はがき通信ホームページへもどる No.146 2014.4.25.
Page. 1 . 2 . 3 . 4 .

前ページへ戻る

 『臥龍窟日乗』−自己PRでスイマセン− 


新聞や雑誌の文を書いて給料をもらってきたのだから、口はばったいが「物書きの端くれ」と言わせてもらってもいいだろうか。
 現場に足を運んで取材をし、記事にまとめる。この仕事はけっこう、性に合っていた。行動的な性格と好奇心が、35年を支えてくれたのだと思う。
 10年前、事故で四肢麻痺になったとき、最初に思ったのは、「天職」を奪われたのに精神の安定を保つことができるかどうかだった。
 案の定、狂った。狂って狂って狂いまくった。
《生ける屍(しかばね)》という言葉が脳裏に滲(にじみ)付いた。手足のない石像が筵(むしろ)に巻かれ、天井の節穴と睨(にら)めっこをしている……夢の中に出てくる自分の姿だった。
 「物を書く」ということは、創作活動であると同時に、精神的汚物の捌(は)け口でもあった。
 「四肢麻痺でもパソコンで文字を打てる」という情報は、長女が持ってきた。早速、デモ機を取り寄せたが、これは音声で文字打ちするというものだった。
 普段の呼吸ですらままならないのに、声で文章を綴(つづ)るなんて夢のまた夢だった。
 肺リハの効果が現れるようになった1年後、ふたたび音声入力に挑戦。○○○社のソフトを使用してなんとかマスターはできた。丸1年をかけて書き上げたのが、第1作目の『今ひとたびの旅立ち』だった。
 ベートーヴェンの『運命』を掛けっばなしにして書いたと言うと、「キザな奴だ」と思われるかもしれない。現実はそんな生易しいものではなかった。
 起立性低血圧と呼吸困難によって、なんども失神しそうになる、5分頑張って10分休むという按配(あんばい)だった。
 音声入力の弱点は「入力」ではなく、「修正」にある。病院と打ったつもりが美容院と出る。これを修正するために、「行の最初から○個目の文字を○個選択」なんて、一気に発声する。
 1ヵ所の修正に5、6分はかかる。しまいには神経衰弱だ。濡れぞうきんのように疲れ果て、ともかくも1作は仕上げた。遺書のつもりで書いた。
 ところが、しばらく経つと達成感がもりもりと湧き上がってきた。まだいける。
 ちょうどその頃、パソコンのデスクトップにキーボードが出る機種があると聞いた。これにウェルテック社のジョイマウスを接続すると、呼気でキーボードを打てる。
 私にとってみれば、飛躍的な改善だった。2冊目の『ワラをも掴め!』は、びっくりするくらい楽に書けた。
 2冊の本はいずれも自分自身のこと。いわゆるノンフィクションだ。事実をそのまま書けばいい。
 3冊目はある陶芸家の伝記だった。技量もさることながら日常生活の派手な人で、交友範囲は皇族、大物経済界人、作家、芸能人、スポーツ選手、やくざの親分と多士済々だった。
 陶芸家として、これほど魅力的な男もなかったが、莫大な借金も残した。未亡人は癌を患っておられたが、
「本を出して、喜んでくれる人が半分なら、お怒りになる人が半分。もう、お詫びして回る気力も体力もありません」ということだった。
 その後、病を押して、富山の『おわら風の盆』に行かれたと耳にしたとき、ああ、彼女は夫の魂を伴って最後の旅に出たんだな、と思った。
 国会図書館、関係者宅、伊豆、京都、伊賀上野などを2年がかりて取材したが、後に残ったのは、陽の目を見ることのない原稿と、障害者がノンフィクションをやることの難しさだった。
〈ノンフィクションは体力なり〉
 またしても大きな壁にぶち当たった。やることもなく塞(ふさ)ぎ込む日が多くなった。そんなある日、ヘルパーさんの会話を聞くともなく聞いていて、驚いた。
 我が家には20人からのヘルパーやボランティアが入ってくれているが、私が眠っていると判断したものか、けっこう際どい話になってきた。へぇ〜っ、女性でもこんな話をするのかと、これは新鮮な驚きだった。
 男ばかりの世界で生きてきたので、主婦の会話というと、天気と子供の話ばかりだと思い込んできた。ところが気心が知れてくると、男の猥談以上にエゲツない。
 これは小説になると閃いた。サスペンスを絡めるときっと面白くなるはずだ。ノンフィクションだと体力勝負だが、フィクションだと寝たままでもできる。
 ※そんな経緯で、初めての小説『疵〈きず〉』を世に問うことになりました。厳しいご批評をおねがいします。アマゾンにて4月中旬の発売です。

