は が き 通 信 Number.27−P1
POST CARD CORRESPONDENCE 1994.5.25
ごあいさつ

頚椎損傷者にはありがたい機器。パソコン、スピーカフォン、ファックス、電動車イス、テレビ、ビデオなど。でも機械は機械。思いどおりにはなりますが、人間味あふれるスキンシップが不足するために、心の発展というか、人間性の発育というか、そういうものが失われるような気がします。
暖かくなったので出かけましょう。野山に親しみ、人と交わりましょう。 
 1994年5月25日 向坊弘道
障害になって10年目

HI

僕は32歳、C3頚椎損傷者です。
障害者になってちょうど10年になります。その間、10年の間に11件の病院に入院しました。振り返ってみると10年前はまだこの障害を持った人も少なく、医師にさえ理解されていなかった。
胃が痛くなって医師に訴えても神経がないのになぜ痛くなるのかと不思議がられたものでした。
「カテーテルがうまく入っていない」と訴えると、「いや、入っています」と医帥はいうが、本当にうまく入っていなくて、後で感染して40度の熱にうなされたりもしました。今はその頃に比べると、この障害に対して理解があるようになりました。

今の住所に引っ越してきて、だいたい6年になります。外へでることは年2回位しかありません。
以前の家はまったく外が見えなかったのが、今寝ているところからは外の景色がみえ、それが結構楽しい。
また、人とのつながりがあり、とくに近隣のプロテスタントの人たちが来て下さり、私の生活や悩みを聞いてもらうようになり、私自身短気だった性格も人に感謝することを覚えました。それだけでも良かったと思っています。それと、仲間の間の情報誌や雑誌など送って下さり、情報源になり、肋かっています。
障害にかかわることの今の社会制度は、自分が知り、役所へ申し出ないといけない制度になっており、教えてもらわなかったりすると、制度があっても利用できなかったりして、不満を感じています。

私もやっと昨年4月よりヘルパーに来てもらい、母と一緒に介護の手助けを受けるようになりました。日常生活用具など、自分が欲しい用品があっても名古屋市の場合は、業者が決められており、その業者の用品しか対象になっていないので、不便だと思うことがありました。
平成3年5月に膀胱に石がたまり、手術して膀胱楼(ぼうこうろう)をつくるさいに、水を入れ、400ccのところで、肪胱が破裂し、4時間の手術を受けましたが、それ以後、3年間寝たきりの状態になっています。
それまでリハビリに励み、車椅子にもしっかり乗れていた状態でしたので、かなりショックでした。もう一度リハビリをして挑戦したいと思うようになったこのごろです。

最後にはがき通信のなかに呼吸器を使っていて、亡くなられた建二さんの記事を読んで、とても悲しい想いをしました。以前、僕も回転ベッドで呼吸器をつけていましたので、さぞ苦しかったろうと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。
1994年4月11日(代筆近藤ヘルパー)


お久しぶりです!

福岡市 Y

こんにちわ
前回私がお便りしたのは、なんと1年半も前(92年11月号)でした。
いつも楽しく、読ませていただいているのですが…。
私もこの5年末で、頚損年齢(?)3歳となります。時の経つのは早いもので勤めだして1年が過ぎました。市民センター(ホール、会議室、図客室などのある施設)で、施設の利用許可関係(受付のようなもの)の仕事をしています。
昨年は冷夏で、私たち(頚損)にとっては、ありがたかった。(世間はコメ問題でいまだに大変ですが)
今年は、すでにここ福岡では、夏のように暑い日があったりして、扇風機や氷が恋しくなる季節になってきました。
みなさん、くれぐれも体には気をつけて、がんばりましょう。ではまたお便りします。


無いものねだり

横浜市 HS

冬には春の暖かさを恋しがり、夏の暑さには早く涼しくならないかと思う。
人はいつも無いものねだりをして生さているように思う。漠然とした言い方になってしまったが、最近つくづくそう思ったり感じたりすることが多い。
身近な例で言うと、たとえば職場では怪我をする以前は、女性が少なく、仕事以外の雑用はいってに引き受けてきた。私よりずっと後輩の男の子がいても、男というだけでお茶入れなどは免れる。忙しい時などは「なんで私ばかりが」とよく憤慨したものだ。でも今は雑用はやりたくとも一切できない。怪我をする前に望んだ通り、自分の仕事だけしていればよい。さてそうなるとおかしなもので、雑用できない自分が情けなく、申し訳なくてしかたがない。雑用がこなせるということがうらやましさえある。できない立場にたってみて初めて分かる。雑用も適当な息抜きになっていたことに気づく。

