こだま355号 2007年12月号

  目次
視点…1
特集「これからの平和を誓った東視協」…4
盛大な記念レセプションに感謝…8
結成40年 ― 先輩9人の思い…10
2008年東視協新年の集いへのお誘い…26
ステッキーズと港ピースサンデーの歌声喫茶…27
情報アラカルト…29
ありがとうコーナー…30
役員会だより…31
日程情報…32
編集後記…35

  視点
 「もういくつ寝るとお正月…! 子供の頃はこの歌詞のように、お正月を心待ちにしていたものである。なぜなら、普段よりもごちそうが食べられること、たくさんの人からお年玉がもらえるからである。今ではそんなこともなくなってしまったが、個人的な面でも活動の面でもこの1年間を振り返り、新年を迎えたい。
 さて東視協の2007年を振り返ってみよう!
 (1)4月に行われた都知事選挙である。東視協は、福祉切捨てではなく、障害者福祉を大切にする都政を目ざして革新都政を作る会に結集し闘った。結果は、石原知事が再選された。今回初めて、各支部から推選されたメンバーで実行委員会をつくり、吉田万三さんの制作ビラの発行や駅頭宣伝行動、電話による支持拡大に取り組んだことは大変意義があった。
 (2)第41回総会では、07年度の運動方針とともに、会の名称変更を含めた規約改正も承認された。40年間一緒に歩いてきた「東京視力障害者の生活と権利を守る会」から、「東京視覚障害者協会」として新たな1歩を踏み出したのである。
 (3)東視協の念願であった独自の事務所を持ちたいという希望がかなって、JR大塚駅近くに事務所を開設。6月に事務所開設式を盛大に開催し、「新しい拠点で更なる運動の発展とより一層の強化を」と参加者で確認しあった。
 (4)会員から出された要求に基づき、今年も対都要請行動を行なったが、現行条例等を理由にした要求実現への拒否が続いた。視覚障害者に対する無理解などの問題点は残ったものの、交通局総務部長との懇談において、私たちが要求していた「大江戸線の可動柵設置について、都が事業化すること」を決めたことは長年の要求が一歩実現に近づいた。
 (5)みんなの力で大成功をおさめた40周年記念の集いは、東視協の今年の最大のイベントだ。結成時の皆さんや会を離れた方も参加していただき、再会を喜び、なつかしく会話する場面が多く見られた。強力なエネルギーをいただき、50周年に向かってまたがんばろう!そんな気持ちになった。
 上記以外にもステッキーズのファーストコンサート開催、各支部の特長を生かした日常活動、委員会活動など多彩に繰り広げてきた。私たちの運動は1年で終わるものではない。東視協を知らせるリーフレットも大好評で、東視協を知ってもらって会員増につなげたい。自立支援法の問題点も山ほどある。これからも一致団結してがんばっていきたい!
      編集委員  織田津友子

