スタインウェイで演奏されるという。 だから 世の中には ほかにもピアノの名器があることを、 このCDは教えてくれる。

◎リスト/ハンガリー狂詩曲全曲  ピサロ(ピアノ)  ブリリアント・クラシックス 92790(二枚組)

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モーツァルト・イヤー

 モーツァルトは 一七五六年生まれだから、 二〇〇六年に 生誕二百五十年を迎える。 不況のレコード業界にとっては 書き入れ時だ。 案の定、 モーツァルトの作品をセットにした CDの宣伝が、 もう 新聞紙面を賑わせている。 「百曲モーツアルト」は 十枚組で三千円。 「究極のモーツアルト全集」は 二十枚組に特典盤が一枚ついて 一万八千九百円とある。

 一方店頭には 玄人向けの「モーツアルト大全集」が、 五大特典付き百八十枚組で 税込み二十五万二千三百十五円の価格で並ぶ。 これは 未完や偽作を除いた 全八百六十六曲を収めた 大掛かりなものだ。 同様のフィリップス盤 百八十枚組 「モーツァルト全集」も これを機に再発売され、 こちらはずっと安価で、 十万円払って ほんの少しだがお釣がくる。 驚くべきは ブリリアント・クラシックス盤の百七十枚組で、 なんと税込みで たったの三万九千九百八十円。 録音も良好。 演奏も悪くないし、 コンパクトなボックスに収納され、 場所もとらない。

 しかし レコード愛好家にとって 興味あるのは、 ヒストリー盤の 「モーツァルト/デラックス」という 四十枚組ボックスセットだろう。 作品を網羅したものとは違い、 SPからLP時代初期の 歴史的名盤や 注目盤をCD化したものだ。

 交響曲は十七曲。 クーセヴィッキーや ビーチャムの 古い録音に食指が動く。 一方 「ハフナー」には ロジンスキー盤とライナー盤が復活。 このように 同じ曲を別演奏で収録したものもあって、 演奏の比較も楽しめる。

 ピアノ協奏曲は十二曲。 ワルターが指揮しながらピアノを弾いた 二十番の他、 二十三番には カーゾン盤とシュナーベル盤が。

 一方 ヴァイオリン協奏曲には 神童時代のメニューヒンが残したアデライデ、 三番、 そして七番の名盤が含まれていて、 これだけでも このCDセットは 買う価値がある。 また三番は 別にデ・ヴィトーの演奏でも楽しめる。

 五曲のピアノ・ソナタのうち、 十一番は フィシャー盤とケンプ盤の二種類が、 ヴァイオリン・ソナタでは ゴールドベルク/クラウスの名盤の他、 三十二番は ソリアノ/タリアフェロが 一九三七年に録音した演奏が珍しい。

 歌劇は「ドン・ジョヴァンニ」と 「コシ・ファン・トゥッテ」が、 いずれも フリッツ・ブッシュ指揮 グライドボーンの往年の全曲盤で。 これに クラウス/ウィーン・フィルによる 「フィガロの結婚」と トスカニーニがウィーン・フィルを指揮した 一九三七年録音の 「魔笛」を加え、 これで十分だろう。

 ところで特筆すべきは、 この ボックスセットの値段だ。 オープン価格だから 店によって若干の差はあろうが、 私は 四千五百五円でこれを求めた。 一枚あたりの値段を考えると、 まさに 百円ショップで買う感覚だ。

 名曲や名演奏を手元に置き、 いつでも楽しめる幸せは 何物にも代え難い。 でも この膨大な枚数のボックスセットを、 残り少ない人生で 全部聴けるかどうかが心配だ。

◎「モーツァルト・デラックス」  ヒストリー(四十枚組)

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愛の証はアダージェット

 年末に、 金沢蓄音器館で 「恋から生まれたクラシック名曲」 というテーマで講演をした。 これにあわせて NHK金沢放送局から、 講演前日のローカルテレビ番組 「いしかわワイド」に出演しないかとの 打診があった。 生放送と聞いて怖じ気づいたが、 相方の女性キャスターが 大変な美人だと聞いて、 「それなら出る!出る!」と 引き受けることになった。

 さて NHKに出演した翌日は大雪で、 果たして 私の講演に人が集まるだろうかと 関係者は大変心配した。 しかし 大盛況だったのは、 前日テレビを観た人たちが、 あのイケメン講師の話なら聴いてみようと 集まったからである。 そんな市民を前に、 大作曲家が 恋をして生まれた名曲のいくつかを、 金沢蓄音器館の 膨大なSPレコードのコレクションから選び、 古い蓄音機で再生しながら 話をすすめた。 取り上げたのは ベートーヴェン、 シューベルト、 ベルリオーズ、 ショパン、 シューマン、 エルガーなど。 ほかに マーラーも話題にしたかったが、 適当なレコードがなく、 残念ながら諦めざるを得なかった。

 往年の名指揮者メンゲルベルクによると、 マーラーの交響曲第五番の第四楽章アダージェットは、 作曲者グスタフの アルマに対する愛の宣言であったという。 マーラー夫妻の愛情は、 シューマン夫妻のそれに比較される。

 ところで 「ヴェネツィアの光と夢」というCDが 話題になっている。 ヴェネツィア室内合奏団をバックに フルートを演奏する山形由美の、 デビュー二十周年記念アルバムだ。 ヴィヴァルディのフルート協奏曲などに加え、 最後に そのマーラーのアダージェットが演奏されている。 山形由美のフルートは美しく、 高橋敦の指揮が それを巧みにサポートし、 グスタフの愛の宣言にふさわしい出来映えだ。 曲の最後にかすかに聞こえるのは、 録音場所 ヴェネツィアのサン・サムエレ教会の鐘の音であろう。 偶然に収録されたものだというが、 あたかも グスタフとアルマの結婚を 祝福するようにも感じられて、 印象深い。

