はがき通信ホームページへもどる No.92 2005.3.25.
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 〈体重測定法〉と〈さしあげます〉 

C5受傷18年、56歳

 体重と肺活量を計りたいと長年思い続けてきたのですが、やっと体重測定に成功したので、報告します。
 ① 同じ体重計を4つ買う(ネットで1万1000円)。
 ② 4つ並べ、その上にシャワーチェアを乗せる。
 ③ その上にホイストで自分が乗る。
 ④ 4つの体重計の数字を合計。そこからチェアやベルトなどの重さを差し引く。
 1回でうまくいきました。
 肺活量を計る方法をどなたかご存じありませんか。器械で計るのが一番でしょうが、病院に聞いても置いてない。受傷直後の測定では800ccでしたが、その後どうなっているか知りたい。

 <さしあげます>
 エアマット、モルテンのアドバン。100×195センチ。
 1年半使用。故障ではありませんが、空気の出入りのたびにマットがブツブツいうので、音が気になる人には不向き。送料着払いで。
編集委員:藤川 景 E-mail: CQN03007@nifty.ne.jp


 全国ホームヘルパー広域自薦登録協会のご案内 


 自分の介助者を登録ヘルパーにでき、自分の介助専用に使えます。(対象地域:47都道府県全域)介助者の登録先の事業所のみつからない方はご相談ください。いろいろな問題が解決します。
 全身性障害者介護人派遣事業や自薦登録ヘルパーと同じような登録のみのシステムを、支援費ヘルパー利用者と介護保険ヘルパー利用者むけに提供しています。自分で確保した介助者を、自分専用に制度上のヘルパー(自薦の登録ヘルパー)として利用できます。介助者の人選、介助時間帯も自分で決めることができます。全国のホームヘルプ指定事業者を運営する障害者団体と提携し、全国でヘルパーの登録ができるシステムを整備しました。介助者時給は、今までの制度より介助者の給与が落ちない個別相談システムです。

 <利用の方法>
 広域協会 東京本部にFAXか郵送で介助者・利用者の登録をすれば、翌日から支援費や介護保険の自薦介助サービスが利用可能です。東京本部から各県の指定事業者に業務委託を行い、支援費の手続きを取ります。各地の団体の決まりや給与体系とは関係なしに、広域協会専門の条件でまとめて委託する形になりますので、すべての契約条件は広域協会本部と利用者の間で利用者が困らないように話し合って決めます。ですから、問い合わせ・申し込みは東京本部におかけください。
 介助者への給与は介護型で時給1,500円、家事型1,000円、日常生活支援で時給1,300〜1,420円が基本ですが、今までの制度の時給がもっと高い場合には今までの時給になるようにします。また、夜間の利用の方は時給アップの相談にのります。介助者は1〜3級ヘルパー、介護福祉士、看護師、日常生活支援研修修了者などのいずれかの方である必要があります。ただし、支援費制度のほうは、14年3月まで自薦ヘルパーや全身性障害者介護人派遣事業の登録介護人として働いている場合、県知事から証明が出て永久にヘルパーとして働けます。2003年4月以降新規に介護に入る場合も、日常生活支援や移動介護であれば20時間研修で入れます。
 詳しくはホームページもご覧ください。
 http://www.kaigoseido.net/2.htm
 自薦介助者にヘルパー研修を実質無料で受けていただけます。
 広域協会の利用者の登録介助者向けに、障害当事者主体の理念の3級ヘルパー通信研修も行なっております。通信部分は自宅で受講でき、通学部分は東京などで3日間で受講可能です。3級受講で身体介護に入ることができます。
 日常生活支援研修は東京会場では、緊急時には希望に合わせて365日毎日開催可能です。2日間で受講できます。東京都と隣接県の利用者は1日のみの受講でかまいません(残りは利用障害者自身の自宅で研修可能のため)。
 日常生活支援研修受講者は全身性移動介護にも入れます。3級や日常生活支援の研修受講後、一定時間(規定による時間数)介護に入った後、参加費・交通費・宿泊費を全額助成します。

[問い合わせ・申し込み]
 フリーダイヤル:0120-66-0009(受付:10時〜22時)
 全国広域協会(略称)



