2002年6月24日発行(第2・4月曜日発行)

News Source of Educational Audiology

聴能情報誌  みみだより  第3巻  第436号  通巻521号


編集・発行人:みみだより会、立入 哉 〒790−0833 愛媛県松山市祝谷5丁目2−25 FAX:089-946-5211
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【目次】第436号

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本号で掲載したものは,下記で公開された要旨をさらに要約したものです。
さらに詳しい要旨を入手したい場合は下記にアクセスして下さい。
特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/018/index.htm#meibo
特殊教育免許の総合化に関するワーキング・グループ
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/


パブリックコメント
「学校教育法施行令の一部を改正する政令案に関する意見募集」の
                          結果について

 学校教育法施行令の一部を改正する政令案に関して,文部科学省は2001年12月27日から2002年1月16日の間,一般からの意見募集を行った。意見の提出件数は776件にもなった。ホームページには,多くの意見とそれに対する文部科学省からの回答が掲載されている。今回,聾学校関係に絞って,重要な意見と回答を取り出してみた。なお,管轄部局は,初等中等教育局特別支援教育課である。
 
 
【意見】
 聾者の基準の「おおむね」は,解釈運用上くい違いが出てくる可能性がある。
 
【以上に対する回答】
 聾者の基準については,現在,「両耳の聴力レベルが裸耳で100デシベル以上」のものは一律に聾学校の対象者となっていますが,早期からの教育的対応や補聴器の性能向上,人工内耳の使用により,小・中学校への就学が可能な場合があることから,「100デシベル以上」を基準として用いないこととしました。「聴力レベルが60デシベル未満」であっても,音がひずんで聞こえるため,話声を明瞭に聴き取ることが難しい場合などがあることから「おおむね60デシベル以上」としました。
 
 
【意見】
 数値的緩和により解釈が曖昧になり,市町村教育委員会の判断基準の幅が拡大する。 聾学校に就学措置された児童生徒と同様の障害を有する者が小・中学校へ就学措置されることに危惧を感じる。
 障害種別の基準とともに,障害種別でなく総合的な対応を可能とする基準(ガイドライン)を提示することを希望する。
 
【以上に対する回答】
 今回の就学基準の見直しは,医学,科学技術の進歩等の観点から,実態に合うように改正したもので,これにより市町村教育委員会は,一人一人の障害の状態を踏まえた教育的ニーズを考慮して適切な就学先を判断することが可能になると考えます。
 また,文部科学省では,各教育委員会においてこの見直しの趣旨を踏まえ,適正かつ円滑な実施と運用がなされるよう通知等により基準の内容の解説を示すこととしています。
 
【意見】
 これまでも障害の比較的重い子どもが小・中学校へ就学し,障害に応じた学校側の対応が十分にできないまま不適応状態となって盲・聾・養護学校へ転学する事例がある。障害のある子どもを小・中学校に就学させる場合には,慎重な配慮と十分な体制を整える必要がある。
 無限定な通常の学級への就学の促進は,障害児の教育を受ける権利・発達する権利の否定をもたらすダンピングにつながると考えられるので,通常の学級において適切な教育を受けることができる特別の事情のある者の考え方について政令において示すべきである。
 
【以上に対する回答】
 市町村教育委員会においては,障害のある児童生徒がその障害の状態に照らして小・中学校において適切な教育を受けることができる特別の事情が認められるかどうかについて,適切に判断する必要があります。特に重複障害のある児童生徒や日常的に医療的ケアを必要とする児童生徒等,障害の種類や程度によっては安全面等への配慮や適切な指導が行われる必要があること等に留意すべきで,「特別の事情」については慎重に判断することが必要と考えています。
 文部科学省としては,市町村教育委員会が円滑な就学指導を行うため,基準や就学手続の改正内容や判断に当たって留意すべき点等について通知等により各自治体に示す予定ですが,就学事務が自治事務であることを考慮すれば,「特別の事情」について政令に規定することは適切でないと考えます。
 
 
【意見】
 障害があり特別な支援を必要とする児童生徒については,盲・聾・養護学校か小・中学校かというだけでなく,特殊学級,通級,TT,補助教員をつけることを含めた多面的でかつ綿密な就学指導をするべきである。
 
