こだま351号 2007年8月号

  目次
視点…1
特集1 戦争と私…6
募金にご協力ください!!…13
特集2 暑い夏! 暑さに負けず旅行に行ってきました…16
ステッキーズファーストコンサートを楽しんでください!…23
チョコレートの教養講座…24
情報アラカルト…26
ありがとうコーナー…27
役員会だより…28
日程情報…29
編集後記…32

  視点
 「なんだ、そりゃ、東京医専」
 編集委員の織田津友子です。今回は東郷進さんに東京医専の話をうかがいます。点民に書いたそうですけど、よく理解できなかったので直接聞くことにしました。

問:最初に東京医専って何ですか。
答:モード学園が建てようとしている医療・福祉系の専門学校だよ。
問:それがどうして大変なんですか。
答:モード学園は1500億円の巨大資本だということ。それがあんま業界に乗り込んでくるということだ。
問:厚生労働省の審議会でいつものように否決したらいいでしょ。東郷さんも審議委員なんでしょ。
答:審議会で否決されることを見込んで、裁判を起こそうと言っている。職業選択の自由を侵害しているって。
問:裁判って誰を訴えるわけ。
答:もちろん国、厚生労働省を訴えるから、国が被告になる。しかも時代が規制緩和の時代だから…。
問:厚労省って、そりゃ頼りないわ。
答:だから、裁判に持ち込んだら不利になる。芽を早めに摘まないといけない。
問:早めに芽を摘むって、いつ出来るわけ。
答:来年の10月に校舎が完成。2008年の3月に申請。2009年の4月開校だ。
問:校舎ってどこにあるわけ。
答:新宿駅西口の目の真ん前。地上50階地下4階、高さ203メートル。名前はモード学園コクーンタワーといって、完成すると国内最大級の専門学校、日本一高い超高層ビルになる。中に入るのはモード学園、コンピューター系、医療福祉系の東京医専が入り、生徒は一万人を超える。
問:それは脅威だわ。
答:四谷の呉竹専門学校は定員の半分をもってさいたま市に移そうとしている。
問:もしできたらどうなるの。
答:あんまは無免許に荒らされているね。砦は医療や介護の世界だけ。モードを皮切りに、数年で年間1万人の生徒を送りだすようになる。そうなったら、盲学校の求人は途絶えるでしょうね。もちろん開業者には死刑宣告にも等しい。
問:大変なのはわかったけど、鍼灸学校だって反対したけどみんなできちゃったじゃない。
答:99年に鍼灸柔整の規制緩和になってから8年で定員は3倍、盲学校以外で学校は94校になった。
問:そうでしょ。1500億円の大企業相手に勝てっこないよ。
答:確かに、向こうには大物政治家もついてる。まさに鰯と鯨だ。でも、NTT104の時もそうだった。完全勝利とまでは言えないが、障害者に104無料を残させた。
問:確かに。でも、あの頃の東郷さんは元気だったけど、今は隠居じゃない。
答:まあまあ、年寄りの楽しみということもあるし、我々には武器がある。目が見えないということだ。モード学園が弱い者いじめをしていると世間に映れば勝機はある。すでにモードは、大阪、名古屋、東京、パリにあり、多角的な学校経営を展開している。
問:だったら、モードはあんまをしなくても損はしないものね。イメージダウンが一番の痛手よね。
答:さすが津友子は頭がいいね。才女だわ。スタイルもいいし、美人だ。
問:当然! ところで私たちはどうすればいいの。
答:この事実がある。我々が反対していることを世間に知らせる。8月26日に障館で集会があるから参加してほしい。理教連の主催だが、日盲連も全視協も参加する。ここから我々の反撃に転じたい。
問:わかった。みんなも誘うからね。原稿料はないけど勘弁して。
答:集会のことは案内ビラを読むだにゃ。
 ☆8月26日の集会についてはもう皆さんの手元に届いていることと思います。開業者を中心にぜひ参加してください。
     編集委員  織田 津友子

