は が き 通 信 Number.29---P2 前ページへ戻る
POST CARD CORRESPONDENCE 1994.9.25


初めての通信 : 佐賀から初めまして

佐賀県 TN

嬉野温泉のとなり村に居座っているTNと申します。
昭和28年生まれの40歳、独身です。AB型・へび年・乙女座です。昭和49年、佐賀大学経済3年在学中、器械体操部の練習をしていて頭から転落、頚椎5、6番の脱臼損傷の完全マヒとなりました嬉野の国立病院に2年弱入院のあと、自宅にもどって母親の介助を受け現在に至りっています。

十数年前から自室で中学生相手の英数塾を開いています。その一方で地元の文芸同人雑誌に加わり、詩・短歌・小説・ずいそう・評論などを書いています。大半は身銭を切って発行していますが、地元の新聞・雑誌から依頼されたものなどには、わずかながら原稿料をもらっています。仕事にはミノルタのワープロ(MWP55)とNECのパソコン (98NOTE,NⅩ/C)を使っています。

この「はがき通信」は、福岡のケイソン鈴木郁子さん、同じく清家一雄さんの経路で紹介してもらいました。借り物の言葉でないところが、出色の冊子だと注目しており、今回お仲間に入れていただけてワクワクしています。よろしくお願いします。目下のところ、「障害者の文学」についての評論を書いておりますので、関連の資料について耳よりな惰報をお持ちの方、お教えくだされば幸いです。この通信でもケイソンのお仲間たちの文学意識が少しでも拓かれてゆくよう、お役に立てれば嬉しいです。不一
8月20日 佐賀県




Nさんからお便りや著作集を送りていただくようになってもう1年ちかくなります。こちらからはがき通信を送っているのに、いつになったら通信を送って下さるのかと内心やきもきしていました。ところが「私のハガキはなかなか載せてもらえませんね」とNさんの暑中見舞いにびっくりしてしまいました。私宛のお便りと思いこんでいましたが、Nさんは通信と兼用のつもりだったそうです。今回はみなさん宛に直接書いて頂くよう、あらためてお願いしました。
松井


気管カニューレを入れたまま

広鳥県 HK


初めてお便り差し上げます。
私はC4レベルの頚髄損傷者です。中小企業の第一線経営者でしたが、平成4年2月3日の夜、暗い所で1メートル半くらいの高さより足を踏み込み転落してから約2年間病院生活をして、現在は家庭療養しております。
その間、生死の間をさまよい肺炎を2回して、現在は気管切開しカニューレを入れたままです。肺にカがなく痰を出すのが弱く、誤飲があるからです。大半はベッドの上ですが午前、午後の2回車騎子で散歩に連れて行ってもらいます。食事はペッドをおこして頂きますが、痙性があるのとしんどいのとで柔らかい物を食べておりますが、命がけです。川内先生に設計していただき、パートナーで週1回お風呂に入ります。四肢マヒで首と手が少し動きますが、自分の用は全然出来ません。痙性がなかったら、楽なのになあと考えます。落ち込んで死んだ方がよいとも思います。

以前はよく話していたのが最近は余り話さないとも言われます。人と話すのがおっくうでどうしても自分の殻にこもりがちです。皆様のお仲間に入れて頂きますようよろしくお願いいたします。代筆 8月30日


静岡県天竜から

静岡県 HM


初めまして。初めてですので、常連のように友達感覚で書くにはちょっと気が引けますので、やっぱりお約束どおり自己紹介から姶めたいと思います。
名前はHMと申します。生年月日は昭和37年1月30日、A型です。大学生のとき交通事故で頚椎を骨折、レベルはC5です。受傷から10年余りが経ちました。

現在、天竜厚生会厚生寮という養護?施設に入所しています。入所から1年ちょっと過ぎました。昔からある施設ですので規則などのある程度の束縛はありますが(起床、消灯、食事、処置回りなどの介護、4人部屋など)、何とか慣れました。でも、もう少し時間的に自由ならいいのですが、施設にいる以上ある程度は仕方ないことかなと思ってしまうこの頃でず。職員は寮長や指導員、事務員の他に介護してくれる寮母さんいます。結構若い寮母さんがいるので話しがあるところも多くて助かります。他の施設にいるような寮父さんのような人は厚生寮にはいません。結構面白い寮母さんが多いのでいいのですが、入所者に対して寮母さんの人数が少ないので(多分そう思う。人員削減はご多分にもれず、我が施設でも)みんないつも忙しそうで入所者とゆっくりコミュニケーションをとる時間が少ないような気もしますが…。
話しは変わりますが、この前、天竜では最高気温40.6度の日がありました。頚損にとてはもう地獄。私は寒いよりはまだ暑い方がまだいいのですが、それでもこの暑さは異常、さすがに参りました。でもやっぱり寒いよりはいいかなと思ってしまう。寒いのは大の苦手。頚損にもいろんな人がいますが、頚損は汗が出なくて体温調節がとりにくい。やっぱり自分みたいなタイプよりは、暑いより寒い方がいいという人の方が多分、多いんだろうと思うけど。

