鼎談 住民参加について 特定非営利活動法人 シャプラニール=市民による海外協力の会 事務局長 筒井 哲朗氏 特定非営利活動法人 シャプラニール=市民による海外協力の会 海外活動グループ 白幡 利雄氏 日本発達障害福祉連盟/JANNET研修研究委員会副委員長 沼田 千子氏 沼田 では、第二部「住民参加について」を始めます。JANNETでは冒頭にも申し上げましたが、CBRの勉強を重ねてまいりました。もう十年もやっております。そして「開発との統合」をテーマに、セミナーや海外への研修旅行も実施してきました。いろんなことを私達は勉強してきまして、なかなか進まないのが「住民参加」と「住民のオーナーシップ」であることが分かりました。そこで、今回、筒井さんと白幡さんにおいでいただきまして、お話を伺うことにしました。ただ、住民参加ということに関しましては、それぞれイメージが違うのではないかと思います。ですから、ここで皆さんに「私の思う住民参加とはこういうこと」というのを少しお話しいただけたらと思います。どなたか、「これっていうのは」、「私はこう」、「個人的にはこう」、というのはないでしょうか。 参加者が思う「住民参加」 参加者:下奥 視覚障害者の「チャレンジ」という作業所に通っています、下奥と申します。住民参加ということですと、視覚障害者の場合を考えますと、例えば回覧板がまわってきても読めないということがありますし、情報がなくて、どんなことやっているか知らないというのが現実なんですよね。ではどういうふうにしたらいいのかというと、一番は近所づきあいをするとか、いろいろつながりをもつことが大事だと思うんです。今、私が行ってる作業所で、点字図書の校正以外に、自主製品ということで、カレンダーとか、しおり、点図、点字の図を描いたしおりとかを販売したりするんですけれども。実際、他に近所と作業所とかのつながりがありませんで、どうしても私たち利用者のほうが、こう提案する、あるいは、他の施設はどんなのが載っているのかということがわからないまま、過ごしてきているというのが現実であります。 今は、この3、4年くらい前からでしょうか、職員の一人の方が、利用者をなるべく中心に据えていこうということで、例えば社会福祉協議会さんがやるお祭りとか、それから杉並区の場合は区役所でロビー販売というのがありまして、区内の作業所さんに対してロビーを開放して、うちの施設ですと、毎月第2第3の火曜日にお借りして、いろいろ販売して、地域の方にうちの施設を知っていただいたり、他の施設さんと合同で販売したりということで情報を得ると。 ただ、端的に言うと難しいのはやはり見えないってことで。まず本当に身近な情報が取れない。例えば私が住んでいるマンションなんですけれども、掲示板が読めない。誰かが教えてくれればわかるけどそれまで知らない。ですから、参加をしたくてもできないというのが正直なところで、やはりネットワークを作る。 例えば、まぁ、こういう会合も、「インターネットがあるじゃないか」とか、よく「パソコン使えるんでしょ?」って聞かれても、残念ながら私持ってないんですよね。それから、どんなに情報があって情報化社会と言われていても、やっぱり取り残される人はいて、住民参加って一口に言ってもですね。周りでやっていることはわかっても何をやっているか知らない。それを教えてくれる人がいないとわからないんですよね。そこが視覚障害者のいう住民参加の難しさではないかなということで。 じゃ、どうしたらいいかというと、こういう研修会の情報もそうなんですけれども、誰か電話したら教えてくれる、あるいはまず団体がこういうところにあるんだと知らないと動けませんよね。この情報をいかにですね、知り合いを作って得るか。あるいは身近なところですと、災害で避難するとか。実際に経験はないんですけれども。いざ大地震で避難するとかというようなときには、誰か教えてくれれば一緒に行ってくれる人。まぁ無理ですけど。そういう親しい人を作っておけば、なんかあったときに避難したり、お手伝いしていただいたりもできるでしょうし。あるいは本当に身近なのは、近所の方の力、それから、周りの方の情報ですよね。本当に何気ない、こんなのできたよって、お店ができたよってだけでもいいんですよね。例えば駅が変わったよ、とかね。それだけでも本当にその情報が私たちにとっては、もしかしたら知ってることかもしれないんだけれども。でも、それは知ってます、というんじゃなくて、なるべく、こう関わり合いたい。こんなことしてくと参加できやすいのかなというふうに思っています。だから今マンションに移ってなかなか住民参加できないんですけれども、いろんな商店とかね、お祭りなんかでも関われたり、情報をとにかくどうやって得ていけばいいかと日々考えながら生活している。というようなところで、大した提案にならないんですけれども、よろしくお願いします。 沼田 はい、ありがとうございました。障害をもつご本人から、住民参加、住民活動への参加がなかなか難しいというお話がありました。そのほかにみなさんが活動していらっしゃるプロジェクト、または地域で一般の住民の人の参加ということでは、どんなイメージをお持ちでしょうか。 参加者:本郷 埼玉県立大学理学療法学科4年の本郷直子と申します。私は以前、コミュニティ開発の仕事をしていたことがあったんですが、そのときにやはり住民参加ということでプロジェクトをやらせていただいていて感じたことは、「参加」という言葉はあらかじめ用意された場に、例えば今回の研究会に私たちが参加するように、用意されたものに参加するというイメージがあるなと思ったんですね。本来「住民参加」という言葉を使うときに、その目標として想定しているものとしては、住民自身が主体的に動くことや、住民自身が中心になって考えていくということがあると思うので、最初の段階では用意された場に参加するという段階がまずあると思うんですが、そのあとは「参加」ではなくて、そこから住民自身が企画して、住民が自分達主体で動くという、「住民企画・主導型」に変えていけることが理想的な住民参加と考えられるのかなと私自身は思っています。 沼田 はい、ありがとうございます。他にありますか?あの、これまで住民参加という言葉を聞かれた方がほとんどだと思うんですが、どのように理解してきたか。 参加者:渡邊 日本CBRネットワークの渡邊です。白幡さんのお話にもありましたけれども、その地域なり集団、グループ活動の中で、誰が入っているか、参加者が誰かっていうのがひとつ大事だと思います。逆に言えば、もれている人はなぜもれているのか。そのあたり大事なんじゃないかと。その中で、全体としてのグループの中で構成ということ、主体性ということが関係しているんじゃないのかなと思っています。 沼田 主体的に活動することも、ただ聞いているのも参加、両方とも参加、ということですかね。 参加者:福山 東京ヘレン・ケラー協会の福山と申します。私たちも過去に、ネパールの農村部で12年間にわたってCBRを実施してきました。それで、以前はさかんにフィールドワークと称して、対象となる視覚障害者の家庭を訪問調査しました。農村僻地において、視覚障害者の家庭を訪問すると、決まって近所の村人が大勢集まってきます。そこで私は、視覚障害当事者に質問しているのですが、周りの隣近所のおじさんが代わりに答える、というようなことがよくありました。それが度重なると、「ネパールの農村部では、個人の意思って本当にあるのだろうか?」と疑問をもったものです。そのようなところは、同一カーストの人たちだけが集まっている部落で、そこには家父長制的なヒエラルキーがあって、長老が意思を決定します。例えば、選挙のときにそれぞれの家に旗が立つわけですね。例えば共産党の村だったら、それは見事に各家々に赤旗が翻るのです。そして、みんな共産党に投票するわけです。