はがき通信ホームページへもどる No.170 2018.4.25.
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 特集 褥瘡予防=油断禁物 

61歳、C4、頸損歴26年目、人工呼吸器、電動車イス使用

 私は今、褥瘡真っ只中です。昨年9月中旬に発見されて以来、治らないで困っています。そんな私が褥瘡予防と言ってもおこがましいのですが、結論から言うと油断禁物ということです。というのも、私自身昨年9月までは、褥瘡に対して根拠のない自信を持っていたのでした。
 受傷後の20年以上前に、褥瘡で1年余も悩まされて以来、その後は褥瘡気味になっても「除圧」(褥瘡予防〈1〉)に励んで2週間ぐらいで完治していたのでした。ところが、今回は半年を経過しても治りません。何が違うのでしょう? 加齢、体重増、それはあると思います。状況が違うのだから、油断禁物と思うわけです。
 一方、褥瘡治療の方法は、20年前と今とでずいぶん異なっているようです。20年前、病院の指示で私はお尻を毎日日光浴してもらっていました。今は日光浴=乾燥はNGのようです。今回の私の褥瘡の経緯から、褥瘡予防と対策について書いてみたいと思います。

 なぜ褥瘡を作ってしまったか? 昨年8月下旬に20年以上使用していたベッドがギャッチアップできなくなりました。そのため、ベッド上でパソコン操作ができなくなり、それまでは9時頃から16時半頃まで車イス上で生活していたのですが、作業時間を確保するために、新しいベッドを入手するまでの2週間ほど22時半頃まで車イス上生活を6時間ほど延長したのでした。
 また、車イスに移乗してから身体が傾くような感じがして、お尻を左側に引いてもらうことが多かった結果として、褥瘡ができたのは右のモモであり、圧力が右側にかかっていたようです。また、お尻を引いてもらう時、皮膚にシワが寄ったまま長時間圧力が加わっていたかもしれません。後に訪看さんが言うには、手をお尻の下に入れてシワ伸ばしをすると違っていたのでは(褥瘡予防〈2〉)という指摘をもらいました。
 褥瘡の処置は当初、これまでと同様に、1回/日ぬるま湯をかけて洗浄し、プラスモイスト(傷の被覆・保護のために傷口に貼って使用する多層構造のシート材)を貼付していました。これで改善傾向と言われていました。
 しかし、9月下旬にかかりつけDrの往診時の指示で、「再生細胞を洗い流さないように」洗浄を2回/週にしました。10月末からは、同じDrの指示でぬるい生食(生理食塩水)での洗浄後オルセノン(ホームページによれば、創傷部位に直接作用し線繊芽細胞の遊走及び増殖促進作用と肉芽中の結合組織成分の増加作用を示し、血管新生を伴った肉芽形成を促し、創傷組織の修復を促進する軟膏)塗布が加わりましたが、残念ながら悪化し続けました。
 そして、12月上旬に自己購入していたプラスモイストが手違いで在庫が切れた時、Drに相談したら、ディオアクティブ(慢性及び急性創傷の治癒を促進する創傷被覆材)を処方してくれて、2週間は付けっぱなしにしておくよう指示を受けました。
 一方、訪看さんやヘルパーさんの勧めで皮膚科専門医の受診をかかりつけDrに紹介を依頼していたのが、前記のディオアクティブ使用4日後に実現しました。専門医は皮膚の悪い所を切除し、また臭いからバイ菌に感染しており抗生物質の点滴が必要と診断してくれました。点滴はかかりつけDrが4日間にわたって行ってくれました。処置も専門医の指示で、1回/日洗浄後ゲーベン(外傷等・びらん・潰瘍の二次感染に適応)塗布〜ガーゼ2枚貼付に変わりました。
 それから3カ月余、ほぼ1.5時間毎にお尻休め(褥瘡部を浮かせて除圧)を入れるようにしています。褥瘡はゆっくり回復傾向ですが、まだ深さが3センチほどもあり、いつ完治するやら。
 以上から言えることは、褥瘡治療は日進月歩でもあり、専門医にかかるべきということ、そして、それ以前に油断は禁物と思います。
 (2018年3月30日記)

 新潟市:T.H.






[編集部注記]
 ◇褥瘡予防について、寄せられたご質問をまとめてみました。ぜひ皆さんから1行でもかまいませんので、ご回答や情報をお待ちしております。

[Q.1] 就寝時にケープから発売されていたネクサスというエアマットを利用している。(中略)ネクサスRをデモ機で試してみたのだが、私の体に合わなかった。
 みなさんにお聞きしたいのが、利用している方でエアマットは何年くらいが買い替えのタイミングで、実際にネクサスを使っていた方がいらっしゃったら今は何を使用しているのかお聞きしたい。
 (匿名希望)

[Q.2] おすすめのクッションがありましたら教えてほしいです。
 (K.Y.)

