はがき通信ホームページへもどる No.130 2011.8.25.
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も く じ
ballごあいさつ 広報委員:麸澤 孝
ballどたばた、パパ!(その4)『苦悩するパパ』 パパさん
ball 向坊さん「はがき通信」続いてますよ  福岡市:A.S.
<特集! 「四肢マヒ者のスポーツU」>
☆スポーツ吹き矢の活動状況 北海道:K.K.
☆私と車いすスポーツ(1) 福岡市:Y.S.
☆私にとって辛いけど楽しい趣味 広島県:K.T.
☆多くのスポーツを体験して 大分県:S.S.
☆電動車椅子サッカーの競技概要と競技用具 東京都:H.T.
☆障害者でも檜舞台に立って、スポットライトをあびましょう!〈前編〉 福岡県:I.M.
ball腰折れ俳句(20) 熊本県:K.S.
ballしばらくご無沙汰してる間に……〈中編〉 福岡県:K.H.
ball故中島虎彦さんの故郷を訪ねて〈前編〉 編集委員:瀬出井 弘美
ball『臥龍窟日乗』−キツネそばとタヌキうどん− 千葉県:臥龍


ごあいさつ

 節電の夏(?)ですが、いかがお過ごしですか。震災の混乱や自粛ムードの中、数人の介護者が卒業、就職で辞めていきました。この時期は毎年のことですが、寂しい不安な時期でもあります。超氷河期と言われる中で就活、国試、実習、卒業研究、そして介護アルバイトと、ギリギリの精神状態の中で卒業まで勤める責任感は本当に感心するばかりです。幸い希望の職種に進むことができ、やはり専門職は強いなぁ〜と実感しました。
 私の東京での生活も、15年目になりました。その当時から数えれば、多くの介護者と出会い、そして去っていきます。今では数名の平成生まれの学生もいます。世代ギャップ(年齢ギャップ?)を感じながらも時々、障害や福祉、介護などや、将来についての会話には、意識も非常に高くこちらの方が勉強になることさえあります。「在宅頸損者の介護経験を忘れることなく、それを将来の自信につなげてくれればなぁ」と改めて思います。
 また、新しい介護者との生活も軌道にのってきました。皆さん、元気で暑い夏を乗り切りましょう〜。

