はがき通信ホームページへもどる No.98 2006.3.25.
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カウンター


も く じ
ballごあいさつ 編集委員:藤田 忠
ball「はがき通信」は貴重な情報源 千葉県:D・T
ball在宅で就労中 東京都:S・T
ballヘルパーって何? ヘルパーの立場から
ballお久しぶり! 群馬県:tetsuya
ball江ノ島釣行記 編集部員:藤川 景
ball私のパソコン入力の工夫 編集顧問:向坊 弘道
ballnarrative based helper(ナラティブ・ベイスト・ヘルパー) 東京都:K・M
ball夢の車 宮城県:A・I
ball台風の中の旅行 神奈川県:I・M
ball頸損腹はきつい 編集顧問:向坊 弘道
ball楽しい話題はないですか 鳥取県:Y・H
ball「エッ、更年期障害ですか?」 東京都:T・N
ball冬季オリンピック日本選手は頑張りました 埼玉県:S
ballハードな旅も良い、ソフトな旅も良い 東京都:K・M
ballひとくちインフォメーション


ごあいさつ

 皆さん四肢マヒ者になって色々な条件が変わり、心の変化があると思います。
 私の心の変化はというと、障害を受容して、まず福祉的行事に出かけるようになってボランティアさんとの出会いが大きなことでした。はじめは「金銭的な見返りもないのによくするなぁー」と、私の目には不思議な人としか映りませんでした。交通事故で四肢マヒ者になる前は、自分にとって得か損かの二者択一にて行動していましたが、たくさんのボランティアさんを何年も見続けていくうちに、今までの指針である自分にとって“利益になる・ならない”で行動するモノの考え方では当てはまらないボランティアという存在に気付きました。このことが生き方が大きく変わるキッカケになったと思います。
 それからは、頸損にならなければ利己的なままだったと、偶然ではなく頸損になったことも意味のあることだとの考えにいたり、それに一般的にもいわれているように人は生まれ変わるとしたら、人生80年と考えるから苦しくなるのであって、何度も生まれ変わる長い月日では、四肢マヒの生活は次にきっとつながる貴重な経験になると、とにかく頸損になったことはしょうがないので前を向いて歩こうとの考えに落ち着きました。この考えは、65号の編集委員をお受けした頃より変わっていません。
 人それぞれ色々な考えがあろうかと思います。心の内の原稿もお待ちしています。

編集委員:藤田 忠

butterfly


【特集のテーマの募集について】


今年の長期天気予報によると猛暑が予想されるそうです。
 ということで、次号・99号の『特集のテーマ』は、
「猛暑に向けての暑さ対策法」
に決定いたしました。
 室内対策・外出対策に分けて募集したいと思います。両方、どちらでもかまいません。
写真+短い説明文でもけっこうですので、ぜひドシドシご投稿ください。よろしくお願いいたします。



 締め切り:4月30日まで!




 「はがき通信」は貴重な情報源 


 初めてお便りします。東京の本郷というところで、小さな出版社をやっています。2004年1月、台湾の高速道路で事故に遭い、C4の頸髄損傷となりました。台湾で手術を受け、30日後帰国。その後、4つの病院を転々とし、昨年2月に退院しました。入院中から仕事のほうが気がかりで、何度となく「いつになったら退院できるか」と医師に尋ねましたが、異口同音に「人によって違うから」とか「部位によって異なるから」と答えるばかりで、本当のことはさっぱりわかりませんでした。
 同じ病棟は脳卒中の人ばかりで、常に何人かのグループが集まって情報交換をしていましたが、頸髄損傷は私ひとり。初期のうちに誰かに聞いた「1年もすれば職場復帰できる」という言葉をただひたすらに信じ、毎日毎日、電動車椅子の練習ばかりしていました。受傷4カ月くらいから体調も次第によくなり、昨年1月ごろまでは順調に回復を続けていました。ところが2月ごろからの強烈な寒波で、からだがすっかり氷漬けのようになりました。自律神経失調症、過反射、血圧の乱高下などの後遺症がますますひどくなりました。1日も早い職場復帰を考えていたのに、まったく情報がなくひとりで悶々とする日々が続きました。
 ある方に松井和子先生の『頸髄損傷』(医学書院)という本を教えていただき、うちのものに探してもらいました。なんと版元はうちの会社の斜向かいでした。(ちなみに私が買ったものが最後の在庫でした。増刷を希望します)
 目からウロコという感じで、いっぺんに情報が流れこんできたような印象です。この本の中で「はがき通信」の存在を知りました。今では「はがき通信」を貪るように読んでいます。bX0だったか、島根県のMさんという方が「ほとんど情報がない」と投稿されていたのが痛いようによくわかります。こうして私がマイクをとる(音声入力)ようになったのもMさんの影響かもしれません。
 「はがき通信」の歴史を読むと必ずしも順調に進んだのではないことがわかりますが、われわれのようなものには貴重な情報源です。どうぞ、頑張って続けてください。

