はがき通信ホームページへもどる No.112 2008.7.25.
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 電動車いす3台“おかまバー”に行く


 去る5月、大阪へ1泊で出かけた。全国頸損連絡会の総会に参加するためだ。大阪行きは超久しぶり。新幹線は、往復とも700系新型“のぞみ”の多目的個室にした。この“のぞみ”の多目的個室は今までよりグーンとワイドになり、リクライニングの電動車いすでも個室内で旋廻可能。半円形のスライド式の自動ドアで、座席は引き出すとフルフラットのベッドにもなる。
 さて、大阪行きのかなり前からO氏から「おかまバーに行きたいですね!」というメールがあり、間近になってI氏のほうに「予約が取れました」というO氏からの電話連絡が。私を含めてこの3人、「はがき通信」仲良し遊ぶこと大好きトリオ(?)といったところ。
 大阪行きの日はあいにくの雨。I氏とは同じ新幹線に乗り、会場でO氏と出会う。「8時半ね」合言葉のように待ち合わせ時間を確認。申し訳なかったが、夕食レセプション会場を途中で何気に抜け出す。デザートまで食べる時間がなかったけれど、ショーの時間に間に合わせるためには時間厳守。3人とも図体がデカイので目立たないかちょっと心配だったが、200人からの出席者がいたので何の問題もなかった。(笑)
 夕食レセプションで同席だった学生のボラさんに「これからおかまバーに行く」と話したら「車でですか?」と聞くので、「地下鉄に乗って」と答えると「パワフルですね〜!」のひと言が……。確かに雨降るなか、雨ガッパを着込んで電動車いすで地下鉄に乗って“おかまバー”に行くというのは、この3人ならではの成せるワザ?!(遊ぶことに妥協はしない?)後日、大阪の実行委員メンバーからも「さすがですね!」とお褒め(?)の言葉をいただいた。(笑)
 向かう“某マヨネーズ”というおかまバーは大阪では超有名で、観光会社がツアーを組むほどの人気店。今回も車いす限定3組?! 日に3回ショーが行われ、予約を取らなければとても入れないそうだ。ホームページを見るといわゆる“ニューハーフ”という言葉は、あのミュージシャンの桑田佳祐がここのママに贈ったキャッチフレーズとのこと。一大ブームになり、マスコミでも取り上げられていたのでこのお店のことは知っていた。
 ホテルのロビーで雨ガッパを着込んで、いざ出陣! 地下鉄の駅まで数分、ここで雨ガッパを脱ぐ。地下鉄でひと駅。そして、また雨ガッパを着る……。これがけっこう大変だった。(帰りは雨ガッパを着たまま地下鉄に)地下鉄を降りて、前日の昼間にお店の場所を確認したというO氏の後に従う。駅から10分くらいだっただろうか。デカイ図体のうえに雨ガッパを着ているのでさらにデカク見えるであろう3台の電動車いす軍団(?)が、夜の大阪ミナミの街を行く。周囲にはどのように映っていたのだろう? とても溶け込んでいたとは言い難いよね。(笑)
 お店に時間までに無事たどり着いてようやくホッとひと息。準備中とのことで店の外で待たされる。通りから少し奥まったところにお店はあり、ずっと屋根が付いているので雨でも濡れることはない。ここで雨ガッパを脱ぐ。
 通された席は最前列。1人5千円ポッキリの明朗会計で、若い女性客も多い。デカイ電動車いすが3台最前列に陣取っていては、後ろのお客さんはショーが見にくかったのではないかと思ったが、何の文句もでなかった。そういう点では車いすとか関係なく、大阪はサービス満点な気がした。
 私たちの席に付いてくれたのは、ベテランと見える“Sオネェサマ”。関西のノリは、明るくサバサバしていていい。「細くてきれいな御御足!」と言うと、その場でパンストを脱いで“生足”を触らせてくれた。(そのとき、真っ赤なレースのハイレグのヒモパンをしっかり見てしまった私であった。(笑))I氏は、「ヒゲは永久脱毛よ〜」とほっぺたをスリスリされていた。スベスベだったそうだ。
 とにかく、若くてきれいなおかまチャンが多い。ショーの内容はここでは話せなくてザンネン(過激過ぎて?!)だが、楽しかった! しっかし、整形の仕方はそれぞれに違うが、お金かかってるんだろうなぁ。I氏曰く、私が一番盛り上がっていたとか。O氏は目のやり場に困ったと言っていたが、私なんかかぶりつきで食い入るように見ちゃったもんね。(笑)いや〜、こんな機会でもなければ絶対来られなかったと思うので、O氏には感謝感謝。いい社会勉強になりました!(笑)
帰りは外に出るとまだ雨が降っていて、またカッパを着込んだ。午後11時を回っていた。途中でタコヤキを買って行くというI氏を疲れもあって置き去りにし、O氏と私は先に地下鉄に乗って帰った。I氏は時間がかかりそうだったのでタコヤキをキャンセルしたかったそうなのだが、「もうすぐ焼けますから!」の言葉に引き止められ断るに断れず、あわや終電に乗り遅れそうになったとのこと。3人で1人ずつエレベーターの乗り降りをしていたら、アウトだったかもしれない。私たちにもお土産にタコヤキを買ってきてくれた。ありがたや〜。(ちょっと焼き過ぎだったけれど)
 昨年に持病の大手術をしたO氏。元気に大阪で会えるのを楽しみにしていた。I氏と「おかまバーに行こうという元気があるくらいだから大丈夫だよね」と話していた。とにかく、元気に会えてよかったよかった! 翌日は、あのなくなってしまう“くいだおれ太郎”をスゴイ人混みのなか見に行って何とか一緒に写真を撮り、初めて串カツを食べた。
 また3人での楽しい思い出が増えた大阪行きであったのでした。(^^)/
 

