2009年度 JANNET研究会 報告書 -バングラデシュにおける開発の経験から障害を考える- 主催:JANNET(障害分野NGO連絡会) 日時:2009年7月11日(土) 午後1時30分〜4時30分 会場:戸山サンライズ 2階 大研修室B 目次 はじめに ・・・・2 プログラム ・・・3 会場風景 ・・・・4 講演@シャプラニールの沿革について ・・・・・5 講演A事業例として、パプリの事業の説明 およびこれまでの事業で発券された課題と今後の計画 ・・・22 鼎談:住民参加について ・・・・31 講師紹介 ・・・・・・・・・・・52 はじめに 障害分野NGO連絡会(JANNET)は、1993年に設立された、障害分野で国際交流・協力を行っている日本の民間団体のネットワークです。情報交換と経験交流を目的として活動をしています。 年数回開催している研究会ではCBR(地域に根ざしたリハビリテーション)をテーマに取り上げてきました。その延長で、関心がコミュニテイそのものへと移り、さらにコミュニティでは開発がどう行われているかを学ぶことで障害がどう組み込まれるかを考える、という方向へと進展してきました。具体的な例として、2005年よりバングラデシュのNGOであるCDD(開発における障害センター)が開発組織が障害を活動に含めるための研修を行っており、CDDのキーパースンを招いて講演会を開催し、2008年には現地研修会も実施しました。 7月11日の研究会では開発の活動からの障害への取り組みを学ぶため、バングラデシュで長く活動している、特定非営利活動法人 シャプラニール=市民による海外協力の会からお二人の方を講師としてお迎えしました。 障害を取り組んだきっかけ、導入、現在の考えをお聞きし、さらに住民参加について、講師とファシリテーターによる鼎談をもとに、参加者と議論を行いました。すぐには結論の出ないテーマですが、示唆に富んだお話を伺い、日本で開発に携わる人と障害関係者との交流の機会になりました。 当日の報告書が出来ましたので、ホームページにてご紹介いたします。 皆様の活動にご参考になれば幸甚でございます。 ご質問、ご意見などがありましたら事務局までお問い合わせください。 JANNET事務局 2010年3月 プログラム 【趣旨】  JANNETは、昨年クィーンズ大学(カナダ)で使用されているCBRのテキストを有志で翻訳・出版(明石書店)したことをきっかけに、同年5回に渡り「CBRと開発」の勉強会を開催し、CBRの多くの課題への議論を深めてきました。2009年度も連続勉強会を開催しました。  第1回目はバングラデシュを中心に長く活動を続けているシャプラニールから筒井哲朗氏と白幡利雄氏をリソースパースンに迎え、「バングラデシュにおける開発の経験から障害を考える」と題したセミナーを行いました。シャプラニールの経験から学び、CBRの懸案事項である「住民参加」、「住民のオーナーシップ」について議論を深めました。また、この機会に開発団体と障害関係団体の協働の可能性を探りました。  なお、過去の勉強会については、JANNETの関連サイトでご覧いただけます。  http://www.normanet.ne.jp/~jannet/cbr/index.html 【プログラム】 ファシリテーター:日本発達障害福祉連盟/JANNET研修研究委員会副委員長            沼田 千子氏  13:30−13:35  開会  13:35−14:10  シャプラニールの沿革について               特定非営利法人 シャプラニール=市民による海外協力の会               海外活動グループ 白幡 利雄氏  14:10−14:55  事業例としてバングラデシュ、パプリの事業の説明 および             これまでの事業で発見された課題と今後の計画               白幡 利雄氏  14:55−15:10  質疑応答  15:10−15:20  休憩  15:20−16:20  鼎談:住民参加について               シャプラニール事務局長 筒井 哲朗氏、白幡利雄氏、沼田千子  16:20−16:30  閉会 2009年度 第1回 JANNET研究会 ―バングラデシュにおける開発の経験から障害を考える― ■司会 上野 では今日は今年度第1回目の「CBRと開発」の勉強会が今年度研究会に昇格いたしまして、3回開催を予定しています。その第1回目が「バングラデシュにおける開発の経験から障害を考える」ということで今日はシャプラニールからお二人来てくださっていますので開発のことを障害側が勉強するという会になればと思います。では今日の進行は沼田千子さん、JANNETの役員ですが、をお招きしております。沼田さんお願いいたします。 沼田 皆様こんにちはJANNETの沼田でございます。もうほとんど皆さんおなじみの方々だと思いますので気楽に進行をやらせていただきます。ときどき滑ったりしますけれども、見逃してください。今上野さんのほうからご紹介がありましたけれども、今回は開発団体のシャプラニールの事務局長の筒井さんとそれから海外活動グループ・チーフの白幡さんにきていただいております。 JANNETではもう10年CBRの勉強をしておりまして、この数年は開発事業の中に障害を統合するということをテーマにやってきました。正直申しまして私たち自身は開発団体がどんな活動をされているのかよく知らない状態でいます。ですから今日はシャプラニールのお二人から開発団体の活動についてちょっと詳しくお話を伺いたいというふうに思っております。そして開発といえば私たちの中では住民参加というように頭があります。で、障害の中では住民参加が非常に重要だということが合意されていることでもありますので、筒井さん白幡さんをお迎えして住民参加ということでもお話をお聞きするつもりです。 沼田 では最初に白幡さんのほうからシャプラニールの沿革についてお話をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 白幡 はい、ただいまご紹介いただきましたシャプラニールの白幡と申します。どうも今日はよろしくお願いします。今日はですね、私のほうからまずはシャプラニールってどんな活動をしている団体なのかというお話を少し簡単にさせていただいてから、障害者への対応ということで最近は少し活動もしております。それがなぜ始まって、今どういった課題に直面しているのかというようなお話をその次にさせていただいて、そして最後には事務局長の筒井も交え て、住民参加というようなテーマでもう少し深められれば、というような構成を考えています。 筒井は実はバングラデシュという国に三度、生活をしたことがありまして、私自身は二度駐在員として赴任をしていた経験がありますので今日はバングラデシュをテーマにお話させていただければと思います。 パワーポイントの操作もあるので座らせていただきます。 手話サークルの活動、そしてシャプラニールとの出会い 早速シャプラニールについてのお話なんですけれども、話に入る前に少し私自身のことをお話したいのですが、なぜシャプラニールで働くことになったのかというところです。私自身もう41になりまして子どもも二人いるんですが親には未だに「お前いつまで遊んでいるんだ」と言われるような状態でいます。一応大学も大学院のほうも出させていただいたので、親に恩義は感じているんですけれども、それでも好きなことをやりたいということで今この仕事に携わっているんですが、なぜこういう活動に参加するようになったのかということですね。実は私自身大学に入るまではごく普通の人生を送っておりまして、なにもとりえのない普通の高校生だったんですが、大学に入りまして、友達に誘われてですね、それもちょっとかわいい女の子だったんですが、手話サークルの部室につれていかれたのがもう運のつきでして、そこで生まれて初めて耳の聞こえない人に出会うという体験をしました。それ自体今考えれば変な話で、いかに日本の社会が開かれていないかということの証じゃないかと思うんですが、それ以来ちょっと目が開かされまして、一生懸命手話も勉強して、一年後くらいには、当時東京の北区に住んでいたんですが、北区の登録手話通訳者の資格もとりまして、それから4年生までずっと手話通訳とそれから聴覚障害をもつ人たちと一緒にいろいろな活動や運動をしていたというのが実はベースになっております。 活動にのめりこんでいく中ですごく感じたのが、当時、私が大学生だったのが86年から90年、今から20数年前の話なんですが、障害者問題に関わって、それも聴覚障害というほんとにごく一部なんですけれども、関われば関わるほど、制度があるがゆえに閉ざされている、そういう自分なりに矛盾を感じていたんでしょうね。何かそれを越えるようなきっかけはないだろうかということで一度全部手話の活動をやめて、大学院生のときに他のことにもいろいろ首をつっこみながらモラトリアムを続けていくことになりました。 それで、最後に出会ったのがシャプラニールだったんです。シャプラニールはこれからお話ししますけれども、当時はまだバングラデシュだけで活動していて、そこで現地の人たち自身が自分たちで生活を変えるんだ、生活を良くしていくんだ、そういうグループ活動をしている、それをシャプラニールは側面から支援しているというような説明を受けたんですね。それまで聴覚障害の運動しか知らなかった私にとってはそれ自体がものすごくショックだったんです。何かこう社会を変えるヒントがここにあるに違いないというふうに当時私は思って、それで卒業と同時にお願いして、スタッフとして職員としてシャプラニールに参加することになりました。では次に、実際働いてみてどうだったかという話を今からさせていただきます。 シャプラニールの活動の目的 「援助」から「共生」へ シャプラニールの活動の目的なんですけれども、これは会則に書いてあるものをそのまま、ここにのっけてあります(スライド2)。