はがき通信ホームページへもどる No.82 2003.7.25.
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 タイムリーな支援費制度 

頸損歴14年目、C3〜5不全、63歳

 不快指数の高い日々が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。わが町の社協が、居宅介護事業から撤退するってんで、支援費制度スタートを目前に憤懣やるかたなく、ストレス発散させてもらったのは2003年3月号でした。
 契約など手続き期間を考えると、指定事業者の吟味をする余裕がなく、食物の最終産廃物(?)が許可なく体外へ廃棄されるなどの緊急事態にも速やかに対応可能な、地元町内に1箇所しかない事業所に決めざるを得ませんでした。何とか新事業所によるホームヘルプサービスが始まり、事細かな指示をしながら介護を受ける。
 これまたストレスを募らせていた矢先の4月4日、家内が勤務先で吐血、即入院となりました。事業所は老人施設なのでショートステイ施設はありますが、支援費事業の対象には入っておらず、さりとて若いわが輩のことゆえ利用はできず。町に相談し支給量の見直しをしてもらい、妻退院まで21日間の短期間でしたが独居・自立(?)生活の体験をすることができました。
 退院した家内からは以前のような介護をしてもらうことは望めず、1年365日ヘルパーを利用することにしました。決定支給量は身体介護中心が167時間/月(ヘルパー2人)、家事援助中心が15時間/月(ヘルパー1人)ですが、3月までの利用実績は平均約130時間/月(土日除く)でしたので何とかいけそうで、4・5月は納まりました。時間もさることながら、経済的にも、以前が高かったのかも知れませんが12分の1ほどに軽減になり、私にとっては真にタイムリーな支援費制度のスタートでした。ただ、1年半後に迫る介護保険適用年齢になった時どうなるのかが心配です。

 終わりに、自らも重度障害者の身で支援費事業所を起ち上げたかたがたの成功と福祉への還元を期待します。
N・K E-mail: aki8081@ceres.ocn.ne.jp


 足元の安全確認を 


 こんにちはIです。車イスに乗っていると、足元が見えなくて困ります。私の工夫として、両足はひざ坊主のちょっと上のほうをベルトでくくっているのですが、車イスのフットレストから足が落ちることがあり、落ちてもわからないからです。足元は見えないので、足がちゃんとフットレストに乗っかっているかどうかは、左右のひざ坊主の高さから判断しています。
 ある時、どうも、ひざ坊主の高さが違う気がしたので、年配の男のエライさんらしき通行人に足元を確認してもらうと異常なしとのことでした。しばらく歩いていたのですが、どうも様子がおかしいから、また、別の人に確認してもらったところ、左足が地面に落ちていて引きずっていたことがわかりました。帰ってから靴を調べると内から外が見える穴が空いていました。幸いにも足は無傷でした。このときから、家を出るときには入念なチェックをしてもらい、途中ではショウウインドウなどのガラスなどがあったら、映してみて確認しています。もちろんエレベータの鏡でも。
 話は前後しますが、エライさんが確認したときは、足は落ちてはいなかったが、足の位置がずれてて、その後、車道〜歩道の段差を乗り越える時などに車イス全体が揺れて落ちて、それに気がつかず、そのまま足を引きずっていたのだろうと思っています。お願いしてて文句を言うのも気が引けますが、エライさんはだめです。その点、オバサンは面倒見がよいです。そして、若者もよいです。

  (2003.5.31)
I・M E-mail: HDA03062@nifty.ne.jp


 支援費制度になって(医行為と年末年始) 


 4月になっても○○事業所の契約書はできておらず、当然未契約のままです。ここに事業所が1社しかないのも最悪なのに、1社しかないからこそ強気の事業所(と思える)。3月になって、この数年間やってきた「医行為はできない」と突然の話。そして、4月になってさらにサービス低下情報が舞い込んでくる。この町で全身介護ホームヘルプをフルに使っているのは、私だけです。他の利用者には、常に家族という介護者がいて「家族が倒れたらどうするの?」と投げかけてもあまり危機感のない様子。
 というわけで、このたびの特に医行為の一件は、私1人対決になりました。契約書ができてしまう前にと連日の話し合い、問い合わせ、資料集めでグッタリです。4月某日に最終話し合い。ギリギリまでがんばってみるつもりです。

