は が き 通 信 Number.18
POST CARD CORRESPONDENCE 1992.11.25


《ごあいさつ》

膀胱関係の手術から半年です。尿は出やすいけれど、外部からの感染も多いです。排便はやさしくなりました。顔面半分の冷や汗が何十年もありましたが、これはよくなりました。やはり、尿が出るようになるのはいい感じです。冬に向かいます。風邪を引かないように。

向坊


ストレッチャー式電動車椅子:TKさん


はがき通信の仲間へ

残暑にも負けず頑張っておられることと思います。北九州も本当に暑い夏になりました。折角治ってくれていた褥創が又々おかしくなったりしましたが、何とかやり過ごしホッと一息入れておるところです。仲間の皆さんがそれぞれに少しでも生き生きと生きる努力をされている様子が解るだけでもとても嬉しくなり励まされます。

さて先日は小生の奇想天外とも受けとめられそうな構想を報告いたしましたが、製作に協力して頂ける業者のお蔭様で夢の実現に一歩近付きました。
形式としてはストレッチャー型電動車イスで下図のようなものになります。即ちA図でお分かりのようにベッド(ストレッチャ型)のように電動車を固定したものです。


A図

このストレッチャをペースにして両サイドにサイドベッドにもなる15センチ巾の立ち上がりを設けてみました。立てるとガードになり、広げるとフルサイズのベッドになるようになります。

車椅子の図

B図

これだとマンパワー不足の今の時代にも合うように思いますが、とりわけ吾が家は75歳の老母と二人暮らしですから大変な福音です。車イスに乗り移る際は三人がかりでしたから・・・・。
その上骨折や他の気配りもなくベッドに横になったまま或は腹ばったままの状態で日光浴も楽しめるようになれます。この待望の竜動車イスが8分通りに出来上がり9月19日試乗させて頂きました。仕上げにもう少し日数を要するとのことですが、10月初旬までは手元に届くとのことです。

坐位で車イスに乗れない障害者にもチャンスが有るのだと喜んでおります。どんな暗くても辛くても明りを見つける努力だけは続けるつもり。
光りかがやく生でなくとも、穏やかな喜びと心の平安を取り戻すことは可能です。いろいろな助言、本当に有薙うございました。
仲間たちに幸せあれ、頑張ろうや互いにネ。

1992.9.21 北九州市 TK

<追伸>

朝夕めっきり冷え込む季節になりましたが、はがき通信の皆さんもしっかり生きておられることと思います。小生もしっかり生きております。2カ月間のご無沙汰とても長く感じられます。

先々号で一寸話したストレッチャー型電動車椅子が予定より少し遅くなりましたが、完成しました。私事の報告のようで甚だ恐縮ですが、試乗感想などお話します。

巾66cm長さ207cm、一見して奇抜そのものの電動車椅子ですが、拡げるとベッドに変化するアイディアに加えて全天候型にも変化させ得る可能性を持たせており、小生の夢限りなく広げてくれます。
深海に沈んで生きた40年が何だったのかと今さら考えさせられます。

乗りここち最高、走行時のバランスも申し分なく出力感(能力)抜群、我ながら良くぞ踏み切ったと快感を覚える程です。
高速6キロ(時速)は自制しておりますが、病院、海岸走行中、公園と自由に出かけられる喜びは口では表現出来ません。シーラカンスが鳥に生まれ変わったようなそんな気分です。唯いっせいに向けられる奇異な視線には少々驚いています。でもこのような車に向けられる好奇心を思えば致し方ないことだと好意的に受け止めて笑えるようになりました。
180度小生の生き方を変えてくれそうなベッド兼用の電動車の報告をこれで終ります。

年の瀬も間近かになりました。寒さに留意して良い新年をお迎え下さい。

1992.11.15 北九州市 TK



自己紹介:YSさん


こんにちわ、はじめまして。私は福岡在住の23歳で、受傷して1年半になります。先日やっと病院を退院し、今は改造した自宅で生活しています。

向坊さんの紹介ではがき通信をいただき、みなさんの仲間入りをすることになりました。よろしくお願いします。今回は、受傷してから現在までの様子を書いてみました。

私は、昨年5月ラグビーの試合中スクラムが崩れてその下敷となり頚髄の6番を脱臼しました。それにより、両足と、手先の自由を失いました。以来九州労災に約1年、その後脊損センターに1ヶ月はど入院しリハビリを受け、今年6月には一旦退院してました。1年振りに家に戻れたうれしさで、友達と会ったり、大学へ行ってみたり、親友と退院祝いで飲みに行ったりと充実した何日間がすぎました。