ここで、私は何が言いたいのかといいますと、つまり住民参加というときに、その住民っていうのは、確立された個人であって、その中で住民がどういうふうに参加するのかっていう話だろうと思うのです。そうではなくて、ネパールの農村部では、障害当事者も、その家族も、地域コミュニティも、ある意味で渾然一体になっているのですね。ですから、ある意味では暮らしやすいわけです。CBRをやらなくても障害者も生きてはいけます。家族が手伝ってくれる、あるいは家族がみんな死に絶えて、障害者一人だけ取り残されても、隣近所のおじさん、おばさんが、自分たちも大変なのに生活の面倒を見てくれるという状況があるわけです。そういう村でCBRを行うと、そのほとんどはとても貧しいコミュニティですから、負担が軽減され非常に助かるのです。先ほどのマイクロクレジットみたい形でヤギを視覚障害者が飼うと、本人だけではヤギの飼育は厳しいわけですが、家族やあるいは隣近所のおじさん、おばさんが手伝ってくれるわけですね。そういう形での住民参加は従来からみうけられましたし、これも改めて考えれば「住民参加といってもいいのかな」と今は思っています。 沼田 はい、ありがとうございました。ということは住民参加でやりましょうと、こう、上からというか、外から言わなくても、はじめからみんな家族みたいなもの、ということなんですか。 参加者:福山 先ほどシャプラニールの方から、襲撃に遭ったというお話がありましたね。私たちのCBRは、ここにおられます日本福祉大学の野崎先生(野崎泰志准教授)が、以前、私たち東京ヘレン・ケラー協会海外盲人援護事業(現・交流事業)のプログラムオフィサーであったときにスタートしたのですが、「地域社会に仁義を切る」というスタイルで始めました。それから、現地スタッフもその地域から選抜し、最初からコミュニティと話し合い、説得しながら進めたという経緯があります。そのため、地域住民との摩擦というようなことは、私たちのプロジェクトにはありませんでした。 ショミティ活動を通して―現場での住民参加― 沼田 大変興味深いお話でした。他に、私の考える住民参加、住民のオーナーシップってこう、こうよ、とかありますか。大体、あの、今お話が出たような感じが私たちが考える住民参加、住民のオーナーシップでしょうか。 では筒井さんと白幡さんにお聞きしたいんですが、最初はショミティをお作りになって、それで住民の活動が始まったということで、だんだん、こう進んでいったり、または変わっていったりした、ということなんでしょうか。 筒井 筒井と申します、よろしくお願いいたします。シャプラニールで15年余り働いております。ショミティ、今の住民参加ということをこれから深めていくんだと思いますが、今最後にお話をいただいたところからお話しすると、これから先、議論はプロジェクトと住民参加という、そういった2つのことが並行して語られていくのかなぁと思うんですね。で、ショミティっていうのは、我々はプロジェクトと位置づけ、その地域に入っていった。そのときに、その人たちが主体となって自分たちが自分たちで問題に気付き、それを自分たちで解決していくために、我々は何ができるのかなということで、我々はその地域に入っていったわけです。その時点でそれを住民参加と言えるのかというと、ちょっと僕は難しい、クエスチョンがつくかなと思っています。我々が関わっていく中で、そこの地域の人たちが自分たちの地域にはこういう問題があるよ、こういう人たちが取り残されているよっていうことがわかってきて、自分たちでそれをなんとかこう解決に向けて努力していく姿というんでしょうかね。そういうのが私のイメージする住民参加です。そういう意味でいうと、住民参加に目標を定めたはじめの取り掛かりというのが、ショミティ活動だったかなというふうに私は考えます。 ショミティ活動の成果と課題 沼田 先ほどの白幡さんのお話によると、ショミティ活動では成果と課題が出てきたと。それは参加できない人がいるとか、引いていく人がいるということだったんですけれども、それはどういうことなんでしょうか。住民参加というのはなかなか続けていくのは難しいぞと、始めることはできたが、ということなんですか。 白幡 いえ、今筒井が言ったのと同じことなんですが、そのショミティという方式自体は住民参加でなかったと思うんです。ただ、住民が参加して作っているグループですし、それがたくさん地域の中に増えてくれば、もしかしてこれって住民参加のすごく良い例なんじゃないかと、見えてしまうところが問題だったと思うんですね。その幻想にみんなが縛られてしまって、ショミティさえやっていれば、住民参加で良い地域づくりができるんだというふうに、みんなが幻想をもってしまったということをちゃんと反省すべきだったんじゃないかなぁと思っています。 筒井 我々はその地域に住んでる人たちの生活が良くなっていけばいいなぁということで、一人ひとりの生活の改善、経済的なことも含めて、子どもが学校に行くとか、衛生状況が良くなるとか、そういう部分ではすごく参加してやったと思います。そして、その人たちが目覚めて、自分の生活良くしようと一生懸命頑張って成果とし、本当に生活が良くなった。ところが翻ってみたら、その地域全体の中で自分たちは自分たちの生活を良くすることしかしてこなかった。その地域の中には当然のことながら障害をもった方もいらっしゃるし、独居で一人で過ごしてるご老人の方がいたり、孤児がいたり、寡婦の方がいたり。そういう問題に関しては、地域の人々が関心をもつには至らなかった。その辺が我々としてはひとつ反省としてあります。自分の生活を良くしていくために、その人たちが頑張って収入を上げていったり、いろいろな知識をつけていったという意味では、その人たちの参加がなかったとはいえないと思うんです。すごく主体的に参加してくださったとは思います。けれども、今の流れの文脈でいうと、ちょっと住民参加という意味では違うかなというふうに思いました。 障害がある人の住民参加―コミュニティアプローチ― 沼田 ここに集まっている私たちが望んでいるのは、障害をもつ人たちが、その地域の普通の暮らしが普通の人と同じようにできるようになりたい、そういう共生社会を作りたい、という中で、その住民による活動を募りたいと思っているわけですが、それは白幡さんがおっしゃったコミュニティアプローチへというのとつながっていくんですかね。 白幡 考え方としてはまさにそうだと思います。ただ、コミュニティアプローチといってもですね。そういうアプローチを我々は作っているかというと、それもないのが現状ですので、まずは「取り残された人たち」という課題や存在に目を向けていくことから始めている、という段階でしかないと思っています。その中で大事なのは、私たちがゴールを決めないということですね。その取り残されている立場の人たち自身がどう考えるのか、そういう考えをちゃんと私たちに言ってもらえるような関係作りができるのか。そういうことが、今私たちにとって課題なので、それ以上のことはまだ考えられていないというところが正直なところですね。 沼田 今「私たち」とおっしゃったのは「シャプラニールが」ということですね。 白幡 「シャプラニールが」ということですね。 沼田 その、例えば、「コミュニティアプローチ」というので、住民の中に貧困層があること、貧困層の中に障害のある方もいるということをわかってもらって、集まってもらう。そこで住民が、「じゃぁ何をしようか」と考えていくようなことは、可能だと思われますか。 ステイクホルダーは住民全員 白幡 可能ですが、それだけでは何も動かないと思います。長期的に見ると。その地域を一つ設定したとしたら、そのコミュニティの中にはいろんな立場の人たちがいます。