センター通信より

ボランティア紹介

    亡き姑と新聞
塩俵  M.T.


 私の姑は新聞が大好きな人でした。 毎日、朝食が終われば約二時間かけてしっかり読み込みます。
自分なりに気にとまる部分にはマーカーを引きます。 我が家は商売家でしたので、朝は忙しく、私達が新聞に目を通すのはどうしても夕食後になります。

その際、まさしくそのマーカーは気になりますが、そこに姑の「思い」みたいな物を感じとる事が出来ますし、 又意見交換も出来たりで、それが逆に理解し合った家族関係もうまく紡がれていった様な気がします。

 その姑も九十歳を過ぎた頃から時々入院する事がありました。 見舞いに行く私に、一番に待っているのはお菓子とか果物等ではなく、やはり新聞なのです。 それを見つけると、待ちこがれた人に会えた様な感激の顔で喜んでいるのです。
すぐに懸命に読み続けていました。

 その後、百歳を越えた頃、ケアホーム、そして入院とかを繰り返していた時の事です。 私は相変わらず新聞を用意します。もうその頃はほとんどベッドに寝込む様になり、食事の時だけ起こす状態になっていました。 しかし、新聞を見つけるとニコーっと微笑んでいます。勿論読む力は有りません。 そこで私は読んであげる事にしました。

 いつしか、あのいつもの音訳活動の時の気持ちになっている自分がいたのです。 姑の興味ありそうな部分をゆっくり、そして大きな声で…。
ふと姑の顔を見ると一筋の涙を浮かべ安心しきった表情で静かに聞き入っていました。 本当に新聞が好きなんだナーと思うと同時に重ね合わせるものがありました。

 読む事が出来なくなった人へ、こうして声で届けてあげられるという「音訳」の大切さをその時改めて感じとりました。 私は現在、十数年余り市報などの音訳をさせて頂いておりますが、これからも更に心を込めて思いやりの気持ちで続けて行きたいと思います。

亡き姑への詠草
 今日もまた生き甲斐かのごと新聞を読み出す姑の一日のはじまり
 朱に押さる白寿の姑の手形には苦楽のさまがくっきりにじむ