は が き 通 信 Number.38
POST CARD CORRESPONDENCE 1996.3.25
COUNTER
《ごあいさつ》

新年度の春です。新出発.....と行きたいところですが、福祉制度の後退が叫ばれています。バブルを演出した高級官僚の“善意の失敗”を防いで福祉を前進させるには、彼らの主張する許認可制度を廃止して、真の自由競争を実現させることが必要だと思っています。

1996年3月25日 向坊弘道


介護人派遣事業を全国レベルに


予報通りの寒い冬になりました。日中も暖房が切れませんが、それでも横須賀は雪がふらないのでまだまだ暖かいのでしょう。“バカは風邪引かない”と言いますが、バカでほんとにヨカッタ。

母が1ケ月近く入院していました。入院中は、具合が悪くなるわけにはいかない!と気を張った毎日を過ごしました。排便のため、訪問者護の看護婦さんに来ていただきました。横須賀も昨年4月から訪問者護の年齢制限がなくなりました。ただ月に12回が限度です。健保の本人以外は12回フルに利用した場合、32,55O円ほどかかります。

東京都のような、全身性障害者介護人派遣事業を全国に適用してほしいと切に願います。そうすれば無年金で就労していない人も、経済的な基盤がかなりしっかりすると思うのです。福祉手当だけでは、到底一人暮らしはできません。「福祉の遅れている大阪市でもあるのだから他はもっと進んでいるのでしようか」(35号)とMさんが指摘されたのはこの制度だと思います。その制度があるのは、私の知る限り、東京以外、大阪市、札幌市、浦和市、尼崎市など数えるほどしかないのが現状です(だから“ケイソンの東京難民”なんて言葉が生まれるのヨ)。

話は替わり“やさしい族のパートナー(株)トラベル・ネット”から会社設立と、営業開始のパンフレットが届きました。どのような経路で私に来たのかはわかりません。「体に障害を持つ人のオリジナルツアーの企画と豊富な情報などを通じてバリアフリーの社会を目指」すそうです。
取扱い業務は、以下のようです。


福祉施設、養護学枚など団体族行の企画・手配・斡旋
施設、団体が主催する大会・研究会などの企画・手配・斡旋
個人、家族旅行の企画手配・斡旋
飛行機、新幹線などのチケットの手配

その他ハンディキャップをお持ちの方でお困りのことがありましたら、お気軽にご相談ください。

東京都新宿区西早稲田2−14−6 アブスブリムス1F
TEL:03-3204-8901 FAX:03-3204-8827


私もちょうと4月に族行を計画中だったので、早速電話をして見積書頻みました。皆さんにもご参考までお知らせします。

見積と一緒に“WE'LL(ウイル)”という、バリアフリーライフを応援する生活情報誌創刊の案内も入っていました。最近徐々に、この手の情報誌も増えていますね。書店には売っていないそうです。

問い合わせ先は.....(株)アテックインターナショナル TEL:0422−20−9529です。

寒い、寒いといっても春遠からじの今日この頃。冬ごもりの熊状態から抜け出せるのも間近です。今月、またひとつオバサンになってしまう私......年をとる前に通信を出しました。1996/2/16

追伸:S先生へ ご著書買いました。友人が先に読んでいます。大阪のシンポジウムでお会いしましたSです。覚えていらっしゃいますか?

神奈川県 HS





To はがき通信さま××××


おいっす!!ってことで、TETSU−YAです。CD200枚完売しました!!。
はがき通信でもいろいろな人が買ってくれたので、ホント嬉しいです。
CD聞いて頂きどうもありがとうございました!!
あと演奏会をやる度にCDを買ってくれる人が結構いるので、100枚また追加プレスしてしまいました。今はTETSUYA/YUKOで演奏するためのオリジナルの作曲もしてます。また宜しく!!。
話は変わって、3月からY嬢が家から200m位の所に引っ越してきます。職湯も近くに変えました(一緒になれって?ありがと−つ)。またいろいろ節目節目で充実させなきゃな。俺の役目だ!!。つてことで、最後に演奏会ではノートパソコンを使い、口に棒を加えて、自分のパートは演奏してーなと思っている今日この頃です。BGMはNOFXでしたーっ、SEE−YA!!。1996/2/14

P.S 3月26日から鹿児島に流行に行きます。G-SAN、楽しみにしてます!!。初めての飛行機、緊張してるぜー、YEAH!!。

群馬県 TETSU-YA





今後の車椅子に・・・


はがき通信の編集の方々、皆さんの体験談等の情報ありがとうございます。今後の車椅子に村する私の価値観について報告します。今までの体験で感じていたことですが、車椅子は体の一部としていっそう重視したいと、こだわり始めました。車椅子が個人、個人で違うのは当たり前ですよね。工夫している方たちは、自分に合う様に他人には、気付かない所を微妙に改造しているようです。これも、サボートしてくれる人が回りにいるかいないかで随分違ってきます。僕は、電気配線、フレーム改造(溶接など)に専門の友だちがいますから、恵まれています。

昨年10月、皆さんご存じのように、パシフィックサプライが取り扱いだしたレカロシートですが、これには、うおっ!と叫びました。早速、連絡して調べました。既製品販売で、シート単体で販売、改造には、即対応が難しいようです。また、細かな万能性の要求もまだ出来ないようです。でも製品が紹介されたこと自体、今後に期待できそうです。

経験上、シートによる疲れ方を最近意識し始めました。そもそも初めての乗用車の助手席で、片道100km往復したとき、僕のハンディキャップ車との疲れ方の違いに驚きました。ワンボックスのままでの揺れの違いもあるでしようが。背もたれの影響も無視できないと思いました。市販は、レザー1枚張りで、考えても無理ないでしょうね。怪我する前、長距離運転していた時などを考えても尻は痛くなるし、肩は疲れるしで、自力で体位を変えられない私たちには、負担がくるのは当たり前ですよね。

電動に一日7、8時間継続で楽に乗っていたいですね。また外出時も傾斜などにも対応できるくらいの安定した座席を作り上げたいです。オーダメイドにしても、郵送でのやりとりは細かな作業が難しい。初めて作ったときには、僕が注文したにも拘らず、業者の経験による製作でトラプりました。僕たちの使う製品は、使う側の意向を100パーセント配慮して貰わないと困ります。

大阪の取り組みは前から注目しています。宮崎でも見習いたいと思っています。近くに最近座席を完成させた方がいます。いつか試乗させて項きます。通信にも報告してもらえそうです。

