はがき通信ホームページへもどる No.100 2006.7.25.
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も く じ
ball向坊さんの最期 北九州市:太田 美代子
ball腎盂癌の再発 北九州市:向坊 弘道
ballご寄付のお願いと購読料未納のお知らせ
ball2006年「はがき通信」懇親会in広島 広島県:ハローまり
< 特集!「はがき通信」100号到達によせて >
ball定期発行を続けよう! 千葉県:D・T
ballすべてが終わったと思ったあの日から18年… M・S
< 向坊さんの追悼文 >
□ 向坊さんと「はがき通信」 編集顧問:松井 和子
□ 向坊さんを偲んで 宮崎県:F・H
□ 二人のネパール 佐賀県:中島 虎彦
□ 向坊弘道様の想い出 埼玉県:S・U
□ ムカリンに文句 編集委員:瀬出井 弘美
□ 命日の5月14日は母の日ですね 福岡県:M・K
□ 巨星逝く (詩) 熊本県:I・K
□ 豪胆な楽天家 編集部員:藤川 景
□ 向坊さんを偲んで 東京都:K・K
□ 障害者にならなかった男 広島県:玉ねぎおやじ
□ 「はがき通信」100号記念と向坊弘道氏の死を現実にして 鳥取県:Y・H
□ 感謝の気持ちで一杯です 広島県:O・Y
□ 大きな存在 鹿児島県:G・R
□ 失った時、真の意味の高潔さと哀しさが…… 北海道:右近 清
□ よい影響を与えていただきました 編集委員:藤田 忠
□ 向坊弘道様をしのんで 大阪府:G・M
□ 「はがき通信」のおかげで自信が 福岡県:H・K
□ 向坊さんとの思い出 広報委員:麸澤 孝
□ 向坊さんとの出会い 広島県:ハローまり
□ 送詞 佐賀県:N・K
□ 向坊さまへ 長崎県:S・Y
□ 向坊さんを偲んで 東京都:A・Y
ball『立った!ついに歩いた!―脊髄損傷・完全四肢麻痺からの生還―』を読んで(中編) 編集部員:藤川 景
ballひとくちインフォメーション


向坊さんの最期

 「はがき通信」のみなさん初めまして、私は向坊さんのヘルパーを16年間していました太田です。これが多分最初で最後の投稿になると思います。みなさんには向坊さんの葬儀に際しましてたくさんの弔電やお花をいただきましてありがとうございました。昨年腎臓癌を4月に手術してから1年と1カ月でした。
 向坊さんは去年も同じようにフィリピンに12月に出かけました。今年に入ってから体調があまり優れずフィリピンから来るメールには食事が入らないと言っていました。私はすぐに癌の再発を疑いました、そしてすぐに帰国をするようにとメールを出したのですが、私が入院中ということや家のリフォーム中ということもあって、いつもどおりの帰国となりました。向坊さんの考えの中で再発はあと2年後でそのためにも家も私の身体も今の間に直すようにと考えてました。しかし向坊さんの意に反して癌の再発は予想以上に早かったのです。
 そして帰国後の検査ではもう打つ手はありませんでした。病院の待合室で「太田さん済まない。もう少し長生きするはずだったんだが……」と言って向坊さんと私は抱き合って泣きました。そして彼は在宅で終末を迎えることを選択しました。
 それからは週1の先生の往診になりました。だんだんと日中もつらつらと寝ることが多くなりました。そのころの私は大半向坊さんと一緒でした。先生や看護師さんの間では向坊さんの前に私が倒れるだろうと話しあっていたぐらいです。本人も「これから君をもっともっと苦しめようになるだろう」と言ってましたが死は3ヶ月も早く訪れました。
 14日の午前2時に彼を見るとベッドから少しずり落ちていたのでまた定位置に戻すとゴーといびきをかいて寝始めました。そして午前4時に気づくと無呼吸症候群のあった彼は無呼吸に入った状態にみえましたが、あまりに長いので慌てて起きて彼の頬をたたきました。しかし起きません。先生をすぐ呼びましたが、来たときにはもうお浄土へ旅立ってました。安らかな顔をしてまるで寝ているみたいでした。
 それからはあっというまに3週間経ってしまいました。この間の私の記憶はあまりありませんし、まだまだ何に付けても向坊さんを思いだして涙が出てきます。昨日A君から向坊さんの遺稿を送ってほしいといわれて初めて御礼や報告を書いている次第です。
 向坊さんの遺稿は4月に書いていたのですがあまりに早いと皆さんの動揺が激しいと判断して7月号に載せることにしました。これが向坊さんから皆さんへの最後のメッセージです。


