センター通信より

ボランティア紹介


    父の遺言「死ぬまで勉強」

島原声のボランティアゆずの会 Y.R.



 最初の出逢いは点字でした。長年住み慣れた東京から主人の急な転勤で、愛知県半田市に引っ越したのが、昭和60年でした。畑の中にできた新興住宅地で、周りは共働きの若夫婦ばかり。主人が出勤すると後は1日中話相手もなくて、時間をもてあましている時、目に飛び込んできたのが、市からの点字講習のお知らせでした。
 さっそく私も参加です。だんだんと友達も増え、そのうちに仲間の一人から、「私、音訳をやっているけど、のぞきに来ない?」と誘われました。しばらく両方に顔を出していましたが、肩こりの私には、音訳の方がラクそうにみえて、点字から音訳へと移行してしまいました。

 音訳は、半田朗読会という名前で、会員数も多く、愛知・岐阜・三重の3県合同の講習会が年に数回あり、全員参加で出かけていました。ある時、東京から来られた講師の先生に、地元を聞かれ、「熊本です。」と申し上げましたら、「熊本と北関東の人はなまりがなかなか頑固でとれないのよね。」と言われて、しばらくショックでした。なるべく注意しているつもりでも、身にしみ込んだ言葉って変えようがないのかなと思いました。

 半田市には約20年近く、やっと第二の故郷と思っていたころ、主人が定年になり、全然身寄りのない東海より、終の棲家は、やはり九州がよいという事になり、長崎市の主人と熊本の私、二人の中間点である島原なら、どちらの親族にも申し訳が立つというので、平成16年こちらに移り住みました。 水よし、空気よしの島原は自然と同じに住む人々も穏やかで、仲間に入れて頂いたゆずの会でも、昔からの仲間みたいに溶け込みました。良い所に終の棲家を見つけたと喜んでいます。

 後悔先に立たずと言いますが、東京にいた時の20年近くが今になって、無駄な時間を過ごしてきたと悔やまれてなりません。東京では、世田谷で砧(きぬた)という地区に会社の社宅があって、同じ町内にNHKの技術研究所があり、その前の世田谷通りの道向こうに砧ファミリーパークや病院に行く時の近道として、技研の中を通っていました。 愛知県に引っ越した後、NHK技研で夏季研修のお知らせがあり、数日間の研修と地方からの受講生の為、宿泊先まで用意しての募集がありました。東京時代には、そういうボランティア団体があることも知らなかったので、早く知っていれば早く参加できたのにと後悔しきりでした。

 もう半世紀前に亡くなった父が口癖で、「人間死ぬまで勉強ぞ。」といった言葉が、50年以上たった今でも耳にこびりついています。正確でわかりやすい読みで、聞き取ってもらえるよう、カタツムリの歩みより遅くても少しでも前進できるように頑張って努力を続けて行きたいと思っています。来年は米寿ですが、命ある限り、皆さまの目の代わりが務まりますよう頑張りたいと思っております。父の教えを全うしたいと希望しています。