はがき通信ホームページへもどる No.108 2007.11.25.
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 特集 11回目の「はがき通信」懇親会 

51歳、C4完全麻痺、頸損歴22年、O型

 今年の「はがき通信」懇親会in京都2007に出席するにあたって、次の4つの目的がありました。ⅰ.懇親会に出席すること、ⅱ.法名をもらうこと、ⅲ.三十三間堂に行くこと、ⅳ.京都タワーに昇ることです。
 昨年の暮れに心臓を患い、体力的に自信が持てず、懇親会は1泊のみの参加にしました。第2回の浜松大会からの連続参加でハワイ大会も含めると11回目になります。因みに完全制覇は瀬出井姉さんだけで、彼女の「はがき通信」にかける情熱には敬服させられます。
 京都は、自宅から3時間で着き、観光地にも事欠きません。市内を走るバスのほとんどがノンステップorワンステップバスで車イスでも乗車できることを知りました。車イスで拝観できる寺院の情報も提供して下さり、有名所は結構拝観できることも知りました。「来年はどこを観ようかなぁー」と楽しみにしています。ただ、リフト付きタクシーの料金が(7000円弱/1時間)とはちと高いですね。
 聞法会館は、会場も広く立派で、夕食会後にロビーで2次会もできます。部屋も広くて宿泊費が安いうえに大浴場もあり、個人的には大変気に入っています。
 法名は西本願寺の御堂で帰敬式(お髪剃り)をしてもらいます。儀式は午前と午後の2回あるのですが、当日は無理ということなので、翌日の朝5時に起きて行きました。6時半に着くと大きな御堂では千人位の人たちがお経をあげています。スロープを使って畳敷きの御堂に入ってお経を聞いたのち、33名が帰敬式を受け浄土真宗の門徒になりました。法名は3文字で、頭に釈(しゃく)という文字が付き、仏様の弟子になることを意味します。私は釈勧専(しゃくかんせん)という勧誘専門員のような法名をいただきました。
 三十三間堂は、前々から1度は行って観たい所でした。平安時代後期に創建された後に焼失し、鎌倉時代に再建されたものが現存しています。1000体の金色で等身大の千手観音立像と巨大な千手観音坐像や二十八部衆立像が一つのお堂に並んだ光景はちょっと不気味なものでした。本堂は1間間隔に直径70〜80cm位の真っ直ぐな丸柱が建っていてとても頑丈な作りで、700年以上ものあいだ風雨や地震に耐え抜いた根性と智恵と歴史を感じました。




●三十三間堂の本堂の入口で職員の方にタイヤを拭いてもらい中に入ります。バリアフリーで電動車イスで問題なく仏像(国宝・重要文化財)を拝観できます。本堂を1周する周遊路もあり。



 京都タワーは、いつでも昇れると思って軽視していたのですが、前々から碁盤の目のような町並みを見たいと思っていました。1階で入場券を買って11階まで昇ったのですが。。。。そこには5段ほどの階段があり、横に階段昇降機が設置されています。なんと! 動きません。係員が来てくれてもダメです。目的の展望台はそこからさらにエレベータで上がります。フッと(故)中島虎彦さんが「昇った」と言っていたのを思いだしたのでゴネることなく諦めることができました。
 2日目の早起きと暑さが応えたのか、休み休みの観光でしたが、目標の75%が達成できたことに満足して、14時半の新幹線で帰路につきました。実行委員のIさん、瀬出井さん、Hさん、藤田さん、および関係者の皆さん、準備等大変だったと思いますが、お陰さまで有意義な時間を過ごすことができました。心より感謝申し上げます。また、私の体を気遣って声をかけて下さった皆様、ありがとうございました。

Y.O.(広島県:Y.O



 特集 京都懇親会に参加して(低床バス初体験) 

C3〜5不全、頸損歴19年、車イス電動・自走併用、♂

 今年も、いろいろ葛藤はあったけれど参加することができました。参加を、心身の強度というか状態を図るバロメーターの1つと位置づけている私は、まだまだイケると意を強くしました
 今回も、初日が、排便日(月・水・金)と重なり、2日目からの参加です。肝心の初日の夕食レセプションに参加できず、目的の意義が半減したのは、仕方のないこととはいえ残念でした。
 同伴介助者について、去年までは完全ボランティアでしたが、今回は地域生活支援事業の移動支援を利用しての参加です(今月は「16時間/月」が認められ、1日8時間ずつ使い余りの時間はボランティア)。
 22日(土)、京都駅に13時過ぎに着き、そのまま東映太秦映画村に向かいました。往路をJR、帰路を京福電鉄利用の予定です。データではJR太秦駅から徒歩13分。念のため駅員に尋ねたら、JR花園駅からの方が近いのでは……とのことで花園駅で降りて歩いたら25分かかりました。映画村付近の道路は、狭い上に歩道もなく、ギリギリに行き交う車に気兼ねしながらの移動は疲れます。映画村の江戸時代の町並みは、セットとはいえ充分実生活ができそうな感じです。ちょうど撮影の最中で、到る所で「静止」と「通行止め」の指示を受け、おかげで半分ほどは回れずに終わりました。撮影は、正月用ドラマ「徳川風雲録」とのこと(因みに1/2TV東京系で放映予定の由)。帰路の京福太秦駅は無人と聞き心配しましたが、駅員1人が携帯スロープを持って現れ一安心。だが、ホームと電車の床の段差が強く、結局周囲の人たちの助けで乗り込むことができました。普通の電動車イスだったらどうだったろうか……と思う(私のは手漕ぎ式に電動ユニットを取り付けたもの)。四条大宮から宿舎の聞法会館まではぶらぶらと40分ほど歩く。表通りは変哲もない普通の都会の風景だけど、一歩裏通りに入るとアチコチに寺が並び、しっとりとした京都の風情を感じることができました。
 3日目、会議はどうなってんの〜? といぶかっている内に、同じく2日目から参加のKさんと2人の発表と、それにまつわる話で時間終了。