※お花を送って下さった方々へ
 今回たくさんのお花を送っていただきありがとうございました。あらためて向坊さんの存在の大きさにびっくりしています。今回向坊さんの遺志で香典返しなどは全てカトマンズ本願寺に寄付するということで皆様には御礼の言葉だけしかないことをお許し下さいませ。ありがとうございました。

太田 美代子(グリーンライフ研究所・代表)



腎盂癌の再発

 去年の4月4日、腎盂癌になったので腎臓全摘手術を受けました。こういう闘病報告も後輩の皆様には大切だと思いますので、気がついたところを報告いたします。
 去年の秋ごろには身体に多少違和感があるものの、ほぼ全快したような感じになってきたので、安心してフィリピンに3ヶ月の越冬生活に出かけました。



●去年12月から今年3月にかけての最後のフィリピンでの越冬中の近影1



 正月を過ぎた頃、昼ご飯になると必ず吐き気とゲップに悩まされ、まさかこれが癌の影響だと想像もつきませんでした。3月の上旬に日本に帰国してすぐに総合病院にかかったところ、尿検査および血液検査では異常はないけれど、なお精密検査は必要であるとの判断が下されました。CTスキャンや、レントゲンなどの検査によれば、時すでに遅く、癌の再発は元腎臓のあった場所を中心に、激しく増殖し、10cm×8cmの大きさに達しており、放射線治療、抗癌剤治療、再手術などの方法も全くないということが分かりました。これは長い間の私の油断でもありますが、第1回目の手術のときにすでに私は第2回目の手術はやめておこう、そして心静かに故郷の海を見ながら数日間でも暮らせたらそれでよしとしようと決心していましたので全く後手に回った後悔の念はありませんでした。長い人生を考えるに、これで十分だし、また身障者としてつらい人生をもう少し続けろということも酷な話だと思っていました。あるいは、始めからそう考えることによって最初の手術から回避する方法を選択すべきだったかもしれないのです。
 幸いにして、頸椎損傷者は脊髄が麻痺しているために実際に患部や、それに生ずる不調は全て麻痺してわからなくなっています。私の場合、癌細胞は腹部動脈や脊椎を巻き込んでしまっています。おそらく、脊髄の中に癌細胞が侵入しているようにCTスキャンでは見えますが、しかし排便、排尿、睡眠は従来通り、正常に行われています。
 しかし一方、食欲は完全に減退しており、自律神経の調整機能や、外出時の行動能力は極端に落ち込んでいます。
 来訪者があっても、2、30分も対応していれば、ひどい酸欠状態に陥ります。
 ひとまずはホームドクターの週1回の往診を頼みにしながら、頸椎損傷者としての終末医療のありかたを冷静に考えているところです。結論として言えることは、身障者も頸損者も健常者も変わりなく、人生の目的はなんだったのか、私たちの求めた幸せとは一体なんだったのか、自分なりの結論に早く到着することが大切です。私の場合は、あきらめるものはあきらめ、残すものは残し、そのけじめを早くからつけて、その手続きに時間を費やすことを、そのためにはあと1ヶ月の命であっても、突然倒れる高血圧の人の場合よりも、はるかに長い事後処理のための時間が恵まれているということをありがたく思っています。
 向坊 弘道