今、「我々の業界」というと語弊があるかもしれませんが、ステイクホルダーというのがすごくよく言われていて、では「このプロジェクトのステイクホルダーは誰ですか」と言ったときに、例えば障害者支援プロジェクトだったら、「障害当事者とそれを支える立場の人たち」、みたいなことはよく言われるんですが、我々が一つの地域で活動するって決めたときには、ステイクホルダーは「全員」なんです。ただ、それは、いろいろな切り口でカテゴリーに分けて、「このカテゴリーの人たちにはこういう役割があるんじゃないか」、「このカテゴリーの人たちにはこういう役割をもってもらうべきなんじゃないか」、あるいは「もつべきなんじゃないか」ということをですね、その全てのステイクホルダーの人たちが一同に会して、あるいは一同じゃなくてもいいんですが、みんなで話し合って、認識をしていく、こういうプロセスを時間をかけてもやっていかないことには、何も変わらないだろうと思います。 現地におけるシャプラニールの存在、地域住民の認識 沼田 よくわかります。筒井さん何かありますか。シャプラニールというか、例えば、PAPRIではそういう方向に行こうという感じがあるんですか。 白幡 PAPRIもですね、本気でそう思ってくれているかどうかは、まだ我々も確信がもてないんですが、そういう方向でやっていこうということは常々話していますし、頭ではわかってくれるようになってきたかな、というふうには思っています。ただそれが、実際に現場で日々起きている住民との関係性の中で、どれだけ発揮されているかどうかということは、我々も含めて、まだまだだと思っています。 ただ、PAPRI以外のプロジェクトもたくさん行っていまして、そういったところに目を向けてみると、いろいろな変化が実は起きています。例えば、さっき少し紹介したストリートチルドレンの支援プロジェクトだと、この活動は「やろう」と思ったら死ぬまでできるわけです。ずっとお金さえ送り続ければ、もちろん、ストリートチルドレンがいなくなれば一番いいわけですけれども、なかなか一気にはいかないわけですから、延々とできるわけですね。我々も永久にお金を送り続けるというわけにはいかないし、ただ同じ事を繰り返してるわけにはいかない。かなり早い段階から、行政や地域の住民、それから現場で支援活動を行っている「Aparajeyo(オポロジェヨ)」という現地のNGOがあるんですが、そのAparajeyo、それからシャプラニール、少なくともこの四者に大きく分けてですね。役割分担を考えて、それぞれの果たすべき役割を担っていくべき、そういうふうな話し合いをしていくべきだろうと考えて、そのためにはまず地域住民の理解を得ていくことが一番大事だと思って、かなり力を入れて行ってきたんです。もう何年か前になるんですが、やがてシャプラニールはいなくなりますよ、ということもちゃんと住民の人にも言いました。それから、シャプラニールが送っているお金はどういうふうにして集めているのか、ということも事細かに、住民にちゃんとシェアしました。そういう、いろんなプロセスも含めて、地域の住民の人たちが、今行っている施設の運営の経費の一部を担うようになってきてくれてるんですね。現物の支給がまだ現状では大きいんですけれども、子どもたちセンターで食べている食事の内、野菜はもうほとんどが住民からの寄付で賄われるような状況になってきているんですね。 住民活動継続のための前提条件とは? 沼田 こういうことが可能だというのは非常に嬉しいことなんですけれども、これを可能にする前の段階、例えばこうやってたくさんの人たちが集まってくれて話をしてくれる、それに乗ってくれる、続けてくれる、ということの前提条件というのは、どういうものがあるのでしょう。 筒井・白幡 難しい質問ですね。 筒井 はっきり言って、このストリートチルドレンの地域住民がその施設の費用の幾分かを負担する構想を、現地のパートナー団体には活動を開始する10年前からずっと言い続けてたんです。また、われわれのこのプロジェクトへの関わりも、概ね10年くらいをメドにしたい、と。そのパートナーは今までにもストリートチルドレンのことを専門にやってきた団体でしたので、今までどおりのモデルの実施にプラスして、子供の参加と地域住民への働きかけに力を入れて欲しいと依頼したのです。が、先方は「いや、そんなのは無理だ」と、かなり抵抗していました。ただ、彼らもできるだけ地域に出て行って、地域の人に自分たちがやっていることを伝えていくということをやっていた。 子どもたちは「子どもたち演劇」をして、「自分たちがどういう境遇で、今こういうことになっている」ということを演じている。演じて地域の人に見せた。地域の小学校で、子どもたち、普通の子どもたちして、普通の授業じゃない子どもたちが通っている学校に行って、そこの学校で、ストリートチルドレンの子どもたちと一緒に議論する場を作った。そんな、いろんなことをやっていく中で、徐々に地域の中で関心をもってくださる、あるいは、自分も何かできるかもしれないと思ってくださる方が増えてきた。 最後に、「この活動は、我々日本からは撤退していく方向ですよ」ということを良いタイミングで、ぽっと言ったときに、「じゃあ、私たちが頑張ってやります」という気持ち。だから、これは、本当にタイミングなのか、その場所が良かったのか、私もできるとは思ってなかったのですが、棚から牡丹餅的に、今うまくいっているという感じです。 でも、必ずしもこういうふうになるとは限らない。「たまたま」という部分と、もちろん、それを「たまたま」が「たまたまじゃない」ために…。スタッフがずっと何年もかけて地域をまわってきたという成果。それから、そういう中で地域の人たちの中でリーダーとなる人を発掘をして、そのリーダーが今度は自分たちの村の、村というか地域の人たちを説得していくというような形で、それこそ役割をうまく意識しながら、各配役といいますかね、ステイクホルダーと呼びましたけれども、そういう人たちに役割をうまく配役をしていったと言うんでしょうかね。そういうところはあったのかなぁという…。 前提条件と言われると、そのNGOが、どれだけそれを真剣に考えるかということは、まずひとつあるかなと思います。住民、本当はそこが住民なんでしょうけれども、現実としては、NGOがそれを本当に真剣に考えてやろうっていう決意をもつかどうか。ここが一番大きいかなと思います。行政の役割も、もっともっと発揮してもらわないといけないと思うんですが。そういう形で、とにかくステイクホルダーに分けて、それぞれの役割を認識していく作業というのは、PAPRIだけじゃなくて、他も含めて、全体でそういう方向に進めているのは間違いないです。 沼田 わかりました。今のお話、まずプロセスが非常に大切だと。住民の人たちのほとんどの人に集まっていただいて、ステイクホルダーごとに役割を決めて、自分たちで考えてもらって、続けてもらう。それがすでに、ストリートチルドレンのところでは始まっている、ということですね。 シャプラニールからの働きかけ 沼田 「たまたま」とおっしゃいましたけれども、たまたまそのNGOはそういう指向をした、ということですか。それは、「そうしてよ」、とおっしゃたんでしょうか。 筒井 「してよ」っと、ずっと言い続けていたんです。プロジェクトが始まるころから。だけど、その時点でパートナーNGOは本気になっていたとは思えないです。ただ、プロジェクト計画の中で、どれぐらい村の地域の中に入って行って、どういうショミティを作って、ということは決められていたんで、仕方がなくやってた部分が、ある段階から「あ、ひょっとしたらいけるかもしれない」とういうふうな、きっと4、5年前に、そういうのがあったんだと思うんですね。それが逆に、そのNGOは、「これは自分たちの売りにできるかもしれない」と、「これがうまくいったらすごく綺麗な見せられる絵になる」という絵になってですかね。たぶん、そういう切り替えがあったんじゃないかなぁと思いますね。