 講演を終え、 大雪の中を 金沢から東京に戻るのが大変。 でも 上越新幹線がトンネルを抜けると、 雲一つない青空の下に 関東平野が広がる。 鉛色の雲の下の 金沢の雪景色に比較して、 その明るさは 山形由美の演奏を思わせる。

◎「ヴェネツィアの光と夢」  山形由美(フルート) ヴェネツィア室内合奏団  Imagine Best Collection IMGN-5001

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名曲喫茶に見るモダン日本の音楽事情

はじめに

 私の住む町の名曲喫茶が、 最近 店を閉じた。 CD全盛時代のいまでも 名曲喫茶が存在したこと自体が驚きだが、 一つの時代が終わったと思うと 寂しさを禁じ得ない。

 モダン日本の音楽事情は、 蓄音機とレコードを抜きにして 論じることができない。 なぜなら 名曲喫茶こそ、 わが国の特殊な音楽事情を 象徴しているように思えるからである。

 そこで 本論では、 わが国における 蓄音機とレコードの歴史の概略をたどりながら、 日本人にとっての西洋音楽を考える。 なお 引用した録音記録の多くが 現在CD化され、 比較的容易に耳にすることができるので、 参考のために それらのCDについても 若干のコメントを註にして 文末に掲げた。

蓄音機の誕生

 音声を記録して保存するアイデアは、 一八五七年に フランスの印刷技師、 エドアード・レオン・スコットによって、 また その録音・再生法は、 一八七七年に 同じフランスの 詩人で発明家のシャルル・クロによって 考案された。 これを 円筒型蓄音機として実用化したのが トーマス・アルバ・エジソンで、 自分の蓄音機に 「メリーさんは子羊を飼っていた」 と吹き込んだのは、 クロに遅れること、 僅か四ヶ月であった(註一)。

 エジソンは一八八〇年の夏 バイロイトにワーグナーを訪ね、 自分の発明したシリンダー式録音機で 初演者たちによる 「トリスタンとイゾルデ」の 「愛の二重唱」の一部を 録音したという(註二)。 ホフマンとビューローのピアノ演奏の録音は 一八八九年、 有名な ブラームスの自作自演のシリンダー録音は その翌年に行われた(註三)。

 一方 アメリカのエミール・ベルリーナが 平円盤レコードを発明し、 自ら 「キラキラ星」の詩を朗読、 録音したのは、 一八八七年であった(註四)。 ベルリーナの平円盤レコードによって エジソンの円筒レコードが 市場から駆逐されてしまったのは、 平円盤レコードが 大量生産ができることと 取り扱いが簡単だったからである。

 ところで 英グラモフォン社のガイズバーグは 一九〇一年と二年に 名歌手シャリアピンとカルーソーの歌声を それぞれ録音し(註五)、 これが オペラ歌手による 声楽録音全盛時代の幕開けとなった。 そのガイズバーグが一九〇三年に 録音機材一式を携えて来日、 当時の邦楽界を代表する名人たちの至芸を 二百七十三枚のレコードに残したが(註六)、 その三年前の一九〇〇年に パリ万博を訪れた川上音二郎一座が、 現地で オッペケペー節などを すでに録音していた(註七)ことを知る人は 少ない。

日露戦争後

 葉書や 駅弁の値段を参考にして換算すると、 当時のレコード一枚が いまのお金にして 八千円から二万五千円、 蓄音機一台が 十八万円から四十万円近くしたらしい。 そんな高価なレコードや蓄音機が 最初に普及したのは、 日露戦争後の好景気がきっかけだった。 一九〇九年に 国産平円盤レコード第一号を世に出した 日米蓄音機製造株式会社は 翌年 日本蓄音機商会となり、 桃中軒雲右衛門、 吉田奈良丸、 天中軒雲月などを起用した 浪花節のレコード(註八)を発売し、 これが大成功を収めた。

 一方洋楽、 すなわち クラシック音楽のジャンルでは、 一九〇九年に フィンク指揮で録音した チャイコフスキーの「くるみ割り人形」が 世界最初のオーケストラ録音といわれ、 また 交響曲の古いレコードとして,一九一〇年録音の オデオン弦楽オーケストラによる ベートーヴェンの「運命」(註九)と 「田園」が知られている。 しかし 大編成のオーケストラの録音は 当時まだ困難で、 レコードとしてわが国に入って来たのは 器楽曲の小品や 歌がすべてであった。 当時 愛好家を喜ばせたのは、 ヴァイオリンのクライスラーやエルマン(註十)、 テノールのカルーソーのレコードであった。 もちろん国内でも、 三浦(旧姓柴田)環が イタリアのテノール、 サルコリと カヴァレリア・ルスティカーナの二重唱を録音したニッポノフォンレコード(註十一)が 一九一三年に発売されたが、 これらの輸入洋楽レコードに比較して 旗色は悪かったのだろう。

 ところで 一九一五年の 松井須磨子が歌った 「カチューシャの歌」の大流行は、 レコードが流行歌を作り、 また レコードがスターを誕生させるという 今日に通じる社会現象を生み出した。 藤原義江(註十二)や 田谷力三に代表される 浅草オペラ全盛期は、 これに続くものである。 また 尾崎行雄や 大隈重信といった政治家が、 自分の政見を録音し、 レコードを選挙運動に利用したのは、 時代を先取りしていて 興味深い(註十三)。