実家のある浜松はここから車で40分ぐらい。最近浜松の駅前に高さ213メートル、45階建ての超高層ビルのアクトシティが完成した。全国で7番目の高さらしい。東京、大阪圏を除けば1番高いビルということ。車か新幹線で浜松駅を通ることがあったらすぐ分かるはず。回りに高い建物があまりないからよけいにアクトシティがぞびえ立っているのがよくわかる。人口56万人の浜松は静岡県で一番大きな都市と言っても東京や大阪からみればたかが地方都市。そんな地方都市にこんな超高層ピルがたつのは時代の流れなのでしょうか。世の中どんどん進んでいる。頚損は車椅子の生活だからどうしても外出するのが少なくなりがち。だからたまに外出すると回りの様子が変わっているのがよくわかる。
浦鳥太郎的状況に陥りがち。頚損はケガをした時点で歳や時間が止まってしまうと言われるが、まんざらそれもウソではないと思う。世の中から、取り残されないよう雑誌や新聞はよく読んだ方がいいと痛感しています。また楽しい話や面白い話があったらはがき通信にお送りします。それまで皆さんお元気で。8月27日


MMさんの紹介

広島県 MH

はじめてお便り差し上げます
以前より、MMさんに「はがき通信」を教えていただき、投稿(?)も勧められていました。皆さんの飾らない本音の語らい(?)に羨ましく、また、情報の交換という前向きな考えに感動し、是非私も皆さんの仲間に…と、意を決してペンをとりました。慣例(?)の自己紹介をさせて頂きます。

氏名 MH
生年月日 S35年12月22日
受傷 昭和55年6月交通事故でC5損傷
生活 受傷後の12年間は、家に居るより病院に入院している方が多かったという生活でした。平成4年1月現在居る養護施設に入所しました。

〈自己紹介と言っても何を書いて良いのか、戸惑いますネ)

施設生活にも慣れてきたので、何らかの勉強を始めたいと思っていたので、TETSU−YAさんの意表をついた(失礼)宅建受験のNewsに、驚きと嬉しさを感じました。TETSUーYAさん、その後、勉強の方は如何ですか? 「焦らず、無理せず」頑張って「絶対合格して下さい」
はじめての登場にしては生意気なことを書いてごめんなさい。その他の方々の近況なども楽しく拝見しています。私もこれからは読むだけでなく、書くことにも参加させて頂きたいのです。どうぞよろしくお願い致します。

追伸:「はがき通信」継続のために会費制にされるお話も出ているようすね。新入りながら私も賛成です。今回少ないけど切手を同封します。
夏バテの時期なので体調を崩さないよう、お気をつけ下さい。9月8日


東京江戸川のしがない頚損

東京都 JN


突然失礼します。わたくし東京江戸川に住んでおりますしがない頚髄損傷者C3、4、頚損年齢6歳)です。先日、神奈川県川崎市のMSさんに「はがき通信」を紹介していただきまして、何冊か拝見させていただきました。その内容の充実さになぜもっと早く教えてくれなかったのかと非常に後悔している次第であります。
つきましては、今後もぜひ継続させて頂きたくお便りした次第です。9月3日


家族通信 : 向坊さんの講演を聴いて

埼玉県 : HS


6月9日のセミナーに参加出来たことをたいへん嬉しく思っております。はがき通信でお名前は良く知っていましたが、向坊様、加山様、それから重度の障害にも負けずに大学を卒業されたS様、医学の道に進まれ、お医者になられたI様、私は、皆様の明るい笑顔とお元気な姿に、本当にびっくり致しました。
向坊様の38年の生活記録の素晴らしさにはただ感動するばかりでした。信じられないことばかりでした。食事のこと、栄養のこと、自分の身体のことをしっかり受けとめ、自分で体をコントロールできる強い精神力、この精神カがあるからこそ、自分で独立し、生活もでき、世界を旅行することもできるのだと、深く感動致しました。Kも呼吸さえできれば、もっと一日も楽しく、もっといろいろなことが出来たのではないか、それから、このようなセミナーにも参加し、皆様と一緒に、声を出し、お話ししたり、笑ったりできたのにと、声の出ることの素晴らしさを痛感致しました。