ですから、初めからそのコミットメントがあったかというと、コミットメントは我々のほうから結構押しつける形で、「やったらいい、どうしてできてないの」、と言っていく中で、少し何かが動いて、動いた瞬間、ひょっとしたらできるかもしれないと思って、それが、その人たちが、本当にあの地域でずっと入っていくきっかけになったんじゃないかなと。これ私の想像ですけれど。 白幡 流れとしては、その通りですね。それ以上でも以下でもないです。やはり、特にバングラデシュのように世界中から援助といわれるものが大量に流れこんできている国、NGOがそのひとつの産業として成り立っているような社会ですと、NGO職員というのは、我々のイメージとはまったくかけ離れていまして。単なるサラリーマンですね。そうなると、言われたことをやるだけ、計画されたことをやるだけで、それもどう評価されるかっていうのは計画どおりに物事ができたかどうかです。住民参加なんていって、何を指標にするのかもわからないようなことに対して、きちんと日常業務にまで、どれだけ意識できるかというと、まず意識できない、しない、という状況があると思うんです。だから、そこにこそ、外部者としての我々の役割もあると思うんです。だから我々は言い続ける。で、それが何なのかということが実現しているものがあれば、それを見に行く。あるいは一緒に見に行ってもらう。こういったことを繰り返していくしかない、というのが今の現状なんですね。 障害分野における住民参加は可能か? 沼田 なるほど、そうですね。NGO職員としては、「住民参加は、今20%くらい進んできています」と言っても、「どこに」と言われたらわからないですものね。なるほど。はい。これは、今成功しつつある、そのストリートチルドレンのお話だということですけれども、ストリートチルドレンというのは、ある意味、障害に比べたらメジャーな問題ですよね。これはメジャーだからそうなったのでしょうか、それともそれは障害でも、できることなんでしょうか。 白幡 その点に関しては、「違いはない」と思っています。やはり取り組み方の問題だろうと思っています。 沼田 これから真剣に住民活動になるように私たちが関わって事業をやっていきたいなと思っているのは、きっと私だけではないと思うんですけれども。今フロアにいらっしゃる方たちは、関わっている活動で、「じゃあ、この活動はどんなふうにしたらいいと思いますか」、みたいな質問ですとか、ほかの質問とかありますか。 筒井 質問の前にごめんなさい。頭で考えるほど、この住民参加とは簡単ではなくて、すごく難しい。我々はそれをずっとやろうとして、なかなか果たせずにいる状況だと思うんです。やはり、海外から特に行ってプロジェクトを始めるとなったときには、「ここは、こんなに何もないとこなんだ」とかですね、「こんな制度もないのか」とかですね、「誰もこれを問題と思っている人はいないのか」とかですね、どちらかというと、こう、「ない、ない」という形で、こう、その中で何ができるかということになると、「やはり何かを提供してあげなければならないといけない」、「サービスを出さないといけない」、そういうことに陥りがちだと思うんですね。実際、現場で海外からやられている援助の実態というのは、おそらくそういうものがほとんどだと思うんです。 その中で、きちんとその住民の中にどういう芽があって、この人たちに、こういうところをつついたら、ひょっとしたら走るかもしれない、というツボを見つけていくという作業というのは、準備段階がすごく時間がかかると思うんですね。ですから、まず住民参加で活動したいと思う前に、自分たちは、どれくらい関われるのか、期間的な問題、気持ち的なコミットメントの問題、それがたぶん一番問われてくるのではないかと。「10年間活動の成果が見えなくとも、私たちはこれをやる」という気持ちがないと、5年先にはどうなってますか、3年先にはどうなってますか、というのが、我々の世界ですよね。特にドナーからお金をもらうときには、3年後にはこうなっています、という形で申請書を書き、それに応じた報告書を書いていくということになります。そうなると難しいのかな、というのが、私が常々思っていることです、ごめんなさい。 沼田 ありがとうございます。はい。本当にそうなんですよね。申請書を書くときに、「3年後にこうなりますから」と言って、「お金ください」と言わなくちゃいけないですもんね。なかなか難しいですよね。そうすると、やっぱり「3年後にこうなるためには、補聴器を500出しますとこうなります」、そういったほうが言いやすいですもんね。そうすると、なかなか続かない事業になるし、ドナーとしては引くに引けなくなる事業ができてしまうんだということ。大変重要なことだと思います。ありがとうございます。 それからもう一点気になるのが、障害の分野ですと、欧米の哲学ですとか、先進国の哲学を把握、「あぁ途上国では知らないのね」、ともっていくことがありまして。そういうところから始まらずに、現地のことから始めなくちゃな、というのはいつも感じます。はい、お待たせしました。では土橋さん、ご質問をどうぞ。 シャプラニールが考える「障害者支援」「住民参加」の定義・目的・評価 参加者:土橋 JICAの土橋です。興味深いお話をありがとうございました。先ほどからの議論の中で、あまりお話が出てこなかったのでお伺いいたします。ちょっと若干うるさいようですが、「定義」とか「目的」とかというものも、すごい大事だなというふうに思っています。例えば、同じローカルNGOあるいは国際NGOと言っても、アドボカシーを目的としているところから実践的なところまで、幅広く存在しています。私はシャプラニールは実践的にどういった支援ができるか、といったことをやっているものだというふうに認識して、メンバー(会員)になっております。その中で、今、住民参加ということと、あと障害者支援というものが出てきていると思うんですけれども、シャプラニールの中でどういった目的があるのかというようなことと、それをどのように定義をしているのかということによって、活動の内容とかというものがいろいろ変わってくると思うんですね。 先ほど、このディスカッションが始まる前に、沼田さんのほうからフロアのほうに、「住民参加ってどういうものだと思いますか。」という問いかけがありましたが、みんな、個々人によって、それぞれバラバラだと思うんですね、考え方が。考え方としては、ものすごい幅がある。実際に国際開発業界の中でも住民参加といったら、「最初にちょっと住民の話を聞きました」ということや、「公聴会をやりました」というところから、先ほどどなたかおっしゃっていましたけれども、「最初のプロジェクト設計から最後の評価のところまで、各実施段階で本当に住民が全部参加していく」、というようなところまで、本当にもう大きな幅があるんですよね、住民参加って言っても。なので、そのあたりをどの辺に目標を置くのか、それをどういうふうにシャプラニールとして定義づけるのか、ということをお聞かせいただければと思います。その定義というのは必ずしも他の団体、例えば私の所属しているJICAと同じじゃなきゃいけないってことはないと思うんですよね。それぞれの団体として違うわけですから。なので、それをどういうふうに定義づけるのか。そして目標、目的としてどうやってもっていくのかについて、お聞かせいただきたいです。 さらにそのために、今先ほど沼田さんもおっしゃっていましたけれども、結局評価しなければいけない。評価していくためには可視化していかないといけない。それを、じゃあどういうふうな形で表すことができるのか、ということを考えていかないといけない。そういうふうなことをやっていくことが可能になっていけば、良いのではないか、と思います。先ほど白幡さんもPAPRIの職員をサラリーマン的だというふうにおっしゃっていたんですけれども、それならば、サラリーマンとしてのバングラデシュのパプリの職員に対して、「あなたの目標はこれだよ、これを達成する必要があるよ」というふうにしなきゃいけないのでは、と思います。