その日夕方外から帰ってきて導尿しようとズボンを下げてみると、左下腹部がたんこぶのように異様に腫れていました。これはおかしいということで、すぐ脊損センターに電話しました。医師が言うには、「おそらく副睾丸炎でしょう。薬を2、3日飲んでみて熱が下がらないようなら病院に来てください。」と言うことでした。熱はその夜8.5度Cぐらいで下がる気配はありませんでした。

翌日も熱は下がってませんでした。食欲もなかったのですが、昨夜からほとんどまともに食べてなかったので何か食べねばとパンを2、3切れ食べました。しかし、ますます気分が悪くなるばかりで、ついにもどしはじめました。前日から、ほとんどなにも食べていないのによくこんなに腹に入ってたものだ、と思うくらい次から次にでてきて最後には、消化液のようなものまで出てきました。

午後になり、ますます状態が悪くなったので母に救急車を呼んでもらい、退院したばかりの脊損センターに行きました。診察の結果、「腸が悪いようです。たぶん手術が必要でしょう。こちらに消化器外科がないので筑豊労災でしてもらいましょう。」ということになりました。自分では、てっきり泌尿器系の病気と思っていたので、びっくりしました。

そのまま救急車で筑豊労災へ運ばれ、即手術となりました。腸に食物が残っているといけないので、鼻から管を入れて注射器のようなもので吸い出しました。その苦しいことといったらありませんでした。そのような処置がすんで、夕方6時頃から手術室に入りました。

普通このような手術の場合、全身麻酔でおこなうわけですが、私は局部麻酔でしました。したがって、手術中の様子や、医師どうしの会話などはとんどわかりました。手術室のなかには5、6人の医師がいました。私のようなケースはめずらしいらしく、しきりに驚いたりしていました。看護婦さんが「退屈でしょう。なにか聴く。」とウォークマンを持ってきてくれたりしました。だいぶ時間がたったような気がしました。手術が終って、病室に戻ってみると、心配そうな両親の顔がありました。なんと深夜2時。とても長くかかっていたのでした。

結局私の場合、小腸が陰嚢に落ち込み、ぬじれて壊死していたそうです。そのため腸を20cm程切り取ったということでした。

普通神経があると、このようにひどくなる前に痛くてたまらず病院へ来るそうです。私の場合、痛みがわからず1日放っておいたので、それが手遅れとなったようです。特に、内臓など目に見えないところは、私たち頚損では痛み等自覚症状がわからず、このようになることも多いと思います。何か体の異常に気づいたら早めに病院へ行く等して医師に診てもらう必要があると思います。

書き始めると、ついつい長くなってしまいました。また機会があれば、続きを書きたいと思います。だいぶ肌寒くなってまいりました。

ではみなさんお元気で。

福岡県 YS



ETさんの通信を読んで:YKさん


前略

ETさんが毎日、日記を付けていることを知って大変嬉しく思っております。どんな心情で書いているのか、なにを目的にして書いておられるのか、もっと詳細に教えていただきたい気持ちであります。

日記に書く内容の私との違いなど、個性の違いを感じました。私はもう恐らく3年ぐらい書いておりますが、もしかしたならば4年になるかもしれませんが、始めに心掛けましたことは真実の心、私自身がその一日で最も印象深かったことをありのままに書こうときめました。したがって具体的な内容は、他人に読まれたならば羞恥心に苛まれて赤面してしまう内容や、責任追及されて強烈な叱責を受ける内容もあります。決して誰にも読まれない細心の注意を払って書いております。・・・・

やはり他人に読まれる日記と読まれない日記では、自然に無意識のうちに内容が変化してしまうように思います。誰にも読まれないことを心掛けることによって、ありのままの心情を書こうと心掛けています。・・・・

日記を書き始める前に私は、日記というものを学ぶためにアンネの日記を読みました。アンネのようなまだ幼い少女で、しかも屋根裏部屋だけの生活なのに様々な事件が発生しているのに驚かされました。アンネの観察の鋭さに啓発されると共に、外見的には単調な生活の連続であっても、「特別寝ているだけで何もないから日記は書けない。何か変かさえあれば日記は書けるが」などという言い訳は、日記を書けないというお体裁のいい言い訳にしか過ぎないことを理解しました。アンネの日記を読んだ後も、文庫本などで数人の方の日記などを読みまして、学び私自身も毎日日記を付けております。高野悦子さんの二十歳の原点やモントルポの日記、ゲバラ日記なども読んで日記について学んだことを思い出しました。

