はがき通信ホームページへもどる No.102 2006.11.25.
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<特集!「はがき通信」懇親会in広島>


 今号の「特集」は、9月28日〜10月1日に開催された広島懇親会です。親睦を深め励まし合う目的で年に1度、仲間が一堂に会して集う懇親会についてのご投稿をご紹介いたします。
 なお、今までの特集(懇親会・パソコン入力の工夫・暑さ対策・100号到達によせて)および連載特集の「介護する側、される側」は、次号で引き続きご投稿をお待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。



 <特集>◆ 広島で思ったこと 


 今回の広島行きには2つの目的があった。ひとつは、機会は少なかったが、何度かそのお人柄に触れ、教えられることの多かった向坊さんへの私なりの追悼の気持ち。もうひとつに、今度のようなキッカケがないと、なかなか足を伸ばせない原爆資料館と安芸の宮島の存在があった。
 向坊さんを偲ぶ会場では、皆さんがいかに向坊さんを愛されていたかを目の当たりにして改めてその大きさに気付かされ、同じ気持ちの自分に安堵した。
 原爆資料館へ足を踏み入れた時の既視感は、数年前に訪れた摩文仁の丘でのものだった。原子爆弾による大量殺戮の検証と鎮魂の場が、あまりにも見学者に配慮したシステマチックな作りにされてしまっているように思えた。もちろんそれによって事実が消されることなどないが、陳列されたものが生々しければ生々しいほど現実から遠のいてしまうようにさえ私には感じられた。しかし、傍らで目元を押さえる金髪女性の姿に、改めて自分の想像力や感受性に問いかけざるを得なくなったのも確かなのだが・・・・・・。




●宮島到着後に記念撮影


 恵まれすぎた天気に疲れはしたが、宮島の海と空に、日頃の自分にはない開放感を味わわせてもらった。仲間が一緒だと、ふだんは一身に受ける好奇の眼差しも分散されるような身軽さがある。たまたま数週間前にTVドキュメントで見た不動明王像に出会えたことは幸いだった。名のある仏師が大勢の弟子たちと数年を掛けて彫り上げ、つい2、3か月ほど前にここへ来たものだった。白檀の香が漂い出てきそうな座像は、まだ真新しい堂とともに周囲に馴染めずにいるようだ。煩悩と闘うというこの仏像は、これから何十年何百年ここにあり続けるのだろう。「ねぇ、いつものように宝くじ当たりますようにってお願いしておけばいいの?」妻の言葉に、炎天下、束の間の感傷は破られた。
 「はがき通信のこれから」のこと。どなたか発言されていたが、苦しい台所事情の中から懇親会への出費額が多すぎるのではないか、と。同意。考えがおありで懇親会への出費を言われた向坊さんの意向を尊重するのであれば、応益負担の原則に則り、その額の比率を下げ、彼らの情熱だけに甘えてしまっている発行スタッフたちに、手当とも呼べない額のものを受け取ってもらうこと。そしてその増額を検討する方が先決ではなかろうかと思う。
 国の内外を問わず、わりと気軽に旅に出ていた。ほとんどの場合、妻と2人だけの旅先で、私のトランスファーには結構神経を使わなければならない。昨今では2人共の経年劣化により、ピボットターンでの方法にも危うさが増してきた。今回、広島頸損ネットワークの皆さんのおかげで車イスベッド間のトランスに配慮をいただいたことはなんとも有難かった。最終日まで快適に過ごさせてもらった広島の皆さんに感謝。
 
T.M.(横浜市)


  <特集>◆ 頸損に加え脳内出血 

58歳、受傷歴27年、電動車イス

 広島の懇親会では地元のOさんはじめ懇親会をサポートしてくれた、その他の広島頸損ネットワークの皆さま、ボランティアの方にはお世話になりありがとうございました。
 一昨年8月の脳内出血での言語障害はともかく、右手がさらに力が弱くなり、付添のかみさんに、やいのやいのと云われつつも、2日目の宮島行きはとりやめました。
 3日目の東区地域福祉センターでの「はがき通信」会議の折りは、くれぐれも言葉が出にくいので、おとなしくしていてよと云われたのですが、待っている性分でなく、会議での議論の時に、ついつい口をはさんでしまい。多少迷惑をかけて失礼いたしました。
 これからも協力を得ながら、通信に参加させていただきます。反省をこめて。
 
M.M.(福岡県)