ちょっと読みますね。 「シャプラニールは、南北問題に象徴される現代社会の様々な問題、とりわけ南アジアの貧しい人々の生活上の問題解決に向けた活動を現地及び日本国内で行い、すべての人々が豊かに共生できる地球社会の実現を目指します。」 この共生というキーワードを非常にシャプラニールは大切にしております。「援助」っていう言葉を否定して「協力」って言う言葉を長い間使ってきたんですが、その協力からさらにもう一歩前へ進めて「共生」というのをキーワードにしていこうとシャプラニールは考えていまして、それも含めてなんですが日本国内でもわれわれは活動をするんだということを会則にうたっているのが、シャプラニールのようないわゆるNGOの中では大きな特色のひとつになっています。どうしても国際協力、海外協力の団体というと現地での活動が優先されていてそれだけが書かれているということが普通なんですけれども、我々はかなり早い段階から日本国内も現場だと考えて、きちっと活動していきましょうというのをキーワードにしています。 シャプラニール=市民による海外協力の会 概要  組織の概要ですが、設立は1972年です。日本のNGOとしては一番古くから活動してきた団体のひとつになります。ずっと任意団体で活動してきましたが、2001年にはようやくといいますかいわゆるNPO法人ですね、特定非営利活動法人の法人格を取得しました。 シャプラニールという言葉はバングラデシュの言葉ベンガル語で「睡蓮の家」という意味になります。睡蓮というのがバングラデシュの国の花に指定されるくらいみんなに愛 されている名前ですので、バングラデシュで活動するにはとてもとおりのよい名前なんですが、日本ではあやしい宗教団体にしか思われない名前でいつも説明に困るんですが、ですから、必ずいつも強調しているのは特定の政治・宗教・企業・団体からは完全に独立した団体ですということを申し上げています。 私、筒井も含めて、日本人の正職員が今16人おります。そのほかにも、パートタイマーの形で常に4、5人の方が働いておりますので、日本人が20人くらいは職員としているかなと。それからバングラデシュとネパールにそれぞれ事務所をもっておりまして、バングラデシュには、現地で採用したベンガル人のスタッフが14人、ネパールが5人、そのほか、シャプラニールが送金をする形で現地でパートナーシップをもって一緒に活動している現地のNGOの職員、つまり所属としてはそれぞれの地元の現地NGOの職員という形になりますが、シャプラニールのお金で働いている人、というくくりでは、現地に200人以上の規模で常にスタッフがおります。現在活動している国は、創立以来ずっと活動してきた国としてバングラデシュ、それから96年には、それまでの長年の経験をもって南アジアへの広がりを持っていこうということで、ネパールで活動をはじめまして、さらについ最近2006年からはインドでも活動をはじめています。 われわれの活動を支えてくださっている会員と呼ばれる方が2,400人ぐらい、それからあとマンスリーサポーターといって、毎月一定額をご寄付いただける方が900人くらい、それから手工芸品ですね、今日も後ろにカタログをもってきました。無料ですので、ぜひお持ち帰りいただきたいんですが、バングラデシュとネパールの現地の女性たちが主に手作りをした商品の輸入販売を行っています。そういったものの販売に協力してくださっている方、それから、もちろん買うだけでも国際協力への参加の1つです ということで、1万人くらいの方はなんらかの形で活動に関わられています。そういう会員やマンスリーサポーターを合わせた継続的な支援者の数が約3,300人になります。2008年度直近の一年間の総収入額が、約2億2,800万円でした。このうちの36%が会費や寄付金です。それから42%がフェアトレード、その手工芸品のもの、販売収益ですね、それからあとたとえば国内で何かイベントをしたときの入場料ですとか、スタディツアーの参加費ですとか、そういったものがこの42%に入ってきます。残りの22%が日本政府からの補助金であったり、国際機関からのものであったり、あるいは民間の助成金ですね、何々財団というようなところからの助成金、こういったものが22%になっています。私たちはとにかくこの上の二つ、会費や寄付金、それから自分たちで何かを販売して得られる収入、こういったものを自己財源というふうに名付けていまして、この自己財源の率をできるだけ高く持とうというのを内部で努力目標として設定しています。やっぱり、ひとつのあるいは特定の財源に頼って組織運営をしていると、それが途絶えたときに活動をたたまざるをえない、それはやっぱり責任を放棄するということにつながってしまうわけで、できるだけ長く、息長く活動するために、一人ひとり、市民一人ひとりが参加することで会全体を作り上げていこうというモットーを、こういう数字にもきちっと反映させていこうということを考えています。これが具体的に7割を、自己財源が7割をきらないようにと常に努力しているところですね。多くの市民の方々に支えられての活動というふうに言えるかと思います。私どもの団体の正式名称は、「特定非営利活動法人シャプラニール」のあとに、「市民による海外協力の会」という名前がついています。法人格を取る前からずっと同じ名前だったんですが、最初は違ったんですけれども、ずっと長い間そういう名前でやってきて、法人格を取るときに、団体名もいい機会なので変えようかと、一年かけて団体名をどうするかというような話もしたんですけれども、結局変えませんでした。「シャプラニール」という名前も、それから「市民による海外協力の会」という名前も、結局変えずにそのまま残しました。やっぱり、私たちの団体として大切にすべき考え方がこの名前にも表れているだろう、というふうに判断したわけですね。 次にこれは地図になります(スライド5)。 日本と、我々が活動している南アジアの国々の位置を示したものです。赤く示してあるところが、みなさんから見て右上にあるところですね。私は地理学を勉強していたので、地理の先生に、「右上とか真ん中」とかいうと殴られたものなんですけれども、今日はあえてそう言います。で、右上に、みなさんから見て右上にある日本からですね、ずっと左下のほうに下がってきたところにインド、青く示してあるところがインドなんですが、そのインドに囲まれるよう にある、緑色の小さく見える国がバングラデシュ、インドの北側に隣接している、黄色く表しているところがネパールです。今現地に事務所ももっている、つまり拠点をもっているという意味では、バングラデシュとネパールの二カ国になりますが、この南アジアという地域に専門性をもって活動していこうというふうに考えている私どもとしましてはですね、インドを外すわけにはいかないと。ただあまりに大きな国で、あまりにも多様で複雑な問題があるところなので、何をどう取り組んでいくか、きちっと時間をかけて考えていこうということで、今は調査を継続しているところですね。ちょっとした小さな活動は行ったこともあります。 シャプラニール設立の経緯と沿革 私どもの歴史を簡単に振り返ってみたいんですが(スライド6)、まずは71年、先ほど私どもの団体の設立が72年と申し上げましたが、その前年がバングラデシュが国として独立した年になります。音楽に詳しい方は、この年の7月ぐらいにニューヨークで元ビートルズのジョージ・ハリスンが、バングラデシュ難民救援コンサートというのを開いて、いわゆるセレブが集まってお金を集めるということの世界での走りになったイベントの一つだったんですが、まさにこのバングラデシュが、今のパキスタンから分離独立をしようと内戦をしていた時期なんですね。で、9ヶ月にわたる内戦、悲惨な内戦を経てバングラデシュが独立をします。ただ非常に内戦で荒廃をしてしまったがために、その復興をどうしようかということで、世界中のマスメディア等でバングラデシュを救え、というキャンペーンが張られたんですね。そのうちの一つの活動として、日本から復興農業奉仕団という形で、50人ほどの若者がバングラデシュに4ヶ月間くらいボランティアに渡ることになります。そして、その人たちが現場でいろいろな矛盾にぶち当たって、本当に役に立つ支援というのはなんだろうってことを考えたい、そういう人たちが集まって、72年にシャプラニールが設立されることになりました。ただですね、何やっていいのかわからないので、最初は街頭募金をして現地にお金を送るというようなことから始めて、それでもやっぱり現地のことがわからない、本当のニーズってなんなんだろう、一緒に同じ生活をしてみるしかないんじゃないかということで、74年には日本人が、当時通信員と呼んでいましたが、今の駐在員のような形で現地の農村部に住み込みで働き始めます。働くといっても、当時は給料がなかったので、本当に完全な手弁当だったんですが。で、一緒に手工芸品を作って収入を上げましょう、というような協同組合をつくってみたり、当時は本当にすごいなぁと思うんですが、日本人がベンガル語の文字の読み書きをベンガル人に教えるような識字学級をやってみたり、いろんなことやっていたんですが、結果的に、77年に当時住み込んでいた日本人の2名が、夜、暴徒に角材でめった打ちにされて、瀕死の重症を負うという事件が起きてしまって、もう活動自体どうしようかというふうに悩んだ時期が、その後3年続きます。それでも活動をやめなかったというところが、当時の人たちの熱意だったと思うんですが。 その結果たどり着いた結論が、日本人が主役になっちゃいけない、あくまでも現地の人が主体的になって取り組む活動でなければいけない、ということだったんです。で、現地の人たちが自主的につくるグループ活動、それをショミティ活動というふうに、「ショミティ」とはベンガル語で小さな組合とかグループというような意味なんですね。