宮崎県 KF 入院中の脊損センターより 1996/2/26





Fさんの通信でふっきれた


皆さん、お久しぶりです!と言っても、「こんな人いたっけ?」と思われるでしょう。一昨年の9月に初登場させて頂いてからずっとご無沙汰しておりました。

その間、レギュラー陣の方々のご活躍を時には笑いながら、時には涙して拝見していました。「私も仲間入り・・・・・」と、ペンを取ってはみるものの、気負ってばかりで、いつも出せず、ひたすら受け身のみでした。

昨年、Fさんが施設生活と自立について本音を書かれているのを見てショックを受けました。私は「皆さんの仲間になりたい」と言いながら、投稿文を考える時に「良いことを書こう」としたり、カッコつけていたのでは?と気付きました。そのくせ私自身には何一つ良いことは無いから文なんて書けるわけがありません。

「皆さんはスゴイなあ。私とは全然違う」なんて思えば、益々書けなくなります。でも、麩沢さんの通信をきっかけに他の方々の通信も読み返してみると、全て飾りのない本音があり、ひとりもカッコつけていないのです。私はどうしてあんな風に「はがき通信」を見ていたのでしよう。なぜ、心で読めなかったのでしよう‥・。

これからは、本当の仲間入りの気持ちで、どんどん参加したいと思います。改めてよろしくお願いします。

4月より施設を変わることにしました。次回の通信には新生活を書きます。季節の変わり目は体調を崩しやすいので、皆さんご自愛下さい。1996/2/28

広島県 MH





今春の計画


こんにちは、今年は寒い日が続きますね。春の陽気が待ち遠しい。僕の場合、部屋にこもる時間が多いと、それだけ絵の製作時間も増え出来上がる作品はたまっていきますが、肩凝りと一緒にストレスも頭をもたげます。

近状報告を兼ねて、これから春までの予定を書きたいと思います。今は4月9日〜14日に開く「師弟展」に向けて作品に取り組んでいます。友人との絵画展は何度かありますが、15年はど指導して貰っている先生との2人だけでの作品展は初めて、やはりそれなりのプレッシャーも感じています。

それと平行しながら、5月19日日帰り旅行「ひまわり号を走らせる実行委員会」に参加しています(身障者とボランティア含め総勢約800名、貸し切り列車)。今回裏方のスタッフとして参加は初めてなので、少し戸惑いながら徐々に回数を重ねる会合に出席しています。日々の生活上にはない程良い緊張感、自分自身に一番欠落していることへのリハビリとして、社会勉強させてもらっています。

今年は姫路市への旅、2月初めに姫路城近辺を下見に同行。寒くて震えましたが、帰りの列車でのボラさんたちとにこやかな何気ないお喋りが心を温めます(昼食は、しっかり名産のあなごを食べました。普段では食べないのにな!)。

こうした状態で春まで気ぜわしくやり過ごしていこうと思っています。
実は、今回、向坊さんの勧めで、僕が年2、3回利用する療護施設のショートステイを有意義に活用した在宅生活について書いてみようと思っていましたが、細々としてまとまりのないものになってしまいました。いつかまた機会をみて書きたいと思います。

家族と一緒に暮らす重度障害者が共通して抱える問題や不安、そうした諸々の負担を少しでも軽減しながら出来るだけ永く、充実した生活を継続させたいと思います。そのための自助努力と様々な形での活路を見いだせたらと考えています。

実際にそうしたことが可能なのか、今の自分には不安の方が大きいのですが・・・。最後になって暗く沈んではいけませんね!。

「いつも心の薄着で笑っていましよう!」
皆さん、ご機嫌よう!

1996/2/29 岡山県 HF





頚損の名前がだんだん社会へ


暦の上ではとうに春なのに、毎日寒い日が続いていますが、みなさまお元気でしょうか。去年の12月初め、入院中のベッドの上でカードテレビを見ていますと、上村数洋さん(テレビに出られるぐらいですから、お名前は出してもよろしいかと)が、和田アキ子さんと古館伊知郎さん司会の番組「悪魔のささやき」に奥さん同伴で登場していました。
怪我から現在までのいきさつを話され、いざクイズ。「中に入れてよ」問題は、ひらがなやカタカナの文字の間に一文字だけを入れ、わずかの時間に4問ぐらい正解しますと賞金がもらえます。
賞金の金額はスタジオに来ているお客さんが決めます。話を聞いてから金額が決まり、上村さんの話を聞いたお客さんは、93万円という値段をつけました。最初はすらすらと答えられていたものの、最後の質問に戸惑われ、あと1秒もない時間ギリギリに答えられ、見ていてホッとした私です。

「海の写真」夢運び人さん撮影「パソコンを買うお金が欲しい!」とおっしゃっていた上村さんでしたが、私が思うところ、そうではなく、頚損という病気があり、その状態はこんなですよと日本全国の人たちに説明したかったのでしょうと思わざるを得ませんでした。パソコンが欲しいと言わなくても、すでに持っておらえるでしょうから。

同じ番組にごく最近、頚揖になった彼を温泉に連れて行きたいという女性が登場しました。28歳になる彼は、1年3ケ月前、静岡で開催された社会人ラグビーの試合で頚損になったとのこと、現在ベンチレー夕使用、話すことも出来ない彼を温泉にという要望に、入浴さえ一度も行えないのに、それはちょっと無理でしょう、できればお見舞いの交通費にと言う和田さん。

問題に答えられなかった彼女は、お金はもらえませんでした。しかしこうした頚損関係者のおかげで、普通の人には縁のなかった言葉、頚揖がだんだん表に出て来、私たちに大きなプラスとなってくることでしよう。
頸損がどんな状態かを説明するのに、ある程度の時間がかかり、ただ足が悪いだけとしか思われなくて、駅などで車椅子の介助の危険が減る方向になるでしょうから、たいへん良いことでした。

売名行為とか金儲けの為にとか言われるのを覚悟の上、日本全国の視聴者にその姿を見せられた上村さんに大きな拍手を送ります。
私は、奇跡的に退院出来ましたので、ワープロヘ向かえます。夢運び人-----1996/2/29。





2度目のフィリピン旅行


2月17日より24日まで、皆さんご存知の「フィリピン日本人障害者の家(GLIP)」に行って来ました。昨年は、初めての海外旅行で緊張し、少々楽しみはぐったところがあり、今年こそ思いきり楽しんで来よう、そして昨年お世話になった現地の皆さんとの再会を楽しみに、計画を立てはじめました。