全く歩けず、立ち上がることすらできない多くの頚髄損傷者にとっては、杖でもどんな補装具でもよい、ヨチヨチとでも自分の足で歩いている人がうらやましい。立ち上がって、たとえ一歩でも二歩でもよいから歩きたいと願う。でも杖をつきながら危なっかしい足どりで歩いている人たちは、きっとさっそうと自分の二本の足だけで歩きたいと願っているに違いない。寝たきり状態にある人から見れば、車イスに乗れる私が羨ましいかもしれないのだ。
そう考えると、今の自分のありのままの現状が、自分に与えられた今の自分にとってのベストに思えてくる。今、この時が常にベストの状態なのだ。それはたとえ、同じ障害を負っていても、誰一人として同じはありえない。この世でたった一つしかない、その人独自の固有のものだ。人間の欲望は再現がなく、不平不満は山のようにある。上を見ても下を見ても切りがない。今の健痍を保つよう努力しながら、(健康以外は“欲”だということがよくわかったので)なるべく無いものねだりはしないように生きていきたい。与えられた状況の中で、今の自分にできるベストを尽くす。

どんなに嘆いても、どんなに不平不満を言っても、車イスの今の私の人生を誰も肩代わりをしてくれないなだから…。      
1994年5月5日


☆どんなもんでしょうか?

TU

はがき通信」の皆さん、お元気ですか。
はじめてお便りします。
いつも興味深く、有益な実務ものとして読まさせていただいています。バラエテェすしとは云いませんが、賑やかでいいですね。
向坊さんはじめ編集の皆さん、ほんとうにありがとうございます。あらためてお礼申し上げます。今後とも「はがき通信」の発展を心からお祈りいたします。
さて、「はがき通信」に関する提案ですが、なにがしかの会費を拠出してはどうだろうかということです。私も若い時に経験がありますが、小冊子を作ることには大変な手間、暇、労力が必要です。原稿を募り、編集、印刷、発送まで、今は、ボランティアでやっていただいています。そのエネルギーは計りしれないものがあります。いつも「はがき通信」を読むとき、申し訳ないなーとそのご苦労を感謝しています。私方には、5、6通くらいの機関紙、会報が届きますが、いずれも会費などを払っているもので、無償のものはありません。最低の会費拠出、有志による拠出、ある時の拠出と方法はいろいろあると思います。なんらかの方法を考えないと、今後の存続が難しくなるのではないでしようか。

みんなの「はがき通信」です。よりよい運営ができるよう、みんなで考えようではありませんか。
遅くなりましたが、私は現在67歳、12年前の単身赴任中、前脊髄動脈閉塞症で倒れ、3年半入院、C5くらいで、今は自宅で車イスの生活をしています。どうぞよろしくお願い致します。1994年4月12日


☆麩沢さんの無線仲間です

群馬県 MA


はがき通信のお仲間の皆様 こんにちわ
初めまして MA と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
簡単に自己紹介をさせていたださます。
年齢40歳、頚髄5、6損傷、受傷後19年経過しますが、とりあえず、まだ泌尿器関係その他がどうにか活躍してくれているお陰で現在も生かせてもらってる、といった状態であります。今 暮らしている所は、群馬県渋川市、標高5oom位の山の中にある社会福祉法人・恵の園『療護施設 あけぼのホーム』です。施設に入所して13年 まんねりの生活ですけど 今、アマチュア無線で、いろいろな方とお話させてもらってます。
コールサインは『7L2NXQ』144と430
皆さん、今後ともどうぞよろしく・‥


☆今の私

鳥取県 NF


はがき通信の皆さん初めまして。
私は、NFと言います。このはがき通信のことはUさんから今年の2月に1月号(24号?)を送っていただき、その後神経研からバックナンバーを送って頂きました。そして今それを少しずつ読んでいるところです。
自分より重い障害を持たれた方が、明るく前向きに生き生きと生きておられることに驚くと同時に羨ましくもあり、今の自分が恥ずかしくもあり情けなく腹立たしいかぎりです。

「今あなたは自分が好きですか?」と問われれば、好きとは言えない自分です。自分のことが嫌いな人間です。
自分もこのはがき通信の仲間に入れてもらえたらと思い投稿しました。
私は高校卒業後自衛隊に入り、23歳のとき(昭和59年8月)に小銃を使って自殺をしました。そのとき首を打ち抜いたことで第6頚髄損傷となりました。
約1年10ヶ月の入院生活の後、福祉施設に入所しました。施役では約5年7ヶ月の生活の後、平成3年12月20日に退所して自立生活を始めました。