そのショミティへの側面的な支援をするんだというやり方を始めたのが80年だったわけです。ずっと続いていくんですが、長年のそういう農村での開発の経験をもってですね、それを相対化するという意味合いもありますし、支援者層を拡大するという意味合いもあって、96年にはネパールでも正式に活動を始めます。それまで10年以上私たちシャプラニールが直接バングラデシュの村々に事務所を構えて、そこに我々が直接雇用する現地のスタッフが、常駐する形で農村部での活動を続けてきたんですが、ここには書きませんでしたけれども、97年に大規模なストライキ事件というのがありまして、もう本当に、シャプラニールの存立の危機ともいえるぐらいの大きな事件だったんです。やはりマネージメントの体制の問題ですね。日本人が現地のベンガル人の人事権を、100何十人にもなる現地のスタッフの人事権を全部握っていて、それで全体を運営していくという、その駐在員がしかも3年4年するとどんどん変わっていく。NPOの給料体系からしても、あまり年齢が上で、しっかりした経歴の方は送れない。まぁ、私のようなペーペーがどんどん何も知らずに現地に駐在員として行く、行かざるをえない、というような中で、やはりマネージメントの問題は非常に大きかったわけです。それも含めてなんですが、99年からは、今まで直接そういう事務所やスタッフを雇用して運営していた体制を変えてですね、地元のNGOとしてその農村部での活動拠点に独立していってもらう、まぁ、これをローカライズといいましたが、そういう作業が始まっていきます。今まで村にあった活動拠点、事務所なんかも、地元の人たちのNGOとして独立してもらうということですね。これを99年にはじめました。2006年にはですね、インドでの活動も始まって今があります。 当事者主体の原則  私たちの基本方針はいくつかのキーワードを並べますと(スライド7)、1つは「当事者主体の原則」です。今も申し上げたとおりです。主役はあくまでも現地の人たち、当事者の人たち。それから経済的に貧しい人たちも、一人ひとりが自ら生活を良くしていけるような力をつけてもらうこと、それを「エンパワーメント」と呼んでいます。それから社会からあるいは経済的にも「取り残された人々」と今呼んでいますが、貧困層といっても膨大な数の人たちがいるわけで、その中でもさらに厳しい状況に追いやられている人たち、最貧困層というふうに言っていますが、そういった人たち、あるいは社会の中でマイノリティと呼ばれる人たち、障害者といった人たちもやはり現場ではいろんなことから取り残されている、こういった人々や課題に真っ先に注目していくということ。それからこれは専門ではないんですが、やはり必要に応じて、大きな自然災害があったり大きな社会不安が起きたりしたときには緊急救援活動も実施しています。名前、団体名にもあるとおり、「市民参加による海外協力」ということも大事なキーワードの1つになります。 活動としてはですね、まとめるとバングラデシュでは今、主に農村部と都市部に分けると、農村部では、その取り残された人々のエンパワーメントと名付けられる活動、それから洪水やサイクロンといった大きな自然災害が頻発する国ですので、そのリスクをできるだけ軽くしていくことを目指したコミュニティ開発。それから現在、サイクロンの「シドル」。これ全部名前がついているんですね。日本の台風も実は全部名前ついているんですけれども、数字で、ナンバー付けで呼ぶのが一般化しているのでそうなっているんですが、同じようなものですね。それの大きな被害がちょうどこの1年半ぐらいの間に2回あったものですから、その復興支援活動も行っています。都市部では、ストリートチルドレンと呼ばれる路上で暮らす子どもたちへの支援活動、それから路上にも出てくることができずに家庭の中で閉じ込められてしまって、教育や遊ぶという、普通に子どもとして享受すべきことが全くできないでいる、家事使用人として働いている少女たちへの支援活動を行っています。 ネパールのほうではやはり農村部で洪水被害が頻発するようになってきています。ヒマラヤという世界で一番高い山々がありますけれども、そこからの雪解け水がどんどん増えてきているという話もありますが、防災ということ、それもNGOの視点で取り組める本当に住民主体の防災活動を農村で行っています。あと女性、特に厳しい状況に置かれている女性たちの生活向上支援、都市部では、働く子どもたちへの支援活動を行っています。 あとインドでは先程ちらっと申し上げましたが、長期的な方向性を今調査しているところです。 緊急救援のほうは、ちょっと記憶に新しいところでいうと、サイクロンが2007年11月それから2009年、今年ですね、5月にもありました。毎年洪水には見舞われているんですが、普段腰までしかこなかった水位が頭までくると、「大洪水」と言うんですね。その大洪水の頻度もどんどん上がってきているといわれていて、2004年、2007年にありました。それからお隣の国、ミャンマー、ビルマ、ここからの難民が発生した際への支援活動ですとか、竜巻、寒波、暑い国というイメージがありますけれども、冬は結構寒くなります。寒波に見舞われて死者がでるというような事態になることも結構あります。そういったことに対する緊急救援。ネパールはデモを行いましたし、あと、ここに挙げたようなインドでの西部地震ですとか、アフガニスタンからの難民支援ですとか、インド洋の大津波は皆さんも覚えていると思います。そのときには私たちの守備範囲ということで、インドとスリランカでの活動を行いましたし、パキスタンでは2005年に大きな地震がありました。このようにですね、普段活動をしている3カ国以外にも、南アジアの範疇の中で大きな必要性があると考えるときには、現地のNGOといろんな形でのネットワークをもっていますので、そういったものを活用して緊急救援活動を行っています。 写真で見るシャプラニールの活動  写真をもってきました。ご覧いただいているのは(写真1)、女性が地べたに何人か座って、真ん中に青い服を着た女性がいると思います。真ん中の青い服の女性は、現地のスタッフなんですね。何をしているかというと、女性グループで集まって、マイクロクレジットと呼ばれる小額の融資活動を行っているんですが、そのお金のやりとりをしている様子の写真です。マイクロクレジットというのは、本当に小額の無担保融資と言っています。日本円で数百円 から、数百円というのは、最近さすがに少なくなってきましたが、数千円から数万円ぐらいまでの額のお金を必要に応じて貸し出して、それをできるだけ負担のないように週返済をしていってもらう活動なんですね。今、バングラデシュの農村部では非常に大きく取り組まれているものです。  二枚目の写真(写真2)は、思春期の年齢に当たる世代の女の子たちです。こういう世代に区切ったグループ活動というのも今取り組んでいます。この子たちは、そのグループの中ですごく勇気付けられまして、ちょうどバングラデシュの農村部では結婚適齢期なんです。いまだに15、16歳で結婚をさせられてしまう、親が決めたとおりに。そういった状況に置かれている子たちなんですが、やっぱり自分たちでその境遇をお互いに話し合って、それを変えていこうというふうに意識がどんどん高まっていくんですね、こういうグループ活動をすると。で、いろんなボランティア活動にも取り組むようになっています。みなさんから見て右下に土でつくったものがありますが、これは移動式のかまどです。バングラデシュでは毎年雨季には水没する地域が大変多くあります。そうすると、普段使っているかまどが水没してしまって使えない。そうなるとこの移動式のかまどをベッドの上に置いて、そこで煮炊きをするわけです。水位が予想よりも早く上がってしまうと、こういったものを準備することができないまま雨季を迎えてしまうケースも出てきます。特に高齢者だけの世帯だと、じゃぁどうしようということになってしまう。それで、この子たちがですね、そういった必要な人のところにかまどを作って持っていくというボランティアに取り組んでいるというわけです。こういったグループ活動を、いろいろアドバイスにのったり、こういうふうに話し合ったらいいんじゃないかというような、いわゆるソーシャルワーク、それを私たちがしているというふうにお考えください。  これは村の事務所の様子です(写真3)。本当に簡素な壁に、木で作った机がいくつか置いてあって、そこにスタッフが働いて、座って書類事務をしています。本当に普通の事務所みたいにみえると思いますが、こんなような感じで仕事をしています。  これは「児童教育」といって、学校になかなか通えない、あるいは通ってもすぐにやめてしまう子どもたちが、まだまだ、たくさんいます。そういった子どもたちを集めて補習教室を開いている様子です(写真4)。この補習教室へ通ってもらうと同時に、公立の学校に通ってもらうことが条件になります。公立小学校の開いている時間の前、早朝あるいは夕方にこの補習教室で勉強しています。こういうふうにちょっと暗い感じなんですが、竹で作った壁とかに囲まれた簡単な小屋を我々が作って、用意をして、地元で教師役になる人を雇って、子どもたちを20〜30人ぐらい集めて補習学級を開いています。  これは、ストリートチルドレンの支援活動の様子です(次頁、写真5)。「ストリートスクール」と呼んでいて、毎日、同じ場所、同じ時間に、子どもたちを集めて簡単なクラスを開いています。これはバスターミナルの中で、みんなから見える場所に、こうやってビニルシートを敷いて、子どもたちがその上に座って勉強しているわけです。みんなから見える場所で行うということが大事なんですね。ストリートチルドレン、やっぱり普段、大人からいろんな虐待あるいは搾取の対象になっていて、大人をなかなか信用できない状況にあります。だから、単純に「来て」と言っても来ない。やっぱり、何をしているのかがみんなに見える状況にあるというのが大事なので、こういった場も大事にして活動しています。  