こだま第261号2000年2月

    もくじ


   視 点
 99年12月7日、衆議院本会議で年金改革法案が可決された。同席上で発言した山本孝史議員(民主党)は、本国会における年金法案の審議のあり方を批判し、「4点の罪状」を述べ上げた。  罪状の一つ目は、厚生委員会において与党の「数の力」で法案を強行採決したこと。野党が修正案を提出している最中、委員長が強行採決を行い、委員会は大混乱を招いた。  罪状の二つ目は、有識者の意見を反映させる目的で開かれる公聴会、この開始直前に翌日採決という日程を決めてしまったことである。公聴会に一般公募から公述人として参加した笹森連合事務局長は、意見陳述が全く反映されないとし、怒りを込めて退席した。年金法は5年に1回改正される。今回の改正案は労働者や女性、障害者に大きな影響を与える。 先ず、老齢厚生年金の支給開始が、 2013年から段階的に65才に引き上げられる。高齢者雇用施策が進まない状況の中で、60才代前半の所得保障は皆無となる。また、2025年度に60才を迎え、退職する夫婦を想定したモデルケースでは、年金総受給額が5300万円から4300万円に減少(2割減)することが明らかになっている。これは、3月の国民福祉委員会の年金局長の答弁の中で始めて明らかにされたことで、改正法案には「給付水準の5%適正化」の一言で片づけられている。  一方、無年金障害者に対する救済は、法案に一言も盛り込まれなかった。94年国会において、「無年金障害者の所得保障については、福祉的措置による対応を含め速やかに検討すること」の付帯決議がなされた。その時国会前に座り込んでいた当事者はこれで救われると喜んだ。この5年間の検討は一体何だったのだろう。 同じく94年の国会付帯決議では「国庫負担率を2分の1に引き上げることを検討すること」が盛り込まれていたが、これも先送りにし、しかも引き上げに際しては安定した財源確保が得られることを条件とするとまで付け加えた。  何故、約束をほごにするのか。国民年金の対象者2千万人の内、保険料の免除者が360万人、滞納者が170万人、未納者が160万人、いるといわれている。およそ3分の1が何らかの理由で保険料を納めていない。実態は保険料が高すぎるのだ。仮にも国民皆年金というのであれば、支給年齢の開始を遅らせる前に、もっと保険料を払える人を増やすことの方が必要なのではないだろうか。年金制度の信頼を回復すること。無年金障害者に対する年金権の保証も、決してこの趣旨に反するものではないであろう。
          (編集委員会)

 跳ね返そう!石原都政の   福祉切り捨て予算案
 2月7日石原都政は、2000年度予算案を決定しました。  視覚障害者の分野では、障害者医療費助成制度と心身障害者福祉手当制度の所得制限を強化・65才以上の新規申請を認めない、一人親医療費助成制度と児童育成手当制度の所得制限強化、都営住宅家賃減免、とりわけ免除制度の廃止、特別養護老人ホームの按摩・マサージ配置への補助金制度の改悪などが含まれています。  石原都政の今回の福祉切り捨て予算案は、現在都が行っている医療費助成や都営住宅家賃減免制度、お年寄りのシルバーパス交付制度など、福祉施策の無料制度を有料化し、利用料値上げに道を開こうとするものです。障害者の社会参加と平等な暮らしを進めるためには、何としても現行の無料制度を守らなければなりません。  この予算案は、2月23日から3月30日まで開かれる東京都議会で審議決定されます。議会の審議とその行方が勝負です。2年前の都議会では、青島都政(当時)の老人医療費助成制度の改悪、東京都障害者スポーツセンター宿泊費など、50余項目の公共料金値上げ案を否決し、値上げを差し止めました。この運動に勢いを付けたのが東視協の提起した都庁座り込みであったことは記憶に新しいところです。
 私達の暮らしを、東京の福祉を、日本の福祉を守るために頑張りましょう。 具体的には、2月23日(水)の人間の鎖都庁包囲行動と都庁座り込み(日程情報参照)行動に東視協も多くの団体・個人と共に参加します。是非ご参加下さい。

    新年会楽屋裏話 
      新年会担当 東部 滝 修
 新年会の準備にまつわるエピソードを いくつか紹介します。
 その1 覚えて置くと便利ですよ: 12月5日、2回目の実行委員会の会場は、なんと都営地下鉄の浅草橋駅。改札口の中にベンチとテーブルを置いたコーナーがあり、待ち合わせや一寸した打ち合わせなんかもできるようになっているんですね。「いい場所があるよ」と情報提供してくれたのは新井康代さん。(実は丁度その後の東部ブロックの忘年会の待ち合わせ場所がそこの改札前になっていたんです。)
 その2 もし民営化されたら:そして最後の実行委員会は、当日会場となる障館の教室で。テーブルの配置をどうするかなど、実際に机を動かしながら最終的な打ち合わせができました。定員72人の部屋をたった6人で借りられたのも「都直営」であってこそではないでしょうか。 何はともあれ、皆さんのお陰で50人余の参加者、赤字も出さずに終えることができました。ご協力有り難うございました。

