は が き 通 信 Number.6
POST CARD CORRESPONDENCE 1990.11.27
《ごあいさつ》

そろそろ冬仕度ですね。暖房のとり方などいい考えがありましたら、お知らせ下さい。
私事ですが、先日救急車で3度も病院に連ばれ、熱の底い姉炎だとわかった時は手遅れになるところでした。4日間意識がなく、1カ月の入院治療の末、やっと由宅で静養できるまでになりました。「風邪は万病のもと」です。気をつけましょう。

向坊


向坊氏の通信


自立のあゆみ 
Dヘルパー一人によるトランスファー


高位頸損者は腕のカがないので、ヘルパーが2人でベッドから車イスに運んでくれることが多いものです。

しかしリフターもなく非力なヘルパーが一人しか居ないような在宅の重度の人は図のように前方大車輪型車イスを利用し、バックシートを着脱自由にしておくと、トランスファーが由由にできて便利です。

手順:


@身障者の足を引っ張って、お尻を車イスのバックシートまでもってくる。


Aベッドの反対側に回って、身障者の頭を持ち上げてシートに座らせる。


B車イスのバックシートを締める。

向坊



SAさんの通信


会員の皆様、お元気ですか。
私はAS(宮崎県在住、30歳、独身)です。昭和60年交通事故でC5受傷、63年退院して、現在自宅で両親と暮らしています。
受傷直後は命が危ないと身内を集めたり、リハビリ(水俣市立湯之児温泉病院)も思うように行かず苦しい毎日が続きました。
しかし退院して2年が過ぎますが、軽い風邪とみそ汁を太股にこぼして欠傷したくらいで思いめほか平穏に暮らしています。
受傷時、24歳学生で年金に加入していなかったので、現在の収入は、特別福祉手当(月額2万数百円)と自宅で近所の小中学生を集めて細々とやっている塾の収入だけです。塾にしてもいつまで出来るかわからないので心細い限りです。親は老いていく、収入は少ないと先のことを考えるとどうしても暗くなってしまいます。
一番良い解決法は私の世話をしてくれるやさしくて力のある嫁さんをもらうことでしょうが、現実はかなり厳しいようです。そうは言っても世の中、男と女、世の独身頸損の皆様がんばりましょう。
最後になりましたが、向坊、松井、渡辺先生、毎回すばらしい通信ありがとうございます。心より感謝いたします。

追記:Aさんは、自宅のトイレの改造で身辺自立が可能になり、車の運転もできるようになったが、精神的に弱い方なので、他の方々の自立に向かう前向きな姿にとても励まされているそうです。今回も暗い事ほなるべく書かないようにと思ったのにやはりそうなったようです、と心配されていました。




『明白を創る−頚髄損傷者の生活の記録』を読んで


私と上村さんとの出会いは約3年前、上村さんのパソコン操作の記事が頸損連絡会のニスースに載ったことからでした。
当時、私もワープロは一人で出来るものの、ワープロで出来ることがいきづまり、そろそろパソコンを考えていました。私たちがキーボードに向かうとき、最大の障害になるのが2点同時操作が不可能ということで、ワープロはキーを改造していたのですが、パソコンほ可能か?と思っているところに、上村さんのKBマウスの操作が出ているのを見て、直接問い合わせたのが始まりです。そのときも、親切に説明してくれました。
先日、私のところに一通の手紙が舞い込みました。上村さんからで、自分の本を出版したと言うことでびっくりしました。早速、職員の方に頼んで注文してきてもらい、手元に届いたのは2週間ぐらいしてからでしょうか?その日は首の痛みを忘れ読書に熱中しました。

