はがき通信ホームページへもどる No.124 2010.8.25.
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【特集!「はがき通信」懇親会in沖縄2010(その2)】

今号の「特集」も、3月12日(金)〜14日(日)に開催された沖縄懇親会です。
 前号に引き続き、ご投稿をご紹介させていただきます。


【お詫び】
 今号で「起立性低血圧」の特集を組む予定で前号に特集原稿募集の呼びかけ文を掲載しましたが、諸事情により次号・125号(10月号)に延期させていただきます。どうぞご了承ください。

 締め切り:9月30日まで!






 [特集]◆沖縄レポート 

54歳、C4、受傷歴26年、♂

「はがき通信」懇親会で、念願の沖縄に行くことができて、とても幸せでした。私はシーサーや沖縄の音楽が大好きですが、反面、蒸し暑く、料理がまずく、異文化の町と聞いていたので、いつかは行ってみたいと思っていました。
 私の感じた沖縄をレポートします。

 ◇気温と服装
 出発時の東広島市の気温は0℃。半袖の下着にポロシャツ、薄手のトレーナーにジャンパーという服装で、機内でもちょうど良かったです。飛行機から降りるとさすがに暑く、特に到着ロビーが暑かったので、トレーナーとジャンパーを脱ぎました。
 空港を出てモノレールの連絡通路に出ると爽やかな南国の風が吹いていて、気温は20℃ぐらいでしょうか。この日の最高気温が22℃と聞いていたので、ちょっと肌寒かったけど、半袖で移動しました。
 2日目、3日目の最高気温は24〜25℃。広島ではゴールデンウィーク頃の陽気です。私は、半袖のアロハと現地で買ったカリユシ(沖縄特有のシャツ)で行動しました。しかし、夕方になり陽が落ちると少し肌寒くなります。帰りの服装は行きと同じで、搭乗間際にトレーナーとジャンパーを着ました。
 では、他の人の服装はどうかというと、これがバラバラなのです。半袖、ミニスカート、長袖、ブーツ、ダウンジャケットなどで、いったい暑いのか寒いのか分らなくなります。

 ◇モノレール
 8年前に開通したというモノレールは、地上20mを走り、那覇空港駅から首里駅までの全長12.9㎞に15ヶ所の駅があります。
 空が見え、海が見え、山が見え、町が見え、解放感があり、沖縄にはモノレールがよく似合います。完全なるバリアフリーで、エレベータや転落防止柵(さく)が設置され、スロープがホームからせり上がります。駅員が誘導してくれるので何も心配はいりません。

 ◇ホテル
 2日間宿泊したJALシティー那覇は、国際通りの真ん中にあり、モノレールの県庁駅、見栄橋駅、牧志駅のいずれからも徒歩10分程度でたどり着くことができます。
 公設市場も近く、カリユシの専門店が真ん前にあります。とてもきれいなホテルで、食事も美味しく親切に対応していただきました。

 ◇食事
 1日目の昼食は、国際通りの公設市場の2階が美味しいと聞いていたので、空港からモノレールに乗り直行しました。
 ソーキそば、アグー(黒豚)の炒め物、ヤギのギョウザ、ミミガー(豚の耳)を食べ、すでに沖縄モード全開です。
 2日目の夕食も公設市場の2階に行き、ゴーヤチャンプル、アグーの角煮、青ブダイの刺身、グルクンのから揚げ、島豆腐、ジーマーミ豆腐、海ぶどう、島ラッキョ、モズクの天ぷら、パパイヤのキムチなど沖縄ならでのメニューを注文しました。飲み物は勿論、オリオンビールと泡盛です。

 ◇観光
 1日目は、モノレールを使って首里城に行きました。首里駅から首里城までの道のりは、歩道が狭かったり傾いていたりして大変ですが、さすがに世界遺産! お城も景色も素晴らしいです。
 2日目は、リフト付きタクシーで美(ちゅ)ら海水族館と琉球村に行きました。
美ら海水族館は、なんといっても高さ8.2m、幅22.5m、厚さ60㎝もある大水槽で優雅に泳ぐジンベエザメとマンタですが、サンゴと熱帯魚の水槽も見応えがあります。