階段てすり点字表示点検ー 街づくり委員会
山手線全駅 「階段昇って改札口」。このような点字表示で困ったことのある人はいないだろうか。
 街づくり委員会では、1999年7月より、山手線全駅における階段てすりの点字表示について点検活動を行っている。会員8人、ボランティア6人が参加している。1999年12月現在、乗り換え駅を中心に11駅の調査を完了した。  点検を終了した駅は、東京、神田、池袋、新橋、渋谷、日暮里、上野、秋葉原、新宿、田町、品川の主要11駅。調査では、ホームの階段てすりの点字表示の内容を調査票に総て記載した。
 表示が適切であった駅は品川駅や東京駅など。「←山手線右1番線東京・上野・田端 左2番線渋谷・新宿・池袋」といった番線表示や改札の名称、乗り換え路線などもきちんと表示されていた。
 一方、不適切な表示が多い駅は、上野駅(記載内容の間違い19、内容が不足22、適切である7,合計48)、新宿駅(全く読めない11,少し読みにくい4,内容が不足23,点字表示板がない2,適切である8,合計48)。渋谷駅(全く読めない3,記載内容の間違い6,内容が不足9,点字表示板がない4,適切である22,合計44)であった。特に新宿駅で消えかかっている表示が目立った。 11駅全体では、全440ヶ所中
、不適切な表示が170ヶ所(39%、全く読めない18,少し読みにくい36,記載内容が間違い27,内容が不足76、点字表示板がない10,プレートが逆さに張ってある1,プレートの上に何かがかぶさっている1)。一方適切な表示が、270ヶ所(61%)であった。また表示の高さや位置などが不適切なものもあり、これらを判断基準に入れると、不適切な箇所が更に増えると見られる。今後これらの結果をもとにJRなどに改善を求めて行く予定である。

  中国よもやま話
    「真名と仮名」
             沢田 稔
 日本は古くから様々な形で中国と深い関わりを持ってきました。しかし、その中国について知らないことが多いのも事実です。私が中国の学習を通じて経験した「目から鱗が落ちる」思いを書いて見たいと思います。先ずは「文字」についてです。今回はそのプロローグです。
 中国においては、紀元前202年から約400年間「前漢・後漢」と呼ばれる時代が続きました。この「漢」の時代に制定された統一文字が「漢字」です。  その頃の日本には文字は存在していません。中国との交流が盛んになり漢字が伝えられると、話し言葉である大和言葉に漢字を当てはめ大和言葉の文字表記が行われるようになりました。「あ」には阿部さんの「阿」、「い」には伊豆半島の「伊」、「う」には宇宙の「宇」などという具合で、これらの文字を「万葉仮名」といいます。この「万葉仮名」は男性が用いる文字とされ、「古事記」や「日本書紀」はこの字体によって書かれています。
 8世紀の平安初期になると習得が容 易な文字として「片仮名」と「平仮名」が作られ、これらは女性や子供が読み書きに用いる文字とされました。この「片仮名」や「平仮名」を仮名文字といいますすが、「仮名」とは仮の名という意味でありこれに対して万葉仮名を含めた漢字のことを真実の名という意味で「真名」といいます。
 10世紀の平安中期に紀貫之が「土佐日記」を表すにあたり、我が国で始めて仮名文字を用いました。これ以降紫式部や清少納言などの女性の物書きや歌詠みが文章を書くようになると男女を問わず真名(漢字)と仮名を交ぜて用いるようになりました。
 江戸時代になると庶民の仮名の識字率が上がり、これに合わせて仮名文字のみで書かれた読み物が出回るようになり、広く庶民に読まれるようになりました。「仮名手本」とか「仮名草紙」とか呼ばれるものです。数年前妹尾河童氏が「少年H」を出版しましたが、その際に総ての漢字にルビをふって好評を得ました。これも「仮名手本」の発想なのです。
 何はともあれ、漢字・片仮名・平仮名など3種類の文字を持つに到った日本とかたくなに漢字のみを守り続けた中国。物語はここから始まります。

   情報コーナー
 JBOS(ボランティア団体)を  使って見たら
             仙波 剛
 「こだま」を購読の皆さま。北部ブロックの仙波と申します。  この度11月からJBOS東京というボランティア団体ができました。これは区のガイドヘルパー制度とは違って、買い物や映画、マラソン伴走などの趣味や演劇鑑賞にも利用できます。これまでは東京在住の視覚障害者は各区のガイド・ヘルパー以外は使えなかったけれども、これからは東京に住んでいてもJBOSを利用できるそうです。
 (例えばこんなことに使って見たら)  お正月やクリスマスなど、プレゼントを買いに行く時に利用して見たら。混んでいる所を歩かなくても良いかも知れませんね。私は新宿や池袋を歩く時に大変な思いをしています。今度マラソンの伴走者のボランティアヘルプも頼んでいます。  区の制度では、公共施設へ行く時以外は頼めなかったけれども、これからはいろんな面で私も利用させてもらおうと思っています。費用は、電話通信料として200円と、ボランティアの交通費が掛かります。東視協の皆様。利用してみたら如何ですか。
 連絡先はJBOS会長釜本さん。電話3341ー6351まで。