レコード業界の試練

 第一次世界大戦後の好景気で、 レコード産業は さらに活性化したが、 同時に いくつかの試練にもさらされ、 それがわが国における 西洋音楽の特殊事情を 決定づけることになった。

 その一つ、 関東大震災(一九二三年)後の関税の引き上げは、 時の政府が 蓄音機やレコードを 贅沢品と見なしたからである。 外国のレコード会社は 有望な日本市場を失うことを恐れ、 業界の再編で この苦境を乗り切ろうとした。 その結果、 いままで輸入盤に頼っていた洋楽レコードは 海外から原盤の提供を受け、 国内でプレスされるようになった。

 一九二五年に始まったラジオ放送も、 レコード業界にとって脅威となった。 しかし 当時のラジオは大変高価で、 放送局は一局しかなく、 しかも 音楽番組は限られていて 選択の余地はなかった。 それに比べ 好みのレコードを買い求めさえすれば、 好きなときに 何度でもこれを楽しむことができ、 加えて 世紀の巨匠が演奏するとあれば、 その存在価値は いささかも減ずることはない。 むしろ ラジオによって音楽を知り、 ラジオで満たされないものをレコードに求め、 次第に 電気的な再生音に 違和感を持たないようになっていった。 また レコード業界もラジオに対抗するため、 一九二四年に開発された 電気録音方式を いち早く採用し、 同時に発売された 電気蓄音機の利用と合わせて、 再生音は 大幅に改善されることとなった。 管弦楽や室内楽などの 大曲録音の機運は 一九二〇年代のはじめより 高まりつつあったが、 電気録音方式のお陰で、 ここに 一流指揮者による 一流オーケストラの演奏する大曲が、 次々と録音、 レコード化されるようになったのである。

昭和初期

 昭和の初期には 流行歌と ジャズのレコードが街に反乱し、 レコード産業は 確固たる地位を築くに至る。 一方 洋楽は、 一九三〇年に 近衛秀麿の指揮で マーラーの交響曲第四番が録音され(註十四)、 このレコードは わが国における最初の交響曲の録音であるばかりか、 この曲の世界初録音としての名誉も担うものとなった。 しかしながら このレコードが わが国の愛好者にどの程度歓迎されたか、 定かでない。

 一九二七年に 「レコード音楽」誌が創刊され、 ここに レコード批評家が誕生し、 レコード芸術と呼ばれる分野が生まれる。 あらえびすの『名曲決定盤』や 野村光一の『名曲に聴く』といった著書は、 クラシック音楽を 民間に普及したことで力があった。 しかし このことはまた、 例えば フランクのヴァイオリン・ソナタは ティボー/コルトーのビクター盤(註十五)に限るといったように、 特定のレコードを規範とすることとなり、 わが国のクラシック音楽愛好家が 超一流の演奏家しか受け入れないような下地を作ってしまったのも 事実である。 その結果、 東京や大阪は 海外の演奏家の市場として注目され、 多くの巨匠が来日して演奏会を開き、 また 日本でレコードを作った。 そのレコードが 最近CDに集大成されたが(註十六)、 その数と多様性に 改めて驚かされる。

 一方 来日して演奏会を開いた 名ヴァイオリニストのブルメスターが、 客のあまりの不入りに 「自分もビクターの赤盤に吹き込んで、 また出直してくるとしよう」と言ったという 有名なエピソードは、 音楽ファンが レコード会社の格付けによって 演奏家を評価していた一面が伺えて 面白い。

 ところで あらかじめ予約金をとって録音を行う、 いわゆる協会レコードは、 英国グラモフォンの ウォルター・レッグの企画だったという。 一九三一年の エレナ・ゲルハルトによる ヴォルフ協会レコード(註十七)は、 実現に 五百セットの完売が必要だとされた。 そして 日本からの百十一セットの予約で 実現したということは、 驚くべきことである。 また 堀内敬三(『音楽五十年史』、 講談社学術文庫)によると、 昭和の初期に 交響曲やソナタの洋楽レコードの売り上げは わが国が世界一で、 例えば ワインガルトナー指揮のベートーヴェンの第九(註十八)が三千組、 トスカニーニ指揮の運命(註十九)が三万組、 さらに シュナーベルが演奏した ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集(註二十)の予約申し込みは 何と二千組で、 これは ヨーロッパにおける全申込数に 匹敵する数字だったという。 したがって 外国のレコード会社が 新しく録音企画を立てるときには、 第一に 日本における売り上げを考慮したというし、 事実、 わが国の希望で レコード化が実現した例もあったという。

終戦後

 戦後の 不自由な音楽活動の代わりをしたのは、 レコードであった。 レコード産業の復興には 数年を要したが、 やがて 人びとは少しずつ裕福になり、 レコードを買い求める経済的余裕も生じた。 そして 朝鮮戦争の好景気で、 レコード産業は 再び息を吹き返すのである。 一九四八年には 米コロムビアがLPレコードを発表、 やがて ステレオレコードも登場して、 ここに 熱狂的なオーディオマニアが誕生することとなった。 そして 一九六〇年代半ばには、 日本のレコード生産量は アメリカに次いで 世界第二位の地位に躍進するとともに、 日本の音響技術は 世界のトップ水準に達し、 さらに CD、 DVD全盛の 今日につながっていくのである。

レコードの功罪

 コンサートやオペラは、 コンサートホールや オペラハウスにおける 限られた聴衆を相手にした、 一回限りの芸術的行為である。 良い演奏になるか 悪い演奏になるかは、 終わるまでわからない。 だから 期待もあれば不安もある。 一方 レコードの場合は、 演奏者と聴衆は 時間的にも空間的にも隔離され、 加えて演奏者は 不特定多数の聴衆を相手にすることとなる。 記録された演奏は 反復再生が可能であるから、 当然二回目からは もうどんな演奏かは、 事前にわかってしまう。 そこには 演奏者と聴衆が共有する 交感作用は存在しないし、 スリルも緊張感もない。

