こだま 2005年 4月号 (323号)


   視 点
 障害者自立支援法(以下法案)の国会審議が目前だ。昨年10月に発表された「今後の障害保険福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」に基づく法案は、障害者福祉を何処へ導こうとしているのだろうか。
 自立支援法と聞くと障害者の社会参加と平等を進める法律かと思いきや、この法案は、私に言わせれば、自立支援バリア法である。法案の特徴は、@予算の削減A介護保険との統合の準備B障害者福祉への国の責任を市町村に転嫁する仕組みが貫かれていることだ。
 最大の問題は、障害者福祉に応益負担の原則を持ち込むことである。そうすることで、福祉への税金投入を減らそうとしている。
 法案は、大胆にも、これまでの福祉サービスの体系をご破算にして、給付の額が定められる義務的経費としての自立支援給付と、実施から費用負担まで市町村の裁量で行われる地域生活支援事業の二つにしようとしている。自立支援給付には、ホームヘルプサービスなどの介護給付、訓練等給付、自立支援医療、補装具給付が属し、利用料の1割が徴収される。月額4万200円の上限設定や、低所得者への減免制度はあるが、生活保護受給者以外からは洩れなく費用を徴収する仕組みが徹底されている。ホームヘルプサービスや補装具の給付を受けることが益といえるのか。施設に入所することが益なのだろうか。これらは総て生きていくためのセーフティネットではないか。憲法25条の生存権をなし崩しにする施策と言わなければならない。
 地域生活支援事業に属するガイドヘルプ事業、コミュニケーション支援(視聴覚情報提供)事業、日常生活用具の給付などは、市町村が好きにやれば良いと言わんばかりだ。 福祉タクシー制度の削減を見る時、不安はつのる。
 福祉のあり方を根本から変えるこの法案は、制度の主役である私たちの頭越しに国会で審議されようとしている。視覚障害者の就業率は、23.9%だと2001年に厚生労働省は発表している。法案は、障害者福祉を破壊する途だと言わなければならない。私たちはこの暴挙を絶対に認めない、許さない。
 いま私たちは、『障害者施策への「応益負担」導入に反対し、「改革のグランドデザイン案」の慎重な議論を求める緊急アピール』の賛同を呼びかけている。一口1千円の賛同金1万口を集め、全国紙の一面広告に私たちの声を掲載しようと考えている。同時に国会への座り込みや要請行動に取り組んで、私たちの声を届けなければならない。4月11日と5月12日は、全国規模の行動が行われる。大切なことは、一人でも多くの声を集め結ぶことだ。            (編集委員会)

