はがき通信ホームページへもどる No.97 2006.1.25.
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カウンター


も く じ
ballごあいさつ 編集顧問:松井 和子
ballふうせんバレーボール 福岡県:白田 正一
ball今年の創作四字熟語 佐賀県:中島 虎彦
ball事故後の10年を振り返って A・M
☆ 特集!「パソコン入力の工夫」
ball割り箸マウススティックとテンキー 新潟県:T・H
ballハンズフリー・キーボード「Lucy」 F.L.C:金子 寿
ball光で入力 編集部員:藤川 景
ballマウススティックでのパソコン入力について 編集委員:麸澤 孝
ball腕をつるバネ付き装具+マウススティック 石川 清重
ballパソコンのステック1本操作術 福岡県:Y・I
ballマウスの代わりにトラックボール 福岡県:M・K
ball「らくらくマウスU」使用感 福岡県:Katumi
ballマウスにキャップを貼り付ける 編集委員:藤田 忠
ball消しゴム付鉛筆+スポンジ付マウス 編集部員:藤川 景
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ball膀胱瘻にしている方へ(続報) 編集委員:瀬出井 弘美
ballバンクーバの新市長に頸損のサム・サリバン氏 編集顧問:松井 和子
ball呼吸筋麻痺者の喫煙行動と医療職の禁煙指導に関する研究 国立看護大学校:M・M
ballひとくちインフォメーション


新年のごあいさつ

 2006年の新年を皆さん、いかがお迎えですか。

 「はがき通信」も今回で97号です。年6号発行ですから、すでに16年、今年9月、慣例となった交流集会には101号となります。途中、なんどか発行継続の危機的状況に陥りそうになりました。100号もひとつの通過点ではありますが、編集発送に携わる皆さん始め、通信を寄せられる方々の熱意でここまで継続してきたと、100号には特別の感慨があります。今年の交流集会は広島だそうです。広島の皆さん、大変でしょうけど、懇親会は100号を祝う会としても良いかもしれませんね。
 「はがき通信」は当事者の通信だからと、現職の多忙にかこつけて一歩、二歩退こうとすると引き戻されてきましたが、昨年、向坊さんの入院や編集委員の重荷軽減を契機に私も消極的対応改め、定期的に通信を出すことにしました。国内の情報のみでなく、できるだけ海外の有用な情報を紹介していきたいと、情報収集のネットを意識的に張り巡らすようにもなりました。
 ところが、いつも情報を収集する一方だったバンクーバから昨年11月、問い合わせがありました。上野久仁子さんを通じてポリオ後遺症でベンチレータ使用のジャネットさんから「自動吸引装置」(95号)のカタログがほしいと依頼されました。彼女は喘息のため、比較的吸引頻度が高く、悩んでいたようです。上野さんから「はがき通信」で紹介された自動吸引装置の開発情報を聞き、ぜひとも詳細な情報がほしい、翻訳してくれる友人がいるので日本語でも良いとのことでした。さっそく絵入りで解説した文献を入手し、バンクーバまで郵送しました。即、悩みを解決できる情報でなく、ジャネットさんはがっかりしているかもしれませんが、人脈の豊富な方ですから、その情報をもとに新たな展開が期待できるかもしれません。

 みなさん、今年も「はがき通信」で積極的に交流しましょう。よろしくお願いいたします。


編集顧問:松井 和子

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 ふうせんバレーボール 

C6.7、頸損歴33年、56歳

 はじめまして白田と申します。私は、ふうせんバレーボール振興委員会の事務局をしています。

 1989年冬、北九州で「重い障害のある人も一緒にできるスポーツがあったらいいな……」、そんな一人の障害者の“つぶやき”から“ふうせんバレーボール”が生まれました。


●サポートする側とされる側の息のあったネット際ギリギリのプレー
 「第16回全国ふうせんバレーボール大会」
  11月6日(日)・北九州市立総合体育館

 これまでのハンディスポーツは、障害のある人たちだけでプレーするものだったり、自分の意思や自力で動けない人が参加できるものがほとんどありませんでした。そこで、これまで病院や施設、障害者関係の団体などでリハビリやレクレーション・行事として行われていた『ふうせんバレーボール』をアレンジし、誰もが参加できるスポーツ『ふうせんバレーボール』を考案しました。
 これは、障害のある選手(ハンディプレイヤー)3名と、障害のない選手(アドバンテージプレイヤー)3名とでバドミントンコートを使用し、直径40cmの風船を打ち合うというものです。ボールが自コートに入ってから、チーム6名全員がボールにタッチし、10回以内で相手コートに返します。


●ハンディプレーヤーが打ったボールが横にそれ、アドバンテージプレーヤー(健常者)が必死でカバーしている。

 ふうせんバレーボールとは、障害のある人も、障害のない人も、子どもも、高齢者も一緒に楽しむことができる全員参加がモットーのスポーツです。
 11月 6日(日)に北九州市立総合体育館において行われた「第16回全国ふうせんバレーボール大会」の様子がテレビ大阪「ボランティア21」から1月上旬に全国放送されたので、見ていただいた方も多いかと思います。ふうせんバレーに関しての興味がありましたらぜひお問い合わせ下さい。


●介助なしで打てるハンディプレーヤー


白田 正一

 [問い合わせ先]
 ふうせんバレーボール振興委員会・事務局
 〒808-0143 北九州市若松区青葉台西3-14-2
 TEL & FAX: 093-741-6216
 E-mail: nihon-fusen.salie@trust.ocn.ne.jp


 「ふうせんバレーボール振興委員会」
 http://www13.ocn.ne.jp/~fusen238/

 「TVO テレビ大阪・ボランティア21」
 http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/v21/