 二条城へ地下鉄の予定でしたが、アドバイスで西本願寺前から低床バスを利用することにしました。停留所へ行く途中、車道からかなり高い歩道のド真ん中に、しかもソコだけしか自分の場所がないかのように1本の樹が……。右にも左にも車イスが通れるスペースはなく、とうとう近くの人たちに抱えられて脱出。
 バスが到着、生まれて初めての低床バス体験です。ほゞ満員に近かったので一瞬ためらったが、運転士が床下からスロープを引き出し始めたので任せることにした。シートに座っていた3人を立たせてシートを起こし、できたスペースに車イスを固定してくれた。あっという間の事務的(マニュアルどおり?)とも取れる手馴れた作業であった。落ち着いてみると、立たされた3人はいずれも初老の方で、一人の車イス使用者のために……と思うと気の毒やら申し訳ないやらで落ち着かなかった。
 二条城では、一面の砂利には閉口しました。手漕ぎ式車イスには頻繁に痙性が起こりスムーズに進むことができません。電動ユニットを搭載していなかったら、介助者ともども疲労困憊していたかも知れない。城室内は、目の当たりに諸大名が膝突き合わせて談合している様が見える気がして、歴史の重さに浸ることができた。小一時間の通り雨をやり過ごし、江州国友能當流砲術の火縄銃実演を見て、耳をつんざく音の余韻とともに二条城を後にしました。雨宿りで時間を潰したおかげで、行きたかった本能寺は次の機会に廻すことにして帰路につきました。来年も、心身が元気でありますように……。
 改めて、実行委員の皆様に厚くお礼申し上げます、ありがとうございました。

佐賀県:K.N.



 特集 福祉車両のレンタカーで観光 


 京都懇親会でお世話になりました方々へお礼申し上げます。ありがとうございました。
 懇親会の2日目の観光(自由行動)では、車イスごと乗車できるスロープカーの福祉車両を借りて観光してきました。福祉車両のレンタカーは、小倉懇親会準備のときに調べてもシートがせり出すタイプの福祉車両しかありませんでしたが、京都懇親会の情報収集のために調べると、京都では福祉車両をレンタルする会社が(トヨタレンタリース京都・ニッポンレンタカー京都・Fレンタカー等)数社あり、車種も軽自動車〜車イスでの2人乗車可能なハイエース・キャラバンまで豊富にレンタルされていました。






 今回は同行者が弟なので、車でないと行きにくい三千院に行くためや効率的に観光地を回るためにもレンタカーを借りて行くことにしました。たくさんあるレンタカー会社から、値段ももっとも安く、営業所が京都駅付近にある、トヨタレンタリース京都でラクティスという小型車を12時間借りることにして、1週間前にホームページより予約しました。ラクティスは、前に一度乗車したことがあり、私の電動車イスでギリギリながら乗車できることを確認していました。
 22日(土)10時に出発して、三千院・金閣寺・三十三間堂・京都国立博物館・清水寺の5カ所を観光してきました。レンタカーでいいと思うところはカーナビが標準装備されているところでした。さすが行った先がどこも有名な観光地だけあって、駐車場に入る道まで案内してくれて、個人宅などへのカーナビの道案内のような数百メートル手前で「目的地付近に着きました。案内を終了します」とならずに、目的地付近でぐるぐると迷わずにすみました。
 また、電動車イス使用者が京都の寺社・仏閣を観光できるのか気がかりだったので、懇親会前に『車イスでまわれる京都観光ガイド−車いすや杖歩行者お年寄りでも行ける観光施設145ヶ所−』(1680円・汐文社 発行)を購入していました。電動車イスで観光可能なら○印の表記をしています。その情報により、清水寺では、「清水寺へ行く急坂の二叉路の茶わん坂の方向へ上ると、職員用通路入り口がありインターホンで事務所に連絡して柵をはずして、車ごと矢印にそって舞台手前まで行ける」と記載していました。その情報のとおりに、二叉路のところに「茶わん坂」の小さな看板のある方向へ上って行き、インターホンで事務所に連絡して柵をはずして、車イスマークの矢印にそって、電動車イスでも後ろにひっくり返りそうな、かなり急な坂を上って行くと車で舞台手前まで行けました。知らなければ坂の下付近にある市営駐車場に車を停めて、かなり急な坂を上り下りして立ち往生していたと思います。
 レンタカーでかかった料金は、ラクティス・12時間(6000円)+免責補償料(1050円)−HPから予約割引(−300円)=6750円と、返却前にガソリン満タンした約1000円でした。ちなみに他車のレンタル料は、大型車のアルファード(スロープタイプ)が12時間(16500円)+免責補償料(1050円)、ハイエースバン(車イス使用者2人乗車可能・リフトタイプ)が12時間(11500円)+免責補償料(2100円)です。




