は が き 通 信 Number.26−P1
POST CARD CORRESPONDENCE 1994.3.25

ごあいさつ

春です。できるだけ家から出て外の空気を吸いましょう。去年からバイクの空気浄化用のクッションをベッドや車イスで使って実験してきましたが、蒸れず、床ズレもできず、シッコもよく出る工夫がしてあるので廉価で商品化することになりました。
便利な器具や素材があればご連絡を!

1994年3月25日 向坊弘道

年賀状から/障害ということば/新型電動車イス

KU

▲年賀状から

13年前に頚損になり、それ以来、毎年正月になると、送られて来る年賀状を何よりも楽しみに待つようになり、それなりに自分も毎年趣向をこらして出すようになり、おかげで今年も400通を超す年賀状が届き、中には義理チョコならぬ義理状もあるとは思いながらも、元気なときの数以上に届いた賀状を1枚1枚眺めながら、その向こうにある相手の顔を思い浮かべ、アレコレと思いをはせる楽しい時を過ごすことが出来ました。
そんな中で、ここ2、3年少し気になることがあります。もちろん、これは私の思い過ごし、考え方の違いなのでしょうが・・・
というのは、400通強の年賀状の中に、紙面いっぱいに、所せましと、昨年1年間に私は〇〇と、〇〇をやりました。□□もやりました、というように、まるで選挙前の政治家の年賀状のようなタイプのものが10通近くもあり、しかもそれら全てが頚損の若い人(学生時代に受傷)からのものなのです。
もちろん、こうした賀状がいけないなんという気はサラサラありませんし、むしろ自己を積極的にPRしていくことはより外国的、現代的であり、日本人にこれまで一番欠けていた点で、大いに見習わなくてはいけないことなのかも知れません。
でも、でも、私の手持ちの限られた情報の中で、賀状の向こうに顔を思い浮かべたとき、大変生意気な言い方ですが、私にはどうしても、その内の大半の人が、何か狭い限られた範囲だけで社会をとらえ、その中で、自分の取り組みに自己満足というのか、自己陶酔し、過大評価し、思い込んでいるというのか、はたまた、自分の思いいれが認められず、いま一歩報われないことからくる不安、焦り、苛立ちが含まれているように思えてなりません・・・
私はどちらかというと古い考え方しかできないタイプで、はがき通信の会員の中でも既にオジンに属する方なのかも知れませんが、私は「自分の評価、自分の取り組みに対する評価は、決して自分でするものではなく、人が、社会がするもの、コツコツと目的に向かって努力をしていればいつかきっと報いられる、それまでは、それが無いうちは自分の努力が足りないのだし、自分が社会の中で一生懸命に働き、役割に取り組み、生きていこうとすることは、決して人の評価を期待したり、評価のためにすることではない!」と思っていますし、言い聞かせています。
もちろん、人それぞれ考え方も違うのですから、自らが自己主張、PRしていかないとなかなか解ってもらえない?というのも解ります。でも半面、本当に素晴らしい活躍、努力というものは、誰が見ても素晴らしくて理解されるはずで、黙っていても認められ、報われるのではないでしょうか!?
ゴメンナサイ!生悪気をいって・・・