運良く大学卒業間近のS君が同行してくれることになり、今年は、絶対に自分の電動車イスで行こうと思い、12月頃から電動車イスにリクライニング(手動)を取り付ける改造を業者にお願いしていたのですが、完成したのが2月初めで、出発も計画よりだいぶ遅れてしまいました。私の電動車イスは、まだ?ウエットバッテリ当日、東京は雪。東京駅でS君と待ち合わせ、JRで成田空港へ。この辺は、昨年と同じスムーズに行き、電動車イスのままゲートへ。航空会社で用意してくれた段ボール箱にバッテリーを入れ、別々に飛行機に。雪のため1時間遅れての出発で、狭い
エコノミーのシートに座り約4時間、マニラ国際空港到着。空港を出ると、夜中ですが沢山の人と自動車の排気音が懐かしく思え、何だか嬉しかった。迎えに来てくださった藤森さん達と合流。途中食事をし、GLIPに着くと18日4時を回っていた。


GLIPに滞在中の介助は、昨年お世話になったマヴックにお願いし、介助の手順はしっかり覚えていてくれて、とてもスムーズだった。街に行くのは明日にし、向坊さん、Fさん、Sさん、Tさん、私と、頚損者が集まり介助者をしたがえ麻雀をはじめた。本格的な麻雀は受傷以来初めてで、思いがけず楽しめた。(しかし35Oペソ負けた・‥)

翌日(19日)は、ルセナ市内の病院を訪ね、私の人工膀胱瘻のカテーテルを診せて、当病院でのカテーテルの交換などを医師に聞いてみた。来年から長期滞在を考えているので、その準DOG備だ。人工膀胱瘻の私は4週間に一度(尿の流れが悪ければ何度でも)のカテーテル交換は必要で、良いこともあるがここが人工膀胱瘻の悪いところだ。

20日 雨模様。日本が寒いときはフィリピンも寒いと言うが、今年は昨年にくらべ涼しかった。日中は麻雀。夕方、雨がやんでからみんなで散歩に行き、風がすごく気持ちよかった。

21日 昨日の雨がうそのように晴れ上がり、電動車イスで5O分ぐらいの所にあるプールに出かけた。プールのはか研修なども出来る宿舎などもあり、動物が放し飼いになっていた。帰り道、バスやトラックが通る交通量の激しい道路を電動車イス3台連なり、みんなの注目を浴びながら走ってきた。その晩、明日の海水浴を控え、マヴックに排便をお願いした。私が指図する間もなく進めてくれ、最後に「フアイブミニツツアフターフィンガーチェック」と言って摘便までしてくれた。

22日 ジープニー(ジープの荷台を長くしてシートをつけたような簡易バス)1台に十数人乗り込み、凸凹の道を約一時間。クリスチャンビーチに到着。しかし、小雨が降ってきて頚損組は雨宿り。でも若いアテンダント達は、敷地内のプールで元気に泳いでいた。

23日 S君とマヴックと、3人でルセナ市内に出てみやげの購入。昨年は、日本円に換算するととても安くて、あまり考えずいろいろ買っていたが、今年は、少々わかってきて考えてお店を回り、昼食には市内の日本食の店で、話の種にカツ丼を食べてみたが日本と同じ味で、75ペソと大変高価だった。その晩、GLIPに皆さん集まり、フィリピンのお祝い事などに出すレチョン(小豚の丸焼き)でお別れパーティをしてくれとても嬉しかった。

帰国当日、マニラ空港発8:45。GLIPを3時発。向坊さんから「1週間くらいではフィリピンの良さがわからない」と言っていましたが、本当にあっという間でした。しかし、現地の医師とも会えたし、電動車イスでも行くことが出来、これからの準備になりました。そして、片言の英語と一夜漬けのタガログ語で彼女たちとも、昨年より会話が出来たかなあ?と思っています。(しかし、彼女たちの日本語に庄倒されていた)

日記風に簡単に書いてしまいましたが、向坊さん、Fさん、そしてアテンダント4人、毎日笑いが絶えないとても良い寡囲気で、1週間が2日間くらいに感じ、とても楽しい時間を過ごさせていただき、本当にありがとうございました。

療護施設で生活している私にとって、冬の寒い期間「1年間のリフツレシュ」として行くにはフィリピンは最高の場所です。次回は少なくとも3週間くらい行きたいと思いますが、それにはある程度の英語力、体力と気力が必要です。次回また楽しめるよう、今から準備していきたと思います。

皆さん、これからもよろしくお願いします。

1996/3/2 TF




不便な街を体験して


震災から1年が過ぎました。あの時盛り上がったマスコミ報道もボランティア現象も今にして思えば物見遊山だったのかと思います。確かにまじめに取り組んでいたマスコミやボランティアもわずかではありますがいました。少なくとも地元のマスコミやボランティアは一所懸命でした。しかし、大部分は往時の学生運動の如くファッション・流行であったのではないでしょうか。

あの時と比べて、瓦礫はなくなりました。鉄道も開通しました。店もかなり再開しています。しかし、傾いたまま放置されたビルは三宮や元町の繁華街をいきかう人々の背景にはっきりと残っています。4万世帯を越える仮設住宅、いまだに再建の目処が立たない集合住宅、そんな中では障害者の暮らしなんかは完全に後回しにされています。

今、皆さんにお願いしたいのは、「被災地に来てくれ!」ということです。神戸でも西宮でも、私の住んでいる宝塚でもいいです。来て、何をしろとは言いません。観光してくれたらいいんです。障害者、特に重度の障害者に来て欲しいです。神戸阪神間は観光産業が多い街ですから、できるだけ観光に来てください。今こそ物見遊山に来てください。そして、余裕があったら、不便な街を体験してください。皆さんが今住んでいる街が、実は災害に弱いこんな失敗だらけの街なんだということを体験してください。皆さんの街が、「ほんとうに弱者にやさしい街」になるように。

犬クン

Kさん、お久しぷりです。

私が行っていた頃の物理学会は車いすの利用情報はなかったですね。頼んでいないのだから当たり前でしょうが。当時、私は電動車いすで学会に行ってました。行ったのは、大阪大学、名古屋大学、広島大学、鹿児島大学です。

広島大学は友人がいたので参加する分科会をやる枚舎について事前に調べておきました。教室の直前までは、スロープとエレベータで行けたのですが、どうしても教室の直前で階段を10段はど上る必要がありました。広島大学の友人に介助者を頼んでいたんですけど、少し早い目に行ったら参加者がたくさんいたので、介助が来る前に担いでもらいました。それ以後は、「学会だから人はたくさんいる」という安易な考え方で出かけて行くことにしました。この調子で他の大学に行ったら、どこの校舎もスムーズに行けてしまいました。特に鹿児島大学は使い易かったです。

私が6・7年前にこんないいかげんなことをしていたので、物理学会は今まで対応してくれなかったんですよね。申し訳ない。(∧∧ゞ←そんなおおげさなことでもないか・・・)