 また レコードによる再生音は、 生の演奏とは異なる。 録音された演奏は レコード化の過程で編集され、 傷のないものに仕立てられ、 また 効果音の付加や アフレコなど、 実際にはあり得ないような演奏にもなるし、 実際の演奏以上の音響効果を生むことさえある。 もちろん オペラのレコードは 音だけの記録であって、 視覚に訴える部分は 完全に欠落している。 それでは オペラを楽しむことにはならない。 家庭のリスニングルームでは コンサートホールの雰囲気は味わえないし、 豪華な絨毯、 輝くシャンデリア、 そして 美しく着飾った客が集う 華やかなオペラハウスとは 無縁のものである。

 わが国では従来、 クラシック音楽を コンサートホールや オペラハウスで楽しむチャンスに なかなか恵まれなかった。 多くの若者たちはコンサートに行けずに 名曲喫茶に入り浸り、 一杯のコーヒーに 乏しい金を投資して、 貪るように レコードに耳を傾けた。 最近では 事情がずっと好転したとは言え、 依然として ヨーロッパのような オペラハウスは皆無だし、 外国から歌劇団を招聘しても、 入場料は 決して安くない。 コンサートに行く人は まだまだ限られ、 よほどの愛好家か、 義理立てして 親戚知人のお付き合いで 行くこともあるだろう。

 レコードが 日本人の音楽的教養を高めたことは まぎれもない事実である。 加えて 誕生したばかりの放送局は 公共事業、 文化事業としての立場を堅持し、 これに音楽家が 積極的に協力した。 新聞社は紙面で啓蒙をはかり、 レコード批評家が名盤を推薦した。 レコード会社も 売れるレコードより 良いレコードを作ることに 使命感を燃やした。 儲けるためなら何でもするという いまの世の中とは大違いだった。 他方 クラシック音楽愛好家は、 当時の日本の事情から どうしてもレコードに頼りがちになる。 そして問題は、 狂信的なオーディオマニアも含め、 われわれが 音楽愛好家である以上に レコード愛好家になってしまったという現実である。

 明治から 昭和の初めにかけて、 われわれが レコードによって身につけた 音楽的教養は、 西洋音楽に 著しく比重をおいたものであった。 その結果、 日本古来の伝統芸能が 置き忘れられる結果となった。 かつてガイズバーグが 日本に出張録音し、 邦楽の至芸を 二百七十三枚ものレコードに残してくれたことを思い返すと、 それは 大変残念なことである。

「聴衆に向かって演奏すると、 音楽を聴くこと以上に伝わるものがあります。 だから客はコンサートに来る。 家でくつろぎながらレコードを聴くのとは 大違いです」と言ったのは、 名ピアニストの アルトゥール・ルービンスタインである。 一方 クルト・リース(『レコードの文化史』、 佐藤牧夫訳、 音楽之友社)は こう書いている。 「リストがピアノから引き出した音は 鳴り響くと同時に 早くもかき消えていったが、 音楽は もはやそのように消え去ることはないだろう。 なにしろ レコードがあるのだから」。

一、 「ザ・ファースト・レコーディング (イギリス・レコード界の先人たちを讃えて)」

ウィング WCD 11 のボーナストラックの中に、 わずか七秒の記念すべきエジソンの声が収録されている。

二、 前項(1)と同じCDのボーナス・トラックに収録。 また同じものが、 CEDARレーベルの「ワーグナーが指揮したワーグナー」 (AB 78753/54)では、 オリジナルの音源とそれを修正し、 若干聴きやすくしたものの二通りで聴ける。

三、 ホフマンは最も早くレコードを作ったピアニストの一人だが、 生涯の録音の数は少なく、 現在CD化が進んでいるVAIオーディオ盤 ーマーストン盤「ホフマン全集」にも、 最初期の録音は含まれていない。 一方ブラームスの自作自演は大変有名な録音で、 先述一のCDのほか、 パール盤やシンポジウム盤などでもCD化された。 しかしいずれも劣悪な音質で、 ブラームス自身の肉声やピアノ演奏は、 雑音のかげに隠れてほとんど聞き取れない。

四、 「およそ百年/記録された音声の歴史」というタイトルのシンポジウム盤(1222)に、 一八八九年(?)の録音が収録されている。 また「エミール・ベルリーナのグラモフォン」という シンポシウム盤CD(1058)でも、 一八九〇年頃に録音されたベルリーナと思われる声が聴ける。

五、 カルーソーはバイアー・ダカーポ盤による十五枚組全集 (BR 200 010―23+デモンストレーション盤)が、 またシャリアピンは一九〇二ー一九〇八年の古い録音を収録したARBITER盤 「シャリアピン全集」の第一巻(125)がよい。

六、 これらの貴重な録音はすべてCD化され、 EMIより「全集/日本吹込み事始」のタイトルの 十一枚組ボックスセット(TOCF-59061ー71)として発売された。 なおその抜粋盤「日本吹込み事始」 (EMI TOCF-59051)もある。

七、 「甦るオッペケペー/1900年パリ万博の川上一座」 (EMI TOCG-5432)。

八、 「浪花節の黄金時代(上)ー伝説の巨人 桃中軒雲右衛門からー」、 コロムビア CF-4229)。

九、 「ベートーヴェン『第五交響曲』の全曲第一号」  ウィング WCD 62

十、 クライスラーの演奏は 「フリッツ・クライスラーの芸術」 RCA BVCC-8109ー8119(十一枚組)として RCAでの全録音がCD化。 ほかにクライスラーやエルマンによる 古いヴァイオリン演奏のレコードが、 ビダルフ・レーベルなどで多数復刻されている。

