はがき通信ホームページへもどる No.70 2001.7.25.
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主人と共に


「通信」の皆様、この梅雨の季節をいかがお過ごしですか? 急に30度を越す真夏のようなお天気に、身体がついていきません。今年の夏は暑さが厳しく、長い夏なのでしょうか。そんな夏を思わせる暑さです。毎日暑い暑いと言いながら、主人の介護に少々バテ気味の私です。
 昨年の今頃を思い出します。主人が初めて肺炎になり、大変な思いをしました。今年は、お陰様で元気に過ごしています。朝と夜に体温を計り、日々の生活に気をつけています。食事は別に何の制限もありませんが、この暑さで少し食欲が落ちているように見えます。水分を十分に摂るように気をつけ、体調に注意しています。一人で何もできない主人ですが、動く左手でできることは自分の力でするように努力しています。衣服の着替えは、リハビリの一環として頑張っています。
 歩行練習は足が痛い痛いと言い、練習は好きではありません。今頃だんだん足を引きずるような歩き方をするようになり、2年前の国リハ退院の時より歩けなくなってしまったように思われます。歩く回数も少なくなったためか、両方の足の甲にむくみが出ています。通院は月1度となり、ますます歩くことも少なくなってしまいました。このようなことでは、歩けなくなってしまうのではないかと心配です。
 それから、もう一つリハビリの一環としてノートを使い左手に鉛筆を持ち、1〜20までの数字の練習、ひらがなの「あいうえお……」を書く練習をしたり、自分の生年月日、住所、氏名、電話番号、家族の名前が言えるように毎日勉強リハビリをしています。失語症もあり、なかなか思うように言葉が出ない、辛いことの多い主人です。
 また、先日折り紙を使い色を示すと、何と驚いたことに白、黒、赤の色はわかりましたが他の色はわからず、でたらめな色を言うのです。葉っぱの色は「緑」、みかんの色は「オレンジ」などと、小さな子供に教えるように色当て遊びをしたりしています。数字を読んだり書いたりすることより、ひらがなを書くことが大変なようです。失った言葉、記憶を少しずつ取り戻すのは並大抵なことではなく、汗だくの毎日です。少しでも何かがわかり、できるようになることが大切であり、生きる励みになるのではと頑張っています。何事も努力することが大切だと思います。
 <わが家に嬉しいニュース>
 5月4日、長女めぐみに3人目の子供が生まれ、待望の女の子でした。今やっと1ヶ月半を過ぎ、だんだん可愛くなってきました。名前は、「月音(カノン)」ちゃんです。
 <わが家に悲しいニュース>
 5月11日、愛犬・ポール(17歳)が死にました。人間の年齢で84歳という高齢でした。17年間も家族の一員として愛され、可愛がられたポーちゃんでした。子供を亡くした時のように悲しい思いでした。
 今年の5月は、何とも喜びと悲しみが一度に舞い込んだ月でした。
 では皆様、このうっとうしい季節をお元気でお過ごし下さいますように。

埼玉県:HS




ダイヤルアップに気をつけろ


 先日ちょっとびっくりすることがありました。というのは、知らないうちにダイヤルアップネットワークでとんでもないところに、自動接続されるように設定されていたからです。
 もう少し詳しく述べますと、仕事を探している友達の手伝いで、インターネットに接続しているような場所の掲示板に求職の伝言を書いていました。なかなかいい場所が見つからないので、検索エンジンを変えて×××.ne.jp にしようとして、間違えて×××.co.jpと押したところアダルトのサイトに入ってしまいました。
 ここですぐ元に直せばよかったのですが、そこは悲しい男の性とでも言いましょうか、つい好奇心を出して下を見てみました。すると5秒間ですべてダウンロードできると書いてあったので、そこをクリックしてしまいました。これが間違いの始まりでした。
 さすがに5秒間たっても何の変化もないのですぐオフラインにしたのですが、後で見てみるとデスクトップにダイヤルアップのアイコンがありました。こんなものいらないと思ってそれは削除しました。
 ところがところがです。なにげなしにダイヤルアップをあけてみると、恐ろしいことにまったく知らないところ、電話番号は18603−3366−××××というとんでもないところに自動で接続されるようになっていました。確か×××.co.jp と入れたら、△△△△.co.jp と変わってしまいました。
 多分私のほうはすぐ気がついたのでたいしたことはないと思いますが、考えてみると恐ろしいことです。つまり、インターネットにつないだとたん知らないうちに、外国に電話をかけているということもあり得るわけです。お互いに気を付けたいものです。 