Mさんこちらにも同じ年賀状いただきました。お返事出せなくてすいません。こちら被災地で2年分の確定申告(所得税、住民税、国民健康保険料など)の準備で正月からまだ2日しか休めない多忙モードです。写真とはいえ、まさか外出されてる姿を拝見できるとは思っていませんでした。よかったですね。元気そうで何よりです。呼吸器利用者の先人となってくださいね。

1996/2 兵庫県 SS




寒がりと真冬の新幹線


1月25日に、五日間の京都旅行から帰ってきました。京都大学で行われた物理の研究会に参加するのが目的で、出張のようなものです。いつもの旅行と同様に、手動車いすを使い、介助者として妻に同行してもらいました。この研究会は、例年はもう少し早い時期に開かれていましたが、今回はとても寒い時期になってしまいました。初の真冬の旅行でしたので、新幹線について少し念入りに調べました。車内の気温が心配だったからです。

新幹線には、車いす用の“座席”として、“個室”と“オープン席”が用意されています。オープン席は、車いすに乗ったままいられる場所として、通路例の椅子をはずしてある所です。客席のドアから近いところに、ニケ所あります。

私たちは、最近はおもに車いす用個室を利用しています。個室はたいして広くはありませんが、静かなので落ち着けます。それに、自分たちさえ煙草を吸わなければ、禁煙席になるのもよい点です。ただ、この車いす用個室の最大の欠点は、はとんどエアコンが効かないことです。通風口があるのみで、客室外の通路とほとんど気温が変わらないのです。そもそも乗務員用の荷物置き場に手を加えた程度の個室なので、当然なのかもしれません。

これまでは、学会のある春と秋の気候のいいときを中心に利用していたので、大きな問題には到りませんでした。一方、オープン席は客室ですから、エアコンがきちんと効きます。それに、個室と違って、売り子さんが通れば当然わかるので、旅行の気分がきちんと味わえます。問題は、東海道・出陽新幹線のオープン席は、喫煙席にしかないことです。これまでにも何回かオープン席は利用していたのですが、私たち二人は煙草の煙が大の苦手なので、最近は個室に逃げ込んでいたというわけです。悩んだ末、やはり温度を優先して、往復ともオープン席をとりました。

当日、オープン席に落ち着いてしばらくした後、通りかかった車掌に頼んで個室の気温を確認しました。やはり、気温は通路とあまり変わらずひんやりとしていて、オープン席を選んだのは正解でした。暑さ寒さに強くない方は、現状では、真夏と真冬の個室の利用は避けた方がいいと思います。

JR東海・営業部商品管理課(03-3271-8153)の話では、いま導入が進んでいる新幹線の新型車両にのぞみ型(300系)というのがあり、個室もだいぶ改善されたとのことでした。座席も広くとってあって、エアコンもよくなっているはずだそうです。客室用の個室として売れるほどという詰でしたので、車いす利用者もようやく人として扱ってもらえるようになったみたいです。

実は行きに使ったのは、のぞみ型車両でした。それなのに、個室の気温は決して過ごしやすい高さにはなっていませんでした。理由の一つとして考えられるのは、利用者が来るまでは、個室は閉め切って通風ロを閉じたままにしていることです。もしかすると、個室に入ってしばらくたつと、気温が上がってくるのかもしれません。しかし、暖まるまで待たせるようでは、よいサービスとは言えません。

もし、誰も個室を利用していないときでも通風口を開け放しておけば、少しは暖かくなるはずです。問い合わせたJR東海の人に、提案してみました。これは、採算とは関係なく運用面だけのことなので、実現できそうな手ごたえを得ました。

のぞみ型の個室は海側にあるので日当りもよく、この改善がなされれば、居心地がよくなるかもしれません。いっそのこと、オープン席を禁煙席にしてしまえば、こんな問題もなくなります。一応この意見も言ってみましたが、灰皿を撤去する費用がかかるということで、当面の実現は難しそうです。

いろいろ話をうかがった中で、苦情窓口として、“オレンジボックス”というものがあることも教えてもらいました。各駅に箱が備え付けてあって、そこへ投書すると、書面で回答してもらえるとのことです。新幹線は国内では車いす利用者にとっても比較的便利な移動手段だと思います。気が付いたことがあれば積極的に意見を言って、より便利にしていきたいと考えています。

皆さんもご存じかと思いますが、車いす用座席の情報及び切符購入法は、JR時刻表に掲載されています。詳細はそちらを参照して下さい。JTB時刻表には、残念ながら載っていません。 1996/2

東京都 AK




雪の北海道より


こんにちは!
この冬は、日本中、寒波に襲われて大変でしたね。皆様の所では如何でしたか。北海道はご存知の通り、連日の雪、雪、雪。手押し式車椅子の私は介護者の夫(Yと申します。これからは、よっちゃんと書かせていただきます)に、押したり持ち上げてもらう訳ですが、雪道は始末が悪い!私の車椅子は、重度障害者用のため後輪が小さいので、そこいらじゆうにある雪の段差を超えるのは大変なようです。また、スロープでは、除雪していなければ段差があるは、除雪してあれば凍って、滑って止まりにくいはで、スリル満点(?)です。電動車椅子の方も冬は篭もりきりになってしまうと聞いたことがあります。雪は車椅子での行動を本当に阻むものです。この辺は、北国で、考えていかなくてはならない問題でしよう。

はがき通信を拝読していると、日本では、どうも北のはうが対応が遅れているような気がしてなりません。私がまだ知らないだけかも知りませんけれど・‥。今はとにかく身近な問題をなんとかしなければと思ってはいるのですが、頭の中で考えることばかりが先走って、だめですね。

2月に、初めて松井さんにお電話致しました。よっちゃんにかけてもらい、途中で代わってもらったのですが、松井さんのお声を聞いた途端、ひとりで勝手に感激して、声がつまってしまい、結局、何もお話できなかった観でした。けれども、いつか

きっとお会いしましょう、とおっしゃって頂けて、勇気百倍、泣いてちゃいかん、と思いました。有り難うございました。はがき通信の皆様にもお会いしたいと思っています。是非ご一報ください。ただ、北海道は如何せん遠いですね。

北海道 AS 1996/3/3




家族通信、力強い味方に


皆さん お元気でしょうか。
毎日まだまだ寒い日が続いています。息子が風邪を引かないようにと注意していましたら、私が風邪を引き、2〜3日寝込んでしまいました。息子が大学へ行っている間は、ゆっくり寝ていられますが、帰ってからは大変です。

私が寝込むと、風呂は主人と弟でどうにか入れられますが、便出しだけは、寝ていても、だれも替わってもらえません。寝ていても便出しだけはしなければなりません。だから長く病気をしていられません。TIさんのお母様も持病を持ち入院してもやはりKさんを案じるというお気持ちがよくわかります。

さて「はがき通信」を会費制にすること、賛成です。ぜひ会費制にして「・・・会」というような組織になるといいと思います。いかがですか。もちろん「はがき通信」でもいいのです。ただ頚損の団体だと仲間意識ができます。自分は頚損の団体に入って、たくさんの仲間がいるのだという力強い味方のような感じがしませんか?