これは、そのストリートチルドレンが日中、あるいは夜も自由に使える施設です(写真6)。こういったものと組み合わせて、子どもたちのニーズに合わせて支援ができるようにしています。これも本当にアパートのワンフロアをそのまま借りきってという形になっています。ちょうど写真は子どもたちがグループに分かれてちょっとした勉強をしているところです。壁には絵が書いてあります。こういうのは地元の大学生が、ちょっとでも子どもたちが楽しく時間をすごせるようにとボランティアでこういう絵を描いてくれたりします。  これは、家事使用人として働く女の子たちへの支援活動の様子です(写真7)。まず雇用主を説得して日中数時間でいいから、こういうセンターに来る時間をもらえるようにしていきます。雇用主の理解が得られた子から、毎日これセンターと言っていますが、本当に粗末な小屋なんですけれども、借りて、子どもたちに集まってもらって、お互いの悩みを共有したり、ちょっとした勉強をしたり、レクリエーションを楽しんだり、あるいはセクシャルハラスメントに遭わないためにどうしたらいいかというようなことも学んでいきます。  これはネパールの写真です(写真8)。急流で川岸がえぐられてしまっている様子です。 そういうふうに、どんどん川の氾濫が増えてきているので、こういったものに、ちゃんと、どう対応したらいいのかということを、次の写真(写真9)で考えているところです。文字の読み書きができない人でもですね、どこに何があるっていうのを、その辺の木切れとか、石ころとかを使って、簡単な地図をつくっていきながら、次にこの川がこう氾濫したらどこが危ないのかっていうようなことを確認しながら、こちらに家をずらしたらいいんじゃないかとか、そういう話し合いをしている様子の写真です。  これもネパールです(写真10)。働く子どもたちへの支援活動の様子ですね。小屋を借りて、やっぱり使用人として働いている女の子が多いんですが、日中集まって勉強をしている様子です。  これは、インドでちょっと小規模な活動です(写真11)。子どもたちの環境教育の支援活動をしていたときの様子です。自分たちの地域にどんな植物があって、どんな種が今死に絶えていこうとしているかというようなことを調べて、できるだけたくさんの種を保存していこうという活動に取り組んでいる様子です。バケツの中にそういった種を集めてそれを育てている様子なんですね。  これ列車なんですが(写真12)、インドでコルカタ、昔のカルカッタですね、ここに毎日3時間4時間かけて電車で通勤してきて、日中家政婦として働いて、また田舎に帰る、という女性たちがたくさんいます。女性専用車というのが一応設定されていて、そこに乗り込もうと殺到している様子の写真です。こういう家政婦たちへの支援活動というのも取り組んでいました。 手工芸品を通した支援活動〜フェアトレード〜  私たちの活動で、先ほど申し上げた手工芸品を通した支援活動、シャプラニールでは「フェアトレード」と呼んでいますが、現地の生産者、女性が多いです。そこに適切な賃金が払われるように、それから、ちゃんと日本でも売れるような商品を開発するために品質管理を行う現地の団体、手工芸品団体、それとシャプラニールがあって、お金の循環がうまくいくように活動しているわけです。 ステナイ生活  それから最近力を入れているのがこの「ステナイ生活」です。家庭に眠る不要なものをシャプラニールに送ってもらうだけで国際協力になります、というものです。元手ゼロで、いらないものを捨てるんじゃなくて、シャプラニールに送って、シャプラニールのほうでそれを換金して活動に使わせていただいています。これはブックオフという会社と提携していて、そこからの寄付がシャプラニールに来るシステムなんですけれども、古本をその辺のゴミ箱に捨てるんじゃなくて、シャプラニールに送ってもらうだけで、それもまとまった数になれば、無料で宅配便の業者が引き取ってくれます。古本2冊でストリートチルドレンが20人牛乳を毎日飲むことが出来ます。そんなことに、役立ちますよ、という一つの例示をさせていただいているわけです。 シャプラニールが大切にしていること 最後になりますが、シャプラニールが大切にしていることを少しキーワードにまとめてみました。一つは質が高くて自立性の高い活動です。質をすごく重視していこう、ということをかなり前から意識していまして、例えば、プロジェクト評価にもかなり早い段階から取り組んできました。実はですね、このNGO「業界」とあえて呼ばせていただきますが、業界では「やりっぱなし」というのが実は普通なんですね。「いいことしてんだから、これだけやりました」、という報告で終わり、ということがすごく多くて、「それをしてどうなったか」というのが実はあまり伝わってこない。本人もわかっていなかったりする場合も、正直言って、たくさんあります。でもやっぱりそれじゃぁいけないでしょ、私たちが活動することによって、「どれだけ」、「どの人が」、「どういうふうに」、生活が良くなったのかということを、数値的にも定性的にも、ちゃんと把握できるようにしなきゃいけないということで、いろんな試みを繰り返してきています。 それから、先ほども申し上げた自己財源率を高くもつこと、いざというときのために、「シャプラニール未来ファンド」というのも数千万円の規模でもっています。それから市民参加による海外協力、これも先ほど申し上げたとおりですが、意思決定はボトムアップです。それから経営層は任期制を採っていまして、代表理事も三期六年をやると自動的に一回降りなきゃいけない、というふうになっています。NGO・NPO全体にそうなんですが、ずっと同じ人が代表をやり続けるという例が非常に多いのですが、シャプラニールはそういうことはありません。それから、全国26箇所に地域連絡会というのをもっています。 あとは情報公開ですね。ウェブサイトで出来る限り全ての情報は公開していますし、失敗を繰り返してきている歴史を、きちんと活動記録として出版もしています。こういうことを我々は大切にしているということで、シャプラニールの簡単な紹介を終わらせていただきます。 ■質疑応答 沼田 はい、ありがとうございます。大変広範囲で、しかもきめ細かい活動を長くお続けになっていらっしゃいます。たくさんのお話を伺ったんですが、今ここで質問のある方いらっしゃいますか。 補習授業の対象と内容について 参加者:渡邊 はい。白幡さんどうもありがとうございました。日本ネパール教育協力会の今年から代表になりました渡邊と申します。白幡さんのプレゼンの中で補習授業のスライドを拝見しましたけれども、その対象と内容について少し、もう少しお話いいただければと思います。 白幡 はい、まず活動地域内で、どの子どもが学校にいっているか、いないかという全体を調査します。その、学校に行けていない、あるいは行ったけれども辞めてしまった子どもたちからリストアップして、予算との兼ね合いなんですけれども、20人から30人くらいをひとまとめにして、この補習教室に通うように親を説得していきます。親も納得して、多少の参加費も払ってもらうんですけれども、そういうことを条件に補習教室が始まっていきます。先生とそのセンターの建設費、といっても本当にただ竹の壁とかトタンの屋根をつけるだけなんですが、作って、先生の給与を払う。子どもたちの文房具も一定の補助をします。そういう形で毎日小学校が始まる前の時間とかに、2時間から3時間くらい、補習という形で、公立小学校と同じテキストを使って、それをより時間をかけて少人数で勉強していくという形をとっています。 参加者:渡邊 ありがとうございました。特にその、公教育とは別のカリキュラムではないんですね。 白幡 えぇ、違います。 参加者:渡邊 はい、ありがとうございます。 シャプラニールの活動地域、規模について 参加者:小林 お話ありがとうございました。ジャカルタ・ジャパン・ネットワークというところの小林といいます。パートナーのNGOはいくつくらいあるのかっということと、活動地域の人数というか、だいたいどれくらいの地域で、どういう方々を対象に活動されてるのかということを教えていただけたらと。 白幡 はい。バングラデシュでは現在、5つのパートナー団体と活動しています。バングラデシュには64の県がありますが、そのうち我々が活動できているのは、4県しかありません。ただそれも、県全体をカバーしているんじゃなくて、その中の一部の郡であったりしますので、本当にカバー出来ている範囲、面積という意味では、まだまだ点としか言えないような状況ですね。 参加者:土橋 JICAの土橋でございます。白幡さんとは実は、私、2004年にバングラデシュに駐在にいっており、そのときにご一緒させていただいておりました。ご無沙汰しております。また、私、シャプラニールの一会員でもあります。それにも拘わらず、わからなくて恐縮なんですが、日本のNGO・NPOは2万とか3万とか言われていると思いますけれども、その中でシャプラニールが、どれぐらいの規模で、どれぐらいの歴史をもっているのか、というようなところの概略をもう少しお話ししていただければと思います。また、先ほどのバングラデシュでも、やっぱり2万か3万のNGOがあるというような話を聞いています。その中には、ハンディキャップインターナショナルなどといった、国際NGOもあるかと思うんですけれども、その中におけるシャプラニールの位置づけや活動が、どんなレベルなのかというのを簡単に教えていただけますでしょうか。 白幡 はい、まず日本なんですが、日本のNGOの数は多分400から500くらいじゃないかと思います、ある程度の組織と言えるものはですね。その中でシャプラニールは予算規模からしたら25番目くらいですかね。20番台です。それ以上にはならないと思います。資金規模から言えば。ただ活動の歴史でいえば、最も古い団体の1つと言っていいかと思います。