 【教訓1】間違って入ったサイトは見ない。 
 【教訓2】ダイヤルアップは自動接続しない。そして接続の番号を確認する。
 [解除方法] 「マイコンピューター」→「コントロールパネル」→「ダイヤルアップネットワーク」と順に開き接続しているアイコンを選択して右クリックのプルダウンメニューから、プロパティを選んで、次に上のセキュリティのタグを選んで自動的に接続するのチェックボタンをオフにする。OKをクリックする。
 【教訓3】訳のわからないものをダウンロードしない。 

      千葉県:HK kuromaru@fsinet.or.jp


 ●国際電話は、支払いの拒否ができないので支払うしかありません。下記場所に連絡すれば利用休止の申請ができます。
<国際不取扱センター>
 〒163-8504 東京都新宿区西新宿2-3-2
 TEL:0120-210-364 
 (取扱時間:平日9時〜17時)
 FAX:0120-210-535



初めてのハワイ


(筋萎縮性側索硬化症、罹患歴6年)
 みなさん、お久しぶりです。福岡のKです。毎日、お昼寝後にパソコンを開いていますが、だる〜い感じです。
 常夏のハワイへ5月16日〜21日まで旅行して来ました。NPOの「りんごの夢」と「希望の翼の会」の共同企画ツアーで、旅行会社は前回同様、JR九州ジョイロードで行きました。添乗員、介助スタッフとストレッチャー、私の電動リクライニング車イス、車イス3台の5台と家族、ストレッチャーの方の専属スタッフで総勢12名のツアーでした。今回は障害者6名で、家族同伴3組と単独参加が3名という構成でした。
 16日、福岡空港国際線ターミナルまでは、自家用リフト付きワゴンで空港近くのトヨタモデリスタ福岡へ行き、国際線ターミナルまで送ってもらって車を預けました。普通は受付カウンターで電動リクライニング車イスから専用車イスに乗り換えて行くのですが、日本航空の係員の配慮でゲートまで行き、そこで乗り換えて搭乗しました。他の方はそのまま車イスで搭乗口まで行きました。
 16日、JAL058便の19:10発でホノルルへ約8時間の所要時間でもあり、座位に不安を感じましたが、今回も往復で空席があって横になることができましたので助かりました。呼吸器使用のストレッチャーの方はエコノミークラスに特設したベッドを利用されました。
 ハワイのホノルルへは、16日の現地時間8時10分頃に到着して入国手続き後、専用大型リフトバスでホノルル市内観光へ行きました。専用バスは中央部にリフトがあり、車イス利用の方を6台も乗せるスペースが確保されていました。
 広大な景色を堪能できるヌアヌ・パリ展望台、緑が美しい太平洋記念墓地があるパンチボール、また車窓からはキング・カメハメハの像、イオラニ宮殿などを見て回りました。早めに、ビーチ沿いのシェラトン・ワイキキホテルへ到着して、案内されたハンディキャップルームで休息しました。今回は、ここで4泊しましたが、ベランダからの眺めがワイキキビーチ側でなかったのが残念。夕方、近くのロイヤル・ハワイアンショッピングセンターのレストランに入り夕食タイム。日本語のメニューや会話が通じるのがうれしいですね。日系人が20%も占め、旅行客も日本人がほとんどです。リピーターが多いのもうなずけます。