【以上に対する回答】
 障害のある児童生徒に対する特別な支援を適切に行うためには,乳幼児期から学校卒業後にわたって,教育,福祉,医療,労働等が一体となって一貫して相談及び支援を行う体制が整備されることが必要です。このような考えに立って,教育委員会に対する通知等により,就学指導において早期からの福祉等と連携した発達・教育相談等を活用したり,学校内の就学指導委員会等で就学後も必要な支援についてフォローアップが行われるようにしたいと考えています。
 
 
【意見】
 就学指導においては本人,保護者の希望の尊重が必要であり,その旨を改正案にも明記すべきである。
 専門家の意見を聴くことを法的に義務づけることのバランスから,本人及び保護者の意見を聴くことについても法的に義務づけるべきである。
 保護者の希望通りに就学させることがあるが,児童生徒自身の将来を考え,就学指導委員会において専門的かつ客観的な判断が必要である。障害のある児童生徒の自立と社会参加を進めるために責任のある教育行政が行われることに期待する。
 
【以上に対する回答】
 障害のある児童生徒の就学指導においては,市町村教育委員会が就学指導委員会の調査及び審議を踏まえて,当該児童生徒の障害の状態を十分に把握するとともに,障害に応じた教育や指導の内容等について保護者等の意見を聴くなどして,適切な就学先を決定することが必要です。
 このため,文部科学省としては,市町村教育委員会が就学指導を行うに当たって,障害の種類,程度の判断について教育学,医学,心理学等の専門家の意見を聴くこと及び保護者の意見表明の機会の設定,保護者に対する情報提供等について,文部科学省としての考え方を示すことにより適切な実施と運用を図りたいと考えています。
 
 
【意見】
 「心身の故障」「盲者」「聾者」の用語は不適切であり改めるべきである。
 
【以上に対する回答】
 学校教育法に根拠規定があること,他法令にも使用されていること等をから,今回の政令改正において対応することは困難です。用語については関係者等の意見を聴きながら引き続き検討することとしています。
 

 
 この回答から文部科学省が何を感知し,何を考えているかが伺える。
 例えば「小・中学校への就学が可能な場合がある」との一文。「就学が可能」とは,どういうことなのだろう。条件整備がなされることなど,修学が可能なことと就学が可能なことは少し異なると思うし,一人ひとりの障害の実態だけで就学先を決定することは難しいような気もする。「円滑な実施と運用がなされるよう通知」する文書を早く拝見したいものである。
 
 「市町村教育委員会が就学指導を行うに当たって,障害の種類,程度の判断について教育学,医学,心理学等の専門家の意見を聴くこと及び保護者の意見表明の機会の設定・・・」等々,今回,就学指導業務が市町村に移った。しかし,どれほどの市町村が教育学,医学,心理学等の専門家を揃えることができるのか,また保護者は意見表明の機会のみで,議論に参加することや異議申し立てをする機会などはないと考えていくべきなのかという不安も残る。

【目次】



特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議
   障害種別の枠を超えた盲・聾・養護学校に関する作業部会
                         (第5回)議事要旨
 
 
1.日時 平成14年3月28日(木)14:00〜17:00
2.場所 文部科学省仮設会議室 A11
3.出席者
(協力者)小林,緒方,斎藤,竹中,西條,野崎,細村,三浦,宮崎,望月,森原,山本の各氏
(文部科学省)池原特別支援教育課長,鈴木視学官,安藤企画官,古川調査官ほか関係官
4.議事内容
○生涯学習,高等教育を含めた,後期中等教育段階以降の障害のある子供に対する教育について充実していく必要がある。大学においても障害のある学生に対する教育的支援を充実する必要がある。
 
○地域型の学校という視点で,地域の中で障害のある児童生徒の自立,社会参加が求められているとのことだが,今後の教育の在り方としては,障害のある子供は地域の学校で受け止めるという方向なのか,それとも盲・聾・養護学校が基本だが,なるべく地域の学校でも受け止めるという方向なのか。
 
○障害の状態によっては,必ずしも地域の中で教育を受けるのが良い訳では無く,一定期間,特別な場が必要だと考える。障害のある子供,全てを地域の中で教育するのではなく,多様な選択肢があるのが,本当のノーマライゼーションだと思う
 
○障害のある子供が特別な場合等で小・中学校の通常学級に入った場合,どのような支援を行うのか明確にする必要がある。
 
○障害のある子供への支援が必要なくなることは無いので,盲・聾・養護学校の機能はこれからも必要である。将来を見た場合,その機能を果たすのに適した形が地域制,総合制の養護学校だと考えている。
 