日本のNGOのほとんどは、79年にベトナムの難民が大量に出てきて、それへの支援活動を契機にしている団体が多かったので、70年代末から80年代にかけて、今日本で活躍しているNGOの大半は、その年代に設立されています。それよりも一足早く72年に設立されていますので、最も古い団体の1つです。シャプラニールより古い団体はいくつかあります。アジア学院ですとか、JOCS、今日も来られてますけれども、それからあとオイスカ、こういった団体はシャプラニールよりも早く設立されています。バングラデシュ国内では、おっしゃるとおり2万とも3万とも言われていますが、外国から資金を受け取る資格をバングラデシュ政府から得ている団体、という意味では、今いくつでしょうか。たぶん実質的な組織があるという意味では2000ぐらいだと思います。そのうち2割くらいが外国籍の団体です。ですから200団体くらいのうちの1つがシャプラニールということになりますので小さいです。ただ、日本のNGOとしてバングラデシュで活動している団体の中では、日本の全体の組織規模から言えば、オイスカのほうがずっと大きいですけれども、バングラデシュでの活動規模から言えば、もしかしたらシャプラニールのほうが大きいかもしれない。そのくらい、ですね。よろしいでしょうか。 日本人駐在員襲撃事件の背景 参加者:渡辺 今日は楽しいお話ありがとうございます。岡山大学工学部の学生の渡辺です。3つほど質問したいんですが、途中でおっしゃられていた、日本人の駐在員の方への襲撃事件とあったと思うんですけど、それはどういう理由からなんでしょうか。 白幡 はっきりした原因はわからないんですが、おそらく当時70年代、外国人自体がバングラデシュにいるということが珍しかった時代に、いきなり日本人が農村部に住んで、地元の人と同じものを食べて、地元の人と同じものを着ている。その状況の中で、イスラム教国なんですが、外国人が来たということで、キリスト教に改宗させにきたんじゃないかと思った人もいるかもしれないし、自分たちの既得権益を奪われるかもしれないと思った支配者層もいたかもしれない。そういった人たちが、いわゆる賊を雇って襲わせたんじゃないかと言われています。 地域グループワークとその反応 参加者:渡辺 ありがとうございます。2番目の点なんですけれども、6ページ、これの6ページにある思春期の女性の方に対するグループワークをなされているという話があったんですが、このグループワークを通して、若いときに結婚させられるということに対して疑問を持ったりすることもあったというようにおっしゃっていたと思うのですが、このように、良くも悪くも、その地域の伝統・文化に若い世代が手を加えようとする活動に対して、その彼女達の親世代の評価というのはどのようなものだったんでしょうか。 白幡 最初は反発もありました。女の子たちだけで集まってグループ活動をすること自体に対して反発するような人もいました。親も徐々に彼女たち自身の熱意ですとか、やっている活動自体が村全体のいろんな課題に対応していこうというボランティア活動が中心ですので、徐々に理解はされてきています。バングラデシュの村では考えられないことだったんですが、この女の子たち自身で芝居をつくって上演する、というようなこともやっています。女の子が人前に立つということ自体がありえない社会だったんですが、それすらも実現してきている。それくらい、かなり受け入れられるようになってきているということですね。時間はかかりましたが。 ステナイ生活について 参加者:渡辺 わかりました。最後なんですけれども、ステナイ生活で、ブックオフさんが一定の配達以上で無料になるとおっしゃっていたと思うんですけれども、 白幡 はい。 参加者:渡辺 これは全てボランティアになっているんですか。それとも何か…。 白幡 集まればその古本自体がブックオフに届きますので、ブックオフとしても普通に商売になる。ただその利益の一部をシャプラニールにきちっと還元するというブックオフの社会貢献活動の一環になっているわけです。ただ本業にもつながっています。ブックオフとしてはですね。 参加者:渡辺 わかりました。ありがとうございました。 シャプラニールとパートナー団体の関係 参加者:石本 日本作業療法士協会の石本と申します。今日はどうもありがとうございました。お話を伺って、シャプラニールの活動支援のスタンスは、現地のNGOと連携したり、NGOを支援すると理解したのですが、実際の支援方法は、資金を提供するのか、それとも現地のNGOの人たちがこういう活動をしたいということに対して、ある程度活動内容をセレクトするのか、あるいは、スタッフ教育というか現地のワーカーに対して開発の手法を教育するのか、障害当事者ご本人を支援するのかなど、具体的にどのような活動をされるのかを教えてください。 白幡 パートナーとの関係性はいろいろです。シャプラニールのスタッフだった人が独立して作った団体、今日この次にお話するPAPRI(パプリ)といった団体も実はそうなんですが、全く関係なかった団体とこの課題を一緒にやっていきませんか、というふうに持ちかけて、あるいは相手から持ちかけられて、それで共同で1つのプロジェクトを創りあげていくという場合もあります。いずれにしても、プロジェクトをやろうと決める過程を大事にしています。一緒にまずは共同で調査をするというようなことも積極的にやりますし、その前提で、どういうふうなプロジェクトプラン、プロジェクトの組み立てをしていったらいいんだろうかというような話し合いにも、ものすごく時間をかけて作っていきます。ですから、要は計画にしても予算の配分にしても、共同で作り上げていくという姿勢を大事にしています。実際に始まったあとは、現場でのオペレーションはパートナーの団体が現場でやりますが、我々も事務所があって、直接雇用している管理者としての現地スタッフもいますし、駐在員もいますので、常に現場にモニタリングという形で行きますし、それを通して、よりよいプロジェクトになっていくように、常にお互いに話し合いをしながら進めていくという形になりますね。形だけで言えば、1つのプロジェクトがあって、現場での活動は全部パートナー団体がやっています。そこにシャプラニールは日本からお金を送っていることになりますが、計画の段階から実施、それから最後の評価に至るまで、共同で行うというふうに努力をしているんですね。 参加者:石本 現地のワーカーさんからのニーズに対しても応えているのでしょうか。 白幡 はい、応えています。例えばですが、ストリートチルドレンの支援でいうと、やはり子どもに接するには、ある程度のカウンセリングの技術をもっているだけで、かなり違ってくるんですね。すごく教科書的な研修の機会というのはいっぱいあるんですが、実践に基づいて、本当に子どもとリアルに話しているところをビデオにとって、ここをこうしたらこうなるというのを学んでまた実践していく、そういった形の研修はなかなか機会がないんです。そういった場合には、私たちがそういうことのできる講師を日本や他の国から送ってですね、一緒に学ぶといったこともしますし、私たちの価値観、ポリシーの中で培ってきた、例えば村人とどういうふうに接したらいいのかといった方法論も、少しずつですが、今、形作られてきていますので、そういったものをパートナー団体と共有しながら、住民との関係性なんかもより良いものになるように、研修はかなり時間と手間をかけて繰り返しています。 フェアトレードについて 参加者:上野 きょうされんという日本の障害者の作業所の連絡会の上野と申します。フェアトレードについてお伺いしたいんですが、フェアトレードとその他の活動収入で4割ちょっとの活動収入になるということなんですが、どのように日本国内での販売促進をされているのか、どうやって販売しているかということですね。あの確か立派なカタログを何回か見たことあるんですが。 白幡 えぇ、今日もここにありますので。主な販売方法として大きくわけると2つです。通信販売と委託販売です。通信販売はインターネットでも直接やっていますし、電話やFAXでの注文も受けていますし、こういうフェアトレード商品を扱う店っていうのは今すごく増えていて、今250店舗くらいかな。契約も結んでいまして、そういうところにも商品をおろしていますので、そこで買われる方もたくさんいます。あと委託販売というのはですね、販売に協力してもらう人をできるだけ増やそうという独特のやり方で、よくあるものですが、学校や地域のイベント、リサイクルバザーなんかに我々の支援をしてくださる方々がグループで委託販売をする際に、まず無料でこちらから商品をお届けします。実際に当日売っていただいて、余ったものはまた送り返してもらう。こちらからは定価の八割の値段を請求しますので、手元に二割残るわけなんですね。それで返送の際の送料もまかなってもらえる。ただ元手ゼロで販売にも協力してもらえるという委託販売にもかなり力を入れております。はい。 参加者:上野 売れそうな商品開発なんていうのは、例えば日本でやっているんですか、それともバングラのほうで? 白幡 どちらもです。どちらもなんですが、日本の場合にはやはり欧米の市場に比べてもかなり特殊で、特に品質にこだわる面がすごく細かいので、かなり日本の市場向けに今は東京で、すぐそこに事務所があるんですが、デザイナーさんも採用していまして、積極的に商品開発を行って、それを現地の団体と話し合いをしながら独自の商品に作り上げていきます。 参加者:上野 ありがとうございます。 障害をもつストリートチルドレンの支援について 参加者:下奥 視覚障害当事者でチャレンジという杉並区の作業所で利用者として働いている下奥と申します。今どなたからも質問が出なかったんでお伺いしたいんですけれども、障害をもつ方の教育は日本では義務化されているわけですけれども、ストリートチルドレンの中に今まで障害を持った方はいらっしゃったのかどうかっていうことです。