Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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カスン・チャンダナ・ジャヤトゥンガのファイナルレポート

「ろう者である自分」に気づき、新しく生まれ変わった私

研修の目的

1. ろう者のための教育環境改善

ICT教師としてロハナろう学校で働いていたころ、スリランカのろう学校の教師の手話レベルは、失望するほど低いことに気がつくようになりました。ほとんどの教師がシムコム方式で、手話と同時に話をするのですが、この方法はろう者にとって非常に分かりにくいのです。結果として多くの学生が高等教育にまで辿り着けず、16歳で受験する普通レベル試験の時期を待たずして学校を去る状況が生まれてしまっています。このため、日本に来て一般的なろう教育、また学校に進学する以前のろう教育、なかでも教授法、言語指導とその技術、またPPTの活用など視覚的教材について学びたいというのが私の願いでした。

また、スリランカで私はルフヌ・スマガ・ろう協会(RSCD)に所属していましたので、日本でろう運動の効果的な進め方やろう団体間のネットワーキングについて学びたいと思いました。

日本語および日本手話研修

最初の3か月は日本語と日本手話を勉強しました。日本語の文法は大変興味深く、暗記も読み書きも英語よりたやすく感じました。また漢字についても、背景に多くの概念があるのが感じ取られ大変興味をそそられました。佐藤先生の授業を忘れることは一生ないでしょう。先生方は皆専門家で、親切に教えてくださいました。手話については日本手話で意思疎通するのは大変難しく暗記にも手こずりました。子供のときから口話訓練はしていましたが手話はやったことがなく、25歳になってルフヌ・スマガ・ろう協会に所属して初めて手話を学ぶようになりました。そうした事情から手話の授業では音声で考えている頭を手話で考える頭に切り替えるのが非常に難しく感じました。しかし最後には手話もマスターすることができ、日本手話の先生方および親切に日本手話の手ほどきをしてくれた同じ研修生だったイーハウさんにも感謝したいと思います。

カスンさん

スキー研修と水泳

スキー研修では新潟に出かけました。新潟では、自分が生きているという実感を強く持ちました。雪で遊ぶのは今までに想像した以上の経験でした。雪はそれまで見たことも触ったこともなかったので大変楽しかったです。スキーの先生が手伝ってくださり高い山からスキーで下りたのは大変楽しく忘れ難い経験となりました。

カスンさん

もう一つのスポーツは、水泳です。水泳の先生方も皆プロで、親切に教えてくださり、その指導方法も目を見張るものでした。結果として、水中で自分の心身を魚のようにコントロールできるようになりました。慣れてくると大変楽しく感じました。

ホームステイ研修

ホームステイでは鹿児島で外薗さんのお宅にお世話になりました。眞一さん、奥様のさつきさんしてかわいい息子さん、お嬢さんの全員がろう者でした。それまでろうのご家族と過ごしたことも、ろうの家族の文化も経験したことがなかったので私にとって大きな出会いでした。ご家族はとても親切で明るく、眞一さん、奥様のさつきさんはさまざまな場所に私を連れて行ってくださいました。最初の2日間は、さつきさんのお母さんの家にお世話になりました。お祖父さん、お祖母さんの田んぼのお手伝いをするのはとても嬉しかったです。大変ハードな仕事でしたが、素晴らしい経験となり、まるで日本のお百姓さんになった気がしました。このホームステイでは何日も素晴らしい時を過ごしました。お世話になった大好きな懐かしい外薗さんのご家族に、心から幾多の御礼を申し上げたいと思います。

個別研修

1. 日本ASL協会

日本ASL協会で過ごしたのは僅か8日と非常に短い間でしたが、たくさんの思い出と大変だったことが思い出されます。自分が誰であるか、またどう手話、そしてろう文化、ろう者の考え方と向き合うかについて深く考える機会になり、自分にとって重大な変化となったという意味でも最高の研修となりました。手話を使ったプレゼンテーション技術、また簡単に、しかし効率的にパワーポイントでプレゼンテーションを作成する方法も学びました。また、高草久美子さん、大森節子さんの指導のもと、(感情や、問題点や、ポジティブな考え方などを盛り込んだ)レポート作成方法についても学びました。これらの活動から、前向きなものの考え方や問題点などさまざまなことを学び取ることができました。研修先の皆さんには深く御礼申し上げます。

2. 日本のろう教育

個別研修中はいろいろなろう学校を訪ね、日本のろう学校では何らかの形で手話を取り入れながら、授業を行っていることを知りました。最後の研修先は明晴学園で、わずか5日間でしたが、日本手話と日本語の両方を教える教育システムを採用しており、日本語に関しては視覚的な方法によって読み書きが指導されていましたが聞き取りや発声は教えられていませんでした。小さな子どもたちがいつも私に話しかけてきていろいろ質問をするのには驚かされました。0-2歳の幼児クラス、そして3-5歳の幼稚園児のクラスの子どもがすでに手話をあっという間の速さで吸収しているのです。また、ろう幼稚園の3-5歳の子どもがすでに日本語の読み書きができることにも驚かされました。僅か5日という短い間でありながら、日本語と日本手話を教えるバイリンガル教育についてのさまざまな情報をくださった小野先生に深く感謝します。

また東京都立中央ろう学校でも橋本先生ほかの先生のご指導のもと、研修プログラムに参加し、素晴らしい技術を目の当たりにしました。どの教室にもろう学生の情報保障のために、プラズマディスプレイパネル(PDP)、聴覚支援のためのIRシステム、パソコン要約筆記ほかの設備が整っており、先生はろう学生が授業内容をしっかり理解できるよう、その指導方法を熱心に考えておられました。