○今後の特別支援教育を考えるには,特殊学級の在り方についても検討が必要。
 
○今後の盲・聾・養護学校の在り方という整理の仕方では,障害種別の枠を超えた盲・聾・養護学校の在り方を考える場合,現状の盲・聾・養護学校という学校種別をなぜ総合化する必要性があるのかという理論が弱い。重度の障害の子供だけでなく,軽度の障害のある子供への対応をどうするのかも含めた学校づくりを考える必要がある。
 
○重度・重複障害に対応するという観点ならば,総合制の学校の検討ですむが,地域通学の実現をするためには地域性の検討が必要になってくるので,その方向性を考える必要がある。
 
○なぜ総合制の学校が必要になってくるのかは,現在の障害種別の学校ではそれぞれの障害にしか対応出来ないが,それぞれの地域で出来るだけ幅広い障害に対応できる学校をつくる必要があるからである。重複障害の子供には,障害種別の枠を超えた総合制の学校が適している。地域によって,重複の障害に対応する形の総合制の学校を設置する所があり,また,盲部門,聾部門といった,それぞれの障害部門の形の学校を設置する所もあるという地域の実情に根ざした学校づくりが必要。ただ特に聴覚障害の子供については,同じ障害の仲間が必要だということを明確にしておく必要がある
 
○世界的に盲・聾・養護学校が存在しない国は無い。障害のある子供は通常の学級に行くことを原則としながら,多くの子供が特殊教育の学校に通っている国がある。ノーマライゼーションという理念は障害者の人権尊重から始まっている。障害のある子供の代弁者である保護者の願いを尊重するならば,遠くの学校に子供を行かせたくないという保護者が多いと思うが,保護者の願いが本当に子供の望ましい発達を促進するとは必ずしもいえない。ケースバイケースだ。
 
多くの障害種の指導が出来る教員の養成機関が必要。多くの障害種の指導ができる教員が多くいれば,将来的には地域の小・中学校の特殊学級を拡大したような場で障害のある子供の指導が出来るのではないか。障害のある人が地域の中で社会的役割を果たせるよう,労働との連携の在り方も検討する必要がある
 
現行の盲・聾・養護学校という枠組みを無くしてしまうのではなく,総合的な教育を行える学校を設置することもできるよう制度を整備し,選択肢を広げるという観点である。
 
○特殊教育の専門性の向上というのはどういう概念なのか。
 
△特殊教育免許状の保有等の教員の専門性と盲・聾・養護学校という組織の機能の専門性がある。
 
外部の人材を活用をするのならば,PT,OT,ST等の人材を教育委員会が雇用して,必要な各学校に対して派遣する形をとり,あくまで教育の体制の中に入っていただく方が良い。
 
○学校は教員だけで対応する時代から,多様な専門家を導入していく時代になってきている。
 
ST等の人材を活用する時も,自立活動の免許を取得してから学校に入ってきてもらう等,人材の活用にも教育のしばりは必要。
 
PT等の人材が養護学校の実習助手として勤務する場合,訓練そのものを行うのか,訓練そのものを行うのではなく,教育的な活動の中に専門的な知識を活用するのか。
 
学校は教育課程上,訓練というものは無く,あくまで自立活動の指導なので,PT等が実習助手で入っても訓練を行うシステムは無い。PT等のノウハウを活かして自立活動の指導の充実を図るのが目的である。
 
○福祉の分野では平成15年度から地域の中で生活するという観点から,施設という概念を止めて,地域の中にグループホームを多くつくる方向である。教育の場合,地域での教育的な支援については,今ある盲・聾・養護学校を総合化するだけなのか。
 
障害種別の枠を超えた盲・聾・養護学校である程度,地域性に対応出来ると思うが,もう1つには,小中学校の余裕教室に分校をつくるようなスタイルもある。
 
A県では小学校の余裕教室を利用して,養護学校の分校を設置しているが,学校の規模として,全教員が全ての子供を掌握出来るという良さがある。また小学校との関わりとしても,休み時間に交流できるので,地域性としても効果がある。
 
○盲・聾・養護学校も小・中学部は市町村立,高等部は県立で設置すれば地域性が確保できる。学校というものは,まとまりがあるのが前提なので,安易に分校,分教室を設置するという発想は疑問である。

【目次】



中央教育審議会初等中等教育分科会教員養成部会
   特殊教育免許の総合化に関するワーキンググループ
                         (第4回)議事要旨
    (注:内容をわかりやすくするために編集部で章構成に再編集しました)
 