 4月某日の話し合いの結果/医行為についてはプライバシーまで出席者の前で話すこととなりましたが、「でも自分のため」と勇気を持って体当たりで全部お話しました。しかし事業者側、煮え繰り返る数々の対応に切れそうでしたが、グッと押さえて最後まで冷静に話を進めました。交渉とか相談とかお願いとか、問題外です。みんなが帰られた後、情けなくって涙が止まりませんでした。この話し合いではっきりと個々の人間性が伺えたようで情けないけれど、よかったのかもしれません。


 議題/(1)医行為、(2)年末年始

 (1)医行為について/「法律が変わらない限り絶対できない」と、どんなに周りが説得しても「できない!」の一点張りだったのに、ヘルパーを従来通り“行政からの措置”であるのならやってもいいと言い出した。これって「法律上できない」のではなく、「責任逃れ」としか思えません。

 (2)年末年始について/やはり休むそうです。ヘルパーに休みをあげたいからだそうです。ふぅ〜…。利用者がいくらかいるのにどうなんでしょう。自分たちは「行政ではない。一緒にしないで」と言っているけれど、年末年始の休み、変わりないじゃないですか。でも、行政の職員もばあいによっては当直もありますよね。

 話が進行する中、「年末年始に6日間ヘルパーに休みをあげたい」と言っておきながら、「支援費ではなく、実費ならやってもいい」なんて言い出した。ヘルパーさんへの休みをあげたいというのは建前で、どうみても障害者いじめとしか思えない。そして、支援費制度もいずれは介護保険に吸収されるのだから、同じように扱ってもかまわないというような発言あり。介護保険も見直しと騒がれているときに驚きです。○○事業所には、障害者の人権はないのでしょうか?

 事業所は医行為について、「行政やあなたに言われるまま、やらされてきた」と言う。悲しい一言でした。“あなたに言われるままやった”ということは、じゃあ私が“法律なのか?”と笑ってしまいます。医行為は今、全国で見直しの運動が起こっているけれど、なかなか厚生労働省からの回答がないので、「医行為をヘルパーがしないでどうやって在宅を支えてあげられるのか?」と公にはできないけれど、やっている事業所も多くあります。それなのに、すべての医行為をやらない方向へ持っていこうとしている。

 年末年始、医行為について「私たちは雇われの身だから発言権はない」と逃げるヘルパー。ヘルパーという職種をもう1度認識してほしいと思う。どうすればより良いサービスを提供できるか、良い協力者になれるか、何とかしてあげたい、何とかしてあげよう、という熱意はないんだろうか……。このままでは、利用者との温もりとか信頼関係は持てないと思う。

 新米ヘルパー導入時や慣れないヘルパーの訪問時、契約時間がかなりオーバーする。ひどいときは、倍かかるときもある。でも、“勉強してもらわなければ”“人の手がないと生きていけないから”と、複雑でありながら利用料金も超過分払ったりしています。本来ならこういったばあいは事業所から、「ご迷惑をおかけします。新米ヘルパーが慣れるまで超過分は請求しませんので」といった一言でもほしいものです。そして、自分たちに時間がないときはイライラいそいそと帰っていく……。“してあげている”という考えなんだと思いたくなります。

 一方、看護師さんたちは決まりごとにあまり捕らわれず、業務以外の家事や買い物などなど、緊急時には時間の許す限り困っていることは気持ち良く手伝ってくれる。そして、年末年始は休みにもかかわらず、休みを返上して自らプランの相談を持ちかけてくれる。この“なんとかしてあげたい”と思える熱意、いつも伝わってきます。

 こうなると、町外の事業所も取り入れたほうがいいような気がしてきました。探してみようと思います。1社はとても前向きな対応をしてくださり、検討中です。年末年始は、福祉課長さんがヘルパー措置について検討してみるとのこと。これが可能であれば、これを利用しながら他社の事業所を探してみます。1からのスタートなのでまたしばらくエネルギーが必要となりますが、従来の事業所と併用して利用していく、これしかわが町が変わる方法はないように思います。