(特集)
「春です!頑張ってます!」
☆新しい年度が始まりました。今月は、希望に夢膨らむ3人の若者に自己紹介や近況を知らせてもらいました。
  (西部 鈴木沙耶さん)
 始めまして、今日は。今年、東視協に入会させて頂きました鈴木沙耶です。現在桜美林大学の文学部言語コミュニケーション学科で、コミュニケーションについて勉強しています。この4月で2年生になります。視力も視野も全くありません。好きなことは、ピアノを弾いたり歌を歌うことで音楽と関わること、テニスや卓球などをすることなどです。また、友達と話すことも大好きです。
 将来の夢は、子供や障害を持っている方のためのカウンセラーになることです。そのために、英語・異文化コミュニケーション・音楽・福祉・心理学・コンピューター関係等を、広く浅く学んで行きたいと考えています。その勉強の一つとして、視覚障害を持つ小学生の子供たちにパソコンの使い方を教えるボランティア活動をしたり、障害を持つ学生のための交流会などの企画に参加しています。
また、今年の2月にはタイで行われた「ICEVI」の会合に参加し、少しではありますが海外の福祉について勉強することができました。またそれと同時に、日本の現在情況についてまだまだ知らない点があること・様々な面で知識不足な点があることを実感しました。
 今後東視協では、沢山の方と交流し、情報交換や意見交換がしたいと思っています。 そして自分にとっても皆さんにとっても良い経験を増やすことができれば嬉しいです。至らない点が多いと思いますが宜しくお願い致します。
  (西部 細川みゆきさん)
 私は、この4月から、都立八王子盲学校専攻科保健理療科1年生になります。それまでとこれからについて書きます。
 私は一般高校で、福祉と医療を学び、将来は「カウンセラー」になれたらと思っていました。しかし、事情で大学にいかれなくなり、専門学校に8校ほど行き話を聞いてもらいましたが、総てに断られて、とてもへこんでいました。もう一つ、やりたいことがあり、それは「シンガーソングライター」になることです。音楽の専門学校4校ほどいき、1校から良い返事をもらいました。夏休みは、学校見学に賭けていました。
 2学期、担任に「音楽の専門にいく」と伝えたけれど断られました。何度もアタックしたけれど、全く分かってもらえませんでした。
周りはみんな進路が決まっていく中、とても口惜しい思いをしていました。
 しかし、11月に私に理療の世界へと関心を持たせてくれた勉強会がありました。『I―cube』(学生の医療系サークル)主催のもので、私を変えてくれた先生に会ってお話しを聞いたり、メール交換をしたり、実際に治療してもらったり・・・。そんな中で、自分は「理療でできることと、福祉を勉強してできること」を組み合わせてやって見よう! ゆっくり勉強してもOKって思えるようになっていました。
 そして受験があり、合格できました。今年は倍率が2倍位でした。
 これからは、『I―cube』で沢山の医療者やメンバーに会って、西洋医学の勉強をしつつ、東洋医学もきちんと勉強していきたいと思います。また、音楽も続けていきたいと思います。
 西洋・東洋医学の良い所を組み合わせていけば、医療の可能性は無限大?に広がるような気がします。
 今まで、出会った人たちに感謝しているし、これからも繋がっていてもらいたいなあと「思う」自分です。
 これからも宜しくお願い致します。
  (北部 塚本さゆりさん)
 神様からの贈り物―天使が舞い降りた日
 私の身体に新しい命を授かったのを知ったのは、昨年夏のことでした。とかくあの夏は、例年にない猛暑続きで、暑さに弱い私は、始めは夏ばてしただけなのか、つわりだったのか判断に困ってしまいました。「妊娠してますよ。丁度9週目です。」と病院で言われた時は、当然私も主人も待ちに待っていたので大変喜びました。そして本年2月15日の夜予定日より約1週間遅れて無事長女を出産することができました。寒かったせいでしょうか、私のお腹の中で外の世界の様子をうかがっていたのでしょう。のんびりやさんの所は私に似てしまったようです。太陽の日差しのように、暖かく、沢山の人の心を明るく照らしてあげられるように、そして澄んだ青空のように、素直で広い心の持ち主になってもらいたいという願いから、「はるか(晴香)」(晴れるに香る)と名づけました。育児を始めて1ヶ月半。心も身体もまだ余裕ができず、ぱたぱたと毎日が過ぎましたが、それ以上に喜びも感じます。何より、分娩室で生まれたばかりの娘を抱かせてもらい、お乳を吸ってくれたこと、主人が傍で励ましてくれたことは一生忘れられない記憶です。そして毎日少しずつ体が重くなってきたり、手足を動かす力が強くなり、泣き声も変わってきて、成長による変化を見つけ出せることがとても楽しいのです。そうやって子供は親に苦楽を代わる代わる与えて、大切な物を守る強さと愛情を身につけさせてくれるのでしょうね。
神様は新しい大切な命だけでなく、そんな強さや優しさも私達にくれたのかも知れません。周りの人たちは「早く大きくなあれ」というけれど、私は「ゆっくり一歩ずつ成長してほしい」と思います。一瞬一瞬の変化を大事に大事に見守っていきたいから。そんなことだけが今の私の目標です。