 琉球村は沖縄の昔の民家や生活が再現されていて、ステージでは唄あり踊りあり、古民家ではおじいさんがつま弾く三線(さんしん)の音が、のんびりとした雰囲気を醸(かも)しだしています。また、シーサーの色付けや織物など各種の体験や、現地の人との交流もできます。



 このたび、ずっとタクシーの運転手さんが付き添って下さったので、効率よく回れました。また、沖縄のことをいろいろ教えていただいたり、写真を撮っていただいたりと楽しい時間を過ごすことができました。料金は、9:00〜17:00までの8時間で26,200円です。

 ◇お土産
 お土産は、シーサー、カリユシ、沖縄指笛、紅イモタルト 、ちんすこう(紅イモ味)、泡盛を買いました。ほとんど送ったのですが、さすがニッポン! 2〜3日で全て到着しました。

 ◇最後に
 沖縄がますます好きになりました。もう一度行ってみたいと思います。この時期は果物も少なく、デイゴの花も咲いていませんが(首里城のデイゴの幹にビックリ)、気候が良く、空も海もきれいです。
 心残りは、イラブ汁(ウミヘビ)、ヤギの刺身、揚げたてのアーサーアンダギーを食べなかったこと、公設市場の近くにある、壺屋(つぼや)通り(シーサーや陶器を売っている)に行かなかったことです。次回の楽しみにしましょう。
 このたびの沖縄旅行のお世話をして下さったI藤さん、瀬出井さん、F野さんをはじめ関係者の皆さん本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
 

広島県:Y.O.



 [特集]◆特集 沖縄へ行ってきました! 


飛行機というのは搭乗手続きさえ終われば、3時間ほどで沖縄まで運んでくれる。本当に現地に着いたのか? 疑問になるほどだ。気圧で耳が痛くなりましたが、無事に那覇空港に到着。ゆいレール(モノレール)で一路ホテルへ。行くわけもなく。2駅手前(県庁前)で降りて、国際通りを散策しながらホテルへ。荷物を下ろし、部屋で時間をつぶすのもったいないので、再びゆいレール(今度は牧志駅から)で、首里城へ。駅までは順調でした。駅から20分も移動するなんて。おまけに歩道の真ん中に電柱があり、仕方がないので車道へ。やっとたどり着きました! 首里城の門の前! 記念撮影をしながら市内を眺めました。眺めは良かった! しかし、この日は地元の人の言葉を借りても「沖縄らしからぬ気温」。肌寒い。本当に南国か?? と寒さに震える。え、帰りですか? リフト付きの車に迎えに来てもらい、ホテルへ。楽でした。はい。
 観光地もいろいろと(1日目:首里城、2日目:美(ちゅ)ら海水族館・沖縄そば・万座ビーチ、3日目:グラスボート・平和祈念公園・ガラス工房、4日目:道の駅かでな・壺屋(つぼや)焼物博物館)行きましたが、面白かった「グラスボート」を紹介します。ひと言で書きますと「船底がガラスになっていて、水面下が見られる」(私が利用した船HP:http://www.mi-baru.com/)。潜るための装備が必要ないのが嬉しいです。40人程度の船だったので乗れるか心配していましたが、ロープを固定してもらい、いざ出発! 海風も気持ち良く船長さんの説明を受けながら、5m下の珊瑚礁(さんごしょう)や小さな魚の群れを見ることができ、海水の透明度に感心させられました。港から船で15分程度の沖合なので、気になっていた船酔いの心配もなかったです。残念ながら、階段があり、簡易電動車イスまでとなりますが、ネットで検索してみますと複数の会社が営業しているようです。調べてみて下さい。