1年はど前この通信のお蔭でワープロを購入できまして、それ以来ワープロの準備さえして頂ければ独力で書けますので、毎日つけています。平均いたしますとこの1年間は1日に千文字ぐらいの文字数です。幸にもここ1年間くらいは39度ぐらいの熱しか出ていませんでしたので1日も欠かさずつけることができました。その前の数年間は、口述筆記者が確保できませんでしたときはつけられませんでしたが、それ以外は毎日つけております。その当時の文字数は、一日平均300字程度でありました。それしか時間の確保、筆記者の確保ができませんでした。

数カ月間も毎日日記をつける習慣ができますと、日記を書くことが楽しくなります。日記のために何を書こうか、空き時間に考えることが楽しくなりました。また私が不慮の事故などにより突然亡くなりました時に、私が毎日何を考えて生きていたのかを私の死後誰かが理解してくれればと想像いたしますと、楽しくもないファイトが沸いてくるものです。

9月30日 YK



有限会社ネットワーク・コンソーシアムを設立:SUさん


前略・・・私の在宅での生活も、今年で8年目を迎えました。これまで、少しづつ、自分でできることを1つでも増やし、かつ家族の負担を減らすように、居室を整備しつつ将来の自分の活動のために備えておりました。

福祉について、地道に、情報の収集・加工・提供をしておりましたのも、リハビリ・エンジニアと一緒にフィールドに居させて頂いたのも、もう一度社会に出るカをつけるためだった訳です。

そして、私にも好機が訪れました。1991年2月の「ネットワーキング・フォーラムin 横浜」に参加した機会に、一緒に活動する仲間を得ることができ、同メンバーにより同年3月に「ネットワーク・コンソーシアム研究会」を発足し、そして今年5月に研究会の構想を実現するため「有限会社ネットワーク・コンソーシアム」を設立しました。

私どもは、一言で申しますと「社会福祉に関する事業を、総合的に企画・コーディネイトする」組織です。当然、「家族の生活の流れ」から、障害者や高齢者の自立を支援する機器や自助具、または介護・介助者の負担を軽減する介護機器・介助用品を企画・開発することも事業の一環となりますが、当面は直接、開発に結びつく商品を企画するための「調査活動」から始めることになります。これまで呼んで頂けた幾つもの福祉機器の開発委員会・その他での経験は、今後の私共の活動に活かされていくことでしょう。

なお、有限会社を設立したといっても、私どもはすぐに大きなことをしたり、儲かるとは思っておりません。これまで通り、私がライフ・ワークとして行ってきた私の居室の「自立リアルティ・モデル・ルーム」(マウンテン・ペンギン)の公開も、情報提供なども無料で行います。何ら、変るところは有りません。ただ、これまで、自分一人では、気が付いても何もできなかったことを、仲間と共に、今度は会社という基盤を元に、事業化できるということです。

後略・・・・

平成4年10月吉日大田区 SU



こんにちわーTETSU−YAです


またハガキ通信だしちゃいましたよー。今回、書くことないから、あるひとりの重度障害者の近況報告っつーことで、てきとーに読んでください。書くことねーんだったら出すんじゃねーってか。ハツハツハ。

ってことで、最近もあいかわらずかなー。聖水、黄金のでもいいし(笑)。

音楽は相変わらずハマってる。っつーかそれしかやることがない。また新しい機材買っちゃったー。で、音のネタがすっげー増えた。やるときは7、8時間くらいぶっつづけでやっちゃう。

飯も装具で自分で食べられるけど、最近は、めんどくせーから食べさせてもらう(笑)。退院してからリハビリのリの字もありゃしない。

でも,タバコは余裕で自分で吸え(笑)。マールボロね。で、セブンイレブンのシュークリームもポイント高い。全然、関係ないってねー(笑)。

まー、音楽中心の生活ですよ。それしかできねー、やだーっだって(笑)。

どうしょうもねーっていえばそこまでなんだけどね。

所詮、ただの重度障害者よ。強がってもしょうがねー(笑)。

そんでもって、女の子とかの話してて気分が高まってもわりーけど、結局は音楽への活力の源になってしまう。

やっぱり、そーなっちゃうかな。まー、体が不自由だからなんだけど(笑)。

いいんですけどね。そんなことは。ガッハツハ。

ケ・セラ・セラですよ。

話しを戻して、音楽やっている最中は、お香をたきながらやる。たきすぎると覚醒してしまう(笑)。で、結構いろいろな人に聴いてもらっている。

コンテストもだしてるけど、反響はない(笑)。果して俺がTOMMY星野を鼻で笑える日が来るのかなー?って感じ・・・・・・・・・・・来ねーな。

あと最近は、少しクラシックに目覚めた。とくに欝、幻覚、障害なんかの中で作った曲は、やっぱりくるものがあるなー。だから今はうっるせーロックも.やってるけど喜怒哀楽のピアノもいいですね。友達とかもいままでの音楽きかなくなってきたし。けっこうCULTURE SHOCKだったかな。

あとは家も段々できてきたし、明日は週刊ゴングと宝島が出るし(笑)、そんなとこかなー。

で、最後に思ったんですけど、ハガキ通信に「売ります。買います。文通しましょう」コーナーみたいなの作るのいかがなもんでしょうか?。

いいとおもいません?