それから、視覚障害者の場合、日本ですと鍼とか灸という国家資格を取得すれば就労できるということで、今国際視覚障害者擁護協会を通じて行われているのですけれども、各国から力のある方は留学をして、現地に帰って指導者として育成をするという形の視覚障害者による就労への取り組みをしているんですけれども、シャプラニールのほうで、実際に障害をもつ方、どういう障害の方と接してご指導をされたことがあるのか、それから、学校を卒業したあとの進路ということで、日本ですと、当然作業所とか授産施設とか、力のある方は能力開発校等へ向かうわけですけれども、バングラデシュの場合は厳しい現状をお聞きしたことがあるので、今は実際に白幡さんがご指導なさったり、あるいはどっかと提携して児童から生徒になっていくっていうようなことをなさっているのか、どなたからも質問なかったんで、教えていただけたらと思います。よろしくお願いします。 白幡 農村部でのことはこの次にお話しますので、都市部の例だけ申し上げると、ストリートチルドレンの支援活動の中などではですね、障害をもつ子どもが保護されたり、われわれの施設に来たり、あるいは誰かに連れられてきたりということは、これまでにもありました。ただ、残念ながら、我々にはそういった子どもに対する専門的なケアをするだけの知識も能力もないもんですから、現地のパートナーの団体もですね、やはりそういう専門性をもつ、ほかのNGOや団体、病院などにリファーするという形でこれまでは対応してきました。農村部での対応については、このあとお話させていただきます。子どもたちの学校を出たあとの進路についてですよね。確かにバングラデシュでも、施設や、進路としては、より選択肢が増えてきているんですが、ほとんどの場合、子どもが中等教育以上に進めない。中等教育に進める子どもがまだ半分以下という状況ですので、なかなか機会は実際にはないとお考えになっていいかと思います。 沼田  はい、たくさんの質問ありがとうございました。 沼田 では白幡さんに引き続き、実践面として、PAPRIのプログラムについてお話をいただきます。よろしくお願いいたします。 ショミティ支援活動 白幡 PAPRIでの活動というのも、元々はシャプラニールが直接スタッフを雇用し事務所をもっていた農村部での活動をそのまま受け継ぐ形で、PAPRIとして独立してもらって、そこと今パートナーシップを組んで活動しているので、私たちのこれまでの長年の農村開発の流れに沿ってまずはちょっとご説明します。 先ほど申し上げた、我々がずっと農村部で取り組んできた大きな仕組みとして、ショミティへの支援活動があったわけです(スライド2)。これは大きく3つのコンポーネントに分かれるわけですが、まずひとつは、現場では「キャパシティビルディング」と言っていましたが、一人ひとりが力をつける、それを育てていくという活動ですね。具体的に言えば、成人の識字学級であったり、あるいは保健衛生の知識を勉強する教育、教室であったり、あるいは村人が自分たちで学んだことを他の村人にも伝えていく、表現していく手段として村芝居なんていうのもありましたし、わかりやすいところで言えば、いろいろな研修機会ですね、それからキャンペーンも行います。キャンペーンっていうのはデモ行進みたいなもので、いろんなテーマを決めてそれに関連する、なんとかデーっていうようなときに合わせて、村中をみんなで練り歩くこともします。こういった形で、一人ひとりが、自分たちが取り組むことによって、ちょっとした工夫で、自分で生活を良くしていくことができると気が付いてもらえるように、まずは活動をする。 今度は気づいた人がですね、例えば身の回りを清潔にすることが大切だということがわかった、けれども実際にそれを実践していくためのトイレがない。井戸がない。それはシャプラニールのほうで、安い値段で買えますからどうぞ、という形で、これもあげはしないわけです。本当に必要だと思ったら人は買いますので、そういう形で簡易衛生トイレの普及、あるいは手押しポンプ井戸の普及ということにも長年取り組んできました。それから先程申し上げた児童教育なんかもこういうところに入ってくるんです。なぜかというと、ずっと子どもを対象とした活動はやってこなかったんです。ただ、やっぱりまず大人のほうが教育っとこんなに大事なんだと、子どもを学校に行かせないということが、どれだけその子どもたちの未来を奪っていたのかということに、まず自らが気づくわけですね。それで大人の側が、村人の側が、シャプラニールになんとかできる範囲で子どもたちの教育も支援してくれ、と言われてはじまったプログラムだったんです。そのような形で必要なサービスの提供も行いました。 そしてもうひとつは、やっぱりなんだかんだ言っても、収入が増えないことには生活が安定しません。災害にも見舞われる。その度に本当に食べるものを探すところから始めなきゃいけない。それでは長期的な継続的な生活の向上にはつながりませんので、収入を増やすために、マイクロクレジットの提供、それからそれに必要な技術研修というのを組み合わせてやります。といってもそんな大それたことはやらないで、ちょっと餌のやり方をうまくするだけで牛がもっと大きく太ります。そうすると売るときに高い値段で売れます。そんなような技術研修ですね。これに取り組んできたわけです。 ショミティへの支援活動でどんな成果と課題があったか(スライド3)、ものすごく簡単にまとめてしまうと、成果としては、生活向上はできるんだ、というふうに村人はかなりちゃんと意識が変わってきたんだと思います。生まれたときから極端な貧困の中で、ずっとお前は貧乏だ、お前は何もできないといわれる環境の中で育つと、人間何やっても変わらないやと思うものですが、やっぱりみんなで励ましあったりする中で、自分はほんの少しのことをやるだけで変わると思えるようになる。これがすごく大事なことなんですよね。それはかなり達成できたと思います。確実に基礎的な生活レベルも上がったというふうに言えると思います。昔は一日一食が普通だったのが、今ではもう三食食べられる人も珍しくありません。そのくらいまでは確実に変わったと思います。もちろん、シャプラニールの影響だけじゃなくて、社会全体の変化というのがすごく大きいんですけれども。 一方、課題としては、そのショミティが本当に自立的な組織に育つかというとですね、例外的にしか育たないという現実がありました。もうこれだけのことができれば確実にグループとして自立していってもらえる、というところまでの方法論を我々は築くことができませんでした。もっと言うと、生活向上が必要だと思う人たちがグループを作っているわけですが、そのショミティにすら参加できない人たちがたくさんいて、そういう人たちは、いくら待っていてもショミティに参加できないということ。取り残されているということです。それからですね、ショミティの活動がどんどん増えて、ショミティの数が増えて、シャプラニールのスタッフも増えていくにしたがって、村の中で、本来は何か困ったときに手助けするような役割をもっていたはずの豊かな人たちが、あんな貧しい人たちのことはみんなシャプラがやってくれるんでしょとか、ショミティがみんな自分たちでやってる、とかいってですね、自分たちの責任をまったく忘れていってしまう、これも大きな矛盾ですよね。 それからあとはバングラデシュの女性を取り巻く状況がいまだに厳しい現実があります。どうしても男性が力を持っている中で、女性のおかれている構造、差別を受ける構造自体が変わらない、こういった課題が認識できたわけです。ずっと認識してはいたのですが、まとめるとこうなるわけですね。 それでどうするのか、と考えて2000年代以降取り組んできたのが、この「ターゲットアプローチ」から「コミュニティアプローチ」への変換ということでした。それまでは貧困層に直接活動をしていく、貧困層をターゲットに、ターゲットという言葉は悪いんですけれども、ターゲットと言ってたんですね。ある村に決めて活動をするときに、その村のリーダーなど、もともと村に力をもっているような人たちを通して、村全体をカバーしようと考えると、そのお金もリソースも全て、そのリーダー的な人たち、村長さん的な人たちに取られてしまう。貧しい人たちのところに届かない。それを克服するためにターゲットアプローチとあえて言ってですね、貧困層に直接アプローチをするという活動してきたわけです。 ショミティ活動と言うのは、間違いなくターゲットアプローチだったんですけれども、それをすることで、取り残されていった人たちがいっぱい、いる。じゃぁということで、ショミティ方式そのものを、もっと気軽にいろんな人が参加できるように貯金を中心として、グループとしていろいろ自立をしていくために、あんまりがんばらなくていいよと、一人ひとりがちゃんと貯金をできるくらいの規模でいいんじゃないかということで、貯蓄を中心としたグループ活動に気楽に参加してください、という意味の貯蓄ショミティ方式を導入して、本当に自立できるグループには、どんどん卒業してもらいました。大体100ぐらいのグループは完全にシャプラニールの手を離れて、自分たちでやっています。もう自分たちのショミティの基金ももってますというようなグループには完全に独立してもらいました。 一方、コミュニティ全体を意識した活動を復活させようということで、中間層や富裕層にもちゃんと働きかけていこうという意識をもちました。障害者や高齢者、被差別カーストの人たちも、きちんとリストアップすることで意識はしましょうと、この時点では何をやるのかはわからないんですが、とにかくリストアップはしました。グループも、完全にその結成を村人の側に任せるんじゃなくて、こちらからも働きかけて、こういうグループを作ってみたらどうか、というような働きかけもしていくようにしました。商店を経営しているような人たちでもグループを作ってもいいじゃないかというようなこともやりました。