 17日も専用リフトバスで、郊外のサンデービーチを車窓から眺めながらシーライフパークの水族館やイルカショーを楽しみ、午後はマジックアイランド、ハワイ最大のアラモアナショッピングセンターへ行き、買物を兼ねて見学しました。夕食は、ハワイアンナイトディナーショーで楽しみました。
 18日と19日は自由行動で、免税店でのショッピングやワイキキビーチを散歩しました。ワイキキビーチからダイヤモンドヘッドを見渡す景観は、見飽きない眺めで背もたれを倒して休息タイム。現地の電動車イスの方もビーチの芝生で日光浴を楽しんでいましたし、車イスでの旅行客も多く見受けられました。特に、電動車イスの方は気軽に「アロハ」と挨拶されますので私も「アロハ」と返しましたが、電動リクライニング車イスをあまり見かけないのか興味深そうでした。また、交差点では必ず車道と歩道がフラットになっているスペースが確保されていて、ベビーカーの方もスムーズな横断ができていました。そんな中、ホノルルのホテル玄関では正装した挙式カップルがダックスフンド?カーに乗り込む光景をよく見かけました。こちらの教会では日本人カップルの挙式予約でいっぱいだそうです。19日の夕方にはホテルの30階のレストランでワイキキビーチの夕日を眺めながらのディナーでした。
 20日、JAL057便の現地時間10:10発で福岡へ約9時間の所要時間です。福岡空港国際線ターミナルには21日の14:30着で無事に帰国しました。
 旅行期間中は、妻の他に介助スタッフの方にトイレ、入浴、歯磨き、着替え、ベッドへの移動、夜間の寝返りなどで今回も介助してもらいました。特に、20日の帰りはホテル、空港、機内で、お腹の調子が悪く排泄介助でお世話になりました。機内ではスチュワーデスに迅速に専用車イスを2回も組み立ててもらい、介助スタッフに連れて行ってもらいましたので良かったですよ。
 滞在期間中の天候は、晴れに恵まれて、気温も29度で、朝夕が21度と安定した気候が続いていましたので、ビーチでは日の出から日没までサーファーや日光浴の方が絶えませんでした。そんな中、ちびっ子サーファーのうまさには目を見張りました。
 小さなアクシデントがひとつ、私の電動リクライニング車イスを空港で荷物として預ける時、液体バッテリーのソケットが外れなくて積んだままコンテナで空輸してくれました。それから、これはうれしかったことで、電動車イスは手荷物渡し場所で乗り換えるのですが、ホノルル空港ではゲート、福岡空港では機内を出た所まで持ってきてくれて乗り換えることができましたので助かりました。
 帰国してからも4〜5日はお腹が時差ボケを起こしてましたが、どうにか元に戻ってきました。また、今回もミニツアーで、まとまりがよく楽しい旅でした。

