○「国連・障害者権利条約特別委員会」傍聴団報告書/T.全体を総括する報告

国連・障害者権利条約特別委員会への
日本傍聴団(A班)報告

RNN事務局長 丸山 一郎

 7月29日(月)から2週間におよぶ第1回の特別委員会は、国連本会議第1会議室で開始された。正面ひな壇上の議長団・事務局を囲んで七重の馬蹄形状に配置された190カ国の座席が広がる議場では、40カ国前後の出席ようにもみえ、アフリカ・太平洋諸国などに空席が目立った(後に出席は、54カ国と発表される)。

 各国政府で障害のある人が代表として加わっていたのは確認できたもので、7カ国(アメリカ、オーストラリア、フィリピン、メキシコ、ノルウェー、デンマーク)であり日本の立ち遅れが目立つ。

 しかしながら、国連総会決議による委員会に初めてNGOが参加した議事は、空時間がまったくない大変に活発なものであった。そして議場を横から注視するNGOの代表約20名に加えて11人の日本からの障害団体代表による傍聴団がいたのである。
 以下、第1週に参加した傍聴団A班の概要を報告したい。

1.第1週の議事(議長団選出と議題の確認・NGO参加のルール、一般討議まで)
 傍聴団A班は、初日の丸山に続き2日目にRIの枠により厳密な会議出席登録をへて議事を傍聴できた。
(1)承認された議題は以下のとおり。

  1. 会議の進め方(議長団の選任、NGO参加のあり方など)
  2. 一般討論「(提案された障害のある人々の権利と尊厳を推進保護する国際条約を含む)障害に関する新たな国際的政策手段について」
  3. 委員会勧告
  4. 第57回総会への委員会報告書の採択
  5. その他

(2)初日は議長団が構成され、議長にはエクアドルのルイス・ガレゴス大使(南北米地域)、副議長には、スウェーデンのカリーナ・マーテンソー女史(ヨーロッパ地域)が選出された。(後に、アフリカ地域は南アフリカ、アジア太平洋地域はフィリピンから選出され、アラブその他地域は空席であった。後に、傍聴団は日本がこの委員会をリードする議長団に出る気のないのを知り落胆をしたものである)。

(3)NGOの参加に関する討議は丸2日間を要した重要課題であった。議長やEU諸国はNGOと意見交換をかさね、委員会としての非公式会議も行って調整をして、つぎのような委員会結論を出した。

  1. 議長と時間の許す範囲でのNGOの意見表明を認める。
  2. NGOは個別または、他を代表して意見を述べることができる。
  3. 会議に配布する資料はNGOにも配布される。
  4. このルールは本委員会におけるものとして、他に波及されない。

(4)一般討論
 ほぼすべての参加国から、議題に沿った意見が出されるとともに、国連の会議場では初めてのNGOの意見が表明された。各国政府は、おおむね新しい政策手段を必要であるという趣旨が多かったが、中には慎重な意見も出されていた。EU諸国、メキシコなどの発言が活発に出された。日本政府は本村大使が積極的な意見を表明したが、常時出席した日本政府代表はほとんど発言せず、しても米国の意見を追従するものであった(後に公使との懇談の中で、意見の言える代表ではないことを知らされる)。

 また、NGOの各団体は、既存の条約などでは、障害のある人々の権利を守ることが如何に不可能であるか、従ってどんな障害固有なものが必要であるかを明確に述べて、ときおり拍手が出されるなど強い支持が表明されていた

2.この他の傍聴団の動き、日本政府・NGOとの懇談
 傍聴団は日本政府代表に挨拶をし、出席のための外務省の配慮に感謝するともに政府の積極的な対応への期待を述べた。また本村大使や水上公使との懇談を行い政府の対応方針などについて質問・要望を行った(この中で代表部は、専門家の派遣を要請したが派遣されず、判断できない人の出席であったこと、今後の政府代表の派遣について関係各省に依頼をするよう、逆に要請を受けた)。

 また、傍聴団は議長席にガレゴス議長をおとずれ、NGOとの精力的な話あいに感謝するとともに、条約検討の促進への議長のリーダーシップに大きな期待を表明した。議長からは障害当事者団体の日本政府への働きかけをより積極的にするよう逆に期待されたのである。ガレゴス議長も本会議の中で傍聴団に関する事務連絡をアナウンスするなどその存在を参加者に印象付けてくれたものである。

 さらに、NGOとの会合にも出席し、意見交換を行った。とくに、ラガウォルRI事務局長の協力を得て、IDAのメンバーとの会合も行い、今後の活動を一緒に行っていくこと等を誓い、大変有意義な交流をすることができた。

3.コーディネーターとしての感想
 傍聴をしながら、この同じ国連の会議場で、約30年前から「知的障害者の権利宣言」、「障害者の権利宣言」が審議され、「国際障害者年」や「国連・障害者の十年」の提案され、「障害に関する世界行動計画」や「障害者の機会均等化に関する標準規則」などが議論されてきたことを思った。このような政府の代表と雰囲気のなかで、決議に至るまでリードしたヨーロッパ各国の先見性と努力と粘り、それを促した各国の障害者運動に深く畏敬の念を抱いたものである。

 それらの決議にどれだけわが国が影響をうけ、社会が改革されたかに思いをはせながら、漸く日本が貢献できるところまできたという念を強く持ったものである。しかし、日本政府の消極的対応は、国際社会での日本の影響力のなさをまざまざとわからせるものであった。

 この中で、わが国の障害関係者が、条約推進に寄与するため特別委員会に傍聴団を送ることができたことは、今後の日本のみならずアジア地域に貢献するものとして意義があると考えた。政府代表の参加が少なく各国政府への参加費用の支援要請がでているなかで、自主財源を確保して、英語・手話通訳も用意した日本傍聴団の参加は、他国へも影響を与えると同時に、日本に他国の障害者団体への支援を促しているものである。

 日本がこの権利条約実現にむけて力を発揮するように、障害団体の働きかけがとくに必要と強く感じた次第である。


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