●最後のフィリピンでの越冬中の近影2



 向坊 弘道

【略 歴】
1938年 北九州市に生まれる。
1959年 交通事故により頸髄4、5番を損傷。その後遺症により四肢マヒ者となり東京大学文一中退。
1970年 北九州市若松区の海岸沿いの小さな一軒家(15坪)にて自立生活をはじめる。
1977年 銀行から融資を受けビルを建設して、貸しビル業を経営する。
1983年 付添いヘルパーが長期休暇を取り介助者が数ヶ月間不在のため、一人でフィリピン・マニラへ行き2ヶ月間入院する。その後毎年、物価安や体温調整のために12月から3月まで、フィリピンで越冬する。
1985年 フィリピン・ルセナ市に希望する身障者も滞在できるように「日本人身障者の家」を設立する。
1986年 仏跡参拝の目的で、現地の人をヘルパーとして雇いインド・ネパールを45日間旅行する。その後インド・ネパールへ合計12、3回旅をする。
1988年 仏教東漸の調査等や中国の経済・人情等の調査のために、一人で中国へ渡り現地の人をヘルパーとして雇い旅行する。
1990年 四肢マヒ者の情報も少なく孤立していることを憂慮して、情報を交換して交流を深め励まし合うために松井先生と共に“高位頸髄損傷者の通信”「葉書通信」を創刊する。現在は、“四肢マヒ者の情報交換誌”「はがき通信」。
1993年 仏教ペンションを建設の調査のためネパールを旅行する。
1993年 ブラジルの身障者大会での講演依頼があり、ブラジルにて講演を行うため13日間旅行する。
1994年 ヨーロッパ真宗国際学会出席のため夏の2週間、フランス・スイス・オーストリア・イタリア・ドイツをまわる旅をする。
1997年 ヘルパーの太田さんと共に100日間のアジア周遊(フィリピン・タイ・カンボジア・シンガポール、マレーシア・インドネシア・インド・ネパール)の旅をする。
1999年 還暦まで生きながらえたお祝いとしてアメリカ・カナダに、身障者福祉の調査や仏教の講演(8カ所)や開教師とのミーティング(5回)を重ねる47日間の説法旅行をする。
2004年 ネパール・カトマンズに「カトマンズ本願寺」の建立を始める。1階が完成して、2、3階は建設予定(完成後は、3階建て・本堂 約90畳・宿泊室“ツイン”19・研修室5)。
2006年 腎臓がんにより、お浄土へ旅立つ。享年67歳。



●カトマンズ本願寺・完成予想図



[グリーンライフ研究所・日本]仏教的な社会福祉事業を行う。定期的な仏教研究会、毎年インド・ネパール仏跡参拝団のガイド、隠れ念仏巡拝のための情報提供や案内、出版、講演など。

[グリーンライフ研究所・フィリピン]マニラ近郊とルセナ市に「日本人身障者の家」を経営(政府認可N・G・O)。

[グリーンライフ仏教教会・ネパール]仏教ペンション(政府認可N・G・O)の経営と車イスの製造・無料配布などを通じて、仏教的福祉事業を運営。

【著 書】
『甦る仏教』(向陽舎出版)   ¥1200
『よみがえる人生』(樹心社出版)¥1600
『よみがえる生命』(樹心社出版)¥1700
『続・甦る仏教』(向陽舎出版) ¥1200
『アミダ仏の源流をたずねて』(樹心社出版)¥1800
『アメリカ説法の旅』(向陽舎出版)¥1200
『平和の鐘をならそう!』(向陽舎出版)¥1000
『隠れ念仏伝承の旅』(本願寺出版)¥840
[英 訳]
『福祉と環境の仏教読本』(向陽舎出版)$12
『よみがえる人生』(カリフォルニア出版)$12
『アミダ仏の源流をたずねて』(カリフォルニア出版)$12



