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~北の国から~(2)

瀬谷 和彦


みなさん、お変わりありませんか?
弘前はもう本格的に冬の季節となりました。

前回に手話か聴力判定の問題点について書くと約束しましたね。今回は思うところがあって手話の問題について書いてみたいと思います。20年以上前から社会の手話に対する理解が深まり、全国各地で手話サークルができました。宮城県でも10年前にはすでに手話サークルの数は50を越していたように記憶してます。また、星の金貨が放映されているように現在は手話をみても違和感を感じない社会になりつつあります。もちろん、手話表現をもっと充実させるために手話問題研究会や手話通訳者の全国組織などが生まれ、手話に関する研究が日々なされています。

これだけ手話が充実してくれば、国際手話があるにも関わらず、当然手話を第二日本語として位置づけられるところまで行くのがことの成りゆきです。ところが、第二日本語としての手話を如何にするか、まだ議論中と聞いています。つまり日本の言語としての手話がまだ統一されていないのだそうです。手話には伝統的手話と日本語対応手話に加え、中間手話などがあります。手話と接してまもない会員の方々に簡単に説明しますが、伝統的手話は昔からろうあ者が使っているコミュニケーション手段でどちらかというと、語順が英語的なのが特徴です。日本語対応手話というのはその名の通り日本語の語順で手話を使います。ごく平均的な手話通訳者のほとんどが日本語対応手話で通訳し、また手話サークルで使う手話も日本語対応が多いです。

話を元に戻しますが、何故手話が統一されてないのか?
前回に書いたように私は青森県のろうあ協会に入会してますが、そこでは正式な会議ではコミュニケーション手段は手話だけで声は出しません。弘前にあるたった一つの手話サークルでも声をあまり出しません。よくよく調べてみると、どうやら声を出さない、というのが全日本ろうあ連盟の方針でもあるそうです。つまり、ろうあ連盟の方針が全国の関係者に大きな影響を与えているようです。ところが、手話をもっとも必要とするはずのろうあ連盟自体がどの手話を指定するか決めるどころか、まだまだ議論中で未定なのだそうです。

国際手話を覚えることが聞こえの不自由な人たちの国際人化に必要であることは言うまでもないことですが、その前に我々日本の手話、第二日本語としての手話の早急な統一が望まれるところです。


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