「呼吸さえできれば…」と、こんな思いでいっぱいでした。それからこんな死に方もしなかったのではないか…と思えてなりませんでした。それから、もっと早く皆さんと知り合いになれば良かった…、考えれば考えるほど、あまりにも早かった19歳の死は、残念でなりませんでした。
向坊様のお話しは、Kが元気でいてくれれば、栄養の面などたいへん参考になるお話しだったと思います(弱アルカリ体質にすることなど)。たくさん良いお話しをありがとうございました。またこのようなセミナーがありましたら、お呼び下さいますように、また私に何かできることがありましたらお役に立ちたいと思います。
  
7月14日

(Kさんの遺品ですが、新品の浣湯薬120cc10本入りが6箱、ペンチレー夕(LP6用)の加湿器,バクテリアフィルター、人工鼻があります。すべて新品です。必要な方は直接HSさんに連絡して下さい。


殺人的な著さですね

大阪府 Mさん


主人は、暑さのためぐったり状態です。冷房をつけているのですが、少々寒くなると、肩がつっぱって大変なのです。昼間はこまめに調節できますが、夜は室温が上がると熱が出るし、室温を下げすぎると、また調子が悪くなるので、大変です。
元気な者でも、大変な時期です。頚損の皆さんはもっと大変でしょうね。
人工呼吸器の件ですが、なんと6月の初めに家に帰ってしばらくして、「呼吸器の音が気にならなくなった」と言い出すのです。もうやれやれしました。…中略…毎日、音楽を聴いたり、ビデオをみたり、声がよく出るときは、あちこち電話したりして、のんびり生活しています。暑すぎて散歩に行けないのが少々残念みたいですが…

Mさんはポーダブルのベンチレー夕に切り替えたあと、頭に振動音がすると悩んでいました:松井


地獄のような暑さ

Mさん

残暑お見舞い申し上げます
そちらは少しは涼しくなりましたか。こちらでは3日前よりやっと涼しくなり、主人の部屋もクーラなしで大丈夫になりました。2泊3日の自宅への盆帰省も無事終え、ようやくいつもの施設の生活になりつつあります。家ではクーラなしのため「暑い」、「暑い」とそればかり私たちでさえ暑かったのですから、主人は地獄だったことでしょう。
カナダの報告書に頚損のレスピレー夕使用者が日本で50人(50人は読み違えです。現在、確認しているのが20数人です。でも全国調査でもしたら50人以上かもしれませんね:松井)とありましたが、主人がそんなにと驚いていました…。 8月22日


求む・譲るコーナー

▲譲る

エアマット寝たきり病人用ベッドサイズ、ラクーナエアマット“快速”VZ821、3万円
電動吸引器MV−20
天井走行型リフターを希望の方へ、工業用小型ホイストと吊り上げ式ドアの組み合わせで工事費を含めても20万円以下で購入できます。

▲求む

リクライニング式電動車イス
以上、問い合わせは向坊まで

広報部だより

TF

貴重な体験

異常なほど暑かった今年の夏も終わり、涼しい風が吹き始めましたが、皆さんは今年の夏を無事に過ごせましたか? 秩父でも8/7には、39.3度記録し、冷房のきいた部屋から出られない日も何日もありました。これから数ヶ月が一番よい季節ですね。もっともっと、外出したいのですが…。
8月21日〜23日まで、秩父市内のキャンプ場へ行って来ました。そこは車椅子の障害者が来るような所ではなく、トイレやスロープはもちろん、山の傾斜面にあり、車椅子に座っているだけでもこわいような所で、寝るところも、大きなテントにマットを引き、20人くらい一緒に寝ました。そんな場所に行った私も無謀でしたが、「障害者1人にボランティアが3人は付く」との話で外出したくてうずうずしている私は、二つ返事で0Kしてしまいました。
普段は、電動車イスで走り回っている私にとって、そんな不自由な生活も、それはそれで楽しかったのですが、2日目の朝にな、なんと…便失禁をしてしまったのです。失禁は頚損という障害を持っている私達にとって多かれ少なかれあることなのですが、外出中それもカーテンなど何もないテントの中でしたので、みんなの見ている前で、臭いもこもるし(汚い話ですみません)久々に自分の障害がとても辛く感じました。常時、おむつなどをつけているわけでもなく、ズボン、シーツはもちろんマットまで汚してしまい、キャンプ場のため入浴や洗濯の設備もなく、体位交換用の枕まで汚してしまったので、急きょ施設にもどる事になり、楽しいはずのキャンプが一転、貴重な体験!?をする事になってしまいました。