  【特集1】戦争と私
 また、暑い夏がやってきました。毎年恒例となりました会員の皆さんからの戦争体験を聞かせていただきます。安倍政権は憲法改悪を進めるために「国民投票法」を前国会で通してしまいました。憲法9条を改正して本当に「戦争する国づくり」をしようとしています。戦争に対するお2人のお話を読み、皆さんと一緒に考えたいと思います。

  「わが記憶の中の戦争」
    西部  春日 満治
 突然の轟音とともに家が大きく揺れた。窓ガラスがビリビリと振動する。と同時に警戒警報のサイレンが鳴り出した。空襲? 国民学校5年だった私はとっさに何が起きたのかわからなかった。普段は不気味な感じの連続するサイレンの音が、ひどく間が抜けた感じに聞こえた。2度、3度の爆発音の後で、あわてたような空襲警報の断続するサイレンが鳴り出した。まさかとは思いながらも私は病気で臥せっていた父のところへとんで行った。父はすでに起きだして制服に着替えている。父はここ満州国安山市の警察の警務課長の要職にあった。母の指示に従うようにと言い残して父はそそくさと出て行った。
 昭和18年頃だったろうか開戦して2年近くも経っていたのに、戦争はまだ私にとって遠いものだった。ソ連機の爆撃かと不安になったが、帰宅した父からアメリカのB29の爆撃だったと聞かされ、2度びっくりした。大本営発表のラジオは、いつも軍艦マーチか「敵は幾万ありとても」といった威勢のいい曲で始まっていたから、まさかこんな遠いところまで米軍機が飛んでくるとは夢にも思わなかったのだ。
 この日を境に、戦争は現実として徐々に私に迫ってきた。思い出したようにではあったが、B29はその後も度々爆撃にやってきた。空襲警報のサイレンと非常ベルのけたたましい中を防空頭巾をかぶりクラスごとに防空壕に待避した。狭い暗黒の壕内で級友たちと肩を寄せ合い、息をころして警報の解除を待つ。近くの学校で6年生のクラス52人が待避していた防空壕で直撃弾を受け、担任もろとも全滅したと伝えられていただけに緊迫感に満ちた時間であった。
 満州国軍の戦闘機が体当たりしてB29を撃墜したとのニュースが大々的に報じられた。先生に引率され、わざわざ忠霊塔のある公園までB29の残骸を見に行った。ジュラルミンらしき金属片がうず高く積まれているだけで、原型は全くとどめてはいなかった。
 また、捕虜となったB29のパイロットがトラックに乗せられ学校に引き回されにきた。二十歳そこそこの長身の青年で気弱そうな微笑みを浮かべながら私たちを見回していた。「鬼!」「くたばれ」「鬼畜は殺せ!」激しい罵声とともに子供たちは石を拾っては捕虜目がけて投げつけた。「やめろ! 石を投げるな!」付き添いの憲兵が大声で制止した。この人のよさそうな若者が本当に鬼畜なのか、53人もの命を無残に奪った奴らの片割れなのか? 私は複雑な思いで彼を黙って見ていた。なぜか悲しかった。
 大本営発表の際、流される曲がいつとはなしに「海ゆかば」にと変わっていったが、満州はつかの間なんということもなく過ぎていった。それでも痩せこけたいかにも病弱そうな40近い先生までが召集された時はさすがに戦争も危なくなってきたのかなと心配になった。
 昭和20年8月9日のソ連侵攻は衝撃だった。いよいよ駄目かと子どもなりに覚悟はした。8月15日の玉音放送は雑音で何がなにやらさっぱりわからなかったが、校長の声涙ともに下る訓辞でやっと敗戦を知った。
 帰り道で一緒にいた友だちが「ああ、明日からのびのびと泳げるんだなあ!」と青空を仰ぎながら嬉しそうに言ったが、何をのんきなと私はあきれた。植民地ともいうべき満州の日本人は一転して華僑ならぬ「日僑」という名の根無し草となった。略奪されても殴られても、いや殺されたとしても何も言えない。耐えるしかないのだ。八郎軍と国府軍との内戦の中を日本人は息をひそめ小さくなって暮らした。
 私にとっての戦争の辛酸はむしろ敗戦から引き揚げるまでのみじめなこの1年間に集約されていると思う。