千葉県:出口 臥龍



 人生最後の東北の旅/紅葉と被災地巡り(2) 

手動車イス、車運転可

 全行程:2013年10月17日・福岡県〜滋賀県〜福島県〜青森県〜岩手県〜宮城県〜福島県〜山形県〜福島県〜滋賀県〜10月26日・福岡県

 ◇10月21日(月)曇 岩手県〜宮城県
 今日からは被災地巡りの旅です。初日は奇跡の一本松のある岩手県陸前高田市へ向かいました。中心市街地へ車を走らせていると、中心市街地手前の高台(津波の被害を受けない所)に、仮設住宅、仮設工事事務所、仮設商店、仮設銀行等々目新しい建物が集中して建っていました。
 仮設が多いということは、裏返せばそれだけ津波の被害が甚大であったことを示しているのだと感じました。その高台を抜けると中心市街地が目に入ってきました。その光景は今でも忘れません。街の中心というのに建物が何一つないのです。残っているのは鉄筋で作られた3階建ての小学校ぐらいでした。現実を目の当たりにすると、今更ながらみんなは無事に逃げ果せたのだろうかと心配する自分がいました。


 ●陸前高田市/奇跡の一本松(モニュメント)
  石巻市/石ノ森萬画館


 何もない荒野に復興の重機と工事事務所だけが目立っていました。いち早い復興を祈らずにはいられませんでした。奇跡の一本松を見学するため、その当たりでは唯一のお店らしい建物の駐車場に許可を得て車を止めさせてもらいました。そこは地元に古くからあるお醤油屋さんが建てた仮設の店舗でした。いち早く復興したお店としてテレビにも取り上げられていたことを後で思い出しました。
 工事一色の街に「奇跡の一本松」の見学ルートが工事現場を縫うように設けてありました。観光客が通るたびに工事車両は立ち止まり、工事関係者は土で汚れた通路をほうきで掃除していました。恐縮の極みです。「奇跡の一本松」は復興のシンボルでもあり、観光という別の形での復興(現地を訪れることにより、あの日を忘れない心)を願っているような気がしました。
 陸前高田市からそう遠くないところに世界遺産中尊寺があり、せっかくなので観光することにしました。中尊寺で注意しなければならないのは車を止める場所です。もし、第1第2駐車場に止めると金色堂までは、かなりの距離を移動しなければなりません。また、金色堂近くにある奥の駐車場に止めると移動距離は短いですが、急な坂道があり、介助者の体力が必要とされます。どちらにせよ一長一短です。
 金色堂は車イスでも見学できるようでしたが、中は撮影禁止ということもあり、カメラ好きの私は見学しませんでした。金色堂の外観や周りの風景ばかり撮っていました。境内の空気は凛として、思わず「合掌」とつぶやきたくなる雰囲気でした。さすが世界遺産、大勢の観光客で賑わっていました。特に中国語があちこちで飛び交っており、後に訪れる観光地でも同じような光景が見受けられました。恐るべし中華パワー。
 今日は訪れるところが多く、石巻市にある石ノ森萬画館に夕方4時頃着きました。ここはご存じ石ノ森章太郎先生の作品が展示されているところです。ご存じない方も仮面ライダーといえば分かるはずです。館内はバリアフリーの3階建てで最上階は映像を駆使して魅力ある展示となっていました。他にも等身大の仮面ライダーのフィギュアが椅子に座っていたり、軽食をする所などいろいろ凝った造りになっていました。サイボーグ009やビッグXなどの懐かしい展示もあり、子どもの頃の記憶がよみがえりました。子どもは元より大人も楽しめるエンターテインメントパークでした。「グッズを復興のため復興のため」とか勝手な理由をつけ大人買いしました(笑)。ここの施設も石巻市の湾岸近くに立っており、3.11の津波被害を受けており、最近復興したばかりでした。近くの商店街も石ノ森作品であふれており、復興に一役買っているようでした。
 5時頃今日の宿ルートイン石巻に着きました。そこで偶然な出会いがありました。奇跡の一本松で顔見知りになった自転車で旅をしている老齢の男性でした。同じところに宿泊するようで、愛知県から来たと言っていました。会話をしているうちに、もう何度も自転車でこちらに来ているとのこと、奇跡の一本松を見ると勇気づけられるので、また来たくなるそうです。人生の大先輩に敬服の一言です。子どもたちに3.11のことをたずねてもすでに忘れている子どもが多いことを嘆いておられました。また、弟さんが障がい者ということも話され、さまざまなものを背負って旅をされているのだと思いました。
 部屋はバリアフリーでしたが、なぜか一人部屋でした。1時間休憩して6時に仙台名物牛タンを食べに車で出かけました。石巻市に最近オープンした仙台では有名な「利休」というお店で牛タン定食を食べました。美味しいことは言うまでもありませんが、牛タンの分厚いことに驚きです。普通分厚いと硬いイメージがありますが、どこかの焼き肉屋の牛タンと比べてはいけません。柔らかくて食べやすいのです。また、定食に付いていた牛タン角煮(初食)がまた絶品でした。
 ちなみに21日(月)は地元楽天イーグルスが日本シリーズ進出を決めた日でもありました。

