Duskin Leadership Training in Japan

最終レポート

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トマシ・タンベラニンボウのファイナルレポート

来日

2004年9月3日に関西国際空港に到着しました。あまりに大勢の人が大阪の街にいるのを見て大変驚きました。高層ビルや高度なインフラ設備は、今までの人生で一番感動したものです。

日本語と手話

3ヶ月の間、日本語と手話を学びました。日本語が上手に書けるように努力しました。ひらがなで文を書いたり、日本語を暗記しようとした時に、時々混乱してしまうことがありました。ろう者の私にとって手話を学ぶのは難しいことではありませんでした。日本のろう者とコミュニケーションを取る中で、新しい手話に出会ったら、それを見て、理解して、自分のものにできるようになりました。日本語や手話を学ぶのは楽しかったですが、一人で学んでいたので淋しかったです。今では、他の人と日本語や手話を使って意思の疎通がはかれるようになりました。

スキー

他の研修生と一緒に新潟へ行きました。生まれて初めて雪を見た時、本当に美しいと思い、触れてみたくなりました。雪の中をスキーで滑りましたが、とても寒かったです。

ホームステイ

12月の終わりに福岡の村田和久さんの家にホームステイのために行きました。村田さんは奥さんと2人のお子さんと住んでいます。これは私にとって日本に来て初めてのろう者宅訪問となりました。そして、新年を迎え、前田佳則さんも加わり、大きなお寺に初詣に出かけました。皆さんと一緒に本当に素晴らしいお正月を過ごすことができました。

福岡の珍味である明太子も食べてみましたが、とても美味しかったです。何でも食べられましたが、嫌いなものが一つありました。お寿司に付いてくるわさびです。

日本のろう文化とろう者の家族に接することができて興味深かったです。それまで日本のろう者とのコミュニケーションを難しいと感じたことはありませんでしたが、福岡の手話は東京の手話と少し違っていたので戸惑うことがありました。でも、福岡での経験は大変楽しかったです。百万回お礼を言っても足りないくらいです。

日本のろう学校

日本には107のろう学校があると聞きました。その中の何校かを訪問して、手話を使って授業の出来る教員数が足りないことが判りました。そのため、授業は口語を使って進められていました。

龍の子学園を訪問しましたが、そこでは、小さな子どもでも私とコミュニケーションが取れました。0~2歳の乳幼児クラスと3~5歳の幼児クラスがあり、皆、手話をとても速く使いこなすことが出来ます。

2歳以下の子どもたちに対するプログラムを実施しているのは良い考えだと思いました。子どもたちは学園に来て、毎日のように手話に触れることにより、自然に、そしてだんだんと手話を学び、直ぐに自分たちで手話を真似るようになります。

3歳から5歳までの幼児クラスでは、子どもたちが日本語の読み書きができ、非常に驚きました。私の夢は読み書きや日常生活が一人でできるろう児を育てていくことです。龍の子学園は日本で一番良いろう児教育が実践されている団体だと思いました。フィジーでもろう児の乳幼児クラスを開設したいと思います。ゴスペルろう学校の教師として、ろう児のための素晴らしい未来を作り出すことは重要な務めだと思います。

手話通訳者

日本では手話を学ぶさまざまな方法があります。私は国立身体障害者リハビリテーションセンター学院、世田谷福祉専門学校、神奈川県手話通訳養成講習会、札幌手話通訳者育成(講師)養成講座などで、手話通訳養成に関する研修をしました。

初めて手話サークルに参加して、それが素晴らしいプログラムであると直感しました。社会生活への適応能力を高めるためにも、ろう者と健聴者とはコミュニケーションをはかり、意見交換をする必要があると思います。健聴者はろう者から手話とろう文化を学ぶべきだと思います。

国立身体障害者リハビリテーションセンター学院と世田谷福祉専門学校には手話通訳者を目指す人たちに対して専門的なコースが設置されていることを知り、大変驚きました。私はフィジーろう協会でも同様のカリキュラムとテキストを導入したいと思います。

日本のろう協会

東京の神楽坂にある全日本ろうあ連盟の研修で、スタッフから日本では数多くのろう協会が設立されたことを教えてもらいました。また、日本ではろう協会が非常に専門的に運営されていることも知りました。

私は一般の人々に手話やろう者のコミュニティが直面している問題について知ってもらいたいと願っています。現在、フィジーには手話の本がないので、手話の本を製作したいです。帰国後は、一般の人々に手話を紹介するとともに、フィジーろう協会が更なる発展を遂げられるように努めたいです。多くの情報と研修を提供して下さった日本のろう協会の皆様方にお礼申し上げます。

7人の研修生

当初、研修生は皆、ほとんど手話が使えませんでしたが、最後には私と充分に意思の疎通がはかれるまでになりました。2名の視覚障害を持つ研修生とは手話でコミュニケーションは取れませんでしたが、二人とも自分の名前だけは手話で表せました。それでも、私たち研修生は、時には家族のように昼食や夕食のテーブルを囲みました。

まとめ

研修期間中、常に私を支えてくださった広げよう愛の輪運動基金の皆様、そして日本障害者リハビリテーション協会の皆様にお礼を申し上げます。今、私は、フィジーのろう者が自立した生活を送り、エンパワーメントされ、就労の機会を得ることができるようになると確信しています。ありがとうございました。

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