    歌声喫茶のお知らせ
       実行委員  野尻 誠
 Let's try together 今よみがえる思い出の歌、懐かしの歌、青春の歌、そして貴方の愛の歌を明日に向かって明るく元気に心を共にして歌ってみませんか。誰もが気軽に集える歌声喫茶を企画して貴方の参加をお待ちしています。飲み物や食べ物も安くして各種ご用意。更に当日は、東京音楽大学の皆さんによる弦楽四重奏の演奏も行われます。  年齢の垣根を越えて幅広い世代の方々の多くのご参加を心よりお待ちしております。
       ー記ー
 日時:3月20日(祝)午後1時から4時
 場所:東京都障害者福祉会館「教室」 交通:都営三田線三田駅若しくはJR田町駅

独り歩きーその失敗と工夫    その5(座談会より)
 参加者:菊沢裕子、小原寿賀子、杉田直枝、野尻誠、橋本宗明
 司会:熊谷尚代
  §テーマ6 失敗談エトセトラ
 熊谷:自動車などにぶつかったり、ホームから落ちたりなど、体験がありましたらお話下さい。
 杉田:皆さんよくいいますが、私もホームから落ちるまで「自分は絶対に落ちない」と思っていました。3年前の風の強い日で、電車の入線を知らせるアナウンスを耳にしたにも拘わらず、何か考え事をしていたのかどうか分かりませんが、落ちてしまいました。東上線の鶴瀬駅です。道路歩行では杖を車に轢かれた位ですね。
 菊沢:私は感が悪いし、もし落ちたら恐怖で2度と歩けなくなるのではないかと思い、常に慎重に歩くためか、落ちたことはありません。特に気をつけていることは、なるべく電車の中を移動します。混んでいる時でも、命がかかっているので気を遣いながらも実行し、座席を譲られた時など事情を説明し、丁重に断ります。啓蒙だと思って「何人の方がホームから転落して命を亡くしていますから」などと話しています。もしよく分からない所に降りてしまったら、絶対に歩かず、こちらから大声で誰かを呼びます。
 野尻:誘導ブロックにそって歩いていて、警告ブロックにぶつかったので、階段だと思い杖を出したところ、ホームの端だったことはありますが、落ちたことはありません。
 熊谷:そう私もその駅が、改札の正面に電車が来るような構造であることを知らず、誘導ブロックに沿って進んだら、直ぐホーム線路際で、驚いたことがあります。
 橋本:私は、10回位落ちてます。昔点ブロがない頃、ホーム上での移動は電車がいる間が最も安全で、従ってよく電車のボディに杖を滑らせて歩きましたが、一度は連結器をドアだと勘違いし、一度は流線型になっている電車に気が付かず、電車とホームの間に落ちました。たまたまラッキーで、入院するような大怪我はありません。
 菊沢:実は私は歩行指導で電車のボディを触ることを指導されたことがありますが、ガイドヘルパーに「危険だから」と注意され止めました。
 小原:私も体験したことがありますが、全盲より弱視の方が、車に轢かれそうになったことが多いんじゃないですかね。 ☆やはりどなたの発言も貴重な教訓的お話です。特に怖いのが「思い込み」や、自分の知らないような特殊構造が事故の原因となることがよく分かります。
 それにしても、命がけの体験での学習が、歩行能力を高めることになるとは、本当に恐ろしいことです。
 お詫び:本連載4(前回)のテーマ番号は「5」でした。お詫びして訂正させて頂きます。

 全視協青年学生部関東  地域別交流会 IN 王子
青学部  板垣 敦子
 ぽかぽか陽気の中、1月30日東京都障害者総合スポーツセンターにて関東青学の交流会が行われました。
 主催の埼玉青学部の川合さんが担当され、千葉・東京・神奈川、更に横浜訓盲院の学生3人と先生、計14名の青年が集まりました。
 東京からは板垣と古川さん、会員外から1名が参加。午前中は卓球を楽しみ、交互にラリー。私は千葉の井下田さんと対戦し、ぼろぼろに負けてしまいました。
 午後は、交流会を開催。一人一人自己紹介をし、全視協に入ったきっかけや今興味があること、将来の夢などを話しました。また今年行われる青学学校の日程やキャンプの内容について報告されました。
 横浜訓盲院の高校生が将来の夢は調理士になることと語ってくれたのが新鮮でした。久しぶりに他の団体と交流する機会を持てたので良かったです。

   川柳コーナー
 

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