ペンネーム:コガメ



 新・今昔物語集                       
  第五話 『歴史と文化の重み』


 その夜、5人は食堂に集まって話し合った。それぞれが皆定まった日程でパリに来ており、回りたい観光地も趣味嗜好も生活習慣も異なる。現地でできた即製混成部隊じゃ、どうも具合悪いんじゃないかという話になった。私も毎日、宿を確保するためだけに半日潰すのもどうかと考えていた。
 駐在員氏の話では、ユースホステルでなくっても、安いホテルはいくらでもあるということだった。一応オリンピア劇場わきの路地にあるホテルに目星をつけておいた。小さいけれど小ぎれいで、交通の便がすこぶるよい。この後30年、単独出張でパリに行くときの定宿になったのであるから縁は異なものというほかない。
 翌日、私はヴェルサイユ宮殿に行く予定であったが、すでに見物したというアメリカ人ふたりも、もう一度じっくり観てみたいというので同行することになった。
 ルイ14世が絶対王政の贅を尽くして建造した王宮は、なるほど見事ではあった。しかし私には感動というほどのこともなかった。時間をかけて回りたいという女性ふたりといったん別れ、広大な庭園に出てみた。
 幾何学模様に整地された庭には、去年きたことがある?…、錯覚だとは知りながら何か強い想念にとらわれていた。去年、大学の映画祭で観たアラン・レネの『去年マリエンバートで』の舞台に酷似していたのだ。幻想的な映画の世界に引き込まれるように、地平線まで続くかと思われた石畳に足を踏み出した。
 雨上がりだったのであろうか。ブナによく似た広葉樹の緑が鮮やかに輝いていた。何かに憑かれたかのごとく、私は木立の中に足を踏み入れた。しばらく草を掻き分けていると、前方にヒトの気配があった。驚いたことに原色の黄色のドレスを着た美しい女性だった。とっさにカメラを構えると、彼女は微笑を浮かべポーズすらとってくれたのだ。木々の葉陰がモザイク模様を織りなし、黄色の妖精が浮き出ているかのようだった。
 幻覚ではなかった。その証拠に帰国後に現像したフィルムに、このカットは存在した。それにしてもあの女性は何故、ひとりぼっちで、あんな林の中にいたのであろうか。今に至るも不明である。




(写真説明)
●当時ヨーロッパの大都市では、大道芸人とヒッピーたちが混然となって踊ったり歌ったりしていた(アムステルダム・ダム広場にて)


