は が き 通 信 Number.14
POST CARD CORRESPONDENCE 1992.3.25


《ごあいさつ》

「春は名のみの風の寒さや」という童謡がありますが、風邪など引かないように。春から5月にかけての流感が次の冬に大流行するそうです。

向坊

KMさんのドライブコース


ハガキ通信のみなさん、今年もよろしくお願いします。
今冬例年よりも暖かいみたいで暖房を使う機会が少なく感じられます。体を動かすにはもってこいなのに、ここ暫く怠けていて体が重いと感じたので久々に運動をしました。腕立てに鉄アレイ等々、体はガチガチにかたくなっていて徐々にほぐしていかないと壊れてしまいそうです。

2月10日 宮崎県 KM



私にも春?が釆ました:TFさん


やっとぽかぽかと春が来たようですね。私にも春?が来ました。先日、施設入所の返事が届き、ほっとしています。施設に入ることが良いとは言えませんが、受傷後ずっと病院で生活してきた私にとって、退院して新たな生活がおくれることに期待しているわけです。今までは、少しでも体調を崩せばすぐに薬がでて、過3回の温泉入浴、処置・膀胱洗浄と、患者としての生活が長かっただけに不安はあります。でも病院の中ではパソコンやアマチュア無線などの余暇時間の過ごしかたや、外出に不満がありましたが、これからの生活で幾分は解消されればと思っています。

入所するにあたり約5年前から“退院後の生活の場をどこに置くか”という私たちにとって一番の問題にぶつかりました。住宅改造をして在宅で両親に介護をしてもらう事が多くの人の考えであり常識かと思います。しかし、私にとって最終的な目標は自立生活であり、自分の収入で介助を雇い、自分の考えで生活することなのです。去年の11月に参加した自立生活問題研究全国集会で、施設で生活している障害者の皆さんの自立生活の訴えに、私も施設に入らず、東京へ出て・・・などと考えましたが、自立生活を実際にしている方や障害者リーダーの話しでは「自立生活はそんなに甘いものではなく、施設を経験してからでも遅くはないし、施設をでることで初めて自立なのだ」の言葉を聞き、入所判定を受けた3年前に間違いは無かったと確信しています。

施設というと暗く・汚く・管理されている(施設の3K)と思われがちですが、施設にいながらでも積極的に外出し、趣味や障害者運動こQOLされている方がたくさんいます。私もそんな皆さんを目標にと考えています。

私の入所する身体障害者療護施設を紹介しますと・・・

平成4年4月1日開園 鉄筋コンクリート2階建て 冷暖房完備

入部屋10室、2入部屋20室 各室モジュラー型電話完備 週3回入浴

外出もある程度、自由なようです。飲酒も可


私の場合、判定を受けてから3年待ちましたが、埼玉県(どこでも同じだと思いますが)現在ある療護施設に入所するのはとても無理だそうです。今回もかなりの競争率だったそうです。今回入所出来ないと、今世紀中は無理だそうです。

はがき通信15号では、施設内の生活を書きたいと思います。

3/13沢渡温泉病院にて TF



Fさんから3月上旬、あと10日くらいで秩父の療護施設の入所可否が決まるという連絡をいただき、それから約1週間後にFさんの声を電話口で聞いたとき、思わずドッキとしました。まるで合格発表の連絡をうけたような緊張感と安堵感でした。
秩父の入所決定は昨年の8月半ばころと伺っていましたので、まただめだったのかなと心配していました。麩沢さんは病院という拘束の大きな生活でも、この通信の継続発行に多いに力になってくれていました。今度は生活が主体の施没ですから、もっと頼りにできるものと期待しています。

松井



自己紹介:群馬のKさん


「はがき通信」の皆様 はじめまして。

私は群馬県のKと申します。昭和63年12月交通事故で頸随の3・4番を損傷し、四肢不全マヒになりましたが、多くの人達のお陰で、1年半くらい後には歩行訓練もどうにか出来るようになりましたが、平成3年9月頃から両手足がケイレンして硬直するようになりました。

医師の診断では、血行不良を起こしているとの事で高圧酸素治療を受けたり、身体の防寒に注意してみました。最近の発作ではケイレンはありませんが、首、背中、腰の不快感が強くなりました。又、間接や筋肉が硬くなったような気がします。同じ様な症状の方がおられましら、対処の仕方等、ご教示の程宜しくお願いいたします。
皆様もお身体大切に。