『東視協の成果大いに語る』
南部 野島潔
 去る2月27日、大阪のNPOプラザで「視覚障害者の歩行の自由と安全を考えるブルックの会」が主催する、「いま可動柵があたらしい!プラットホームにおける視覚障害者の安全を求めて」と言うシンポジウムに、東視協街づくり委員会を代表し、パネリストとして参加して来ました。
 この「ブルックの会」は、1995年10月の佐木理人(さきまさと)さんの地下鉄・天王寺駅ホームからの、転落接触事故をきっかけに結成された団体で、「視覚障害者をはじめ、誰もが自由且つ安全に移動できる街づくり」を目的に、佐木さんの裁判闘争を支えて来た団体です。
 シンポジウムはまず始めに、私が[東視協のプラットホームに関わる安全対策拡充の取り組みを振り返って]と題して、(1)東視協の紹介と警告ブロックの全国的普及での、上野裁判の意義と「鉄道死亡事故ゼロの日」を中心とした東視協の取り組みについて触れた後、(2)東視協街づくり委員会の活動として、プラットホームからの転落事故調査アンケートから、視覚障害者の2人に1人が転落経検を持ち、全盲の3人に2人が転落していることや、1994年からの10年間に、死亡事故17例を含む29例の実態調査結果を紹介し、(3)運動面として、タッチパネル式自動券売機にテンキー機能を付加させたことや、画期的な図案を駆使した「山の手線乗り換えガイド」を作成し、このことからドア合わせ目に車両ドア番号表示を実現させ、さらに全国的に普及する中で、東京メトロの握り棒表示を止めさせた成果などについて語りました。
 次のパネリストは、東京女学館大学麦倉哲(むぎくらさとし)さんが、[ホームドアとホーム可動柵の設置は、なぜこんなに進まないのか]と題して講演し、「可動柵設置が進まない最大の理由として、ホーム縁端から45センチ内の柵などの設置が、鉄道構造規則で禁止されているが、画期的だったのは、都営三田線の既存駅に、ホーム可動柵を設計した際、東京都交通局は、この建築限界の内側にセンサーを設計した。この設計が許可され可動柵が実現したことにより、鉄道構造規則の建築限界が絶対のものでなくなった。政府の規則に振り回されたおかげで、安全対策がかえって遅れてきた過去を思うと残念です」と、話されました。
 最後にブルックの会代表の加藤俊和(かとうとしかず)氏(京都ライトハウス図書館長)が、[関西におけるプラットホームの可動柵の取り組み]と題して、JR大阪環状線を中心に、階段の位置やホーム終端部の転落防止柵の有無などに関する調査と、資料作成に取り組んでいることと、可動柵の有効性をしっかりと把握し、新設路線への設置を強く訴えていくなどの活動方針が話されました。
 続いてフロアとの質議討論となり、ホームドアと可動柵の違いや、可動柵の形状などについて応答があった後、3人のパネラーからのまとめの発言がありました。
 麦倉氏は、「私の研究テーマは市民版事故調査委員会です。国土交通省が、このような転落事故を調査対象としないから」と、国の態度を批判した後、「車両ドア数の異なる可動柵が開発されており、環境は整いつつある」と述べました。
 続いて私が「欄干のない橋と言うが、国道にはそんな言葉は既に存在せず、道路設置規則では、転落の恐れのある所には、転落防止措置を講じなければならないとあり、数十万人が利用するホームは、一級国道の転落危険個所と同じ」と発言しました。
 最後に加藤氏が、「ホームドアと可動柵は、視覚障害者にとって利用上違いがないことが分かった。東視協が都営線への要求実現を突破口に、成果を拡大し、ついに可動柵を実現したことに学び、大阪市営への可動柵設置を求めて運動していきたい」と、パネルディスカッションを締めくくりました。