▲障害ということば

今回の通信の中に、「障害者」という言葉について書かれていましたが、私もこれまで全くこの言葉に不快感や疑問がなかった訳ではありませんが、辞書をひいたことはなくて少々驚きました。
碓かに、私のまわりの若い障害を待つ仲間の中にも、この2文字を嫌い、ことある毎に反発をしている人もあります。でも、この言葉、本当に私達が生活していく上でそんなに支障になるのでしょうか?
私は、単なる言葉上のこと、扱いの上での便宜上のことと想うようにしているんですよ。
それに、少なくとも私達は、言葉は別としても、障害者として福祉のいくつかの恩恵を受けているわけで、そうした恩恵を受けている以上は、これに変わる言葉が見つかり、社会で使われるまでは、「男子・女子」「高齢者・婦人」などといった扱いと同じ程度にとらまえる位にしておいてはどうでしょうか?
それよりも我々が取り組み、気にかけ、努力していかなくてはいけないことは、日本では「障害」もしくは「障害者」という言葉で、障害者本来の病気や機能面、能力面からくる障害、つまり医学的障害も、障害者自身が社会に参加しようとするときに発生する、社会が新たに生み出すとも云える地域社会や職業面、教育面における社会的不利、能力障害、人権の軽視も含めた差別や弊害も表現され、扱われています。でも、英語では、障害者本来の機能的、身体的・能力的障害は“Disability”といい、社会に参加、もしくはしようとする時に起る障害や弊害、差別を“Handicap”と使い分けていますが、このことは単に言葉の上だけの事ではなくて、現実の日本では実際に勘違いされ、ゴチャマゼにされている気がするのです。
私達が社会に参加をしようとしても、すぐに受け入れられないばかりか、問題が余りにも多過ぎます。そうした中で、私達は少しでもそうした社会や環境をかえていくべく努力する必要があり、そのためにも同じ障害者として、同じ地域に住む者同志が手をつなぎ、助け合い、少しでも多くの情報と知識を吸収し、積極的に社会に参加出来るように、社会に向かって声を発していけるように、少しでも早く地域社会に理解し、受け入れてもらえるようになるために努力し、頑張っていかなくてはいけないのではないでしょうか? アツ!またまた生意気な事を書いてしまって・・・ゴメンナサイ!(^ー;)

▲新型電動車イス

ここらで1つ、トビッキリの新情報を!

既に一部の方のお耳には入っていることと思いますが、実は昨年の12/1(くしくも受傷12年目!の記念日?)に私の新しい足/新車/電動車イスが完成しました。
これまで、私のような四肢完全麻痺のC4者が使える電動車イスというとハイパック、フルリクライニングのチンコントローラーによるものしかありませんでした。私はこのタイプが使いにくくて、疲れやすくて、すぐに体がずってチンコンの装作が出来ず、嫌!で、ズーーッツとこれまで手動ばかり使ってきました。
でも最近、毎月のように出かける用が増え、人との出会いも多くなり、急激に電動の必要性を感じるようになり、一昨年の春、東京都補装具研究所の市川先生に、「なんとかして私の動く肩(肘)だけで装作の出来る電動車イスを作って下さい」とお願いをしました。もちろん、私のお願いした中には、ハイパックは必要ない、口にスティックをくわえてパソコンをやるから、目の前に全てのコントローラー(スイッチ)が無い方がいい等など大変横着で厚かましいものでしたが、そんな願いを聞き入れて、1年半がかりで、まさに私の願い通りの車イスが完成しました。

上の写真のように、見たところどこにもコントローラーはなく、初めてみる人は「誰かがリモコンで操作しているんですか?」といわれるほどです。しかし、実のとこは、私が僅かに動く肩を上げ下げすることで、前進、ストップ、左右旋回を操作しているのです。
今回の完成に当たっては、従来のジョイスティックやチンコントローラーといった限られた入力方法だけではなくて、幅広い障害の程度に対応した入力を可能にするという、全く新しい制御回路の開発の力も大きく、4月を目度に製品化もすすめられておりますので、いま私のように困ったり、希望をお持ちの方には、間もなく夢が実現する日も近いと思います。ただし、現時点での問題点は、必要とする障害者のために、細やかな対応、物作りの出来るテクニカルエイドサーピスの出来るエンジニアが近くにある必要があります。したがって、こうした拠点の整備や人材の育成・確保の必要性も併せてお伝えしておきます・・・
なんだか訳の解らないことばかりながながと書きましたが、今年もまたはがき通信をとおして、会員の皆さん 宜しくお願い致します!!

最後になりましたが、広報部長の麸沢さん、「頚損連絡会・岐阜」発足に当たり過分なお言葉と紹介記事、本当に有難うございました!!
一度お会いしたことのある、同じC−4の麸沢さんからの言葉が、他の誰から頂いた評価より嬉しく、感激でした!!
支部の皆さんにも必ず伝えますので・・・
これからも ヨ ロ シ ク !!

