ページの先頭です

トップ > 連絡会について > 会長から

会長から

今期から東京頸髄損傷者連絡会の会長を務めさせて頂きます鴨治慎吾(かもじしんご)です。
まず始めに、自分のプロフィールを紹介します。
1992年(平成4年)9月中頃オートバイの走行中、環七の豊玉陸橋付近で信号待ちの大型トラックに追突して受傷、すぐに救急車で日大板橋病院に搬送、検査の結果、第2頸椎に伴う頸髄損傷となりました。
受傷部位が、c2ということもあり、その日から人工呼吸器の使用者となりました。
1993年(平成5年)6月からすこしずつ呼吸器離脱を開始し、車椅子の乗車可能により短時間であるがリハビリを開始、1994年(平成6年)には二時間程度の呼吸器離脱が可能になり、起立台等の起立負荷訓練も始まりました。
1997年(平成9年)に当時、呼吸器リハビリのあった昭和大学病院にて、人工呼吸器離脱訓練をし、なんとか二ヶ月目に呼吸器離脱することができました。
さらに電動車椅子訓練を受け初代電動車椅子(イマセン電動リクライニング)を作成。
呼吸器を離脱できた事によりさらに専門的なリハビリを希望し国立リハビリテイションセンター受診。
呼吸器離脱により外出が可能になり、この時、親に調べてもらった情報の中で東京頸髄損障者連絡会を知り、初めて定例会に参加。 自分と同じような人が積極的に社会に参加していることを知り驚きをもつと同時に、この先の生活に希望が見えたような気がした。
1998年(平成10年)国リハ入院。電動車椅子操作能力獲得と座位耐久性向上、ケイセイ、硬縮軽減のため神経ブロック等を行いました。(多少、効きました。)
その後、伊東重度障害者センター入所待ちのため、1999年(平成11年)12月国リハ退院、一時的に自宅復帰。
2000年の春、伊東重度障害者センターに入所。さらなる自己能力向上のため、リハビリに励む。この時から自立生活を考え始める。
伊東重度障害者センター入所中、自立生活準備を始める。住み慣れた地元でずっと生活がしたいと思い週に1度のペースで地元に帰り、制度の勉強や住まい探しを始める。
2003年3月から、地元である練馬区にて自立生活を始める。
この頃から徐々に連絡会の活動に参加をしだす。(レクリエイションや勉強会等)・・・現在に至る
この会を通して色々な人に出会い、頸髄損傷という障害を持っても、頑張って生きていこうと思っています。
めまぐるしく制度の変わる中ですが、障害を持っていても普通の生活を送りたいという気持ちをみんなで共有し、助け合い、協力していきたいと思っています。
みなさんと楽しい毎日を過ごせるよう頑張りたいと思いますので、宜しくお願いします。
簡単ではありますが、自己紹介と挨拶とさせていただきます。

東京頸髄損傷者連絡会 会長 鴨治 慎吾

みなさん、やりたい事や知りたい事や困っている事がありましたら連絡会に、ぜひ是非参加してください。
連絡会の活動に協力してくださる方、募集中です。一緒に連絡会を作っていきましょう。