「貴方の周りの身近な差別」
                            南部 下奥重望
 視覚障害者故の不利益は日常生活の中で数えきれない程あるが、「買い物」というテーマでこの問題について考えて見たい。
 ここ数年、主なデパートやショッピングセンターなどに単独で行っても入口で誘導を頼めば目的の売り場まで誘導してくれる所が増え、視覚障害者でも買い物しやすい環境が整ってきている。デパートによっては、障害者だけでなく買い物のサポートや重い荷物をホームまで持っていってくれるサービス、更には『コンシェルジェ』といって、買い物だけでなく、お客の希望にそった情報を提供してくれる所もあり、これらをうまく活用すれば、充実した買い物ライフを楽しむことができる。
デパートの中には、入口まで行けなくても、こちらの希望する場所まで、送り迎えしてくれるサービスを実施している所もあり、私達にとっては非常に有り難い。
 多種多様なサービスが増えたことで、一見買い物しやすくなったように感じるが、まだ解決されてない点がある。それは、文字や色などの情報だ。予め自分が決めた品物を買うことはできても、晴眼者と違い、我々はその品物の値段を始め、他の物との比較・内容・品質等については、自分で知ることができない。物によっては、ある程度触って判断できる場合もあるが、最終的には店員に教えてもらわなければ選べないのである。仮に、或る品物について質問しても、店員がどの程度その品物について知識を持ち、説明してくれるかによっても影響されやすい。また、店員の勧めに惑わされてしまう危険性もある。これらを防ぐためには、事前の知識を蓄えて置くことは大切だが、やはり自分の欲しいもの・買いたいものをはっきり伝え、店員に惑わされないことではないだろうか。
 流通している総ての商品に点字がつけば自由に買い物できるかも知れないが、それは不可能である。しかし、不可能だと思っていたら、何時までたっても物事は進展しない。少しでもこのバリアを減らすため、私はこのことに拘って周囲に働きかけていきたい。

(読者投稿).
「書き残しておきたいこと」(1)
北部 井上毅三
 もう51年前ですが、私が勤めた職場に元日本陸軍の衛生兵で、石原さんという方がおられました。衛生兵というのは、今でいえば保健所の職員がそのまま自衛隊員になったようなものです。
 太平洋戦争中、石原さんは築地の捕虜収容所で勤務していたことがありました。その頃は日本全体が食料不足で捕虜収容所でも食料不足でした。石原さんは、捕虜がおなかをすかしているので、やり繰りしては捕虜に食料を回すようにしました。やがて戦争は日本の敗北という形で終わり、占領軍が入ってきました。そして、戦犯(戦争犯罪人)の裁判が始まりました。A級戦犯は戦争を始めた責任者で、B級・C級戦犯は捕虜虐待などでした。
 石原さんは捕虜収容所で勤務していたということで、裁判に引っ張り出されました。でも、当時の捕虜が「ミスター石原はよくしてくれた」と証言したので、何のお咎めもありませんでした。
 昭和22,3年頃はよくラジオで「○○は捕虜を殴ったので重労働、○○年に処する」というような放送がありました。石原さんは当時を回想してしみじみと「俺!捕虜引っ叩いたりしなくて良かったよ」といわれました。戦争中は、中学校でも軍隊の延長のように、上級生が下級生をよく殴りました。日本では上の者が下の者を殴るという感覚は全くありませんでした。それが、外国では重労働何年という罪になるというので、外国は進んでいるなあと思いました。
 戦争中、私のいた中学校では軍隊のように上級生に行き逢うと下級生は耳に指先をあてて敬礼をするしきたりでした。戦争が終わってからは敬礼はしなくてよくなりましたが、上級生は敬礼の代わりに帽子をとってお辞儀をしろと言い出しました。どこまでも上級生として威張りたかったようでした。私のいたのは田舎の中学校でしたが、戦争が終わって3年目東京へ引っ越してきました。そして、東京の中学校に移りましたが、そこでは上級生が威張るというようなことは全くありませんでした。私は、東京は進んでいるなあと思いました。
 近年、大学の体育系クラブなどでしごきで部員が死亡するというようなことが起きていますが、折角上の者が下の者をいじめるという悪い習慣が無くなっていたのに、また元に戻ってしまってとても残念です。