中途障害者が自分の障害を初めて感じるのは、排便や排尿に人の手をかりる事だと言います。私も、受傷当時はとても辛い思いをしてきましたが、なんだか、こんな事があると自分はとても重度な障害者と感じてしまいます。
最近では、私も外出の際には電動車イスと共に、一人で行動する機会が増え、今回のようなアクシデントが、またに無いとはいえません。皆さん「電動車イスー人旅」などと積極的に動いてますが、やはりアクシデントは常に頭に入れ、どのような時でも適切に、他人でもお願いできるからこそ、楽しく外出できるのだと思います。
11月には、都内で自立生活問題研究全国集会があります。今回は、一人でJRを使い参加しようと検討中です。


全国頚髄損傷連絡会編「頚損解体新書−復活のあすにむかって」 

(A4版、130ページ、1800円)

このほど、全国頚髄損傷連絡会より頚損解体新書が発行されました。表題から医学書のような印象を受けますが、頚損の発生からリハビリテーション、頚損本人の生の声(実態調査の集計結果)、さらに課題、資料と内容豊富で誰が読んでも分かりやすく編集されています。
とくに実態調査については、興味深い結果がたくさんあり、自分の生活と較べると、皆さんいろいろなところで工夫されたり、因っているのがよく分かります。療護施設入居中の私は、「施設・病院の生活について」にとくに関心があり、頚損の生活やプライバシーにまだまだ問題があることが改めて分かりました。課題では所得保障、環境整備、介助システムの確立、就労と頚損者が地域で暮らすためにぶつかる数々の障害について書かれています。
この本を読むと、対マヒ者と頚揖者では同じ脊髄を傷め、同じ車椅子に乗っていても、上肢のマヒだけでなく、精神面や日常生活など全く違った障害者だということが良く分かりました。
頚損者や家族はもちろん、頚損者を在宅や施設などへ送り出すリハビリテーション関係者などに、とくに読んでいただきたい本だと思います。

本書の問い合わせ:
〒164 東京都中野区本町4-7-17
小野 誠 TEL:03-3384-1091


ベンチレータ長期依存の頚損者について


8月7日、新宿区障害者福祉センターでC2、C3など呼吸筋もマヒした頚損の生活や数々の問題点、外国での例について松井先生の話がありました。
呼吸筋マヒの頚損者は、ポータブルベンチー夕 (百数十万から数百万円)など金銭的な面や器械の保守管理、カニューレ交換、消毒洗浄など家族の負担、本人の精神的な不安、そして病院やリハ施設から拒絶され行く場がないなどと、数え切れないほどの問題だらけです。

今回のように頚揖や当事者の家族が集まり、呼吸筋マヒレベルの頚損に関する会議は日本でも例がないと思います。これを契機に頚揖連絡会、全脊連、はがき通信でも呼吸筋マヒレベルの頚損者を仲間に加え、バックアップしていけたらと思います。


障害者の高速料金割引拡大について


この10月より私たち運転免許を持たない障害者が同乗(介助者運転)した車にも高速道路の料金半額の制度が拡大されます。以前からこの制度は叫ばれていたのですが、国会の混乱で今になったようです。この制度は私たちのような高位の頚損にとってたいへん朗報です。
しかし障害者一人につき車一台(ナンバープレートの登録)と聞きましたが、家族が複数所有していたり、友人と出かける場合はどうなるのでしょうか? 各県、各福祉事務所で違うかもしれません。ご存知の方はご連絡お願いします。9月10日


海外情報・その7


「自立生活は住宅から:カナダ脊損協会ニューファンドランド自立生活行動計画」
カナダ脊損協会機関誌“CALIPER”Spring,1994
                           
HK


カナダ脊損協会ニューファンドランド(カナダ脊損NFLと略)は、自立生活に関する行動と制約を大まかに示し、計画を実現する行動に着手した。
自立生活は住宅問題のみではない。政策、立法、アテンダントケアや支援サ−ビス、利用しやすい住宅や交通機関、施設生活に変わるもの、教育、雇用やレジャー活動からなる。しかしながら自立生活はそれらのみで実現できるのではなく、本質的には各自の生活を選択とコントロールする権利である。

