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先日テレビで作家・ダニエル・キイス氏の特集番組があり、「アルジャーノンに花束を」という知的障害を題材にした小説があることを知り京都の書店に出掛けてきた。日ごろ文庫本とは縁のないライフスタイルをしているので20分ぐらい店内をうろうろしても見つからない。レジの方にうかがうとものの数秒でもってきてくれた、私の手にした本は76版発、知らないのは読書不足の私だけでかなり有名な作品なのかもしれない。
ストーリーは32歳になっても幼児の知能しか持たない主人公チャーリーが脳の手術を人体実験のように受け、高度な知能を得るのだが、知的障害のあったころの自分に起こってきた事を理解しようとして苦しんだり、知能が高まったゆえに友人関係や性の問題で苦悩するというものである。タイトルにでてくるアルジャーノンはチャーリーの前に同じ脳の手術を受けた白ネズミの名前であり、人間・チャーリーがネズミ・アルジャーノンとテストで知力を競走させるという場面もある。この脳の手術には急速に知力を増大させた脳が、ある段階から急速に退化するという欠点があり、そのことを知ったチャーリーは施設に行かなければならないことを悟るというものである。この間わずか1年、作者自身が番組でかたった言葉をかりれば、途中で死ななければ、人の一生は何も分からない幼児期から知的レベルが上がってゆき晩年には老化によって失われてゆく。チャーリーはそれをあまりにも短期間に体験してしまったこということになる。
この小説の中でチャーリーが知的レベルが上がり2人の女性と上手くやっているところを読んでいると憎らしく思えてきた。逆に自らの知能が衰え施設に入ることを悟る場面では哀れに思えてきた。多くの読者もこんな風に感じるものだろうか。
車椅子生活になって10年、いろいろな身障者の友人がふえた。健常者時代も身障者の友人は何人かいたが知的障害のある方と交わるのはやはり自身がハンディを背負っているからだと思う。こちらが予想していない行動をされることがあるので驚いてしまうことがある。突然私の飲みかけのジュースを飲んでしまったり、偶然通りかかった車椅子の私の股に顔を押し付けてきたり、当初は言語障害イコール知的障害などと誤解していた時期もあったが、そんな表面的な話ではない。心の世界はもっと奥深いところにある。
非常に残念なことだが私を含めた多くの身障者仲間には知的障害者を軽視しているのではないかと感じられることがある。手足にハンディがあるのと頭にハンディがあるのと何処がどれだけちがうのであろうか、そして知能の低下という問題は老化という形で全ての人に襲ってくる、肢体が不自由になることもまた同じである。
「アルジャーノンに花束を」は主人公チャーリー自身の書いた報告書の形式で綴られている。最初は幼児の文章のように誤字だらけで読み難く、知的レベルが上がりすぎると専門用語だらけでまた理解しがたく、そして再び幼稚な文章で終わってゆく。知能が高くても幸せになれる保証はないことを描いている。健常者時代の私は幸せだっただろうか?いや決して幸せだとは思っていなかった。今医学が急速に進んで歩けるようになったら車椅子生活の苦悩などすぐに忘れてしまうのではないだろうか。いろいろな感慨を持たせてくれた小説だった。
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