十一、 「伝説のプリマ・三浦 環」  ヴィンテージ SYC-1001。

十二、 「我等のテナー/藤原義江全集(全六十六曲)」  ビクター VICC-40084/6(三枚組)

十三、 海外では、 同じようなレコードがCD化されている。 「コミュニズムの台頭」(オパール、 CD 9856)では レーニン、 トロッキー、 スターリン、 モロトフらの、 また「ナチズムの台頭」(オパール CD 9849)では ヒットラー、 ヒンデンブルク、 ゲッペルス、 ムッソリーニらの演説が聴ける。

十四、 マーラー/交響曲第四番「世界初の全曲電気録音」  近衛秀麿指揮新交響楽団  デンオン 30CO-2111。

十五、 フランク/ヴァイオリン・ソナタほか  ティボー(ヴァイオリン)コルトー(ピアノ)  エンジェル TOCE-7825のほか、 ビダルフ・レーベルでも楽しめる。

十六、 「SP時代の名演奏家/日本洋楽史/来日アーティスト篇」   ヴィンテージ YMCD-1074/78(五枚組)

十七、 「ヴォルフ協会第一輯」は 全十九曲がSP盤七枚組として発売された。 その後第六輯まで作られたが、 第二輯以降については 日本に輸入されたものは少なかったという。 現在では全六輯に追補分を加え、 五枚組CDボックスとして一括発売されている (「ヒューゴ・ヴォルフ協会 一九三一―一九三八 完全版」  EMIクラシックス 5 66640 2)。 なお協会レコードとして、 ほかにシナーベルが演奏した ベートーヴェン/ピアノソナタ全曲の「ベートーヴェン・ソナタ協会」、 クライスラーの「ベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ協会」、 エドヴィン・フィッシャーのバッハ/平均率クラヴィーア曲集第一巻と第二巻、 カザルスのバッハ/無伴奏チェロ組曲全曲の「バッハ協会」、 またヒッシュが歌った「冬の旅」と 「美しき水車小屋の娘」の「シューベルト協会」、 それにグライドボーン・オペラによる「フィガロの結婚」 「コジ・ファン・トゥッテ」 「ドン・ジョヴァンニ」と ベルリン・フィルによる「魔笛」の「モーツアルト歌劇協会」も発売された。 これらはすべてCD化されている。

十八、 古いSP盤の復刻に定評のある オーパス蔵盤(OPK 2040)がよい。

十九、 古いSP盤の復刻に定評のある オーパス蔵盤(OPK 2046)がよい。

二十、 全曲はさまざまなレーベルでCD化されている。 そのうち廉価盤のドキュメント・レーベルによる復刻は十枚組ボックスセット(223051―321/AーJ)で、 わずか千六百円前後(オープン価格)で入手できる。

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元祖「スウィングガールズ」

  ―あとがきにかえて―

篭に入った猫の図

 先日 「君が代のすべて」というCDを買いました。 国歌の変遷を知り、 さまざまなスタイルの「君が代」を 耳にすることができて、 大変 勉強になりました。

 その中に、 吾妻婦人音楽連中による 「君が代」が収録されています。 これは一九〇三年に G&T社の録音技師、 フレッド・W・ガイズバーグが 日本にやってきて録音した、 レコードとしては 最初の「君が代」と呼ばれるものです。 演奏している 吾妻婦人音楽連中というのは、 新吉原江戸町の 「新稲弁楼」楼主が結成した 芸妓による吹奏楽団で、 むしろ ゲイシャ・ブラス・バンドと言った方が わかりやすいかもしれません。 お世辞にも上手とは言えませんが、 そんな昔に 若い芸妓の吹奏楽団が存在したことはもちろん、 その演奏が レコードに残されていたことにも 驚かされます。 最近、 東北の片田舎の女子高生たちが ひょんなことから ビッグバンドジャズに魅了される姿を描いた、 「スウィングガールズ」という映画が 評判になりましたが、 吾妻婦人音楽連中は そんな映画を先取りしていたのです。

 さて 二〇〇六年一月十一日の東京新聞に、 「大学ブランド/名前を売り込む武器に」というタイトルの 社説が掲載されました。 いま あちこちの大学で、 さまざまな大学グッズが キャンパス内の売店で販売されています。 法人化された国立大学にとって、 そんな大学独自のブランド品が、 美辞麗句を並べた勧誘パンフレットより 学生定員の確保に 効果があるかもしれないというのが 社説の内容で、 その例として 北海道大学のクッキー、 東京大学の泡盛、 神戸大学のビーフ、 信州大学のワインをあげています。 そして 「泡盛やワインは 未成年者は飲めないものの、 保護者が味わって 『うまい』と思えば、 その大学が 家庭での話題に上がることだってある」という文章には 思わず笑ってしまいましたが、 有力紙の 見識ある論説委員が こんなことを本気で考えるわけもなく、 これは いまの大学教育に対する 痛烈なジョークなのでしょう。 どの大学で学ぶかは、 その大学が自慢するクッキーや ビーフの味で決めるわけではなく、 まして 大酒飲みの父親の指図で 大学に行くわけでもありません。