 <特集>◆ 懇親会は数少ない遠出のチャンス 


 今年も年1回の楽しみである「はがき通信」懇親会の時期がきた。今年は広島である。1年ぶりに同じ障害を持つ友人と会える楽しみで胸をときめかしながら新幹線で広島に着いた。
 3時過ぎにホテルのホールに着き受付をすまし会場にはいる。一人一人が自己紹介をされていた。会場のあちこちには1年ぶりに会う懐かしい人たちが輪になって聞いておられた。今年も元気なみんなの顔を見ることができた。お互いに1年間元気で過ごしてこられたのだと思うと感慨深くなってくる。
 しかし今年はいつもと少し違った。いつもであれば正面の横の方で車イスを少し倒してゆったりとして聞いておられる御大がおられないのである。少なくとも懇親会に参加される方の大半は向坊さんと語らい、元気をもらい、気持ちを一新するためにこられていると思う。今年は残念ながらそれがないのである。あの偉大な向坊さんが亡くなられたのだ。
 それで今年の懇親会は向坊さんを偲ぶ会となり、初めて参加された人たち以外はあの偉大な向坊さんの思い出を語りながらの懇親パーティーになった。松井先生、Oさん、瀬出井さん、麩沢さん、等々の向坊さんとの昔の思い出話や世話になったことなどのお話を聞きながらパーティーを過ごした。




●懇親会初日「向坊さんを偲ぶ会」で向坊さんを支えた16年間を偲ぶOさんと終了後の記念撮影


 また、その一方でまた新しい出会いもあった。千葉から来られたDさんや茨城から来られたSさんなど初めてお会いし話もできた。2日目には宮島観光などがあり厳島神社や原爆ドームなど見学して回った。初めて低床の市電にも乗った。ボランティアの方々もたくさんきていただき、楽しく観光できた。ふだんあまり外出や旅行などできない我々にとって、この懇親会の集まりが数少ない遠出になっているのである。
 3日目は残念ながら小雨が降っていたが、幸いにも福祉センターでの会議だったのであまり雨に濡れずにすんでよかった。会議では、これからの「はがき通信」についての話や、購読料未納の話や、次からの懇親会のことなど話し合った。いろいろためになる意見がでて議論しあった。
 私個人としては「はがき通信」も懇親会もずっと続いてほしいと思う。個人個人の利害を抜いて話し合える懇親会や、それぞれの持っている情報や経験などを掲載してもらえる「はがき通信」は、我々障害者の心のよりどころとなっているからである。
 最後に今年の懇親会を運営していただいた広島のOさんやKさんやSさんなど役員の方々ありがとうございました。楽しい旅行になりました。

M.A.(奈良県)



 <特集>◆ 旅先のトランスファー 


皆さんだいたい自宅でのトラスファーには器械をお使いだと思いますが、器械のない旅先ではどうしているでしょうか。体の軽い障害者なら屈強な男性介助者が1人で「お姫様だっこ」という手もありますが、なかなかそうもいきません。広島懇親会にご出席のかたがたに車イスからベッドへ移るばあいの必要人数・道具・方法などを聞いてみました。
 ほとんどは2人の介助者が障害者の上半身と下半身をかかえて移すというものです。つまり、車イスをなるべくベッドに近づけ、ひじ掛けをはずす(リクライニング車イスのばあいは背もたれを後ろに倒しておく)。上半身担当が障害者の背後からわきの下に腕を差しこみ、下半身担当はひざのあたりをかかえ、「イッセーノ、セ」で車イスからベッドへ移す。いったんベッドの端に置き、つぎに中央へ移す——という方法です。これを「基本形」と呼ぶことにしましょう。

 【介助者1人】
 車イスをベッドに斜めにつけ、フットレストを上げるという点は皆さんほぼ共通しています。このあと、ご主人に手伝っていただくSさんは、ご主人の肩と首に腕をまわし腰を持ち上げてもらい、ベッドに移るという方法。ある程度腕が使えるということでしょうね。腕をまわすのでなくご主人の肩にあごを乗せるというのはQさん。「夫の両膝で私の両膝をはさみ、私のズボンのウエスト部分を夫が両手で持ち上げ、車イスからベッドへ90度、くるりと回転して移す」そうです。車イスを斜めにつけるのではなく直角につけるのですね。ひじ掛けの外れないFさんは、腰を前にずらしてからおこなうそうです。
 また車イスにすわった障害者が、斜め前でかがんでいる介助者の肩に上半身をあずけ、介助者は障害者の腰のあたりを持ち上げるという方法もあるようです。さらにこんな方法もあります。車イスをベッドに直角につけ、障害者は足をベッドにのせ前屈する。介助者がななめ後ろから障害者の尻を持ち上げぐるりと回転する。かかとを中心点にして4分の1回転するわけですね。ただしこの方法は、フットレストがベッドの下に入らないと足がベッドに届かないかもしれません。
 ふだん使い慣れている介護ベッドとちがい、ホテルのベッドは下があいていません。床走行式のリフターを持ち込むYさんは、ベッドの下に漫画雑誌などをかませてすきまを作るそうです。