大切なのは、いつでも自分自身のニーズや希望や目的にぴったり合った選択を自由に選べることである。だから満足な選択が受け入れられるかどうか、そして本当に自由な選択ができるかどうかという問題が生じてくる。
過去において、自立を求める障害者は物理的にアクセッシプルで余裕のある家で、リハビリが充分できれば何とか満足していた。しかし最近では、多くの人々が協力し、障害者(注:原文はクライエント)、政府、地域社会にたいするカナダ脊損協会の成熟した役割によってすべての市民にとって住宅問題は身近な関心事となった。

住宅問題は複雑である、というのはそれがリハビリテーションの問題だけではないからである。住宅について5つのA、つまり Available 利用しやすい、Affordable余裕がある、Accesible 受け入れられる、Autonomous 自立できる、Adaptable 適応できる、がまず必要となる。病院を退院した後、この5つの基準を充たした家が必要となる。さらに利用しやすい交通機関、利用し易いレクリェーションや教育の設備、それに障害者自身が管理するサポートサービスや適切な機関を通じて、価値ある雇用の機会が得られることである。
しかしながらその目標実現に最大の制約は、営利目的でない住宅計画に対する連邦政府の資金打ち切り決定である。
カナダ脊損協会の第一の仕事は、政府にその資金を出させるよう要求していくことであり、その働きかけによって障害者の住宅建設の需要を充たし続けられるのである。
カナダ脊損NFLの自立生活行動計画は、克服すべき障害を考慮にいれるとつぎのようなものになる。
カナダ脊損協会に対する要求がますます増え、NFLのサーピス計画とスタッフに重要な役割をもたらした。この組織内外に対する要求の増大と相まって、利用かのうな資源に対する制約は、活発な行動計画に対する需要を増大させた。

行動計画を成功させるカギは、影響力のある、最も効果的な人々すべて、つまりサービスを供給する人と協カをいっそう強めていくことであると、カナダ脊損NFLは確信する。内部的にはつぎの人々を含む、すなわち障害者、家族、被雇用者、マネージャ、全国組織、資源コンサルタントやボランティアの人々である。外的には政府、自治体の計画担当、その他の健康関係センター、リハビリテーションセンター、住宅専門家、地域社会の住民を含む。
行動計画によれば、カナダ脊損NFLは、対象となる障害者や家族のニーズを長期展望の評価決定に従うことを基本とする。大切なことは、組織自体に意義ある変化を起こさせるような潜在的な能力のある要素を見極めることである。将来の傾向を予測し、前もってその準備をすることが必要である。その進む方向がはっきりすればするほど、すべての行動はカナダ脊揖NFLの障害者住宅問題に対する需要をより多く充たすようになるだろう。
まず住宅問題から姶めて、障害者の第一に必要なものを充たし、それから自立という大きな目標に向かって一歩踏み出すことができる。




編集部だより




☆IAさん訪問記

9月18日HSさんと一緒にAさんを訪問しました。疲労で倒れてしまうのではと心配していたお母さんも元気そうでしたし、猛暑を乗り切ったIさんは精神的にたくましくなったと感じました。
ベッド上の天井に備え付けの電動ホイストが設置され、セルフコントロール可能なコールシステムなど安全装置も順調に機動しています。スーフルを使った呼吸訓練のせいか、吸引がびっくりするほど少なくなりました。

Iさんは、「28号の村井さんの通信はとてもうれしかった、横隔膜ペーサを村井さんに勧めたのは自分だから、そのペーサのおかげで外出できるようになったと通信で知って、ほっとした」そうです。質問もしないのに、Iさんからこうした話を私にしてくれる、これはたいへんな変化です。

Iさんが自宅に戻られた当初、私が他の頚損者の話をしても、「自分たち親子はこれから在宅でどう生きていくか、自分たちのことで精いっぱい、とても他人のことまで考えるゆとりはない」と言われていましたから。自宅に戻ってすでに7ヶ月、ご両親の愛情のおかげでIさんに精神的な余裕が出てきたのでしようか。

カナダの報告書にあるベンチレー夕長期使用者のグループホームのような生活施設が日本でもぜひ欲しい、これから先の生活保障がいまいちばん気がかりとIさんは雄弁でした。先輩頚損の訪問も心待ちにしているそうです。