息子がパソコンを買いました。普通の人のように機種を選べません。その時「はがき通信」の人たちが使っている機種を参考にしました。FさんやSさんに電話でいろいろ教えていただいていたようです。その時、やはり仲間意識があるからだと思いました。

これからもたくさんの仲間を作って1年に1度くらい、仲間の皆さんとお会いしたいものですね。その時は是非、付添も一緒にということにしてください。近ごろ、息子は一人でどこでも行きます。私もたまには皆さんにお会いしたい、楽しみにしています。

暖かい春まで、お元気でお過ごしください。

福岡県 FG 1996/2/22




人工呼吸器使用の夫を支えるSさん


日増しに春めいて参りました。
皆様、如何お過ごしですか。今年の冬は雨らしい雨も降らずカラカラお天気でした。こちら埼玉でも水不足による節水が呼びかけられ、たいへん心配されましたが、2月18日大雪注意報まで出る雪が降りました。埼玉では10cmはどの積雪でした。思っ

たより少なくすぐ解けてしまいました。雪の後に少しまとまった雨も降り、乾ききった大地はやっと潤うことが出来ました。

埼玉県大宮市にお住まいのSさん(ご主人が人工呼吸器使用の頚損)と「あの子の笑顔は永遠に」の本を通じて電話で話すことができました。「はがき通信はいつも読んでいますよ」と言われ、初めて話す方とは思えない親しみを感じました。Sさんは今、(都立)府中病院に入院されていますが、3月には自宅療養に向けて自宅の新築工事を始めるそうです。近々、大宮の病院へ転院される運びとなったそうです。ご自宅から近い病院へと自宅療養への第一歩を踏み出すという嬉しいお話でした。ご主人様は、きっと自宅へ帰る大きな喜びと希望がこれからの励みとなることと思います。呼吸器を付けていることの看護の大変さ、本人の苦しさは、同じ思いと経験をした人同志でなければ分からないこと、通じ合うことができないと、意気投合し、つい熱のこもった話になってしまいました。以前から分かち合える人と話をしたかったとたいへん喜んで下さいました。

私も、本を出版以来初めて呼吸器を使っておられる方からのお電話を受け、微力ではありますが、お役に立てることができれば嬉しく思います。大宮から府中病院まで、一日おきに泊まりの通いをしていらっしゃるとのこと、さぞ奥様もたいへんなことでしょう。どうか1日も早く新しいお家ができ、ご家族揃った生活ができますように心からお祈り致します。まだまだ寒い折、お体に気をつけて頑張って下さるように遠方ながら応援しております。

埼玉県 HS 1996/3/1


HSさんはこれまでもたびたびカンパを寄せて下さっていますが、今回は2万円、通信に使ってほしいと同封されていました。Sさん、そのまま向坊さんにお渡しいたします。

注:笹井裕子著「あの子の笑顔は永遠に」の感想文を鹿児島のRGさんが送ってくれました。はがき通信よりはるかに読者層の多い、全脊連機関紙「脊損ニュース」に投稿したところ、3月号に掲載予定となりました。

松井

司法書士新人研修会の旅と留学試験にトライして



はがき通信に、はじめてお便りします。福岡県北九州市在住の田中雄平といいます。現在23才で、北九州大学の大学院法学研究科1年に在学中です。先日(2月の上旬だったと思います)、私と同じように電動車イスで北九大に通っている後郷くんに、はがき通信のことを教えてもらって、過去のはがき通信を見せてもらいました。みなさんの旅行体験記や車イスその他の機器の情報など内容盛りだくさんで、とても参考になりました。新参者ですけれどもよろしくお願いします。

さて最初ですので、私の自己紹介をしますね。私の病名はウェルドニツヒ=ホフマン病といって、生まれた時から一度も自分で歩いたことはありません。からだ全体の筋力が非常に弱く、筆記と食事は独力でできますが、着替え、車イスの乗り降り、トイレ、お風呂などでは全面介助が必要な状態です。生まれてからずっと両親(父52才、母46才)と一緒に生活しており、介助もすべて両親に依存しています。きょうだいは妹が一人いて、現在大学生で出口県で一人暮らしをしています。

小・中・高は市内の養護学校に通い、その後北九大に合格して大学生活もまもなく丸5年になろうとしています。大学への送り迎えを母の運転する車でしてもらい、学内では友人にいろいろと手伝ってもらいながら勉強しています。

昨年、超難関(?)の司法書士試験に合格することができ、大学院を卒業したら、どこかの司法書士さんの事務所に就職して、将来的には自分の事務所をもてたらいいな、と思っています。

その司法書士の九州ブロック新人研修会が1月14日から19日まで沖縄で行なわれ、私も参加してきました。そしてさらに、1月19日にダスキン主催の「障害者リーダー育成海外派遣事業」(いま手もとに資料がないため、正式な名称ではないかも知れません)の面接試験が東京でありましたので(結局面接で不合格でしたが)、沖縄から直接、羽田空港へ飛んで行きました。これだけ短期間のうちに日本列島を縦横無尽に行き来したのは初めてでそれだけでも貴重な経験だったのですが、さらにこの一週間で「両親がいなくなった場合の自分の生活はどうなるのだろうか」とか「障害者はどう生きていくべきなのだろうか」(ちょっと大袈裟ですが)とか、いろいろ考えさせられましたので、自己紹介はこれくらいにして、そちらの方に話を移していきたいと思います。

司法書士新人研修会の参加準備

昨年の12月上旬、福岡県の司法書士試験合格者の合格証書授与式が博多でありました。そこで、福岡の合格者はみんな同じ飛行機の便で沖縄に行こうという話になって、全員、合格者のなかの一人の女性(Fさん)に航空券の購入を頼むことになりました。私も自分の分を頼んでその日はお別れしたのですが、それまでに経験した、親もとを離れての旅行は1泊2日が最長だったので、「やっぱり1週間の研修だし、父さんか母さんのどちらかに付いてきてもらわないと無理かな」と思い、後日Fさんに、もう一枚追加購入をお願いする電話をしました。するとFさんが「田中さんがもし私たちに遠慮してそんな事いっているのなら、その必要はないですよ。もし今回ご両親のどちらかに付いてきてもらったら、結局これからもずっと付いてもらわなくちゃいけなくなりますよ。私がよく知っている若い男性の合格者も2〜3人いて、みんないい人たちばかりだから、みんなで一緒にいってみましょうよ。」といってくれました。Fさんは私の母と同じ年で、だからという訳でもないでしょうが、すごく説得力を感じて、また私自身も合格後、「自立」ということを漠然と考えはじめていましたので、「そこまで言ってく れるなら」と思い、一人で参加することを決心しました。