 ところで 最近読んで印象に残った本に、 「国家の品格」(藤原正彦著、 新潮新書)があります。 著者は、 いままで日本が誇ってきたのは 「情緒」と 「形」であり、 「情緒」は 教育によって培われるもの、 「形」は 武士道精神からくる 行動基準であると説いています。 そして日本人は 市場経済に代表される 欧米の「論理と合理」にそれを忘れ、 「国家の品格」をなくしてしまったと嘆き、 「金銭至上主義に取りつかれた日本人は、 マネーゲームとしての、 財力にまかせた 法律違反すれすれのメディア買収を、 卑怯とも 下品とも思わなくなってしまった」と 警鐘をならします。 なるほど、 いま耐震強度偽装マンションの発覚と ホリエモン・ショックで、 日本中 蜂の巣をつついたような騒ぎになっています。

 悲しいことに いまは稼ぐが勝ち、 人の心は 金で買えるという時代です。 先に紹介した東京新聞の社説は、 「国立大学も、 法人化に伴う市場原理の導入で、 管理者のビジネス感覚が 一段と問われる時代になった」と 結んでいます。 確かに 大学で学ぶ学生の数は減る一方なのに、 大学は増設されるという 時代が続きました。 そのため 大学では 学生定員を確保するために、 教養教育は 役に立たないとの理由で見捨てられ、 代わりに 就職に有利で、 学生や 父兄が飛びつきそうな 資格の取れる授業科目が増やされました。 大学の先生は 研究業績より 学生による授業評価や、 ゼミ生の人数、 就職率で評価され、 研究も役立つ研究、 お金の儲かる研究が 奨励されるようになりました。 大学教育にも 市場原理が導入されたのです。

 二十余年間、 大学の教養部で教養教育を担当し、 あわせて およそ金儲けとは無縁の 古生物学の研究に没頭してきた私にとって、 このような風潮が 定年前に大学を退職するきっかけとなりました。 今回 この小冊子にまとめた文章のほとんどが、 そんな時期に前後して 北陸中日新聞紙面と 武智音楽事務所のホームページに掲載したものです。 ですから 文章の中で音楽に託し、 登場人物に語らせる形で、 大学における教育や 研究に関する私の考えも 少しは述べたつもりです。

 今回の郵政法案と衆議院解散、 そして その結果としての自民党の圧勝は、 一体 何だったのでしょう。 郵政民営化の陰に見え隠れする アメリカの圧力の存在や 東條型ファシズムへの不安、 さらに 民意を問うなら 獲得議席数ではなく 獲得票数で決めるべきだと指摘した識者もおられます。 また ロナルド・ドーア氏は、 郵政民営化を 唯一の争点にする戦術で、 三千万人以上の有権者をひきつけることができたことに 首をひねります (二〇〇五年九月十八日付東京新聞)。

 規制緩和、 そして その結果としての自由競争こそが 豊かな社会を作ると夢見たものの、 少数の勝ち組と 大多数の負け組を誕生させつつあるのが 現実のようです。 もちろん 国の財政再建のために 改革を避けて通ることはできません。 でも いま進められている改革が 必ずしも改善につながらないことに、 国民は 少しずつ気がつき始めているようです。

 地域住民には全く無縁の人が 刺客として選挙区に送り込まれ、 地元の意見を代弁していた議員が 郵政反対一つを理由にして追い出されてしまったことに、 眉をひそめた人も少なくありません。 日本女性に 優しさや謙虚さを期待する 古いタイプの私などは、 その刺客の中に、 超一流大学を卒業し 外国に留学、 当然 英語を流暢に操る才媛がいたことに、 腰を抜かさんばかりに驚きました。

 そのようにして誕生した小泉チルドレンについて 梅原猛氏は、 「そのチルドレンの主人そのものも 『チルドレン』の一人であるように思われる」と 指摘します (「幼児性のぞく政治の主役」、 二〇〇六年一月十六日付東京新聞夕刊)。 一方 藤原正彦氏は「国家の品格」の中で 「国民は永遠に成熟しない」と述べています。 なるほど そんなチルドレンを選挙で選んだわれわれは、 成熟しない国民なのかもしれません。 藤原氏は、 それを防ぐためにこそ必要なのが エリートであり、 そんなエリートの条件の一つが、 文学、 哲学、 歴史、 芸術、 科学と言った、 何の役にも立たないような 教養を身につけることだと主張して、 旧制中学や旧制高校に 思いを馳せているのです。 いま軽視され、 捨て去られようとしている 教養教育の役割と必要性を、 私たちは あらためて認識しなくてはなりません。

 われわれが戦後、 祖国への誇りや自信を失うよう 教育されてきたとの藤原氏の指摘は、 確かに その通りでしょう。 戦後の日本の弱腰外交と 事なかれ主義が、 いまの日本に 大きな負債となってのしかかっています。 それを是正するためにも、 今後は近隣諸国に対し もっと毅然とした態度をとるべきかもしれません。 それだからといって 靖国神社の参拝強行によって、 極端なナショナリズムを煽ることもまた心配です。 チャイルドに率いられたチルドレンと、 そんなチルドレンを誕生させた 成熟しない国民が、 昔来た道を いままた歩いているとしたら、 由々しき事態です。

 若い芸妓のブラスバンド、 吾妻婦人音楽連中は、 一九〇三年二月に 「君が代」の演奏を録音したあと、 関西地方へ巡業にでかけました。 さらにその後 松山市の赤十字社支部で演奏するため、 五月一日の夜に 広島の宇品港から 連絡船「速水丸」に乗船。 しかし その連絡船が外国船と衝突して沈没し、 吾妻婦人音楽連中のメンバーの何人かも 犠牲になりました。 そのことがあって、 この演奏団体は 消滅してしまったのです。

