年 ・ 月 |
主 な う ご き |
研 究 会 ・ シ ン ポ ジ ウ ム など |
学 習 会 ・ セミナー |
そ の 他 の 活 動 |
1988.4
5
7
10
12
1989.1
2
3
4
7
11
11
1990.3
7
7
12
1991.2
7
9
11
12
1992.3
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『群馬にホスピスを』『群馬でホスピスケアをはじめよう』 小笠原と看護婦の一人の呼びかけで始まる (100名)
「世話人会」の呼びかけと結成 小笠原を代表世話人として活動開始 事務局を群馬中央脳外科病院に置く |
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第2回研究会 シンポジウム『ガン告知を考える』 (80名)
第3回研究会 『医療の現場から』(山崎章郎氏講演会) (80名) |
『無益な延命措置、末期の気管切開はすべきではない』提言(小笠原)
ホスピスユニットの追求、意識啓発活動を確認 |
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第1期学習会(6回)『生と死を考える』(A・テーケン、曽野綾子編)
第2期学習会(6回)『ホスピス・ケア』(原 義雄、千原 明著) |
第3期学習会(6回)『死の医学への序章』(柳田邦男著)
第4期学習会(6回)『死の復権』(室生 忠著)
第5期学習会(6回)『デス・スタディ』(若林一美著)
第6期学習会(6回)『生命倫理』(日本看護協会出版会編) |
春の昭和村ツァー実施
映画を観る会
『病院は嫌いだ』
小笠原ペインクリニック開院
桐生ホス研に準備会できる
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ボランティア養成プログラム開始 1989/9〜12(8回)、1990/1〜3(6回)、4〜7(6回)、9〜12(5回)全25回 |
会報『ねがい』と命名
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第4回研究会 『A・デーケン講演会』 (600名)
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遺族と家族の会『星の家族の会』(中央脳外でホスピス的ケアで看取られた家族の会)結成
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第5回研究会 『大切な母を看取って』(発表、鈴木氏) (80名) |
事務局を中央脳外から高崎北通町(本元寺)に移す |
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第6回研究会 『戸塚元吉講演会』(現小金井桜町病院聖ヨハネホスピス院長) (100名) |
第1回総会 会則制定、会員制組織、役割・任務の分担。 土屋を会長に選任。事務局を吉本宅に設置
『より良い医療を求める市民の運動』として位置づけ、活動再スタート |
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会則第一条 目的『本会はホスピスケアの理念の学習と啓蒙に努め、群馬県内におけるホスピスケア実現のためのネットワークづくりを目的とする』 |
第7回研究会 『鈴木荘一講演会』(死を抱きしめる)
救世軍清瀬病院ホスピス病棟見学会7名) (120名) |
第7期学習会(2回)『脳死・臓器移植について』
第8期学習会(2回)『患者塾・賢い患者になるには』
第9期学習会(2回)『ふたたび告知について考える』
第10期学習会 2月〜12月(8回)
2月 『患者の権利ってなんだろう』
4月 『ホスピスって何だろう』
5月 『患者の痛みのわかる看護とは』
6月 『宗教と医療を考える』
8月 『賢い患者になるには』
9月 『がんの痛みはこわくない』
10月 『在宅ケアの進め方』
12月 『最後まで人間らしく生きるために』
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『悲しみ、そして愛』刊行
第2回総会
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第8回研究会 シンポジウム『身じかな人の死に学ぶ』
(120名)
第9回研究会 『 命の谺をひびかせて』(重兼芳子氏講演会) |
(150名)
群馬ホスピスケア研究会特別例会『たんぽぽ会』(勉強会)開始 |
91/9〜93/6まで22回実施
第3回総会
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第10回研究会 『そのときそばにいて』(寺本松野氏講演会)
(150名)
第11回研究会 『がんと生きる、けっしてあきらめないで』
(ワット・隆子氏講演会)(200名)
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