  特集「これからの平和を誓った東視協」 ― 結成40周年記念の集い大成功!
 東視協結成40周年記念の集いが、11月18日、北区滝野川会館を会場に140名以上の参加で開かれた。結成当時からの会員、9名への感謝状贈呈式の後、早乙女勝元氏の記念講演と、踊正太郎氏の津軽三味線、ステッキーズと東視協アンサンブルの演奏が披露され、参加者一同、東視協の歴史の重みを共有し、今後の発展を確信し合いました。
 ここでは、「東京大空襲と平和、その尊さ」と題した早乙女勝元氏の記念講演の要旨を紹介します。
 はじめに、早乙女氏は、東視協結成40周年の祝意を述べた後、「平和と福祉を建物にたとえ、平和が土台で福祉が柱、福祉の危機は平和の危機」と述べ、10.30の障害者自立支援法見直しの闘いを激励した後、本論に入りました。
  早乙女氏は
 (1)過去から学ぶ、として、8月15日が終戦の日であることを知らない若者が多い中で、あの戦争は正しかった、従軍慰安婦はいなかったと、戦争を賛美する論調が強められており、その悲惨さを語り継いでいくことの必要性を強調しました。
 (2)東京大空襲って何、として、1945年3月10日の大惨事に話を進め、食うや食わずで身を寄せ合ってひっそりと暮らす、とりわけ障害者の人たちの様子を、「もうひとつの太平洋戦争」という本から一節を紹介します。「私たちは、防空訓練にも出られない。それは非国民と言われ、食料の配給も停止され、種をまき、せっかく出た芽を踏み潰された時のことは死んでも忘れない」と、隣組の人たちの戦争による心の変わりように触れます。
 そしてその人たちの上にも容赦なく歴史上最大の大量殺戮が襲いかかってくるのです。2300キロ沖合いのサイパン、グアムから300機のB29が、隅田川を中心とする超人口密集地域にわずか2時間の無差別爆撃で、100万の人が家を焼かれ、警視庁発表で88,793人が犠牲となる大惨事となるのです。
 この凄まじさを、「都内各所に火災を生じたるも、天皇の馬小屋は2時35分、空襲警報解除2分前に鎮火し、その他も8時ごろまでに鎮火せり」との大本営発表に触れ、憲法9条がなかった人権無視の戦前の体制を怒りをこめて告発し、日本国民310万人、アジアの2千万人もの命が失われたことを強調しました。
 続けて早乙女氏は、1945年の平均寿命が、男23.9歳、女37.5歳であったことを紹介し、9条で戦争しないことが、わが国の世界最高寿命に繋がっていることを明らかにしました。
 (3)今日から明日へとした第3のテーマに話を進め、教育基本法の前文の「真理と平和を希求する人間の育成を期する」から平和の文字がカットされ、改憲手続法が成立し、9条改憲の導火線に火がつき、1944年の国家予算の85パーセントが軍事予算で、720万人の軍隊だった頃に逆戻りさせようとしているのです。イラクを見れば明らかで、武力では何も解決できないのです。政府の行為によって再び戦争が起こることのないようにすることを決意し、主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する、と あるように主権者一人一人の声が真実と道理、道理と感動を伴っていれば大きな声になります。私も微力ながら東京大空襲戦災資料センターを立ち上げ、「軍隊を捨てた国」というドキュメンタリー映画を作りました。世界の15パーセントの国が軍隊を持っていないのです、と憲法9条の道はここにあることを強く語りかけました。
 早乙女氏は最後に平和への誓いとして、「私にもできることがある。平和について学ぶこと、平和を語りかけること、平和の仲間を増やすこと、平和の心をいつもいつも」という詩の一節を紹介し講演を締め括りました。
      編集委員  野島潔

  盛大な記念レセプションに感謝
      事務局長  菅井 孝雄
 4つの40周年記念事業の締め括りは皆が待ちかねたレセプションであることは当然のことです。集いの興奮も冷めやらない参加者は滝野川会館前からチャーターバスに乗り込み、ワイワイとホクトピアへと移動。会場である16階の「展覧の間」にはすでに8卓のテーブルがセットされており、来賓を含めて総勢82名が着席するとまもなく厳かな中にもユーモアと個性あふれる稲垣実さんと沢真由美さんの進行で晴れやかにパーティーは開幕されました。
 鈴木会長の「喜びと歓迎の挨拶」に続いて来賓としてお迎えした方々の代表として障全協の吉本会長と都盲協の渡辺副会長からご挨拶をいただいてから、本会初代会長で元全視協会長を務められた橋本宗明さんの「待ってました」とばかリの相変わらず深みのある話に続いて元気あふれる掛け声で「カンパー愛」が響きわたりました。
 その後は、時間の都合もありごく限られた数名の来賓および古参会員のスピーチをいただき、後は昼の集いで熱演した東視協アンサンブルが疲れも見せず再びステージに上り、おなじみの曲をいくつか披露し会を大いに盛り上げてくれ、フィナーレにはもちろん東視協のテーマソングである「命の輝き」を全員合唱し、2時間あまりのレセプションはお開きとなった次第です。
 皆さん1日大変お疲れ様でした。この感激を忘れずに明日からもまた頑張りましょう。

  結成40年 ― 先輩9人の思い
 記念の集いにおいて40年間東視協でがんばっていただいた9人の皆さんに会から感謝状を贈らせていただきました。その皆さんに40年を振り返っていただきました。