【私も利用しています】
 私も全国広域協会にガイドヘルパー登録し、現在は、広域協会と提携している横浜の頸損の男性が運営している事業所と契約しています。
 横須賀には、支援費制度前からガイドヘルプの肢体障害者自薦ヘルパー登録制度がありましたので友人になってもらい、支援費制度に合わせて2級のホームヘルパーの資格も取ってもらいました。
 支援費になってからも登録だけができる事業所を制度が始まる前から探していたところ、現在の全国広域協会の存在を知り、「ここだ!」と思いました。時給もそれまでの横須賀市からの時給のほうが高かったので、相談に乗ってもらいました。
 気の合った友人を自分の介助者として登録ヘルパーにでき、自分の介助専用に利用できるというのは時間や外出日等の融通が利き、精神的にもとても楽で助かっています。  
瀬出井 弘美(編集委員)


 利用者無視の勝手な事業所(その後) 

独居、高齢障害者

 先号に、投稿文章を書いている間にも、04年9月に救ってくれた事業所が9月〜10月は順調だったのですが、我が家に主として来ていたヘルハーが11月に入って1週めに追突事故を起こしてしまいました。100%本人の過失で、自動車には1年間乗れません。それでも、バスと自転車で我が家には来ると言ってくれるのですが、やはり無理で休みが増えて来ました。事業所もヘルパー募集までしてくれました。
 そんな中に60歳定年で、施設を辞めてヘルパーに逆戻りしましたという人がいました。11月末から12月末まで入ってくれたのですが、仕事がなく生活ができないと言い、辞めてしまいました。でも、私のことを考えると胸が痛む、困った時は電話して下さい、と電話番号を残してくれました。そして、正月1〜2日に、そのヘルパーさんが元の事業者に無理矢理に頼まれて入ってくれました。
 この時に、この人の所属する事業所に変わる決心をしました。ケアマネージャーにもそのことを知らせました。元の事業所も、新しく入ってくれる事業所も了解です。と聞いて精神的にも緊張が解けたのか、4日の夜から高熱が出ました。主治医の所に、しんどい身体を押して行きましたが原因がわかりません。ドクターも困り、解熱剤を頓服として出して様子を診ることに。5日の夜も高熱が出ました、二日も朝が起きられないのは始めてです。訪問看護が入ってくれて左足の付け根から、太ももの裏がわが赤く腫れて堅く、熱があるとわかり、さっそく主治医の往診で抗生剤の点滴と、飲み薬です。1月11日まで家で頑張りましたが、腫れは左足全体に広がり、午後に入院と決まりました。
 と同時に、不思議なことに天井から吊して使用するリフト(パートナー)のワイヤーが上下しなくなりました。平成3年から毎日2回以上は使用して14年間よく働いてくれました。レールはしっかりしているので、本体だけ取り替えれば良いと軽く考えてタクシーで病院へ行くと踵に古い褥瘡の瘡蓋(かさぶた)があり、そこから、MRSA(耐性黄色ブドウ球菌)が入り足が腫れ上がっているらしく、瘡蓋(かさぶた)を切開して隔離病室へ。それにしてもMRSAに侵されると、とんでもない高い熱が出る、皆さんも気をつけて下さい。入院中は車いすに乗ることも許されず、麻痺のひどい肩、腕の筋力が落ちるのが心配でした。
 リフトは古く5年前で製造中止、部品もなくレールも新しい物に替えさせて欲しいと言う。見積を見てガックリ、懐を寒風が通り過ぎる。でも、退院までに仕事は済ませる約束で仕方なく承知をする。1月29日に帰りました。リフトは小さくスマートになってはいるものの、一人で操作するのは非常に難しい。仕方なく、朝も車いすの移乗に10日間ヘルパーさんに入ってもらいました。その間に何とか一人で移乗できる方法を工夫して、現在では大丈夫になりました。
 本当に大変な1年間でした。懇親会にはぜひ参加したいと思っています。楽しい目標が一つでもあれば、頑張れますから。
鳥取県:H・Y E-mail: hy-0025@ncn-k.net