 ◇22日(火)曇 宮城県
 その日は朝から台風26号が熱帯低気圧に変わり、その影響で風がけっこう強く吹いていました。午後からフェリーで田代島(通称猫島)に行く予定なので、欠航を心配し連絡したところ「今のところ大丈夫」ということでした。安心して予定通り松島の観光に行くことにしました。
 松島は芭蕉の句「松島やああ松島や松島や」とあるように、あまりの美しさに言葉を失い、そのような句になってしまったことはあまりにも有名です。
 その松島もやはり津波の被害を受けており、一日も早い観光再開を復興の旗印として頑張ってきたそうです。今は復興を成し遂げ多くの観光客で賑わっていました。私はその松島にある五大堂と松島の風景を撮りたくて、デジカメとビデオ撮影に没頭しました。テレビでよく見た松島遊覧船にカモメが群れる様子が見て取れ、松島に来たことを実感しました。
 撮影と観光を終え、来た道を戻り、石巻港にある田代島行きの網地島ライン発着所を目指しました。12時出発なのでコンビニで昼食を買い船内で食べることにしました。発着所には車イス用トイレがなく、事前に探していた石巻中央公民館でトイレを借りることにしました。しかし、建物がとても古く、一般のトイレの中に後で取って付けたような車イス用トイレでした。ないよりはましと心に言い聞かせ、蛍光灯の光も充分に届かない薄暗い中、用を足すのに一苦労でした。


 ●田代島/猫の集団食事中
  田代島/帰りのフェリー(ブルーライナー号)

 トイレに苦労して時間を見ると11時40分でした。そこから10分でフェリー乗り場に着きました。ここも海岸近くなので津波の影響を最も大きく受けたところの一つです。発着所の周りは住宅地と思われ、数件崩壊した家が放置されたままで、他には建物はほとんどなく、草だけが生い茂っていました。この場所の復興はあまり進んでいないようでした。そんな場所で発着所だけが真新しく感じました。島への物資輸送手段としてフェリーの運航を優先したことが読み取れます。
 受付で障がい者割引の手続きを行い、船員さんたちに車イスを抱えてもらい何とか時間内に乗船することができました。低気圧のせいで海は少し荒れており、船も多少揺れていました。フェリー(マーメイド号)で約1時間、通称猫島(田代島)の仁斗田港に着きました。田代島は「ひょっこりひょうたん島」のモデルとも言われていて、知る人ぞ知る有名な島でした。しかし、田代島がさらに有名になったのは島民が猫と共生している珍しい島「猫島」として、震災以前からマスコミに取り上げられていたからです。「猫島」というだけあってその数ははんぱなく、島民より猫の数の方が多いそうです。
 3.11では10mの津波が押し寄せ、この島の大半は被害を受け、島民と共に猫の消息も心配されました。犠牲になった猫もいたようですが、生き延びた猫もおり、島民の支援と共に猫の支援も行われた珍しい事例でした。震災後は猫を復興のシンボルにしていて、当日も天候が悪い中、猫目当てに多くの観光客が訪れていました。
 島民の人たちも網仕事をしながら猫を見に来た観光客(中国人の若い女性)に気さくに声をかけたりして、島全体で猫目当ての観光客を受け入れているようでした。島に商店やお土産売り場はありませんでした(島民御用達のお店が1軒)。私など凡人は猫グッズなど販売すると売れそうなのにと考えてしまいます。しかし、それはゲスの考えで、あえてそういうアクションをせずに静かに猫と暮らすことを選んだのではないかと思いました。(続く)

福岡県:匿名希望



 ◆全員参加企画いいモノ見つけた!〜10〜



1.商品名:ケンジントン エクスプローラーマウス
http://www.nanayojapan.co.jp/products/tball/index.html   
2.商品紹介:パソコンのトラックボールです。
  私が今まで使った中で一番使いやすいトラックボールです。作業の能率が上がりました。
3.値段:約1万
4.会社名:ケンジントン(七陽商事株式会社)
5.代表的なサイト:ケンジントン(七陽商事株式会社)
6.紹介者氏名:PERIDOT