例えば、シビン売りますとか、ペニック買いますとかさー(笑)、エル・カネックと交換可、とかねー(笑)。誰もしらねーぞっと(笑)。

まー、いろいろ趣味とかの交流の場としてさァ。

松井さんどうでうでしょうか?・・・・・・・・・・却下ね。ハイっ(笑)。

ってことで、明日からも一発カマしていこう。

じゃ−、この辺でSEE−YAです。さようなら。

BGM:上を向いて歩こう/坂本 九でしたーっ。

P.S 村上SAN、あたたかいお言葉をありがとうございました。

TETSU-YA 1992/10/30


TETSU−YAさん、新しく買った「機材」って何ですか。よかったら、次号ハガキ通信でもう少し詳しく教えてくれませんか。(W)




自己紹介:HSさん


初めてお便り差し上げます。海と軍港の街、神奈川県横須賀市に住むHSと申します。平成元年8月に、登山中の転落事故で首を脱臼骨折して車椅子となりました。秦野日赤病院から神奈川リハビリテーション病院に転院し、9ケ月余りのリハビリ訓練後、現在は自宅にて家族と共に生活しています。頚損部位はC5−6ですが、レベルはC7−8位でしようか・・・・・

奇しくもはがき通信に投稿なさっている、埼玉のETさんと同じ年の同じ山で受傷しました。病院は別でしたが、ひよんなことからお知り合いになり、現在もお手紙などで近況を報告しあっています。はがき通信には、他の情報交換誌でもお名前を見かける方が多くいらっしゃる気がします。

ETさんは、はがき通信No.17のあとがきにもありましたが、一度だけ入院中にお目にかかっただけですが、文章の示す通り女性らしい優しく可愛いお嬢さんです。まれなる女性の登場に期待(?)をどうぞおかけにならないで下さい。私はちょっとも女らしくありません。感性は強い方だと思っていますが、女性らしい繊細さには絶対欠けています。(言葉づかいも今のうちは猫かぶり・・・・・?!)車椅子になっても懲りずに山に登っているような人間ですから。

それではまた・・・これからもよろしくお願い申し上げます。

平成4年11月1日 横須賀市 HS



TFさんの新生活B


前回、17号では9月に行ってきた七沢のリハセンターと伊東重度障害センターの報告でしたが、今回は帰りに日野療護園と松井先生の研究所に行った事、それに夜に起きたアクシデントについて書きたいと思います。

伊東を朝出発し、海岸線を江の島まで上り相模原から八王子に出て、市内のビジネスホテルに泊まりました。比較的繁華街に近く、夕方の街へ車椅子で出てみましたが、やはり“さすが東京”という感じで人の多さ、人の動きにびっくりしました。

食事を終えホテルに戻り休んでいたのですが、急に尿の出が悪くなったのか、汗が止まらなくなり下腹部が張ってきました。そんな時は、膀胱洗浄をして尿の流れを良くすれば良いのですが、洗浄液も入らぬ程詰まった様子でまったく尿が流れなくなりました。その時はもう10時を過ぎていて、このまま我慢し(私の場合膀胱に溜りすぎると尿道から漏れる)明日、病院でカテーテルを交換してもらえばよかったのですが、一緒に行った友人が心配し、今晩もしもの事があるといけないというので、フロントに電話をかけ夜間でも受けつけてくれる病院を探してもらいました。電話をしてみたところ直接夜勤の医師に取り継いでくれ、私の障害や今の症状を説明したところ、すぐに来いという事でした。幸い近所で車椅子で行け、夜勤の医師、看護婦そして診察の手続きをしてくれた事務の方もとても親切で、気持ちよくカテーテルを交換してくれました。今回、皆さんに迷惑や心配をお掛けしましたが、皆さんの気持ちにとても感謝しました。身体障害者手帳と保険証は大切ですよ。何があるかわかりません。出かけるときは忘れずに。