  東視協事始!
      西部  春日 満治
 毎年夏になると都立文京盲の卒業生が、須藤先生を中心に1泊のハイキング旅行に行った。「山の会」と呼んでいたが、夜は缶ビール片手でみんなして、自分たちの抱えている問題を出し合って話し合ったものだ。40数年前のことである。そのとき治療院での働く条件の悪さが問題となった。共通していたのは休みが少ないという事だった。そこで、まず実態を調査しようということになり、橋本宗明さん、豊田貴美子さん、伊藤純さん、それに私の4人がその委員に選ばれた。
 1年近くかかってわかったことは、月3回の休みをトップに後は月2回か1回。毎週休みは少なく、中には休みなしというケースもあった。しかも「休みがあってもどこへという当てもない。稼ぎはないし食事代も自分持ちになるから、休みなど要らない。」という声もかなりあったという。
 「これだとまず、休みが欲しいというニーズを作り出すのが先決じゃないか。みんなが楽しく出かけて来るような場を作り出そうよ」と宗明さんが言い出した。そこでこの4人が幹事となって、毎月25日に集まる場を用意した。歌声やダンス、ゲームなどのレクリエーションと、学習会などの話し合いを交互に持つようにした。
 宗明さんを中心に古瀬さん、小池さん、熊谷さん、渡辺浩子さん、羽生紀美子さんたちといつもこの「25日会」に参加していた人たちが、東視協結成時の会員層の主流となって、草創期の活動を支えた。
 今一つは歌声を通して運動を広げようと、田中禎一さん、松本昌介さん、華表(とりい)聡さんと取り組んだ点字の歌集「仲間の歌」の出版である。点字民報の東京支局として、首都圏にある盲学校の視覚障害教員が資金を出し合ってくれたが、これを期に結集した教員層が東視協結成のブレインとして、また支柱として大きな役割を果たした。
 折から点字民報を通して、新しい民主的な視覚障害者団体結集の呼びかけが成された。それに合わせたように点字民報社のルートから黒岩さんと松本泉さんが紹介されてきた。この二人のコンビが、東視協結成の際の強力なエンジンとなり、執行委員長・事務局長として活動の中核となり、東視協の基礎を固めてくれた。
 東視協は、この3つの流れが合流して発足した。それから40年、東視協は多岐にわたるその活動を通して会員層を拡大し発展してきた。
 今 振り返って、あの頃を思うと感慨また一入である。

  記念の集い 大成功!!
      南部  黒岩 瀧市
 感謝状をいただきありがとうございました。集いが成功裏に行われたことを心から喜びたいと思います。
 集いには結成準備会から40年、東視協会員として活動してきた9人の一人として7名の方といっしょに参加でき本当にうれしく思いました。そこに竹村実さんの姿がなかったのは残念でした。結成準備会に参加し、初代事務局長・障都連会長を務め、20年前に退会した松本泉さんが来てくれたことは、私にとって格別の思いがありました。
 私の東視協40年については「こだま」2月号に投稿したので、改めて書くことはやめにしましょう。
 私がこの40年間で、最も残念に思っていることが2つあります。
 1つは、東視協会員を都盲協に追いつき追い越せないことです。要求運動で実現した実績を上げながら、全都の視覚障害者関係者、東視協の運動の賜物であることが伝わらない。これを打開するには会員を増やすしかないのだ! みんなで会員を増やそうよ!
 2つ目は、30代以下の会員が少ないことです。この10年、若い会員同士の結婚式があったかなあ? 会員の平均年齢がこのままでは上がるいっぽうです。盲学校の生徒が少なくなったとはいえ、病気やけがなどで視覚障害になる若者がいます。そんな彼らを見つけ出し、働きかけ、東視協に迎えましょう。東視協を名実ともに大きくしましょう。