 看護師さんは365日24時間、交代制ではあるけれど働いています。そして、訪問看護の規約に「特定疾病につき要請があれば365日対応」とある。なのに、デイサービス、ヘルパーは年末年始、なぜ完全休業できるのでしょう? 疑問視はないのでしょうか……。民間のヘルパー事業所は、たいてい365日やっていますよね。そして、介護保険、支援費制度スタートのためにデイサービスの日常利用できなくなったかたがいる。この体制では1人暮しのお年寄り、障害者は在宅不可能です。この間だけ入院、ショートなんて、なんのための在宅推進なんでしょう? ノーマライゼーションはなんなのでしょう……?

 在宅の家族の介護を軽減するためにできたホームヘルプ、介護保険、自立を支援するためにできた支援費制度。看護師と同じように交代制であるべきだと思います。去年、家族のいない施設の友人が「もう1週間お風呂に入っていない。頭が痒い」と言っていました。私も家族がいなくなったらこうなるのかと、悲しくなります。

 その後結局、医行為はOKにはなりませんでしたが、緊急時の医行為は医師の指示の元、許可が下りました。病院へ2日間通って医師に説明をして指示書を書いていただきました。年末年始の件は、多分なんとかなりそうです。結論として、事業所側は「医行為は原則としていけない。そして、現場のことはわからないので後はヘルパーに任せる」ということのようです。

 いろいろと大変だったけれど、連日の話し合いで誤解や意地の張り合いのようなものが少しずつ解け、よかったように思います。急きょ、行政側がケアマネを引き受けてくれることになり、看護師、ヘルパー、医療相談員と定期的にプランを立てていくということになりました。連係がスムーズにいくように、連絡ノートを常備することになりました。訴えにこのたびは行政がずいぶん力を貸してくださり、嬉しく思っているところです。われながら冷静によく頑張れたと、ちょっぴり自分をほめたり。

 今、排便、入浴は、訪問看護とヘルパーです。ヘルパー医行為にこだわってきたけれど、看護師さんとの同行で看護師さんの介護を見てか、介護面もていねいになりました。そして、医行為をたびたび見ることによって不安が解け、「これくらいなら医行為もやってみよう」という、自発的なものが芽生えてきてくれたらなぁと、祈ります。

(匿名希望)


 独居老人の昔話 

C5〜6、頸損歴38年、電動車イス使用

 何か異変が起きる年なのかと、つくづく考えてしまいます。イラクでは戦争が一方的に始まり、大部分の人たちは、戦争反対を思い、考えても、止める方法さえない、自分たちの無力さを、思い知らされ、空しささえ今も感じています。追い打ちを、かけるように新型肺炎(SARS)の、広がり、いずれは日本にも入って来るのではと危惧しましたがやっと、テレビでも報道されなくなり、収まったのでしょうか、インフルエンザが流行る冬に、新型肺炎なのか、インフルエンザなのか、区別ができるのか心配です。85年前に猛威を振るい2500万〜4000万人が亡くなったスペイン風邪(インフルエンザ)を、思わずにいられません。アメリカ、ロスアンゼルスで、父、母、兄(私には、祖父、祖母、叔父に、なります)を亡くし、当時3歳であった母が1人残され日本に強制送還されて、現在の私がいます。

 当時のご先祖様は生活が苦しく、現金収入を得るために千歯(農機具で稲穂や麦こきに使用)を、売って歩き、遠くは京都の宮津までも売りに行っていたと、亡くなった祖父の兄、爺さんから聞かされています。それを見かねて、弟の祖父が移民を決意、夫婦で米国に渡り、豚の飼育をして、これが大当たりして大金を送ってくれた。その金で山、田畑を買ってけっこう生活は楽になり金持ちの仲間入りを、したらしいのですが、米国では、あっけなく、スペイン風邪で、33歳、30歳、7歳の若さで、死んでしまった。
 遺骨と生きのびた母を、引き取りにハワイまで行き、つれて帰ってその兄爺さんの、両親(私から祖祖父、祖祖母)が隠居して、母を育てたそうです。アメリカンドリームを、手にしていながら、死んでいった祖父たちの、口惜しさが、障害者になって、より良く分かる私です。
 もちろん、昭和になって戦争で、全てが無になることも知っているのですが。人類はより強い薬を、もっと強力な薬をと、求めつづけるのですが、それよりもっと強力なエイズ、エボラ出血熱、O−157、SARS、などきりがなく病原は出てくる。終わりのない戦いに挑む人類です。
 武器だけは、より強力になどと考えてはほしくないです。その威力の実験に戦争されても困ります。季節はずれの台風が、やって来て鉢物をひっくり返して通り過ぎる何という年なんだ。
Y・H E-mail: hy0025@ncn-k.net