1994年1月26日


新しい同居人見つかる

KS

はがき通信の皆様、こんにちは!!
大雪が降ったり、暖かかったり、不順な天候が続いていますが、皆様は、お元気でいらしゃいますか?
私は、2月初めに風邪をひいて治るのに2週間以上かかりました。熱はあまり出なかったのですが、たんが多くてどこからでるのかと思う程、あふれるようにたんが出ました。ある晩などは、たんと咳がひっきりなしに出てたんが咽に詰まりそうになって同居の人を呼んだのですが、大きい声が出なく「たんで窒息死」という文章が頭にちらついた程です。こんな恐い目に会うとは思ってもみませんでした。入院中に風邪には気をつけてと言われていた事が分かりました。本当に恐かったです。今は、もう治って食欲もモリモリです。

4月から新しく同居してくれる人も二人、決りました。心配事がとれてほっとしています。同居人が決らない時は、焦りまくりました。先日、新しく来たチンコントロール電動リクライニング車イスを仕事場専用にして乗り始めています。まだまだ慣れなくて植木鉢にぶつかったり、机や壁にこすったりの毎日です。本当に上達するのかと思い心配です。電動車イスは、上半身がかなり起きるので、しんどいです。しんどい、しんどいと言いながらパソコンを打っています。なぜ電動だとこんなにしんどいのかよく分かりません。マンションの入口に入らないので、電動車イスは、職場専用となっています。あせらずゆっくりと上達すればよいと思っでいます。3月とはいえ、まだまだ寒い日が続きます。皆様にはくれぐれも風邪をひいてたんなどつめませんように(代筆)。

1994年2月28日


こんどは宅建受験に挑戦

TETSU-YA

To Dear xxx
っつーこったで、TETSU−YAさっ。
こんにちは。
今年から俺は naparm red の髪を切って、気分新たに宅建の資格を取ろうと勉強してる。宅地建物取り引主任者ね。
お願いしたら丁寧な条件がちょっと付いてぜひってことになった。Iucky。
そんで大学の時、民法とか選択して単位も余裕で取れてたんだけど、勉強したとか授業に出たことはほんと一回もないから(大学なんてそんなもんだ)とりあえず1からやり直しさ。
試験は毎年10月にあるんだけど、何年か計画で受かればなと。わかんね−けど。
所詮、俺はミュージシャンだからそんなもん取ってどうこうじゃなくてね(笑)。
自分を試すのと、ちぃっとだけ周りの期待に応えてやろうかなって程度で。
あとは、先日けいそん連絡会の新年会に行ってきたけど、他の約束キャンセルしなきゃーよかった。辛口か(笑)?。
あと最近、気が付けば街にちょっとした買物に行ったりするのも natural になっていた。
俺にとっちゃ2、3年前では考えられねーことだ。
時が解決してくれたのか、フッ。
だから怪我したてで dead end 状態のヤツもこれから色々と時が解決してくれるのもあるなと。
ちょっと、えらそーなこと言ってるなー。自分でも笑っちまうわ。
一応、フォローとしてこういうことも書いとかね−と。
今回も日記 or 詩(私)的なものになってしまいました。
あいかわらず何となく生意気な文章だけどTelとかで話した人はわかると思いますけど、結構、真面目思いの他ですよね(笑)。
ってことで、馬券の購入先がノミ行為で捕まって競馬を楽しめないのがちこっと残念な(こんなこと書いていーのか) TETSU−YA でしたー。
来月は一丁、旅行に行ってこようと思ってる。じゃ−またっ。See−ya XXX

1994年3月2日


Never Give Up!