 待ち合わせの場所に戻ると、ふたりのアメリカ女性は休憩所のベンチに浅く腰掛け両足を投げ出していた。メランコリックな様子のメアリーに「どうしたの」と尋ねると、「うーん、ヨーロッパに来てから私、ずっと感じていたんだけど、こっちってどこに行っても石の建物に石畳でしょ。それが歴史であり文化の重みだと思って感動の連続だったんだけど、このところ息苦しくなってきちゃって…」
 名前は失念したが、もうひとりの女性もうなずいた。こちらはメアリーとは対照的に典型的なアメリカ美人だった。陽気で、ざっくばらんで、気さくで、正義感に充ち、自分が正しいと信ずる正義は世界中どこでも正義であると信じて疑わず、その正義を共有するためにはミサイルをぶち込むことも辞さないという正しいアメリカ人だった。
 たかだか250年に充たない歴史のアメリカ人が、数千年の歴史の前に、打ちひしがれた切花のように見えたのはおもしろかった。その後、アメリカ人との交流の機会は増え友人も多くなったのだが、メアリーのようなケースはむしろ少数というべきかもしれない。
 表面上の敬意は払ってくれても、根底的にハラの中では蔑視が拭いきれない。本質的に彼らはエスタブリッシュメントであり、正義の看板をしょって自らの正義を押し付けながら世界を闊歩し続けるのだろう。
 パリに戻る列車の中で、メアリーが何度か私に話しかけようとし、結局、言葉を濁すという場面があった。それは、喉元まで突き上げてくる強い衝動があるにも拘らず、いったん口に出してしまうと何か大きなものが壊れてしまう…、それを危惧して言い出せないでいる。そんな感じであった。
 翌日もアメリカ人女性ふたりと、ノートルダム寺院やサクレクール寺院などのメジャーな観光地を回った。団体旅行ではないので、移動は路線バス、地下鉄、徒歩のいずれかだ。1日数ヵ所回るのが精一杯だ。ノートルダム寺院前の広場で3人が休んでいると、よく見慣れた団体旅行の一団が近づいてきた。
 懐かしい日本語だ。おもわず「日本人ですか」と声を掛けると、驚いたことに、それまで談笑しながら三々五々歩いていた一団が、一斉に正面を向き整列をなして行進を開始したのだ。なんという浅ましさ。なんという狭量な人たちだ。
 後に私の会社が企画して海外旅行をやることになるが、出発前に添乗員の女性が、「現地では日本人に声を掛けられても無視してください。彼らの目的は金銭の無心ですので」と注意しているのを聞き、苦々しい思いをしたことがある。





 私はそろそろ潮時かな、と考えていた。モンマルトルの丘、サクレクール寺院の庭のはずれに長く急な階段があって、私たちはそのてっぺんに腰を下ろしていた。暮れなずむパリの下町をいつまでも眺めていたかった私とは反対に、まだ観て回りたい場所のあるらしいメアリーの友だちは、先ほどからそわそわしていた。
 私はもう少しここに留まりたかったので、別行動をとることを提案した。そして毎日連絡を取り合おうと約束をした。しかし、この別れは実質的な最後の別れとなった。現在のように携帯電話が発達しているわけではなし。ユースホステルに電話を入れても、ほんとに呼び出ししてくれているかどうか疑わしかった。
 メアリーも連れの女性とは別行動をとるようになったようだった。限られた日程の中で、興味の異なる複数の人が同一の行動をとることが、いかに困難であることか痛感させられた。メアリーからも電話は入っているが,こちらが掛けると相手が不在という具合だった。まだまだ時間はあるとあまくみていたのがまずかった。
 それにしてもメアリーはいったい何を私に告げたかったのだろうか。後々、私はメアリーがユダヤ系のアメリカ人ではなかったか、と思うようになった。「何故あなたたち日本人がユダヤ人を殺すの。ユダヤ人が何か悪いことをしましたか」と。けれどそれを口にすることは、せっかくできた友情をぶち壊すことになりはしないかと気遣ったのではないか。

千葉県:T.D.



 すばらしい!車イスのガイドさん 


 4月30日(木)に福岡県福津市の「津屋崎千軒」や「宮地嶽神社」に出かける計画で、事前に何か良い情報がないかインターネットで検索していると町並みを保存し、海辺を守るために活動されている住民ボランティア団体「津屋崎千軒 海とまちなみの会」のホームページ(http://tsuyazaki-sengen.com/)にたどり着き、ボランティアでガイドをされているようでした。そうそう簡単に行くことは難しくてせっかく行くのだからよく知ろうと、ガイドの申し込みのため電話したところ、車イスのガイドの正岡功さんがいますということで、正岡さんが担当して+2人(吉村会長・花田さん)のサポートでガイドしていただけることになりました。