 今年の創作四字熟語 


 今年も残り少なになりました。そんな時節柄、恒例の住友生命の公募する創作四字熟語が発表されていました。「大株主命」「セパ琢磨」「薄衣多売」「郵刺客者」などが入選していました。
 しかし自称「へのもへ流」の家元としては(笑)、あまりめぼしいものがなかったですねえ。あまりにも大きな事件事故が多すぎて、的が絞りにくかったのかもしれません。
 私も今年、ギャグがらみで作ったものがいくらかあります。

罰監視国、小泉激情、農政麻痺、妄想地区、爺婆産業、古代妄想、憲法窮状、用心震災、植物性淡白、植物的人間、亭主淡白、胴長嘆息、新党滅却、東北楽天銀行、愛知急迫、後任会計士、六本木蛭s族、デマ交信、大越冬、皇室こ典範、粘菌生活者、などなど。

 こちらのほうがピリリとしてるじゃないかと思うのは欲目かしら(笑)。こうしてみると、今年も言葉遊びを楽しませてもらいましたなあ。来年は私も応募してみようかと考えています。人をクスリと笑わせるのは何よりの楽しみです。
 ちなみに私のホームページでは「虎の穴」を新設しました。なかなかご好評いただいてます。

佐賀県:中島 虎彦 E-mail: henomohe@po.ktknet.ne.jp
 「障害者の文学」 http://www.ktknet.ne.jp/henomohe/ 



 事故後の10年を振り返って 

頸髄損傷C-3不全ほぼ完全に四肢麻痺、妻と子供2人の4人家族、ヘルパーと妻の介護で自立

 痛い、しんどい、つらい、死にたい、と言いながら時を過ごして10年目の年ももう後わずかで明けようとしている。
 毎日寝返りもできず、金縛りのような状態でよくもまあ、生きてこれたものだ。振り返ればこの10年いろいろあった。事故後の急性期の1年間はおしりにできた床ずれの治療での病院生活。その後リハビリセンターでの1年間のリハビリ。やっと家に帰れたがテレビ以外何もできることがなく、暇つぶしに覚えたパソコン。しかしこのパソコンのおかげで自分のそれからの生活が一変した。「はがき通信」に出会い、頸損連絡会の存在を知り入会、おかげで勉強会や親睦会などで外出する機会も増え、事故がなければ一生出会いがなかったであろう全国の人たちとも知り合いになれたことは、事故後のつらい生活の中でのせめてもの幸せであったと思う。おまけに横浜や福岡、小倉、ハワイなども旅行できた。
 「はがき通信」で右近氏や森さんを知り、小樽までリハビリの教えを受けに行き、その後、今に至るまでヘルパーさんにきてもらい妻と3人で体を動かしたりして毎日の生活に変化と充足感を感じるようになった。
 しかし、すべてスムーズににきたわけではない。分けのわからない痛みを押さえるために脊髄の神経に電気刺激の装置ををつけたが、あまり効果が出なかったので1年後にはずした。また、リハビリの最中に誤って大腿骨を骨折した。などいろいろのアクシデントでつらい入院もした。いまだに健常者であれば我慢ができないであろうと思われる痛みやしびれと毎日戦っている。治療できないとわかっているので痛くても我慢できるのだと思う。
 今年5月ごろスペイン映画で「海を飛ぶ夢」を見た。主人公は自分と同じレベルの頸損で、車イスに乗ることを否定して、作詩やクラシック音楽などで毎日を寝て過ごしていた。唯一の楽しみが夢の中で昔仕事をしていた海の上を飛ぶことであった。その彼が二十数年の頸損の生活の中で到達した結論は、人間には生きる権利があるのだから当然死ぬ権利もあるだろうということであった。それで彼は尊厳死をかけて裁判を起こす。裁判は負けてしまう。尊厳死は否定される。そこで知り合った女の弁護士に恋をする。しかし、悲しいかな、わずか10cm先の彼女の手に触れることもできない自分を再認識する。結局彼女とも別れる。
 その後いろいろ物語は続くが、最後に彼はボランティアにきていた女性たちの助けを借りて毒物を飲んで自害する。自殺の背景には介護してもらうことで兄夫婦や甥などの生活を犠牲にしているという負い目などもあったと思われる。
 この映画は見る人のおかれている立場で、見方や見た後の感じ方も何通りもあると思う。自分は当事者として、また妻は介護者として……など。
 自分は事故をしたのが47歳で、それなりの人生を送ってきて、これからの生活などを考えると、この主人公の言う「死ぬ権利もある」ということにはある程度共鳴できると思う。金縛りの何もできない状態でベッドや車イスに縛られ、食事や排泄まで人に頼らねば何もできないことは、生きていてもつらいだけである。ましてや、我慢できない痛みもある。セックスもできない。こんな状態でも生きて行かねばならないのだろうか。という思いである。このように思うのも事故までの生活に満足してのことだと思う。
 喜怒哀楽、したいことはほとんどした。故に、今死ぬということに恐れも怖さもない。いつ死んでもよいという思いがいつもある。しかし、このことには反対意見もあるだろうが私ごととしてお許し願いたい。それに、毎日離れずつらい介護をしてもらっている妻にはすまない気持ちもある。
 もうすぐ新しい年が明けてまた、悶々とした月日を重ねていくと思う。しかし、何カ所か旅行もしようと思う。気晴らしに海外にも行ってみたい。許されるなら、もう一度元気に大地を走り回ってみたいものである。前向きに明るく生きていこうと思うのだが、何一つ自分でできないので、ついつい暗い方に行ってしまう。なんだかんだでまた1年が過ぎてしまうのであろう。

A・M E-mail: am-masa@m5.kcn.ne.jp

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