また、国立大学法人筑波技術大学も訪問し、きこえの検査や評価、補聴器のフィッティング、そのガイダンス、自分の補聴器の管理方法などについて学ぶ素晴らしい経験をしました。また、ろう者の運転免許およびろう者の運動の歴史なそについて大杉先生の講義を受けました。スリランカではろう者には依然として運転免許は許可されていないので大変重要な経験でした。

3. 熊本県ろう者福祉協会

熊本県聴覚障害者情報提供センターでは三週間研修を受け、手話のDVD作成方法について学びました。またビデオグラフィーの技術、ビデオ編集、ビデオに字幕をつける方法などについても同センターの製作室で学びました。最終的には、製作チームの助けを借りて、スリランカの手話のDVDを作ることができました。現在では、一人でDVDが作れるようになりました。また、熊本県ろう者福祉協会では会長の松永さんの手話通訳研修コースにも出席し、手話の理論と実践を学んだり、個人またグループで手話を練習したり、手話通訳の本やCDを勉強したりしました。熊本県ろう者福祉協会と熊本県聴覚障害者情報提供センターのスタッフの皆さん全員に、いつもいろいろと応援していただき、いろいろな経験を共にさせていただいたことを心から感謝したいと思います。

4. 全日本ろうあ連盟、大阪府聴力障害者協会

全日本ろうあ連盟のセミナーでは、スタッフの方から日本のろう者運動およびろう者に関する福祉制度について学び、日本にたくさんのろう連盟や協会が存在し、非常に専門的に運営されていることを知りました。大阪、神戸、淡路ではさまざまな福祉制度を見学し、情報、技術、サービスに対するアクセシビリティーが大変きちんと用意されていることを知りました。ろう者が年をとっても、予約して通訳に同行してもらえばどこにでも行くことができます。また、各施設では施設およびそのサービスの説明をするオリエンテーションに参加し、どのように手話通訳者が派遣されているかを学びました。大阪と京都のろう団体は常に情報交換し、お互いの委員会も常に話し合って協力体制を敷いています。日本ではろうの協会や団体が非常に高度な専門性をもって運営されていることを知りました。

スリランカ帰国後の目標

  1. スリランカには僅か5人しか手話通訳者がいません。ろう者の家族や友人がボランティアとして通訳を買って出ていますが、残念ながらプロではないために、訳が間違うことも多々あります。したがってろう者は日々の生活において安心して過ごしているとは言い難い環境にあります。私の夢は、ラハナ・スマガ・ろう協会にビデオ製作ラボを設立し、手話指導のDVDや演劇のDVD、ろう者ニュースのDVDなどを製作することです。またろう学校の教師の手話能力や手話の授業の内容が高められ、政府や民間でも手話が広まるように手話の教本、雑誌、新聞なども作りたいと思います。
  2. バイリンガル教育の哲学のもとに就学前の年齢の児童に対する教育ユニットを作り、バイリンガルかつバイカルチュラルのテキストやDVDを作成したいと思います。また、ろうの幼児および小学校の児童、その両親用に、基礎的な手話のDVDも作成したいです。これら全ては、ろうの子どもたちために非常に大切な要素だと感じています。

新しい経験と新しい挑戦とが新しい人間を生む

スリランカではろう学校に通った経験がありませんでした。子ども時代も、ろう学校ではない聴者の学校に登校し、聴者の文化の中で読話や発音を学びながら育ちました。13歳から25歳くらいの時代には、手話で会話しているろう者は他人に真似されたり、指さされたりしてバカにされているのを見てひどくショックを受けました。他人はろう者をバカにして笑っていました。こういう状況を受け止めるのは実に苦痛でした。

日本に到着後最初の3か月は日本手話の勉強期間でしたが、最初はさまざまな手話を覚え、手話での思考に切り替えるのが大変でした。それまで頭が読話で固まっていましたし、一番身近な言語メディアも口話だったので手話はほとんど忘れていました。そのような事情から、最初の2か月はろうの人と話したり理解したりは難しく、ましてや友達になるのは非常に難しい状態で、寂しくて堪りませんでした。しかし、手話の指導にあたった末木先生から、手話ができなければ長い個別研修機関でさまざまな情報も得られないし、友達もできないし、日本で良い人脈も築けないと言われました。私は個別研修に備え、集中して手話を学ぶことに覚悟を決め、発音で考えていた頭を手話に切り替える努力をしました。そしてついに成功し、現在は補聴器も簡易筆談器も要らなくなりました。今ではろうの友達ともたやすく、無理なく意思疎通できます。今になってみると、手話は難しい母音を発音するよりずっと簡単で、しかも早く意思疎通できるツールだと思うようになりました。今の私は新しく生まれ変わりました。ろうの文化についてもたくさん学びました。私の心も開かれ、頭も手も開かれ、自分が「ろう者」であることを確信できるようになりました。手話でのコミュニケーションは円滑ですし、手話を通してろう文化も強く意識するにもなりました。私の新しいチャレンジから得た手話によるコミュニケーション、そしてろう文化を帰国後の活動に生かしていきたいです。

しめくくりの言葉

広げよう愛の輪運動基金、そして日本障害者リハビリテーション協会のスタッフの皆さん、中でも親切にして頂いた那須さんに、いつも私たち研修生のニーズを考えてくださったことを深く感謝します。また、他の関連団体の皆さんにも、日本での私の研修を、素晴らしい成功体験に、そして有意義な経験にしていただいたことを厚く御礼申し上げます。

カスンさん

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