 ●津屋崎千軒の町並みです。手前右の方が正岡さん。


 私の障害程度、ガイドヘルパーさんと2人で行くこと、滞在時間、どこを見るかはお任せする希望を伝え、何度か打ち合わせをしました。食事の場所やテーブルの高さなどがどうなのか心配だろうと写真を添付で送っていただいたりしてきめ細かくプランを立てていただきました。




 ●宮地嶽神社の鳥居より、参道が海岸まで一直線です。海岸手前に森林があり「九州の鎌倉」と呼ばれています。


 当日、11時ごろに車で待ち合わせ場所へ行き、正岡さんの車(セダン車型)へ抱えてもらい乗り換えて出発して、車窓から、曽根の鼻(海の料亭跡いけす)・東郷神社・大峰山・恋の浦海岸・津屋崎干潟・塩田跡・あんずの里運動公園(津屋崎展望)・古墳群遠望・(対馬見通り経由)・在自から(津屋崎展望)、12時前に魚のおいしい店で食事をして、そこから車イスの歩行で馬車鉄道跡、津屋崎千軒の町並みの津屋崎人形・元造り酒屋・明治の紺屋の藍の家(国登録有形文化財)・波折神社を回って、そこから車で移動して宮地嶽神社へ行き、それぞれの場所を(15時まで)詳しくガイドしていただき、パンフレット片手にヘルパーさんと2人で回るより詳しく知ることができました。その中で、道沿いに100基以上並んで土が盛っているのが6世紀の古墳であったり、車窓からウミガメが産卵に訪れる海岸や町を一望できたり、津屋崎千軒は、江戸時代は博多港は軍港で、津屋崎港は海上交易港として栄えたそうで、商家がならぶ町並みや町の歴史的な話等が印象に残りました。車イス使用者の正岡さんのガイドで、一から十まで身体の状態について説明しなくても分かってもらえ、私の身体の状態を考慮されてコースや時間を設定していただいて優しい心遣いが感じられました。何よりとても楽しかったので皆さんも是非と、ご紹介させていただきます。
 正岡さんは、元警察官のせき損者で、車イス使用者の目線で自分だからできるガイドを行いたいと研修を受けられたそうで、車イス使用者の方へ、ガイドを喜んでさせていただきたいとのことです。是非興味のある方は下記へご連絡ください。申し込み・問い合わせは、車イス担当世話人の正岡さん(E-mail: masaisatoshi@silver.plala.or.jp)まで。

 

編集委員:藤田 忠



 ヒト人工多能性幹細胞(iPS細胞)の樹立に成功—再生医療前進へ(その4) 


 ◇フィーバー少し沈静化へ
 ヒトiPS細胞樹立報道から約半年、政府の支援政策もほぼ出そろい、フィーバーも収まりつつある。議論は漠然とした期待から、より具体的な論点に移りつつある。
 最初の具体的な課題は、せっかくの日本発の研究成果を経済的、政策的にいかに支えるか、という問題であった。これは、山中教授自身が一番心配した点でもあった。ノーベル賞の呼び声も高かったせいか政府は迅速に動いた。今年度に入り、厚生労働省は、4月早々にES細胞臨床研究規制緩和とiPS細胞研究指針策定へ動き出し、5月に入って作業部会を招集した。指針策定を急ぐ一方、5月18日には内閣府の総合科学技術会議が「革新的技術推進費」として140億円を新たに予算化することを決定、また、23日には、内閣府、文科省、厚労省、経産省で「先端医療開発特区(スーパー特区)」を創設することを決定した。iPS細胞研究、再生医療、革新的医療機器、革新的バイオ創薬などを対象に、研究機関や企業の複合体を選定して支援していくこととし、20年度夏までに公募して、秋までに選定、21年度には運用に入る予定である。6月27日に発表された来年度予算編成の「骨太の方針2008」では、イノベーション創造機構を創設し、産業特別会計から2000億円を支出して、バイオやナノテクなど先端分野の技術革新に集中投資していくことを決定している。予算措置の大きな枠組みはほぼ固まったと言える。京都大学は5月15日に三井住友銀行と大和證券グループを中心とした金融三社と知財管理会社設立に合意、6月25日付けでiPS細胞に絡む知財の管理と活用を行う会社「iPSアカデミアジャパン」を設立、事業を開始した(資本金1億円、社長は元京大病院長吉田修氏)。
 iPS細胞に絡む潜在的市場規模は世界で50兆円とも100兆円とも言われる。そこに働くビジネスマインドを無視し得ないからこそ、基礎研究者といえども知財ナショナリズムを掲げざるを得ないのであろう。
 ついで論点となるのは、基礎科学から治療法として確立するまでのステップの理解である。行政は、「実用的に役に立つ」目処が立たない限り予算をつけたがらない。特に日本の場合、予算を獲得するのにスケジュールと「効能書き」が必要である。また患者もすぐ「役に立つ」ことを求めがちである。
 患者の立場から、iPS細胞研究の現状をもう一度整理してみたい。ノーベル賞クラスの研究者としての名誉や一獲千金に近い特許ビジネスが絡んでくるような研究であれば、もはや患者が黙っていても研究と実用化は進む。患者が雨乞い的に願い希求しなくともよい。むしろ安全に、適切に着実に研究が進められることこそを願いたい。ひところのように、新聞を開けば毎日のようにどこかの頁にiPSの言葉と「希望」があり、インターネット検索では毎日10通以上の関連記事がひっかかるというようなメディアの喧噪はなくなった。最近は学会やシンポジウムが続いている。前号で紹介したような研究レースも相変わらずであるが、報道は落ち着いた報告が主流となってきた。3月から6月にかけて開かれたiPS細胞に関連する学会やシンポジウム、講演、また専門誌の記事などから今確実に言えることを確認しておきたい。