1.日時 平成14年3月28日(火)14:00〜17:00
2.会場 文部科学省分館201,202特別会議室
3.出席者
(委員)尾崎,香川,木舩,斎藤,佐竹,西川,物部,山本,渡辺,大南主査,宮崎副主査
(文部科学省)竹下教職員課長,池原特別支援教育課長,鈴木視学官,高口教職員課
 課長補佐,新谷特別支援教育課課長補佐
管轄=初等中等教育局教職員課 
 
4.議事(○=委員,△=文部科学省)
 
1)養成課程,養成方法
○2種免許状についての項目で,「すべての障害に共通する最低限必要な基礎的・基本的な知識を身に付け」とあるが,2種免許状でも各学校種別の内容は必要である。大学の学部,大学院修士課程における養成の在り方の項目で,「個別の指導計画の作成や指導法,教材づくり等」についても基礎的な内容は,教員養成課程で学び,具体的な作成方法等は子どもを目の前にしてでないと難しい面があるので,学校現場で身に付けるものと考える。総合免許状に関して考えられるパターンについて,一種である程度,特定の障害種の内容について学ぶ必要がある。
 
○大学での養成は,1種がほとんどであるから,1種をメインとして考える。1種については,特殊教育のゼネラリスト,ある一定の基礎的な知識を持ち,その基礎をもとに指導することができる力を身につける。専修はそれぞれの障害種の専門性を身に付けさせる。1種の場合にも,障害種を越えて共通のもの,その上に各障害種別の基礎的な内容,障害それぞれをとらえることができる基礎的な力を養う,さらに,その中から,特定の障害種について学ばせる,これをもとに教育実習にいかせる。
 
総合化した場合に,全障害種に対応する専門家が各大学に必ずしもいるわけではないので,大学間の単位の互換なども含めて検討していく必要がある。
 
○各都道府県で大学との連携が必要。現職の教員などを,大学の非常勤講師として活用するべきである。また,他大学と補い合う工夫も必要である。
 
教員の兼職,非常勤の活用,客員教授等の制度の活用をしっかりしないと総合化は難しい。学校との連携に関しては,介護等体験で効果が現れている。
 
○教育実習とは別に,学校現場をフィールドにして,大学教員が学校と連携して講義と実習をあわせてた授業を行えば効果的である。
 
現状では,障害の重度・重複化,多様な障害に対応できるそれぞれの障害種別の指導できる教員体制が整っていないということではないか。大学も,養護学校等においても,現状にあった特殊教育を行うには,それに見合った者を受けいれていくことがまず重要ではないのか。つまり,いまある免許が,現状に合わないのではなくて,免許は合っているけれども,大学の体制ができていないのではないか
 
2)人材養成,人材活用
教育委員会は教育センターを中心として研修を行っており,その際地元国立大学と連携しているが,教員養成大学の再編・統合の影響を考える必要がある
 
○答申では現職教育が強調されている。学校現場で先生がどう伸びていくか,現場やセンター等の研修,リカレント教育をどうしていくか検討する必要がある。
 
普通学校と盲・聾・養護学校だけでなく,盲・聾・養護学校間の連携も必要である。
 
○他職種や外部の専門家の活用も必要である。
 
教育のことを知った外部の人が必要である。教育と関係ない人を連れてきて子どもが傷つくなどトラブることもあり,発達についての視点を持った人であることが必要である。
 
3)種別分け
○学校種別は,盲・聾・養護学校。障害種別となると,視覚障害,聴覚障害,知的障害,肢体不自由,病弱の5障害,さらに,情緒障害,言語障害等も含める7障害の場合も考えられる。
○学習障害や注意欠陥/多動性障害については,まだ時間が必要で,7障害と同列に扱うことには議論の余地があるが,最低限の知識は身に付けておくべきである。
 
○法令の関係から言えば,言語障害と情緒障害を加えることはどうかと思う。
 
○5障害は外せない。また,これに加えて言語障害,情緒障害を加える必要性がある。7障害については,最低限の知識を身に付け,さらにその上で,特定の障害種の知識を深めるというのが一種免許状の形として良いのではないかと考える。
 
○盲・聾・養護学校別の学校種別で考えるのか,障害種別で考えるのかは,今後の検討の上で,重要となる。言語障害について別に項目をたてるか,聴覚・言語障害とするか,いずれかで対応してもらいたい。
 