 < 特集「褥瘡予防、私はこうしている」に関連する最近のご投稿 >

●165号(2017年6月)「私に限って」F.H. 
●165号(2017年6月)「ロホクッションの体圧分散能力にカバーが悪影響」(次号に続く)Y.I.
http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc165a.html 

●148号の(2014年8月)「皮弁手術で完治、褥瘡奮闘話」M.K.
http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc148a.html 

●145号の(2014年2月)「あぁ褥瘡、あぁ入院」K.Y.
http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc145a.html 

 ※あわせてご覧いただければご参考になるのではないかと思います(敬称略)。




 『臥龍窟日乗』-52-母を送る 


 きょう母が死んだ。
 享年96歳、世間なみにいえば大往生なのだろうが、ろくな人生ではなかった。半生を下関で過ごしたのに「ふく」なんぞ食べた記憶がないというので、米寿の祝いは河豚屋でやった。「こんなご馳走は口に合わんけぇ」と刺身を一切れ口に含んだだけで遠慮する、そんな人だった。
 米寿のあと、ベッドから落ち大腿骨(だいたいこつ)を骨折。けっきょくこれをきっかけに寝たきりになり、8年間もの病院生活を強いらる破目になった。
 物心ついたころから、母は短命だろうと私は信じていた。父は下関の化学肥料工場に勤めていたが、なにが不満なのか退勤時間になると弁当箱を下げたまま三業地にしけ込み、深夜2時、3時に帰ってきては大暴れしたものだ。
 大人のなかでも頭ひとつとび抜ける大男が、小柄な母を殴ったり蹴ったりした。10歳に満たない私は母が殺されると思い、父の太腿(ふともも)に齧(かじ)りつく。こんどは父が、土嚢(どのう)のように私を蹴りまくるのだった。
 私が危ないと判断した母は、蒲団にもぐって縮こまっていた弟を小脇に抱え、私の手を引いて家を飛び出す。3キロほど離れた母の実家に逃げ込む。
 半時もすると、父が狂ったように母の実家のドアを叩く。父の半分ほどの小柄な祖母が玄関に出て、「お前みたいな奴に、ウチの孫は渡せんわ」と大声を上げる。「こどもはワシの子じゃ」と父が怒鳴る。近所の手前もあって、人質のふたりのこどもは父に渡される。
 父は弟を肩車にし、唇を噛(か)みしめた私がとぼとぼとうしろに従った。目前にはだかる砲台山の稜線が、こくこくとしらずんでくる。海岸線に出る。防波堤の先に行って「バカヤロウ」と父が叫ぶ。おまえらも叫べとうながす。弟が震える声でバカヤロウとつぶやいた。私は意地でも叫ぶものか、と唇をかんだ。なんでこうなるのか、とこども心にもいたたまれないのだが、憤りのもっていき場がない。
 父は私が受傷した年の夏、肺炎で死んだ。嗜(たしな)みで飲む酒ではなかった。まるで自分自身を痛めつける飲み方だった。戦地は玄界灘の孤島、対馬連隊。終戦までとうとう一度も敵に遭遇しなかった。いっぽう母の弟は父より五歳年下。少年兵として海軍に志願して、敗戦の前年に台湾基隆沖で戦死した。バツの悪い帰還兵だが、それを理由に身を持ち崩すほど純情ではなかった。
 母の異性関係か。美丈夫だった父にくらべ、母は色浅黒く色気なるものはほとんどなかった。ただソロバンの腕は図抜けていて2000人の社員の給料計算を独りでこなした。結婚前には所長秘書だったというから、かなり目立つ存在だったのではないか。職場の同僚からも揶揄(やゆ)される。コンプレックスが裏目に出たのかもしれない。
 酒が入らないときは、背を丸めて安煙草を喫う物静かな男だった。その落差があまりに大きかった。なぜみずから人生をぶち壊すような日々を送ったか、機嫌のよいときにでも訊(き)いてみようと思っていたが、いまではそれも叶わぬ願いとなった。
 骨折から2年くらいは母もリハビリに精を出していた。月一度くらいはウチに連れて帰り、つれづれに昔の話をききだしたが、父の酒乱の話になると母は口を噤(つぐ)んでしまうのだった。
 10歳前後のこどもの脳裏に、「もう後釜がきまっとるんじゃ」という呪文が刻み込まれていた。後妻のことだ。「よく後釜って言ってたよな」と水を向けると、「そんな度胸のある人やなかった」と母は首をふった。
 やがてリハビリもしなくなった。老化が加速した。言語障害が現れ認知症の気配が出てきた。私が見舞いに行っても反応がない。幼児のころ私は「ぼくちゃん」と呼ばれていた。妻が耳許で「ぼくちゃんが来てるよ」と叫ぶと、本人を前にして「会いたい」と肩を震わせた。
 癌やら肺炎やらをなんども乗り切った。若死にすると信じていた私には、驚くばかりの生命力だった。受傷後、私もなんどか肺炎を患った。抗生剤をぶっ続けに打つが、40度以上の高熱、呼吸困難が絶えまなく続く。母はいま、あの苦しみのさなかにいるのかと思うと、胸が張り裂けそうだった。まともに見ていられなかった。
「こんど炎症を起こしたら、救命処置はしないでください」主治医に頼んた。母の命を断ち切る親殺しの罪が、私を苛んだ、一日でも長生きしてほしいという願いと、もう苦しみから解放してあげたいという気持ちのはざまて、私の心は揺れた。口癖のように言っていた母の言葉が蘇る。
「あんたが元気になるまで、私も頑張るけぇね」
「母さん。俺はもう大丈夫だよ。ぼろぼろになった心と身体を、ゆっくりと癒してください」