 外泊許可問題 

48歳、C4、頸損歴13年目、施設8年目、人工呼吸器、電動車椅子使用

 私は療護施設で生活しているのですが、施設介護員の付き添いのない=個人で計画する外出・外泊の場合、施設で用意している様式の「外出・外泊届」と「誓約書=事故が起きても一切施設の責任は問いません。」を施設に提出しています。
 2004年の5月と6月に各1件の外泊旅行を計画したのですが、施設は私の「外泊届」を受理できないと言います。翻意(ほんい)してもらおうと交渉しましたが、最終的には外泊旅行を断念せざるを得ませんでした。この時点での理由は、誓約書があっても事故があれば施設が社会的に「責任」を問われるからというものでした。私の名前の誓約書が無意味だということになってしまいます。
 個人計画の日帰りの「外出」については5月以前から許可されており、回数は3回、距離的には車で片道3時間の所まで外出の実績がありました。
 「外泊」についても、施設介護員が旅行計画を立てて付き添ってくれる「施設行事」については、2003年10月に「受傷後初めての1泊旅行」(はがき通信84号に掲載)をすでに経験しています。
 また、施設は家族同伴ならば外泊を許可すると言います。しかし、私の場合、私が施設に入る前に私の介護をしてくれた両親はずっと病床にあり、もはやあてにすることはできません。一方、姉は私の介護の経験もなく吸引をしたこともありません。姉は車で2時間以上かかる=気軽には来られない所で生活しており、自分自身にも重度障害の子供がいて自由に動ける時間は極めて限られ、私の外泊に付き添ってもらうことも、そのために吸引の指導を受けてもらうことも、私の心情的にも頼めるものではありません。家族同伴の条件は私にとっては実質上の外泊NG回答です。また、支援費制度になって、本人と施設との契約になったのですから未成年者でない場合、家族の関わりは契約の立会人程度にとどめて欲しいと思います。
 しかし、支援費制度になる前の措置の時代のことですが、当施設では家族のいない人の外泊を認めているという実績があるそうです。その場合も私と同様、自分自身で付き添いを手配しています。障害の違いによる安全に対するリスクの違いがあると考えるならば、さらに実績を積み上げるべきなどの提案があるはずですがそれもありません。その場合との差異は、人工呼吸器・吸引ということがあるので、「責任」の問題と言いつつもやはりここはいわゆる「医療的ケア」がネックになっているのではないか? しかし、この時点で、このことを確認することは時間切れでできませんでした。施設は本音をなかなか明らかにしてくれません。
 以下には参考として、6月の外泊計画に当たって施設に提出した「私の外泊のリスクについて」の意見内容を転記します。
 「私は肩呼吸が大きいので、人工呼吸器をつけなければ眠ることができませんが、仮に人工呼吸器が外れても自発呼吸があるので、眠れないだけで呼吸困難になることはありません。一般に全国報道までされる人工呼吸器事故の場合は、24時間使用しなければ生命維持が難しいケースで人工呼吸器が外れたというものですが、私の場合の人工呼吸器は、明るい所で眠れない人のためのアイマスクに相当します。
 私は、2003年10月に施設行事=1泊旅行で、受傷後初めての外泊を経験しました。人工呼吸器を携行し、夜間使用しました。この時の付き添いは施設介護員でした。夜間、施設介護員は人工呼吸器のアラームが鳴ったら十分聞こえる隣室で待機し、時間になると私の部屋を見回ってくれて、3時間毎に体位交換を、また適時4回吸引を行なってくれました。
 今回、私の個人計画の外泊については、付き添いの人に人工呼吸器のアラームが鳴ったらすぐ聞こえる隣のベッドで休んでもらい、必要と思われる時刻をあらかじめフロントに告げておき、フロントからその時刻に電話を入れてもらって、体位交換等の処置を行なってもらおうというもので、リスクについては上記2003年10月並みに配慮しているつもりです。」
 5月、6月の外泊旅行が断念に至ったのは、普段からの施設との話し合いが不足していることも一因と考え、その打開の切り口として「ケア会議」の開催をお願いしました。紆余曲折(うよきょくせつ)あって、ようやく9月に開催にこぎつけました。
 しかし、ケア会議においても、外泊についての「家族同伴の条件」をはずすことはできませんでした。外泊を許可できない理由として、施設側はこの時には「人工呼吸器、吸引の問題」「24時間のコール対応の介護体制等」「事故時の責任の所在」の3点を上げています。
 「人工呼吸器、吸引の問題」=「医療的ケア」は、日常、施設介護員が行なってくれており、個人計画の外泊で第3者に行なってもらうとしても、施設介護員も第3者に当たり法的には同列であり、外泊を許可できない理由としては不適当です。また、私が個人でお願いする付き添いは施設退職介護員と外出等で私の吸引の経験を有する人であり、安全面でも同列と考えます。
 これを理由にされてしまうのは、医療的ケアについての国の法律解釈の矛盾=在宅ALS患者に限って第3者による吸引はOKで、他の疾病についての判断はあいまいなまま残している等(「吸引問題考」参照=はがき通信81号に掲載)=が大本の原因と考えています。他の疾病についても第3者による吸引を早く解禁してくれることを望むものです。
 「24時間のコール対応の介護体制等」については、夜間のコール対応について、施設行事の時と個人で計画する時で差異がなければいいと推定されます。5月、6月の計画では、前記の通り、私はそういうふうに計画したつもりですが、施設側からの具体的な問題の指摘はありませんでした。これについては、問題点の確認がさらに必要のようです。
 もうひとつ「事故時の責任の所在」という点については、5月の時点で施設は役所に問い合わせ「施設の責任問題を考えるべき」という回答を得ています。しかし、尋ね方として、人工呼吸器を使っていて、吸引が必要とだけ言えば、私自身を見ていない役所がそう言うのも十分ありうることです。一方、いったんNG回答を役所から得てしまった以上、役所の回答を変えてもらわない限り、施設もNGを覆すことができなくなっているというのが現状なのかもしれません。
 しかし、話し合いの場において「他の施設で許可していないから」とのコメントがあり、「人工呼吸器・吸引という医療的ケアを行なっている施設間で連絡を取り、該当者の外泊は家族同伴でなければNGという<歯止め>を設けている。」というのが、本当の理由のように思われます。
 外泊許可問題は今後の課題として残されました。そのため、本来宿泊したいと思っていた9月の9年半ぶりの首都圏=東京新宿行きも日帰りに変更しなければなりませんでした。朝6時に施設を出発〜夜7時帰着=かえって疲れます。また、はがき通信懇親会(2004年は10月京都)への参加の夢も2005年以降に持ち越されたのでした。
 以上ですが、私の考え違いのご指摘も含めて、皆様方のご意見、ご感想、ご助言をいただければ幸いに存じます。
 2005年2月1日記
新潟県:T・H E-mail: th36th@hotmail.com
 3A+Aのページ: http://www.h4.dion.ne.jp/~the-36th/