広報委員:麸澤 孝



 どたばた、パパ!(その4) 『苦悩するパパ』 


 桃太郎が生まれて3か月経ちました。身長63cm(+11cm)体重6,600g(+2,700g)順調に育ち、親としては嬉しい限りです。この頃になると首がだいぶ据わり、抱っこもしやすくなりました。しっかりと顔や周りを見るようになり、口真似もするようになりました。真似をしてくれると嬉しくなり、つい何度も繰り返してしまいます。前よりは一段と笑うので、もっと笑ってもらおうとあやすと「チョット! チョット!」みたいに手を振り満面の笑顔を見せてくれます。怒った時は、ウーウーと訴え意思表示もできるようになり、毎日が癒されっぱなしでした。
 年末、道路工事などで渋滞をし、5時間もかかって実家に到着しました。先週に続き2度目の帰省でした。桃太郎は疲れたのか寝てばかり、数日後には元気になり、首を持ち上げたり腰を浮かせたりと動き回るようになりました。お風呂好きな桃太郎は、余裕が出たのか湯船の中で笑うようになりました。笑いながら指しゃぶり、クネクネと動き回るようになり、いれるのが大変になったようです。妻は強行なスケジュールのため、疲れが溜まりオッパイの出が悪くなり、夜足しミルクをしなければならず寝不足になっていました。桃太郎が楽しそうだし、ジジ・ババが喜んでくれるので頑張っていました。実家に帰ると妻は私の介護もしなければならず、肉体的には大変さがアップします。でも、精神的にはヘルパーさんが毎日来るストレスより、楽だと言っていました。
 実家で迎えた初めてのお正月。朝、皆で桃太郎を囲みうつ伏せの特訓をしていたら、何と寝返りをコロリとしました。偶然かと思い、もう一度腹ばいにしたらまたやってくれました。大急ぎでカメラを回したら、何とバランスを取って寝返ろうとはしなくなってしまいました。それは残念でしたが、ある意味すごい進歩、皆で拍手して喜びました。お正月が記念日になったのです。私と妻は、毎週の帰省にヘトヘトに疲れましたが、皆で楽しいお正月を笑顔で迎えられたことはとても良い思い出になりました。
 でも、思い返せばこの頃は、毎日が戦争のようでした。妻はギックリ腰が治ったとはいえ、疲れが完全にとれたわけではありませんでした。私も体調がどうだったのか思い出せないほど忙しく、夜にはグッタリとして寝て、目が覚めると朝?!といった日々でした。一番の悩みは、ヘルパーさんが毎日来る中で子育て、家事などをいかに自分のペースでやっていくかでした。話し合いをしても妻のストレスは限界に達してきており、言い合いの喧嘩(けんか)みたいになったりしました。「障害がなかったら、普通の人みたいな生活ができるのに」「私は一生懸命いろいろやっているのに、何もしないでボケッとテレビを見ていて良いね」などと辛い言葉を浴びせられたこともありました。
 でも、私としてはヘルパーさんの入り方を工夫したり、妻の愚痴を聞いたり、少しでも妻が休めるようにスケジュールを考えたりして、精神的なサポートを頑張って来たつもりだったのですが……。頭には来たけど、実際はその場しのぎの日々で何の打開策も見つからず、ますます妻の負担は増えていたので文句が言いたくなる気持ちもわかります。何もできていない自分自身の非力さが悔しくて悔しくて落ち込みました。障害のある自分を嫌になったことも多々ありました。でも、桃太郎の目が覚めればまた戦争の毎日。長いこと落ち込んでいる暇はなく、忙しいことがかえって私にとっては良かったです。
 また、桃太郎の成長が見たい! 父親として働いてはいないが、一生懸命頑張っている姿を見せたい! という思いもあって何とか乗り越えられました。もちろん、冷静になった妻からのお詫びがあったのも理由の一つです。今回原稿を書くにあたって、どう表現すれば私の気持ちや日々の生活が伝えられるか悩みました。そんな中、妻が「プライベートを暴露するみたいで嫌だけど、真実を書かないと伝わらないんじゃない」と言ってくれたので書くに至りました。

パパさん



 向坊さん「はがき通信」続いてますよ 


 前号でK.Hさん(せき損センターに息子がいた頃お見かけしたことがありファンですよ)の投稿文を読みますと向坊氏のことにふれられた箇所がありました。
 そういえば私たち家族も折々氏にお話を聴きに行き、または「はがき通信」をたよりに多くの誌友に支えられて歩んできたのだなぁと思ったことでした。
 前々号で氏のヘルパーをなさっていた太田さんの報告文を読みました。さらにカトマンズ本願寺のこと、向坊さんの事業のその後、また「はがき通信」誌友の情報など聴きたくて5月13日「しのぶ会」へ行ってきました。
 氏の自宅がそのまま(さらにリニューアルされて、現在はNGOグリーンライフ研究所・事務所)同じ所にあるのは驚きでした。波の音を聞きながらお部屋にいらっしゃるかのような中で、生前と同じように集まりが続けられ“向坊さん”が生きているのを見ました。
 集まった方の中には、中学時代の恩師がいて、その方のことは母からも良く聞くお同行だったのでしみじみ縁を感じました。
 そもそも氏とのご縁は息子が受傷したとき、孫の一大事を気づかった母が金剛寺さんに相談したことです。仏教発祥の地ネパールに仏教センターを、世界中の旅する若者に思索と宿泊の施設をという向坊氏の夢は着手され金剛寺さんも協力していたのでしょう。
 思えば氏は身の労をいとわず、あちこち講演に出かけ、信をよろこび、夢をかたり、またその思いを本に著し、できることはすぐに実行に移されました。渡印のたびに車イスや衣類を集めてスタッフと運んでいました。
 こちらに講演に来られたときもちょっとの暇に拙宅に来られ、車イス対応の住居の改修ぶりを見てアドバイスをいただきました。尿管理、褥瘡予防、身体ケア、衣類の改造、車イスのクッション等々たくさん教えてもらいました。
 あれから20年、向坊さんの遺志カトマンズ本願寺が落成しました。氏の大きさを思い、続いているつながっているご縁不思議とありがたいです。


福岡市:A.S.

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