  07年11月18日に思う!
      北部  佐野 昭典
 私は東視協の10周年記念誌、25周年記念誌、40周年記念誌の「歩み」を書いた。自己評価では、出来栄えはだんだん悪くなっている。恥ずかしいが年をとったせいにしておこう。
 会員数の推移を見ると30人くらいで始まり、1時期は200人を超えたり、また170、80人に定着するかと思われるときもあった。最近5、6年の傾向は、130、40人くらいの間で増減している。「数は力なり」の言い方では、一向に増えないもどかしさを感じざるをえないが、質的には大いに変わってきた。すなわち中堅どころを中心に、個々の力が増している。よく考え、要求を集め、まとめ、よく行動する。これは東視協が強くなってきたと言える。要求運動がやりにくくなり、あきらめない粘り強い運動が必要だ。
 交流を増やし団結を強めるためにも、サークル活動が盛んになっているのは喜ばしい。
 記念の集いでは、早乙女氏が適切な話を見事にやられた。プロだから当然といえよう。踊正太郎さんの津軽三味線は初めて聞いたが、「こんな盲人の奏者がいたのか?」その存在を知らなかっただけに、私は圧倒される思いで聞いた。それにもましてステッキーズの演奏の出来栄えに感心した。中央合唱団の方のご指導を受けていると聞き、なるほど!と合点はしたが、あの人数であの迫力はたいしたものだ。佐藤寛さんが新潟からはせ参じて下さっての東視協アンサンブルの演奏は、相変わらずさっそうとしていた。ステッキーズにしても、アンサンブルにしても、みんな忙しいのにいつどこで鍛錬しているのか、全くよくやってくれるものだと、ほほえみと拍手を送りたい。
 レセプションにも他県からの友情参加で盛り上がり楽しかった。ただ盲人の集団を動かし、まとめるのがどんなに難しいかを、実行委員やボランティアの皆さんの奮闘ぶりを見て痛感させられた。
 最後は愚痴っぽくなってしまったが、とにかく慣れない会場で記念の催しを立派にやり終えたことを喜び、実行委員・ボランティア・友情参加の皆さんに「ご苦労様」と申し上げるしだいだ。
 最後に、会員の皆様から感謝状をいただき、40年を振り返り感無量でした。ありがとうございます。
 50周年記念は2017年だ。思うことしきり! 何とかそれまで生き延びたいものだと…。

  記念の集いに参加して
      南部  須藤 憲一郎
 東視協結成40年、おめでとうございます。
 東視協結成40周年記念の集いに参加しての感想を一言でいえば「視覚障害者のための視覚障害者の手による視覚障害者の記念集会」であったということです。記念集会案内のチラシに「…東視協の運動をさらに大きく強くするために多くの仲間と力を合わせてこの集いをつくりたいと思います。皆さんどうぞご参加下さい」とあり、この集いはまったくその通りの集いであり、すばらしい会であったと感動もしたし、元気もいただいた。その上、ただ40年もいたというだけで感謝状までいただき、私もまだ頑張らなければと思い知らされる一日でした。
 これからの東視協の発展を願い、また私もその一員として働かねばと思っております。
 本日はどうもありがとうございました。

  続けることが大事です
      東部  住山 浩子
 東視協結成40周年おめでとうございます。
 内容の充実したすばらしい式典でした。私は早乙女先生の講演を聞いて、改めて平和の大切さを実感しました。また東視協から感謝状と記念品をいただき、本当にありがとうございます。40年続けてこられたことが、私に勇気と元気をくれました。
 東視協の皆さん、とにかく会を辞めずに続けてほしいと思います。いろいろなことがあるでしょう! でも皆さんそれぞれのスタイルで、東視協と関わっていってほしいと思います。
 私個人については、視力も落ちて、これからは白杖歩行に本格的に挑戦しようと思っていること、点字を指で読めるようになることが目標です。
 これからも東視協とともに学び、育っていきたいと思います。

  東視協が生まれた年!
      北部  竹村 実
 東視協が生まれた昭和42年は、どんな年だったろうか。少し調べてみた。
 4月に行われた都知事選挙で、社会党・共産党が推薦した革新統一候補の美濃部亮吉が初当選。都民の熱狂的な支持の元で、美濃部革新都政がスタートしたのである。福祉や教育・医療などの面で、革新都政の果たした役割は大きかった。文京盲の創立記念行事に来校された美濃部都知事の思い出も懐かしい。同じ年の1月に行われた総選挙で、自民党の支持率が初めて5割を割ったことから、全国的に革新政治への期待が高まっていた時代だった。
 同年10月に、元首相の吉田茂が死去。武道館で戦後初の国葬が行われた。その孫の麻生太郎が次の首相になろうとしているのだ。
 スポーツ界では、ファイティング 原田・藤猛・沼田義明など、ボクシングの世界チャンピオンが相次いで誕生した年だった。
 また、ミニスカートが流行し、グループサウンズの全盛時代でもあった。この年 ヒットした歌としては、「ブルーシャトー」「世界は二人のために」「帰ってきた酔っ払い」などがあった。
 当時の物価では、米が10kg1180円、新聞代が月に580円という時代だった。