福岡県:KK fwhk3996@mb.infoweb.ne.jp





息抜きに、馬鹿話を…(西方見聞録)−前編−


 皆さん、お元気ですか。 私は1級重度障害、毎日激痛、息子と2人暮しの74歳の「じじい」です。はじめて投稿させていただきます。パソコンでシニアのグループに所属、そのメーリングリストに書き込んだ文を、ほとんどそのまま「はがき通信」に投稿することにしました。長文の、つまらぬ見聞録ですが、まあ、ひまつぶしに読んでみて下さい。
【インド編】
 インドの駅で列車待ちの時、50代の乞食のオバサンが手を差し出して皆に喜捨を乞う姿に誰もがソッポを向いて知らぬ顔の半兵衛、その時チョット恰幅のいいインドのオジサンが、いくばくかのコインを恵んであげました。それを見た同行の一人が、つかつかと乞食オバサンに近寄り、「ワンルピー」と言って手を出したら、オバサンはイヤダとカブリをふりました。乞食に、乞食をしたのは、この人くらいのものではないでしょうかねー。もしも、あの時、1ルピーでも貰えていたらギネスブックに載ったかも。
 今度はウンと汚いお話。トイレも無い貧しい家ばかりのこの国では、道端のいたる所ウンコだらけ、それが乾燥して舞い上がる埃のなかをバスでしばらく走ると、ホントの黄色人種になった感じ。駅のトイレはウンコ山盛り、夜明け前にはレールの上にしゃがんで用を足し、駅員が石灰の粉みたいなのを、それに振り掛け適当な時間をおいて、それらを回収(?)しているような有様です…。顰蹙(ひんしゅく)を買うような次元の低い話ばかりで、ご勘弁を…。
〈オマケにもう一つ。〉バスでカーブを曲がる時、車イスごと横倒しになり、吹っ飛ばされてヘアクッションの無い頭を直撃強打、軽い脳震盪を起こしてアヤシゲナ藪医院に運ばれ注射と投薬を受け、旅を続けました。ネパールでも病に倒れ、採血をされましたが、不衛生な国々の注射針は消毒もどうだか? 前回に使用された人が万が一、エイズ保有者だったら私も保有者になっているかも? もし、そうなら死んでから発症してくれることを祈るのみです。
〈もう一丁オマケ。〉私の父は仏教に造詣が深かったので、その遺髪と私の遺髪(?)をネパール、インドの仏跡に埋めたり、撒いたりして来ましたので、極楽行きは間違いなし、でも輪廻転生で、もう一度、痛みのない、死ぬまで歩ける人生を授かってみたいなー。
【タイ、カンボジア編】
 ずっと以前、日本のテレビでも放映されましたが、タイの北部山岳地帯の森林伐採禁止で失業した象が、バンコクのホテルの前に時々来て観光客にバナナを買ってもらって生活しています、たまに小象も来ます。すぐ前は8車線くらいの車道を車がぶっ飛ばし、排気ガスの充満した、しかも夜間です。
 本来ならば、自然の中で暮らすべき象たちが可哀想でたまりません。偶には事故にも遭うらしく「気を付けてね」と見送る象の尻尾に自転車の後部に付ける赤い反射鏡をつけているのもいました。反射鏡がチョット小さすぎますね。
〈オマケ…。〉バンコクからアンコールワットのあるシェムリアプ行きの小さな飛行機に日本人のスチュワーデスが乗務していて驚きました。いかに日本人旅行者が多いかが窺がわれます。カンボジアの市場でも「スワルダケ」、「ミルダケ」などと言う愉快な店の娘さんがいて、ワーワー騒いで、近所の店員さんたちも集まり、キビ団子に似たもの、梅干のようなすっぱいものなど、変なものを食べさせられました。手紙をくれと差し出した紙の住所には÷の記号、市場の区画の関係でしょうが、住所に割り算が出てきたのははじめてです。
〈オマケのオマケ…。〉アンコールワットの急な石段に阻まれ、もう、これまでと諦めていた時、偶然、シンガポールで働いている日本青年に出会い、ネパール人の私の娘と2人で車イスごと無理やり引きずり上げてもらいました。そしてさらにアンコールトムへ、そこでは巨木の成長などで崩れ落ちた遺跡の石を、乗り越え、乗り越え、40〜50センチ位の高さから後ろ向きに、ガチャン、ドスン、と娘が車イスを引きずり落とし、乗っている私がダウン状態、よく車イスが壊れなかったと思ったらヤッパリ、フレームがゆがんで修理も不能、今もゆがんで斜めになった車イスに、はすに構えてパソコンに向かっています。
 バンコクへ帰る時、ネパール人の娘は、搭乗拒否、その場でプノンペンへ飛び、空港で交渉、大使館でタイ再入国のビザを申請しても、また拒絶、バンコクの空港で別れて、彼女は灼熱のカンボジアから酷寒のネパールへTシャツ1枚で一度帰国、震えあがって2日後バンコクへ帰って来ました。アクシデントやハプニングがいろいろでした。
〈も一つオマケ…。〉タイは、仏教国で植民地になった歴史もなく、さすがにフィリピンとは国民性がまったく違います。身障者運動会や身障作業所も訪ねましたが、作業所のチーフの女性に大変御世話になり、御夫妻でライトアップした美しいバンコクの夜景も案内していただきシティホテルで見たこともないご馳走を戴きました。ホテルのスタッフも親切で、車イスを押して屋台街をガイドして、わずかな給料からいろいろ私にプレゼントしてくれるのです。タイの人は、名前が長く、ややこしいので、トン、ヱオ、ヌッ、ケッ、クワンなどとお互いにニックネームで呼びます、私も、トントン、ヌッヌッと呼んでいました。
 ○旅の一句
 見納めの 古都の家並みに 虹の立つ
 秋深し 旅せし国は 今いかに