千葉県:D・T



 在宅で就労中 


 私は中学2年生のときに部活中に受傷して、1年間の入院・リハビリの後、中学に復学し、その後近くの都立高校に進学しました。将来は働き経済的に自立したいという夢を持ち、また社会的な知識を身につけたいということも含めて大学に進みました。いざ就職活動を始めようとしたとき、当時ハローワークなどへ見に行っても「公共の交通手段を使い自力で通勤できること」これがすべてでした。いまでは電動車椅子を使って行動できていますが、当時はまだそれほどバランスも良くなく一人で外出することが難しかったですし、また交通機関を使っての通勤にも厳しいものがありました。それから、毎日の通勤には体力的に自信が持てないという不安も大きかったです。自分にとってどういう形の就労であれば可能なのかということで思い悩みました。どうしたら良いのかと途方にくれていたとき、病院のケースワーカーの先生から東京で重度障害者向けに在宅就労を目指した在宅でのパソコン教育を行っている機関があることを紹介していただきました。パソコンを使った在宅での就労が可能なら自分にもできるのかもしれない。わらにもすがる思いですぐに連絡を取り、翌年の試験を受け、受講することができました。私はまだ大学4年生が残っていたのですが、大学に在学中の人でもかまわないということでしたので、大学に通いながら2年間、講習を受けました。
 2年間の講習は在宅で行いました。そこで情報処理の資格取得を目指した勉強やオフィスソフトの基本的な使い方、ビジネスマナーなどを含めて学びました。講習での質問、回答、課題の提出などはネットで行っていたので、自分のような障害を持っていてもパソコンとネットを活用すれば在宅で仕事ができると希望を強く持つことができました。
 2年間の講習が終わりに近づいて再び自分で就職を探しましたが、2年経っても状況は大して変わらず、自力で通勤できること、やはりこれがネックでした。講師の先生から、在宅勤務制度を立ち上げて半年ぐらいたった現在の会社を紹介していただき、1999年、講座の修了と同時に入社することができました。当時、在宅勤務者は私を含め5人でしたが、現在20名を超える在宅勤務者がいて一緒に働いています。私の勤務形態は、勤務時間は9時から17時の7時間勤務ですが、週1回訪問看護サービスを利用しており、訪問看護サービスを利用する曜日のみ10時から18時の7時間勤務と、フレキシブルに対応させてもらっています。通院は、私の場合は1カ月から2カ月に1度、半休の制度を利用して通院しています。他のメンバーも、半休や年休制度を利用して通院しています。
 私の業務の9割近くがホームページ製作です。ホームページの分量により、1人で行う案件もありますし、比較的大きな規模のホームページ作成の場合は8人などチームを組んで作業して、私がディレクターとして取りまとめを行ったりもします。チームの全員が在宅なので電話とメールをうまく使い分けながら指示・連絡などやりとりをしています。勤務中、上司や同僚とメールや電話で頻繁に連絡を取り合うので、在宅で仕事をしていても孤立感を感じることはほとんどありません。
 在宅勤務制度を利用するには、健康面を含めた自己管理が絶対に不可欠だと思っています。自己管理なしに在宅勤務はできないと考えています。気をつけていても体調を崩すこともありますが、在宅であればすぐに横になったり対処することができるので早めの回復が可能になり、仕事への支障は抑えることは抑えられます。まだまだ在宅勤務制度を取り入れている企業は少ないです。在宅勤務制度を取り入れる企業が増え、雇用の機会が広がるようになることを期待します。
 私は今、両親と暮らしており、主に両親に介護をしてもらっていますが、最近支援費サービスを申請し、今、サービス事業者を選んでいるところです。身内ではなく外部の介護サービスを利用するときは、どうしても仕事との時間調整が必要となります。仕事と介護サービスをうまく組み合わせる方法を模索中です。在宅就労で体力的な負担は軽減できますが、外出する機会が減るため週末はできるだけ外出してリフレッシュするようにしています。仕事だけでなくプライベートでも充実した生活となるようにしたく思っています。