 心に残ったのは「沖縄県平和祈念資料館」。資料館といいますと、人が大勢いて展示物が見られない時があります。大きな行事もなく閑散としていたので、ゆっくり見学することができました。広島の時も感じましたが、良く当時の貴重な資料が残っていました。資料館を出て海の方へ。海岸からの眺めはすばらしい。本当に60数年前は激戦地だったのですか? と錯覚してしまうほどです。帰りに駐車場へ向かう時、大きな石がたくさん並んで名前が彫ってありました。戦争で亡くなった方の名前(墓碑銘)でした。祈念の漢字はおわかりかと思いますが、「願いがかなうように祈ること」だそうです。この資料館の気持ちをほんの少しだけ感じました。
 他に「那覇市立壺屋焼物博物館」。ホテルの目の前が国際通りだけに、皆さんあっちこっちに行かれたと思います。エイサーが雨天で流れた最終日、通りの枝道を入ったところにポツンとありました。戦後の那覇は、焼物のシーサー発祥の地の壺屋から復興の烽火(のろし)が挙がったそうです。だいぶ以前から、沖縄独自の文化があったようです。面白かったのはスクリーンに出ていたお年寄り。失礼ながら字幕スーパーがないと方言がわかりませんでした。こんな体験が旅らしいのかも(那覇市立壺屋焼物博物館HP:http://www.edu.city.naha.okinawa.jp/tsuboya/)。


          <首里城にて>


         <万座ビーチにて>


        <平和祈念公園にて>


                    <ガラス工房にて>

 食事に関しては「美ら海水族館」の帰りに、沖縄そばの有名な店があるということで寄りました。午後1時ごろだったので、店内は満員。そのまま屋外のベンチで昼食。汁というかダシが昆布や魚を多く使用しているのか? 味は淡泊でしたが、美味しかったです。他に市場で買った「沖縄の島ラッキョ」。もやしのような細長いのですが、妙に相性が良かったのかポリポリと食べていました。
 なかなか行こうと思っていても、難しいと感じた沖縄旅行。ホテルの従業員の方から「これだけ多くの車イスの人を見たのは初めてです」と。実行委員長であったI藤さんには、この場を借りてお礼を申し上げます。担当しました、司会については反省もあり、今後にいかしたいと思います(本当かな?)。
 また、今回の旅行では知人を通して、リフト付きの車のお手配と運転を依頼しました。運転手と付き添い2人との会話も弾みました。沖縄の高校の修学旅行はどこか?「長野でスキー」。桜は散ったのか?「2月下旬ごろに散った」。海開きは?「3月下旬から本島の南から、でも、海水の温度は冷たいのでベストシーズンは6月から9月くらい」と子供みたいな質問攻め。それでも空港まで送っていただき感謝しています。
 関わっていただいたすべての皆さん、お世話になりました。ありがとうございました。また、お会いしましょう!
 追加/「まずは、羽田へ」
 地元の話になりますが、京浜急行・横浜駅から直通の羽田空港駅行きへ(京浜急行HP:http://www.haneda-access.com/train/)。また、JALまたはANAと航空会社によって、車両の乗車位置も変わります。当日、横浜駅で聞かれました。それと羽田空港駅から搭乗ゲートは迷います。特にEVの場所はわかりづらいです。必ず人に聞くか案内してもらいましょう(反対も同様です)。
 「飛行機搭乗」
 以前に、車イスがパンクしたということを話しました。そこで、万が一を考えエアーの入っている瞬間スプレー式の修理剤を用意しました。付き添いのAさんから、気圧の関係で膨張して爆発の恐れもあり、「没収されるのでは」とのことで控えました。実際帰りに「機内持ち込み」荷物の中で修理工具を入れてしまい、バッグの中身を確認されました(JAL・危険物についてhttp://www.jal.com/ja/safety/passenger/passenger3.html)。お荷物は軽めが良いようです。行きも帰りも、耳が違和感を感じたが、地上に降りれば元通りに。それよりも、機内では窓際にしてもらい、5分、10分おきに、今はどこを飛んでいるんだろうと? 騒いでいたようです。人生、2度目の飛行機利用でした。
 

神奈川県:F.H.