  「8月15日 ― 敗戦」
    東部  高山 米子
 この日は暑い1日でした。大人は、村で1軒のラジオ家に集まり、天皇陛下の放送を庭で正座して聞いたが、電波が悪く聞こえない。訳がわからずにいたら、夕方に正確な情報が入り、「戦争は終わった」と皆、肩の荷を降ろし、ホッとした表情でした。小学3年生の私も、明日からは空襲のたびに夜中でも湿った防空壕に入らなくてもよいと本当に嬉しかった。
 1943年、国民学校に入学以前から食料は配給、衣料は衣料キップがあり、それを使って衣類を求める。遠足は空襲で中止、2年生までは縁故疎開、3年生以上は学童疎開。真夏の暑いときにも防空頭巾は離さずに持ち歩くなど、たいへんな時代でした。
 母の実家は茨城百里基地現在地から4キロ離れた田舎です。飛行場が近いので、農家それぞれに兵隊さんが分散して宿泊していた。米軍の飛行機が来ると、飛行場から日本の飛行機が飛び立つのだが米機はすでに飛び去った後で、日本の飛行機から落とされたものは本家の庭から縁の下に入り不発、たまたま縁側に座っていたので恐ろしい経験をしました。
 衣類は蓬で染めたりして、自然と同じ色にしていました。飛行機の燃料にするのに、松の木に傷をつけ、木の下でそれを取りました。また鉄鍋やアルミの弁当箱まで拠出させられました。現在では考えられないことです。田舎も危ないので筑波山の後ろに疎開しようという話がありました。
 戦後もまた大変でした。東京は丸焼け、父に連れられ、以前住んでいた土地に立ち、呆然としました。所どころにトタンの掘っ立て小屋。2度とあの時代に戻してはいけません。
 安倍首相は「美しい国」と言うが、何が美しいのかわかっているのでしょうか。悲惨な戦争も知らないで、戦争によって障害者が増えるだけです。この地球上どこかでいつも戦争が続いています。悲しいことです。平和が1日も早く来ることを願っています。

  募金にご協力ください!!
 東視協では、皆さんに3つの募金のお願いをしています。対都要請行動や各支部の例会などで呼びかけて協力していただいています。振込用紙の必要な方は事務所までご連絡ください。よろしくお願いします。
 1.障都連夏季募金について
 障都連では例年通り、活動費を補うため、目標額100万円募金に取り組んでいます。東視協に対する目標額は決まっていませんが、できるだけたくさんの方のご協力をお願いします。
 2.原水禁大会派遣カンパについて
 今年は全視協の推薦を受けて、東視協会員の田中章治さんと滝沢由紀子さんが、長崎の大会に参加しました。
 3.新潟県中越沖地震被災者救援募金のお願い
 地震は、死者11人、重軽傷者1897人という大きな災害をもたらしました。
 住家被害の合計が17,558棟といわれており、柏崎市・刈羽村・出雲崎町を合わせると2116人(7月28日現在)が、避難所での生活を余儀なくされています。猛暑の続く下での避難所生活の困難ははかりしれません。
 さらに大きな困難に加えて、障害をもつ被災者にとってはさらなる困難が伴います。柏崎に住む私たちの仲間である視覚障害者4人は、避難所での生活も困難と不自由が重なることから、片付けることもできない自宅での生活を余儀なくされています。自宅でのあんま、鍼、灸の営業も開始の見通しがつかない状態です。
 そこで私たちは、全国で力を合わせて、被災した仲間の救援募金に取り組むことにしました。当面、この夏を何とか乗り切って生活していけるための支援をしたいとの思いです。
 この取り組みに対する多くの皆さまのご協力をお願いいたします。