  思い出の場所 ― 「障館」ができるまで ―
      南部  田中 禎一
 40年前、東視協結成当時の思い出として役員会や種々の会合を行なったいろいろな場所が浮かんでくる。
 まず、結成準備会で集まったのが付属盲近くの「やぶ久」というそば屋の2階の和室。2月の雪の降る夜で、「これから討ち入りにいくようだね」などといったものだ。
 結成大会は神田一ツ橋の日本教育会館の5階。第1回の役員会は4月都知事選挙のあくる日に飯田橋の喫茶店で選挙結果を気にしながらだった。このとき美濃部さんが知事に当選して「革新都政」が誕生したのだ。
 その後 月に1度の役員会はいろいろな場所を転々としていたが、中で思い出すのが高田馬場にあった新宿労政事務所。山手線の外側で神田川沿いだったと思う。途中に「世界湯」という銭湯があった。実は労政会館そのものよりもそこへみんなで歩いてゆく道の印象が記憶に残っているのだ。
 無料あるいは低料金で使え、しかも集まりやすい場所を探すことは大変で、しかもそこが必ず空いているわけではないので喫茶店や役員の自宅でやったり、やがて文京盲学校の会議室に落ち着いた。
 当時はまだ各区の福祉会館などもほとんどなかった中で、中野区がいくつかの施設を持っており、特に南部福祉センターは東視協のいろいろな会合によく使った。
 東視協アンサンブルの練習場探しも大変で、何しろ楽器の使える場所でなければならないので普通の場所探し以上に苦労した。最初は、高円寺駅近くのガード下にあった青年館、頭の上を電車が通る轟音の中での練習だったがそこも定期的には使えなかった。そんな中で阿佐ヶ谷保育園を使えるようになったことはありがたかった。夜の6時過ぎに阿佐ヶ谷駅に集まり、内藤さんのベースにつかまって10分以上歩いて行った事がなつかしい。
 こんな状況だったから、「障害者が自由に活動できる場所がほしい」という要求が強く、それに応えてつくられたのが東京都障害者福祉会館だったのだ。アンサンブルは楽器の置き場と練習場が確保できたし、集会の場所についてもずっと改善された。
 東視協結成当時、40年後に自前の事務所を持てるようになるとは夢にも思わなかった。

  乾杯の音頭取り
      西部  橋本 宗明
 3つ申し上げます。
 (1)東視協結成40周年記念パーティー、この大事な集いに、乾杯の音頭取りをさせていただけますことをまずもって大変名誉なことと思っています。ありがとうございました。
 (2)私は今日、東視協に40年関わったその馬齢に対し、感謝状をいただきましたが、その差出人のところに強い感銘を受けました。そこには、会長さんの名前ではなく、「会員一同」と書いてあるのです。こういう表現はかつてないことです。私は会員の皆さんからいただいたのです。これは私にとり皆様からの連帯を感じさせるすばらしい贈り物です。
 このアイディアを生み出したものは単なる実行委員会の気のきいた企画ではありません。これは東視協40年の歴史の中から生み出したダイナミズムの発露です。こうしたアイディアを生み出す東視協のダイナミズムを私は限りなく誇りに思います。
 (3)それではここで私たちの持っている英知と熱情に乾杯します。失われている視覚障害者の人権を回復するための明確な意思表示です。ご唱和ください。私たちの持つ英知と熱情にかんぱーい! ありがとうございました。

  2008年東視協新年の集いへのお誘い
      担当  東部支部
 「新年あけましておめでとうございます!」 ちょっと早すぎましたかね?恒例になりました新年の集いを次のとおり開催します。皆さん参加してチュー。
  日時:2008年1月13日(日)
  受付:午後1時
  開始:午後1時30分
  会場:東京都障害者福祉会館B1・B2集会室
  参加費:3千円(税込み)
 楽しいゲームや歌を唄ってすごしましょう。参加される方は12月31日までに各支部長に連絡をしてチュー。

  今年もステッキーズと港ピースサンデー主催の歌声喫茶でうたいましょう
      ステッキーズ  田中 禎一
 2000年に始まった年末の歌声喫茶も今や恒例となりました。1年間の思いを歌声にぶつけて楽しく年を越しましょう。
  日時:2007年12月23日(日)午後3時〜6時
  場所:東京都障害者福祉会館2階B1、B2集会室
  参加費:500円
  お問い合わせ:田中禎一 090-5572-4585
 予約不要。当日直接会場においでください。
 尚、これまで毎回20ページ前後の点字の歌集をつくっていましたが、毎回、歌集以外のリクエストが非常に多いことを考え、今回は墨字で使用する「ともしび」の歌集の曲名リストを点訳し、「メニュー」としてその中からリクエストを出していただき、歌詞は司会者がコールすることにしてみます。点字の歌詞を読んで歌いたい方はお手持ちの歌集があれば持参してください。
 多数のご参加を待っています。