鹿児島市 RG

<脊損者の寿命は腎臓と膀胱の耐用年数で決まる?>ということで、実は先月膀胱結石のため入院するはめに・・・(^;)
そのときの様子です。
お風呂へ入った後だったと思いますが、冷汗を掻きながらの排尿後、軽い出血や痛みと強い残尿感がありました。
次の日、近くの泌尿科へ行くと、医師がレントゲン写真を指差しながら「ここに結石ができています。早めに手術をして取り除いた方がいいでしょう。手術といっても今は尿道から特珠な管を入れて石を砕き洗浄するだけですから時間はかかりません・・・一応腰に脊髄麻酔を打ちます。どうせ動かないし痛みも感じないんだからと思われるかもしれませんが反射がおこるといけませんから・・・」ということです。
数日後に入院して次の日に手術を受けました。普段はプラス思考の私ですがこういう時は弱気になるものです。(^‐^;)
胸肩で意識的に自力呼吸をしていることへの不安、又脊髄麻酔で細菌が入ったり、麻痺してしまった話などが脳裏に浮かびました。ホトンドアリマセン!!
しかし当日になると気持ちを切り替え医師を信頼していました。
「まな板の鯉」の心境です。
その後ついでに腎臓の働きや残尿測定、括約筋の働き、一日の尿量など現在の状態を調べていただきました。
ところで、診察に訪れた日、車椅子に乗った30才の男性にお会いしました。
Mさんは、車を運転中に事故で胸椎を骨折し、以来入院して一年半以上になるということです。麻痺は下半身だけで、午前中に車椅子へ移り夕刻のリハビリまで人けの多い一階で過ごすというのが日常のようで、テレビには興味がなく又、外出(泊)は一度もないとのことでした。彼はよく病棟へ遊びにきてくれました。話によると、随分前になるがリハビリを考えて県外の病院へ転院を希望したがなかなか入れてもらえなかったとのこと。家に帰ってもご両親が高齢だし、室内を車椅子で移動するのが難しいとのことで、将来は施設へ入ることを考えているようでした。足先がかなり痛むらしく又、ご両親共々帰ってもしょうがないとのことで当分は入院しているだろうと言っていました。私は、彼の気持ち次第で様々な可能性が広がるはずだと感じました。
しかし、機関誌を見せたり同じレベルの人の活躍を話しましたが、全く聞く耳を持ちませんでした。盛んに自分との違いを主張し、その繰り返しです。
しまいにはジレンマを感じ、世間話をする始末です。
そこで、ふと自分の入院当初の頃を思い出しました。
そういえば、病院に入院するのは三年半ぶりです。呼吸器を付けていた頃は、専門の病院でなかったこともあり、主治医も大学病院へ電話をかけながらの対応でした。そのため何度か呼吸困難に陥ったりして、つらい思いをしました。彼が心を閉ぎして、聞く耳を持たないのも当然かもしれません。私は、次の日から自分の話をするのを控えて、出来るだけ話を聴くことに専念し、共感できる部分は共感するように心掛けました。
しかし結局出会う前と同じで、何も変わらないまま退院することになりました。
時々、お世話になった看護婦さんや彼のことを思い出します。
世の中にはもっとすばらしい世界があるはずだと・・・
ずぅーいぶん、長文になってしまった。
しかしやっぱり我家がいいですねえー、今日の天気は快晴だし。
院内にいた間はなんだか感覚が退化(麻痺)してた様な気が・・・
久々にMy Roomで聴くSoundは最高(^。^)
Don’t Stop the Music!!

1994年3月7日


明るく振る舞うということ

横浜市 HS

前号でTKさんが出会う障害者の人たちが皆明るく、強く生きているのが不思議で、無理に努めて明るく自分を作っているのではとおっしゃっている文章がありました。
最近読んだ本の中に、バイクの事故で頚損になった女の子の、社会復帰までを移動環境という視点からとらえたルポルタージュがあります。彼女は元々学枚の成績も良く、明るく元気な女の子でした。車いすになっても明るく頑張っている彼女を友達は皆『車いすになても明るく頑張っている○○ちゃんはえらい』と言います。それは本来の彼女の性格だけではなく、意識的にしろ無意識にしろ明るく振る舞うことで、彼女に接する周りの人達が“楽”であるということを、彼女自身が知っていると著者は書いています。
私にもズバリ当てはまることで、思わずハッとさせられました。職場での私は努めて明るく振る舞うことを心がけています。車いすのうえ暗かったら誰も声なんてかけられませんよね。職場での人間関係は車いすになった今仕事以上に大切であると痛感します。
自分の気持ちを偽ってまで、明るく振る舞う必要などないと考える方もいるでしょう。度が過ぎれば媚びになったり、ピエロさながらの自分が情けななく虚しくなったり・・・自分の弱みを見せないために、虚栄心からわざと明るく振る舞うことも時としてあります。周りの人を精神的に楽にさせることはもちろんのこと、その時々によって全てがあてはまります。ただ、ここに私はひとつの答えを自分なりに出しました。同じ頚損の若い男の子が言った言葉があります。