まず始めに気がついたのは、紙の質、本の大きさともマウスティックでめくりやすい事で、そこまで考えてくれたのでしょうか?始めの受傷時の事もとても印象深く、私の受傷時のことを思いだし、上村さんと私でいくつかの共通点があるのに気がつきました。
交通事故、自責、完全な四肢麻痺など幾つかありました。
私も頸髄損傷を問わず、身体障害者自身が書いた本を新間などで見るとすぐに買って読むのですが、上村さんの本は今までの本とは違った感じを受けました。
同じ頸損のH氏の詩画集は余りにも有名ですが、少々綺麗過ぎて私自身あまり好きになれません。□で絵を書くということは、とてもすごいことです。まねをしろと言われても出発ません。健常者がみると頚髄損傷者の辛さよりも、絵や口で書くということが全面にでて、本人や家族の努力が隠れてしまうような気がしてしまうのです。上村さんの『明日を創る』は、受傷、家族や回りの入の愛、障害の受容までの苦しみが素直に文章に出ていると思います。頸髄損傷の生活の大変さをみんなに訴え、同じ境遇の人たちが、毎日の生活に参考に出来るという、今までに無い本だと思います。
この本を読んでみて一番感じたのは、上村さんの生活が本当の由立ではないかということでした。自立というとどうしても、以前の仕事に復帰し、また同じ生活をするというように思わめがちですが、私たちより障害は軽くても障害を受容出発なかったり、障害者になったという金銭約な保障で毎日の生活が人間らしく無くなったりする人をたまに見かけます。でもどんなに障害が重度でも、自分の気持ち一つでこれからの生活を変えられるということではないでしょう?

上村さん、素晴らしい本、出版おめでとうございます。 11月13日

追記:上村さんの本を読んで頚損の世界がやっと見えてきたようです、という感想がAさんのお母さんからもありました。

TF


本の紹介


ホワイトネック他編『高位頸損の管理』(1989年) −そのD−

はがき通信第4号に登場した高位頸損者の中から、今回はプライアン・ホーガンさん(頸髄1/2番損傷、この本の出版当時28才)の語っている部分を、紹介します。

現在に至る経緯

リハビリテーション・ユニットを出てからは、家族が私の成功の資源となりました。家族の励ましや身体的・心理的支持、経済面での援助があって、高校に復学し、短期間でしたが故郷の大学に通いました。私は家族を離れ、自由や自己信頼感を探求する必要性を感じました。そこでバークレーに引っ越し、カリフォルニア大学に入学したのです。
カリフォルニア大学バークレー分校とそこでの障害学生のためのプログラム(DSP)に出会えたのは、とりわけ幸運でした。DSPには多くの資源がありますが、その一つに、特別介助者(SA)を24時問体制で提供する寄宿舎制度があります。そこでのSAたちは、重度障害学生を援助する、介助者の訓練や管理を行う、地填の資源を開発する、宿泊室の補助機器の改造の手助けをする、などしています。このプログラムは、自立生活の重要性を強調していますが、それは、自分自身の生活を可能な限り自分で管理することを意味します。私は1986年に学部を卒業し、今は大学院に在籍しています。

高位頸損者の自立に必要なことは何か

私固有の問題は、高位頸損者だということにあります。呼吸に関する問題は、私が遭遇したどんな他の身体的問題よりも重要です。ですから、起こりうる呼吸の問題に対するきちんとした管理が、リハビリテーションの初期に強調されなけれぼならないのです。フレニックナープペイサー(体内埋ぬ込み式の人工呼吸器)や肺ベルト(横隔膜を圧迫して呼吸を助ける)などの技術が、私が自立して生活ずることを可能にしました。まだ多くの高位頸損者があるべき以上に依存した生活をしています。ある場合には24時間必要なやっかいな呼吸のケアが、経済的に窮迫させているかもしれません。

このグループの自立性を高めるように刺激するには、金銭約援助を利用できるようにすべきです。少なくともわれわれが、熟練した個人的ケアの介助者に、「適正」な料金が払えるようにすべきです。金銭的資源を提供することには、正当な政治的理由があります。つまり自立した生活は、経済約・社会的に「良好である」結果なのです。頸損者の日常生活ニーズを家族や友人に負担させる依存的な生活様式は、非効果的であり、心理的にも望ましくありません。
高位頸損者は、制度を利用することを「学ぼなければ」なりませんが、と同時に、それによって庇護されることに抵抗しなければなりません。私の生活に関する主要な意志決定は、私に会ったこともなければ、私の同意を得ようと努力することもない他者によって、なされます。たとえは、個人的なケアの資金を提供するカリフォルニアの制度では、ケースワーカーが最低限の生活様式を維持するのに必要な収入を決定するため、私の家を訪問します。そして介助者の最低賃金にもとづいて、月々の支払いがなされます。私はこの特別手当を使って、介助スタッフを雇います。けれどもこの最低賞金は、熟練の介助者を雇うには不十分です。ですから、私個人の月々の収入から補わなけれぼなりません。