東京都:S・T



 ヘルパーって何?(ヘルパーの立場から) 


 ヘルパーとは何だろうか。友達? 家族? 黒子? 先生? 空気? 私はいやおうなしに彼の生活に入っていく。私に置き換えてみると、今の生活にヘルパーは必要でないものであるから、嫌になるであろう。しかし、私は彼の生活に土足で入っていくわけではない。それなりの心構えを履いてお邪魔する。この心構えって、何の心構え? 私はヘルパーとしての心構えだと思う。具体的には、挨拶をする、守秘義務、彼の家のものを盗まない、彼を殴らない等々、数え切れないぐらいにある。その心構えがあるから、彼の生活に入っていけるのだと思う。だから私は、ヘルパーは友達でも、家族でも、黒子でも、先生でも、空気という位置でなく、ヘルパーという位置にいるのだと思う。
 ヘルパーの形や立場は、TPOとお客様別に流動的でコレといったものが定まっていない。臨機応変に変えていくしかない。よってヘルパーを私なりに定義づけると、ヘルパーとはユーザーにとってヘルパーであり、介助のプロはもとより、私が思うヘルパーとは流動的なコミュニケーションのとれるプロのことをさしていると思う。(ヘルパー・A)                     

                                  

 私は、誰かに必要とされるような仕事がしたかったのでこの仕事に就きました。働き始める前は服装や髪形が決められていて、なんとなく地味なイメージでした(実際そんなことなくて安心!!)。初めは仕事に慣れることでいっぱいいっぱいで、頭で考える余裕がありませんでした。働き始めて6ヶ月、自分の考えを持つのは難しいことなんだなーと思いました。
 ヘルパーの仕事は決められたことや頼まれたことをしているという感じで、それに対して未だに疑問を持ったり考えたりすることができません。何も考えないで毎日過ごしているのかな? と思うと少し悲しくなるけど、これからいろいろ経験していって、変わっていくのかなぁ……とも思います。これから小さいことでも疑問を持って、考え、自分の意見を持てるようになっていきたいなーと思います!!(ヘルパー・B)

                                  

 考えても全然分からない。分からない仕事をもうずーっとしている。矛盾している。臨機応変に対応して今までなんとかやってこれたと思ってる。嫌なコト、めんどくさいコト、うれしかったコト、楽しかったコト、いっばいあった。今までやってきて、ヘルバーって仕事は好きではないけど嫌いでもない、のに続いてる。何でだろう??
 例えるなら、人間は体の構造を自分で熟知していないのに生きている。どーゆう仕組みで体が動いているかなんて考えても分らない(勉強すれば分かると思うけど……)のに生きている。生きていけてる。変な例えかな……。ようするに深く考えたって始まらない! 考えないのもよくないけど!
 この仕事は体力的な疲れもあると思うけど、精神的な疲れも大きいと思う。しかし、毎日違うヘルパーがきたり、ヘルパーがいないと生きていけない人たちに比べればそんな疲れもないに等しいのかもしれない。が、いい意味で私たちも消化していかないとパンクしてはれつしてしまう。消化のしかたも難しい。あやふやなまま消化してしまうか、ちゃんと消化できるか……。結局、どこかなぁなぁでヘルパーという仕事をしている部分もある。
 こんなんでいいのか? と思いながら日々こなしてる自分がいる。パーフェクトにはなれないし、なれないと思ってる。こういう考えをもつ時点で自分はヘルパーにむいていない。みんなも同じことを考えたことがあるのではないだろうか?? ヘルパーって何? 考えたら負けかな……。ヘルパーってのは自分なんかじゃないかな!!(ヘルパー・C)

 [JIRITAMA事業所さんの機関紙“よむたま”から転載]

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