そうなるといろいろ準備しなければなりません。航空券を購入した旅行代理店に連絡をして、電動車イスを飛行機に積めることを確認したり(これは当日ちょっと問題になりました)、那覇空港から研修会場のホテルまでのリフトタクシーを予約したり、その他もろもろです。とくに1週間という期間ですので、お風呂と大便を省略する訳にはいかず、市内の身障者福祉協会にお願いして、地元那覇のヘルパーさんを斡旋してもらい(旅行先でのヘルパーさん斡旋のネットワークがあることを今回はじめて知りました)、2日に1回牛後5時30分から2時間、お風呂と大便の介助で2人の男性に来てもらいました。それと、もう一つしなければならなかったことは、母を説得することでした。「一から十までしてもらわないけんのよ。初対面の人ばかりなんやし、みんな本心では面倒くさいと思っとるんやけ。お母さんが付いていくよ。」と言う母。「確かにそうだな」と時々決心がぐらつきそうになりましたが、出発直前まで粘り強く説得を続けました。

そうこうしているうちに年が明け、1月7日に福岡県だけの1目研修があり、博多まで母の運転する車で送ってもらい、また合格者のみなさんと顔をあわすことになりました。すると、FさんやHさん(30才の男性の方)に「私たちは田中さんが自分で何ができて、何をお手伝いするべきなのか分からないからお母さんに開いてみましょうね。」と言われ、また、介助しなければならない項目を紙に書いて欲しい、とも言われました。ちょうどこの頃は私の決心がぐらついているときで、とっさに「こんな

ことを言うということは、やっぱり直前になって私のお世語をするのが嫌になったのかな。暗に母に付いてきて欲しいと言っているのかな。」と勘繰ってしまいました。そして帰りぎわ、Fさん、Hさん、私の母で話をしたときも母は上述のようなことを言いましたので、結局その日は結論が出ず、こちらでもう一度よく相談したうえでHさんに連絡するということになりました。

2〜3日悶々と考えました。「介助項目を紙に書く」というのは何か事務的で私自身抵抗がありました。というのも大学生活では、トイレ(小)(シビンでしています)の介助からその他いろいろなお手伝いを自然な成り行きのなかで友人に頼めるようになっていましたので、今回も同じようにいけると簡単に考えていました。だからこそ変に勘繰ったりもしたのですが、「今回はお互い初対面だし、期間も1週間と長い。また遊びの旅行ではなく勉強しにいくのだから、研修以外での精神的な負担はお互い少ない方がいいに決まっている。だから単純に、ちゃんとした形で介助項目を知りたいと言っているだけなんだ。」と自分自身に言い聞かせて、ようやく決心を完全に固めることができました。実は、上述のヘルパーさんがなかなか決まらず、それが決心をぐらつかせる一つの要因になっていたのですが、この時期にやっと決まったとの連絡を受け、これも決心するうえで大きかったと思います。

さっそくHさんに介助項目を書いて送り、Hさんも「この程度なら僕達にもできる。」と言ってくれました。母は最後まで付いていくと言い張りましたが、「普通に考えれば親が先に死ぬ。その時俺は自分でなんとかしなくちゃいけないんやから、今回一人で行って他人にお世話してもらうことがどれだけその人にとっても、また自分にとっても大変なことか実感してこなくちゃいけない。そうすれば自分の障害の重さというものもちゃんと理解できる。今回はそのいいチャンス」みたいな事を言って、なんとか納得してもらいました。実際そうなんです。私は生まれてから今まで、自分が障害者なんだという意識をほとんど持ったことがありません(普通高進学を諦めた時以外は)。それは家族の、はたから見れば本当に献身的な、世話があったからだと思います。それに甘えている自分を何とか変えてみたいと思ったのです。はがき通信の会員の中には、自立生活をされている方も多そうなので、本当にお恥ずかしい話なのですが。

沖縄研修旅行

当日は福岡空港まで両親に送ってもらいました。さて搭乗というときにさっそく問題が発生しました。JALだったのですが、電動車イスはバッテリーが危険物だから積めない、もし積むのならバッテリーを取り出して別の箱に詰め込まなくちゃいけない、と言われたのです。流行代理店からの連絡がうまくいっていなかったのです。しかし取り外すといっても那覇でまた接続するのに時間がかかりますし、何とかお願いして配線を2箇所だけ外してそのまま手荷物として積んでもらうことになりました。いきなりのつまずきで一緒にいく同僚の方にも迷惑をかけましたし、一瞬焦りました。やはり自分で直接航空会社に問い合せるべきだったと痛感しました。電動車イスはカウンターで預けて航空会社の小型車イスに乗り挨えて座席まで行きました。

1時間40分。天候が悪くあまり下界を見ることができないまま那覇空港に到着しました。翌日から9時〜5時のハードな研修が始まりました。部屋はツインの部屋が一人ずつに割り当てられたのですが、私の場合は男性の同僚の方に1日交替であい部屋をお願いしました。腰を痛めるといけないので車イスの乗り降りは必ず2人でしてもらい、トイレ(小)、髪に櫛をあててもらったり、ヘルパーさんが来ない日は電気かみそりでひげを剃ってもらったりもしました。夜寝ているときの寝返りは自分では出来ないのですが、自宅でも6〜7時間は同じ方向を向いていても大丈夫なので、あい部屋の方を夜中起こすこともありませんでした。お風呂はユニットバスで狭かったのですが、ヘルパーさんが慣れている方で、とても助かりました。着替えは2ロに1度、ヘルパーさんが来るときにやりました。大便はなかなかヘルパーさんが来ているときに催さず困りましたが、1度だけ出すことが出来ました。4〜5日出なくても何とかなるもので、これはある意味で自信になりました。講義の間は、女性の同僚の方が私の隣の席に、これもまた1日交替で座ってくれて

テキストを取ってもらったり等、郷細かなお世話をしてくれました。

研修3日目の午後は野外研修で、首里城や嘉手納飛行場を見て回りました。道路のすぐ上を戦闘機が飛んだかと思うとその直後に地響きのような爆音が続き、今問題となっている沖縄の現状を垣間見た気がしました。首里城は4年はど前に全面的に改装されたようで、ほとんどの階段に昇降磯が付いていて、車イスの観光客のことをここまで考えた歴史約建造物を見たのは初めてでした。マイクロバスでの観光だったので、事前にホテルに手押しの車イスを用意してもらって、同僚の方に押してもらって参加しました。バスの乗り降りは大変でズボンやシャツがずれまくり、またバスの座席での姿勢の維持もきつかったですが、みんなよくしてくれて何とか乗り切ることが出来ました。