ひょっとしたら、そこでのモティベーションも上がっていくかもしれないし、実際に活動としてもシャプラニールが目標としているような方向性にもっていくことができるのかなというような気がしております。 そこで、ようやく質問なんですけれども、シャプラニールの中で実際に、そういったような障害者支援、あるいは住民参加といったものに関して、どういうような目的をもって、どういうような定義づけて、それをどういうふうに分析なりして評価されているのかを、具体的にご教示いただければ参考になるかなと思いましたので、お聞かせいただければと思います。 筒井 あの、まず障害者について。ちょっとこの辺は、我々、組織の中でも障害者の問題、今日、白幡がプレゼンテーションしたことも初めて知ったようなことも多くてですね。実はシャプラニールの中でもきちっとシェアされていない、あるいは議論されていないという点なんですね。今日はどちらかというと否定的な発言をしようと思ってきたので、その視点でいうとですね。今日お話をしたような視点で、障害者の問題というのは、「障害者の問題を取り組む」というところに目的があるのではなくて、あるいは「障害者の方々がこういうふうになる」というところに目的があるのではなくて。私としては、どちらかというと、住民参加、これは本来目的にはならない、住民参加を通して何かするというふうになると思うんですが。ですから、私は一つの、住民参加の例として障害者を見ていく、というふうに見ています。ですから、先ほど最後のプレゼンテーションの方に、パートナー団体が障害者のことをもっと意識化して専門性をつけていく、ということがありました。それは全く否定しませんし、そうなっていけばいいと思うんですけれども、ただ、シャプラニールがそうなっていく必要があるのかどうかというのは、ちょっとまだ議論がされていない点だと思うんですね。私はその地域の人たちが、自分たちの地域の中にある問題に気付いて、この場合には、障害者がこの地域には多いとかですね、少ないとかですね、ただ、そういう人たちが生活がすごく困っているとかっていう現状にまず気付く。それは今の段階では、まだ、我々のパートナーであるNGOがそれに気付いたという段階で、それが今度は、その地域に住む人々、普通の人々たちがそういう問題に気付いていく。それでその人たちが、「じゃぁ、自分たちにはどういうことができるんだろうか。どういう社会作りをすれば、環境になれば、その人たちが普通に生活できるんだろうか」。先ほど一番初めに下奥さんがお話されたような、そういうことを周りの人たちが、普通に、こう、わかってくれるような。「あの人たちは、もう、あぁいう人たちだからもうしょうがないのよ」という、今、たぶん社会だと思うんですね。日本もそうかもしれませんし、バングラもそう。その中で、「いや、あの人たちは、こういう問題があるから、我々は、こういうことをしていかないといけない。逆に目が不自由な方は夜は逆に我々よりよく見えている、というかですね、よく知ってるかもしれないし」というようなそういう関係を作っていくということが、僕からすれば今の一番の目的。 だから、そういう、こう環境を作っていく。それをやっていくには、いろんなアプローチがあって、まぁ女の子、今までは結婚が10歳12歳から始まって、15歳くらいには片付いてしまうという女の子が、今、初等教育、中等教育を受けて、18、20ぐらいまで結婚しなくて済んだ。それはいいんですけれども、15歳から18歳ぐらいの一番精神的に、こう、不安定なときに、家の中に閉じ込められて外に出れない、友だちと話ができない。お父さんたちが外に出してくれない。それは一つの非常に苦しい状況。で、その子どもたちを集めたら、自分たちで自分たちの村のことを考えて、先ほど、かまどを作ったという話がありましたけれども、そういうふうに動きだした。そういうような、こう、気付きから自分たちで動いていくというものを、まさに少しずつ、今、見えてきたかなという状況ですので、僕はどちらかというと、そういうことを村の中でたくさん作っていく、その地域の中でたくさん作っていく、ということが、今の私の問題意識。その中で障害者の問題も提起していきたいというのが私の考えです。 シャプラニール中期方針 「取り残された人々」の支援 筒井 その辺のことを、我々、今、中期方針というのを作っていまして、2007年から11年の5ヵ年で中期方針というのを作って、今年がちょうど中間年ですが、「取り残された人々」というのがひとつのキーワードになっています。先ほどから、私たちの口からいっぱい出ているのは、そのせいなんですけれども。取り残された人々というのは、どこにいてるのかというのを、我々はまず良く知って、その人たちに働きかけていくのと同時に、その人たちを取り巻く人々に、そういう問題をみなさんの問題として、もう少し考えてくださいという、取り巻きの人に働きかけるということを、今一番の活動の、「肝」というんですかね、というふうにしています。 当事者運動の大切さ 白幡 追加ではないんですが、これを私個人の考え方ということで、基本は同じなんですけれども。当事者運動というのかな。その当事者自身が声をあげていくことの大切さというのが、日本ではいろいろな経緯もあると思いますが、かなり認識はされていると思うんですね。だけど、特にバングラデシュだと、その当事者が声を上げることの大切さそのものが、まだ認識されていない。で、NGOは、さも住民の代弁者であるかのように振舞っていて、大手をふるっている。本来、一番声を直接あげるべき住民が、NGOの影に隠れてしまっているという。悪く言えばですね。現実なんですけれども。そういう状況にある中で、もっとその当事者性、当事者運動の大事さというのを訴えていかなければいけないと思っています。そうしないとNGOも変わりませんし、住民も変わらないし、社会も変わらない。私はその障害者が障害当事者として、バングラデシュの社会で発言力を高めていくことが、一つのブレイクスルーになるのではないかという期待感をもっています。日本でもやはり障害者の当事者運動というのは、かなり長い歴史と経緯もありますし、部落解放運動やそのほかのものも含めて、いろんなものがありますが、そういったことも、もっとバングラデシュの人たちとも一緒に勉強していきたいし、他の国の事例も、もっともっと知ってですね、勉強しながら、本当に本当の意味で、当事者が声を上げられる状況を作り出していくこと自体が、社会の変化にとって一番大事なことじゃないかな、というふうに思っています。その視点で、私は今、障害者支援のことを捉えています。 当事者運動を行う難しさ 参加者:下奥 障害当事者の下奥と申します。障害者の運動もそうなんですけれども、いつも運動をするときに、私も、きょうされんのほうに賛助会員というふうに関わっていて、実は私の施設、昨年度きょうされんに加盟したわけなんですね。そのときに、いろいろ感じていたのは、毎年、国会請願署名とか応益負担反対とか実施をするんですけれども、当事者自身が主旨をきちんと理解して、相手を理解させるだけの力がないと運動に関わってもらうのは難しいんですね。例えば、今、障害者自立支援法って問題になっているわけですけれども、作業所・施設に行ってる人たちというのは利用料を払ってるわけなんですね。ところが、この法律の題名を見ると、障害者の自立を支援して、しかも就労を目指すというと、「素晴らしい法律じゃないか」という声を聞くんです。確かに字を見るとそうですが、「それがそうじゃないんだ」と、違うという運動をしていくために、運動をただ働きかけるだけじゃなくて、やはり私たち自身が勉強していかないとね、その運動ってのは地域の住民に関わってもらう、巻き込んでいく、あるいは署名や募金に協力してもらうことは難しいわけなんですね。 