 [特集]◆「印象が変わった!」沖縄の食と街 


 3月の「はがき通信」懇親会参加のため、2度目の沖縄に行ってきました。約10年前に沖縄に行ったときは悪天候だったこともあり、観光も予定とおりに行かず、あまり「沖縄」を楽しめなかった思い出がありました。沖縄料理についても以前から苦手なイメージがあって、どうも食べ物についても敬遠していた感がありました。
 今回、「はがき通信懇親会を沖縄で開催」と決まり、久々の沖縄を楽しみにしていました。しかし、リハ工学協会の理事会と重なってしまい迷いに迷った結果、懇親会の日程の1日前に沖縄入りし、皆さんより1日早く東京に帰り、翌日の理事会に参加する強行スケジュールでの沖縄でした。
 宅配便で荷物を送り、準備万端で沖縄へ、那覇空港からは「ゆいレール」で問題なくホテル近くの駅に着きました。まず、はじめに驚いたのは国際通りの変わりようでした。以前は歩道もガタガタで車イスで走りにくく、土産物店や飲食店でも車イスで入れる店を探すのに一苦労した思い出があり、整備された国際通りには驚きました。
 やはり、1日早く沖縄に来ているNさんと夕食のため国際通りをふらふらして、入ったお店が「当たり〜」の沖縄料理の家庭的なお店でした。苦手なイメージの沖縄料理も嘘だったように美味しかったです。
 翌日は福祉タクシーを貸し切り本島北部に。美(ちゅ)ら海水族館を見学後、ドライバーさんお勧めの「景色最高の手作りピザ店」(ピザ喫茶店:花人逢(カジンホウ)ネットで検索してみてください)に行きました。国道から細い山道を走ること15分。これがまた「大当たり」。何と言っても最高の眺めで、天気も最高だったこともあり、沖縄を実感できる素晴らしい絶景でした。ピザも天然水を使ったチーズたっぷりふっくらピザでこれも本当に美味かった。庭にはシーサーは出迎え、広めの(車イス)トイレもありました(ここは絶対オススメです!)。



         <ピザ喫茶店「花人逢」にて(写真5枚とも)>

 ホテルに交流会直前に到着。ほとんどの参加者は無事にホテルに到着している様子で、皆さんトラブルもなく懇談をはじめていました。会場を見渡すと参加者はほとんどが電動車イス使用者で、その中でも約半数は完全に上肢のマヒした頸髄損傷者で、これだけの重度の障害を持ったメンバーが飛行機に乗って沖縄に集まる、皆さんのパワーを実感すると同時に、公共交通利用の変化や意識の向上はやはり確実に良くなってきていることも感じました。
 「はがき通信」が発行されるようになり約20年。「時のたつのが早いな〜」と思いながら、初めての浜松での懇親会を思い出します。あれから私自身の生活は施設から地域に変わり、居宅支援事業所を立ちあげました。今ではいろいろな活動も増えすぎ、自分の時間を削っている毎日でもあります。健康で活動でき毎日が楽しく過ごせることは一番ですが、そろそろ少しずつ自分の時間にシフトしていく時期でもあるとも感じています。
 「はがき通信」のメンバーと顔を合わせる時間が毎日の活力になっている、たぶん皆さん同じだと思います。これからも「はがき通信」の誌面や懇親会で交流でき、皆さんと楽しく過ごせるよう日常の健康管理には注意しましょう。
 最後になりましたが、沖縄懇親会の準備をしてくれた皆さんありがとうございました。