約1週間の研修。行く前は余計なことまで思い悩んで、一人で行くべきか非常に迷ったのですが、行ってしまえば、搭乗手続きでちょっとつまづいただけで、あとは全て順調にいきました。自分の障害というものを旨の前に突き付けられるような経験になるかとも思ったのですが、それもあまりなく、

「これからはどこへでも一人で行ける。」との自信を大きくした研修流行でした。

留学面接試権

さて次は、タスキンの留学の面接です。これは、障害者を福祉の先進国に派遣して帰国後、地域の福祉活動のリーダーとして活躍してもらう、という趣旨のものです。はがき通信の会員のみなさんの中にも応募され、また実際にこの事業によって留学を経験された方がいるのかも知れませんね。司法書士の研修は19日の午前中まであったのですが、それを受けていると面接時間に間に合いませんので、最終日はさぼって9時のJALで羽田に向かいました。東京では一緒にいってくれる同僚の方もいませんので、やむをえず前日に父に沖縄まで来てもらって、一緒に東京へ行きました。また電動車イスだと何かと動きがとりにくいこともあるだろうと思って、父に自宅から手押しの車イスを持ってきてもらって、東京ではそれで移動しました。電動車イスは沖縄から自宅まで船便で送ったのですが、これが第2の失敗で、1週間近くも届かず、帰ってからもしばらく大学へ行くことが出来ませんでした。

羽田空港からリムジンバスに乗って新橋西口まで行き、そこから普通のタクシーに乗り換えて会場の戸山サンライズへ向かいました。到着すると、すでにオリエンテーションが始まっており、全国から18人の方が来ていました。車イス利用者は私を含めて4人で、その他、視覚障害者、聴覚障害者、腎臓移植を受けたことのある方などが来ていました。この中から10人にしぼられ留学内定者になるとのことでした。

さっそく英語の筆記試験(10分間)を受け、英単語の問題が10題と美作文の問題が2題出ました。その後一人ずつ日本語による面接と英語による面を受けたのですが、この日本語の面接でいろいろなことを考えさせられましたので、少し書くいてみたいと思います。

まず入室してすぐ、留学趣意書の内容が漠然としている、と言われました。法学部で学んでいるということもありて、私は趣意書に「アメリカの大学へ行って、障害者の社会参加に関する法律を学びたい」と書いていました。
「日本の障嘗者基本法って知っている?」
「名前だけしか知りません。」
「じゃあ、その前身の法律の名前は?」
「分かりません。」
「そんなんじゃ、アメリカに行って向こうの学生と議論しようとしても出来ないよ。まず日本の現状をきちんと把捉しておかなくちゃ。ダスキンに障害者の留学制度があるからということで、それに乗ってきたというのは分かるけど、君の場合はまだまだ準備不足のような気がする。司法書士の資格を持っていることも留学とはあまり関係ない。」

こんなきつい質問を矢継ぎばやに浴びる面接は初体験だったので、非常に動揺しましたし、腹も立ちました。でも後から冷静になって考えると、面接官の言う通りなんですよね。ちょうど司法書士の合格も決まった昨年の秋に、大学院の先生からこの留学事業を紹介され、「これで来年、夢のアメリカヘお金を出してもらって行けたら、超儲け物だな。」の軽い気持ちで応募していましたから、そこを見事に見抜かれたという感じです。地域のリーダーになるくらいなのだから、充分な準備と熱意が必要なのは当たり前です。考えの甘かった自分を反省しました。

しかし、次に紹介する質問に関しては今でも納得できない面があります。みなさんはどのように思われますか。

「田中さんは、とくに今まで障害者団体等に所属されていたこともないようで、他の障害者とのつながりがあまりないと思われるのですが、そのような状態で帰国後どうやって障嘗者運動に参加していくつもりなんですか?」

私はきつい質問の連続に動揺していましたので、「これから、障害者の方とのつながりを持っていきたいと思います。」とだけしか答えられませんでした。

確かに障害者どうしの連携は大切ですし、私もこれから多くの障害者の方と交流していきたいと考えています。このはがき通信がそのような場所を私に提供してくれそうなので、とても感謝しています。でも一方で、5年間の大学生活を振り返ってみると、友人との交流を通して彼らに私という個人をある程度ですが理解してもらえたと思っていますし、また彼らの障害者観というものも多少変えることが出来たのではないかと思っています。私は、そんな自然な交流を通した健常者と障害者との信瀬関係がベストではないかと思っています。面接官の方の真意はそうではなかったのでしょうが、障害者が障害者運動をやっていく上で健常者とのつながりはあまり役に立たないのだ、と言われたような気がして、面接終了後も何か釈然としない気持ちが残りました。また、この質問にたいして、上述した自分の考えをうまく伝えることが出来なかったので、とても悔しい思いをしました。結局、この程度の質問でおじけづくようじゃ、留学なんてまだまだということなんでしょうね。司法書士合格で天狗になりかけていた私にとって、いいお灸だったのかも知れません。来年もチャンスがあれば応募しようと思っ ています。

翌日は少し東京見物を、とのつもりだったのですが、朝から雪が降りだしましたので、新宿のアルタビルを外から見上げただけで(完全なおのぼりさん。しかも土曜日だったので笑っていいともはありませんでした。残念)、早めに羽田へ行き、JASに乗って北九州空港へ帰ることにしました。
1週間いろんな事を経験し、また考えましたが、とにかく私のこれからの人生においてよい肥やしになる体験だったと思っています。みなさんからのご意見や批判を聞かせてもらえるとうれしいです。

北九州市 YT 1996/2/28





広 報 部 だ よ り


■ はがき通信・パソコン通信IDリスト NIFTYID:VEDOllOl 麩澤

はがき通信は次号より編集体制が変わろことになりました。皆さんの原稿をいったん北九州の向坊さんに集め、それを全国の入力を手伝ってくれる方にわけ、また向坊さんに集めて発送する予定です。その原稿のやり取りは「パソコン通信」で一瞬のうちに送ってしまおうと計画中です。NIFTY・PC−VAN・インターネットとも交互に文書のやり取りが可能です。各、パソコン通信のIDをお持ちの方、「はがき通信・パソコン通信IDリスト」を作ろうと思いますので、メールお待ちしています。
また、お手伝いしていただける方も、連絡お待ちしています。