 ◇何ができ、何ができないか、まだ分からない
 iPS細胞の樹立は画期的なことであった。確実なのは、体細胞からも限りなくES細胞に近い万能細胞を作り出せるという一点だけである。山中教授は言う。無理やり創りだしたものだけに未知の要因、解明さるべきことは多い、多くの専門家の協力を得て全力で研究を進めたい、と。熱く可能性を語るが、治療法を安請け合いしているわけではない。
 ヒトiPS細胞は、ヒト皮膚線維芽細胞に4つ遺伝子をレトロウィルスを運び屋に使って導入することで作成された。作成効率は、5000個の体細胞から1個である。山中教授は臨床応用には十分とする。しかし、その中の遺伝子の一つは発癌遺伝子であり、運び屋のウィルスも体細胞の染色体に潜り込むため、発癌のリスクがあることは、遺伝子治療研究の経験の蓄積の過程でよく知られていた。山中チームは癌遺伝子を使わずに3つの遺伝子のみ使うケース、発癌のリスクの低いレンチウィルス、センダイウィルス、アデノウィルスを使うケース、レトロウィルスを使っても、体細胞としては発癌サイトに入り込む確率が低い胃粘膜細胞や肝細胞を使うケースも試みている。どの場合もiPS細胞を作り出せたが作成効率は著しく落ち、培養方法の改善で作成効率を上げる必要があった。体細胞、遺伝子、運び屋、培養条件が異なってもiPS細胞を作り出すことができるということは、樹立のメカニズムが未解明であるということでもある。どのような組み合わせを使うか、培養条件をどうするかは、各研究者のノウハウでもあり、特許も絡んでくる。
 また、iPS細胞を樹立した後に、無限増殖性、多能性を維持して培養するには、ヒトES細胞の培養と同様にマウス線維芽細胞をフィーダー細胞とし、ウシ血清を培養液として培養しなければならない。しかし、ヒトES細胞研究の過程で、ヒト以外の動物由来培地からは細胞が未知のウィルスや未知の糖鎖などに汚染されるリスクがあり、安全性に問題があると指摘されてきた。理化学研究所の高橋政代チームリーダーがヒトES細胞から視神経に分化させ、網膜再生による視力改善に道を開いたとき、動物由来の培地を使わずに既知の要因のみで培養するという成果をあげたこともこのような背景がある。また、タカラバイオ(株)やセーレン(株)がES細胞やiPS細胞の培養方法の開発に乗り出したことも、より安全でより効率的な培養や安全な凍結保存方法がまだ重要な課題であることを示す。さまざまな培養方法が開発されつつあるもののフィーダーフリーの培養方法はES細胞においては未確立であり、リスクを抱えたままで培養が行われている。
 さらに、5月のiPS細胞に関する国際シンポジウムでは、ヒトiPS細胞はヒトES細胞に限りなく近いことを基準にしているが、実はヒトES細胞自体がいまだ国際的なスタンダードが確立していないことが指摘された。
 M.Evans教授は「ヒトでは、倫理的にキメラを作成できないため、多能性を担保する必要十分条件が必ずしも確立していない」と指摘する。慶応大学の岡野栄之教授も「ヒトでは最良のES細胞が何か、その樹立と培養条件は何かまだ定まっていない、まずそのための基礎研究が必要。霊長類のES細胞の研究を進め、ヒトES細胞とヒトiPS細胞の比較研究が必要であり、遺伝子発現の仕方の検証を積み重ねる必要がある」とする。
 すなわち、iPS細胞を万能細胞として安定的に樹立し培養していくための基本的な道筋と基盤技術がまだ確立しているわけではないということである。安全な臨床応用のためには、まずこの基本的な課題を確実にクリアしていかなければならない。
 その上、もし安全にiPS細胞を樹立し得たとしても、そこから目的とする細胞に分化させ、安全に培養する道筋はまだ見出されているわけではない。狙った細胞に到達するまでの遺伝子や蛋白質の発現を安全にコントロールしていくのはそれほど簡単ではないはずだ。
 以上のような、根本的な難問が未解決であることを前提に、山中教授は、理化学研究所を通じて全国の研究機関に持てるiPS細胞株を提供し、全国の英知を結集してこれらの難問を解決してくれるよう呼びかけたのである。
 全国の研究機関で、それぞれ得意とする分野で、一斉にES細胞iPS細胞の研究が始まったというところであろうか。ここ4〜5年、数年の間に、やっと具体的に何が可能であり、何ができないかが見えてくることになろう。
 上述の高橋チームリーダーは言う。「網膜再生の治療技術そのものは進展しています。しかし、今まで全く見えなかったものが突然くっきり見えるようになるわけではない。網膜の一部を再生できたとしても、視神経活動が全体としてどのように機能するようになるかは全く分からない。大切なことは、現在の再生医療にできることを冷静に理解した上で今できる課題を見極めて着実に取り組むことです」「患者さんへのお願いとしては、自分の病気のことを勉強し、自分がどのような状態にあるか正しく知っていただきたい。大抵の場合、再生医療が当てはまらない状態であったり、再生医療よりリハビリなどのほうが有効で重要なことが多いです。再生医療を理解した上で、『今できることは何か』を把握することが大切です」。
 医師として臨床の現場に身を置きながら、再生医療の基礎研究に取り組んでいる高橋チームリーダーの言葉に静かに耳を傾けたい。
 ヒトの体には約60兆個の細胞があり、それぞれに核があって、ゲノム(遺伝情報)が収められている。ゲノムを構成する遺伝子は2万数千前後あるとわれている。遺伝子学者は細胞や遺伝子の振る舞いはあいまいであり、予想もつかない揺れを見せるともいう。こうした細胞と遺伝子に正面から取り組むiPS研究の可能性の行方を冷静に見届けたい。(つづく)