●懇親会終了後に、電動車イスで聞法会館から約25分・京都駅から約10分の世界文化遺産の東寺(教王護国寺)に行きました。講堂の裏にスロープがあり(隣の金堂はなし)、堂の中へは手動車イスだと3段の階段を入れそうです。入れなくても堂内の係の方に申し出れば、扉を開けてくれ、それぞれの仏像(薬師如来や立体曼荼羅)を拝観できます。



 同行者が車の運転が可能なら、レンタカーでの観光も選択肢のひとつになるのではないかと思いました。来年も京都にて懇親会があり、自由行動にて楽しい京都観光もありますので、是非ご参加をお待ちしております。
 

実行委員:藤田 忠


<連載特集!「頸損と合併症」>


 日頃から細心の注意を払っていても、またはちょっとの体調変化や過信や油断で、頸損歴が長くなるにしたがい、脊髄損傷にともなう疾病を併発する現状があります。健康管理の情報交換のために体験談のご投稿を104号の特集「頸損と合併症」に引き続きご紹介させていただきます。


 特集 心臓弁膜症 

51歳、C4完全麻痺、頸損歴22年、O型

 心臓弁膜症とは、心臓の弁から血液が逆流する疾病です。私の場合、左心室から全身に血液を送る大動脈弁と、左心室と左心房をつなぐ僧帽弁の閉鎖不全です。これが頸髄損傷の合併症かどうかは難しいところですが、膀胱ロウ設置による水分とアルコールの過剰摂取が症状の悪化を早めたかもしれません。大動脈弁の逆流は15年位前に指摘されていて、心電図とエコーの検査を受けたのですが、「生活に支障はなし」と言われていました。
 今、思えば昨年の春先から兆候があったように思います。車イスに乗ったとき貧血になる、痰がからむ、息切れがする、足がむくむ、ビールや水が欲しくない、腸の動きが悪くガスが溜まる、顔が赤らむ等々です。車イスに乗って足がむくんで、翌朝にむくみが取れない方は要注意です!
 10月下旬に、呼吸が浅く眠れない日が3日続きました。ガスでお腹が張っているのが原因で、「そのうち落ち着くだろう」と思っていたのですが、4日目の深夜に限界を感じ病院に行ったところ、心不全だと聞いて唖然としました。……ん? 心不全って死因じゃないの? 「心不全とは、心臓の機能が低下し全身に血液を正常に送れない状態」だそうです。激しい呼吸困難はあるものの、心臓自体には自覚症状はありません。血液は肺で酸素と二酸化炭素のやり取りをするので心臓と肺は特に密接な関係があるのです。また、全身に十分な血液の供給ができないために腎臓、肝臓、胃腸、視力、皮膚(ジョクソウ)、髪の毛(?)などに支障をきたします。
 入院当初の病名は心不全と大腸イレウスと肺炎で、その後の検査で中等度の弁膜症と心肥大があると診断されました。治療は絶食して酸素吸入と利尿剤、抗生剤の投与です。利尿剤は体の水分を排出して心臓への負担を減らす効果があります。約2ケ月の入院生活において、水分制限(800cc)と塩分制限による苦痛食とストレスによって自律神経がズタズタになりました。
 退院から9ケ月経ち、精神状態は落ち着きましたが、身体状態は徐々に悪化するものの改善はしません。改善を望むのなら弁置換手術しかないのですが、リスクを伴います。人工心肺装置を付けての手術になるので、術後に心肺機能が低下し、肺炎を起こしやすく、肺活量の少ない頸髄損傷者にとっては厳しいのです。
 循環器内科は「まだ投薬治療でいけるから様子をみたら」と言い、循環器外科は「手術適応であるが、しばらくは投薬でもいける。いずれは手術をするようになるだろうが、時期は自分で決めて下さい」と言います。これ以上の心肥大を進行させないためにも、まだ体力があるうちにもと手術を決めました。11月1日に入院して7日に手術の予定です。この記事が読まれる頃には、おおむね結果が出ていることでしょう。
 「はがき通信」懇親会で、Oさんに向坊さんが死にそうになったときの体験談を聞きました。もうダメだ!と思ったとき阿弥陀様が現れたのでお願いことをしたと言うのです。「私をもう10年生かして下さい。もし願いを聞いていただけたら、その10年を人のためにささげます」そして向坊さんは甦ったのです。もし、私もそのような場面に遭遇したらお願いしてみようと思います。

 広島県:Y.O.

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