○知的障害の中に情緒障害,聴覚障害の中に言語障害を含めることが必要である。
 
聴覚障害と言語障害は分けた方がよい
 
○正確には分けることが望ましいかもしれないが,分けすぎるのもどうか。
 
4)免許保有率,特殊学級担任の免許保有について
盲・聾学校の免許保有率と,人事異動との関係はあまりないと思われる。現状では,1つには,複数の課程が認定されている大学が少ないということと,さらに実際に免許を保有している者の採用がなされていないところが原因だと考える。採用について,教育委員会における対応の項目に,免許保有者を採用してもらいたいという項目をいれてほしい
 
免許保有率については,養成が少ないことや採用後の異動の問題などがある
 
○盲学校や聾学校の当該学校種の免許保有率は低い状況にあるが,養護学校の免許保有率と合わせると,特殊教育という観点から見れば,免許保有率は50%を超えており,それを生かせないところに制度上の欠陥があるのではないか。
 
特殊学級の担当教員は3分の1ぐらい毎年異動している。これでは,免許保有の義務付けはかなり難しい。
 
○我が県では,普通学校と盲・聾・養護学校の大幅な人事交流を実施しており,特殊学級の教員を中心に1年間他校種を経験させている。採用の際に免許保有は義務付けていないが,5年以内に取らせるようにしている。
 
特殊学級の教員は担当する複数の児童の障害種が異なっても一人ですべて対応しており,常にフル回転している。このため,理想では盲・聾・養護学校よりも免許保有の必要性があるとも言えるが,現実は厳しい。
 
○現場では1障害だけといったピュアな障害が少なくなってきており,複数の障害を持つマルチタイプの障害が多くなってきている。そのような児童に対し,どのような教育活動ができるかという見立て,コーディネートを出来る人が求められており,そのための総合免許であると思う。

【目次】



中央教育審議会初等中等教育分科会教員養成部会
   特殊教育免許の総合化に関するワーキンググループ
                         (第5回)議事要旨
 
1.日時 平成14年4月26日(金)10:00〜12:30
2.場所 文部科学省分館201,202特別会議室
3.出席者
(委員)香川,木舩,斎藤,佐竹,西川,山本,渡辺,大南主査,宮崎副主査
(文部科学省)竹下教職員課長,上月特別支援教育課長,高口企画官,萩元特別支援教育課課長補佐
 
4.議事(○=委員,□=発表委員,△=文部科学省)。
□(特殊学校免許の要件を定めた)施行規則第7条の1〜4欄の再編成が必要だと思う。総合免許を考えるとき,まずベースとなるのは,障害種を越えて共通のものを抜き出すこと。加えて,総合免許という観点から,全員が履修する共通専門科目を設定すること。その上に,これまでの内容で補強が必要というのであれば,それぞれの種別に特化した専門を上乗せする。その上乗せしたものを教育実習の学校につなげていく。
 
□(現在の養成プログラムは)1,2,3欄についてはすべて知的障害の教育,心理,教育課程からなっているが,それは,知的障害の子供が特殊教育の対象となることが一番多いからである。また,重複障害は,知的障害と重複することが多いので,知的障害について勉強する必要がある。それから,障害教育コースの学生の教育実習の場の附属養護学校が知的障害の学校が中心であり,どうしても知的障害の学習の比重が高くなる。したがって,2種免許でも,障害種を越えて学ぶべき内容に加えて知的障害を含む重複障害について学習させる必要がある。また,知的障害の比重の大きさを考慮すると,場合によっては知的障害に比重をおいた別の科目が必要かもしれない。
 
□障害児の教育で,教育課程と学習指導要領のだいたいのアウトラインは,「基礎理論に関する科目」の中に入るべきであると思う。2種において,基礎理論に当たるところは,今で言う第1欄にくるべきである。
 
○4欄については教育実習のことなので別にして,1〜3欄についての内容の組み直しを検討する必要があると思う。視覚,聴覚,知的障害,肢体不自由,病弱に共通の専門性を持たせた上で,その中でも1つどこかに重点をおくことが大切でないか。それから,重複障害児の指導はどう位置づけるか検討することも必要である。
 
○重複障害については,それぞれの専門を強めるよりも,むしろどの学生にもある程度共通的な内容として学習させる必要があるのではないか。その際にはビデオなどの教材を活用して,それほど専門でない教員でもある程度指導できる体制を作る必要があると考える。 (編集部コメント:え! そんな安易な教え方でいいのだろうか・・・)
○私立大学と比較したとき,スタッフが,国立大学と比べるとそれほど豊かでない。その中で,総合免許をどのように考えていくか,他の大学との単位互換をさせることも検討させるのかといった問題点を整理するべきである。
 