 【介助者2人】  
 基本形。介助者が障害者のわきの下からまわした手を前で組む、あるいは障害者の手首をつかむとさらに安定します。介助者が家族など馴れたひとならいいのですが、そうでないばあいは直前に方法を説明する必要があります。Mさんは「一度、私の体重感覚を知っていただくために、垂直に持ち上げてもらい、重さの感覚をおぼえてもらいます」といいます。ホテルのボーイを頼むときは事前に電話しておくべきでしょう。

 【介助者3人】
 体の大きい障害者のばあいは、基本形に加えベッド上にも介助者を1人配置、障害者の腰や太ももを支える。車イスのひじ掛けが外れないばあいには、軽い障害者でも3人めがいたほうが尻をこする心配がないでしょう。

 【介助者4人】
 体のうんと大きなひとや、わきの下に腕を入れられると激痛が走るひとのばあい、車イスに前もって大きめのバスタオルなどを敷いておき、トランスファーのさいはその四隅をもってもらう(車イスはリクライニングしておく)。車イスに敷きっぱなしでも褥瘡の心配はないそうです。ベッドにかぎらず、飛行機の座席に移るときにも使えるとIさんはいっています。
 トランスファー・システムのある施設、たとえば簡保の宿なら安心かというと、ほとんど使われてないらしく、壊れていたり、従業員が不慣れのことが多い。設置方法そのものが間違っていることもあります。人力トランスファーのコツを覚えておくことは、旅の安全に欠かせません。

F.(東京都)



 <特集>◆ 広島の思い出 


 みなさん、こんにちは。昼間は汗ばむほどですが、朝夕はめっきり秋らしくなりました。いかがお過ごしでしょうか。
 “懇親会in広島”幹事の皆様、本当にご苦労様でした。また楽しい思い出の1ページを刻むことができました。
 あの日、9月30日の広島・宮島の空は抜けるように青く高く、厳島神社の朱はまぶしく善男善女(?)を迎えてくれました。
 この日からの参加で、JR宮島口で降り、いざ港へ・・・。港は目前なのに行くほど離れていくような・・・ハテ?。人に尋ねるのもあまりに近過ぎてはばかられたが、勇気を出して尋ねてみたらナント地下道を使うとのこと。あぁ案内資料にあったのはここのことか・・・と己の迂闊さに呆れつつ、重量感抜群の車イス一団に到達してホッ。
 宮島での記念写真撮影、ナーンか異常にカメラマンが多いなぁと思いながら、介助者ともどもまずまずの位置にてカシャッ。何となく雰囲気から「もしかして、それぞれで写すんだったのかもネ」と後で介助者と二人話したことでした(・_・)。
 鹿が反応するからビニール袋の音を立てないように・・・と微笑ましい注意を受けて買ったお好み焼を持って昼食会場のテントへ。時すでに遅く、ほとんどの方が発たれた後で残念。