その中で、例えば、今、シャプラニールの活動とか、特に外国、日本じゃなくてNGO等が外国へ行って、その国の人たちに対して支援をするというときに、まず自分たちがちゃんと主旨を理解して伝えることは言うまでもないでしょうけれど、異国の文化、その住民、国民性等を理解して働きかけていく苦労っていうのは並大抵ではないんじゃないかなというふうに思うんです。例えばストリートチルドレンを教育の場に連れてくるとか、障害を持つ方の年金、手当てが出て、その支援をしているという話が出てましたけれども。どういうふうに当事者が、まず本人たち、それからシャプラニールや、その期待としてどういうふうにきちんとそれを伝えていくか、まず自分たちがどう勉強して、どのように伝えて、こう、巻き込んでですね、運動に発展していったのかというのは、すごい大事なことだと思うんで、これは今後、やはり私たち含めてですね、運動や何かに関わっていくための参考にさせていただきたいと思うんで、もし、こんな活動、こういうふうな苦労があったとか、あるいは、昔はこんなふうにして広めていったんだということを、ちょっとお話しいただけるといいんですけれども。よろしくお願いします。 白幡 なかなか難しい質問なんですが、今でも全然できていないというふうに思っています。ただ、その住民とどういうふうに話をすべきなのか、とかですね。信頼関係を築くために、どんな工夫をしたらいいのかというのは、これはもう数限りない現場の知恵というのは実はあると思っています。ただ、それはむしろ私たちは知らなくて、現場のスタッフのほうが知ってたりしまして、これはこれでちゃんと体系化していかなきゃいけないな、というふうに実は思っているところです。 あまりいいお話はないんですが、1つはですね。今日、沼田さんの肩書きが、あの、「ファシリテーター」というふうになっていますが、実は今、シャプラニールでは「ファシリテーション」という言葉、非常によくこの言葉を使うようになってきています。で、これは現場ですごく大事なひとつの技術だというふうに位置づけて、住民とどういうふうに話すと本当のことが聞けるのかという、ひとつの技術というふうに捉えて、それを今、シャプラニールの代表をしている中田豊一というのがいるんですが、著書も何冊か、それ関係で書いている。それを技法に今まとめつつあるんですね。そういったものも現場のスタッフと共有しながら、膨大な予算をかけて研修をしているところなんですね。そういったことも、いずれまとめてすっきりとお話ができるようにしていきたいなと考えています。すいません、ちょっとまとまりのない答えで。 沼田 はい、ありがとうございます。他にありますか? 「なんにもない」から「こんなにある」への転換 事務局:上野 すみません、事務局の上野です。少し前の「休憩に入ります」と沼田さんがおっしゃる前に筒井さんがおっしゃった話が大変示唆に富んでいたんですけれども、海外からの援助の実態ということについて、「村に入ってみたらここには何にもない、制度もない、だからサービスをしてあげないといけないんじゃないか、というふうに外部者は思う」というお話を聞いて、CBRの専門家でスリランカのパドマニメンデスさんからお聞きしたことなんですけれども、「外部者が来ると、村にはなんにもないっていうふうに言われるけれども、村にはたくさんあるのよ」と、力説されていたんですね。それを思い出して、外部者がここには何にもないんじゃないかっていう、っていたことが、実は村の人だけにわかるような暗黙知的なことをなんかやっていたとか、何かそこに気持ちの転換があって、村に何もないってことがそうじゃないとわかってきたような、実例っていうのはご経験上ありましたら教えていただきたい。 筒井 経験知としてあります。でも体系化してない。いやいやそんなことなくてですね、これはもう我々のほうからフィールドのスタッフのほうにやかましく言っていることなんですね。「ないものを探してくるんじゃなくて、あるものを探してきなさい」と。これ、なかなか難しいです。頭では誰でもわかるんですけど、村に行って、実際その作業をするとわかるんですけど、「何が問題ですか」と、聞いてしまいますね。もう、そこから考えないといけないです。我々のアプローチの仕方から考えないといけない。僕らが、じゃぁ、できてるか、というとそうではないんですね。頭ではわかっていながら、なかなかそれができない。「何が問題なんだろう」と、いつも見てしまう。ここの村にはどういう人がいて、どういうリソースがあって、その人たちが何を知っていて、どういうところに、こう、寄与というか、自分の地域の中でどういうことをやってくれるのか、担ってくれるのか。で、特に、その我々の言葉でいう「取り残された人々」というのが、もし、何か、こう、自分たちが変わったと思えるときというのは、どういうときかな、というのを、これ2年くらい前に、ちょうど我々の中でいろいろ議論したんですけれど、自分たちが社会のために何か寄与できたというその瞬間に、その人たちは自分たちの尊厳を取り戻す、っていうんですかね。英語でエンパワーメントという言い方をしたらいいのかわかりませんが。ですから、今まで自分たちは社会のお荷物、迷惑をかけているという意識だったものが、私はこの村のために、あるいは自分の家族でも、あるいは特定の人かもしれませんが、私はあの人にこういうことができるよ、こういうふうに貢献することができたよ、っという、そういう機会をどれだけ僕たちが作っていくことができるのか、あるいは、そういうことを念頭にその人たちと関わることができるのか。それが先ほど白幡がいった、ファシリテーションの技術っということになるかと思います。そういうことをできるだけ早く確立していきたい、そういうふうに東京にいる私たちだけではなくて、現場にいて、一番現場に近いスタッフが、そういうことをきちんと頭に入れた上で活動を組み立てていったり、地域住民の人たちと話ができるようになればいいなぁと思っているんですが。これもあと何年かかるのか、5年先か10年先かそれとも一生できないのか、そういうようなことを考えている日々ということでしょうかね。 沼田 はい、ありがとうございます。はい、では最後のご質問ということで。 社会に寄与できたと感じる瞬間づくりが大切 参加者:石本 作業療法士協会の石本と申します。今筒井さんから伺った、「障害当事者の方々が、社会に寄与できたと感じる瞬間をどれだけ提供できるか」というお話で思い出したことですが、私も同じことを感じたことがあります。私は今、大学で作業療法の学生に教えているのですが、その中で当事者の方に講師として参加いただいている授業を5年くらいやっています。その中で続けて参加してくださっている方にインタビューをしたところ、自分が人に教えることができたこと、自分の障害をいい意味で人に伝えられたということで、障害を持ったことがトラウマでなくなった、すごく役に立ったと思えるようになったということや、家族の方の意識も変わっていった、というお話を多くの方から聞かれました。それが参考というかヒントになればと思いお話ししました。別に質問が1つあるのですが、時間はまだ大丈夫ですか。 沼田 では短くお願いします。 誰が「当事者」なのか?キーパーソンはいるのか? 参加者:石本 当事者の方が声を上げていく当事者の組織化ですとか、当事者の方の活動が大切、いいきっかけになる、ということを白幡さんがおっしゃっていたのですが、それだけではないと私は思います。当事者の方が声をあげたことに対して、それに賛同したり、変わっていこうとする地域の方など、地域住民の中で当事者ではないけど当事者性みたいなものに気が付くことのできる人だったりとか、今までその障害問題に関わったことのないNGO、開発NGOが障害問題に取り組むときに、「あ、取り組もうよ、あ、やろうよ」と思って、取り組んで続けられるワーカーさんの存在が必要なのかなと思います。