 ◆「はがき通信」創刊前のよびかけハガキ

 ※「はがき通信」創刊前の1989年12月に向坊さんが、投稿を呼びかけるために数十名の四肢マヒ者に送ったハガキです。このハガキから、「はがき通信」は始まりました。

 いかがお過ごしですか。平成元年にちょうど、神経科学総合研究所の松井先生にお会いでき、頸損上位の我々の四肢マヒ者の情報交換誌を発行していただくことになりました。お互いに不自由な我々の交流のために協力して下さる方が現れて、こんなにうれしいことはありません。
 私の場合、受傷歴30年のC4.5ですが、7年前までコンドーム式の排尿方法を知らず、オムツをはめて外国旅行に出かけたことがありました。
 交流を通じて少しでも多くの知り合いになり、励まし合いましょう。他に頸損の方があれば、ぜひ名前と住所をお知らせ下さい。皆さんの寄稿もお待ちしています。ハガキでも電話でも結構です。合掌


●最後のフィリピンでの越冬中の近影4

向坊 弘道


◆ご寄付のお願いと購読料未納のお知らせ

  「はがき通信」が廃刊の危機です!


 「はがき通信」の創設者でいらっしゃる向坊さんが5月14日にご逝去され、今回の100号は急遽、追悼記念号にさせていただきました。また、今年9月に開催される広島懇親会を偲ぶ会と兼ねたいと思っております。
 ところが、資金が足りません。5月22日現在の残高は131,308円(向坊さんのご葬儀への献花代、5月分の印刷代・発送費を差し引くと53,000円あまり)しかないという、実は今後、「はがき通信」を存続させられるかどうかという逼迫した状況です。昨年の懇親会で向坊さんから提案のありました、4名のスタッフへの経費も支払われておりません。
 一部の方々にはすでにメール等でお知らせ・お願いをさせていただきましたが、追悼記念号の発行経費の捻出と広島懇親会(偲ぶ会)の開催は、何としても編集スタッフ一同なしとげたい所存でおりますので、この急場をしのぐためにどうか皆様にご寄付いただきたく、なにとぞよろしくお願い申し上げます(最低目標額20万円)。
 ご寄付いただく場合のお振込みは、
「はがき通信」の郵便口座
 口座名/はがき通信 記号:17440 番号:85678611
によろしくお願いいたします。

 [お振込みいただくときのお願い]
 @購読料なのかご寄付なのかの区別をするため、明記してください。
 A区別が明記されていない場合ですでに何年か先まで購読料が納入されている方は、ご寄付として取り扱わせていただきます。
 Bご寄付をいただいた方に購読料の未納分があった場合は、今年分までの購読料を差し引いた額をご寄付とさせていただきます。
 後日、会計監査を行い、ご報告させていただきます。ご不明な点、お問い合わせ・連絡は、会計の占部さんまでお願いいたします。
 また、今号では「はがき通信」購読料の未納額をお知らせしますので、よろしくお願いいたします。帯封(おびふう)の宛名についている「様」の字の後ろに、数字を印刷してお知らせしてあります。たとえば、「田中太郎 様3」というふうに表示してあれば、3は3年間未納という意味です。1の場合、今年未納か数年前の1年間未納だったかの意味です。それでも、購読料を納入していただけない場合は購読を希望されていないと判断させていただき、今後時期をみて発送を停止させていただきます。どうぞご了承ください。
 「はがき通信」は、年間購読料1,000円(年6回発行・1冊あたり約166円)
で運営されております。また、さらなる誌面の充実を願われてご寄付されたありがたい寄付金が、購読料を納付されない方の購読料の補填になっている現実も否めません。どうかご理解ください。発送停止後に再度購読を希望される方は、新規にお申し込みください。
 なお、こちらの記帳の間違いがある場合もありますので、どうかご容赦ください。
 取り急ぎ、ご寄付と購読料の納付のお願いを合わせて心からお願い申し上げます。