古都奈良に全国から文化活動結集 全視協「夢を育む文化の集い」
                          南部 田中禎一
3月26,27日(土日)に奈良で開かれた全視協「文化の集い」に参加しました。
 第1日は、午後1時半から和太鼓集団「あり」による開幕太鼓に始まり、会長挨拶、続いて奈良女子大付属中学校副校長の勝山元照氏による講演「近代奈良における『自治』の歴史」。「奈良」というとお寺や古い遺産のことばかり考えがちですが、今回は主に明治以後における行政と奈良市民を中心とした自治について、「明治の町村合併」「戦後の市町村合併(1950年代)」「平成の市町村合併」という流れの中で、奈良県の地方自治の推進について興味深い講演でした。
 第2部は、いよいよ全国からやってきた仲間達の出演で、ハーモニカ独奏、ギター独奏、ピーストーク、神奈川の仲間3人による歌・オカリナ・ピアノ、そして岡山蒜山からきた原田義雄さんを中心に以前大阪で活躍したフォークグループ「ぎんばと」の25年ぶりの演奏、最後に私のピアノで「みんなで歌いましょう」、「ぎんばと」の皆さんにもステージに残ってもらい、会場一杯に歌って第1日のステージを終わりました。
 夜は、宿舎で夕食をとりながらの交流会。東は東京・神奈川、西は福岡、そして中部・近畿・中国・四国からも50人以上の仲間がきていることを自己紹介で確認しました。
 第2日の午前中は、「素麺づくり体験」と「ぶらり名所めぐり」の二つに分かれ、私は名所めぐりに参加しました。有名な東大寺の大仏殿では特に大仏の台座にふれて、蓮の花の模様にさわったり、大きな柱を見たり、更に大仏様の模型を見せてもらいながら、説明を聞いたり(私は4800円投資して模型を買い求めてしまいました)、それから奈良の街を歩き、うどん屋で昼食、安くて美味しかった。
 午後は、12時20分から再びステージ、琴の合奏。ギターのデュオ、オカリナ演奏、神奈川の劇団「くず」による演劇、地元奈良の仲間による軽音楽、そして珍しいフィリピンの民族楽器によるアンサンブル「ロンダリア虹」は、主に青眼者のアンサンブルに奈良視力障害者を守る会の上岡由佳さんが参加しているもので、マンドリンに良く似た「バンドリア」という弦楽器を中心にしたものです。上岡さんは、今回の集いでは総合司会も担当して、大活躍でした。そのあと大阪の軽音楽グループ「スイートポテト」と地元奈良の合唱団「九官鳥」のステージがありましたが、私は帰りの汽車の時間があって残念ながら中座し、九官鳥結成30周年記念コンサートのCDを買って帰ってきました。
 2年に1度このような文化の集いが開かれることはとても楽しみです。東視協からも、もっと組織的に参加できればと思いました。ちなみに今回東京からの参加者は私の他に西原和子さんと鈴木彰さんでした。

教養講座に参加して
                          北部 佐野昭典
 3月27日に行われた講座の講師は、視覚障害者のための朗読サービスなどもしておられる女優の大原穣子さん。テーマは日本語と方言の豊かなコミュニケーションでした。大原さんは、ここ30年間は女優としての仕事よりも舞台劇やテレビドラマに出る役者の方言指導を中心に活動してこられたとのことです。そのために、和光大学の近松門左衛門などのゼミに聴講生として参加し、古典を学び、そうした中で方言学というもののあることを知ったとのことです。方言といっても北から南まで多種多様で、全てはこなせません。
大原さんは、主として大阪・京都・広島の方言の指導をされています。
 今回披露して頂いたのは、憲法第11条基本的人権の条文を広島弁で、24条男女平等の項は大阪弁で、25条生存権(国の社会保障義務)の項は、京都弁で、原文の後に名調子を聞かせて頂きました。
 大原さんの話を聞いて、素晴らしいと思った点が二つあります。
 一つは堅苦しく感じる日本国憲法の条文を方言でやさしくわかり易く読み替えて、その豊な内容を啓発しているユニークなやり方に感心しました。今自民・民主・公明などによる憲法改悪の動きが盛んになっています。日本国民が誰しも憲法を読み、問題意識を掲げなければならない正にその時です。 大原さんの活動は、時宜に叶った実践だと思います。
 二つ目は、70歳とはとても思えない綺麗な声、しっかりした話し方でユーモアを交え、語りかけて下さったことです。大原さんの話を通じて共感を得たのは、平和と民主主義を守り、戦争に反対する姿勢がはっきりと出ていたことです。
この講座は、録音されています。詳しくは、織田津友子さん(03−3944−0736)までお問い合わせ下さい。