3月15日 群馬県 TK



KさんはUさんの紹介でこの通信に参加されました。「重度の方たちの貴重な紙面を、歩行訓練も出来る位の私が、多少、身体が異常になったからといって、うろたえてすがった事が恥ずかしい様に思います」というお手紙が添えられてありました。

松井



個室で入院できる病院でリハビリを受けたい


Iさん(30歳)は7年前交通事故でC3・4の完全損傷となり、当初は6時間くらい車椅子生活ができていたそうです。その後、強い拘縮のため手術を受けましたが、その経過が悪く、現在は寝たきりの状態です。もう一度入院して機能訓練を受けたいと希望していますが、以前入院していた病院が大部屋でうるさかったので、個室でリハビリテーションを受けられる病院を探しています。

C4番レベルでリハビリテーションを目的とした入院を受け入れてくれる病院を探すのはたいへん難しいことですが、適切な病院をご存知の方はお教え下さい。

名古屋市 HIさんの詳しい連絡先は情報交換誌「はがき通信」にて



フィリピン訪問記A

−フィリピン政府認可日本人障害者の家−


1月15日午後4時成田発、9時半マニラ空港到着、迎えのジープニーに乗って約3時間でルセナ市内に入り、一行のうち長野から来た5人をサニーナホテルで降ろし、私はまたジープニーに乗せられて薄さんの留守宅で一泊させていただきました。

翌朝、数軒先にある日本人障害者の家・GLIPへ向坊さんのヘルパー・メイさんに連れていってもらいました。GLIPには3つの個室があり、それぞれに向坊さんとKさん、Tさん、Sさんが生活されています。向坊さんのお部屋で朝食をご馳走になり、隣室のTさんにご挨拶に行き、お話しを伺いました。



以下は、ビデオ撮影の際のTさんの自己紹介を活字にきせて戴いたものです。




STさん:昭和27年生まれ、今年40歳。昭和47年交通事故でC4・5番損傷。


自立運動の盛り上がりで、向坊さんのフィリピン日記を読みまして、私も何とか自立したいと考えました。

母親とこちらへ来ました。1987年11月、4ヶ月滞在しまして、このGLIPのハウスも木造住宅、フィリピン古来の家という感じ、雨漏りとか停電とかいろいろな困難がありましたけど、まあなんとか4ヶ月過ごしてみて、ここでいろいろな体験をして、それからぼくの生活設計を立てたいと決めました。

そして次の年に、また12月向坊さんと一緒にやってきました。その年は3ヶ月でして、まあそのときにもうここでそれなりに生活ができるのではないかと決めました。

3回目のときにすべて自分の手で、飛行機の手配から、ビザの手配、飛行機に乗ることからすべて自分の力でやろうとしました。そしてうまくいきました。

その年に10ヶ月という長いフィリピン生活でしたが、いろいろな工夫をして何とか目処が立つようになりました。

今回だいぶ自信ができ、Sさんと一緒にきました。そのうちここから独立しようと思いまして、そのため家を買う計画もでています。

広さは40ヘーベー位、2部屋、ヘルパーさん2人くらい雇って生活する予定、家賃がいらず、食費が3人分で2万円、ヘルパーの賃金が1万円くらい、優秀な看護婦さんであれば一人で1万円、資格のない人であれば千ペソ、5千円、2人で1万円、高卒のメイドさんであれば600ペソ、3千円くらいで雇えます。普通のフィリピン家庭で雇われているような方の場合です。

今のヘルパーさんは看護大学卒業なので、一人で1万円です。優秀な人を雇うため、いろいろな人にお願いして探します。最初の契約のとき、「1週間あなたを雇います。給料はこの位だけど悪ければいつでも変えます。そして良ければ沢山のボーナスもあげて給料も上げます」と言って一生懸命働いてもらいます。へルパーの給料2千ペソ、電話の基礎料金250ペソ、電気代300ペソだから月4万円弱であがるのではないかと計画しています。ポンプがあるので水道代は必粟ありません。

ルセナの高校生と一緒にGLIP向坊さんの居室の前で、向坊さん、Kさん(長野)Hさん(長野)、Tさん、Tさんの右後方2人目(窓際)の女性がTさんのヘルパー・テスさん。

今回は昨年9月にきまして、今年7月まで10ヶ月間滞在します。8月、9月と2ヶ月間日本の夏を過ごして寒くなりかけたときにこちらへきます。

日本では両親と3人暮らし、ぼくのお袋も長く面倒をみてくれました。まだできると言っていますが、体力的にぼくが満足いくようにはできない、頼みずらい状態です。なるべくなら自分一人でやりたいと思います。

お母様が最初に見えたとき、台風で屋根が吹き飛び大変な目に合われたそうですね?