『元気なときはもっと元気になるように、元気がないときは元気になれるように、そんな生き方が好さだ』
私はこの言葉にとても共鳴し、深く感じるものがありました。どんな時にでも明るく振る舞うということを、その人の生きる姿勢と考えたらどうでしょうか・・・。なんとか少しでも前向きに生きたい!ほんの少しでも希望を見つけ出したい・・・!たとえカラ元気であっても、自分を奮い起こさせるために明るく振る舞う一人のひたむきな姿ほど輝いて見えるものはありません。そして胸を打ちます。どんな状況下においても、それは変わらないと思います。それが単に毎日を生活しているのではなく、いろいろと制約はある不自由な身ですが、最大限に今の自分を生きるということにつながるように思うのです。偉そうなことを書きました。
自分の中に、どんなことがあっても信じることのできる、自分だけの神様を持ちたい・・・!沢山の不安が襲って来るけれど、常にさりげなく踏ん張ることができたらと切に願う私です。

1994年3月7日


☆現在の在宅状況

宮崎県 KK

いつも、はがき通信を有り難う御座います。東京のUさんに随分前に紹介して貰い皆さんの生活状況を読ませていただいています。私の自己紹介が遅れまして申し訳御座いませんでした。
自己紹介と、現在の在宅状況をさせて貰います。

  • 受傷 1986年4月です。C4−5頚髄損傷です。入院生活を1年3ヶ月後在宅に入り今年8年目に入ります。
  • 残機能 右手に自助具を付けて一本指キータイプ入力の状態です
  • 車椅子 スズキの電動リクライニング付き車椅子
    現在の世帯状況は父62歳、母63歳、弟20歳、私29歳でバイク転倒で現在36歳(男)です。
  • 日常生活状況 週に2回午後(3時間)社会福祉協議会のホームヘルパーさん介助と、民間介助ヘルパー制度(時間¥600)週1回2時間利用
  • パソコン&無線
    本体:NEC−PC9801FX(U2)CPUi386SX(12Mhz)
    ディスプレイ:ICM−LS−2617PN(マルチスキャン17インチ)
    プリンター:NEC−NM9950(16色カラー)
    HDD:ICM−130M(SCSI)
    メモリー:8M拡張(MELCO製プロテクトメモリー)
    ウィンドウズ:アクセラレータボード:カノープス928:86音源ボード
    ソフト:通信ソフト(wterm)ワープロソフト(一太郎)、知子の情報、Windows3.1 Mifes
    Windows3.1を使用の為ディスプレイ、アクセラレータ86音源ボードを増設しました。最近Windowsを操作始めました。ハンディーを手助けしてくれそうで期待しながら操作を修得している次第です。現在は(目が疲れたとき)ファイル読み上げの機能が重宝していますが、今後操作を覚えて自分の環境に合うように持っていきたいつもりです。

    無線は2年前に四級アマチュアを取得しました。パケット通信目的でNEC−9801ノートNVを繁いでいます。
    在宅環境での自治体への呼びかけは、自由に町へ外出出来るようにリフトバスの運行の呼びかけをしていきたいと考えています。
  • 現在の交通機関
    民間運営のリフト付きタクシー1台(車椅子は2台乗れます)自治体の助成が初乗り料金(¥520)チケット年間12枚です。市役所に1台、車椅子5台と座席に15人乗れる中型バスです。公的運行が中心です。

今後とも宜しくお願いいたします。

1994年2月13日




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