 ひとくちインフォメーション 

 ◆脊髄損傷専門トレーニングジム

 事故・病気を問わず脊髄損傷者専門にトレーニングされている、会員制トレーニングジム「J−Workout株式会社」があるそうで、ひとつの情報としてお伝えします。
 同社のオフィシャルサイトによると、ジムは東京都豊洲にあり2007年3月に創業。米国にある世界初の脊髄損傷回復施設「Project Walk」のパートナー企業。会員トレーニング料金は、年会費24万円(以下すべて税別)、トレーニング料金2時間2万5千円・3時間3万7千5百円。体験トレーニングもあり、2日間体験6時間9万8千円、3日間体験9時間15万円。
 詳しくは、同社のサイトを「ジェイ・ワークアウト」でご検索ください。ちなみにサイト内の「よくある質問」では、Q11.「頸椎損傷ですが、トレーニングを受けることは可能か?」A.「可能です」。Q12.「完全麻痺と診断されましたがトレーニングを受けることは可能ですか?」A.「トレーニングをお断りしている方は自発呼吸のできない方か、脊髄神経の完全断裂と診断を受けた方ですので、完全麻痺はお断りする理由とはなりません」だそうです。



◆福祉避難所 財政の壁 自治体3割が指定せず

 災害時に障害者や高齢者らが利用する「福祉避難所」について、全国の3分の1に当たる575市町村が一カ所も指定していないことが毎日新聞の取材で分かった。厚生労働省は2008年に作成したガイドラインで「1小学校区に1カ所程度」の指定を推奨しているが、11年の東日本大震災を経てもなお、災害弱者を取り巻く環境は厳しい。
 47都道府県に13年6月末現在のデータを尋ねた。全国1742市区町村のうち67%の1167市区町村には福祉避難所の指定施設があったが、残りの33%には一カ所もなかった。全国の小学校区は約2万800カ所だが、指定施設数は1万4142カ所。厚労省の調査で、未指定自治体は11年3月が58.4%、12年9月は43.7%と改善しているものの、ガイドラインからかけ離れている。
 
背景には▽避難者10人に1人の割合で配置する「生活相談職員」を確保できない(北海道)▽指定できる施設の絶対数が不足(山形県)−−などがある。ガイドラインは、食料や紙おむつなどを施設に備蓄するよう求めており、財政力の弱い市町村で指定施設が少ない傾向にあるという。岡山、宮崎両県などは、備蓄品購入や施設のバリアフリー化などを対象に市町村への補助制度を導入している。
 福祉避難所は1995年の阪神大震災を機に厚生省(当時)の災害救助研究会が「事前に確保する必要がある」と96年に提唱した。しかし、東日本大震災では大規模停電などで混乱し、52施設を指定していた仙台市が開設できたのは半数にとどまったほか、開設できなかった例も多かった。一般の避難所で共同生活を送ることが困難な認知症などを患う被災者や家族は苦難を強いられた。【平川哲也】

 【ことば】福祉避難所
 高齢者、障害者、妊産婦ら配慮が必要な被災者向けに災害時に開設される避難所。市区町村が▽福祉センターなど自前の公共施設を指定▽老人ホームなどを運営する民間団体と施設利用協定を結ぶ−−のいずれかで事前に指定する。紙おむつ、医薬品、車イスなどをあらかじめ備蓄し、開設時の対応に当たる「生活相談職員」を決めておく必要がある。
 (情報提供:毎日新聞 平成26年3月24日)







【編集後記】



 今まで誌面に掲載される写真について、カラー写真はホームページ版で見てくださいというスタンスでした。それが今号の創作特集では、ステキな創作品の画像がたくさん届き、ネット環境がない方にも作品の素晴らしさを直にお伝えできればとスタッフで協議して、カラー印刷とさせていただきました。
 これからちょくちょくのカラー印刷は財政的に難しいかと思いますが、状況に応じてカラー印刷にできればと思います。またときにはカラー印刷を意識した特集のテーマ設定を心がけたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 次号の編集担当は、瀬出井弘美さんです。
 



編集担当:藤田 忠





………………《編集担当》………………
◇ 藤田 忠  福岡県 E-mail:stonesandeggs99@yahoo.co.jp
◇ 瀬出井弘美  神奈川県 E-mail:h-sedei@js7.so-net.ne.jp

………………《広報担当》………………
◇ 麸澤 孝 東京都 E-mail:fzw@nifty.com

………………《編集顧問》………………
◇ 向坊弘道  (永久名誉顧問)

(2012年4月時点での連絡先です)

発行:九州障害者定期刊行物協会
〒812-0054 福岡市東区馬出2丁目2-18
TEL:092-292-4311 fax:092-292-4312
E-mail: qsk@plum.ocn.ne.jp

このページの先頭へもどる


HOME ホームページ MAIL ご意見ご要望