 なるべく毎日を楽しく 


「はがき通信」の皆様、いかがお過ごしでしょうか。今年は例年になく雪の舞う日が多く、一段と寒さが感じられます。A型、B型とインフルエンザも同時に流行し、大変なこととなっています。日々の生活の中でも十分に気をつけております。お陰様で今のところ、主人も私も何事もなく元気に過ごしております。
 今年はお正月に病院通いもなく、静かな新年を迎えることができました。通信のかたからはお年賀をたくさんにいただき、嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。家族そろって元気に過ごせたことに幸せを感じた今年、2005年のお正月でした。
 昨年12月、年に一度の総合健康診断において、主人は初めて糖尿病検査で123mg/dl、ヘモグロビンalc6.1という数値が出て、糖尿病の疑いと言われてしまいました。このようなことは今までにはなく本当にびっくりし、ショックでした。担当医から、しばらく検査を受けながら様子をみるということで薬は出ていません。運動ができないことでカロリーオーバーになり、このようなことになってしまったと言われました。脳梗塞から今度は糖尿病の疑いなどと、次から次へといろいろ心配なことが増え、私は気持ちの休まることがありません。今のところ、なるべく甘い物を控え、車いすでの生活の中でできる範囲で立ったり、座ったり、膝上げ運動をしたりなど動くように気をつけています。本格的な糖尿病にならないように願うばかりです。
 まだ病院から薬は出ていませんが、現在5種類もの薬を飲んでいます。今後少しずついろいろなところに病気が出てくるのではと、不安を感じている私です。なるべく毎日を楽しく、明るい話題に話を向けていかなければと考えています。
 最近久しぶりに家中で楽しめたことは、2月9日、埼玉スタジアムで行われたサッカー2006年、ドイツワールドカップ・アジア最終予選の第一戦、日本対北朝鮮の試合でした。想像以上に厳しい試合でした。日本は前半4分、小笠原選手により先制のゴールを決め、点を取ることができました。61分に北朝鮮ナムソンチョル選手により1点を決められ、同点となりました。しかし、後半のロスタイムに途中出場の大黒選手により決勝点を決め、2対1と日本は勝利することができました。2002年、日本で行われたワールドカップの時に家中で応援した日のことが思い出されました。また今年も5月に、ウィーン少年合唱団コンサートへも行く予定です。楽しいことがたくさんあるように、いつまでも元気で頑張ってほしいと願っています。
 どうかまだまだ寒い日は多く、くれぐれもお身体には気をつけお過ごし下さいますように。

埼玉県:S
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