広報委員:麸澤 孝



 [特集]◆特集 沖縄初のフライト 


 僕が初めて飛行機に乗ったのは約13年前、小学校6年のときで東京ディズニーランドへ行ったときです。家族とおばさんとで大変楽しかったのを覚えています。その後も部活でやっていたレスリングの大会でさまざまなところへ飛行機で行きました。それは便利なもので、まるでワープのように数時間で別の場所へ行けてしまうものでした。しかし、頸椎損傷になってからは乗れるのか?という不安でそんな便利なものとは思えなくなっていました。そんな中、「はがき通信」で沖縄懇親会を開いていただいて先輩方に支えられつつ、今回は頸損人生初フライトへ沖縄へ行ってきました。
 まず最大の難関は、どうやって移乗して沖縄へ行くかでした。飛行機へ乗るには、電動車椅子から飛行機会社が用意している車椅子へ移乗し、さらに車椅子から飛行機内座席へと移乗せねばなりませんでした。もちろん、それを沖縄に着いてからもせねばならないんです。それには僕は身長が184cm、体重は100kg以上なのでそれは非常に大きな壁でした。
 まずやったことは航空会社への問い合わせです。お体の不自由な方への専門ページがホームページにあり、そこの電話番号から問い合わせ、フライトする時間、乗ってはいけないので荷物として持っていく電動車椅子のサイズ、用意してもらうベルトの種類・サイズ、空港内・飛行機内でどう過ごすかなど、打ち合わせみたいなものでした。口頭では難しいものが多く、不安要素を消していく地道な会話でした。でも、これが一番大事だったと感じています。伝わらないことをそのままにしていると当日たいへん困りました。
 次に当日前に空港へ行きました。来てくださいとは言われなかったのですが、不安だったので行ってきました。そこで思ったのは空港に用意されてる車椅子は小さく、たいへん狭いということでした。これに長時間乗っているのは不安だなというのが率直な感想でした。搭乗手続きから20分間、その後飛行機の座席と思うとじょくそうが心配でした。ただ、スタッフの当日の配置内容は行ってでないと聞けなかったでしょうし、流れも把握できなかったので当日は朝早く7時には空港にいなければなりませんでした。
 父に車で送ってもらい、搭乗手続きをすませ、スタッフさん2人とこちらの介助者2人で移乗しました。案の定小さく狭く、ひざも下ろせなかったので非常に窮屈でした。でも、空港スタッフさんたちは快く足を持ってくれたので無事搭乗口まで行けました。そして、車椅子から席に乗り移りその際クッションを敷いて、その際も持ち上げるのに4人必要で狭い機体の中たいへんでした。用意していただいていたベルトを巻き、他のお客さんも入りいよいよフライト、もうドキドキでした。飛びたつ瞬間はふわっとした懐かしい感じがしました。


            <広島空港にて:OさんとTさん(右)>

 飛び立ってからはほぼ寝っぱなしで、キャビンアテンダントさんには心配されっぱなしでした。といっても眠たくて寝ていたのですが、やはり向こうも不安だったようです。着いてからはまた同じように車椅子へ。そして、電動車椅子と再会し、沖縄の空港スタッフさんの屈強な腕に支えられまた移乗しました。そのときの電動に乗ったときの安心感は、やっと生きた心地がしたという感じでした。
 広島空港出発時は雪がまだ残っていたのに着いたときは景色は南国でした。まるで日本じゃないみたいというのが初めての感想でした。そこからモノレールで移動しホテルへ行き時間があったので首里城へ行き、懇親会が夜にあり翌日には美(ちゅ)ら海水族館、その次の日にはお土産を買って、ステーキを食べてたりして夕方沖縄を離れました。


           <首里城にて:左からTさん・Sさん・Oさん>





 今回飛行機に乗るというのは非常に大きな壁でしたが、頸損の先輩方のアドバイスや当日サポートしてくれた空港関係のスタッフさんらの動きのよさで乗り越えられました。確かに人力はいるし、先立つ不安はあります。ただ、行ってからは電動での移動であり、そこからは楽しいいつもの旅行でした。沖縄というところはもう一回は行きたいなと思える場所でした。今政治などでも大きく基地が注目されてますが、そんなものなくても魅力的で異文化でずっといたくなる場所でした。たぶんまた飛行機に乗り、沖縄に行くこともあると思いますが、この経験を生かしてもっと楽しもうと思います。
 沖縄に行くに当たって、また、この懇親会の運営でお世話になったかたがたに心から感謝します。ありがとうございました。
 

広島県:K.T.

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