 身障者施設へのショートステイ初体験 


数年前に大腿骨骨折で2ヶ月半入院をする。悪いことは続くもので、私が退院して三日めに妻が腹痛で、のたうち回り、救急車で病院へ運ばれそのまま入院となる。胆石で、手術が必要とのこと。ここで困るのは、私の介護を誰がするかということである。導尿、摘便、食事介助……など、今まで妻以外在宅では介護してもらったことがない。以前からこのようなときのため、施設を確保しておかねばと思っていたが、こんなに早く来るとは思っていなかった。
 すぐに入院していた病院に連絡を取り主治医と相談する。病院は何とか確保できそうであった。続いて市の福祉課に電話を入れて施設のショートステイを探してもらう。こちらも運良く今年4月にわが市に開園した身障者施設に入れると連絡が入った。病院では付き添いがいるので、主治医には礼を言って施設に入ることにする。初めての施設体験である。

 施設の生活がいよいよ始まった。入所するとき、一応こちらの要望を伝え、一応要望は受け入れてもらった。以前からいろいろ施設の生活について、他人伝えや脊損および頸損の刊行物でいろいろ聞いていたので、少し不安はあったが、3週間半の滞在は、予想に反して、手厚い看護を受け、気持ちよく生活できた。施設も時代の流れで、良くなって来ているのであろうと思われる。
 しかしただひとつ困ったのは、食べて寝て、テレビを見て、以外、時間の潰すことがないことであった。複合障害の人たちがほとんどで、まともに会話はできず、施設の職員は介護で動き回っており、話などする時間もない。おまけに施設の外への外出は1人では認めてもらえずただただ長い一日を過ごさねばならなかったことである。自由であって自由でないという気分であった。

 「はがき通信」の仲間で、不自由でも施設を出て自立を選ぶという人たちが多数おられるのは、今までどうして不自由な思いをしてまで自立するのだろうと思っていたが、その気持ちをわずかでも分かったような気がした。
 施設は、どのように考えても、老人や障害者の隔離である。つい最近話題になったハンセン病の隔離政策と同じである。施設内でどんなに手厚い保護を受けても動物園の動物と同じである。ただ見せ物にならないだけである。かごの鳥と一緒である。

 欧米では今や施設はほとんどないと聞く。グループホームのようなところで、ヘルパーを派遣してもらい自由に自立生活を送っていると聞く。
 わが国でも、身体が不自由でも、頭はしっかりして自分で看護計画など考えられる人たちには、どんどんグループホームのような住宅を造り、自立を助けるヘルパーを要請し、みんなが自由で安心した生活を送れるように、行政も考えてもらいたいものである。またそのようになるように運動もしていかなければならないように思う。
 さいわい平成15年度からは支援費制度が始まった。今の時点でははっきりとした成果としては出てきていない。いろいろ聞くのだが、各自治体で皆内容が違う。
 都市部ではある程度ヘルパーの派遣時間や、外出支援に対して、ある程度の利用時間や利用する事業所が整備されていて、何とか自立ができるようだが、田舎では利用時間も認められないし、よしんば認められたとしても利用する事業所がない。
 知人の町では、利用する障害者が少ないので役所の担当者も勉強しておらずまともに対応してもらえないとのことである。

 それらを考えると、われわれは全国のいろいろな情報を集め、各自治体をわれわれのことに対して関心を持ってもらい、障害を持ったわれわれがより社会参加のしやすい世の中に創ってもらえるように変えて行かねばならないと思う。
 できるだけ各地の状態を誌面で報告してもらえるよう皆さんの投稿を希望したい。

A・M
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