東京都:A.Y.




 ひとくちインフォメーション 

 ◆本の紹介

『旅の夢かなえます だれもがどこへでも行ける旅行をつくる』という本が発行されました。
第1章/景色が見えなくても旅は楽しい— 一人旅がくれた宝物
第2章/行きたい気持ちの背中を押して—高齢者や障害者の旅をつくる
第3章/旅で決意した自立生活—電動車いすでどこへでも
第4章/バリアフリーは楽しみながら—ユニバーサルデザインのホテルをめざしたアイディアマン
第5章/ちがいに出会えば出会うほど—外国からの旅人をむかえる小さな旅館
 企画・編集:読書工房 発行:大日本図書
 三日月ゆり子 著 1680円(税込)
 [問い合わせ・販売元](有)読書工房
 TEL: 03-5988-9160, Fax: -9161
 E-mail: info@d-kobo.jp HP:http://www.d-kobo.jp/10_28.html





※私(麸澤)は第3章「旅で決意した自立生活—電動車いすでどこへでも—」で、受傷からフィリピンの話、自立生活・電動車いす、旅行、バリアフリー(写真あり)についてわかりやすく書いてあります。小学生高学年〜高校生向きの本です。もちろん買って読んでいただいても良いし、子どもさん、甥や姪、知人にプレゼントなどいかがでしょうか? よろしくお願いいたします。四六判・182㌻
 麸澤 孝(広報委員)