【連載19】
「東京工業大学に今でもある筈の 点字から自動墨訳された卒業論文」
北部 長谷川貞雄
 先月号で、日本で初めて芝浦工業大学で点字の読み取りの実験を行なったことを紹介した。
 この装置で私は、パーキンスタイプライターで六点漢字の入っている3行ほどの点字の文章を書いたものを読み取って紙テープデータにした。
 この紙テープを国会図書館の電子計算機室に持って行き、コンピュータで墨字に印刷した。  この墨字印刷された文章は、雑誌「コンピュートピア」(1953年9月号)に写真として残されている。
 一方、芝工大の実験の直後に、東工大の長谷川健介先生の方でも点字読み取り装置の開発状況の発表があった。
 こちらは三菱のミニコンピュータであるMELCOM(メルコム)というシステムを用いていた。
 芝工大における日立のHITAC-10(ハイタック・テン)のように、当時はミニコンピュータを研究に導入するのが大学などでの有力な研究手段であった。
 東工大の方式は、点字1ページのデータをCCDという当時としては最も新しい光電素子で読み取ってしまい、その結果を点字データとして紙テープに打ち出してくるものであった。
 芝工大の読み取り速度を点字1ページとして測っておかなかったから正確な比較はできないが、東工大のものは、1ページが約10秒という何十倍も速いものであった。
 この開発は、大学院修士課程における制御工学科学生の研究テーマでもあった。
 そこで長谷川健介先生から私に依頼があった。
 それは、東工大で開発した点字読み取り装置を応用し、その点字読み取り結果を用い、六点漢字体系による自動代筆で墨字に変換して欲しいということであった。
 私はうれしかった。 前にも芝工大で、私が六点漢字体系により書いた3行の点字を読み取り、1行の墨字に変換したことがある。
 それはたった1行でも、最初の実験という意味があった。
 今度はそれよりもずっと長い研究論文の資料である。
 早速その墨字原文をいただき、パーキンス点字タイプライターで、六点漢字を含む点字文にした。
 その点字文を東工大の学生に渡し、それが点字コードの紙テープデータになって戻ってきた。
 そしてそれを自動代筆システムで、墨字に変換し、修士論文資料の一部として添えたのである。
 これは修士論文であるから東工大の図書館に保存されているはずである。
 私は、いつか機会があったら、20年以上も昔(1976年ごろ)に実験した、パーキンスの点字から墨字になった資料の載っているその論文を見に行きたいと思っているが、まだ実現していない。

    情報アラカルト
1. お店情報
 JR目白駅構内に気軽に利用できるカフェがあります。「カフェ・デ・マルク」というカフェです。ホームから階段・エスカレータを使って改札口に向かう途中にあります。焼きたてのパンやドーナツ、サンドイッチが豊富です。またミネストローネ・コーンスープ、サラダ、そしてソフトドリンク類です。駅構内にあるため、全盲でも気軽に利用できます。店内は、割りと広く、店員さんも親切です。出かけた時にちょっとのどが渇いてお茶したい時にぜひ利用してみて下さい。
2. 商品情報
 春のご馳走「釜めし」(丸美屋食品)季節限定です。
(1)筍釜めしの素:3種の筍、人参、油揚げ、こんにゃくがたっぷり、調味だしは別パックになっています。292グラム294円。
 (2)はまぐり釜めしの素:肉厚のはまぐりの贅沢さが味わえるように、蛤の旨みを醤油と生姜で更に味わい深く仕上げてあります。おもてなし料理に如何ですか。189グラム368円。
 東視協メーリングリストからの情報:アヲハタ・ジャムの瓶にも点字表示があるそうです。瓶の片面に「アヲハタ」、反対の面に「ジャム」と書かれているそうです。(枡田和歌子さんの書き込みより)