□総合免許では,自分の大学でカバーできない分野については,他の大学との連携が必要で,単位互換制度を活用する必要がある。また,他の分野の非常勤講師の活用も大切である。担当する教員自身も力量を高める必要性がある。
 
△総合免許は,数十年やっている教員でも難しいことを大学を出てすぐ対応できるようにするものではなく,広く特殊教育について基礎的な力を持っている人物を育てることをねらいにしていると理解している。学生に対して養成課程で十分な教育をすることと現職教員が特殊教育に関する免許状を取得しやすくすることの両方を考える必要がある。学校現場では,実践力が要求されており,できるだけ早期に多くの方の実践力の基礎となる体制づくりを図ることが現場側では要求されていることも踏まえて議論して欲しい。
 
○メディアの活用については,10月から放送大学で,養護学校教諭の2種免許取得を中心とした,また上級免許への切り替えが可能になる講座が始まる。今後,総合免許が始まれば,発展的に活用できると思う。今回,現職教員が特殊教育の免許を取ることについては,具体的施策がなされたと思う。
 
 

 
 
議論を拝見して・・・
 相変わらず,誤った認識や我田引水的な論理があるように思える。例えば,免許保有率と異動の問題。過去,異動が少なかった頃の聾学校免許保有率は現在の保有率の倍はあった。どうして聴覚障害に言語障害を含めるなどという奇抜な発想が生まれるのかも疑問。「知的障害に比重を置いた別の科目が必要」などは,総合免の基本を覆すものと思わざる得ない。
 一方,以前より問題提議しているが,障害各種免許を複数取得することで,重複障害に対応していくという案はまったく聞こえてこない。2種免程度の単位数の中で重複障害に関して2単位程度を取っただけで重複障害に対応できる,またはちょっちょっとビデオさえ見させておけば,それで良しと言うほどに重複障害を安易な障害であるとお思いなのかと驚愕してしまう。私は現行免制度で養護学校1種に加え,他校種免1種を1つ以上所持していることを重複障害担当の条件というようにした方が良いのではないかと思う。そうした特殊免複数所持の話題がまったく出ないことは,実に不思議な話である。
 さらに単位互換であるとか通信教育との組み合わせが必要になるような一大学で教員養成の責任を全うできない免許制度,または教員養成システムに教員養成を任せて良いのかという不安も大きい。教員を育てる/人を育てるというのは,卒業研究を含めた一貫した指導体制があるからこそできるのであって,あっちこっちで単位を取って,寄せ集めて規定単位に到達したらOKというシステムで,真に人間性あふれる教員が養成できるとは到底思えない。
 
 
 総合免許状の論議は進んでいます・・・

 そうした中,かつて聾学校に籍を置かれておられた先生方よりたくさんのお手紙を頂戴しています。現場の先生方の手紙,メールの3倍にもあたる量でしょうか。そのすべてをご紹介するスペースが残念ながらありませんので,その内の1書をご紹介致します。
 

【目次】



「総合免許状を考える」(みみだより422号,426号を拝見して)
 
