第9回アジア太平洋地域聴覚障害問題会議(APCD2006)
第40回全日本聾教育研究大会(関東大会)を終えて


第9回アジア太平洋地域聴覚障害問題会議
  第40回全日本聾教育研究大会(関東大会)
大会実行委員長 大沼 直紀
(筑波技術大学学長)

今から4年前,台湾(台北市)で開催された第8回アジア太平洋地域聴覚障害問題会議(APCD2002)の会期中に,各国の代表から成るAPCD組織委員会・ビジネスミーティングがもたれ,次期開催国の選定が協議された。結局,日本が引き受けることになり,閉会式で私が日本を代表して「2006年日本大会開催」をアナウンスした。それ以来,組織委員会(会長:山東昭子)と大会実行委員会(委員長:大沼直紀)を中心に準備活動が本格化したのである。それから瞬く間に4年が過ぎた。  特に最後の詰めの時期には,筑波大学附属聾学校,関東地区聾教育研究会,筑波技術大学等のスタッフには,連日の激務に体調をこわす者が出るほど頑張っていただいた。
 第1回APCDを起ち上げ開催した時の本来の趣旨は「聴覚障害児教育を取り巻く諸問題の解決」であったと思う。その後の大会を重ねる中で,会場を引き受けたアジア各国の篤志な耳鼻科領域のドクターの方々が実行委員長を務めることが多くなり,いきおい聴覚障害児の教育現場の問題を披瀝するよりも「聴覚医学的な課題」に傾いたことは否めない。開発途上国で国際会議を開催するには集金能力のある医師の支援が不可欠だからである。その点,今回の日本大会は,大半の運営資金が聾教育の現場の教員と関係者から寄せられた浄財であった。このことが「聴覚障害教育」に軸足をおいた国際会議を企画・実施できるという自信につながった。
 アジアの各国からは早くから日本での開催を要請する声が強かった。引き受けたからには,日本の聾教育の発展の有様をお見せしたい,それには,APCD日本大会を「全日本聾教育研究大会」と共催すべきだと考えた。アジアからの参加者に是非とも日本の聾学校における教室の授業を見学していただき,聾学校における授業研究の場を経験することを通して,聴覚障害教育の諸問題の解決に向かって協議してほしいと願ったからである。0歳の乳幼児期から大学までの22年間にわたる一貫した専門的な教育プログラムが整っている日本の聾教育の現場をアジアの人々に供覧できたことは,何よりの今大会の特徴であり成果であった。
 従来のAPCDの運営に倣って単に国際会議を開催することとして企画するのであれば,より簡単に準備が進められたのかも知れない。しかし,全日本聾教育研究大会の本来の運営を崩さず,しかも,全ての聴覚障害教育に関係する組織団体の協力を得て一体となって運営することに今大会の意義を求めた。その結果,我が国の主要な13の団体が加わった非常に大きな大会組織委員会が組織されることとなった。各々の団体はそれぞれが独自の目的を持って活動している全国レベルの組織であるから,APCD国際会議の準備に向けてエネルギーを割くには相当の苦労があった筈である。それにもかかわらず13団体の協力体制が構築されたおかげで,組織委員会,大会実行委員会,小委員会,大会事務局が思う存分アイディアを出し成功に向けて議論し実際行動に移ることができた。国内からの1000名の参加者を含め,17カ国・地域から合計1,200名を越える参加者が得られたことは,全日本聾教育研究大会とAPCDの歴史に残る規模であろう。
 今大会では様々な団体組織から委員や役割分担者にお集まりいただき実行委員会が構成されたので,当初はお互いの主義主張の違いや歪みなどを調整するのに大変だったことも事実である。しかし,最後まで目的を一にして作業し困難を克服することができた。大きな大会や事業を終えた後には,関係者に運営疲れや多少の逃避感が生まれるものである。これから一段落したところで,運営を担った諸団体が改めて大事業を成し遂げた同志として集い,聴覚障害教育の次なる共通の夢と目標を見据えこれまで以上に結束を固めていただけることを,大会終了後の事後成果として期待したい。大会実行委員長として全ての関係者に心より感謝申し上げます。


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