  【特集2】暑い夏! 暑さに負けず旅行に行ってきました
  「妻ばなれの沖縄ツアー」
    東部  稲垣 実
 7月15日から2泊3日でJTBバリアフリーツアーで沖縄に行ってきました。3月の東視協旅行でお世話になったJTBバリアフリーの方からの誘いもあって思い切って1人で参加しました。参加者9人、添乗員1人のツアーで参加者はすべて障害者です。車椅子利用者が8人、視覚障害者は私1人でした。
 沖縄ではバリアフリーダイビングを体験しました。ダイビングは初めてでしたが海の中はとてもきれいで、インストラクターが付いてくれて、サンゴやヒトデなどを触らせてくれました。魚にエサをあげたりもしました。夜は、国際通りの民謡居酒屋で参加者全員、夜 遅くまで飲んで騒ぎました。
 私が以前、沖縄に行ったのは30年以上前のことでパスポートが必要だったことやとてもきれいな海を見て感動したことを覚えています。自分の子供の名前を海と付けたのも沖縄のきれいな海が好きだったからなのです。
 半年ほど前に旅行の話を妻にしたところ、「私は韓国旅行がいいわ」と言われてしまいました。
 旅行の条件は、身の回りのことが自分で出来ることなので、いつも妻にやってもらっている私は参加できるかとても心配でした。しかし、きれいな海も見たいし、悩んだ末「何とかなるさ」と参加を決めました。仲間もでき、行ってよかったと思っていますが、本当は妻にも沖縄のきれいな海を見せたかったのです。

  「葛温泉の旅」
    西部  栗山 健
 温泉の好きな友人と2人で長野県葛温泉へ出かけました。葛温泉は、慶応年間に食に困った里人が葛根を採りに行って発見したという温泉です。
 JR大糸線信濃大町駅で下車。ここは「黒部アルペンルート」の基点です。まずは「腹ごしらえ」と近くの手打ち蕎麦の店「こばやし」へ。この店はJR松本駅にある「こばやし」の姉妹店で、美味しい蕎麦だが、酒のつまみが少ないのが今一。その後、バスに乗って大町温泉郷へ。ここではバス停前の「酒の博物館」を見学。全国の日本酒約1500本が展示され、また、大町周辺の酒の試飲もできます。隣接する公衆の温泉施設「薬師の湯」で日帰り入浴ができます。新館と旧館がありますが、新館で露天風呂などを楽しむとよいでしょう。葛温泉は信濃大町駅から宿と契約しているタクシーで約20分(一般より1,300円割安)、温泉はアルカリ性単純泉で少し熱め、2つの内風呂と3つの露天風呂が2箇所に作られていて、時間制で男女交代で利用できます。この名物は巨岩を利用した露天風呂から眺める大自然の風景だそうです。
 私は工夫された山菜料理が少しずつ幾種類も味わえたのがよかったです。

  「夢のカリフォルニア!!」
    北部  織田 津友子
 私たち夫婦は早めの夏休みにして、娘の留学先であるアメリカ・カリフォルニアに行ってきました。
 6月20日午後4時15分、成田空港を出発! 9時間の飛行が始まりました。全盲2人だけで心配ではなかったのかと聞かれそうですが、日本に発着する国際便には、必ず1名日本人客室乗務員が乗っていること、アメリカへの入国申請書は、事前に送ってもらい、準備していったこと、機内ではレストルーム(トイレ)だけは言えるようにしていたので、何の不安もありませんでした。
 さて、現地時間の20日午前9時過ぎにサンフランシスコ国際空港に到着、蒸し暑い日本だったのに、薄手の長袖上着では寒いくらいでした。日本語の話せない空港職員がちゃんと案内してくれて、手続きもスムーズに終わり、迎えに来ていた娘と会うことができました。
 私たちは、空港からハイウェイを通って50分くらいのところにあるサンノゼという町の、娘のアパートに行きました。ここで1週間過ごしました。周りにはメキシコ人がたくさんいて、陽気なラテン音楽がうるさいと思うくらいに聞こえてきます。玄関のドアに「戦争反対」のポスターを貼った家もありました。でもとてものどかな場所で、朝、目覚めた時はどこからともなくかわいい鳥の鳴き声がして、まるで森の中にいるような気分になります。
 しかしアメリカは広い! 私たちは娘やその友人に、観光地や大学に連れて行ってもらったが、いつもドライブ感覚でした。あの有名なアル・カポネもいたというアルカトラズ刑務所の見学もしました。近くのおいしいパン屋さんに行くのも車、日本なら自由に歩き回れるのに、長く滞在したら、きっとストレスになるでしょう。
 サンフランシスコには36点の点字ブロックがありました。これに気づいた時は「点字ブロックがあるね」と思わず私たちは声を掛け合いました。とにかくサンフランシスコにはたくさんの観光名所があり、いろいろな国から訪れる西海岸最大の州です。物は大きい、量は多い、食べ物の味も大雑把であり、寿司やラーメンを食べても、細やかな味付けをする日本食にはかなわない。そしてゆっくりつかれるお風呂がないのも寂しい。
 いろいろ書きましたが、アメリカ旅行は行ってよかったです。子供たちの生活ぶりも見ることができたし、楽しく過ごしました。
 最後に笑い話を1つ! 今回利用したノースウェスト航空機にも、点字の説明書があり「ぜひお読みください」と乗務員に渡され、さすがだなと思いながらページをめくりました。なんと英文だったのです。私たちにわかったのはいくつかの単語だけでした。またいつか行くために、500円貯金でもしましょう。