当事者性に気づいて行動できる素質・資質など、住民の中でキーパーソンになりえるような方、開発NGOのワーカーさんの中でキーパーソンになりえるような方や、その要素があれば教えてください。 白幡 それは我々も見えていないだけで、あると思いますし、信じています。先ほど筒井が中期方針、シャプラニールの中期方針というお話をしましたが、そこで当事者をシャプラニールなりに定義しているんですが、実は三層構造で定義しています。例えば障害当事者はもちろん当事者です。そして、それを取り巻く周囲の人たち、これも当事者というふうに規定しています。二段階目ですね。それをさらに大きく包む社会、その社会の中にはマスメディアであったり、行政であったり、いろんな人が入ってくると思うんですが、人や組織が、それも第三の当事者だというふうに、三層構造で全部当事者だと決めて、定義しています。我々はそれを意識して、常に全てのプロジェクトを組み立てていこうというふうに、今取り組んでいるところではあるんです。ただ、その方法論はまだ確立できていませんし、まだ皆さんに、胸を張っていえるような事例もないというのが正直なところですが、必ず芽はあると思っています。その当事者の中にもいますし、それを取り巻く家族や地域の人たち、あるいはNGOの中にもそういう意識をもってる人は必ずいます。それは、いつどうすれば気付けるのか、というのをできるだけ法則化、定式化できるような形でがんばっていければなと思っています。 筒井 じゃぁちょっと短く。4つ目の層が実はうたわれているんですが、「日本にいる私たちも当事者です」、ということなんです。それは置いといて、住民のほうでキーパーソンになりえるっていう意味で、ちょっと最近の経験でいいますと、ストリートチルドレンの給食を地域のほうから集めているという話を先ほどから出てますが、我々が活動している近くにスラムがありまして、そこでもそういう話をしたら、その日その日で食えるか食えないかの生活をしているスラムのお母さんが、毎日、こう、一握りずつお米を寄付してくださるんです。「どうして、あなたたちもこんなに食べれない状況の中で、我々に寄付してくださるんですか」といったら、「私は貧しい子の母親です」と。「だから、よくわかるんです」と言ってくださった。そういう芽を、我々がきちんと見ていく。それが、お米屋さんが100キロくれるよりも、ひょっとしたら意味があるお米かもしれない。また、それを子どもたちが、その一握りのお米の大切さっということを理解してくれる。もうすでに、そういうこと子ども達もわかっていて、これがどこから来ているお米か、これはどこから来た野菜なのかっというのが、かなり子ども達もわかってるそうです。そういうところから、何か芽が出てくるのかな、という気がします。 沼田 ありがとうございます。実はもう時間が10分すぎているんですけれども、たくさん質問を頂いてまして、もし、みなさんよろしければ、あと10分ほど延ばすことを、会場としては可能ですが、みなさん、どうでしょうか。他にご質問のある方いらっしゃいますか。はい。 社会的弱者の権利と果たすべき役割 参加者:渡邊 どうも失礼します。岡山大学工学部学部生の渡辺です。地域参加で、その地域に住んでる人たちは、等しくその利益を受け取る権利がある、というのかもしれないですけれども、例えば、その障害者の方ですとか、そういう立場の弱い人がそういう権利を、もちろん、誰しももっているはずですから、そういう人も権利をもってるんだとするならば、逆に、そういう人たちが果たすべき責任というものもあるのでしょうか。 筒井 答えにくいですけれども、当然あるはずですよね。それは、地域に暮らしてるものとして、普通の人が果たしている責任と、同じ責任はあるでしょうね。それが何なのかっというのは、私が今ここで日本に住んでいる責任は何かなっという設問と同じくらい難しいかな、という感じがいたします。ちょっと答えが見つかりません。 白幡 権利だ、責任だっということよりも前に、自分が今生きてる中で、どういう人と、どう関わっていて、それがこの地域社会の中でどういう位置にあって、ということをまず認識していくことが大事だと思っています。その中でどういう責任が分担されるべきなのか、というのは、やはりその地域地域の状況に合わせて、あるいは、その人たち自身の状況に合わせて、みんなで考えていくことだと思うんですね。それが考えられるような状況を作り出していくこと、それが、みんながお互い考え合う、認識し合える状況を作るのを我々は外部者として手伝っていく、というふうに、今は考えています。具体的に、今、責任はこうだ、というふうには言えないと思います。 参加者:渡邊 わかりました。ありがとうございました。 参加者から住民のオーナーシップの成功事例の紹介 沼田 はい、どうでしょうか。あのご質問はありますが、そろそろ・・・。 参加者:福山 先ほど、当事者が声を上げていくというような話が、ちょっと出たので申し上げたいと思います。私たちの経験でいうならば、CBRを実施する中から当事者の権利意識みたいなものが、引き出せるかというと、識字率が一桁あるかないか、というようなところでは、それはかなり難しいように思います。ただ、私たちはCBRの一環として、教育事業を行っており、10年以上継続したことにより、学校教育の10年課程を修了時に受けるSLC(学校教育修了国家試験)に合格する視覚障害者も出てきました。ネパールでは、このSLCにパスすると、高卒ということで公務員やNGOのスタッフ、それに学校の先生になれるので、非常に重い資格です。SLCに合格すると周囲の人々も一目置くようになり、また本人達の自信にもなり、視覚障害当事者の横の連絡もできて、ついには全国組織もできました。ネパールでは現在、SLCに合格して中等教育を修了した視覚障害者は1,500人くらいしかいないのですが、この中の約300人は学校の教員になっております。これは世界的にも珍しい事例ではないかと思っております。私たちは予算も乏しくなったのでCBRからは完全に撤退して、現地に完全に移管しました。そういう意味では、そのCBRは完全に住民のオーナーシップというようなことが言えるかもしれませんね。CBR自体、非常に小さな事業になっていますけれども、なんとか現地でその事業を引き継いで行っています。それとは別に、教育事業はずっと継続しており、こちらのほうはかなりうまくいっていると思います。教育を通して、視覚障害者が非常に自覚的に当事者団体を作って、自分たち自身でCBRを実施し、同じ障害を持つ仲間を支援していることは、ここでちょっとご報告したいと思います。 ファシリテーター沼田氏総括 沼田 はい、情報ありがとうございました。では、そろそろもう、15分延長しておりますので。今回のテーマは住民参加だったんですけれども、話がどんどん広がりまして、大変面白くなったと思います。住民参加につきましては、私たちはずっと今まで、「難しい、難しい」といい続けてきたんですけれども、今日は大変良いサジェスチョンを、メッセージをいただきました。ファシリテートし続ける、というか、続き続けて10年なってもいいや、くらいの覚悟でいけば何かが起こる可能性もあるということですね。残念なのは、なかなかそういうことに、目に見えないこういう事業にお金がつきにくいというところはあります。けれども、がんばっていきたいと思います。で、私たちが、これまでたくさんの団体が、提供、経験してきましたサービス提供ですとか、技術提供ですとか、考え方の利点ですとか、そういうことだけに甘んじないでというか、あなたの国、あなたの地域にはこれないわね、こういうことを考えなくちゃ、というのはやめましょう、というメッセージが私にはとても大きく、それよりは「皆さんのところにはこんなにたくさんのことがあって、あなたはこんなことができて」、みたいにエンパワーできればいいかな、私たちのアプローチの仕方をもう一度見直して、本当に役に立つ活動をしていけたらと思います。