おまけに、州の個人ニードに対する決定過程は、依存性と弱体性を強化します。なぜなら、介助者の賃金がとても低いので、障害者は実際以上に無力であるように「振る舞わなければ」なりません。ケースワーカーが訪問するとき、月々の支払いを最大にするために、私は介助者に「何もかも」依存しているように振る舞わなければならないのです。私は自分で食事をしたり、装置を操作したり、事務作業をするなどのたあに、補助機器を改造してきました。しかしワーカーは、本当の私の自立レベルを決して知りません。なぜなら制度が、同時に完全に依存ずることによって資源を最大にするように、強いるからです。

W


「パーフェクトバスを走らせる会」の講演会参加して


11月14日、国立オりンピック記念青少年総合センターで行われた「パーフェクト・パス」キャンペーンに、漬辺啓二さんの誘いで参加しました。
このキャンペーンは、パーフェクト・バスと名づけた車椅子の昇降に必要なリフトを装備蛋したバスを、日本でも普及させようという障害者団体の運動の一環として開かれたものです。
当日は、アメリカでリフト付きの路線バスの普及を推進してきた障害者自身と、バス会社の指導員、そしてエンジニアの3人の方が、講師として招かれました。リフト付きの緒線バスが運行されるに至った経緯や現状、バスの技術開発の問題などについて、お話しを聞きました。アメりカでは現在50%程度が、このタイプのバスになっているようです。さらに、最近制定さめたアメリカ障害者法(ADA)によって、路線バスは100%リフト化されることになります。
このキャンペーンを企画・開催した「パーフェクトバスを走らせる会」では、次の試みとして、このバスをアメリカから購入して日本中を走らせ、デモンストレーションを行うことを考えているようです。しかし講演に続く質疑応答の中で、日本での導入で問題になると考えられる点もいくつか出さめました。障害者が乗り降りするときには、健常者よりも多少時間がかかります(メリカでは安全確認や料金支払も、の時間も含めて、平均2分という回答ですが、9月米国で乗車きれたKさんの報告では5分でした)。
他の客を待たせることによるトラブルは、講師に招かめたアメりカの障害者自身の経験では、ないそうでした。また、パスの運転手の意識向上訓練のためにビデオを開発・制作するなど、パス会社の側も努力しているとのことです。
講演を聞くまでは、運動の主旨はわかるけれども、今の日本、とくに東京でこのバスを走らせることは無理ではないかと思っていました。しかし、3入の講師の話を聞いているうちに、このようなバスを受け入れるようになった米国社会の変化、とくに意識変革にたいへん関心を持ちました。司会をされた今西正義さんも、こんなに熱気のあふれた集会になるとは思わなかったと、終了後感想をもらしていました。(追記:今回の詳演会がきっかけとなり、東京都は来年度パーフェクトバスを8台購入するそうです)

松井+W


HKさんの近況


9月25日、10日間の米国自立生活調査から無事帰国されました。帰国直後のお電話で、C2の青年に会ってこられたということで、10月上旬、Aさんのおかあさん、波辺、松井の3人でKさんを訪問し、ビデオをみせていただきました。C2の青年は、渡辺さんが通信で紹介中の「高位頸損」でも登場している方でした。
Kさんは同行された寺田安司さん(七沢更正ホーム職員)とともに、今回の調査を「パークレー見聞録」として報告されています。それによりますと、被に必要なケアは一日のうちたった4時間、朝2時間(人工呼吸→起床→排泄→シャワー→着替え→食事)・昼30分(食事)・夕30分(食事)・夜1時間(脱衣→就寝→環境制御装置のセット)だそうです。Kさんるは自分より重度障害の彼に会ってたいへんショックをうけたそうですが、Aさんのお母さんに、今後は自力呼吸のできない人たちを含ぬた活動をしていきたいと話されていました。




IAさんの近況


病院から外出できないIさんの代わりに、お母さんは情報収集に奔走されています。「11月3日に浜松町の貿易センタービルヘ障害者90展をみに行ってきました。息子に頼まれたESCの資料、パソコン通信の資料、書見台とマウステック、自分で操作できる小さなスタンド、リクライニングの車イスに呼吸器をのせる部品、これだけの資料を集あてきてと頼まれました。たくさんの会社が来ていましたが、ぴったりするものはなかなかありませんでしたローホークッションに似たものもありましたが、車イスごと買うようになっていて、クッションだけは売ってくれませんでした。最近ちょっと意欲的だな−と感じながら、親バカも感じながらあちらこちらと電話をしたりしています」