さきほど思春期の少女グループの写真がありましたが、英語でadolescent(アドルセント)と呼ばれる世代の子どもたちにあたりますので、「Adolescentグループ」と呼んでいますが、そういったグループ、世代で割ったグループなんかも作りました。寡婦、夫を事故や病気で失った女性のことですけれども、バングラデシュでは非常に厳しい立場においやられています。そういった女性だけを集めたグループというのも作ってみたりしました。それまでのショミティだと、寡婦というだけでメンバーになれなかったんです。ミーティングにも来られない、貯金もできないと思われていた。でもそういう人たちだけでもグループを作ってみましょうということです。あとは働く子どもたち。ショミティ活動に専心している状況の中では、見過ごされていた、取り組めなかった人たちや課題をもっと意識してやっていこうというふうに切り替えていったわけです。 そういう流れの中に、ちょうど「PAPRI」という団体が独立をして、彼らも彼らとして今後、PAPRIとしてどういう活動をしていくかということを考えなければならないという時期がちょうど重なっていたんです。というのもPAPRIがシャプラニールから独立したのが1999年でした。ちょうど、先程のシャプラの歴史の中でローカライズ、つまり独立していくというやり方を始めたのが99年と書きました。実はPAPRIがその最初の例になったんです。ちょうどその頃からシャプラニールも次の展開をどうするのかという、今申し上げたようなことをいろいろ考えていた時期に当たるので、少しこの振り返りをしてみました。農村活動拠点のローカライズというのがそういうことですね。 今日のお話のポイントのこのPAPRIという団体は今どんな団体に育っているのか。シャプラニールから独立したときは、スタッフ60人くらいの組織だったんですが、今やスタッフ総数はその4倍、直近で256人のスタッフがいます。今やシャプラニールだけじゃなくて、他にもユニセフですとか、大きな国際機関からもパートナーとして資金を得られるような団体に育っています。バングラデシュの中では、まだまだ小さい団体なんですが、日本で考えれば、260人の専従の職員がいる組織といえば、それなりの規模の企業といえるくらいの組織体です。そこまで育ってくれたかなという段階にあります。活動の拠点はノルシンディ県というところになります。ノルシンディ県はここに地図を載せましたが(スライド5)、右上に小さく表示されてるのがバングラデシュ全体で、ちょうど真ん中あたりに首都のダッカがあります。首都のダッカから北東の方向に70〜80キロいったところがノルシンディ県になります。「県の中心まで」という意味です。ノルシンディ県内で10箇所を超える活動拠点をもっています。活動している、カバーしている範囲という意味ではまだまだ3分の1を下回るかなというぐらいですが、今PAPRIがカバーしている域内人口は16万5千人いて、その中で3万3千人くらいが直接の受益者、少し言葉は悪いですけれども受益者といえます。3万3千人くらいの人たちがPAPRIのグループのメンバーであったり、あるいはなんらかのサービスの提供を受けている村人の数ということになります。その規模の活動を256人のスタッフで行っている。そういった堂々たる中堅規模のローカルNGO、地元のNGOとして今は存在しているわけです。 CDDによる研修と障害者支援 障害者への取り組みについてですが(スライド6)、先程からもう何度も出てきているこの取り残された人々への支援という視点の中で、正式に活動の中で障害者支援というのが始まったのは2002年になります。まずはその活動地域内で生活をしている障害者のリストアップから始めました。この勉強会では、たぶんおなじみの団体なんじゃないかと思うんですが、CDDという、これもNGOですが、Center for Disability in Development の頭文字をとっている団体で、ここでスタッフ研修を受けました。研修費用は無料なんですけれども、その間、別にそれ以上のものは出ませんので、当時はまだPAPRIも小さな組織でしたので大変だったんですが、それでも、日本語で言うと専務理事、団体のトップがCDDで3日間のリーダートレーニングを受けて、それから自分の部下を、95日間ですか、約3ヶ月間の初期的なリハビリテーションの技術等を研修できるコースがあるんですが、そこにも人を送って、そういうスタッフを中心に活動を開始していきました。 まず取り組んだのは、障害者の存在を地域の住民に知らせるためのキャンペーンであったり、それから本当に初歩的な初期的なリハビリ、理学療法の技術も研修で身に付きましたので、そういったものを直接、必要な子どもや人々に行ったり、あるいは他のそういうサービスを行っている病院へのリファーとかですね、そういったことを行っていった。これが取り組みの流れということになります。 写真で見るPAPRIの活動   この写真(写真1)に写っている女の人はナシマという現地のPAPRIのスタッフ、もともとシャプラニールのスタッフでもあったんですが、彼女が一番最初にその3ヶ月間のコースを受けたスタッフで、今でも障害者のプログラムを担当、中心メンバーになっています。こんなような形で、毎 日村々を回って、直接必要な、初期的なリハビリテーションも、理学療法も行っています。親にやり方をちゃんと見せて教えたりというようなことも行っています。  これは(写真2)、その子どもにこういうようにするといいですよ、というのをお母さんに教えているところの写真ですね。  この子は先天性の内反足をもっていた子どもです(写真3)。そういった子どもへの治療をすごく格安でやっているほかのNGOに送って、手術を受けてもらったところですね。ですから、リファーするという活動はいまでも核というか、取り組みの中心になっていると思います。  この車椅子(写真4)は、またCDDとは別の団体ですが、ちゃんとそれぞれの体型とか状況に合わせるようにカスタマイズをした車椅子をつくるサービスをしているNGOがあるんです。そういうところと提携をして、必要な人にそういう車椅子や他の補装具なども届くように、仲介役としての機能も果たしています。  これは(写真5)、そういう車椅子の人たち、スタッフや村の人たち、子どもたちも含めて、国際障害者デーに村の中をデモ行進しているところです。こういうのも毎年繰り返してきています。障害当事者自身も、現地では「ラリー」といっていますが、デモ行進に参加すると、村人も「なにやってんの?」という形で集まってきます。ちゃんと途中にあ るいは最後に行き着く場所として役場、役所にちゃんと行ったりして、自分たちの存在も訴えるし、そういう人たちがどういう問題を抱えて生きているのか、というようなことを大きな声で、マイクを使ってみんなに知らせていく。そういったことをずっと繰り返してきています。このように頭にかぶりものをするのがベンガル人大好きなんです。他のテーマのキャンペーンのときにも、みんなこんな感じなんですけれども。  これは(写真6)、ちょうど日本でいうと高校生の後半くらいの年代の子どもたちです。日本で言うと学士課程の、大学の学部の最初の1、2年くらいの課程までだったら、村にもそういう課程を履修できるところがあって、地元の高校生や大学生なんかの中で「障害者フレンズクラブ」といっています。こういうグループを作って、CDD研修で学ぶようなことを、PAPRIのスタッフが地元の若い世代の子どもたちに、三日間くらい時間を使ってワークショップをします。こういうことを学んだ子どもたちが、自分の身の回りに障害者がいるんだろうか、というようなことを一人ひとりが自らの課題をもって自ら設定してですね、ボランティアワークを始めていきます。それを促すような仕組みとして、こういう若い世代のグループ活動への研修も積極的に行ってきています。 現在の取り組み  現在の取り組みをまとめると大きく4つの組み立てになるかと思います。ひとつが医学的なサービスの提供ですね。その中には病院へのリファー、初期的なリハビリテーション、補装具の提供、それから他のNGOとの連携というのもあります。例えば、病院へのリファーでよくあるのは、口唇口蓋裂の患者さんを無料で治療してくれる病院が、首都のダッカにいくとありますので、実際にスタッフが同行して、手術が終わって村に帰ってくるまで付き添う、というところまで行っています。最近ですと、聴覚障害をもつ人たちを、それの専門のNGOや病院がありまして、そういったところに連れて行きます。補聴器が必要な人には、無料で提供してくれる団体も別にありますので、そういったところと連携しながら活動するとか。ほかのNGOとの連携という意味でも面白いのは、さっきの内反足の子どもが手術を受けたのも実はNGOです。バングラデシュの組織の名前としては、「Impact Foundation Bangladesh」という団体なんですが、そこがやっているプロジェクト名の1つで「ジボントリ」というプロジェクトがあります。これは病院船、船ですね、病院船を作ってですね、それをバングラ中ずっと走らすんです。一箇所にだいたい3ヶ月くらい、その周辺にとどまるんです。私も見たことあるんですけれども、大きな船なんですよ。屋根も含めると三階建てくらいの、全員乗れば100人くらい乗れるんじゃないですかね。そこに手術室もあります。資金はいろんな国際機関やNGO、他の国際NGOなどからきています。手術を格安で受けることもできますし、手術以外の普通の医療サービスも受けることができる。連れていって、内反足の手術だと、ダッカでは日本円でも10万円近くのお金がかかったりするらしいですけれども、ここだと数千円で受けられる。PAPRIが数千円、さすがにこれもあげませんが、貸してあげるということで、マイクロクレジットなんですけどね、そういった形で手術費の肩代わりをしながら、必要な人が手術を受けられる機会の提供もしています。 