最後にひと言、お二人にお願いします。 筒井氏総括 筒井 障害者の現地での活動というと、私、94年か95年に日本からスタディツアーでいらっしゃった方が、「シャプラニールは障害者のことは何もやらないんですね」と言われて、「いや、バングラの農村では、今、やはり貧困の問題があまりに大きくて、その問題に一生懸命で、なかなかそういうところにまで手を出せてないんですよ」と、苦し紛れでして。それがずっと今でも心の中に残っていてですね。いつの日かそういうことがと思っていたら、意外にも早く、そういうことが現実化してきたってことを思うと、ちょっと感慨がひとしおという気がします。先ほど、欧米の哲学をということに関して触れられていなかったかなと思うんですが、やはり、「欧米の哲学がいい」とか、「悪い」とかというよりも、我々は外部の人間なので、外部者として何ができるかということをいつも常日頃感じ、考えていないといけないかなと。外部者だからできることって、きっとあると思いますし、我々はそれをやり続けたい。それはもう、その現地の人だけでは、ひょっとしたら発想できないということであったりすることもあるかもしれませんし。これまた、「ないない」と言っていると、「またさっきと言っていることが違うんじゃないか」ということかもしれませんが、そういうことも含めてですね。「ないない言ってたらだめよ」というようなことも含めて、我々が果たしていくべき役割というのがきっとあるだろうと。ただ、その道は簡単ではなくて、お金のことも含めて、言い続けていく、そのエネルギーも大変ですし、これはある程度、本当に、もう覚悟を決めて、腰を落ち着けてやっていくという強固な意志をもっていないと、なかなかできないというのが正直な私の今の感想です。ですから、「できるかな、まぁ」というぐらいではやらないほうが逆にいい。ちょっとやってみようか、失敗してもいいからというくらいでは、たぶんやらないほうがいいのかなと。その辺はすごく難しくて、それでもやってもいいのかもしれませんし、やらないほうがいいのかもしれませんし、それはわかりませんが、とにかく、すごく難しいことを我々も、今、挑戦しようとしているんだなぁということを、今日改めて感じさせていただきました。ありがとうございました。 白幡氏総括 白幡 あの、今日のお話の冒頭に、私の学生時代の経験から、どうしてシャプラニールに入ったのかということをちょっと簡単にご紹介したんですが、それで入ってみてどうだったかということを言い忘れていました。ひと言で言えばですね、入る前に聞いていたことと現実とはやはり違う、ということを痛感しました。これは、駐在員として初めてバングラデシュに行って、すぐにわかったことです。それだけ、文字などで語られていることと、現場の状況にはギャップがあるんだな、という、それが認識した最初だったんですけれども。ではそれで後悔したかというと、そんなことはなくてですね。やっぱり、そういうことがわかる機会が得られたっというのは、とてもいい経験だったなというふうに思っていて、今はそれを活かして、誰もがより暮らしやすい社会をつくっていくために、どういうことができるんだろうか、可能性、アイディアを集めて、少しずつでもいい方向に向かっていきたいという思いを日々新たにしています。あとやっぱり学生時代には見えていなかった、日本のいろいろな運動や活動の素晴らしいところもちゃんと見直さなければいけないとも感じています。常にどれが正しいと固定しないで、ですね。変化をしていきますので、状況自体がですね。柔軟な感性と心を持ち続けていきたいなというふうに思っています。これからもお互いに学び合える機会が得られればと思っています。今日はありがとうございました。 沼田 ありがとうございました。では、最後のご挨拶を上野さんに。 ■司会 上野 今日は、あの、白幡さんと筒井さん、大変お忙しいところを大変貴重なお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございました。それからファシリテーターの沼田さん、お疲れ様でした。私が以前にシャプラニールの会に出たときにお聞きしたことなんですが、「シャプラニールは内部では相当議論をしてます」っということを聞いたんですけども、今日の二人のお話からも、絶えず内部で議論をして、どういう方向がいいのかということを深く考えていらっしゃる、ということが、お一言ひと言の中からうかがえるという気がしました。それと、今日、白幡さんがご用意くださった、現在の活動をマトリックスにしてくださったのがですね、実は、CBRを開発インクルーシングなやり方でやるというといったマトリックスと非常にオーバーラップしてくるというのを見て、大変興味深かったんですけれども。最近の新しい動きであるCBRが、より開発に近づいていくということではないかなというふうにも思いました。これからもぜひ、開発を長く続けてこられた方が障害に取り組むということで、私たちがその新しい視点をたくさん得られる機会になると思いましたので、これからもJANNETでは機会をつくっていきたいと。今後の予定ですが、第2回目の研究会は10月はじめごろに、CBRにはいろいろな課題がある、ということが、本当にみなさん身にしみてわかっていらっしゃると思うんですが、それとその成果について、JANNET役員の河野眞さんをファシリテーターに迎えて行います。それから、もう1回、第3回目はCBRのネットワークがアジア太平洋地域でスタートしておりますので、それに関して、どんな状況かということを、私のほうから報告させていただきたいと思っております。それから7月15日には、世銀と日本財団とJANNET共催で企画しております、「障害と開発」のコーヒーアワーの第22回目が開かれます。ギャロデット大学に留学している聾の方々をお迎えして行う予定ですので、また詳しいことはJANNET事務局のほうにお問い合わせしてください。今日は3人の皆様方、本当にありがとうございます。ここで大きな拍手をもって終わりたいと思います。 講師紹介 筒井 哲朗(つつい てつお)氏 1963年大阪生まれ 大学では海洋学を専攻。卒業後、青年海外協力隊でバングラデシュに赴任。大型鯉科魚類の養殖普及活動を行う。帰国後、大手飼料メーカーの水産事業部に入社。1994年からシャプラニールに職員として参加。ダッカ事務所長を含め、2回のバングラデシュ駐在を経験。国内では手工芸品や国内活動を担当。2002年から事務局次長。2008年7月、事務局長に就任。 白幡 利雄(しらはた としお)氏 1968年大阪生まれ 学生時代は地理学を専攻。手話通訳のほか、聴覚障害者とともに様々な活動を経験。大学院を卒業後、シャプラニールに就職。1996年に駐在員としてバングラデシュへ赴任。2001年にはダッカ事務所長として再度駐在。2005年7月に帰国。国内では手工芸品、支援者サービス、広報を経験。現在は海外活動グループ・チーフとして海外活動全体の調整を担当。 特定非営利活動法人 シャプラニール=市民による海外協力の会については以下のサイトをご覧下さい。 URL: http://www.shaplaneer.org/ 2009年度 JANNET 第1回 「CBRと開発」研究会報告書 ―バングラデシュにおける開発の経験から障害を考える― 2009年7月11日(日) 報告書 作成日 2010年3月 発行者 JANNET(障害分野NGO連絡会) 〒162‐0052 東京都新宿区戸山1-22-1 財団法人日本障害者リハビリテーション協会内 TEL:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523