○「国連・障害者権利条約特別委員会」傍聴団報告書/U.傍聴団メンバーからの感想

障害者の権利条約:
主体性の確立と指導性の発揮を

社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会常務理事 松友  了

 7月29口から8月5日まで、まさに酷暑の二ューヨーク市へ行ってきました。日本も信じられない位の暑い日が続きましたが、ニューヨーク市も37度という信じられない暑さでした。いたるところに、「9月11日」の傷心と余韻が残っています。しかし私には、この暑さはどうしても広島・長崎の原爆(米国によるテ口)を思い出させます。

 昨年12月の総会で承認された「国通・障害者権利条約特別委員会」の傍聴団として、「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム組織委員会から派遣されたのです。一部負担分も全日本育成会が出してくれて、久し振りの公費による出張です。いつもは全額自己負担の旅ですので、今回はかなり緊張します。

 『委員会』は、国連本部の中の第一会議室で開かれました。写真でよく見る総会の会場を一回り小さくした形ですが、各国代表の席は同じように議長席に向かって半円形に広がっています。そして左側に、野球場の観客席のように階段状になった傍聴席が設置されています。そこは、ILO等の国連機関の代表とNGOの傍聴団によって占められています。

 傍聴団は2班に分かれ、私たちは『特別委員会』の前半の部分を担当することになっていました。そして前半は、会議の運営方式の議論でついやされてしまったのです。議長団の選任や各国代表の発言は順調にいったのですが、NGOの参加方式と議題や日程等の問題で激論が交わされました。政府間の公式・非公式折衝、議長とNGOの意見交換、NGO間の情報交換等々、動きがじつに活発に進行しました。そして、NGOの全面的な参加の保証と後半での討議議題や具体的な日程が決定し、前半部分の討議は終了しました。

 まさに国連ビルの中での、本物(?)の外交折衝を目の当たりにし、正直なところ大変に刺激的でした。6カ国の公用語が瞬時に同時通訳され、イヤホンから流れてきます。各国代表の発言は、さまざまな思惑を込めて(と、思いますが)多岐に渡ります。わが国の本村国連日本政府代表部大使の発言も、流暢な英語にてじつに堂々としたものです。ところが、肝心な点については「慎重に進めよう」というだけで、曖昧であり消極的な印象はぬぐえません。一部のNGOが発行している日報では、権利条約に否定的な国のひとつに名指しされ、厳しい批判を受けました。

 その後、日本代表部の外交官たちと意見交換をした際、その理由がよく理解できました。要するに、日本政府(本国)の姿勢が曖昧であり、消極的なのです。それが、代表の姿勢に現れざるを得ない。昨年12月の決議から半年以上も経っているのに、日本政府は検討も体勢もきわめて不十分なのです。

 この間、外務省はさまざまな点で批判されています。とくに中国の領事館への亡命者に対する対応には、外交そのものの不始末として、厳しい非難が集中しました。しかしながら、事は外務省の(外交)問題以前に、日本政府の基本姿勢(方針)にこそ問題がある、という指摘があります。国としての主体性が確立されていない、ということです。

 また国連での外交は、国際社会における共通課題の解決へ向けた調整でもあります。権利先進国であるEUの諸国は、この権利条約の決議推進へむけてじつに積極的でした。わが国も、アジアでの「十年」再延長の提起のように、指導性を発揮してもらいたいと俄か愛国者の私は考えました。

[(社)日本てんかん協会東京支部機関誌『ともしび』通巻222号(障害時評No63)2002年9月1日発行より]


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