 ◆国際福祉機器展の中で「褥瘡予防」についてセミナーを行います

 褥瘡予防を人任せにしていませんか? 自分に適したクッションの調整やエアマットの使い方、シーティングを知っていれば、ヘルパーさんに的確な指示をすることができます。身体も生活も違うのでエアマットの使用や福祉用具の種類なども異なり、それぞれのやり方がありますが、事例紹介や用具の活用を通して情報を共有するためにもう一度みなおしてみましょう。

日時:平成20年9月24日(水)〜9月26日(金)
場所:東京ビッグサイト
テーマ:「間違いだらけの褥瘡予防」(仮)
主な参加対象:当事者、エンジニア、支援者、OT、PT、ヘルパー
主催:日本リハビリテーション工学協会  担当 麸澤 孝

※この企画(3日間の1日のみ)の日時等まだ未確定です。国際福祉機器展の案内やHP(http://www.hcr.or.jp/exhibition/)等でご確認の上ご参加下さい。
(情報提供:麸澤 孝・広報委員)


 ◆介護削減の市提訴へ
  和歌山の重度障害者「行政の都合、生活できない」


 終日介護が必要にもかかわらず、訪問介護サービスの利用時間を行政の都合で大幅に削減されたのは妥当性を欠くとして、脳性まひなど重度の障害を持つ和歌山市黒田、石田雅俊さん(39)が、市に利用時間削減の取り消しを求め、30日、地裁に提訴する。石田さんは「これ以上に削減されると、自立した生活ができなくなる」と訴えている。
 訴状などによると、石田さんは、施設を出て一人暮らしを始めた2004年4月、1か月に計535時間の介護サービスを市から認められた。しかし、24時間介護が必要で、NPO法人「自立生活応援センターわかやま」などが介護を提供していた。
 市は05年8月、自宅浴室にリフトが設置されたことなどを理由に、利用時間を1か月478時間に削減。この結果、昼間に介護ヘルパーがいない空白時間帯が生じた。その後、障害者自立支援法の施行で見直され、石田さんは従来通りの介護サービスの提供を訴えたものの、市は07年10月に377時間に削減する決定をしたとしている。
 石田さんは、首から下を動かせず、30分〜1時間ごとにトイレに行く必要がある。くしゃみをした反動で、車いすの背もたれから上半身がずり落ちることもあり、ヘルパーの助けを借りないと元の状態に戻ることができないという。
 訴状では、市の決定は障害者の生活や尊厳よりも行政の財源や効率が優先されていると言わざるを得ないとして、市に対して、削減の決定を取り消し、利用時間を1か月744時間にするように求めている。石田さんは「当たり前に生活できる環境を整えてほしい。訴訟を通じて、介護の現状を知ってもらいたい」と話す。
 今回の訴えに対して、市障害福祉課は「全身に障害があり、市の基準で不足がある場合は、専門家による認定審査会で意見を聞いたうえで、特別に時間数を決めている。市としては、法令、条例、基準にもとづいて、適正に事務を行っていると考えている」と話している。
(情報提供:平成20年5月28日 読売新聞)










【編集後記】


 近道のため公営団地の中を電動車イスで通っていると、3〜5歳ぐらいの三輪車に乗っている女の子が「これ、なぁに」と聞いてきました。「電動車イスよ」と答えると「電動車イス、すごい!すごい!」と言っています。子どもの目から見ると歩かなくても椅子に座ったまま三輪車より速く先に進む便利な乗り物に見えたのかと思いました。まぁ確かに歩けなくても移動できる電動車イスはわれわれにとってすごく便利な道具というか身体の一部だと、あるのとないのでは行動範囲や生活の質がずいぶん違ってくるくらい大切なものだと、電動車イスのありがたさを帰路の途中にしみじみと感じました。
 次号の編集担当は、瀬出井弘美さんです。


編集委員:藤田 忠





………………《編集委員》………………
◇ 藤田 忠  福岡県 E-mail:fujitata@aioros.ocn.ne.jp
◇ 瀬出井弘美  神奈川県 E-mail:h-sedei@js7.so-net.ne.jp

………………《広報委員》………………
◇ 麸澤 孝 東京都 E-mail:fzw@nifty.com

………………《編集顧問》………………
◇ 松井和子 和歌山県立医科大学
◇ 向坊弘道  (永久名誉顧問)

(2008.4.1.時点での連絡先です)

発行:九州障害者定期刊行物協会
〒812-0069 福岡県福岡市東区郷口町7−7
TEL&FAX: 092-629-3387
E-mail: qsk@plum.ocn.ne.jp

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