 2006年「はがき通信」懇親会in広島 


 今年の「はがき通信」懇親会は、広島で開催いたします。「はがき通信」は、ついに100号を迎えました。100号を祝う、思い出深いイベントとなるように、実行委員を中心とし、準備をさせていただいている最中、思いもかけない、向坊さんの突然の訃報に接し、大変驚きました。心よりご冥福をお祈りいたします。向坊さんの思いをつなぎ、今年の「はがき通信」懇親会も、出会いに恵まれ、一人でも多くの方に喜んでいただけることを、願っています。たくさんのご参加をお待ちしています。

 なお、最終日10月1日(日)に、「はがき通信の今後について」、の話し合いの席を設けました。とても重要な話し合いですので、お忙しいこととは思いますが、「はがき通信」存続のためにも、多数のご出席を、どうぞよろしくお願いいたします。


1.日程
 2006年9月29日(金) 〜10月1日(日)
2.会場
 『ホテルグランヴィア広島』
 〒732-0822 広島市南区松原町1−5
 TEL: 082-262-1111
 『広島市東区地域福祉センター』
 〒732-0055 広島市東区東蟹屋町9−34
 TEL 082-263-8443
3.スケジュール
◎9月29日(金)
会場:『ホテルグランヴィア広島』
 12:30〜      受付開始
 13:30〜17:00 参加者スピーチ
          (自己紹介等)
 18:00〜20:30 歓迎夕食レセプション
◎9月30日(土)
日本三景のひとつ、世界遺産「宮島」巡り
 10:30〜12:30 市電乗車、フェリー
 12:30      宮島到着
 12:30〜13:30もみじ饅頭製造見学等
 13:30〜自由行動
◎10月1日(日)
会場:『広島市東区地域福祉センター』
 10:00〜12:00「はがき通信」の今後について
 12:00       解散
4.宿泊
『ホテルグランヴィア広島』新幹線駅隣接
・1名 8,500円(朝食込み)
 シングル10室、ツイン35室
5.参加費 
・身障者 1泊      1,500円
・日帰り参加         500円
・夕食レセプション 1名 6,000円
・観光交通費(市電貸切:片道、フェリー往復) 1,500円
・駐車場料金 1泊    1,500円
6.キャンセル
※下記の日時を過ぎた以降のキャンセルについては、キャンセル料が発生します。
・宿泊     当日の午前
・レセプション 27日午前
7.その他
・車で来られる方は、駅の駐車場へお願いします。ホテル宿泊の方は、一泊1,500円ですが、それ以外の方は、規定の駐車料金が必要となります。なるべくJR等、公共の交通機関をご利用ください。
・参加申込者には、後日詳しいご案内(参加者名簿や地図等の資料)をお送りいたします。

8.お問い合わせ先
 オオタケ
 E-mail: ohtake@enjoy.ne.jp

 まり
 E-mail: hello-mari@enjoy.ne.jp



---------------------キリトリ線--------------------
※参加申込者は、切り取り線から下を、8月31日(木)までに、オオタケ<ohtake@enjoy.ne.jp>までお送りください。締め切り後の申し込みも、できうる限りお受けいたしますが、なるべくお早めに、お申し込みをお願いいたします。お申し込み内容は、捨てずに保存しておいてください。

1.参加障害者氏名
2.住所(郵便番号も)
 TEL・FAX
 携帯番号
 E-mail
 携帯E-mail
3.同行者人数
4.参加日(宿泊か日帰り)
5.宿泊予定日と本人を含む人数
 (29日   人・30日   人)
6.宿泊の部屋
 シングル・ツイン
7.29日夕食レセプションの参加人数
8.宮島観光の参加者人数
9.交通手段
10.就寝、起床時のトランスファー介助
 要・不要



 特集!「はがき通信」100号到達によせて


 1990年2月にB4判紙の表と裏からスタートした「はがき通信」は、16年5ヶ月定期発行を続け、ひとつの区切りとなる100号を迎えました。「はがき通信100号到達によせて」というテーマで原稿がよせられていますので、ご紹介いたします。
 なお、「はがき通信100号到達によせて」や「向坊さんの追悼文」は、次号で引き続きご投稿をお待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。



 定期発行を続けよう! 