■ お知らせとお礼 : 松井

次号39号から編集・発行ともに向坊さんにバトンタッチすることになりました。通信1号(1990年2月)から丸6年間、編集と実質的な発行を神経研で担当させていただきました。これはど長く定期発行を継続できたのは、ご家族を含めて皆さんの期待と支持が強かったこと、通信を研究活動の一つとしたため神経研・社会学部門スタッフの協力が得られたことだと思っています。私自身、通信を通じて貴重な体験と深い交流の機会を得ることができました。研究を続けていく上で、どれだけ励みになったか分かりません。感謝の気持ちでいっぱいです。

4月から浜松医科大学看護学科に異動します。当分の間、引越、資料整理、講義や会議などに忙殺されそうです。はがき通信に今まで通りの係わりは無理でしょうが、できる限り手伝いながら参加させていただきたいと思っています。せめて家族の通信は4月以降も入力を担当したいと思います。

今後の発行計画についてフィリピン滞在中の向坊さんから連絡がありました。フィリピンで印刷した場合、原稿の締切は3日早めるが、10ベージの通信を450部印刷したとして、1部40円、日本への郵送費52円、封筒代4円、人件費5円、計1部100円で発行できる見積だそうです。現在韓国、台湾にも問い合わせ中ですが、はぼ同額と予想しているそうです。

会費制で、しかもできるだけ安くと考慮されての見積ですが、いくら海外で印刷発送しても、従来の経験からこの額では非常にきびしいと思います。はがき通信の継続には会費に加えて、可能な方には多少の寄付もお願いせざるをえないと考えていますが、如何でしようか。

通信の定期的な発行には、印刷や発送費以外に多少経費が必要になります。研究費は現金化できませんので、その経費はこれまでも有志のご寄付で賄ってきました。切手を含め、過去6年間にご寄付下さったのは以下の方々です。

MF様、HS様、T様、HS様、KI&M様、H様、KH様、JO様、MS様、MI様、TU様、AM様、TF様、KG様、HT様、K様、HT様、KT様、外の方々です。あらためて御礼申し上げます。皆さんのご厚意は存分に活用させていただきました。残りの資金や切手は今後の印刷発送の補助として向坊さんに引き継いで頂きます。

なお、はがき通信を通じて私が頚髄損傷について研究し学んできたことは、「頚髄損傷一自立を支えるケアシステム」と題して一冊の本にまとめました。内容は、頸髄損傷とは、日本の頚髄損傷者、カナダBC州の頚髄損傷プログラムと3部構成です。定価は未定ですが、医学書院から4月末出版の予定です。頚髄損傷について理解を深めるため活用して頂ければたいへん嬉しく存じます。

前号でお知らせした曽我部教子著「がべちゃん先生の自立宣言」(樹心社、1800円)が1月末出版されました。樹心社の亀岡社長から1部贈呈していただきました。

曽我部先生の自立のあゆみはこれまでいろいろと読んだり、聞いたりする機会がありました。しかしこの本は、そうした記録の寄せ集めではありません。書き下ろしです。37号の通信にあるように、A4親約80枚、ワープロで綴った力作、いままでの断片的な情報につながりができて、先生の自立のあゆみがたいへんよく理解できます。C4、4ケ月近くベンチレータを使用していたほどの重度障害にもかかわらず、単身で地域生活、さらに復職、それも理科教諭で現職復帰を目指す。先生の自立に対する意気込みはすさまじさを感じます。私は同年代だけに先生の気迫に圧倒される思いで読みました。

でも凄さだけではありません。不安、恐怖、迷いなど感情が率直に吐露されて、先生の人間味が参みでてきます。“デモシカ”教師として出発した先生を教職に誇りの持てる教師に成長させたという生徒たち、やんちゃだったかつての教え子たちが支援の会のメンバーに「ガベちゃんをいつまでも宜しく」と頼んだそうです。彼らにとってかけがえのない存在だったんですね、曽我部先生は。感動しました。

またひとつ良い本ができたと樹心社社長、亀岡ご夫妻(奥さんは曽我部先生と大学時代の学友)の自負が領けます(松井)。



あ と が き

あとがきを担当するのも最後となりました。皆さんのお陰で読みごたえのある通信で締めくくれたと感謝していますが、如何でしようか。3月は多忙でしようから編集を変わりましようかと、フィリピンの向坊さんから問い合わせを頂きました。最後の締めくくりはしたかったので、大丈夫と返事をしましたが、案の定、時間に追われてしまいました。8日の締切まで通信を待てませんでした。Kさん、すみません。次号用にパソコン通信で麩沢さんに送って下さい。ファックスは途中途切れて、読めない箇所がありました。

Kさん、サイパンの旅良かったですね。留守中、大分の皆さんはさぞ淋しかったことでしょう。Kさんがいるといないとではセンターの明るさがまるっきり違うとYさん(Fさんを師匠として東京で自立生活の訓練中)から聞いてます。それにしても去年の後半から「気合いを入れて取り組んでいること」って何でしょうか。

MHさん、同じような反応は外の方からも寄せられています。無理せず書きたいときに書くのが一番、だからこそ読む人に何かしら伝わってきたのだと思っています。はがき通信では毎回、催促した原稿はありません。何時ごろからか、編集間近に、自然と通信が集まってくるようになりました。

夢運び人さん、久しぶりですね。ぱったりと音信不通になったので心配していました。貴方の通信には毎回、はっとさせられる部分があります。頚損は単に四肢麻痺の障害だけではないと。頚髄損傷とは人の生活にとってどういう障害なのか、私もずっと追究してきた課題です。連絡先教えて下さい。お送りしたいものがあります。

FTさん、2回目のフィリピンで自信がつきましたね。文章からも伝わってきます。成瀬さん(現仝脊連副会長)の奥さんは沢渡温泉病院に入院中の貴方を初めて見舞って障害の重さにびっくり、不憫で可愛そうでたまらなかったそうです。その麩沢さんが今や秩父から介助者なし単身で夜、中野サンプラザに来たり、フィリピンに再度出かけたりで、変貌ぶりにさぞ感無量でしよう。

Sさん、久々の通信ありがとうございました。体験者の重みですね。身の引き締まる思いで読みました。大阪にはMさん以外にもベンチレー夕使用者が数人います。Mさん以外の方はまだ一度も外に出ていません。大変でしょうけど、どうぞサポートして下さるようお願いします。

締切まぎわ、嬉しいニュースが飛び込んできました。Oさん、ジュリーさん、おめでとうございます(二世誕生のきっかけは通信20号に紹介されています)。
次号から通信は向坊さんに送って下さい(パソコン通信利用者は麩沢さんでも可、広報部だよりにアドレスがあります)。皆さん、一層のご協力をお願いします。



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