  ステッキーズ ファースト コンサートで夏の終りの日を楽しんでください!
    代表  田中 禎一
 練習も最終盤に入り、プログラムに沿って行なっています。
 日時:9月2日(日)午後3時〜5時
 場所:港区高輪区民センター(都営地下鉄三田線及び東京メトロ南北線「白金高輪」駅徒歩1分)
 当日午後2時20分から2時45分頃までの間、白金高輪駅改札口から会場までご案内します。改札口は1箇所だけです。
 また、先月号でもお知らせしましたように「命の輝き」をステージで一緒に歌ってくださる方は、8月11日(土)の午後6時に高輪区民センターにおいでください。他に「みんなの歌」も港ピースサンデーの方々も一緒に合同で歌います。
 それではお待ちしています。

  チョコレートの教養講座
    北部  山城 完治
 7月の教養講座は、北部支部企画の「チョコレートの歴史・文化・栄養機能」のテーマで、チョコレート・ココア協会専務理事の神永健二氏を講師に迎えて行われました。22日に行われたこの講座には、30人を超える仲間が参加、大盛況でした。
 講座は、チョコレートの歴史や製造・栄養などについてのお話と基本的なチョコレートの試食、味当てクイズの内容でした。
 チョコレートは、中南米、アフリカ、アジアなどで採れるカカオ豆から作られるもので、元々は神様に供えるものとされたものがいわゆる食品とされるようになり、ヨーロッパ、特にイギリスで加工・開発され、美味しいお菓子になったとのことです。栄養機能としては、エネルギーとしての糖分及び抗酸化の役割としてのポリフェノールが注目されているとのことです。
 味当てクイズは、当てるべきチョコレートを味わった後に、その後、出された5種類の中から何番目に食べたチョコレートが始めに食べたものと同じだったかを当てるというものでした。出されたものが3センチ角の大きなもので、全部食べると鼻血が出そうでした。私はクイズに正解できませんでしたが、半分以上の方が見事正解(拍手)でした。
 チョコレートのお土産もいただけて幸せな気分の講座でした。
 8月の講座は、8月26日、西部支部企画の野鳥の声がテーマです。

  情報アラカルト
 1.納涼祭のお知らせ
 2つのスポーツセンターで、恒例の納涼祭が行なわれます。
 8月18日(土) 王子スポーツセンター(03-3907-5631)
 8月25日(土) 多摩スポーツセンター(042-573−3811)
 両センターとも午後3時30分から午後8時まで。内容は模擬店やフリーマーケット、盆踊りなどです。詳しいお問い合わせはそれぞれのセンターまで。なお、池袋発送迎バスのバス停が変わりましたのでご注意ください。

 2.民謡音楽会のお誘いです
 阿部広子さんのご紹介で、民謡音楽会のチケットを20枚いただきました。皆さん、ぜひ行きませんか? ご希望の方は事務所03−6410−7118までご連絡ください。先着順にチケットをお送りします。
 藤堂輝明民謡音楽会「歌はおなじみ」「私の大切なお友達」「極め付け藤堂民謡」のテーマで、民謡の世界をお楽しみください。
 日時:9月24日(月)午後2時開演
 会場:九段会館大ホール(地下鉄東西線、半蔵門線、都営新宿線九段下下車)