 一方 映画の中のスウィングガールズは 猛特訓の後、 見事な演奏を披露して 私たちを驚かせます。 そして この映画を観たり、 彼女らの演奏を聴いたりした私たちは、 日本の若い人たちも捨てたものじゃないと考え、 日本と日本人の未来に 大きな期待を抱くのです。

「君が代のすべて」の中に収録されている 陸上自衛隊中央音楽隊が演奏する 「君が代」を聴くと、 この曲の素晴らしさを再発見します。 いまでも 国歌斉唱を強要されたとの批判が 新聞の投書欄に掲載されますが、 こんな素敵な国歌を口ずさむことが出来ない国民は 不幸だと思います。 だからといって 「郵政民営化に反対する奴は国賊だ!」と 言わんばかりの小泉首相は ご愛嬌だとしても、 「国歌を歌わぬものは非国民だ!」と 厳しく糾弾されるような世の中にだけは したくありません。 「国家の品格」を読み、 「君が代のすべて」のCDを聴きながら、 大きな可能性を秘めた あのスウィングガールズの将来のためにも、 そのことを 願わずにはいられないのです。

◎「君が代のすべて」  キング・レコーズ KICG 3074

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『元気と幸せのおすそわけ』

   ー名盤・珍盤・告知板ーへのメッセージ

               今宮 久志

 千田日記さんとの出会いは、 いまから 十数年前に遡ることになります。 当時は 金沢城址にあった 金沢大学教養部の一室でした。 中は とにかく暗くて、 外から建物に入ったら 十秒ほどは歩かず、 廊下で じっと暗さに目を慣らしたものです。 いや、 雨でも降れば、 幽霊屋敷そこのけの ありさまでした。

 そこに、 千田日記さん(理学博士で、 教授職でした)の 研究室がありました。 専門は古生物学、 それも ンノ化石ということで、 「それ、 何の化石?」と、 純真な私は 不思議な思いに包まれたものです。 観察するのに 顕微鏡をのぞかねばならず、 世間離れした 辛気くさい仕事だな、 内心 あきれかえったわけです。

 当時は、 そこにO教授、 K助教授、 それにSさんという 事務職の女性もおられました。 この三人は、 千田さんの 心強い同僚であり、 親密な友人でもあることは、 すぐ分かりました。 私が勤める新聞社から 十分も歩けば研究室に着き、 世間話をしながら Sさんからコーヒー、 時にはビールなどを 馳走になりました。 ついでに 千田さんをはじめ Oさんや Kさんから、 新聞ダネになる話を いくつも頂けるなど、 本当にいい時代でした。

 そんなある日、 千田さんは 音楽が大好きで CDの収集家であること、 ウィーン大学への 留学歴があることなどを 聞き知ったのです。 北陸中日新聞の文化欄に 執筆をお誘いしたのは 自然な流れで、 千田さんも 「ああ、 いいですよ。 原稿料なんかいりません!」と 言われたことは、 今も この耳に響いています。 「いや、 そういうわけにはいきませんから」と そのうれしいお申し出は 聞き流すことにして、 高額の原稿料をお払いしたことは 申すまでもありません。 ついては 名前を千田日記にしたい、 とも言われました。 不覚にも、 私は「何故、 ペンネームにするのか、 何故、 千田日記なのか」と、 尋ねませんでした。 ただ、 人前に本名を出せない悩み、 理由さえ言えない 深い理由があるのだな、 と推測するばかりでした。 惻隠の情というヤツでしょうか。

 その節、 親切にも私は アドバイスをしました。 「書き上げた文をチェックするため、 まず 奥様に読んでもらうといいですよ」。 後日、 研究室を訪ねると 「アドバイスを実行したのはよかったけれど、 次からはもう読ませない!」と 語気強く言うのです。 家庭内に果たして何があったか?  側聞はしていますが、 これ以上 触れられないのは残念です。

 さて、 連載が始まりました。 大学へ行ってみると、 おかしなことに 知り合いの先生たちは皆、 千田日記氏とは誰か、 を知っているのです。 驚きました。 当人に会うと、 彼は うれしそうに言うのです。 「コピーをとってね、 これは僕が書いたんだと みんなに渡しているんだよ」。 再び、 私はびっくりしました。 「ペンネームにした意味は?」。 うすうす感じてはいたけれど、 変った御仁だな、 という印象が 私の全身に染み渡ったのは、 おそらくこの時でしょう。

 本書をお読みになると、 千田さんの人柄が 何となく伝わってきます。 とにかく 自分が紳士であり、 イケメンであり、 女性にもてる(はず)と 思いこんでいる点です。 まさに 「文は人也」です。 本書のタイトル通り、 本当に幸せな人です。 私も こんな人生を歩いてみたいと思います。 でも、 本当にイケメンであるか、 女性に持てるか、 と聞かれれば、 「お会いにならない方が賢明ですよ」と、 声を低く答えようと思っています。

 千田さんが、 紳士であることは 間違いありません。 朗らかで 人付き合いも如才がなく、 福島生まれの東京育ちですから 純真朴訥で品格があり、 冷たさは微塵もありません。 冗談や駄洒落も豊富だから、 友人にも恵まれているのです。 奥様が惚れたのも 故なしとしません。 文中に、 家庭の一部が描かれていますが、 とにかく 一度伺えば二度行きたくなる家庭です。 私はまだ、 一度しか行っていませんが............。

 ただ、 前立腺癌だとあるのは、 いささか心配です。 旅行中に 脳梗塞で倒れた話もありました。 ご本人がお考えのようには、 お体はもう若くはないのですよ。 この上は、 《老体》をいたわりつつ 好きな音楽、 教育問題などを、 得意の軽妙なタッチで論じて下さい。 そして、 また皆さんと一緒に 一杯傾けようではありませんか、 昔のように。