*前号でお知らせしたカナダ調査の報告書ができました。すでにお送りした方から感想が寄せられています。できるだけ多くの人に読んでもらいたい内容だからと、全脊連の「脊損ニュース」に連載で掲載という申し出もいただきました。なかには記述の不十分さゆえの誤解でしょうが、つぎのような反論や感想もありました。問題提起の意味を含めて、紹介します。
「文中の『家族と同居しているような日本のケイソンは異様に見える』という言葉には、やはり心中穏やかではいられません。整った社会保障の中で生活保護を受け、仕事らしいものはせず、ヘルパーに通ってもらい「自立している」と言われる彼らにも、私は一抹の『異様さ』を感じずにはいられません。
それで本当に精神は安穏でいられるのだろうか。どのような生活レベルでも決して満ち足り切ることはないはずだが、という猜擬を私は持ち続けたいと思うのです。
私が『障害者の文学』などを通じてずっと考えてきたのは、何が最終的な福祉なのか、またそんなものがあるのか、ということです。
BC州のC1、C2のケイソンたちは確かに先鋭的でまぶしいですが、ではその他の国のさまざまな理由から自立できないでいるケイソンたちの日々の歴史はすべて否定されてしまうのか。最終的に独り暮らしに達せた者だけが勝者であり、その途上にある者たちはすべて無念を噛み殺して欝々と暮らさねばならないのか。そんなおかしな話はないではないか、という素朴な擬問なのです。
もちろん私もいつかは自立したいと願ってやみませんが、それとともに今の宙ぶらりんの自分をどう肯定し受け入れてゆくか、ということが何よりも現実的で切羽詰まった命題なのですよね。そしてそれは、すでに自立できず無念のまま亡くなった世界じゅうの先輩障害者たちの累々とした魂の屍を、いかに掬いあげてゆくかという命題とも重なってきます」
TN氏

「高位頚損者がごく普通に暮らせる社会、一方で同じようなレベルの人たちが、ベッドから、病院からさえも抜け出せないでいる現実、わたしたちは世界でも屈指のGNPを誇る国に住んでいながら、いつまでも諸外国の福祉事情に溜め息をつき続けなければならないのでしょう」(TM氏)
カナダの上野さんからも、実名の公表を許可したといって、あんなにたくさん私の名前を出さなくても…というようなお叱りを頂いてしまいました。

なお報告書を希望される方は240円切手を貼った返信用封筒(B5版が入るもの)を編集部宛に送って下されば、折り返し郵送します。



あとがき




*たいへんな夏でした。向坊さんやMさんならずとも地球環境は大丈夫だろうかと不安になりました。向坊氏のごあいさつ「戦後最大級の暑さ」は、その後、気象庁から今世紀初と発表されましたので、「戦後」を省かせていただきました。体温調節可能な私たちでも日中外へ出るのが恐ろしいようでした。広報部の報告にあるベンチレー夕の会議は、酷暑真っ盛り、しかも日中でした。会場で「この暑さでは中止かと思った」という私に、今西正義氏は「我々はそんな柔な体ではありません」ときっぱり言われました。今西氏は以前から暑さに強いようですが、「頚損も暑さに適応するようだ、30度くらいではクーラなしでも耐えられる」と名古屋から石川裕智さんの報告もありました。

*酷暑で通信は激減するかと思っていましたが、今回もたくさんの通信が寄せられ、盛会でした。「今年の暑さは格別で、さすがの私も散歩に出かけられず悶々としていますが病院の冷房ががんがん効かせてまずまず快調に過ごしています…今回はわりと堅い文章で書かれているので少し翻訳に苦労しました」と海外情報のHK氏も早々と原稿を送ってくれました。

*前号の車イスニュースのイラストは好評でした。今回もレーザ光線入力装置は写真でなく、渡辺さんにイラストをお願いしました。

*はがき通信に新しいメンバーを紹介される方は、MさんやSさんのようにまず自己紹介を編集部に送るように勧めて下さい。きついようですが、この方に通信を送って下さいと一方通行的な紹介の仕方は原則としてお断り致します。はがき通信は、四肢マヒ者の相互交流の場です。ご協力お願いします。

*故KSさんのお母さんより通信用にお使い下さいと切手(9千円分)のカンパをいただきました。

*次号は30号です。数回でタネ切れで途切れてしまうのでは…という心配をよそに無事、満5年目を迎えることができそうです。30号を記念してふるって通信をお寄せ下さい。家族の通信欄も独立させました。この欄も今回かぎりで消滅しないよう、ご家族の通信もお待ちしています。




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