二つ目のコンポーネントは、障害をもつ子どもたちへの支援ということになります。これは通学支援であったり、行政や教師らとの連携が中心になります。障害者フレンズクラブの活動はここにも入ってきますし、その次の地域住民への啓発活動の中にも入ってくるわけです。PAPRIという地元に根ざした活動、その地域を拠点にしている団体が仲介役になります。障害者がまさに当事者として声をあげたくても、どうしていいかわからない。それがPAPRIが仲介役として加わるところで、いい効果が生まれてくる。こういった支援をすることで、通学ができるようになった小学生や高校生が、すでにたくさん出てきています。あとは、去年のJANNETの勉強会のテーマがバングラデシュでもあったということで、ご存知の方も多いと思いますが、バングラデシュは2001年に障害者福祉法が制定されて、一応申請すれば障害者手当てですとか、奨学金がもらえるシステムはあるんですね。実際には機能してないですけど。こういったものもPAPRIが、かなり行政とも深いパイプがありますので、「この人もらってないじゃないか」というと、すぐに出る。ということで、奨学金をもらえて高校に通えるようになった子どもも出てきているわけですね。 三つ目のコンポーネントが地域住民への啓発活動ということで、さっきの写真でもご覧いただいたようなキャンペーンであったり、あとは村芝居。これは面白いのが、障害者支援活動ということでやっているんじゃないんですが、adolescent、思春期の世代の女の子たちのグループがありますよね、あの子たちがその村芝居のテーマに障害者のことをとりあげて、PAPRIから働きかけることもあります。それをテーマに村芝居をつくって、村人に上演をして、問題提起をしていく、啓発をしていく。そういったことにも取り組んでいます。それから先程のフレンズクラブのような青少年層との連携というのがありますね。 それから「収入向上」というのが最後の四つ目のコンポーネントになります。技術研修であったり、始まっていませんが、ここ3年くらいの間にやりたいといっているのは、コンピュータ研修ですね。技術研修というのは本当に簡単なものです。ただこれも、本当にできる人にしかやっていない、ということにしかならないんですが、わかりやすいのは聴覚障害の人たちにミシンの研修を3ヶ月間受けてもらって、電気がなかなか来ていないので足踏みミシンなんですが、それを使って現金収入が得られるようになるための機会を提供する。あるいは竹細工や箱づくりの研修などですね。それも障害者本人、当事者だっていうのももちろんあるんですが、むしろその家族が今は中心になっています。その障害当事者を含む世帯自身が、収入向上できるようにと取り組んでいるのが現状です。 こういう医学的なサービスの提供、障害をもつ子どもたちへの支援、地域住民への啓発活動、収入向上という4つのコンポーネントをもって障害者への支援活動ということで、今はシャプラニールがお金を出しているんですが、PAPRIと共同でこのプロジェクトを行っているところです。直接支援をする対象者数は1,500人ということになりますが、現状ではまだ800人くらいです。今年から3年計画で、1,500人くらいを対象にしていきたいと計画しています。直接担当しているスタッフは5人になります。全員CDDで研修を受けたことのあるスタッフになります。 現在の課題と今後の方向性 最後になりますが、現在の課題と今後の方向性を簡単にまとめてみました。大きく、PAPRIとしての課題と、シャプラニールとしての課題に分けてみました。重なるものも多いんですけれども。 まずPAPRIとしては、地域内のほかのNGOともっと連携をしていかなければいけないと思っています。というのは、先ほど申し上げたPAPRIが活動拠点としているノルシンディ県という県自体はかなり広いエリアで、PAPRIはその中でもまだカバーエリアがすごく限られているわけですね。他にもたくさんのNGOが同じ地域で活動をしています。でも、そのNGOのほとんどが、障害者という視点はないままで活動しているわけです。農村開発、コミュニティ開発という視点では、似たような活動をしている団体も実はたくさんあるので、PAPRIの経験をそういった他のNGOにもシェア、共有をしながらですね。もっともっと障害者のコンポーネントというものが広がっていくような仕組みが必要じゃないか。それから収入向上活動をもっと増やして、質も量も高めていかなければいけないだろうと考えています。ローカルNGOとして、こういうコンポーネントをかなり力を入れてやっていきたいと思う以上は、やはり障害当事者自身が雇用されていくことで、もっと状況も変わっていくんじゃないかと思っています。 もちろん、専門性の強化ということも必要ですよね。シャプラニールとしてはどうか。やはり障害者支援のコンポーネントを、他の活動全体にメインストリーミングしていく必要があるだろうと考えています。特に自然災害があったときには、障害者であろうが、誰であろうが、みんな等しく被害を受けるわけで、そういったところも捉えながら、少しずつではありますが、他の全ての活動の中に障害者支援という視点をメインストリーミングしていく必要がある、というふうに認識をはじめているところです。まだ全然メインストリーミングできていないという段階ですけれども。シャプラニールとしても障害当事者の雇用も含めて、体制を強化していく必要があるだろうと思っています。そしてそれも含めた専門性の強化。これは共通していますが、こういうことをこれからの課題と、当面やっていかなければいけないこととして捉えている次第です。私からの発表は以上です。 ■質疑応答  沼田 はい、ありがとうございました。あと5分ほどありますが、PAPRIのご報告について何かご質問ありますか。 参加者:土橋 続けてすみません、JICAの土橋です。今のお話の中では「気付き」のところがすごく大事かなぁと思っています。そこでお伺いしたいのは、どうやってその「気付き」が出てきたのか、という点です。そもそもPAPRIが、最初は障害者云々ってあまり考えていない活動で、2000年以降ぐらいから、そういったような動きが出てきたと、いったようなお話だったと思うんですけれども、そのような状態からどうやって気づきが出てきたのかというところをお聞かせいただければと思います。前半のお話の中で、白幡さんご自身が学生であった早稲田大学時代に、森壮也さんとお会いになられて、そこで手話サークルに入って、いろいろな気づきがおきたと思うんですけれども、それと同じような形で、PAPRIの活動においても、いろんなことがあったのかなぁと思うので、そのあたりを聞かせてもらえますでしょうか。 白幡 PAPRIが独立したのが1999年ですけれども、それ以前からも、障害者という視点がまったくなかったか、というとそんなこともなくて。やはり目に見える存在としても、たくさんありましたし、もちろん目に見えない存在なのは、気づいてなかったという面もたくさんありますが、実はショミティのメンバーの中に、ごく一部ですけれども、障害者が普通にメンバーとして加わっていた、ということも昔からあったんです。あったんですけれども、誰もそれを意識していなかった。それをもっと進めるというようなこともまったくなかったという状況でしかなかったんですね。 それでPAPRIとして独立したころ、99年から2000年代ですが、バングラデシュ全体でも、インドのお隣ということもあって、緑の革命がかなり進んできました。要は、化学肥料の導入が急速に90年代以降広がっていて、それがもとに少し皮膚病が増えてきているんじゃないかとか、障害をもつ人も増えてきていないか、という話もあったので、少しずつ意識されるようにはなってきたと思います。 ただ、本格的に意識するようになったのは、2001年以降です。ちょうどそのころから、コミュニティアプローチということを言い始めまして。その中でちゃんと注目すべき人として、実は私の口からも、ちゃんと障害者をリストに入れなさいと言いました。パートナーではありますが、こちらも資金を出しているということもありまして。ですから、PAPRIだけじゃなくて、他のNGOでも障害者を必ずリストアップするようにはなったんです。ただその中で、パートナーは独立した団体ですので、強制することはできません。継続して取り組みたいという意思が、パートナーの側にもなければ続きませんし、あまりうるさくは言わなかったんですね。 そうするとどうなったかというと、障害者に対する支援活動をやりたいと言って、ずっと続けたのはPAPRIだけになりました。もう一箇所でも数年続いたんですけれども、スタッフのほうが盛り上がらなかった。PAPRIの方は本当にリストアップして、しかもちょうど同じタイミングでCDDの研修を受けることができた。これはすごく大きな励みになったと聞いています。取り組む中でどんどん注目されるようになっていったんです。実はPAPRI、今、開発NGOとして、障害者へかなり本格的に取り組んでいる団体として注目されるようになってきています。一昨年でしたか、新聞社が共同で30人くらいの記者がPAPRIを取材にしにきたこともあるくらいなんです。それがローカル紙も含めて、ベンガル語、英語の新聞に写真つきで、PAPRIがこんなことをしていると紹介されたりして、PAPRIとしても、これからこの分野を売りにしていきたいな、というような意識も持ってもらえるようになってきているんですね。だから今は、我々が何も言わなくても、このコンポーネントはきちっと生きているという状況になっています。 参加者:土橋 ありがとうございました。 沼田 ではこれで時間ですので前半のシャプラニールの活動の部分を終了させていただきたいと思います。このあと10分間の休憩をとりまして、筒井さんと白幡さんお二人に、住民参加についてお聞きしたいと思います。3時20分から開始しますのでまたお集まりください。