  ありがとうコーナー(省略)

  役員会だより
 1.対都1日行動に参加してください
 8月29日(水)に1日行動を行います。要請先は教育長、警視庁、財務局、生活文化局、選挙管理委員会、病院経営本部です。さらに2008年度予算要求に向けて、日本共産党都議団との懇談会も行います。知事室への要請は、後日行います。1日行動は会で昼食を準備します。集合は午前8時30分JR新宿駅西口改札を出たところ。参加される方は、20日までに必ず事務所03−6410−7118 または織田津友子080−1027−9836にご連絡ください。

 2.アンケートにご協力ください
 全視協女性部が取り組んでいる自立支援法に関するアンケートを「こだま」に同封しました。ガイドヘルプ、ホームヘルプ、介護保険受給者、何も受けていない方、全てがアンケートの対象となります。8月末までに返信用封筒で送り返してください。よろしくお願いします。

  日程情報
8/13(月) 対都要請行動(あはき)
  同   事務局会議
8/16(木) こだま活字版発行
8/18(土) 事務局作業
  同   青学部 暑気払い
  同   ステッキーズレッスン
8/19(日) 東視協役員会
  同   40周年記念事業実行委員会
8/20(月) 対都要請行動(交通局)
8/21(火) 事務局会議(予定)
8/22(水) 障館相談・栗山 健
  同   障都連3役会議
8/23(木) まちづくり委員会
8/24(金) 組織委員会
8/25(土) 事務局作業
8/26(日) 教養講座「鳥のさえずり」
  同   「モード学園と視覚障害者」
8/27(月) 対都要請行動(建設局))
8/28(火) 事務局会議
8/29(水) 対都1日要請行動
  同   日本共産党都議団と、2008年度予算要求に向けて懇談会
8/30(木) 事務局作業
  同   こだま編集委員会
9/1(土) 事務局作業
  同   北部支部例会
  同   ステッキーズレッスン
9/2(日) ステッキーズファーストコンサート
9/3(月) 点民編集委員会
9/4(火) 事務局会議
9/5(水) 東京都知事室要請行動(予定)
  同   障館相談・織田津友子
9/6(木) 事務局作業
9/7(金) 雇用を進める会
9/8(土) こだま点字版9月号発行
  同   東部支部 北千住駅点検行動
9/9(日) 西部支部例会
  同   視覚障害者9条の会学習会
  同   障都連代表者会議と学習会
9/10(月) 南部支部例会
9/11(火) 事務局会議
9/12(水) 障館相談・山城完治
9/13(木) 事務局作業
9/14(金) 革新都政を作る会 08年度予算要求に向けて決起集会
9/15(土) 事務局作業
  同   青学部例会
  同   ステッキーズレッスン
9/16(日) 東視協役員会
9/17(月祝) 北部支部「タンデム車でサイクリング」

  編集後記
 今年も戦争体験を書いていただきました。春日さんの話も高山さんの話もとてもリアルで戦争を知らない世代としては本当なのか、本当だとしたら怖いなあ!と感じました。今日までこのような体験をせずにいられたのも春日さんや高山さんのその後の活動が私たちを救ってくれているものだと確信しました。私たちも次の時代へこの戦争反対の心を受け継いでいかなければいけません。
 参議院選挙が終わりました。自民党・公明党が大きく後退し、私たちの声が一定 選挙に反映されたものと思います。民主党は自立支援法の凍結案を提出するそうですが、これもどうなることやら。私たちの運動を一歩一歩進めることが凍結につながることを信じましょう。
 対都交渉は相変わらず厳しい状況です。都の税収は黒字なのに福祉の充実などひとかけらも考えていないようです。オリンピックの招致とそれにからむ大型開発のことしか考えていないようです。都の役員の回答には人間らしい、人に温かいというような回答は微塵もみられません。しかし、負けられません。私たちは私たちの正論を貫こうではありませんか。8月29日には対都1日行動があります。ぜひ皆さん、参加してください。
(終り)