もうこりごりだと言っています。暑さもだめだし、言葉もだめ、こちらに向かない。

ここで慣れるまで一番たいへんだったことは何ですか?

食事ですね。食事が全く喉に通らないと何となく生活しずらい。体調がつかみずらい。ヘルパーさんと町に出かけて、自分に合うものを見つけたり、日本で見聞きしたものをヘルパーさんと楽しみながら作ってみます.

これからこちらへ来られる方へ何かコメントはありませんか?

自分で行動しない限りだれも助けてくれない、いずれは両親も他界するので、そうなる前に自分でなんとかしたいと思いました。その時に後悔しても始まらないし、何事も自分の責任ですることだと思います。誰かのせいにするのではなくて。




フィリピン日本人障害者の家のビデオを見て


ビデオを早速拝見し、一言ではうまく言い表せませんが、まず第一に、こうした障害者の生きる道?とも言える全く新しい方向付けを考えられた向坊さんに頭が下がる思いがすると同時に、そうした頼極的で、枠に捕らわれられないものの見方ができる向坊さんだからでしょうが、テープの中にも映っていましたが、現地の人達ととても良い人間関係を築かれているようで、とても好感が持てました.

国際交流というと、とても華やかで大げさなものが多い中、まだ知る人の少ないこうした地道な生き方の中に、私は本当の心の交流があるように思え、この障害者の家が日本とフィゼリピンの架け橋として、たとえこつこつと小さな歩みでも、でも確実に大きく、中身の充実したものに育っていって欲しい!・・・・・・

日本の中で、常に介護を必要としていて、こうした事すら考えも及ばず、かといって真似をするほどの勇気と行動力を持ち合わせていない私は、少し嫉妬に似た思いと、無条件で絶賛したい気持ちが混じった複雑な気持ちでは意見し、見終わる頃には どうしてか解りませんが涙が出るのを抑えられませんでした・・・・・

KUさんより



13号で紹介したビデオはたくさんの方が見て下さいました。Tさんのご両親からも「生き生きと明るく生活している様子が感じられました」という嬉しいお便りをいただきました。ただし、「ビデオカメラの視点がクルクル変わるので画面に視線を合わせて見ていたおかげで、翌日は首が痛くてたまらない」というお叱りもありました。次向はその点にも留意して撮ることにいたします。また室内では画面が暗くなると思い込んで、向坊さんとTさんには真昼の焼けるような暑さに長時間さらしてしまい、配慮が足らず申し訳なかったと反省しています。

松井



介獲する立場から家族の交流を


はがき通信の会員の皆様、またご家族の方々、こんにちわ。私はNo.7で主人が初めて紹介されて以来、2ヶ月に1回の通信をとても楽しみにしております。拝見する度に、主人より重度の方がワープロ、パソコン、その他旅行等、いろいろなことに挑戦し、努力し、工夫されていらっしゃることに驚くばかりです。主人も頸椎を損傷してから8年目に入り、何とか2人だけの生活をやってきましたが、その間本当にいろんなことがありました。

会員の方々も、いろいろな立場の方がおいでだと思いますが、家庭に帰られ、家族の方と暮らしていらっしゃる方、又病院などで介護をされていらっしゃる家族の方々、それぞれいろんな悩みなどあるのではないでしょうか。

ご本人達もつらい立場はもちろんのことですが、介護する者同士の悔みや苦しみを同じ立場の者が話し合い語り合えたらどんなにいいだろうかと考えています。全国にいらっしゃる皆様にお会いすることはできないにしても近くにいらっしゃる方達とお会いできたら本当にステキでしょうネ。

No.12の熊本のIさん、元気を出してご主人をカづけて上げでください。同じくらいの障害を夫として持つ妻の立場として、私にアドバイスできることがあればいつでもご相談にのらせて頂きます。

明白は立春とやら 会員の皆様 ご家族の皆様、春はもうそこまでやってきてるようですね。

福岡市 ST



とても良い知らせ


お元気ですか。私のほうは、相変わらず元気にしています。

今回は、とても良い知らせがあります。前に相模鉄道希望が丘駅に、車椅子が利用できるようにお願いに行った件ですが、先日、希望が丘駅の駅長から電話があり、「改札口を広く、階段をスロープにして車椅子が利用できるようにしますから」と連絡があり、こんなに早く、良い知らせがあるとは、思ってもいませんでしたからビックリしてしまいました。