 定期刊行物は3号、3月(みつき)、3年とよく言われる。3号まで続けば3月は持つ。また3月続けば3年はもつというような意味合いであろうか。逆に言えば3号でつぶれる雑誌のいかに多いことか。
 「はがき通信」が次号で100号を迎えるという。まずは「おめでとう」と申し上げたい。やったことのない人にはわかるまいが、これは大変な偉業だ。継続の情熱を16年以上も維持するなんて、資金力においても精神力においても人間業(わざ)とも思えない。雑誌の売れない昨今、市販の雑誌でも15年以上続いているものはそうはあるまい。
 先に亡くなった向坊弘道さんと看護大学校の松井和子先生が創刊されたとかで、その後もいろんな方が発行に尽力されておられる。聞けば「100号をめどに廃刊したらどうだろうか」というご意見もあるそうだが、なんとかならないものだろうか。
 この機会にインターネット版を1号から読ませていただいたが、精神的に救われたりまた落ち込んだり、経験者の生の声であるだけにずっしりした重みがあった。私事だがこの「はがき通信」にどれだけ救われたことか。最初はスポーツの中継やおちゃらけ文などもあってなんだこれは、と思ったものだが、時間が経つにつれ、この投稿者の方たちもこれを書くことによって自分を叱咤激励したり精神的に鼓舞したりしておられるんだなあと思えるようになってきた。
 「はがき通信」の凄いところは生の体験談集であるということだ。難しい医学書からは得られない体験談がぎっしり詰まっている。自分の症状を医師に尋ねても「人によって異なるから」「損傷部位によって違うから」と答えるばかりで、それは確かにその通りなのだが、この先自分のからだがどのように変化していくか分からない不安は計り知れない。
 ところが「はがき通信」では北海道の人の質問に四国の人が答える。似たような症状を持った人は必ずどこかにいるはずだ。私は海外で受傷し手術を受け帰国した。日本の病院に入った時、家族は主治医に「今のうちに良い思い出をたくさん作っておいて下さい」と言われたそうだ。ただ食って排泄するだけの人生だが、それでも2年4カ月生きてきた。私を支えてきた大きな力のひとつが「はがき通信」だと思っている。
 継続の方法はまだいくらでもあると思います。みんなで知恵を絞ってみようではありませんか。

千葉県:D・T E-mail: tade777@hotmail.co.jp



 すべてが終わったと思ったあの日から18年… 


 このたびは「はがき通信」100号達成おめでとうございます。松井先生、向坊さんはじめスタッフの皆さまごくろう様です。18年前、はじめて「はがき通信」を手にした時「自分たちだけじゃないんだ」とほっとした気持ちをおぼえています。
 私たちと「はがき通信」との関わりについてお話ししたいと思います。
 主人が事故で入院して絶望のどん底にいたころ、看護婦さんが「頸損」という機関誌を持ってきてくれました。そのことがきっかけで同じ呼吸器使用のAさんと知り合いました。そして松井先生を紹介され、先生が来県して、そこから「はがき通信」とのつきあいが始まったのです。松井先生と「はがき通信」により多くの情報を得ることができ「ペーシング手術」を受け、それによって外出可能となり、ついには「施設入所」までこぎつけました。
 現在主人は施設で生活しています。14年になります。ペーシングは、横隔膜を電気刺激で動かすというアメリカ製の機器なのですが、主人とは相性が悪く現在は使っていません。それでも施設の中で「最上川の船下り」まで行けたのですから今にして思えばすごいことだと思います。
 主人は今施設の中で、生活している人や職員との関わり合いの中で人間らしく生きています。病院の天井ばかり見ていたあのころには考えられなかった生活です。
 「はがき通信」は一つの出会いの場だと思います。これからも頸損者の精神的、肉体的生活の向上のために情報を発信し続けて下さい。本当にありがとうございました。

追 悼

M・S

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