は が き 通 信 Number.22−P1
POST CARD CORRESPONDENCE 1993.7.25
ごあいさつ

身障者には、エアコンが絶対に必要だと言う人が多く、私も4年前から夏には冷房がかかせなくなりました。後1ヶ月は猛暑がつづきます。どうか体温の調整には細心の注意をしてください。
            
 1993年7月25日 向坊弘道
ニューフェイス

RG

ハロ、エブりボディ。。。!
ニューフェイスなのだ(英会話を覚えた〜い)
東京で麩沢さんとお会いしたのがきっかけです。  >>How are you doing?
ヨロシクお願いします。

自己紹介
1985年、県外の大学在学中、交通事故で頚椎Cl-2を損傷。
初診時、呼吸停止、チアノーゼ、であらゆる生命維持に努める。将来を考え、頚椎部分を固める話しもあったが断り、十ヶ月後、人工呼吸器を付けた状態で(機器の故障を予想し、アンビューの練習)鹿児島市内の病院へ転院。胸に電極を埋め込む話しもあったが、レスピレータを外す時間を徐々に廷ばし、三年後自力呼吸ができ、五年後顎コントロール電動車椅子へ乗れるようになり退院。
自宅はマンションの六階(エレベータあり)で部屋は十畳程の板の間。隣が浴室、開き戸で仕切られ、電動ストレッチヤーで入る。環境制御装置(呼気スイッチ)、電動ギヤッジベッド、電話、AV機器(テレビ、スピーカ、エアコンは天井側へ付き)、Machintoshパソコン(MO、Faxモデム、プリンター)は音声認識装置とロを使い繰作、ベッドサイドを移動できるようにしてある。

雨、アメ、あめ、Rain,・・・飴?、いやですね〜、じめジメしちゃって。
窓景色の桜島の噴火口に雨は溜るの。。。?
(おっ、FMからBeatの効いたサウンド、ズン、ズン、ズン)
17、18日に博多で知人と会い福岡ドーム(ダー日戦)へ行くため、ドームヘ予約電話を入れると私の車椅子座席以外すべてSold Out、付き添いは2人まで。ガ、グア〜ン、どうしよう1つ足りない、広くて立ち見、なんとかもう1人、、、ツメタク規則ですから。あぁ〜あ、しようがない当日券を買うため3、4時間?、並ぶか。午前中、見聞する余裕なさそう(;;)
1993.7.6


久しぶりの便り

MT


寒い寒い冬が過去のものとなり、氷が解ける様に体のこわばりもほぐれて、つくづく良い季節になったものだと思う今日この頃です。皆様いかがお過ごしですか。私は、先日、電動車イスの操縦かんをテーブルに引っかけて暴走し、お皿と金属性の引きだしをこわしてしまいました。かなりのスリルでしたよ。皆様もどうぞお気をつけ下さいませ。
ではさようなら。 
6月11日


危ない世界に身を置くセイネン

KM

私の彼女は少々重い。100kgの巨漢だ!背丈は110cm程で幅は65cmx奥行き50cm・・・。? 
実は、彼女というのは僕が長年、愛用してきたオーディオ機器のスピーカの事で、僕にとって彼女(スピ−カ)の存在は大きい。疲れを癒し、心を和ませ、狭い部屋に居ながらにして多くの感動、夢を与えてくれる。一枚のレコードが様々な空間を演出する。すばらしいレコードと出会った時の感動もたまらない、でも一つだけ気掛かりな事は(L)(R)ステレオ両方合わせると200kgに逢する。
アンプ、CDプレーヤ、その他の器材を含めと0.5トンにも及ぶ。おいそれと近づく訳には行かない、いつ床が抜けるか!恐怖に脅える毎日を送っている。
何時だったか…?向坊さんが尋ねて来られて、スピーカの前で休まれていた事があったが僕の心は心配で休まる間がなかった。余計な心配をかけたくなかったので向坊さんには危険を告げなかったが…?ははは ゴメンナサイ!
クルマの好きな人の中には、クルマに話し掛けたり、まるで恋人と接するかのように、おやすみのkissをする人もいうようで‥・僕の友人の中にも危ない連中が居る。しかし、人の事は言えない僕も外出する時、『行って来るよ』と声を掛けて出かける。寂しがらないように、トトロとクマさんの“ぬいぐるみ”をスピーカの上に置いて行く。三十代半ばのオヤジのする事じゃないが、ちょっと危ない世界に身を置いて楽しんでいる部分がある

一年中で一番いい季節について21号でふれられていましたが、冷暖房器具の動作音は音楽を聞いていると意外と耳に付くもので、真夏の暑い日でも扇風機や冷房のスイッチを切ってレコードを聴いている。好きな事をしている時って辛さを感じないと良くいいますが、あれはウソです。だから、今が(初夏)僕にとって一番いい季節です。今日もCDを聴きながら手紙を書いている、ケニーGのソプラノ サックスが梅雨空に清々しく響いている。今年の夏はケニーGのサックスが“涼風”を運んで来てくれたそうです。
レコード番号を紹介しますと『プレスレス◇ケニーG』−発売元 BGMビクター BVCA 139 
ケニーGは《ポップス&フュージョン系》のサックス奏者です。