  情報アラカルト
 City Lights 第1回映画祭のお知らせ
 シティライツの方から広告依頼がありましたので掲載します。映画ファンの皆さん、ぜひお出かけください。
  日時:2008年1月20日(日)
  場所:青山 梅窓院(ばいそういん)祖師堂ホール 東京都港区南青山2―26―38
     東京メトロ銀座線「外苑前駅」下車 渋谷側1A出口徒歩1分
  入場料:1作品 500円
  「プログラム」
  12:00 開場
  13:00 「ミルコのひかり」
  14:50 対談:音声ガイドの舞台裏
   ー 休憩 ー
  15:40 「善き人のためのソナタ(吹き替え版)」
  主催:バリアフリー映画鑑賞推進団体 シティライツ
  協賛:日本ユニシス株式会社、社会貢献クラブ ユニハート協力
  お問い合わせ:シティライツ事務局
  E−mail:mail@citylights01.org
  TEL/FAX:03−3917−1995

  ありがとうコーナー (省略)

  役員会だより
 11月の役員会は、東視協40周年記念の集い・レセプションと重なり、役員会はありませんでした。
 1.皆さん参加・ご協力ありがとうございました
 40周年の集いはボランティアを含め140人を超える参加で大成功でした。皆さんから大変よい企画だったと好評をいただきました。今月号に集いに関する記事が掲載されていますのでじっくり読んで下さい。また記念誌の活字版は発送しました。点字版は年内に届くように準備をしていますので、もう少しお待ちください。

 2.会員の動きについて
 北部支部の有宗義輝さんが死亡されました。心からご冥福をお祈りいたします。
 日野久・ひとみさんが北海道へ転居のため退会されました。寒さに負けずがんばってください!

  日程情報
12/10(月) 南部支部例会
  同      情報問題委員会
12/11(火) 事務局会議
12/12(水) 障館相談・山城完治
12/13(木) こだま12月号活字版発行
12/15(土) 事務局作業
  同     北部支部忘年会
  同     青学部例会
  同     ステッキーズレッスン
12/16(日) 東視協役員会
  同     教養講座「シンドロームについて」学習
  同     役員会・40周年実行委員会合同忘年会
12/17(月) 手をつなごう代表者会議
12/18(火) 事務局会議
12/19(水) 障館相談・鈴木彰
  同     障都連三役会議
12/22(土) 事務局作業
  同     東部支部忘年会
12/23(日) 病マ連学習会と忘年会(午前10時開始)
  同     ステッキーズ 歌声喫茶
12/24(月) かーなづーちレッスン
12/25(火) 事務局会議
12/27(木) まちづくり委員会
12/29(土) 事務所大掃除
12/30(日) 年賀状発送作業
08/1/4(金) 巣鴨駅頭署名行動
1/5(土)   東部支部例会
1/7(月)   点民編集委員会
1/8(火)   事務局会議
1/9(水)   障館相談・山城完治
1/10(木)  事務局作業
1/12(土)  こだま点字版1月号発行
1/13(日)  東視協新年の集い
1/15(火)  事務局会議
1/16(水)  障館相談・鈴木彰
1/17(木)  こだま活字版1月号発行
1/19(土)  事務局作業
  同     ステッキーズレッスン
  同     青学部例会
1/20(日) 東視協役員会

  編集後記
 今年もあと3週間で終わろうとしています。今年は自立支援法に始まり、結成の集いで終わろうとしています。いつにも増して忙しい1年でした。
 今月号は東視協結成40周年記念の集いの記事が多く、長谷川さんの連載や教養講座の感想などが掲載できませんでした。原稿を書いていただいた方、どうも申し訳ありませんでした。
 先日(11月30日)、当会会員で元付属盲学校の有宗義輝さんが亡くなられました。有宗さんは理教連などで活躍され、視覚障害者のあはき業を守る運動の先頭に立っていました。ご冥福をお祈りいたします。
 現在、東視協の会員は132名です。亡くなられた方や転居された方がこの2ヵ月間に3人もいて、会が130人に近づいてきました。皆さん、ぜひお知り合いを東視協に誘ってください。そして140名、150名を目ざしてがんばりましょう。
 新年の集いは1月13日(日)です。皆さん、ご参加ください。
 来年もこだまをよろしくお願いいたします。

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