何事も交渉してみるものですね。今から電車に乗れる日が、楽しみです。

私は、これからも何事にも積極的に、元気に行動していきたいと思っています。

横浜市 MI



ニュース@:介助ロボットの実用化


”障害者向けロボット登場 命令を口で言えばOK” 朝日夕刊1992/1/28

「コンピュータから情報を引き出すのも、仕事の合間にコーヒーを口に運ぶのも命令のまま、という卓上ロボットが米ペンシルバニア州で開発され、手足が不自由な銀行マンの頼もしい”腕”になっている。

使いこなしているのは、ピッツバーグ・ナショナル銀行クレジットカード管理部門のS・ファーガソンさん(31)>1981年にオオートバイ事故でせき髄を損傷したが、今月からパートタイムでこの仕事に。

“飲物をとって”など単純な命令を声に出して言うだけでOK。

か−ネギー・メロン大学の元研究者K・G・エンゲルハートさんが、民間団体”南西ペンシルバニア・ヒューマン・サービシス”の協力で作った。研究開発費を除く製作費は約5万ドル」



ニュースA:脊髄神経再生研究の最前線


脊髄損傷に関する国際医学雑誌“Paraplegia”は1992年で30周年を迎えました。その記念特集号のパート1に「21世紀の脊髄損傷」、パート2に「脊髄再生:展望」という、皆さんの関心の的になりそうな文献が掲載されています。その中から注目すべき指摘をいくつか紹介してみましょう。

まず「21世紀の脊髄損傷」では、冒頭で基礎科学の発展による脊損治療の展望を取り上げています。一つは脊髄神経の解剖学の発展により神経再生のメカニズムが解明される可能性があること、2つは痙性と痛みを治療する新薬開発の可能性、3つは脊髄損傷の再生に関するメカニズムをどん欲に追究しつつ、“二次損傷”の予防研究の発展の可能性が取り上げられています。さらに動物実験による神経再生研究によると、中枢神経の神経生物学の進歩は移植や再生を将来可能にし、損傷部位に遺伝子を挿入する研究も追究中だそうです。

つぎに「脊髄再生:展望」では、”中枢神経系の axons(軸索:神経鞘内を通る神経繊維)は何故再生不能か?”という問題が取り上げられています。末梢神経ではある程度の再生が可能なのに、中枢神経系ではその再生がなぜ不能なのか、それは中枢神経系の環境では axonsの成長が妨げられているからであり、中枢神経を末梢神経に移植すると axons の再生に防壁を形成し、または脊髄へ向かって背根における知覚 axons の再生が中根神経に出会うところで成長を停止してしまうからだそうです。

したがってそのメカニズムが解明されれば、将来脊髄神経の再生も夢ではなくなるのかもしれません。2つの文献とも専門用語の羅列で医学辞書を片手に読んでも難解で、できれば全文翻訳して紹介したいのですが、正確に、かつ分かりやすい訳文は到底無理と諦めました。原文を必要な方はご連絡いただければコピーをお送りいたします。

東京都神経科学総合研究所 W



ボチボチ表に出て行けそうです


三月も中ごろとなり日中ほ、だいぶ暖かくなってきました。皆さん元気でおられるでしょうか? 福岡のMです。私は1月と2月に一度づつカゼを引きました。幸い熱はなかったのですが、ハラが張って苦労しました。

朝起きると鳥の鳴き声が大きくにぎやかに聞こえます。雨が気になりますがボチボチ表に出て行けそうです。今一番気になるのはガイア・・・そうです。やはり地球のことでずね。例えばいくら大金持ちでも、いくら科学が進んでも人間がそこに住めなければ意味ないですもんね。

ソ連がバラバラになり、またアメりカも赤字を抱えドイツも統一で苦しく、我が日本はと言えば汚職・汚職・また賄賂どうなって行くんでしょうねー・・・経済が悪くなれば身障者は真っ先に影響を受けます。ひと事ではありませんね。あの有名なノストラダムの言葉1999はオゾンの破壊かもしれませんね。オー怖いですね。向坊さんともときどき話すんですよ。

その向坊さんも4月の8日に帰ってくるそうです。それでは皆さん体に気をつけて頑破りましょう。長々と失礼しました・・・

3/10 福岡県 MM



フィリピンからの通信


いつも貴重な資料をありがとうございます。渡辺益男先生の可山さんに対する評価は、高位頸損として大変うれしいです。これから我々も勇気が出ます。やはり身障者は一歩違う所から社会を見つめ、有益な批判と提言をして行くことができるし、それは大変大切な役目だということがよくわかりました。可山さんは文才もあり、まだ若いので、ぜひ頸損4番で自立生活へ向けて頑張ってもらいたいものです。