山口 晤 
 
 
1.総合免許状の必要性とその内容・位置付け
(a)重度・重複化,多様化への対応として
 現代及び今後の教育界における課題として,特殊教育担当教員のみならず全ての教員が,自己の職責遂行のための基盤として,総合免許状という形ではなく,教育の全容を知るための単位が包含されるということであれば,非常に望ましいことと考えられます。そのための喫緊の課題として,教員養成大学の履修最低単位数等の改訂があると思われます。
 かつて昭和40年代,小生が福岡県盲聾養護学校父母教師会連合会(会員は県立盲聾養護学校PTA会長・役員及び学校長)の事務局を勤めた頃,教員免許の改善として全ての教員免許に特殊教育関係の単位を加えるよう文部省等に陳情したことがあります。
(b)通常の教育を含めて人間の器官・機能の把握・理解の基礎として
 教育という仕事がとかく形而上の課題に偏りがちであり,現代の科学的な立場から不十分な傾向をもっていることは,明治以降のわが国の文化的基盤からみて必然的な結果かも知れません。しかし今や子どもたちの存在を空虚な精神的なものとしてではなく,実際に血肉を備えた存在として認識し,「心」の教育にしてもそれに応じた肉体上の手法や配慮によって実践しなければならない時代にきていると思います。まして,教育全般において視聴覚メディアの重要性等を標榜するならば,ヒトの視覚・聴覚器官の機能等についての理解については教育的対応はもっと充実しなければなりません。
 つまり「教育の原点」として,特殊教育のみならず通常の学校を含む全教員の必修として総合免許に意図されるような薄く広く人間の営みを理解する必要があります。例えば養護学校や通常の学校において,見えるとか聞こえるという人間の力をあまりにも当たり前と捉えすぎていることから,実践の技法や教材作成における配慮や,軽度や一過性の障害に対する不都合が生じているケースが見受けられます。
 教員の養成は次の段階に達するよう体系化すべきでしょう。
  A.社会人としての人間性 → B.教職人としての基盤 →
   C.特殊(特別支援)教育(ないしはセラピー)の担当者としての基盤 →
    D.聴覚障害担当者としての基盤 →
     E.聴覚障害の専門分野のうち一分野のベテラン
 「広く浅く」の総合免許はBに位置付けられてこそ有意義であります。
 また,D・Eは,聴覚障害教育においては,聾学校・難聴学級・通級による指導のいずれにあっても同等レベルの知見と技能が必要であり,担当する教育の場によって区別すべきではありません。つまり,障害の程度の軽重を問わず,同種・同等の専門性が必要でありそれを充足する方策が必要なのであります。
 むしろ,現行免許における一・二種・専修等の区別よりも,「聴覚障害」という専門分野に関する知見や指導技術からランク付けし,処遇もそれに応ずることが妥当でしょう。他の障害についても同様です。
 
2.特殊教育界における聴覚障害教育の見られ方
 特殊教育全体の対象者を障害別にみますと,かなりの多数が知的障害あるいは知的障害と重複する各種障害,更に現象的に知的障害に類する症状を呈するケースです。このことから,特殊教育界の中心は知的障害教育であるとか,視覚や聴覚の障害はほんの些細な課題だけであり,その立場からの障害観は取るに足りないものとあしらわれることが多いという悪傾向が生じています。
 前職時に県教委の他障害担当の指導主事間での議論の際,聴覚障害教育の独自の領域(聴覚から言語に至る器官,機能,補償,代償,媒体,検査等)に関する独自の特別の研修制度に関して,なぜ聴覚障害教育に関してのみ特別にそれが必要かということの理解を得るまでに,大きな抵抗があり,困難さえ感じたものです。幸いにして行政官の正当な判断を下す方々からは,かえって評価と応援を得て,福岡県では平成元年度から実施されるようになりました。
 
3.現代及び今後の聴覚障害教育の専門性〜聴覚障害教育の免許状
 このことの必要性及び内容については,関係の多くの方々がご承知のことであります。小生としても,小著「聴こえの不自由な子のために」にまとめたので,詳細を改めて述べることは省かせていただきます。
 聴覚障害教育の専門性の養成・研修などの取り扱いは,必要な時間・期間,時期,担当機関,協力機関,予算等について独特のニーズがあり,他の障害教育の場合との整合性等からの画一化ではなく,真に必要な領域・内容を十分に取り扱い実施することが絶対に必要であります。そのためには予算はかなり膨大になるでありましょうし,期間も他障害よりも多くの日時を要することは必至でありましょうが,これは当然のことと考えられます。
 現代の聴覚障害教育担当者の専門性は,九州地区でみる限り,各教員が実際に聾学校等に就職してからの自己研鑽によるものが多大であると思われます。逆に悪く言えば,学生レベルで得たものはあまり役に立たないということです。大学当局からはおおいに反発のあるところでしょうが,少くとも前述の福岡県の「聾学校改善計画」策定の時点では否定できない現実でありました。その後,補聴器にしても人工内耳にしてもあるいは発音指導の体系化にしてもかなりの発展があっているわけですから,大学自体でも色々とその面の充実が画されていると期待しております。大学卒業時点である程度の専門性でいわゆる戦力を獲得しておこうとするならば,他の障害の単位数との横並びではなく,言語聴覚士に引け目をとらないような専門性が必要であり,そのためには免許交付の抜本的な改正を行うとか,専門性の部分については言語聴覚士の養成機関に留学するなどの方策も必要でしょう。
 