翌日まず日野療護園に向かいました。ご存じのとうり日野療護園は東京都の療護施設で、設備や職員体制、生活環境では日本一というので話しをきいてから一度見てみたいと思っていました。私が障害を持ち、家には帰らず療護施設で生活すると決めたときから、埼玉県は勿論、近県の療護施設を見学していますが、日野療葦園は施設というより一人一人の独立した家という感じで、そしてまた入居者自冶会などとてもまとまった感じでした。療護施設というとどうしても山間部の町外れという感じですが、住宅街で駅など公共施設も近く、体が不自由という事を除けば、障害がない方と同じ生活をしている感じでした。在宅での生活が叫ばれる中、療護施設の大切さを改めて実感しました。私のカーサ・ミナノも山間部というハンディーはありますが、日野療護園に負けない施設にしたいと思います。

先生の研究所に着いたのは、正午を回っていました。緑の並木を抜けると、病院や研究所がありました。先生に案内してもらい研究所を見学しましたが、どの部屋にもパソコンやコンピュータがあり、資料室には横文字の本がたくさんあり、なんだが“別の故界”?という感じでした。

沢渡温泉病院に入院中は、皆さんに来ていただいた時がおおかったのですが、今回のように私から出向く機会が多くなった気がします。これからも外出に心がけ、はがき通信の仲間とも、紙面だけでなく直接お会いしてお話したいと思います。



【これからもっともっと寒くなりますが、私の寒さ対策を・・・】
  • 温度・湿度計をおき、一定に保つ。
  • 足先を毛布やバスタオルなどでくるみ冷やさない。
  • 体が冷えてしまったら、熱めのお湯などを飲み中から温める。寒いからといって、厚着をしすぎたり、熱いお湯に入ったりすると、今度は熱がこもり体温調節のバランスを崩す。
11/16 カーサ・ミナノ FT




MIさんイラスト入りCDが発売されました



“スピーキング・バルブ”について


カナダ脊損協会から“スピーキング・バルブ”についての詳しい資料とそれを使用して自立生活している人々のビデオを送っていただきました。

長期にベンチレータを使用している人は音声によるコミュニケーションが困難ですが、この“スピーキング・バルブ”を使用すると、かなり明確に話すことができるようになります。

それは筋ジスの青年がご自身の体験から考案されたものを専門家の協力により製品化したもので、米国、カナダ、スウェーデンで使われているそうです。会話ができるようになるだけでなく、分泌物の量が著しく減少するそうです。

全脊連の成瀬さんが今年9月バンクーパーに行かれ、ベンチレータを使用している人と普通に会話ができたという話しを伺い、直接問い合わせたところ、“スピーキング・バルブ”の資料とビデオ、さらにベンチレー夕使用の高位頚髄損傷者用の膨大な介助マニュアルを送って下さいました。

介助マニュアルは私たちにとってもたいへん有益な資料となりますので、訳し初めています。機会をみて紹介していきたいと考えています。

松井



交換市


  • リクライニング式、スズキ製電動車椅子。手ハンドル、4年もの、程度良好、6万円。
  • フローテーション・パッド。新品1万円、中古5千円。
  • 手動リクライニング式車椅子。中古2万円、大車輪着脱式。

以上、向坊弘道まで。宅急便代は別途。詳細は電話でお問い合わせを。


あとがき


*今回は心機一転マッキントッシュのページメーカを使って編集してみました。如何でしょうか。またHWさんが今回から再び編集に参加して下さいましたし、通信の印刷や発送は毎回、Sさんが引き受けて下さっています。

*17号のETさんの通信効果もあってでしょうか、今回はとくに通信が多く、神奈川のKYさんから「はがき通信は読者の交流がうまくいった希有な例と思い、すごいと思っています」というお便りもいただきました。“すごいと思っていましたが・・・”と云われないようにしていきたいものですね。

*この通信はいままで締切日を設けていませんでしたが、印刷直後に原稿が届くことがあり、次号まで2ケ月間ありますので、間延びしないよう、一応、通信を発行する奇数月15日を締切日とさせていただきます。

*研究室に10月からマッキントッシュが入りました。今、松井先生と一緒に四苦八苦しながら、新しいコンピュー夕と格闘しています。今回の通信は、原稿を割り付けるだけで精一杯でしたが、マックの編集ソフト“Aldus Page Maker”はなかなかのすぐれもので、いろいろな仕事ができそうです。少しづつ、紙面のセンスアップをはかって行きたいと思います。今回、久々に登場させていただきましたが、みなさん、またよろしくお願いします。(W)

*今年最後の通信となりました。少し早いようですが、皆さんどうぞ良いお年をお迎え下さい。

編集部



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