あれからお金を届ける為にジープニーを借りきって山の中に入り、一ケ月して、身元調査のために山脈の向こう側の太平洋側の小きな漁村に行きました。ジャングルのでこぼこ道は私の弱い膀胱を徹底的に痛めつけてしまい、4日間入院して点滴を受け、退院して1週間になりますが、まだ熱があります。それで、ホンコンから帰国の途次にネパールに行く計画を中止し、早く日本に帰って膀胱括約筋切開手術を受けることにしました。

2度のジャングル行きは日本人の切実な依頼によるものだったので後悔はしていませんが、あまりにも膀胱が弱いのはやはり問題です。

そういうわけで4月8日には帰国しますので、またよろしくお願いします。

向坊


はがき通信12号でお知らせしたように、可山さんの大作「冥冥なる人間」が向坊さんのお骨折りで韓国で印刷製本されて一冊の本になりました。その本を読まれた学芸大学の渡辺益男先生が『冥冥なる人間に寄せてー根源に根ざした新しい価値観の創造と新しい福祉の実現に向けて−』という書評を書いて下さいました。

手も足も動かず、すべて人の世話になりながら生活せざるを得ない高位頸椎損傷者が「生きていても良い理由」を追究した本が「冥冥なる人間」です。同じ障害を持つ人たちから、あまりにも暗すぎるとか、自分を卑下し過ぎるなどと批判もありました。しかしその本は頸損者のみでなく、今の社会で生活する私たちすべてに共通した何か重要な課題を提起しているように、私は感じました。そのような直感を渡辺先生は社会学の立場から分析し、文章化して下さいました。

樹心社から発行予定の向坊さんの自叙伝「甦る人生」にも、経済生活は健常者が中心となって担うが、精神面は障害者が担うというような指摘がありましたので、渡辺先生の書評をフィリピンの向坊さんに送りました。その礼状が上の通信です。

なお渡辺先生や全脊連副会長・成瀬さんのご尽力で、「冥冥なる人間」は出版されることになりました。その際、波辺先生の書評は掲載されるはずですが、その前に読んでみたい方はご連絡下きい。先生のご了解を項いて、コピーをお送りします。

向坊さんは、親代りになっている韓国人の留学生金さんがこの春高校を卒業するので、その卒業式に出席し、「仏教研究所」を設立予定のネパールに回って帰国しますというお話しでした。

最近、Sさんのヘルパー・ノリさんやTさんのヘルパー・テスさんからお手紙をいただいていましたが、向坊さんが膀胱のトラブルで入院されたとは知りませんでした。悪化せず、無事帰国されるように願っています。

松井

あとがき


*クロッカスに続いてチュウリップや水仙が咲き始めたというのに、東京はまたまた雪が降りました。フィリピンで生活するのはたいへんだと思いましたが、真冬に、あのからっとした署さはなんとも魅力的でした。今年ほど冬の寒さがきつく感じたことはありません。皆さんはこの冬如何過ごされましたか。

*はがき通信が縁で、可山さんの著作「冥冥なる人間」が出版されることになりました。人と人との関係の大切さを改めで痛感しています。

「フィリピン日本人障害者の家」のビデオは肩凝りの原因となるようなつたない撮影でしたが、そのテープを見て下さった方を多少なりとも感動させたのは、向坊さんたちとルセナの人々との交流が醸し出している温かさではないかと推測しています。

*通信を毎回楽しみにしながら情報源としても活用されているというお便りを数人から戴き、たいへん励みになりました。発行の継続化のためにこれからも通信を寄せて下さるというST様のお便りにほ、ほんとうに心強い味方ができた思いがいたしました。

しかしその一方で、通信も書けないのに相談だけするのは心苦しいという電話連絡を戴いたことがありました。いつも次号の発行のことを念頭におきながら、皆さんの通信をお待ちしていますと結んでいますが、上肢の不自由な方々や介護で疲れきっているご家族に配慮が欠けていたと反省しいます。

*次号15号は5月末の予定です。秩父の若葉はたいへん素晴らしいので、Fさんが「カーサ・ミナノ」に入居する頃の秩父は絶好の季節だと思います。皆さんまたこの通信でお会いしましょう。

松井



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