4.重度・重複化,多様化への対応
 対応は諸氏も述べられるとおり絶対に必要であることは論を待たないと思います。要は実施に際して次の諸点に留意しなければならないということがあると思います。
(a)出現率だけではなく従来の重複パターンに該当しない障害児にも十分な手当てを施す態勢を採るとともに,一方それにかまけて従来言うところの単一の障害についての対応を疎かにする事がないように,改めて充実を図ることが必要です。
(b)障害のあらゆる組合せに配慮することが必要です。それは単に知的障害との重複だけでなく,たとえ少数であってもあらゆる障害の組合せに対し,的確な対処を採る措置が必要です。例えば視覚と聴覚の障害などを含め,専門性や適時性その他がどちらかに偏らない立場での指導,そして障害の実態や当面する課題からの教育内容の適切な配分が求められます。
(c)教育界特に特殊教育界では,重度・重複あるいは多様化した子どもの取り扱い者のみが優れた教員等であるかのような錯覚に陥らないことが必要です。重度等の取り扱いの困難さを認めることや尊敬の念を払うことはもちろん大切ですが,中度の場合でも軽度の場合でもあるいは重複等ではなく単一の場合でも,教員の努力の軽重はありません。何か新聞記事のように人目に付くことが尊いといった偏見は打破すべきです。
 
5.広範な視野で医教連携等を図ること
 いわゆるOT,PTはすでに社会で定着していますが,聴覚障害教育に関しては平成9年施行の言語聴覚士がよい意味でのライバルとして位置付けられようとしています。実は小生は現在リハビリ関係3校で言語聴覚士養成の一端にかかわっております。かつての福岡教育大学での講義の雰囲気や様々の聾学校等学校教員に接触した経験からみると,教職単位こそないものの学生の熱意の高まりや専門性の充実に関しては,今後の特殊教育を凌駕することもあり得るとみえ,学校教育の行く末が非常に懸念されます。今後は正しい意味での医教連携がより求められる時代です。
 昭和の末期,小生が教育行政や教員研修にかかわっていた頃,福岡県の聾学校は惨憺たる有様で県議会の問題となり,県教委内部のプロジェクト・チームの発足,県立学校教育振興計画審議会(県教審)への諮問,聾学校改善計画の策定と進捗して現在に至っております。その遠因の一つに,当時学校や社会における運動体の動向のために,年配の有能な経験者の多くが退職時期を待たず戦列から離れ,それも今日の専門性の低下を来たしている一因となって専門的な授業の実施が阻まれたこともあります。今日では運動体による阻害は姿が薄らいだかに見えますが,教員の聾学校勤務経験の短小化(免許の有無ではなく),聴覚障害教育の本質の無理解〜例えばdBやHzとか「発音」とか「聴力」とかいわれると頬が引きつるような教員の増加が現実にあります。
 一方教員研修の本拠である教育センターでは,研修は標榜するものの総体的には管理職養成の「士官学校」の色彩があり,研究に熱心な者は「あいつは学者だから」と嫌悪の目でみられ,先々教頭〜校長と歩まず研究・研鑽に没頭する者は役立たずで曲学阿世の徒とみられます。新しい機器を要求しても「この経済状態の世だから」とか「センターは大学ではない」などと拒否されてしまいます。
 さらに,健常児の学校と障害児の学校との交流は非常に重要なのですが,行政からみると厄介な課題でもあります。都道府県立の諸学校と市町村立の諸学校とに別れていることが問題を複雑にしています。県立市町村立を問わず健常児の学校から障害児の学校に転補された先生方には特殊教育にかかわる期間の希望について個人差があります。いずれのケースもあってしかるべきで数年という方も以後一生という方も合ってよいのですが,小生は指導主事勤務のときは「最初の1年は謙虚に実態を見つめ,また同僚等の意見・見解もよく聴き,2年目からは主体的にその本質に迫ってください。」と助言したものです。しかし特殊教育の手当てだけを狙う管理職からは冷笑されました。聾学校で言えば障害を改善・克服(聴く・話す)する指導と準ずる指導を並立させることなのですが,安易に手話への置き換えだけに没頭する人がいます。その際,同僚や管理職が専門性に立脚した適切な助言・援助をしてはしいと思います。学校内だけで困難なことは教育センターなどが十分活動しなければなりません。それにしても通常の教育の視点から障害程度の重篤さをみることも不適切なのですが,それにしても聴覚障害は専門性からの助言が絶対に,かつ強度にもっとも必要な障害種類であります。
 

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