最近のCDプレーヤの中には一度に6〜7枚のCDソフトを収納して連続演奏できる製品(CDオートチェンジャー)が、数多く出回っているので、便利になったのと選択の幅が広まったことも嬉しいことです。
家族の者が買物や外出している時など同じCDを何度も何度も繰り返し聴いていなければならなかったのが一度CDをセットして貰っておけば、しばらくの間は一人で楽しんで要られます。リモコンで聴きたいCDだけを繰り返し聴くことも可能です。
現在使っておられる《システムコンポ、ミニコンポ、ミニミニコンポ、ラジカセ≫に音声入力が備えてあればオートチェンジャーを接続できます。<注:PHONO音声入力の場合は不可> 
価格も手頃の物から39800円〜数百万まで各メーカから発売されています。ご自分のコンポとデザイン的に違和感のないものを選ばれたらよろしいかと。私も2年程前からCDオートチェンジャーを利用していますが、なかなか重宝しております。この通信が発行される頃、きっと暑さに“もだえ”ながら、私はレコードを聴いていることでしょう。
皆さんもくれぐれもお身体を大切に。お元気で
暑中お見舞申し上げます。

追伸:はがき通信のスタッフの皆様、21号の≪目次≫の見出しですが…私にピッタシなステキなタイトルを付けて頂き≪おじさんと3人…≫ありがと〜うございました(ムカッ)。今回は、ちなみに≪危ない世界に身を置くオヤジ≫とでも付けますか。ハハハ いつもご苦労様です。        
7月1日 曇り


私の近況

MM


会員の皆さん、暑中お見舞申し上げます。
私の近況を少し報告したいと思います。去る4月20日から中旬にかけてかなり体調をくずしました。久しぶりに辛い体験をしました。そのため5月の通信の予定がだめになりました。
先日7月2日に大先輩の若松の向坊さん宅でパーティ形式の懇親会が模様され、私も参加し約1日楽しい時間を過ごさせてもらいました(20名参加、車イス9人)。ただ雨のため、TKさん他何人かが来れなく、それが残念でした。
さあ、これから毎日、暑い日が続きますが頑張りましょう。


はがき通信の皆さん、猛暑に負けず、夏と生きて下さい

TK


皆さんもそれぞれに有意な日々をお過ごしのことと推察しております。九州は、ここ小倉は早くも猛暑に見舞われ、うんざりしております。路面からの輻射熱はものすごく、ビルの陰や木陰を頼りにしながら渡り歩くようにして、ショッピングや通院を続けております。7月2日、若松の向坊さんのお家で焼肉パーティが開かれました。小生も招かれたので、前日にボランティアの塩川さんと手順を打ち合せ(なにしろ遠出で初体験ですから)テルテル坊主をつるそうと話し調整を負えていたのに・・・
天は無情にどしゃぶりの天候にしてパーティ参加を不能にしてくれました。しかし又の機会もあることだし、その時は必ずと思っています。
車イスの生活は電動であれ、手動であれ、多くの制約があります。JR電車が使えるというのでJRの運転手をしていた友人に伺ったところ、古い駅のホームは低いままになっているのもあり、事前に充分な調査が必要とのことでした。

出たがり屋の小生、介助者なしに動ける(と云ってもかなりの部分、介助されているが)のを幸い一人で門司港まで行ってきました。7月12日空はどんより曇り、黒い雲と追いかけっこするように門司港の周辺を約1時間??(スミマセン、ヨメマセン)優しい門司港レトローの海に遊んでもらいました。
友人のHさんが入院していたことのある門司労災病院に表敬訪問いや見学と云ったほうが適切かもしれませんが、清潔、優しさ、暖かさが雰囲気として伝わってくる美しくて立派な病院でした。
明治大正時代をしのばせる赤レンガの古い建築物が至る所に散見され、山々に恵まれ、海の美しい風情のある門司港にいきそうです。話しにきくバナナの叩き売りの姿は見かけませんでしたが、心に満ちてくる門司港のイメージです。写真を撮るための準備を怠ったことを歯ぎしりしております。
次回は必ず写真をと思っております。皆さんも猛暑に負けず夏と生きて下さいね。口に出して云うに云えない悲哀、辛難に耐えて生きている多くの障害者をフォローして下さっている全国のボランティアの皆さんに心から感謝を申し上げます。唇に歌、心に太陽を、子供の頃教わった何気ない言葉と思ったこの文字が小生を勇気づけてくれます。
1993.7.13   TK


ブラジル身障者大会にて“よみがえる人生”を講演

向坊弘道


ブラジルでは、身障者大会は500人ほどの参加者があり大成功でした。私は“よみがえる人生”と言う題で自分の自立について、ポルトガル語で講演しました。
(向坊さんは、5月末から6月初め、ブラジル第3回身障者大会の招待でブラジルへ行ってこられました。出発前は、数十時間の飛行で、ECS症候群(20号で紹介)をたいへん心配されていましたが、無事、帰国されました。ポルトガル語は独学だそうです。)



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