    川柳コーナー
「山削り自然壊して愛だって!」 (愛地球博)
「破るぞお憲法福祉命がけ」 (慎太郎)
「皇室におを付け様付け舌を噛み」(にしべよった)

   ありがとうコーナー(省略)

     事務局だより
 1. 5月29日に行う東視協の第39回総会の会場は、港区勤労福祉会館に決まりました。  ご出席下さい。4月29日に議案を発送します。ブロックでの議案討議に参加して頂き、議案を通じて私たちの平等な暮らしと社会参加促進の運動を進めましょう。
 2. 4月29日の議案書発送でお手伝い頂ける方を募集しています。例年通り昼食をお出ししますので、お手伝い頂ける方は事務局までお電話下さい。
 3. 今年度も「私の要求」を集めます。今年1年の活動の中心ですので、要求のある方は、各ブロックでまとめ、事務局に提出して下さい。 要求はなるべく具体的にお書き下さい。期限は今月一杯です。
 4. 東視協と労働組合(自治労連・都庁関連法人一般労組)の共同の運動で、東京都住宅供給公社の事実上の解雇の方針を撤回させて、穂苅友未さんの今年度の就労継続を勝ち取りました。そして勿論穂苅さんは東視協に再入会しました。
 5. 青い鳥福祉葉書の配布申請は4月1日から31日です。配布の対象は1,2級の障害者。最寄の郵便局で障害者手帳を提示して申請してください。切り欠き入りの葉書20枚が送られてきます。

     日程情報
 4/11(月):障害者福祉への応益負担導入反対国会行動
 4/13(水):障館相談(山城完治)
 4/16(土):歌声サークル「ステッキ―ズ」レッスン
   同:東部ブロック会
 4/17(日):水泳サークル「かーなづーち」レッスン
   同:東視協役員会
   同:NPO法人「視覚障害者サポートゆい」
設立のための説明会(午後6時30分)
 4/18(月):東京労働局障害者対策課と懇談(穂苅友未さんの仕事と職場について)
 4/20(水):障館相談(鈴木彰)
 4/23(土):青年学生部例会
 4/24(日):教養講座「障害者自立支援法の内容と今後の障害者福祉」、中村尚子氏(立正大学講師)
   同:障都連総会
 4/25(月):南部ブロック会
 4/27(水):障館相談(織田洋)
 4/28(木):街づくり委員会
 4/29(金):総会議案書印刷発送作業
 4/30(土):女性部「かっぱ橋道具街買い物」、午後1時上野駅3,4番線ホーム待ち合わせ
 5/1(日):第36回障害者メーデー、午前10時、JR原宿駅ホーム渋谷寄り待ち合わせ
 5/5(木・休):西部ブロック江ノ島ハイキング
 5/6(金):雇用を進める会
 5/7(土):歌声サークル「ステッキーズ」レッスン
   同;鍼灸マッサージ協同治療所雑司が谷 鈴木治療院開設パーティ
 5/8(日):西部ブロック会
 5/14(土):こだま5月号点字版発行
   同:北部ブロック会
 5/22(日):教養講座「より多くの人が利用しやすい製品・サービス・環境(共用品)」
 5/23(月):南部ブロック会
 5/29(日):第39回東視協総会、10時から
16時、港区勤労福祉会館第1洋室
事務局作業
4月/14,16,21,23,28,30日
5月/7,14,19,21,26,28日

      編集後記
 4月1日、「雑司が谷・鈴木治療院」が開業しました。1週間で6名の患者さんがお見えになりました。まずまずのスタートかな? 東視協の理療問題の梃子にしたいものです。