千葉県:出口 臥龍



 ★★★ ひとくちインフォメーション ★★★ 

 ◆Googleマップ、東京などで「車椅子対応」経路検索が可能に

 米Googleは3月15日(現地時間)、「Googleマップ」の公共機関での経路検索で、車椅子で移動しやすいルートを検索できるようにしたと発表した。まずは東京、ニューヨーク、ロンドン、メキシコシティ、ボストン、シドニーでスタートし、提供範囲を拡大していく。AndroidおよびiOSアプリ、Webアプリで既に利用可能だ。


 ◇「車椅子対応」の使い方
 車椅子だけでなく、ベビーカーや松葉杖利用者にとっても便利な機能だ。
 使うには、経路検索で公共機関(電車のアイコン)を選び、「オプション」をタップ(クリック)すると表示されるメニューの「ルート」で「車椅子対応」を選ぶ。





 上の画像のように、推奨ルートが変わる。ルートを選ぶと、画面上部に「ご注意ください−車椅子対応ルートは実際の状況を反映していない場合があります。」と表示される。

 車椅子に対応しているかどうかの情報は、ローカルガイドからの報告に基づいている。ユーザーは専用ページで登録することで、ローカルガイドとして情報提供に協力できる。
 同社はまた、駅や空港、公共施設内のストリートビューを集めた「世界の空港・駅」ページを公開しており、ここで施設の階段や段差などを確認できる。日本については東京駅や成田空港など85カ所のストリートビューが登録されており、今後増えていく見込みだ。
 (情報提供:平成30年3月16日 ITmedia NEWS)


 ◆駅で車いすの「大回り」不要に ホームから複数経路

 国土交通省は大規模な駅に2カ所以上の「バリアフリー経路」を設けることを鉄道会社に義務付ける。段差を解消した複数の動線を確保することで、障害のある人が利用しやすい環境を整備。小規模駅についてもホームに続く経路の短縮を要請する。



 2020年の東京五輪・パラリンピックによる訪日客の増加を見据え、バリアフリー法に基づく省令を改正。18年10月から施行する方針だ。
 バリアフリー経路の義務付けは複数の路線が乗り入れ、1日の乗降客数が10万人以上など、一定の規模の駅を対象とする方向。今後、新設するか大きな改修工事を予定する駅では鉄道会社に導入を義務付け、既存の駅は努力義務とする。
 現行の省令は駅の規模を問わず、出口からホームまでの動線に段差のないバリアフリー経路を1カ所以上設けることを求めている。ただ、1カ所だけだと、目的の出口やホームまで大幅な迂回を余儀なくされる場合がある。複数の経路を設けることにより、高齢者や障害者らの移動をスムーズにする。
 エレベーターの設計にも車いす使用者への配慮を求める。現在は幅140センチ以上、奥行き135センチ以上が基準。「車いすと人がすれちがうのに十分な幅」にするよう義務付ける規定を省令に取り入れる。これに対応できない駅では、エレベーターの台数自体を増やす。
 エレベーターについても新設か大規模改修の駅に適用し、既存の駅は努力義務。同省安心生活政策課は「訪日客を含め駅の利用者増加が見込まれる。多くの人が快適に移動できる環境整備を鉄道会社に促したい」としている。
 (情報提供:平成30年2月22日 日本経済新聞)







【編集後記】


 先日、ご購読者の方より「はがき通信」を友人に紹介される旨のご連絡があり、本誌バックナンバーを郵送させていただきました。
 購読者数の推移を見ますと、2002年に最多の508名のところ、10年前(2008年)には384名、5年前には323名(2013年)になります。現在は223名(そのうち未納者54名)とかなり減少しております。
 ご購読者におかれましては本誌PRため、本誌を友人・知人にご紹介や、何かの集まりに配布などの機会がございましたら、バックナンバーを(無償にて)送付させていただきます。どうぞご協力をよろしくお願いいたします。
 次号の編集担当は、瀬出井弘美さんです。

編集担当:藤田 忠




………………《編集担当》………………

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◇ 藤田 忠   福岡県  E-mail:
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………………《広報担当》………………

◇ 土田 浩敬  兵庫県  E-mail:

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(2017年2月時点での連絡先です)

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