●宮島口〜世界遺産の「安芸の宮島」まで海 上を10分で結ぶフェリーに乗船中&船内


 帰路は、平和公園に行く予定で早めにフェリー乗り場へ。・・・と3番桟橋に原爆ドーム直行の高速船出港の案内が。定員60人の小さな船でしたが、車イススペース2名分と電動リフトを備えたバリアフリー船で、海上20分川上25分の快適な原爆ドームまでの旅でした。おかげで、乗り換えの煩わしさがなく時間短縮ができました。が、この航路は昨年スタートしたばかりで、終着の原爆ドーム船着場には道路までのスロープがなく、6人がかりで抱え揚げてもらいました。行政にはスロープの設置要請をしているが、いろいろ難しい問題があるらしい。
 翌日の会議、前向きの「はがき通信」に寄せる心強い発言が相次ぎ、スタッフの皆さんには、改めて感謝と今後のお骨折りをお願い申し上げる次第です。とりわけ、瀬出井さんの体調をいとわない苦労話には心打たれました。
 午後は、参加したもう一つの目的、「大和ミュージアム」見学に行きました。もともと映画「男たちの大和」の撮影セットを見たかったのですが、5月1日に解体されていて残念でした。それでも展示物はロマンを掻き立てるには十分なものがありました。おまけに、電線などの障害物を取り除き、深夜に運び込まれたという、ごく最近海上自衛隊を退役した潜水艦(あきしお)の巨体には感動しきりでした(まるで鯨にメダカ)。
 初日のレセプションから参加できず残念だったけれど、今年のささやかな目標を達成し、素敵な思い出をつくることができ、幹事の皆様はじめ携われた方々に重ねて御礼申し上げます。
 後日談。10/2、急に左足の膝あたりに深ぁーい痛みが走り、力がガクッと抜ける症状が・・・。さらに2日後には、くるぶしのあたり一帯に真っ黒な内出血痕が・・・。レントゲン検査では骨には異常はない模様で湿布薬で対応。あざは足首の真後ろに少し残るが、膝小僧の上は時折り痛い(であろう)感覚が走る。
 原因に思い当ることといえば、9/30夜、ホテルの部屋で、車イスのフットレストから足が落ちているのに気が付かず電動を急発進、あわて後退していびつに引き込んだ足を抜いたことがある。この時はもちろん一両日、痛みなど全くなかったのに、麻痺とは恐いものである。
 追伸、電動車イス用のレインコートと、ベッド上に置く足を突っ張るためのブロック(縦横28〜30cm長さ80cmほど)を探しています、情報がありましたらお願いします。

K.N.(佐賀県)



 <特集>◆ 懇親会は情報交換の場でもある 


 毎年9月初旬に1週間ほど身体がだるくなります。体力の低下なのか? その時期に3年連続で褥瘡もできていました。今年はなんとか褥瘡はできませんでしたが、皆さんはだるくなったりしないのか? 広島懇親会の初日の参加者発表の時に、お聞きするために発表いたしました。
 真夏の過ごし方は、朝9時〜22時までエアコン(設定温度25度)を入れて、夜寝る時は風邪を引きそうなのと身体に悪そうなのでエアコンは止めます。22時より扇風機でしのぎつつ、エアコンを切ると室温は28〜29℃に上がるので、就寝前の23時くらいからアイスノンをしないと眠れないためにアイスノンをして寝ていました。それが頸損歴18年の経験の上にたどり着いた過ごした方でした。
 その過ごし方で問題ないと思っていましたが、皆さんからの質問を受けて答えていくうちに、自分の夏の過ごした方に問題があることが徐々にわかってきました。エアコンの設定温度の25℃は低すぎること、熱がこもり暑くてきつい時にエアコンの吹き出し口でしのぐのは身体に悪くアイスパックなどで冷やすこと、できればエアコンを入れずに除湿機能を使うことなどの貴重なアドバイスをいただきました。
 さすが同じ暑さを試行錯誤でしのいでいる仲間たちは頼もしく、すぐに皆さんの経験に基づいたアドバイスのおかげで重要なヒントをいただくことができました。どうもありがとうございました。来年実行して夏を乗り切ろうと思います。
 それから広島に初めて訪れることができて、最終日の「はがき通信」会議後に、一度はとにかく行かなければと思っていた、原爆ドームや平和記念公園や広島平和記念資料館を訪れ、原爆の悲惨さやその焼け野原からここまで復興した底力と平和の尊さを感じました。
 広島懇親会をお世話していただいた、広島頸損ネットワークの皆さまのいたれりつくせりのおもてなしをうけまして、おかげさまで快適な広島懇親会を満喫させていただきました。2日目の観光もご丁寧なガイドボランティアさんのガイドにより何の心配もなく移動や観光ができ、また、詳細な案内文により宮島を先にある程度把握できて、素晴らしい世界遺産の厳島神社や宮島を楽しめました。ネットワークとボランティアの皆さまからの温かなお心遣い本当にありがとうございました。
 あと、もう一つの目的であった広島風お好み焼を3日連続で食べて、さすが本場のお好み焼きは、どこの店も美味しかったです。

藤田 忠(編集委員)

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