福岡県:hirakawa hirakawa@ruby.ocn.ne.jp





バリアフリーなお遠く JR小郡駅


 県の玄関口のひとつ、JR小郡駅でエスカレーター設置など駅舎の改修工事が進んでいる。一九七五年、山陽新幹線岡山—博多間の開業に合わせてオープンした現駅舎は、構内にエレべーターもなく、障害者や高齢者らが使いやすい「バリアフリー」にはほど遠い現状だ。三月下旬に終わる改良工事で一歩前進することは間違いないが、まだ問題も残る。車いすの利用者と一緒に駅を歩いた。
 山口市穂積町に住む県立大大学院生のDさん(三二)、県立大四年生のMさん(三一)夫妻。二人とも車いすを使う障害者で、Dさんは「社会的弱者の消費自立」をテーマに研究、ミカさんは「交通バリアフリー」を勉強している。
 小郡駅新幹線口から駅構内に入った。車いす用の案内板は見当たらず、初めての人はどこに行けばよいのか分からないだろう。
 障害者用エレベーターは、駅舎を出て高架下の駐車場を約五十メートルほど行った場所にあった。だが、かぎがかかっている。しかも、新幹線ホーム三階への直通で、切符売り場や改札がある二階には行けない。
 車いすの利用者が新幹線に乗るときは、事前に駅事務室に連絡して切符を買ってもらい、それから構外に出てエレベーターのかぎを外してもらって乗る、という手順になる。
 同駅で進む改修工事は総工費約二億五千万円。昨年十二月、一階と二階を結ぶエスカレーターが完成した。三月には、上りだけだった二—三階のエスカレーターに下り用もできる。だが、いずれも車いす対応型ではない。
 Dさんは一月、「車いす利用者が二階に上がりたい場合はどうするのか」とJR西日本に問い合わせた。「職員二人が車いすの前後に介助として付いてエスカレーターに乗ってもらう」との回答だったという。
 ミカさんは「エスカレーターに介助者とともに乗るときや、階段で介助者に抱え上げられる場合などは、介助者の負担が大きいだけでなく、当事者の恐怖感も実に大きい」と話す。
 改修工事でエレベーターを駅中央に移設し、二階にも止まるようにできないのか。石川さん夫妻と、この素朴な疑問をJRにぶつけた。
 同駅の村田親・副駅長は「駅ができたころはバリアフリーの認識がなかったと思う。確かに使い勝手の悪い駅です」と認めながらも、「駅の強度など構造上の問題から、エレベーターを駅構内に移設することはできない」と説明する。ただ、改修工事で構外のエレベーターにモニター付きインターホンを設置して利用しやすくするという。
 I さん夫妻は、案内板の少なさや、駅の段差なども指摘。「交通弱者が利用しやすい駅は健常者にとっても利用しやすいはず。今後は、障害者ら当事者の意見を十分に採り入れて、駅の工事や運営を進めてほしい」と要望した。
 昨年、交通バリアフリー法が施行された。法の趣旨は、障害者やお年寄りが公共交通機関をより快適に利用できるようにすることだ。
 車いすだけで年間延べ千数百人の利用者がある小郡駅。九五年、通勤途中に同駅の階段で転倒し、歩けなくなったミカさんにとって、同駅が使いやすくなることは大きな願いだ。

(情報提供:朝日新聞 平成13年2月28日)


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