おかあさんの手続より



TFさんの近況


「10月初めから1ヶ月、同室の入が自宅に帰っていたので、その問朝から晩までナムコのリーディングエイドを使って読書ざんまいの生活を過ごしています。ところが困つたこととに、10月中旬に、再びり−ディングエイドが故障してしまいました。修理されてくるまでの2週間は、朝から晩までテレビがつけっぱなしの部屋で過ごしていました。・・・・中略
ところで、テレビばかり見ていたとき、私が考えていたことはやはり文章を書く事についてでした。ワープロについてもその後いろいろ取り組んでみたのですが、私の首の状態では思うように打つことはできません。今後どんな対策をとろうかと思案している時に、清家さまからお手紙をいただきました。福岡市における介助者に関する内容がしたためられてておりました。私もはっとして、介助者について考え始めました。ぜひ確保しようと思います」

Fさんの手紙より



ITさんの通信


千葉労災病院を退院し、再び自宅で生活を始あたという電話が10月末にありました。Tさんは労災病院の近くに建築した住宅で車イスの友人之と同生活をしています。Mの自宅から車で行くと近いので、運転に自信がついたら訪問して、市原市の介助サービスシステムについてお話しを伺う約束になっていますが、なかなか実現しません。




KSさんの近況


「高度技術社会の進展と外傷性重度四肢麻痺者の生産活動参加過程に関する日米比較研究およびハイテクの活用による新しい可能性に閑する研究」というテーマで、トヨタ財団の1990年度・研究助成を受けられました。




TFさんの近況


「病院生活もなかなか大変で、2人付き(1人の家政婦が2人の患者をみる)ということで、ごたごたしていてワープロも電話もアマチュア無線もしていない状況です。
病院ですからしかたありませんが、早く脱出したいです。施設に入ったら無線も大きな機械を買って本格的にやりたいし、パソコンを買って通信も始め、清家さんや上村さんともパソコンで話しをしたいです。 その他、病院で出来なかった分いろいろやりますよ。今はそのことばかり考えています。
自分で言うのもなんですが、私は沢渡温泉病院を退院し、施設に入所したら本当の障害者としてより一層頑破るつもりです。施設ではなにも出来ないと言う人がいますが、それでは私がこれからの施設入所者の頸損代表になり、施設で何が出来るかやってみるつもりです。今は、在宅、在宅ですが施設の良さを見直し、施設入所者のQOLに尽くしたいと思います。ちょっと言い過ぎでしょうか?」

奥さんの手紙より



SMさん近況


SMさん(34歳、頸髄2番損傷で人工呼吸器使用):「皆様が介護を必要としているものの精神的にたくましく生きていられるのにはまいつもぴっくりしています。私の主人2年4ヶ月になります。病浣での生活が長くなればしかたないのかもしれませんが、私はもっと笑顔があってもいいと思うのです。
皆様にもそれぞれ思い悩む時期があったことでしょう。絶望のトンネプレをくぐり扱け強い精神力を持ち得たものと思われます。明るさを取り戻したきっかけとか自立への一歩はこうだったとか、自分の場合ほこうだったよと経験談などをきかせていただけれぼありがたいのですが、・・・皆様がそれぞれに苦しんだことを知れば主人ももう少し心を開くかもしれません。もっと前向きに人生を考えてもらいたいのです。私としては・・・病院の環境もあるかもしれませんが、かといってどこへ移れる訳でもありません。精神的に自立するためのアドバイス何かありましたら、お教え下さい」

奥さんの手紙より



向坊氏の近況


今年は中止と伺っていましたが、12月8日例年通りフィリピン出発されるそうです。今回の病状について米国の友人に書かれた英文の手紙のコピーを向坊さんからいただきました。一見やさしそうな英文なので、皆さんにもと思って訳し始めましたが、向坊さんと阿弥陀様と出会い?の部分になると自信がなくなり、翻訳は諦めました。向坊さん、フィリピンで時間がありましたら、この通信に日本語で書いて下さい。




あとがき



はがき通信は昨年の暮れから、皆様の協力のお陰で隔月に発行し6号を出すことができました。今後とも皆様のお便りをお待ちしています。Mさんの奥さんの要望に応えて、皆さんの経験談もお寄せください。 次号7号は来年1月末を予定しています。皆さん、良いお年をお迎え下さい

編集部

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