今は県営住宅で(平成4年7月30日入居)、ホームヘルパーさん(週3回、1回2時間)や地域の方々に肋けていただきながら生活しています。
施設を出るときに漠然とながらも障害を持つ人と持たない人が共に生活をし、働ける場所を作りたいと思ったのが一つの理由でした。と言うのは表向きの「カッコ付けた」理由で、実のところは、とにかく「施設を出たい」という気持ちの方がとても強かったです。
そして、今の生活はどうかと言えば、物質的には、なに不自由することな生活を多くの人に支えられながら過ごすことができている。
でも排泄(とくに排便)の調節が上手く行かなかったり、何よりも本当に自分が何をやりたいのか、何をしていけばいいのか分からなくなり、人の視線ばかりが気になって仕方ありません。人とどうつき合ったら良いのか、何を話したらいいのかと考えると、外へ出るのがだんだん億劫になってきます。日々の生活は何をしているのか、分からないような時間に流されていて、こんな状態ではダメだというのは分かっているのですが、すべてにおいて「やる気」がでてこないのです。
こんな人間ですが、皆さんの仲間に入れていただき、交流させていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。
生年月日:昭和36年6月15日


☆仲間に入れて

福岡県 TF


皆さんはじめまして TFといいます。
昭和44年10月15日生まれの24歳です。自分は高校を卒業してすぐ、交通事故で頚損になり、自宅から車で30分の所にあった総合せき損センターに1年半入院して、今は自宅にいます。週に一度手に包帯をぐるぐる巻きにしてラケットを固定して卓球を楽しんでいます。3月に別府にあるリハビリセンターに見学に行って、26に載っていた堤さんに強い影響を受けて、半年後位にはリハビリセンターに入っていると思います。
それから4月に向坊さんのお宅へみんなでお邪魔して、そのときはがき通信の存在を知りました。皆さんの生き生きした文章を読んでいてなんか嬉しくなりました。向坊さんの顔を見ていると、普通は体が自由に動かなくて不安や不満が顔に出るもんなんですけど、穏和で幸せそうな顔をしているのでとてもびっくりしました。それで色々聞きまくってしまいました。先輩から大切な知恵を聞くことは大事なことだといつも思っています。まわりはだいたいせき損センター出身なので、全国のみなさんはADL(注;日常生活動作)などどうしているのか興味があります。ぜひ自分もはがき通信の仲間に入れて下さい。よろしくお願いします。
1994年5月2日


☆深夜、愛犬と散歩中たんぼへ

滋賀県 ST


はがき通信の皆さん、初めまして
僕は、STと言う者で、3月27日に向坊氏からお電話を戴きまして、はがき通信のことを知りました。早速、神経研から、過去のはがき通信を送ってもらいましたので、全部読ませて戴き、今回お仲間に加えてはしいと思います。
僕は平成元年7月7日の深夜に愛犬を散歩に連れて行きました。いつものことですが、犬の鎖を放してあげると、喜んで自転車に乗っている僕の先になったり後になったりして僕の自転車に付いて来ました。
辺りが暗かったために自転車のまま、道端のたんぼに頭から突っ込んでしまっていました。僕の急を知らせに愛犬は家に帰ったようです。犬だけが帰ったのを不思議に思った家族が僕を捜しに来てくれました。僕が助けを求めているのを、通りかかられた人が119番して下さり、救急車が来るのと、家族が現場に来るのが、同時だったようです。

こうして8日の未明に、長浜赤十字病院に運ばれました。そうして診察の結果、第5、6、7頚椎を損傷してしまっていました。そののち1年10ヶ月もの長期の入院生活の末、平成3年5月3日に退院をさせて戴きました。この日は山城宇治の「あがた祭り」、越中鳥坂の「尻たたき祭り」とともに『日本三大奇祭』としてよく知られている、筑摩神社の「鍋冠り祭り」の日でした。その退院からまるまる3年を迎えさせて戴くことが出来ました。
平成3年12月と、平成4年の1月から2月にかけてと、6月から8月にかけての4ヶ月強の間、僕の看病に家族が疲れてしまったために身体障害者療護施設や長浜赤十字病院のお世話になりましたが、その後は家内の入院中も子供の世話で、なんとか自宅療養させて戴いております。

現在僕は50歳で、この6月には51歳になりますが、1週間に1、2度、リハビリのために通院しております。そして毎日、電動車椅子で日暮らしをさせて戴き、どこへでも出かけて行きます。特に今年は3月から今日まで、良いお天気が続きましたので、真っ黒に日焼けをしており、顔だけみていると、何処が悪いのだろうかと、思われる程に元気に毎日を、過ごさせて戴いております。カテーテルが入っておりますので、尿の管理だけは気が抜けません。
このような僕ですが、またおたよりしますので、どうぞよろしくお願い致します。 敬具




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