                  中日新聞社論説委員

謝辞

 一九九三年から五年間、 北陸中日新聞に連載したエッセイは、 「他人に押しつけるわがまま」という本にして、 一九九八年に 近代文芸社から出版しました。

 本書は、 二〇〇一年に 同じ北陸中日新聞に連載を再開、 四年間にわたり 月一回のペースで紙面に掲載した文章と、 その後 武智音楽事務所のホームページに掲載した文章を まとめたものです。 また 「ツーバイフォー」誌、 「音楽文化の創造」誌、 「くにたち駅舎を残そう/レポート」に掲載した文章も、 一部加筆修正して 転用させていただきました。 中日新聞北陸本社、 武智音楽事務所、 日本ツーバイフォー建築協会、 財団法人音楽文化創造、 および 国立駅舎保存の会の関係者各位に、 御礼申し上げます。

 まず何よりも 本書の出版に当たり、 あらかじめ原稿に目を通して下さった 中日新聞北陸本社の今宮久志さんと 作曲家で富山大学教授の森田信一先生に 心から感謝申し上げます。 とくに 今宮さんには、 本書のためにメッセージをお寄せ下さり、 これこそ 身に余る光栄と うれしく思います。 また 便宜を図って下さった 金融ブックス社長の白滝一紀さん、 素敵な表紙絵とカットを描いて下さった ヒラキムツミさん、 本当に有り難うございました。

 ところで二〇〇〇年、 前立腺癌手術のため 東京医科歯科大学医学部附属病院大学に入院していた時、 病床の枕元を飾っていたのは、 一枚の小さな女の子の写真でした。 北陸中日新聞に エッセイの連載を再開する気持ちになったのも、 病床を飾った この写真に慰められ、 元気づけられたからに違いありません。 この本の「元気と幸せのおすそわけ」というタイトルは、 このことに由来しています。 そこで 写真の可愛らしい女の子、 神谷彩月ちゃんにも 有り難うと言いたいと思います。

 もう一つ、 この本の中の文章の一部を 北陸中日新聞に連載していたとき、 事前に原稿に目を通して下さったのが、 当時 職場のよき同僚であった 十文字学園女子大学教授の牧野文子先生でした。 一度先生がほめて下さった原稿が、 私の妻の逆鱗に触れるのではないかと心配した 新聞社側の配慮で、 掲載が見送られたことがあります。 そのことを先生は 「ユーモアの中に夫婦愛を感じさせる 良い文章だったのにね」と 大変残念がっておられました。 その牧野先生は、 二〇〇五年に急逝されました。 今回 この本を上梓するにあたり、 先生の あのときのお気持ちを尊重し、 日の目を見なかった原稿を 「何のためのワイングラス」のタイトルで掲載しました。 先生が この本をご覧になったら 喜んで下さったのではないかと思いながら、 牧野先生の霊に 改めて御礼申し上げ、 ご冥福を祈る次第です。

初出(部分的に加筆修正)

北陸中日新聞

 連載「名盤・珍盤・告知板」

  第一回(二〇〇一年八月二十日)ー第四十三回(二〇〇五年三月六日)

武智音楽事務所ホームページ

 連載「千田日記の円盤談義」

  第一回(二〇〇五年五月十六日)ー第三十九回(二〇〇六年一月九日)

わが家はツーバイフォー

 特別寄稿「化石がシンボル 地質学者の家」

   ツーバイフォー一五五巻、 一ー四頁

 (社)日本ツーバイフォー建築協会 二〇〇五年

連載「モダン日本の音楽事情(8)

 名曲喫茶に見る日本の事情」

  季刊 音楽文化の創造 三十二巻、 五六ー五九頁

 (財)音楽文化創造 二〇〇四年

寄稿「金沢、ウィーン、そして田園調布」

 くにたち駅舎を残そう/レポート四号

 国立駅舎保存の会 二〇〇五年

著者プロフィール

千田 日記

本名、 高山 俊昭

一九三六年 福島市生まれ。 一九六一年 東北大学理学部 地質学古生物学教室卒業。 一九六四年にユネスコ給費留学生としてウィーン大学に留学。 専門は層位・古生物学 (超微古生物学)。 理学博士。 金沢大学教授、 同教養部長、 十文字学園女子大学教授、 同社会情報学部長、 同学生部長を歴任し、 現在金沢大学名誉教授、 NPO法人「豊かな地方を築く円卓会議」専務理事、 東京西北ロータリークラブ会員のほか、 国立市「水の懇談会」メンバーとして、 国立市内の湧水・地下水に関する調査・研究に従事。 著書に 『微古生物学中巻』(共著、 朝倉書店)、 『新版古生物学4』 (共著、 朝倉書店)、 『微化石研究マニュアル』 (共著、 朝倉書店)、 『学生版・日本古生物図鑑』 (共著、 北隆館)、 『のとの自然』 (共著、 橋本確文堂)、 『かがの自然』 (共著、 能登印刷)、 『古生物学事典』 (共著、 朝倉書店)、 『海・潟・日本人』 (共著、 講談社)、 『講座/文明と環境、 第十巻―海と文明』(共著、 朝倉書店)、 『他人に押しつけるわがまま』 (近代文芸社)などがある。 朝日学術奨励金、 石油技術協会賞(業績賞)受賞。

奥付

元気と幸せのおすそわけ

ー名盤・珍盤・告知板ー

第一刷 二〇〇六・八・三一

著者 千田 日記

発行者 白滝 一紀

発行所 金融ブックス株式会社

 一一〇ー〇〇〇五 東京都台東区上野三ー一七ー七

 電話 〇三(五八〇七)八七七一